はてなキーワード: すっとぼけとは
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だって予想つくでしょ?
「女が群がるイケメン」とか「女と見れば口説くプレイボーイ」とかそういう設定をフックにいきなり「男同士の友情」みたいな裏テーマぶっこんでくるの、FF6あたりからずっと腐女子のライターがやりがちな常套手段なんだから
こんなん読めて当たり前じゃん、「あっこれ作者女さんでBLの流れか」って
別にそういう作品バカにしてるわけじゃないし、男女関係なくいろんなパターンがあることぐらい知ってる
もちろん男作者の作品だってクソデカ感情の吐露ぐらい普通にあるけど、そういうのは「大魔王討伐」とか「トーナメント戦」とか、そういうイベントの合間合間に出してくもんなの
何のイベントもなしに内面の話ばっかりひたすら延々とウダウダ繰り出してくる時点で、もう展開全部察しつくだろ
でそれを裏切るならまだしも案の定なんだもん
もしこれがマジで読めなかった奴とかいたらさ、それこそ例の人じゃないけど、国語の成績悪すぎだって
いったい、何が起こるんです?(すっとぼけ
ほんの10年前まで「ラノベとか二次エロ漫画なんか読んでるのは、現実でモテないやつの現実逃避だ。現実を見ろ」って言ってたじゃないですか。
その通りなんだよ。わかってたんじゃねえか。
ツイッター検索したらたくさん出てくるよ。「オタク 現実逃避」で2010年以前の日付検索してみてよ。
あまりにオスは有害だの、オスは獣だから檻へ入れろだの言うもんだから、うんざりして自ら檻に入ったのがオタクじゃん。
いつからそういうオタク像が「現実の女性に性欲をぶつけてくる」みたいな現実とズレたイメージに変わってきたんですか。
そのころから「オタクは不愉快」「オタクは気軽に殴っていいもの」ってのは変わってないけどさ、同じ嫌悪感にしてもこのころのほうが正直でよかったよ。
ポリコレが浸透してきて「ナチュラルな差別感覚でオタクを殴るのが難しくなった」から、オタクを必要以上に悪者にする必要が出てきて、加害性を生やし、犯罪者と結びつける作業をやってるだけですよね?
なんでこういう変なこと言いだしたかもなんとなくはわかるんですよ。
昔は単にオタクを気軽に馬鹿にしてたんだけど、ポリコレが進展するにつれて、昔と同じノリでやってたら「自分たちがいじめっ子」として糾弾されるリスクが出てきたからですよね。
だから、自分がたたいてる者はもっと悪者じゃないと都合が悪くなった。
その結果、どんどん変な理屈が生え始めた。
いらないよそういうの。
別に「私が見下している貴様らオタクが勝手に女性の表象を使ってシコるな!キモイ!」って率直に言ってくれたほうがよっぽどこちらは気分が悪くないよ。
むしろ、叩くためにそういう取り繕いの努力までされると「そこまで嫌いなのか……」って気持ちになって余計気分悪いわ。
さすがに自分が被害を受けた痴漢と結びつけるとかさあ、こういうマンガを読んでるやつは現実の女性にもそういう欲望を抱いてるとか、そういう「冤罪」を平気でやってくるのはやめましょうよマジで。
せめて「性的加害を促進する」とかじゃなくて、本来の「女性表象を使ってもてあそぶのは不快だ」って議論に戻りましょうよ。
どう考えてたって、今のフェミニズムの皆さんが言われてることって現実に即してないんですよ。
今更だがやっと気づいたのでメモ。
実在の人間で叶えてしまったら犯罪になるようなこと(強姦や殺人など)も、架空のキャラクターでやるのは自由だし、そんな作品はゴマンとある。それは何者にも侵されない「創作世界」の領域。架空のキャラクターの強みは架空だからこそ「何でもできる」のであって、そこにわざわざ「自分の娘だったら……」なんていうリアルを想定するなど愚の骨頂。
したがって高校生という設定の未成年の少女に「ウサギはいつでも発情期」という意味から生まれたド直球の性的象徴である「バニーガール」の格好をさせて「さあ、みんなで未成年を性消費しよう!」ってポスターが公共の場に貼られても、そもそも「リアルを想定したら駄目なこと」ができるのが創作の世界なのであって、そのような批判は通らないってということなんだな。やっと理解した。(納得はできないが)
だけど自分のその聖域を侵されたくない一心で、「別にエロくない」とかすっとぼけてみたり、「そんなこと娘の自由にさせろ」とかはてぶ特有の売り言葉に買い言葉みたいなこと言っちゃうのは理解を妨げるノイズでしかなかった。
私は、修士課程のころ、指導教員の印鑑を勝手に買って使ったことがある。
他人の印鑑を勝手に使用することは有印私文書偽造罪と立派な犯罪だが、なぜかバレなかった。
その研究室は、専攻分野の中でも際立った研究をしており、かなりの実績を出していた。
担当教員もかなり力のある人物で、設備も充実していたことに魅力を感じた。
