はてなキーワード: どっちもどっちとは
ずっと我慢していたがあえて吐き出そうと思う。
という部分で「お前が言うな」という批判もあるだろうことを承知の上で書く
「あっ…これ…だいじょうぶかな…」
これを見てピンとくる人もいるかもしれない
分からない人はそれでいいとおもう
お土産をやりとりする機会で
断っておくが普段は色々と良くしてくれている、
身近にいる大切な人たちである。
まぁ相手は自分が東北出身だってことは知ってたり知らなかったりするわけだし
どうしても仕方のないことだってことも良く知ってる
でもさ、これ 実は結構傷つくんだよ
たとえ直接的に自分のことを言われたわけではないとわかってはいるけど、
結構というかかなり残念に思う
けどさ、これが何気なく出てくるってことは
「あぁなんだ、やっぱり復興支援だなんだって言っても心の中ではそう思ってんだな」
ってこっちも思うわけでさ
まぁ仕方ないか、とも思うけど
でもさ
「どっちもどっちだよね…」ってポツリと言ったり
「もう東北のもの食べれないよね」なんて意見も目の前で言われて
いや、それは正直どうよ と
でもあぁ、結局そんなもんだよな と
残念には思うけど納得せざるを得なかったりもするわけで
幸い亡くなった人は自分の周りにいなかったけど
家が流されて仮設生活や知り合いが流されてお葬式に行った話や廃業、
原発被害にあって元の地にはもう住めない、なんて友人や知り合いはごろごろいるので
こういう意見を聞いて
どうしても「あーあ…」と思うわけで
一応「それ絶対東北の人の目の前ではいっちゃだめだよ~ww」なんて
ほかの人が諌める場面もあったけど
「そうだねぇ、目の前にもいるからね、気を付けた方がいいかもしれないね」
なんてにっこり言ってしまった
相手も「(あっしまった)」って顔はしたので
多少大人げなかったとは思ったが、
どういう反応するかは想像出来なかったのかな、と
その後は気を使ってるのかは分からないが
なんとなくお土産も渡さないようになったり
また、震災直後に周りによくあったのは
「もっと何か凄い支援が出来ると思ったのに」
どぶ掃除かよwwwww地味な作業だなぁ」
「うちにあるいらないもの送ったら「使えないからいらない」って言われた
確かにボロかったけどせっかく送ったのに」
という実際にあった会話
若者じゃない、4~50代のおっさん達でもこういう事いうんだな
自衛隊みたいな人命救助が出来るヒーローにでもなれると思ったのか
そこに住んでいる人たちはついこないだまで自分たちと同じように暮らしてただけの人たちなのに
震災にあった人たちはずっと「可哀想」であってほしいのか
と、その時は正直憤った
そういうのは
何だか今までは矛先が「アフリカの恵まれない子供たち」なんかに向いていた
「可哀そうな誰かを支援したい」っていうベクトルが
「今までにない津波被害や震災地域」という状況が身近にできたことで
都合のいい「可哀そうな誰かを気軽に“支援して”やってる」
「感謝しろ」といういかにも上から目線に酔ってるような気がして
一時期吐き気もした
今はもう気にしても仕方ないことだと半ばあきらめたが
ボランティア自体も別段することに否定はしないし、むしろ有難いと思う
自分が出来ることなんて限られているので
食べなれた味を求めて東北産を選んで買ったりする
そんなこと言ったら相手に何も言えない、
とか
とか
めんどくせぇなこいつ
それでも、身近な誰かがもしかしたら、っていう
ほんの少しの思いやりくらいはあればいいのにと思う
事実にはお礼を言いたい
ありがとうございました
そんな震災2年目
http://anond.hatelabo.jp/20130224175755
ぶっちゃけ教員から見れば,ロンダでも生粋の東大生でも修論なんてたいしたレベルじゃないからw
学部からの東大生の方は「要領がいい」ので,最低限の研究だけして修了しようとする人も多いし
逆に,夢を持って東大に移ってきて,真面目に研究してすごい成果を出す人もいる
ちなみに,
学部から(中高時代から)しっかりと知識を育み、学部の継続で修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る
