はてなキーワード: アセクシャルとは
自分もたぶんアセクなんだろうなと思ってるけど、「まだほんとに好きな人に出会ってないだけだよ」みたいに言われちゃうと黙るしかない。
先のことは誰にも、自分にも分からないので0.001%くらいは可能性があるかもしれないし、恋愛する可能性がゼロでないのにアセクって自認していいのかなと悩んでしまうから。
自認できてる人はこのへんどう折り合いを付けてるんだろう。
最初に誤解を与えないように書いておくと、別にLGBTの人たち自体が嫌いなわけではない。そこに好きも嫌いもない。
自分が単にLGBTに含まれないセクシャルマイノリティであって、LGBTだけがセクシャルマイノリティであると世間一般に認識されることを恐れている。
特別扱いしてほしいわけじゃない。ただ、LGBT以外のマイノリティもいるんだということを知ってほしいだけ。
自分はたぶん、アセクシャルである。説明すると長くなるので、アセクシャルって何?という方はググってほしい。
たぶんと書いているのは、無いものは証明できないからである。誰かが何処かに書いていていたけれど、真にアセクシャルであることの証明は死ぬまでできない。だから「おそらく」としか言えない。そういうことを言うと必ず返ってくるお決まりのセリフ、「まだ本当に好きな人に出会ってないだけだよ」という言葉をこちらに向けないでほしい。それはうんざりするほど聞いている。そういう問題ではないのは本人がよく分かっているから。私はどんな人間にも性的な魅力を全く感じないだけだ。
自分がアセクシャルだからかどうかは知らないが、基本的に仕事であれプライベートであれ、関わる人間の性別を意識することはあまりない。誰にも恋愛感情を持たないのだから、相手の性別なんてどうでもいい。そんなことよりその人が「何を考えているのか」「何ができるのか」ということの方に興味がある。
だから、とくに尖った才能のある人なんかには惹かれる。惹かれるが、それは単純な好奇心に似ている。極端にたとえるなら、スポーツ選手や歌手に憧れるようなものだ。憧れは同性異性に関わらずあると思う。そして、自分にとって他人への関心は能力に対する憧れ以上のものではない。
能力というと大げさだが、美味しいお店をたくさん知っているとか、ガンプラにくわしい、とかそういうレベルでも能力だと思っているので、つまり自分が持っていないものを持っている人と仲良くはなりたいと思うことはある。ただし、友情以上にはならない。
少し前に、LGBTが気持ち悪い人の話が話題に上がっていたけれど、あの記事に出てきた人は「本能的に同性愛者を拒否してしまう」と言っていた。もしあの記事で例えに出ていたのが同性愛者ではなく無性愛者だったらあの人はどう思うのだろう。それもまた「理解できない、気持ち悪い」と思うのだろうか。
アセクシャルであることで最も面倒だと思うのは、「全ての独身者は恋人(あるいはパートナー)を欲しがっている」と認識している人の対応だ。
「恋人いないの?なんで?」
「恋人いないなら付き合ってよ」
そういうことを言う人は少なからずいる。その人達は目の前にいる人間がアセクシャルである可能性なんて微塵も考えていないだろう。そういうところが悔しい。というか、そういう社会に不満がある。
それでも10年近く付き合いのある友人たちからはその手の話題は減ってきたので、理解してもらえたのかな(あるいは同性愛者だと思われているかのどちらか)と思っている。カミングアウトしたことは一度もない。何れにせよ、恋愛関係の話題を振られないのは助かっている。
問題は会社の人間など、そこまで付き合いの深くない人とそういう話題になったときの場合だ。これは非常にめんどくさい。
なぜ世のマジョリティの大半は、目の前にいる人間がマイノリティかもしれないということを考慮しないのだろう。おそらく自分がマジョリティだからそういう考えにすら至らないんだろうなというのはわかる。わかるが、それが悔しい。
じゃあどうしたらいいんだよ思われるかもしれないが、まず「相手が異性愛者である」という前提で恋愛の話を振るのが間違っていると思う。
たとえば話している相手が雑談の間に「結婚している」とか「好きな人がいる」とかもしくはその手の兆候のある話を聞いたら、「ああこの人は性愛者なんだろうな」という認識はできる。それからもう少し詳しく聞いてみれば、その人のパートナーが異性なのか同性なのか、年下なのか年上なのかどこの出身なのかわかる。そういうことがわかるまでは、異性愛者と思い込んだ状態で話をしないでほしいと思うだけだ。
