はてなキーワード: 自虐的とは
「助けてほしい」「教えて欲しい」「今とても困ってる」「話を聞いてくれないか」「人は助け合いだよね」「旅は人情世は情けというじゃないか、少し親切してほしいんだけどいいかな」
そう言われて愛想笑いで付き合ったら、
「若い女の子と話せて嬉しかった」「若い美人さんと話せて楽しかった」「こんな素敵な人とまたお話ししたい」「彼氏はいないの?自分も彼女いないよ」「彼氏を作ろうと思わないの?彼氏がいる方が楽しくない?」「いつからいないの?」「こう見えて良い男だからいつでも連絡して」「電話しても良い?番号聞いて良いかな」「今度は一緒にご飯に行こう、奢るよ(サイゼ)」「もし俺が素敵な奥さんと結婚したら遺産が残せるよ」「どんな服が好き?それ着ていこうかな」「こんな真面目で素敵なお嬢さんならどんな男も結婚したいだろうねえ」
などと結局言われたわけ。
やっぱりか。お前もか。
少しの人助けのつもりなのに、どんどんセクハラみたいなことも言われる
こんなに長々と話しかけられて何時間もずっと絡まれるのは、向こうがただ「女と話せて舞い上がって、もっと話したいし仲良くなりたい性欲を抑えきれなくなったから」なんだなってどんどん気分が悪くなる
こういうおじさんがどこにいてもやたら現れる
趣味や仕事に真剣になってても若い女だけが邪魔されて公共の場を使えなくなる
こんなことが何回もある
ボウリング1人で練習したくても知らないおじさんが話しかけてきていらないコーチングし始める。多分私の方があなたより上手いよ。もしコーチが欲しければ自分で雇ったり上手い人に頼んだりしてる。
今日はカフェで仕事がしたいなと思って外に出ても、知らない人に邪魔されて仕事にならない
誰も友達を誘わずにわざわざ1人でカフェに来てるのは、仕事に集中したいからなのに。1人でカフェに来て、話しかけられて集中できないことがあるなんてまさか思わないよね
困ってる人を時々助けるのは構わない。
でも男の人はこんな目に遭わないんだよね?
女の人だけが「何故か」困ってて助けを求める人に高頻度で遭遇して「何故か」いつも話しかけられる。
このおじさんはいくら口では男でも女でも話しかけちゃうと言ってても、結局、女の方が捕まる時間は長いし、女の方が話しかけられる頻度は多いし、ただ女と話したいだけで女を口説きたいだけじゃん、性欲で周りが見えなくて、他人の都合より自分の欲を優先させてる人じゃん
本当に困ってて本当に助けを必要としてるだけの人のためになら仕事の手を少し止める気はある
こんなこと繰り返されると、そういう人を助けられなくなるよね。
こういうことを言うとたまに「それだと男性は女性とは仲良くなれないじゃん」「男は2度と女に話しかけるなってこと?」「困ってる人を助けることもしない冷たい社会になる」「本当に困ってる男性がいたらあなたは見捨てることになるんですよ」
別に男の人がみんなそうだと思わないし、話しかけること全てが悪なのでもない。これが男性とのスタンダードな付き合い方だとは思わない。
でも「女性として生きてたら、男性とはそういう生き物なのだから、こういうことが起こるのは当たり前」だとも思わない。
とにかく1人でいる女におじさんは話しかけるな、男性に助けを求めない人を女性が助ける必要はない、というのも何か違う。
それはあくまで今の日本社会で女性が迷惑を被らない為にできるベターな対処療法であり、応急処置的手段であり、集団防衛であり、今はそういうやり方で気をつけるしかないこともあるけど、
それが最終形ではない、と思う。
例えばアメリカにいた時はとても楽だった。
エレベーターでもバスでも列でもどこでも知らない人から普通に話しかけられるけど、女だけじゃなく男にもおじいさんやおじさんにも話しかけてる。
本当に助けを求めてる人や世間話をしたいだけの人が男女問わず短時間話しかけてるのが殆ど。
性教育が充実してるからかセクハラされないし、マイクロな女性差別にもすぐに気づいてすぐに怒ってくれる。
仕事でも職業でも勉学でも差別に気づくと、どんなに小さな差別でも、まだ言語化できない些細なもやもやした気持ちでも、「何故モヤモヤするか、それは差別だからよ」と、すぐに大きく対応してリカバリ・改革してもらえる。
お気に入りの女生徒・女子職員にだけ距離を詰めたり変なサービスやえこひいきをしてくる上の人がいない(多分すぐ辞めさせられるんだと思う)。
差別的なことを言う男の人がいると、日本みたいにその場では丸く収めて、後で小声で文句言う人もいない。男性も女性もすぐその場で立ち上がって怒鳴って怒り始めてくれる。当たり前のことを当たり前にしてくれる。
「私は少しくらい差別されても嫌じゃないよ」「気にしすぎじゃない?ネタだしジョークなんだから流しなよ」「自分でネタにできるくらいにならないと」
などと、クソなbullshitを言ってくる人もいない。
リスペクトしてくれて、女性に対して無理に距離を詰めようとしない。