と書いてるけど,ペーパー投稿以外は正直,「そうだね,頑張ったね」レベルにすぎないよ
十数年前、俺が小学生だったころ。
当時コロコロコミックで『デュエルマスターズ』というMTGを扱ったマンガの連載が始まり、結構楽しみに読んでいたのだが、
途中からオリジナルのカードゲームを売りたくなったらしく、その新カードゲームをメインに扱うようになった。
俺はその新カードゲームにはもう全く興味がわかず、なんでこんな訳わからんカードゲームしなきゃなんないのと思って、
時は流れ、麻雀を覚えて
福本伸行の麻雀漫画を読むにつけ、その時と似たような感想を抱いてしまう。
つまり、なんで麻雀をこんな変なゲームに改造しなきゃなんないの?ということ。
『カイジ』のように最初からオリジナルのゲームをやるならそれはそれでいいよ。
でも麻雀を悪魔改造するにあたって、いかなるコンセプト性も見いだせず、
かといってゲームとして面白そうにはとても見えず、わざわざ改造する意義が一切見いだせない。
読んだのは『天』と『アカギ』の鷲巣麻雀編だけだが、これ以上読むのは苦痛なので勘弁。
『天』は、天がひろゆきを変な麻雀もどきのゲームで試したところから、既に怪しくなっていたが、
とりあえず東西戦の話だ。
東西戦、最初は面白かったよ。原田がイカサマで四暗刻を和了った健の左手をぶっ刺すところとかね。
その次から交代方式の麻雀が導入されたが、これもまあ良かったよ。
赤木の作った手牌を天が引き継いで四暗刻を和了る場面は熱いし、あれは確かに共闘するからこその面白さだ。
交代方式以外に特に面白いとも思えないルールが山ほどオマケでくっついていて、全部要らないと思うが、
それは忘れることにするよ。
ここまでだよね、『天』が面白かったのって。
麻雀の代表的二翻役である、「一気通貫」「三色同順」「七対子」「チャンタ」「三暗刻」を先に全て和了したグループの勝ち
というルールだ。
もう、ハァ?という感じ。パッと見、何が面白いのかさっぱり分からない。当然漫画を読んでも、とても面白そうなゲームには見えない。
こんなルールを導入するからには、それなりの説明があっても良いのだが、それも特に無い。
天が言うには、「チームワーク重視であること」「ひろゆきの理詰めのセンスが生かされやすいこと」が理由だが、
明らかに論理の飛躍がある。そのためなら、こんな意味不明なルールでなくても良い。
しかもだよ。「三暗刻」が「麻雀の代表的二翻役」ってどういうことだよ。滅多に和了れないだろそんな役。
まだ「トイトイ」が残ってるのに。
「トイトイ」を差し置いて「三暗刻」なのはなぜ?どう見ても作劇の都合で「三暗刻」にしたよね?
導入する理由も不明瞭、ルールも作劇の都合というわけで、決勝編はかなり悲惨だった。
原田が「そんなパズルみたいなことやってられるか」と言うが、ごもっとも。
ちなみに原田の提案で普通の点棒制との並立制が取られている。それがなければもっと悲惨だったかも。
まだ終わらない。決勝がいろいろあって引き分けに終わったのち、原田と天の一対一の対決が始まるが、
ここでもまた意味不明なルールが導入される。名前がついていないので、福本ルールと呼ぶね。
ざっくり言うと
18巡以内に二人のうちどちらかが先にテンパイを宣言する。宣言された方は当たり牌を推測し、宣言した方はひたすらツモる。
ツモ和了までに当たり牌を当てられたら宣言された側の勝ち。当てられるまでにツモ和了したら宣言した側の勝ち。
もちろんこれに点棒の収支が絡む。知らない人はWikipediaでも見て。
これは、本質をついた改造でも何でもなく、麻雀というゲームを激しく勘違いしているよね。
ただ二人で麻雀したいだけなら、萬子と筒子の2~8を抜くとか、あるいは萬子だけでやるとか、やり方あるじゃんよ。
まーこれどっちもゲームとしてはクソだよ?特に後者は天和・人和・地和が連発する歪なゲームになっちゃう。
でも漫画なら面白く盛り上げる方法はあるだろうし、ゲームとしてクソなのは福本ルールもどっちもどっちでしょ。
そんなんだったら、そういうスタンダードなルールを退けて、こんな意味不明なルールを採用する理由ってなに?