今まで何度も「異性愛者である前提」で話を振られることが多くてうんざりしている。
どうして一度も「○○さんが好き」とかその手の話をしたことがない人に異性愛者だと思われているんだろう。それはアセクシャルである自分にとって長年の疑問だった。その人にとっては異性を好きになるのは当たり前のことだったのだろう。でも、自分はそうではない。だから、それが当たり前である社会が嫌いなのだ。
LGBTへ対する差別は話題になりつつあるが、その他のマイノリティの中のマイノリティについてはまだ知らない人が多いと思う。だから、LGBTという言葉だけがひとり歩きしているような現状が嫌なのだ。
さて、学校や会社で新しい出会いが増える時期だと思うが、皆様にはどうかセクシャルマイノリティのことを頭の片隅に置いてほしいと思う。理解し、賛同しろと言っているわけではない。ただそういう人がいるということを知識として知っておいてほしいだけだ。そして、初対面の人にはできるだけ「異性愛者である」前提で話を振らないでほしい。自分から言うのはお好きにどうぞ。だが、相手が話し出すまで恋愛の話題は避けてほしい。それで不愉快な思いをする人がいるかもしれないから。
こういうことを、前述した記事に出てきたような人に言ったら「いちいち異性愛者じゃないか気にしないといけない社会なんて息苦しい」とか言われるんだろうか、とふと思った。
でも、今までもこれからも我々はマジョリティの皆様に気を使って生きているわけで、少しだけ少数者のことを気にかけてもほしいと思うときがあるのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180318234433
自分の二十年前を見ている
「彼氏が出来る前は私もそうだった~」
「まだ若いじゃん。時期に出来るよ、焦らなくていい」
あああああああああああああああああああああああああああああああ
くそがああああああああああああああああああああああああああああああああ
私はアセクシャルだ
もうすぐ50になる
まだで会ってないだけまだで会ってないだけ、言われて、たくさん婚活もして、もうとにかく嫌で嫌で、興味が全くなくて、ほんと恋愛全然わからないと悩みまくって、アセクと気づくまでが長かった
もうね、善意と思うんだけど、ほんっとこの「今はまだ出会ってないだけ」というクソレス、クソ忠告、ほんっっっっっっっと嫌いだった
レスの中で、「アセクじゃないの、別にいいじゃん」とか言ってる人、もう神。友達になりたい。
この手の一般恋愛する人たちの、親切に見える、プレッシャーなご意見はおなかいっぱいです
アセクと言っても絶対言われる
「今はまだ出会ってないだけだよ」
やかましいわ。そうなのかなと思いながら20から40代まで20年以上誰にもときめかなかったわ、いい加減なこというんじゃねえよ
最近さ、わたしがもててどうすんだ、みたいな恋愛に興味がない系の漫画ってあるじゃん
干物女子みたいなこといってても最後は素敵な人と結ばれるんだよね、ああいうの蔓延しまくっていて、それが、「恋愛に興味ない女子もいい人が現れて素敵な未来!」ってどれだけ世間の人が思ってるか、望んでるかよーくわかる
桐生先生は恋愛が分からないは、そんな中最後まで貫いてて本当感動した
あの漫画凄い大好き。でも世間の感想は、残念がっているものが多かった。もう世の中はそういうものなのだ。
でも辛い気持ち、ほんとわかる
この人のように「人を好きになる気持ちがわからない」という人もいれば、私のようにいい年になって、いまさらセクシャリティ迷子になる人もいる。自分の場合は薄々勘付いてはいたのだが、どうやら両方イケるぽい。かといって、別の性になりたいわけではなく、かといってなりたくないわけでもない。強いて言えば性行為に及ぶ時に、嗚呼相手と逆の性だったらもっと良かったのに…と思うくらいだ。考えてみれば、性の目覚め的な記憶も異性ではなく同性だったし、その後何事もなく異性と付き合うようになったので、全然そんなことを忘れていたんだが、数年前に強烈に「そう」なる瞬間が訪れて、そこからずっと迷子のようなものだ。