研究テーマも、他の学生と全く異なるものを任せてもらい、やりがいもあるだろうと思っていた。
そこで論文執筆や国際学会発表をたくさんこなして博士課程まで進み、アカデミックに残りたいと思っていた。
だが、研究室に入ってすぐ、そんなことはできるわけがない現実に直面した。
まずコアタイムが厳しく、コアタイム外のゼミ会が毎週あったり、それ以外の時間も暗黙の了解で残らせるところだった。
夏休みも学部生が1カ月以上あるのに対しこちらは長くて1週間、春休みはなし。
書かれていないことは暗黙の了解に過ぎないと無視していたら、指導教員直々に「お前やる気なさすぎ」とまで言われた。
雑用当番や研究室行事も頻繁にあり、ただですら研究で疲弊しているところに追い打ちをかけるようだった。
また、研究室が優秀ならメンバーも非常に優秀ですぐについていけなくなった。
そんな中、研究成果をうまく出せず、指導教員に叱責される毎日を送っていた。
指導教員は言うことが頻繁に二転三転するうえ、こちらの意見は全く聞き入れられず、ストレスが溜まっていった。
うまくいかない実験に関しこちらが改善案を出しても一切認めず、ただやり直せと言うのみでにっちもさっちもいかなくなった。
学生相談制度で別の教授と会ったときも「ここまで緩い研究室すら無理なら退学すべき。就職も今は人物重視だから問題ない」と言われた。
学内の相談員も同様に、遠回しな言い方ではあったがやたらと退学を勧めてきた。もしかしてそういう校風だったのだろうか。
そしてある日、ついに限界を迎えてしまい、半ば喧嘩別れの形で研究室を飛び出してしまった。
その後は好きな講義を受講するなど学部生に準じる生活を送っていた。
ところで、私は学内で国際教養を認定するプログラムに入っていた。
それは対象の講義をいくらか受講し、さらに留学すると大学から認定証とともに国際教養のお墨付きがもらえるというものだ。
もちろん国家資格とかじゃないからこれで食えるわけではない。ゆく先々話のネタにはなる程度だ。
ちょうどお金もたまっていたのでそれに応募しようと思った。
しかし、大学院生は何をするにも教授の許可がいる。授業の履修だけでなく休学・退学ですら例外ではない。
もちろん留学にも指導教員の許可が必要で、願書には指導教員の記名押印をもらう必要がある。
しかしその時の私は指導教員と仲違いしており、のこのこと研究室に出て「ハンコ下さい」なんて言うわけにもいかなかった。
実際、これまでのことを謝罪しに行ったことはあるのだが、取り付く島もなく追い返された。
となるとどうにかして印鑑を押してもらったことにするしかない。
研究室へ行くとバレてしまう。ならば指導教員と同じ苗字の印鑑を買って押すしかない。
ダメで元々店に赴くと、かなりメジャーな苗字だからか簡単に入手できた。
指導教員の名前はWordで印字し、買った印鑑を押したら問題なく受理された。
(後で知ったが「記名押印」は印鑑さえ押していれば氏名は印字やハンコでもOKだという。氏名も手書きが必要なのは「署名捺印」)
申し込むとすぐに「学内選考合格。返済不要の奨学金付きで先方に推薦するので応募手続きを進めるように」という返事が来た。
そのまま応募手続きを進めたところ、留学先による選考にも合格してしまった。
ちなみに、一番大変だったのは英文の履歴書と志望理由書の作成だった。インターネットで調べて何とか出来たが。
留学担当部署へ合格を報告すると、選考だけでなく留学にあたり書く申請書にも指導教員の印鑑が必要だとわかった。
ここまできて引き返すわけにはいかないが、同じことをすればいいので良心の呵責はなかった。
こちらの行動がバレるきっかけはいくつかあったが、追及は全くなかった。その原因を考えてみたい。
まず印鑑を使った段階についてだが、これは簡単だ。印鑑を買って押したところは目撃されていないのでわかるわけがない。
書類を受理した側についても、建前上指導教員の許可が必要としているが、実際は印鑑の有無を事務的に見るだけだからだ。
銀行ではないのだから印鑑登録をしたり、その真正性の判定や所有者への確認はしない。
もし不備が見受けられるのなら書類を突き返して作り直しを命令するだけでよい。
受理された後も、書類は関係する諸手続きにしか用いない。つまり用が済んだら即時破棄が普通だ。
そこで一番バレる原因になりそうなのが教授会だ。
国際教養プログラムの担当教員によると、プログラム修了認定の議題を教授会に出したという。
となると、配布資料または口頭で私の名前が出ており、それを指導教員が認知しているはずなのだがなんの追及もなかった。
不思議に思ったので原因をいくつか考えてみた。
私としては、ありそうなのは順に③、①、②だと思う。
確かに指導教員の許可を要する物事は数多く存在するが、そうでないものも多い(証明書の発行、通学定期の購入など)。
