2012年02月18日の日記

2012-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20120218091024

炒め鍋のエントリだよね?なにもくっついてないアマゾンリンクでアフィって貼れるの?

いため鍋 28cm 買ってから捗りすぎ

これから一人暮らし始めるけど調理器具何買ったらいいのって奴はとりあえずこれ買っとけ。

捗るという言い回し滅多に使った事ないけど、これは本当にいい買い物したと買って4ヶ月たった現在でも思うので紹介。

パール金属いねストロングマーブルいため鍋 28cm

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001KN53KI

こげないので料理するようになった

フロンから当たり前だろと言われそうだけど、俺みたいに自炊まりしないで料理めんどくせーってうやむやの人は、何か炒めれば焦げるものから上手く行かないし後片付け大変で料理めんどくせと思ってるパターンが多いと思うんだ。

たかが鍋一つ買った所で自炊するようになるとは思ってもいなかった。

料理の上手い下手関係なく、玉子焼きだろうがなんだろうが焦げないってやべー。昔テフロン買った事あるんだけどすぐダメになって、そういうものだと思ってたか革命的だった。

焦げないって重要なんだな。焦げないか無駄が出ないし、後片付け楽だし、美味しくできるし。

安い

63% off ¥1,780

丈夫

4ヶ月朝昼酷使してるけど、びくともしない。へらは一応シリコンの使ってる。

http://www.amazon.co.jp/dp/B0001D0F1K/ こういうの一つありゃ便利。

パスタがそのまま寝かせて入る

パスタ貧乏の味方だからよく食うんだけど、今まで煮たくても普通の鍋で煮てたから水をいっぱい使わないといけなくて時間がかかった。こいつだと深さも大きさもあるから少な目の水を沸かせてパスタを水平に入れられるから煮上がるのが早い。しかパスタ茹で上がって水切って戻してそのまま炒められる。