強い恋心≒性欲という側面は男女問わずあると思っているので、いろんなブクマカが書いているように、言及先の増田はアセクシャルなのかもしれない。周囲と同じ空気に混ざれないことに生きづらさを感じるかもしれないが、見えないだけで、周りの友人も何かを抱えており、混ざれない…と孤独を感じているかもしれない。もしかしたらこの先、ふいに強く特定の相手にだけ強い性衝動が沸き起こるかもしれないし、沸き起こらないかもしれない。
でも、ただそれだけのこと。淋しいとか孤独感とは切り離して考えることをオススメする。ちなみに、私見だが、誰かに強く恋心を抱くことができなくても、向こうから勝手に恋心を抱いてあなたを一番にしてくれるような奇特な存在も発生する可能性は大いにある。そんな時は、嫌悪感を感じない限り、まあまあつきあってみるといい。もしかしたら、あなたにとっての「愛」が見つかるかもしれないから。
https://twitter.com/c_ssk/status/970995446662377473
"「ショイプ・オブ・ウォーター」を見たアセクシャルの友達が「(恋愛映画なのに)理解できたの?」って言われた話が本当につらくて、今これを書くだけでちょっと泣きそうなんだけど、こういうことを問われるのは常にマイノリティだけなんだよね。お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!"
https://twitter.com/c_ssk/status/970995641299042305
"シスヘテロ恋愛ものを見て感動した非シスヘテロは「わかるの?」と問われたり、「わかんないでしょ」と決めつけられることさえあるのに、シスヘテロの観客がLGBTの話に感動したら「これはLGBTの映画じゃない」とか言い出す。いい加減にしろよ。物語を剥奪するな。"
チキささの「アセクシャルの友達」が文字通り「理解できたの?」と言われたのかどうかは不明だが、そのアセクシャルの友達と「理解できたの?」発言の人とは一定の信頼関係があったことは予想できるし(日ごろからアセクシャルであることを誰彼構わず触れ回ってるなら別だが)、真相は「デル・トロといえども恋愛至上主義からは自由ではないんだねぇ」「アセクシャルならこの残念さよくわかるよね」という発言にアセクシャル側が同意を求められ、たまたまデル・トロ好きだったから(日頃の主張も忘れ)不快になった、という程度の話なのではないか。
そもそも、ある物語が住む地域も人種も宗教も違う人々をも感動させるのはそこになんらかの普遍的な要素があるからで、「内観」という、人間が情動を理解する唯一の手段を働かせるという意味での共感性があるからである。かつての権威づけされた芸術作品には貧困層などは排除されており、その作者やその作品の同時代人たちが考える「人間の基本的な条件」が現在よりよほど狭く設定されていたことが普遍の描き方に反映してしまっていた。しかし、現代では大衆化されさまざまなマイノリティ性を含んでもなお、そこに普遍を描くことができ、物語製作は豊かなになってきている。
つまり、「人間なら異性に惚れるのは当たり前だよね」と条件づけられていた「普遍」は、現代の人々が同性愛者の存在を広く認知し尊重するようになったことにより「同性に惚れるのだって人間だよ」というように拡張してきているのである。
ここで「物語からマイノリティを排除するな」という訴えは要するに、「普遍」を描く際の人間の条件からマイノリティを排除するなということであり、「現代社会はアセクシャルを排除している」という訴えは、ほとんど全ての創作物が謳いあげる「普遍」に性愛要素が含まれることを撃っているのである。その意義は大きい。「行け!稲中卓球部」で誤解から卓球の選抜チームに入った前野が、実際には卓球の実力も熱意もないため、卓球の話ばかりする選抜チームの中で退屈さと疎外感から唐突に「サメの話しようぜ」と言い出す滑稽な場面があるが、アセクシャルにとっては行く先どこもに恋愛の選抜チームが結成されている状況であり逃げ場がなく、前野とは違うのである。
