はてなキーワード: 人間不信とは
【目次】
・私のスペック
【スペック】
・20代大卒
・簿記2級
低学歴の社会不適合者は多種多様だが、高学歴社会不適合者は1種類しかいない。
精神科医の書いた本※曰く親子関係が歪だと発達障害よりの健常者、所謂グレーゾーンになりやすい。
他責をしたいわけじゃない。自分を守れなかったのは自分の責任だ。
高学歴なんだから親がちゃ当たりだろ?と言われるかもだが、私が勉強を必死に頑張った理由なんて
「高学歴にはまともな人間が多い」という噂を信じて、「高学歴になれば親のような気狂いとは関わらずに済む」と
本気で思ったから死ぬ気で勉強したんだよ。小中高は公立だし、家が裕福なわけでもない。
私の周りの高学歴社会不適合者を見ても、大抵の場合親と仲が悪く虐待の後遺症を抱えている。
高学歴社会不適合者の典型的パターンが毒親育ちだという私の個人的認識と精神科医の意見が合致したので書いた。
一番身近な大人の頭がおかしいため、人間に対しての不信感があり、おまけに狂った人間と暮らすため心が疲れている。
普段から正常な人間と関わっている人は「正常な人間が人類の基本でたまに変な奴がいる」という認識なので、
まず正常な人間と関わる前提で人と接して、不都合があれば(何この人、キモっ)となる。
対して、毒親育は普段から異常者と接しているので「異常者が人類の基本でたまに良い人がいる」という認識なので、
異常者と接する前提で人と関わる。つまり、他人との人間関係形成の初動が狂っている。
義務教育時代に作った昔からの友達と高校進学で縁が切れてからが孤立しやすい。
自己肯定感が低かったり、精神が安定してなかったり、問題は山積みである。
他にも親と似て自他境界線が曖昧になっていたり、白黒ハッキリしていたり情緒の健康とは別の軸で思考回路も歪である。
こういった精神構造は自分の異常行動を言語化していくと減っていく。
最近は友達が増えたし、他人に対して自他境界線が曖昧な人間特有の干渉の仕方とか距離感のバグり方は何とか治した。
当たり前だが何かを人に教える人は、それについて一定以上の技能が必要である。
例えば数学教師は数学に詳しいし、英語教師は英語に強い必要がある。
これと同じで社会性の高さを正当に評価できる人間でないと、子供に社会性を教えられない。
ただ、多くの大人が自分の社会性の有無に関係なく、他人の社会性を評価できると誤解している。
お宝鑑定団という番組をご存知だろうか?文字通りお宝の価値を専門家が鑑定する番組である。
この番組から学べることは「何かを正確に評価するのには専門技術が必要である」という事実である。
一般人はゴミをお宝だと思ってたりして、お宝をお宝と評価できないのが普通の人だと思い知らされる番組だ。
当たり前だが毒親に社会性はない。社会性のない人間に社会性は教えられらない。
なのに私の親は過干渉だから自分の価値観を子供に押し付けようとする。
毒親に育てられると、社会性の定義が「理不尽に耐えること」もしくは「他人の機嫌をとること」というものになってしまう。
「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」のことを社会性と言い、
キチガイのご機嫌を取れば「社会のルールを守る」もしくは「適切な社会生活を営む」のいづれかに支障をきたす。
つまり、「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」は社会性ではない。
社会生活を営む上で仕方なく理不尽に耐える必要がある時もあるが、仕方なくやっているだけである。
上司が明らかに間違った指示を出しても指摘せずにずっと間違ったことをするとか、こいつは雑に扱っても良いと認識されやすいとか。
正常に働いている人を見ると「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」を社会性と定義していた。