軽い

鍋使い比べたことないかわからんけど、アマゾンのレビュー見る限り軽そう。少なくとも実家中華なべよりははるかに軽い。少し練習すればチャーハンふんふんできる。

炒め鍋ってあるけど煮るのにも使える

本来の使い方と違うのかもだけど、カレーシチューもこれで作ってる。

はじめの野菜を肉を炒める時に大量にいれても大丈夫だし、焦げない。深さがあるのでそのまま煮れる。火の通りもはやい。

http://www.amazon.co.jp/dp/B002DWA7SI/ これもあわせて買っておくと良い。

/の夜

そのときすうっと霧がはれかかりました。

どこかへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。

それはしばらく線路に沿って進んでいました。

そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はちょうど挨拶でもするように

ぽかっと消え二人が過ぎて行くときまた点くのでした。

ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしま

ほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり、

さっきの女の子青年たちがその前の白い渚にまだひざまずいているのか

それともどこか方角もわからないその天上へ行ったのか

ぼんやりして見分けられませんでした。

ジョバンニはああと深く息しました。

カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。

僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば

僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」

カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」

ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」

カムパネルラぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」

ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」

カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。

ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。

天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。

その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず

ただ眼がしんしんと痛むのでした。

ジョバンニが云いました。

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。

きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。

どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

「ああきっと行くよ。

ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。

みんな集ってるねえ。

あすこがほんとうの天上なんだ。

あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」

カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。

ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかり

どうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。

何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら

向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。

カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」

ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたら

そのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えず

ただ黒いびろうどばかりひかっていました。

ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。

そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して

力いっぱいはげしく胸をうって叫び

それからもう咽喉いっぱい泣きだしました。

うそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

ジョバンニは眼をひらきました。

もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。

胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。

ジョバンニはばねのようにはね起きました。

町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴ってはいましたが

その光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。

そしてたったいま夢であるいた天の川

やっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかり

まっ黒な南の地平線の上では殊にけむったようになって

その右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき

そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。

ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。

まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。

どんどん黒い松の林の中を通って

それからほの白い牧場の柵をまわって

さっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。

そこには誰かがいま帰ったらし

くさっきなかった一つの車が何かの樽を二つ乗っけて置いてありました。

「今晩は、」

ジョバンニは叫びました。

はい。」

白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。

「何のご用ですか。」

今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」

「あ済みませんでした。」

その人はすぐ奥へ行って

一本の牛乳瓶をもって来て

ジョバンニに渡しながらまた云いました。

「ほんとうに、済みませんでした。

今日はひるすぎうっかりしてこうしの柵をあけて置いたもんですから

大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまいましてね……」

その人はわらいました。

「そうですか。ではいただいて行きます。」

「ええ、どうも済みませんでした。」

「いいえ。」

ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むようにもって牧場の柵を出ました。

そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になって

その右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった

大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。

ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集って橋の方を見ながら何かひそひそ談しているのです。

それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。

ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。

そしていきなり近くの人たちへ

「何かあったんですか。」

と叫ぶようにききました。

「こどもが水へ落ちたんですよ。」

一人が云いますとその人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。

ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。

橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。

白い服を着た巡査も出ていました。

ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へおりました。

その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。

向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。

そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。

河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。

ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。

するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。

マルソがジョバンニに走り寄ってきました。

「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」

「どうして、いつ。」

「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。

そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。

するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。

そしてザネリを舟の方へ押してよこした。

ザネリはカトウにつかまった。

けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」

「みんな探してるんだろう。」

「ああすぐみんな来た。

カムパネルラのお父さんも来た。

けれども見附からないんだ。

ザネリはうちへ連れられてった。」

ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。

そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着て

まっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。

みんなもじっと河を見ていました。

誰も一言も物を云う人もありませんでした。

ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。

魚をとるときアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして

黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。

下流の方は川はば一ぱい銀河が巨きく写って

まるで水のないそのままのそらのように見えました。

ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいない

というような気がしてしかたなかったのです。

けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から

「ぼくずいぶん泳いだぞ。」

と云いながらカムパネルラが出て来るか

或いはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立っていて

誰かの来るのを待っているかというような気がして仕方ないらしいのでした。

けれども俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。

「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、

ぼくはカムパネルラの行った方を知っています

ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです

と云おうとしましたが

もうのどがつまって何とも云えませんでした。

すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか、

しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが

あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」

と叮ねいに云いました。

ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。

あなたのお父さんはもう帰っていますか。」

博士は堅く時計を握ったまままたききました。

「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。

「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。

今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。

ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」

そう云いながら博士はまた

川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに

博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行って

お父さんの帰ることを知らせようと思うと

もう一目散に河原を街の方へ走りました。

要するに友人とセックスしたいのだが

どうして社会通念上、友人とセックスしてはいけないのか。

密度には階層があり、最も親密な関係でのみ行われるのがセックスだ。たぶんそれはセックスリスキーもの(妊娠病気、そもそも裸を見せるということ)であるという避けられない性質がるからだ。人間もっとも私的な場面がセックスだろう。

生まれてきたとき、私たちは公私の「公」の中にいる。何一つ隠さず、家族に頼り、生きている。その後出会う他者(外)で「公」を経験する。「公」の中で出会った他者と恋人関係になり、「私」を共有することとなる。恋人は将来家族になりうるから。そういえばセックス家族を作るためのものだし。

友人はおおよそ「公」の域を出ない。その友人とセックスしてしまうことは公私混同するというか、プライベートパブリックものとして公開するような危うさがあると思う。

なんか自分でもよくわからなくなってきた。あと、セックスは秘め事でなくなったらロマンスがなくなってネバついたマッサージ(あるいはスポーツ)のようなものになってしまうと思う。なんだかそうなったらもう夢も希望もないじゃないか。しちゃいけないから、したいっていうのが肝なんだろうな。

そもそも友人とセックスするのが一般化したら、断るのが大変だ。友人/セックス出来る(しい)友人/恋人、という区分けになる。それなら結局あんまり変わらないんじゃ..?