ここで「シェイプ・オブ・ウォーター」に戻ると、そもそも恋愛映画であるが登場するのは半魚人である。繰り返すが、人間には情動を理解する手がかりが自分自身にしかないため、動物だけが登場する作品においてさえ、動物は人間が化けたように子の死を嘆き、群れからはぐれれば孤独を感じるように描写される。これは「動物性の剥奪だ」と非難する事すらできるだろう。動物のことはわからないのだから勝手に当てはめるなとも言えるだろう。2008年のディズニー映画「WALL-E」は、荒廃した惑星でただ一体動くロボットが主人公だが、その主人公は物語中で「女性の」ロボットと出会い、彼女との性愛関係を志向するようになる。遠い未来のロボットであってもヘテロセクシャルなのか! と当時ディズニーの物語製作には大いに落胆させられたものである。
「シェイプ・オブ・ウォーター」も物語構造の核としてシスヘテロ恋愛でしかなくこの種の批判は免れない。アセクシャルの友人が批判的コメントを求められることはありそうなことだ。
チキささは「お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!」と言うが、半魚人と付き合ったことなくても、自身のシスヘテ恋愛経験を拡張して半魚人と付き合うことまで理解してしまえるのが「普遍」だし、そこに同時にアセクシャルを排除したシスヘテ至上主義の傲慢もあるのである。
たまたまチキささとそのアセクシャルの友人がデル・トロ贔屓なのかもしれないが(おそらく「パシフィック・リム」においてベケットとマコが最後にキスしなかったことを評価しているクチだろう)、「シェイプ・オブ・ウォーター」は批判するべき作品である。
そもそも「アセクシャルならヘテロ作品わからないでしょ?」なんていう見解は圧倒的少数であり、アセクシャルが戦い、苦悩しているのは「やっぱりヘテロ恋愛には感動しちゃうよね。人を好きになること、これは人類不変の原理なんだよ」というような理路である。実際にそんなリプがついている。こんな藁人形叩きに近いツイートが大きな共感を得ているのは、シスヘテ至上主義の側がこのツイートに「救われている」からである。チキささは無能なアライであることを自覚するべきだ。
友達でアセクシャルなのかな、と思える子がいるけど、でも、それは最近ネーミングされたもので、
昔から個性というか、性格みたいなものとしてそんざいしていたのではないでしょうか。
「好きな音楽はジャズ」「嫌いな運動はレスリング」と同じようなものと思っています。
自分も気づくまでは興味も無かったのでそんなもんだと思う。
私みたいに異性愛に執着するセックスもオナニーも出来るアセクシャルもいれば、性的なもの全部イヤ!ってアセクシャルもいるらしい。
100人に1人の確率でいるそうなのでもしよかったらこれを機に調べてみてください。もしかしたら増田の周りの人でいるかもしれないので。
死にたいなら勝手に死ねってボコボコにされると思って書いたから不覚にも涙でた。ありがとう。
でも実際自分でも事実なんだと思う。親もイライラしてるし自分も悪いところがあるから。
恥ずかしいんだけど片親でむちゃくちゃ貧乏なんだ。携帯止まってるし。海外旅行どころじゃないんだ。
だからこそ大学入って、一般的な幸せコースに乗りたかったってのがあるんだ。
考えたこともなかった。
彼氏は告白されて成り行きで出来たものだし、セックスもオッサンがお金くれるからと股開いたクソ女だ。
貞操観念ははっきり言ってない。エロいことも好き。でも全然人間に対してはそういう欲求が無い。
あまり深く考えたことは無かったけど、ある記事を読んで知ったアセクシャルが近いということに気付いた。
私は普通の幸せを求めて、世間的にそれから一番近いコースを辿れると考えて大学に入った。
世の中にはアセクシャルを自認して、受け入れて謳歌してる人もいるらしいけど私は違う。
普通に男の人を求めたいし、恋愛したい。好きな人とセックスがしたい。そういう小説とか読むしムラムラしたらオナニーだってする。でもどうしてか生身の男に対して一切そういうものを抱けない。自分でもびっくりするくらい。
異性に求められても、相手に女としての自分を求められてるという事実が凄く気持ち悪くなってしまう。
毎月生理はあって、おっぱいあるのに中身の性別は女じゃない自分が嫌いだ。
これからの人生、私は社会的に女として扱われて働いて、そのお金で社会的に女として扱われることが辛い!って愚痴をカウンセラーに話して、そんでもって「いつかは好きな人が出来るかもしれない」なんて甘い言葉を信じながら一人で生き続けて老いてくの。
有り体に言って地獄では?