仕事ができる人は正常な社会性を有していた、今まで社会性の低い親に対して正常な社会性を出すと怒られていたから、
「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」を社会性だと思っていたが、自分の社会性が低すぎて社会性が何か分かっていなかっただけだ。
会社に入社して、周りの対してビクビクしてたら腫れ物扱いされて放置された。
何とか3年目でシゴいてくれるタイプの上司に当たった。これは本当に有り難かった。
シゴいてくれる上司の元、1年は必死に働いたが、発達障害グレーゾーン(注意欠陥)の私はケアレスミスを連発。
おまけにシゴいてくれる上司が転職し、元の腫れ物扱いした上司が戻ってきた。
元の上司が戻った途端「お前を採用した時の面接官は誰?」と聞いてきた。
「社長です。」と答えると「もっと地位の低い人で」と言われた。
邪推だが、私を採用した人間を「なんでこんな奴を採用したんだ」と罵倒するつもりで聞いたのだろうと思った。社長に文句は言えないからね。
「忘れました」と答えておいた。嘘も方弁だ。
無職や精神異常者、現実で会えない人間から「だからお前はダメなんだよ。」みたいに言われる。
本当に人生論を聞かせてほしいようなレベルの高い人は、人生しくった経験がないから私のような人間に適切なアドバイスをできない。
人生しくじってるやつにわざわざ近づいてくる人間は、自分より下を見つけて偉そうにしたい、精神がすり減った限界の底辺だけだった。
人生を詰んだ時の問題は、自分に問題があるから落ちぶれたのに、周りの人間も問題児ばかりになるから、自分を信じて道を切り開くしかない。
という点である。
一般的な事例から外れた苦しみ方をしている場合、一般的な事例から外れた解決策が必要になる。つまり、勇気とセンスと根気が必要になる。
女と金(稼ぐ力)だ。自分でもびっくりするほど安っぽい結論にたどり着いた。
こんな安っぽいものではなく、人生で苦しむと、精神的なものを求め始める。
しかし考えてみて欲しい、精神的なものを求めるのは物質的な豊かさに余裕があるからで、物質的な豊かさに余裕があるのに不安を感じるのは自分の実力で手にした豊かさじゃないからだ。
自分の力で金を稼げたら、自分の存在意義とかなぜ産まれてきたとか、人生で何を成したいかとか、そんな大雑把な悩みはなくなる。
会社辞めた後、無職なのを隠して出会い系で女とデートした。無論、職歴を騙すのもアレなので1日で関係を切った。
セックスはしていない。流石に肩書きを騙して付き合った相手を抱くのは詐欺にも程がある。気が引けた。
女とデートするのは楽しかった。母親と仲が悪かったので、女性と一緒にいるのが楽しいと言う現象が起こるとは思わなかった。
今まで生きてても楽しくなかったから、何やってもエネルギーがなかった。
苦しみから逃れることがモチベーションだったけど、楽しいことがなかった。
商学部卒で経営の知識があることと、へっぽこだが経理の経験があること、飲食店でバイトした経験を活かして飲食店を起業しようと思う。
これからくる円安の波に乗っかるため、外国人観光客をターゲットにするつもりだ。
最初は個人店で勝負するがいづれはチェーン展開して行きたい。まぁ飲食なので激務になりそうだが、社内ニートよりマシだろ。
あと売上が立ってきたら並行してマッチングアプリで女をあさる予定だ。
金と女があれば、男は満足できる。金があっても心が満たされないのは、それは自分の実力で正当な方法で稼いだ金じゃないからだ。
女に関しては、訳分からん楽しさがある。浮気はしないようにするつもりだけど。。。
今日は、英会話スクールに行ってきました。しかしリモートで英会話を学べばいいのに、なぜわざわざ足を運ぶ必要があるでしょうか。
私は仕事もリモートなので、こうでもしないと運動をしないのです。つまり街を歩くという運動としての目的が、英会話スクールに行く理由なのです。