性的ものタブーになりがちだ。タブー所詮タブーであって、破ったって現代日本じゃ罰せられないものも多い。タブーを破るのはスリリングでそりゃもうアガるけど、同時に十字架も背負うことになる。たぶんこの十字架道徳社会通念の正体だと思う。(だから罪悪感これぽっちも抱かないような人間には道徳なんて通用しない。)

セックス楽しいけど、これだけ理屈こねたくなるような代物だ。享楽的に生きるのってイカしてんなーと思うんだけども、ちょっと私みたいな小市民には手に負えない。

Gumroad

Gumroadには期待している。

最悪失敗に終わっても、問題点の洗い出しにはなるのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20120218001008

複雑に考えすぎ。もっと単純に考えればよい。

たとえばこれ。

 

預かったお金を貸した結果、いざ利用者が金を引き出そうとした時に「ごめん今他の人に貸してるんだー」じゃ利用者が困るわな。

 

「利用者が金を引き出そうとした」という仮定は議論しなくてよい。

なぜなら、引き出しの意思表示が示されるなら、その時点で「休眠」ではなくなるから

引き出しの意思表示が示された時点で、その口座は「休眠口座」ではない。だから、その口座に存在するお金は所有者に引き出される。問題ない。

引き出す権利を持つ人が金を引き出そうとしないままになっている口座のお金をどうするのかが、休眠口座テーマ

 

それじゃあ倉庫お金を今より減らして本当に大丈夫なの?お金下ろしたいときに本当にすぐに対応してもらえるの?

 

前述の通り、「お金下ろしたい」という意思が示されるなら、その口座は「休眠口座」ではない。「お金下ろしたい」という意思が示された時点で、お金は所有者に引き出される。問題ない。

 

そもそも休眠口座は、何らかの事情で取引手続きができない人の預金を想定している。取引ができる人を想定していない。

取引行為ができない人というのは、具体的に言うと次のような人。

 

まず死者。正確に言うと、相続されない死者の口座。

口座所有者が死んだあと、その財産相続する人が相続手続きをせず、国庫にも入らずに、凍結したまままの口座がある。

相続人が皆無の財産国庫に入ることになっている。しか相続人がいる場合国庫には入らない。通常、相続人相続手続きをして、死者の預金を受け取るなら名義変更するなりの手続きをとるが、なんらかの事情相続人相続手続きができない(しない)ことがある。

相続手続きをしない理由は様々だが、相続人相続すべき口座の存在を知らないために手続きを行われないという理由がまずひとつある。たとえば、故人が通帳などの書類を紛失し、再発行手続きをする前に死んでしまったりすると、相続人はその口座の存在を知ることが困難になるので、その口座の相続手続きが進まない。

典型的な事例が、震災による死亡で発生する休眠口座だ。阪神大震災の時にも発生したし、東日本大震災でも大量に発生している。家が津波で流されたとか、家が倒壊したとかで口座所有者が死んでしまうと、通帳などの書類もいっしょに消えてしまうことが多い。相続人は通帳などを探すが、簡単には見つからない。火災による預金者死亡の場合も、通帳が一緒に燃えしまうので口座が休眠になってしまうことが多い。

もう一つの典型は、犯罪者犯罪行為などによって取得した財産が眠っている場合だ。

犯罪で手に入れた財物は、普通、なんらかの方法資金洗浄して現金に換金し、それを隠し口座に入れておく。通帳などの書類も隠しておく。そういう状態のまま犯罪者が死んでしまった場合は、隠し通帳・隠し口座の存在相続人発見することは極めて困難だ。

組織暴力団に限らず、普通会社役員とかが組織に黙って裏でシノギをやって裏金を作っていた場合組織が知らない口座ができてしまうので、そういう役員が死んだり組織から離れると、休眠口座が発生する。こうした裏金休眠口座の金を全部集めると、巨大な金額になると言われている。

それから、金額は多くは無いが、普通の人の病死でも休眠口座が発生する。

孤独死事案では、いわゆる“特殊清掃”の業者が通帳を発見できずに、廃棄物にまぎれて通帳などが消えてしまうことがよく発生する。また、相続人はいるけれど連絡がとれない、連絡をとる身内がひとりもいない、などの理由で相続手続きが中断し、相続人も死んでしまって休眠状態になるケースもある。