「君が友達でいたい時は、僕は最高の友達になるし、僕は君の意思を常に尊重する。仮に君に振られても僕の態度はずっと変わらない。恋愛として女性としての前に、君のことが人間として好きだし、僕たちは人間同士、何があっても友人同士として、素晴らしい関係を築けると考えている。僕は君をリスペクトする」
という考えがあることが伝わってくるし、そういうことをきちんと説明もしてもらえる。
ちゃんと言葉で気持ちや考えを言語化して正直に伝えようと努力してもらえる。だから「助けを求めてるふりしてるけど内心は女と話したいだけ」みたいなことをされない。
無理強いしたり、女を「女」「性対象」として見て、無理やり女と話して女に話しかけた数をカウントして自分に自信をつけようとしたりしてこない。失礼なことやセクハラをしてこない。
うっかり家に連れ込んでうっかり触ろうとされるようなことは絶対ないのだと、疑って生きなくていいのがとってもラク。まだまだアメリカ社会にも女性差別はあるけどね。
相手からの信頼や相手の意思を大切にしてくれていて、信用されるために、紳士的な男性たちが必ず女性の前では両手を挙げてくれる。
武器を持ってないし、君はすぐ逃げれるし、君を卑劣な手段で追い詰めたり、無理強いしたり、見えづらい方法でプレッシャーをかけて僕の望むような方向に誘導したりしない。僕はまず君の意思を尊重したいから。
こういう態度を常に心がけていてくれる。
もし君が僕を信じられないのだとしたら、それは君ではなく、安全を保証して見せれなかった僕が悪い。Noを言える女性が好きだし、それが1番大切なことだ。僕の顔色を伺ったり、僕の気を悪くさせることは考えずに、自分の気持ちを話してNoと言ってほしい。と言ってくれる。
アメリカでの生活は、生まれて初めて男性に対して必要以上に警戒しなくてよくなった素晴らしい生活だった。
差別的な声かけやキャットコールには女性も男性もみんなでNoと言うのが当たり前、Noと言われて逆ギレなんて有り得ないフェアな環境だから、
おじさんに話しかけられることの不快感はそんなない。ある種ナンパされても、不快なナンパをされないし、不快にはならない。
そんな世界が100年後や150年後に日本にも訪れてたら、普通に男性が女性に道端で話しかけても嫌な顔をされない日が達成されることもあるかもしれない。
逃げ回る野鳥が、手に止まる日が来るかもしれない。
人に近づかない野鳥が、人の肩で囀る日がくるかもしれない。
日本の女性差別はひどすぎて、正しく女性差別をしないことの意味を理解してる人はあんまりいない。
フェミニズムは、「女性だけは自分たちが差別に反対して声を上げるんだから他の差別にも声をあげる義務が他の人より特別大きくある」だとか、「差別を優しい猫撫で声で訴えること」「女性が積極的に男性に対等に話しかけること」だと勘違いしてる人までいる。
社会全体の教育と就業と昇任や司法や経済的評価における格差の是正、自尊心や人権や差別の性教育と、女性の身体的精神的な安全性を高めるための警察と福祉、
差別がないよと口では言っているのにお金は渡さなかったら、とんでもない裏切りだよね。
社会は、今はもう安全で素敵なところだと女性たちに信じてもらえるように、差別がない誠実な社会だと信用してもらえるように、もっと頑張らないといけない。
社会は、今はもうジェンダーロールはないよ、誰もそんな偏見を許さないよ、女性が従的な立場になることはないよと、アピールしないといけない。
全ての人は生まれながらにして対等で平等な人間だから女性と男性には、多少の生理機能の違いしかないよ、本当にそういう社会になったよと、間違いを沢山侵してきたけど、女性に許してもらえるように、女性に信用してもらえるように頑張らないといけない。
社会が女性に差別のない安全な世界であることを証明し続けるしかない。社会が女性に信用の貯金をどれだけ貯め続けて、信用をどれだけ獲得できるか。信用は失ったら簡単に戻らない。
そういうことなんだと思う。
少しずつ繰り返すしかないのかもしれない。
少しオタクっぽいような人と話すと、2chから生まれたようなレイシストやセクシスト文化が流行っててそれっぽい雰囲気がある。差別的なジョークやネタが普通にまかりとおっている。誰もそれにNoを言わない、どころかお前も笑えよ、ネタだろ冗談だろ、空気壊すなよと同調圧力をかけている。
ツイフェミとおそらく侮蔑的な蔑称で呼ばれる人たちがいて、オタクはなぜかその人たちを馬鹿にしているが、フェミニズムの話をすると彼らはあんまりフェミニズムに詳しくない人が多くて、ツイフェミと言う割には彼女たちが何を言っているかはよくわかってないぽい。
いわゆるひろゆきしぐさというか、「相手の言葉をいかに理解できるか、読解力に基づく、相手の意見をより深く理解する目的の話し合い」ではなく、「読解力がないこと、無能を武器化することで、無理やり相手に議論を諦めさせて勝手に勝ちを名乗る、相手の意見を理解することに目的がなく、議論ができないことを論破と呼ぶネットミーム」のメンタリティが伺える。
実際の性差別事件も多いし、ネットでそれに反論することすら許されないのだとしたら?