しかし、そうはいってもスクール代が1万円かかるので、節約のために辞めたいと思うことはあります。以前、一度そうやってやめたのですが、やはり家に籠って何もやらなくなってしまったのです。
なにより、人と会話する練習になるというのが最大の利点です。普段はあまり人と会話しないので、会話する機会があると人間不信感が和らぎます。
ただ、体力があまりにもないので、英会話スクールから帰ってくると12時から6時まで寝てしまいます。英語以外に何か有意義な趣味はないものか...と悩みますが、私は社交ダンスというタイプではないので英語ぐらいでちょうどいい気がします。
東京に行けば大人の数学スクールというのがあるらしいですけど、興味はないですね。数学そのものに興味がある場合、スクールというのは独学に比べて非効率なのです。
英語はコミュニケーションが要点ですが、数学はそうではないので、スクールの利点がありません。本当は競技プログラミングとかオンラインチェスとかでバリバリとレートを残したいですけど、32歳にもなると若者の瞬発力に負けてしまいます。
「何者かになろうとする」という自分の行動傾向が存在するのかもしれません。集中できることに取り組んでその分野で名を知られたいとか、そういったことです。
しかしそういう虚栄心は捨てたいという気持ちのほうが強いです。ミニマリストというと語弊があるかもしれませんが、人生を楽しむうえで大切なことを残し、他人と競い合うようなことは無駄なので捨て去りたいのです。
あるユダヤ人Youtuberは、聖書を読み上げ「足るを知る者は富む」という真理について説明していました。私はすでに足りているのに、まだ何かを欲しいと願っているのかもしれませんし、そういう悪い癖は治したいです。
結局、私は「寂しい」のかもしれません。友達がいても寂しく感じてしまうのは、私が何かを言ったときに常に反応が欲しいと思ってしまうからです。
友達も暇ではないので、私に対して常に反応することはないでしょう。だから私は、「フォロワー数を稼ごう」などと、これまた虚栄心に満ちた発想を持ち、反応される確率を気にしてしまうのです。
私には「新規探求性が高い」という自覚があります。つまり、常に「新しい何か」を探しています。
しかし「新しい何か」が見つからないときは非常に鬱憤が溜まります。「2023年の新しいソーシャルメディア」と検索して、確かに新しいかもしれませんが、求めていたものではないのです。
私が迷い、混乱するのはロールモデルの不在のせいかもしれません。様々な人を見てきましたが、有名人や成功者ほど私が失望するような言動・行動をしているのです。
「何かが物足りない、でもそれが何なのかがわからない」これが私の悩みなのです。
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
地味に恨み晴らされて、かなり人間不信になってる人いるのでは
心の傷を負ったので報告。
つまり、そのアカウント名にまつわるリークされた情報が出てくるということ。
調べているうちに、どこかから本当にリークされてしまった情報だけではなくて、その人本人が有料ファンサイトで公開しているような写真が流出していることにも気づいた。
ストリーマーとかの名前で検索してみると割りとみんな裏では脱いでたりしてて、大興奮でサルのように検索してたのは最初のうちだけの話。
そのうちどいつもこいつも表向きはちょいエロ程度の健全そうな情報を発信していると見せかけて、裏では脱いでばかりで、有料サイトに誘導するために健全なサービスを隠れ蓑にしていることに気づいた。
そうなると今度はそういう連中に対して腹が立ってきて見るのも嫌になってしまった。
エロ目的ではないユーザーだと、ラッキースケベみたいのがまとまってるだけで、その辺の写真を見てニヤニヤする分には普通に楽しかった。
ユーザー名だけで検索してもそのうち見つかるのだけど、leakedをつければ検索効率があがるみたいな感じで使ってた。