孤独死者の口座が休眠になるか発見されるかは、“特殊清掃人”の練度によって大きく左右される。練度の高い“特殊清掃人”が探せば発見率は高くなるが、最近は“特殊清掃人”への依頼料金が高いので、家主が清掃費用を出し惜しみして自分で始末してしまうこともある。そういう場合は、口座が休眠になってしまう可能性は高くなる。

それから、死亡犯罪者災害死や孤独死とも関係するが、逃走犯罪者災害行方不明者、失踪者が持っていた口座も、通帳紛失などの理由で、休眠になってしまうことがある。

逃走犯罪者は、逃走の足取りを隠すために、通帳を紛失しても再発行手続きをとらないことがある。

災害行方不明者の場合は、「みなし死亡」制度で死亡による相続手続きをとることはできても、通帳消滅などの理由で相続手続きが不能になりやすい。

 

失踪のケースで相続手続きが進まない理由の多くは、遺族が「まだどこかで生きているのではないか」などという気持ちを持っている場合だ。

失踪者の相続は、まず失踪者遺族が失踪手続きを進めて裁判所が死亡宣告を出さなければ相続手続きを進めることができない。

遺族が通帳の存在を知っていても、遺族自身が失踪手続きを拒否している場合は、当然に相続手続きも進まない。凍結した通帳だけが「いなくなった肉親の生きている証」になっていることがある。

そういう失踪者口座のお金を遺族に黙って使ってしまうのは、遺族にとっては酷なことなのでなんらかの救済措置が必要だという議論がある。しかし、だったら早く失踪手続きを進めてお金相続すれば、失踪した人のお金を手元に置いておけるしみんなそうしているじゃないかという議論も当然ある。それについては、遺族の中には「自分は必ず戻ってくると信じている。戻ってきたときお金ではなく口座を渡したい」と思う人もいるという反論があって、そういう人に対する何らかの制度的な配慮は必要かもしれないという議論もあるけけれど、それは仮定に仮定を積み重ねた議論で実際にはそんな奴はほとんどいねえよという反駁があるのも事実だ。

 

いずれにせよ、法律上も、実体上も、休眠口座については、「利用者が金を引き出そうとした場合」を積極的に議論することの意味は、ほとんど無いと言ってよいだろう。休眠口座について議論すべき点はあるが、そこではない。

 

就職活動におけるリクルーター制度

僕が、日立リクルータートレーニングを受けなかったのは、はっきり言って「使えない」と思ったからだ。

入社1年目と2年目選手がやってきて採用のことも知らないのに間違ったアドバイスやそれを行う正当な理由がないのにそれをさせることに大きな違和感を感じた。

基本的に何かをさせるのに「なぜならば」という理由がない。

でも、何かおかしいと思っていても就活生はそれを真面目に聞いて頑張る。

ワザワザ来てもらってる人間にいちいち理由を聞いてはいけない雰囲気がある。聞いたら聞いたで露骨に嫌な態度。

そして、皆改悪されていく。

彼らは就活生に正しいことを伝えようとい部分もあるのだろうけど、リクルーターしてるオレ何かかっこいーの状態であって就活生に正しいアドバイスなんかできちゃいない。

採用側の気持ちもわからないのにアドバイスをするなんて自分じゃ恥ずかしくそんなことはできない。少なくとも、こう思うからこうするのが有効だと思うぐらいは言うと思う。

一番ショッキングだったのは7,8年リクルーターをやってる人間からの「論文ではないかエントリーシートは「ですます調」で書く」というアドバイス

僕は宇宙人を見るような目で彼を見ていたと思う。

○○だから○○するというフォーマットは守られているけど、中身がめちゃくちゃだ。

理由をつけようとしてるだけ前者よりはましだけど。

そもそも、コンテンツを伝える目的を達していれば手段である「ですます」「だである」ってのは関係がないと思う。指示が間違っている。

そして、会社に入ることをゴールとしていた。

後輩にある特定の部署に入りたい子がいたのだが、3部署受けるように勧められた。

最終的には断れたのだが。限られた時間の中で何故そんなことをさせたのか、練習の意味で受けろというのか?