無いでしょ?そんなの。
天の提案したクリア麻雀を「パズルみたいなことやってられるか」と一刀両断した原田が、
ここでこんな幼稚なゲームを提案してきたことに俺はひどくガッカリした。
健の左手をぶっ刺したときは、ヤクザーな感じで超かっこよかったのに、
この後、麻雀とは特に関係のない通夜編が始まる。通夜編の評価は特に高いようだが、
俺には原田だの天だのが赤木を送り出すに相応しいとはとても思えず、特に何か感じるものもなかった。
こういうシンプルなゲームを原田と天の最終決戦でこそやれよ…って思い、更にガックリと来た。
これが『天』の感想。
もうなんかめんどくさいので、『アカギ』鷲巣麻雀編の感想は簡単に済ますと、
アレは一晩の対決を何十年もかけて連載していることに価値があるんだと思う。それは認める。
しかし、鷲巣麻雀ではなく普通の麻雀だったらもっと良かった。鷲巣麻雀は『天』の時ほど本来の麻雀からかけ離れているわけではないが、
やはり変則ルールを導入する意義が見いだせない。
『カイジ』にも変な麻雀やってるとこあるけど、アレはちゃんと読んでないから感想言えない。つーかもう読みたくない。
つーわけで以上。
『咲』もまあ、キャラ数がいい加減多くなりすぎて苦しくなっているところはあるけど、
能力とキャラクター性が緊密に連携しあっていて、それがいかにも少年漫画的で、良いと思います。スピンオフの『阿知賀編』も面白い。
あと全然関係ないけど、最初に書いた時期のコロコロで、魔法使いの話が読み切りで掲載された事があったと思うんだけど、
あれが何だったのか気になるので知っている人は作品名と作家名を教えて下さい。
童貞卒業出来たのは26歳。相当こじらせた方だと思う。自分なりの脱出論を一度書いてみたいと思いました。
一途に想い続けるというのは称賛したくなるのだが、結果として良い結果を生まないと思う。こちらの思いとは裏腹に恋愛どころか友人としても成立せずに終わってしまうのが大概のケース。返事が帰ってこないだけで意気消沈したり、いわんや相手に返信メールを強要するようなことは避けなければならない。従って、常に付き合いたいなという女性を最低でも5人程度候補として持っておくべきだ。相手を①魅力度(容姿・性格等)、②確度(付き合えそうか)の2つの軸で総合的に判断してエネルギー配分を考えること。童貞は①だけに集中してしまい、ヤリチンは②を重視するのだろう。
女性と話をしていて思うのは、タイミングとか安心できる相手かの見極めができているかとかが結構大事。だから、半年ぐらいかけて好感を少しずつ持ってもらうぐらい持久戦をしかける気概が必要だ。週に数回メール・Lineで会話して、たまに友達も連れて皆で食事をするとか。相手に最初から恋愛対象として見て欲しいと思わせる必要は無い。むしろ一緒にいて楽しい人だなと思わせる位で良いと思う。貯金をしていくイメージだ。数撃ちゃ当たる理論で述べた2つの軸のうち、特に①魅力度がとても高い相手と付き合うのは難易度高いわけで、相当な貯金をする必要がある。余り期待せずに長期戦でゆっくり仲良くなるよう進める。その間、②だけが高い女性とメールしたり食事なりしながら気分を紛らわすというのも良い手段だと思う。短期間限定で付き合うのも有りだと思う。彼氏がたとえ居たとしても、別に期待もせずに連絡だけ続けていれば1年後に彼氏と別れてチャンス到来もありえる。その間、他の女性へのアプローチもし続ける。そういうしたたかさが必要だ。
ナンパやらは全くもって現実的に実行する気にはなれない。現実的な方法を考える
合コンは手っ取り早く3,4人の女性と知り合える。ただ共通の話題がない状態から始める相手と中長期でじっくり連絡を取り合うのは至難の業だ。共通の趣味なりがないと長続きしない。逆に共通の趣味があるグループで相手を見つける方法。学生時代のサークルであったり、新たに女性が中心の習い事など。当然男が少ないコミュニティであれば有利である。ただし、そういうコミュニティに入るのは億劫だし魅力的な女性がいるとも限られる。どっちもどっちだ。2つを上手く使い分けて出会いを増やすことが大事だ。