それである日、誰もが知るメジャーゲームの公式イベントに出てる海外の女性ストリーマーがめちゃくちゃタイプだったので、アカウント名を調べていつものように検索してしまった。
本音を言えば、そういうイベントに出る人なんだからラッキースケベも期待できないだろうなと思っていた。
ところが、一発目からものすごいエロ画像が出てきてしまって、何ならよく似たポルノスターなんじゃないかっていうくらい何度も顔を見比べてしまった。
それでも何度見ても完璧に同じ人だということがわかって、その瞬間はものすごい罪悪感と金脈を掘り当ててしまったような高揚感があった。
そんな調子で何枚か画像を開いていたら、突然、本来そこにあってはいけないものが目に飛び込んできた。
そこにあるのは紛れもない男性のシンボルで、柔らかそうな肌の白い女性のボディから何食わぬ顔して生えていた。
これがどれくらいショックかわかってもらえるかわからないのだけど、一瞬でも男に性的興奮を覚えてしまった事実はあまりにきつい。
いうなればおいしいおいしいと食べていたハンバーグの原材料が猫だったことを知らされるようなもので、胃の中が全て逆流するようなショックだった。
それ以来軽い人間不信で、今まで少しでも好意を感じた女性ストリーマーの名前をwebで検索することが怖くなってしまった。
いたずらな好奇心は身を滅ぼす。
姉が近くに住んでてたまに来るから置いてるんだよな
彼女が初めて家に来てトイレ見たら浮気疑われて、姉が来るから置いてるって話したら、「シスコンかよ!気持ち悪い!」から始まって散々嫌味言われた
結局まぁ別れたんだけど
男の家にサニタリーボックスが置いてるのって異常なんですかね?
人間不信になりそう
某ゲーム配信サイトで、雑談というチャンネルを見るのが好きだった。
雑談といっても、見てるのは海外のユーザーばっかりで何喋ってるかわからないのだけど、正直に話すなら自分好みの女性を眺めてるのが楽しいとういのが一番の理由。
エロ禁止なので、皆さん手を変え品を変えてアピールをしてくるのだけど、なんというか、このエロくないけどエロいのがすごく好きで、毎日BGM代わりに流しているような感じだった。
下着はアウトで下着風のキャミソールとかなら大丈夫とか、変なライン引きはある。
わかってもらえるかな。この直球でエロくない感じ。
たまにノーブラの人がいたりすると、当たりを引けたような感じで嬉しくなる。
あまりに露骨にノーブラアピールしてると一時的にBANされたりしてるみたいで、その辺も含めて発見できたときは嬉しい。
まぁそれでポチポチと訳も分からずチアーする程度にはお金を投げていたんだけど、最近一つ気がついたことがあって、プロフィールから各人のSNSとかに飛べるということがわかった。
そしたらさ。
思ったより過激なの。
もちろんSNSも露骨なのはダメなんだけど、配信サービスよりはゆるいから比較すると過激なわけよ。
勝手に自分の中で、この人たちは一線を超えないって思い込んでた。
そういうのはポルノスターがやることで、この人たちはあくまでストリーマーであって、そういうことはしないって勝手に思い込んでしまってたわけだ。
でもそれで終わらないのよ。
ググっちゃったの。名前で。
そしたらさ、今度は本番の動画でてきちゃって更にショック。
こいつただのビッチだったのかよって。
それでふと気になって、ほかのストリーマーの名前もググってみたら、出るわ出るわ。
ストリーマーの名前にleakedって単語つけて検索すると、どうやら誰かがポルノサイトに動画やら写真を流出させてるみたいで出てくる出てくる。
裏でエロ使って金稼いでるストリーマーってこんなにいるのかよって驚いたさ。
一応言っておくけど、検索するのはお勧めしないよ。押すな押すなじゃなくて、ガチで。
もうこれ以上はいいや。
とりあえず動画は保存したけど、ギリギリエロくないからいいのであって、もろにエロいのは求めてないわけですよ。
清楚な感じが好きだった銀行の受付の女性が風俗店でダブルワークしてることを知ってしまったときのような感じといえばわかってもらえるだろうか。