同じ会社の別の部署の人間にそんなことを平気でさせるのならばさぞかし暇な会社だ。

この時点で彼らにアドバイスを貰うのはやめた。

最終的には、むこうがあいつはこないかあいつの面倒は見たくないと言ってきた。

こちらとしてはハナからあてにしてない。しかし、それだと日立は受けられないが、この時点でフィーリングが合わないと思って辞退。

就職担当教授曰く会社に入りたかったらそれでも食らいついていかなきゃとのこと。

会社に入るのは手段であってゴールじゃない。

適切な指示でないのにそれをそのとおり飲み込んで動く人間がほしいのなら別だが。

そんな会社人生こっちはまっぴらだ。

それが日本労働環境社畜乙wwwみたいのを作ってるんじゃないだろうか?

明確な指示が出せないなら会社研修論文でも書いてろよ。おしまい

http://anond.hatelabo.jp/20120218012005

正解。

つーか、国庫金の出し入れを出来るのは日銀だけなんですよ。

日銀が、それぞれの口座に入れたり出したりヌポヌポするんですよ。

地方公務員給料くらいかね、ぱっと思いつく例外って。ほかにもあるだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20120218011544

年金の振込って社会保険庁年金何とか機構がやってるもんだとばかり思ってたけど、日銀がやってたのか

もしかして地方交付税公共事業の代金も総務省国交省じゃなくて日銀がやってるの?

http://anond.hatelabo.jp/20120218011238

公務員給料って(地方公務員除く)誰が振り込んでるかご存知かな!

みんな大好きデフレ大好き、悪の権化と言われる日銀さんがやってるんだよ!

年金の振込みって誰がやってるか知ってるかな?

注視するしか能が無いと評判のみんな大好き日銀さんがやってるんだよ!

知ってたかな?

ホント日銀仕事って国民に周知されてねーよな・・・。

もー、やってんだよその辺。つーか、金融システム使うそういった雑務

大体日銀がやってると思って間違いねーよ。大体は。

日銀がやらないのは「運用」だけ。でも、300億やそこら運用してなんになるっつーのか・・・。

年に2%インカム出してもたった6億やん。アホかと。バカかと。

ちなみに失業保険とかもそうだよ。振込み作業は日銀にブン投げられてる。社会保障の振込みも日銀仕事だよ!

だって国庫のカネを出したり入れたりするのは日銀お仕事なんだから

金融政策って日銀のメインの仕事じゃないのよ・・・みんなあんまり知らないけど。それ以上にシステム屋なんだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20120218005517

国が執行する予算の財源だから基金を作るのは当然では?

保険者の口座から受給者の口座に金付け替えるのだって社会保障基金とかで一時的に預かってるわけで

国の仕事でも預金を扱うから日銀が全部やるべきなら公務員給料年金補助金の振込も全部日銀がやるべきってことになるの?

「「ハッカーVimを使う」 騙される若者たち」に騙される若者たち

http://anond.hatelabo.jp/20120217153335

確かにEclipseはとても便利だ。しかし、何か大事なことを忘れていないだろうか?エディタは友だ、恋人だ。共に学び、共に学ぶあなたEclipseと共に学び成長することが出来るだろうか?Emacs LispVim Scriptでの著名人コーディングスキルはかなり高い。つまり、彼らはエディタと共に成長してきたのだ。Eclipse プラグインの開発のしにくさはEclipseにとって非常に大きな欠点である

超ざっくりした休眠口座のはなし

まず、休眠口座の資金を使おう!