性教育や人権教育のあまりの乏しさに、そして性教育を執拗に潰してきた、それを絶対に行おうとしない為政者に、議論のできなさに、為政者を疑わない従順で大人しい国民が育ってることにがっかりする。
女性差別とは別に、障害者差別や、ルッキズムがあること、ソーシャルトレーニングが乏しいことで苦しむ精神障害当事者がたくさんいる。
社会には本当にたくさんの問題があるけどそれもそのうちの一つ。
パパ活してるタイプの女の人と話すと、真面目で昼職してる女に見えるからか、「私たちみたいな人はあなたみたいな女性からしたら、軽いと思われてるかもしれない、男にだらしなくて見下されてるかも」という気構えのようなものも時々感じる。
今の日本だと、「環境に適応するなら」それが1番正しい、正解だよねって思ってる。
若い女にだけ助けを求めてる人を助けて、暇なおじさんの無料キャバクラになっておじさんの性欲と自尊心の満足のために仕事の手を止めて時間を浪費することばかりだし、機会損失にお金払ってほしい気持ちになるのは正解だと思う。じゃないと搾取される。
男に対して差別的なのもそう、それは全然差別じゃない。元々の社会がフェアじゃなくて女性差別的だから、搾取されることから逃れるためになら最も賢い方法だと思う。
社会の傷は深いなあと思う。
「女は自虐的」とか「私が全部悪いんです!」みたいなセリフも、全部ただのパフォーマンスでしかない
あれ要は夫婦喧嘩で「全部私が悪いんでしょ!」って逆ギレする妻と一緒じゃん
そんなこと内心全然思ってなくて、単にそうすりゃ優位に立てると思ってるから、ああやってキレてるだけ
そして社会もそれをなんとなく許容している
虐待や放置死でも何でも、やったのが母親の時だけは本当ゲロ甘だからな
少子化でいくら子供大事なんです大切なんですと言ってみたって、所詮は女以下の扱いにしかならないとバレている
あと研究不正でも他の疑惑でも殺人でも、女が関わってた時だけはすーぐ庇う奴出てくるじゃん
しかも「女だからこんな叩かれるんだ!」って謎擁護がどっかから絶対入りやがるからな
そんな体たらくで「ヒムパシー」とか、いったいどの口が言うんだか
以前からクソだと思ってたが惰性で続けてたソシャゲにログインしなくなったら一気にやる気がなくなった。社会人には1つのタイトルに永遠に時間を割くような芸当は出来ないし、出来てもしないほうがいいと思う。
私がなんとかブルーかんとかーってゲームを始めたのは2016年の春だった。
当時大学生だった私は前の年からサービスが始まった某アイドルをマスターするリズムゲームにハマっていて、その繋がりで「今コラボ中だから今始めたらコラボキャラをゲットできる」と知り、そこから始めた。
当時そのゲームに対しての知識は「1キャラゲットに70万かかった」とか「消費者庁コラボ」とかその程度の知識であったが、「モノは試し」と思いそのゲームを始めてみたのだ。
ゲームというのは初心者であるほど楽しめる。ほとんどのゲームシステムでは上級者としてやり込むほど経験値が指数関数的に増加していくが、逆を言えば初心者は成長の幅が大きく成功体験の快感を得られやすい。
私もその例に漏れず、倒せなかったマルチボスをソロで倒した、中級者クラスのドロップ武器が完成した、等の様々な成功体験を積んでいき、その度に快感を得られることで次の成功へのモチベーションへと繋がっていった。
とりわけ私は高難易度マルチボスへの関心が高く、新しいボスが追加されるとボスを倒すためにどういう編成を組めばいいか、どういう動き方をすればいいか等を攻略サイトやTwitterで調べて仲間内に発表するのが好きだった。
他にも長時間かけて敵を沢山狩りレアアイテムを得る、所謂ハクスラにもハマった。コロナ禍でテレワークが主流となった際には、与えられた仕事を早々とこなして後はアニメを見ながらひたすらマルチ狩りを数時間はやっていた。