王道の方法は無いのだから、連絡先を交換した相手と関係を絶たずこまめに連絡を取りながらチャンスを伺うことだ。
結局ダメもとで告白するのは間違っているという結論に至った。絶対付き合えるだろうという確信が持てるまで待てば良い。
色々と書いてみたが参考になると嬉しい。
さらにこれに追記するけど
無断転載したわけでもなく単に意見の合わない人を「確実に性的に誤解される単語」を使って仇名をつけてその仇名を公の場であるインターネットで群れてつぶやきまくるという行為を
おかしい 間違っていると言う人がいない時点で活動に対して自制心喪っている。どこかの市長を名前いじって批判するサヨクとやることが似てると思う。被害者には助け舟出さないけど。
無断転載と集団で意見の合わない人に「確実に性的に誤解される単語」を使って仇名をつけて集団でネットでつぶやくこと どっちがネットにとってより有害なのか
上のようなことしてるとその内某国立大学の中にある大学生にもろ敬遠されてるサヨク活動してるサークルみたいな感じになっていきかねないがまあ良い
そのまま活動がエスカレートしていって自滅すればいい
他増田について言えば、やっかいな問題平和な増田に持ち込まないで。頼ろうとしないで自分でフォローしてくれる人増やしてから再挑戦しなさい。
ストレートじゃないことに極端にコンプレックスがあった人なのかなと思う。
そう周りに思われてもよしとしている人なんだなあとも。穿ち過ぎかもしれないけど。
10年くらい前に高校生だったとき、女子はだいたいストレートパーマかける感じで、流行ってるのかなーやっぱり年頃だから気になるのかなーとか思ってたけど、正直もったいないなーって最後に思ってた。
ストレートパーマでまっすぐになった髪はハリガネみたいに見えてしまうし、髪の本来のいきいきとした感じが死んでるように見えるから。デフォルトで髪が死んでるっていうか、毛先が死んでるんだよね。
天然ストレートの人はパーマに憧れたりするけど、どっちもどっちなのかな。
いや、その場合は元がストレートって一見してわからない分、ストレートパーマよりも恵まれてるのかも。
そんな自分は天パ。
ストレートの人間から、パーマかけなくていいって羨ましいわ~って言われて、なら天パになってみっか?なめんなよカスがイライラムカムカとしてたタイプです。
もう諦めて受け入れました。
「自衛のための助言」という大義名分が成立するためには、未だ被害に遭っていない人間に対して注意する必要があるよね?
ところが、もしもその人が助言を受けた後で被害に遭ってしまったとすると、「だから言ったのに」という理屈が成立してしまうよね。
人間が基本的には自律した個人であり行動を自分で決定できるという前提がある限り、「助言したにも関わらず被害に遭った→本人の不注意、或いは意志にも責がある」ということに自動的になってしまうわけ。
言い方がマイルドとかそういう問題じゃない。論理的にそういう話が成立してしまうので、むしゃくしゃしていて弱い者いじめしたいクズとか、あとはセカンドレイプの何たるかをよく判ってないバカとか?そういう魑魅魍魎どものエサにされてしまうのよ。
強姦の発生件数の統計数値上において、顔見知りと赤の他人のどちらの方が発生率が高いかとか、エロ服と地味服のどちらがよりデンジャラスかとかいうあたりは全無視なアドバイスであるのも芳しくないよね。
酒と場所も微妙。大学のサークルみたいな知り合いに誘われて参加した場(の延長)で被害に遭うかもしれないし、逆に一人で飲んでた帰り道で遭うかもしれない。どっちもどっちすぎる。
5人働いてる。
1人病気で働けない人がいる。
1人ニート(働きたくなくて働かない)がいる。
2人は働く年齢になってない子ども。
1人はまだ生まれてない10年後とかに生まれる人。
将来の世代に負担増やすなら、それより何もしてないニートを働かそうとする方向になるのは人情的に(というか社会システム的に)自然だと思う。
でもニートも社会的弱者として無理に働かせないで保護していく、という考え方もあるので、どっちを選択するか、ということだと。