っていうのは「長いこと使ってない口座からカネを召し上げよう!」って意味じゃない。

仮に口座の中のカネがお国に召し上げられた後でも、銀行預金者にカネを払い戻す。

10年で法的には時効になるとはいえ、銀行というのは信用を利益に換えるシステムから

「十年預けっぱなしにしたら消滅しちゃう」なんて状態では預金が集まらない。

預金が集まらなければ銀行は成立しない。だから銀行は十年経過した後でも預金をきちんと払い戻す。

ここまでは、理解しよう。だから休眠口座の活用で預金者が損をすることはたぶん無い。

うっかり預けたまま忘れちゃったり、あるいは持ち主が死んじゃったりして相続もされなかった。

そういうお金国庫(国のサイフ)に入るだけ。このカネはこれまで銀行利益とされてたんだけど、

こいつを国がカスメ取るって算段なわけだ。

んで、個人が預金してたカネを下ろす時に銀行が「それ国に召し上げられちゃいましたんで、下ろせません」

っていうことはたぶん無い。一回払い出してから日銀(国のサイフ)に「持ち主出て来たからカネ返せや」と

請求をかける。するってーと、日銀というのは「銀行の銀行」なわけだから

ナントカ銀行さんの口座に幾ら入金、と端末をポチポチやる。これで問題ないわけだ。

「え、じゃあつまり休眠口座のカネの活用にはとくに問題って無いの?」といわれれば、

国民視点から見れば、あんまり無いと思う。少なくとも俺は思いつかない。

金融機関視点から見れば「え、その利益結構バカに出来ない額なんスけど・・・」って感じで割りと損をする。

この辺は考え方次第だな。銀行必死で集めた預金から生まれるインカム銀行に根ざすんじゃねーの?と考えてもいいし、

でもそれ、ホント銀行のカネじゃないよな、と思うなら国が召し上げるのを是としてもいい。

どっちにしろ、預金者には必ず払い戻される。銀行の持ってるカネってのは、休眠口座が多少動いたところで

どうこうなるレベルじゃない。最悪の場合日銀融資するしね。(ありえないだろうけど)

まー、でも数十億単位預金休眠口座として持ってる小さい金融機関、みたいな最悪のケースを想定すれば

可能性はゼロじゃないけど。(利益計上してるわけだから、その期の決算が大変オモシロいことになってしまうかもしれない)

そういう可能性は低いし、何度もいうけど日銀がなんとかするだろーと思う。

じゃあ、アレだ。どこに問題があるの?ってことなんだけど。

要するにこれ、銀行と「銀行の銀行」であり「国のサイフ」であるところの日銀で完結する話なんだよな。

基金」って何それ?え、何すんのその組織?ってこと。人手が足りなければ日銀の下に組織作ればいいし、

また新しいそんなものを作る理由なんてないんじゃないの?と。金融機関日銀システムガッチリつながってる。

この間のやりとりはかなり簡易に行えちゃう。だったら、基金なんて設立せず、銀行の口座から国の口座に

休眠口座」のカネをつけかえりゃ、それで終わる話なんじゃねーの?ってことなんだよね。

何度もいうけれど、銀行日銀にカネを預金してる。だから銀行の口座からカネを抜くなんてのはとても簡単。

俺が思うに、この件の問題は「基金」とか言ってるけどそれ作る必要がどこにあんの?ということに尽きる。

カネの無駄遣いやん、と。天下りポジション欲しいんスか?と。

「今の世の中のどうしようもないこと」

と、「こういう時の危機の脱し方」って何ですか??

最近回りでよく聞くのですが

http://anond.hatelabo.jp/20120217025352

わざわざ遠まわしに学歴だとか会社名だとか部署だとか聞かずにストレート年収を聞けばいいのにって思った。

もしくは、男性自己紹介の時に名刺じゃなくて源泉徴収票確定申告書コピーを渡せ。

女の容姿は初対面でわかるのに、男の年収は付き合わないとわかんないのってずるいじゃんか。

http://anond.hatelabo.jp/20120218001008

倉庫に残しておくお金の量は預金準備率というのできめられてて休眠口座をどうするかとは別の話

休眠口座使いたい場合預金で決済すればATMから現金で引き下ろす必要もないので

クレカ電子マネーとかで現金使わない人ばかりになれば倉庫に一切現金おいてなくても問題ない

しかも今は0金利量的緩和やってるから預金準備率というのが意味なくなってる

[] 松井冬子さんの講演を聴いたよ at 2012.02

アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャーホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。Kyo.I.