これからの人生を考えると絶望しかなくてもう年明けから学校行ってない。留年も決まったし本当にどうしようかな。
よく親に育て方間違えたとか大学入らなきゃ良かったなとか言われるけど、そもそも生まれるのが間違いだったように思う。
最近上司から結婚相手探さないのかとか見合いするのかとか茶化されることが増えた。
すごくめんどくさい家なので、なかなか見つかりませんね〜はは〜と誤魔化してやりすごしていた。
そしたら今度、好きになった人が条件を飲んで結婚してくれない人だったらどうするの?と言われた。これには困った。
私は、今までの人生、好きになったというのか…?いや、友達とはちょっと違う感情を抱いたのかもしれない…?みたいな人間が数人いた事はあるが、恋愛感情というものがよくわからない。性欲もない。ノンセクシャルかアセクシャルなのかと悩んだこともある。ただ、生きていく上で結婚はしたいし出産もしたいけどプラトニックでいたいという、超絶わがままな人間である。
なんというか、恋愛感情を誰かに抱くのが普通で当たり前ことであるというのを見せつけられ、お前は異常なのだと突きつけられ続けるのがつらい。どうしたらいいのだ。プラトニックな関係で結婚してくれてめんどくさい親戚と付き合ってくれる神のような存在なんかいるのだろうか。
人を好きになったことは、まだない。
2度ほど告白されて、とりあえずでいいから付き合ってみないかと言われ頷いたものの、いずれも所謂男女の関係にはなれずお別れした。
「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」「今は他のことで忙しいからじゃない?」
と言われ、まともに取りあって貰えない。
ネットとかで色々調べてみたら、どうやら自分のような人間は一定数いるらしく、"アセクシャル"(無性愛者)と呼ばれていることを知った。
ただ、確証が持てない。
wikiとか見ても自覚時期については「第二次性徴期以降であることが多い。」としか書いてなくて、自分が無性愛者なのか、レズビアンなのか、はたまた友人たちの言う通り単なる奥手なタイプなのか、それは一体いつ判断していいんだろう。
そもそも元から執着心や依存感情に縁が無く、広く浅く淡白な人間関係しか築いたことがないので、これがセクシャリティの問題であるのかすら定かでない。
ちなみに男女問わず美しい顔が好き&刹那的な青春っぽいエモさに弱いのでアイドルとかは好きでよく観に行く。
しかし当然ながら恋愛感情ではないと思う。推し多数だし、認知欲求もないので。
あと子どもも好きだし、いつか自分の子どもが持てたらとは思う。まあ現実的に無理だな。
別にこのままボンヤリと生きていけばいいかなと思ってたのだけども、最近あまりに上記のやり取りをすることが多く、しかもそれが結構なストレスであることに気付いた。
だからこの際ハッキリ決めて宣言してしまおうと思ったものの、これ他のセクシャリティに比べて判断基準がぼんやりしすぎてないか?という印象が拭えず躊躇われる。
だから誰か教えて下さい。
私はAセクなのでしょうか?
モヤモヤするわ~。