なぜかというとニートは、無理に働かせようとすると病気になったり自殺したりするから。
の2つがある。
あと働いてる人も単純に働きたくて働いてる5人というのじゃなくてもう少し分けると
働きたくて働いてる人2人
働きたくないけどしょうがなく働いてる人3人
それぞれニートは働けと思う言い分がある
前者の人は「働かないなんてもったいない。人生損してる」というアッパーな感覚
後者の人は「安月給でこんな毎日大変な仕事してるのに、おまえらも働けよ」という嫉妬
働きたくないけどしょうがなく働いてる人3人のうちの1人も
本当は働きたくなかったのでニートになると思う
働きたくないけどしょうがなく働いてる人として残った2人の負担は増える
働いてる人の自殺が増えたら、総幸福量で見たらどっちもどっちじゃないか
pha氏のように趣味や才能がある人なら良いけど
それを二十歳から人生60年間続けるというのもある意味仏教的な修行のような人生になってしまいそう。
同じニートでもpha氏のような詩人のようなタイプの人だとそんなスキルは要らないとは思うけど
社会的なスキルを少しずつでも蓄えておくと、あとあとだんだんと楽に仕事できるようになる、というのはあるので
いろいろ考えさせられたけど、
働けないニートを保護するのはいい、というかそうするしかないし、そうなってる(親が養ったり)
でもニートでも働ける人はできるだけ働いた方がいいと思う。
(pha氏はそのままでいいと思うが)
でも同時に人間なかなか死ねない、というのもある。平均寿命で考えれば30歳で死にたくなっても残り50年ある
もし途中でニートやめて働くことになったら、結局働くならふつうに働いてればよかったと思わないだろうか。
けっきょく50年ニートするか、途中で仕事戻っても自分のスキルがゼロ過ぎて若い時より辛かったり、人生いやになって自殺したりするんじゃない
法人税増やすと 工場が 海外に移転するから 雇用は悪化するんだが?
で、労働基本権が重視されすぎて スキル不適合のオッサンが居座ってるから 倒産寸前までリストラしないとかになって、若者の雇い止めって話になったり、再就職が難しいって話になってるんだが?
とりあえず、正規の労働条件を転職が当たり前解雇が当たり前 だが 受け皿がある にすると同時に 非正規に対する不払いを厳しくしないとダメだとはおもう。
あとは 孫受けの規制強化とかな。原則 100人でも1000人でも 本社の正規が見ろや。だからこその本社正規だろと。楽するなと。
だがなぁ、若者は若者で、スキルは会社が教えて当たり前みたいなぬるいこと言ってる奴が多いし。どっちもどっちだとおもう。
たかだか、数年学校で勉強しているだけで 40代のバリキャリと相手になるとか思ってるのがどうか?
小まめに指摘してるけど、マルチまがいの情報商材業者や個人情報を金にしてるIT業界の人のポンジョントークや反ヘイトスピーチ界隈の匿名dis
の声の方が「セキュリティクラスタ」よりもネットでは大きいからTLの波に流されてしまうんだよね
ネトウヨVS反ヘイトのネットバトルとか見てるとネットでの個人情報の公開は、相手の個人情報をお互いに粗探しして集団で晒し上げして嘲笑したり
ネット外で圧力かけて嫌がらせする為に為にあるものだとしか、某北系在日人権主張御用達ジャーナリストとかその周辺のクラスタとか、どこかの在日先生の職場晒して批判するネトウヨとか見てるとはてな妖怪「どっちもどっち」としては「そもそもネットで実名出すとかセキュリティ的に無いわー」と思う
意見の相違ではなく、「教育レベルが低い」とか「社会的地位が低い」というような見下しあいで終わってしまうのが、個人情報振りまいた実名出した嫌悪トークの交流の成れの果て。名前出すとその場のトークで終わらずに後々粘着されちゃうし。「名声値」上げ「攻撃力」上げする代わりに「防御力」下がっちゃう。いいことないぞ
幾ら「反へイト」「人権」をお題目に匿名disってても、良かれと思って北朝鮮みたいな密告上等な社会にされたらたまったものじゃない