 

 横浜美術館松井冬子さんの講演を聴いた。彼女個展世界中の子友達になれる」の関連イベント。 

 11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから

 13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方からレジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。

 講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文タイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。

 

 15時。学芸員さんの挨拶に続いて、松井さん登場。

 とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。

 松井さんの話によると、彼女博論2006年執筆して、2007年2月教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。

 で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分プレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。

 講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。

 不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係あやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。

 と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、

他者との接触は私に痛みをもたらすよね。

この痛みそのものは伝達不可能。痛みとは孤独もの

でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。

そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。

 こんな感じでした。

 この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)

 余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。

 私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。

 ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独幽霊が、少女コミック主人公のようなものだという話。少女運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会い存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。

 

 私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。

 松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。

 自意識過剰中学生は、全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っている。

 一方、松井さんは、無理やり日本語ねじまげて珍妙言葉かいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか

 彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。

 彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニスト上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。(※追記:フェミ関連の話としては、http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20090709/1247140423、などがある。)

 ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこ分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。

 残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーション能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。

 

 長くなったついでに一つ。

 私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル

 私自身は、特に彼女同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。

 まとめると、私には彼女について語る資格はない、ということなのかも。

休眠口座のこと

どういうことなの?

元々銀行って「みんなから預かったお金」を一旦別の人に利息つきで貸したりして、その利息で儲けたりしてるわけで。元からそういうシステムなわけで。

だけど預かったお金を貸した結果、いざ利用者が金を引き出そうとした時に「ごめん今他の人に貸してるんだー」じゃ利用者が困るわな。使いたい時に金が使えないんだから

からいつでもお金を引き出せるように、常にある程度のお金倉庫に残しておいて、「一時的に他の人に貸しても問題ない」分のお金だけ企業に有志する、そういうシステムのはず。少なくとも私はそれを小学校中学校で聞いた。

今回の休眠口座の云々っていうのは。

まりお金を今すぐ引き出しにくる人って実は少ないか倉庫に残しておく金の量を少し減らしてみないか?」っていう話のはず。

一年お金の動きがなく、ただ預けっぱなしにするんじゃなくて、預かってる間の半年間にそのお金を別の人に貸す→利子ついてお金が戻ってくる、ということができたら銀行お金儲けできるし貸してもらった人は助かる。

でも、それじゃあ倉庫お金を今より減らして本当に大丈夫なの?お金下ろしたいときに本当にすぐに対応してもらえるの?

ますお金下ろさないと!っていうときお金倉庫にありませんじゃ困るよね?そこんとこ大丈夫なの?っていうのが今回の問題のはずで。

当然そこはしっかり詰めなきゃいけないことで、簡単に休眠口座の利用に賛成はできないんだけど。

「人の口座のお金勝手銀行が徴収するですって!?」←違う気がする

そもそも口座に預けたお金勝手に使うな、というなら「銀行って元からそういうシステムから。納得した上で預けてるんじゃないの?嫌なら預けちゃダメです」っていう話にしかならず。

論点が違うんじゃないんでしょうか。うん。

預金を使って資金運用するのはいいけど、あんまりいっぱい使われると今使いたいって時にお金が使えないから、倉庫に残しておくお金を今より減らすのは反対です!」←こっちかなーとか思ってる

と、私は認識しているのですが。調べたけど「休眠口座お金が引き出せないなんてことはない」って解説サイトにもどっかの銀行の持ちサイトにも書かれていたし。

でもぐぐっても知恵袋の謎質問とかだけでこれが間違ってるのか正しいのかもわからないという。うごごごご。

この認識間違っているでせうか。教えてえらい人。

http://anond.hatelabo.jp/20120217194417

「ばかじゃねぇの?」って思うのが。

一酸化二水素(=水)の危険性をネタとして楽しんでる人々の中に入っていって、

その情報の真偽も意図も、場の性質も、なにも確認せずに「すわ一大事」と騒ぐアホとか

そういうアホがいるから、ネタも喋るなとか言い出す思考停止クズ

なんだよね。

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