従って、国際教養プログラム参加には指導教員の許可は不要と思っていた。
当然、私が無断でやったことにも気づいていない。
講座の受講や留学には指導教員の許可として記名押印が必要である。
指導教員は許可などした覚えがないのに私が勝手に受講を始めてプログラム修了まで至っている。
しかしながら、それを立証する証拠がない。留学の応募書類などを開示してもらうことはできるがこれでも立証は難しい。
(なお、卒業生については事務局が学位・単位の修得状況だけ保有し他は破棄するため、現在は教員による立証は不可能)
私を呼び出して話を聞こうにもいくらでもすっとぼけられてしまう。教授会の開催も私の修了間近と追及する時間的余裕もない。
もし事前に立証できているなら、学科内のエライ教授に話をつけて懲戒処分に持っていけるはずである。
とはいえ、私がこんなことをしていようとも指導教員自身や研究室には何の実害もない。
それに、ヒエラルキーの非常に強いアカデミックの世界だ、こんな不確かなことで騒ぐのはもったいない。
下手に騒いだせいでお偉いさんに目をつけられるとキャリアが台無しだ。
特に、私を大学から追い出さないといつまでも居座られる。ならば研究成果が不十分でも修了判定を出すしかない。
(一応、学生を放置することで在籍可能期間を満了させて除籍に持ち込むことはできそうだが、問題になるのだろう)
大学教員は如何に予算を取ってきて研究成果を出し出世するかが大事。
こんなことどうでもいいし、私がやったことについて調べるのも面倒。
帰国後は残りの単位を修得し、国際教養プログラムの認定要件をクリアした。
学内カウンセラーの方に仲裁してもらい、無事研究室にも戻れた。
研究室には指導教員とは別にもっとエライ教授がいたが、私が不在にしている間、何の前触れもなく退職した。
私以外のメンバーにも退職日や理由などを事前に知らされなかったそうだ。
そういえば私が研究室に入る前、その教授は「近い将来指導教員を独り立ちさせる」と言っていたので、それ絡みだろうか。
研究室に来なくても研究を進められるようになった。連絡は口頭でなくチャットソフトを使うことになった。
研究や生活面、あらゆることでこちらを詰めてきたはずの指導教員も対応が事務的になった。
今までは研究報告でさんざん貶されていたところを、提出したらすぐに「よいと思います」と言われるようになった。
高圧的に命令してきたところが、丁寧語で提案するような口調になった。
「どんなことよりも研究を優先せよ」だったのが、「やりたいことがあるならそちらを優先した方がよいです」と言うようにもなった。
ただ、「発言が二転三転する」と言われたのが心外だったのか、何度も「研究ですので変更もありえます」と言うようになった。
発表資料も何度も突き返されたところを、指導教員が大枠を作り、こちらはデータだけ書き加えればよいことになった。
雑用当番やゼミ会、研究室行事も免除となり、学部生に準じる夏休みももらえた。
修士論文は序論として先行研究に続いて自分の研究背景をまとめ、あとは研究報告書を要約していけば完成した。
その代わり、
・私の研究ポスターや発表実績を外部(研究室ホームページや研究棟の廊下など)に公開しない
・修了間近に私のデスクを片付けに行ったら、そこが荷物置き場になっていた(最も、研究室を飛び出す前からよくこうなっていたが)
など、私をいなかったことにしたいようだった。
学位記授与式を過ぎ離籍しても、就職先への出社日前日まで研究をさせるところだったが、私は修士論文を出した時点で解放された。
(本当はこれ、部外者を研究に従事させているので万が一のことがあった時を考えるとマズいことなのだが…)
結局、修士の学位記と認定証、そして「修了おめでとうございます。さようなら」とそっけない言葉をもらい大学から去った。
(なお、博士課程については、1年次後期の時点で指導教員直々に「テメーはダメだ」と言われたので断念していた)
何のつもりか研究室からの寄せ書きもくれた。数人はメッセージなしか当たり障りのない内容だったけど。
一応研究ノートとかは返してないが、こちらも特におとがめなし。まぁ「門外不出にする価値もない」ってことなんだろうけど。
研究室に感謝する義理もないので、研究室のパソコン内のデータや研究実験用ソフトなどを全消しするプログラムを仕組んでおいた。
バレにくくするため、研究室を去ってから数か月後に全消しプログラムを作成してから消えるパッチファイルだけ入れておいた。
全消しプログラム生成からさらに数か月後、そのプログラムが作動しパソコンがダメになるというわけだ。
今頃どうなっているか気になるが、今は部外者で研究室とも仲が悪かったため覗きに行くことができないのが残念だ。
ところで、私が去った後の研究室や専攻の方針がどうなったのか気になるところである。
私のような学生のニーズに最大限配慮した研究・進路指導をするようになったのか。