とりあえず動画は保存したけど、それはうれしいとは違うなんとも言えない虚しさに近い感情。
吐き出させてよ。俺の5年間何だったんだよ。
配信じゃ下着姿すら見せなかったストリーマーまで結構な動画を作ってらっしゃって、ちょっともう人間不信に近い。
ゲーム配信のプラットフォームなのに、視聴者数がゲームの配信より伸びてることなんてざらだったけど、いくらなんでも不誠実だよ。
元妻のたっての要望で、頑張ってギリ億ションじゃない所謂タワマンを買った
俺自身は5000万ぐらいで駅チカの物件で全然良かったんだけど妻たっての悲願だと
結婚前からタワマンに住みたかったと、ローンもダブルローンでも良いから頑張って働くからって説得されて
そんなに望むならと思って購入
して住み始めた途端、無断で仕事辞めてきた
まあローンは一馬力でも払える程度には収入あるからそれは仕方ないにしても
家に毎日帰ってくるな、出張にでも行ってろ、勝手に私の家?に毎日居られるのがストレス、
だから、じゃあ家出ますねってさっさとウィークリー借りて引っ越した
そしてもう一緒にいる意味も無いから離婚しよう、家は俺の名義なんで売却します
売却額と貯金の一部で残額は清算するからとりあえず家出てってね
じゃあ俺は俺の家に帰って良いよね?と言ったらそれは嫌だという、マジで意味わからんかった
誰が自分をDVしてくるクズの為にローンと生活費は支払うんだよ
家買うまでは普通だったのにあちらの希望を聞いて理想のマンションとからを買って住み始めた途端にこれだから
女って豹変するし本性も隠せるんだなって痛感させられた
多分あの女にとっての俺は理想の家を買ってローンを支払う為のATMだったんだろうな
こんなのと別居してまで婚姻継続する価値は無いから弁護士立てて離婚に動いている
2年も無い結婚期間だったけど人間の人格の豹変が本当に恐ろしいし人間不信になってるから一生再婚はしない
婚費とかも本当に高くて男にとって結婚ってリスクだったんだなと心底痛感させられている
守る者がいるから強くなれるとか、そっち系の言い回しがあるけど、ずっと綺麗事というか建前的なセリフだと理解してた
自分以外の誰かのためにしか頑張れない、モチベが上がらない的なことを言ったタレントがいた
だから早く結婚して嫁さん子供を持ちたい、と続いたインタビュー記事
今になって、ああこういうことかと思う
振り返ると自分の仕事のモチベの上げ方はだいたいこれだったんだよな
お客さん上司を助けてやりたい、部下や後輩を守ってやりたい、身近な誰かを守りたい、そんなふうに思うことで意欲的に仕事ができてたと思う
法令とは何か? 信用性のある芸能人の歌詞などから推測する。はるか遠い観測でまるで笑えないウソ (ナイトメア)
「よくできた解答」の果てに迷い抜く世の中はなぜ (GLAY)
社会にはルールがある。だがなそのルールってやつは全て頭のいい奴が作ってる。つまり頭のいい奴に都合のいいように作られて
いるってことだ。逆に不都合な部分は分からないようにうまく隠している。だからお前ら損をしたくなかったら勉強しろ。
結論を教えてやる。東大に行け。バカとブスこそ東大に行け。(安倍寛)
問題点 GLAYが第2の歌を歌った平成12年時点で、 「よくできた解答」 など存在したのか?多くの芸能人が流行歌の中で、社会のルールの正体をばらしたのは尊重できる。
昭和63年に延岡市の保育所に入れたがギャーギャーと泣きわめき通園しない。インフルエンザになったときについでに精神科にみてもらったら自閉症と診断された。小学校では
集団教育に参加できない、高学年になると発話ができない。中学校ではサッカー部に入るが長続きせずインターネット通信に没頭。高校では勉強に没頭し担任とは最低限の会話しか
しなかった。一浪して東京大学法学部に進学するが社会性に疎く切符の買い方などを親が全部教えた。在学中のウェブログには人気があったが卒業前後から言動がおかしくなり、