目当てのものが全然出ない時は「この数時間なにやってんだよお前」と自虐的に振る舞っていた。当時の自分は「これもいい思い出だな」と勝手に納得して何も考えずにひたすら狩りの続きをやっていたし、そう考えないと今までの行いが無駄になると恐れていたように思う。
同じゲームを長くやっていると不満が蓄積する。
主に大きな不満は2つ、ゲームバランスが崩れてる点と時間をかけないといけない点だ。
ゲーム内で六つ属性があるうち、そのゲームの中では私は水属性と風属性が好きだった。なんとなく選び、その属性に注力しようと課金して強い編成を作ろうとした。
他の属性に貰える強課金武器は水と風にピンポイントで貰えなかった。他属性で来た強い武器は何故か変な調整されてそこまででもない性能になったりした。唯一救いがあったのは「キャラ性能は周りより高めだった」ことかもしれない。
後これは私も悪いのだが、1つの属性に拘って強くしようとしても一定以上のリソース割きは無駄となり、結局満遍なく全属性少しずつ育てたほうが良かったということが近年は頻発した。
フルオート戦闘があるおかげで放置していても敵を倒せるのだが、これが逆につらくなった。
私はどちらかというとシングルタスク寄りで、フルオートしながら同人誌を描いたり別ゲーをやろうにも、フルオートのことをついつい気にしてしまいどちらにも集中できないということがよくあった。別タスクに集中したらしたで、フルオートで戦闘していたことは忘れて数十分放置してようやく気付くなんて日常茶飯事だった。
ゲームそのものへの不満もあったが、外的環境の変化にもゲームをやめた要因があった。
テレワーク中にハクスラしてられるようなホワイトな職場だったが、給与も低くそもそも業務内容が面白くないので転職したのだが、転職した結果、給与も少し上がり業務内容も自分好みのものになり仕事自体へのモチベーションが高まった。
仕事中にハクスラしてた理由は「仕事が面白くないし薄給でやる気がないから」だったので、「仕事が面白くて頑張ったら金も貰える」なら多くの人間はハクスラなんてせずに働くだろうし、現に私はそうしてる。
なんとかブルーとブルーなんとかの大きな違いは、プレイ時間にある。なんとかブルーはマルチ自発やマルチ狩り、ハクスラ等やれることが青天井で際限なくやってられるのだが、ブルーなんとかは1日にやれることが限られている。殆ど全ての日課をやっても十数分で終わり、残りの時間を日常生活や仕事のための勉強や同人活動に充てられるのは一度集中すると他のことを忘れるシングルタスクマンな私には非常にありがたく感じた。
ここまでの話で「そんなモチベ終わってんならチーム抜けろよ」と思われているだろうが、世話になっていたりそれなりの交流がある以上、「モチベないんでやめます」とも言いづらいので、結局団イベントの際にはログインしてノルマこなすくらいは稼ぐ気でいる。いっそ垢BANされたほうがまだ辞めやすいかもしれない。
スキップ機能が色々なバトルに適用されればワンチャン戻ってくるかもしれないが、プロデューサーやディレクターがハクスラ大好きマンらしいので現在のバトルがスキップできるようになっても第2第3のハクスラが出てきて結局時間泥棒されるような気がする。
グラブルをやめたおかげで時間や心に余裕が出来た。今年は仕事を頑張ったり、去年あまりできなかった同人活動をやったり、ポケモンやったり積んでるSEKIROやったり2月に出る龍が如くやったりと充実した年になればいいなと願っている。
ぼっち・ざ・ろっく!はいいよ、バンドだからリアルの人間関係とか、演奏やライブの緊張感とか、やっぱり物語性があるから。
ぼっち・ざ・ひっぷほっぷ! →地道な生活を変えるため、思い切ってラップを刻み出した後藤ひとり。運命のトラックメイカー、虹夏との出会いがぼっち生活を変える!内省的で自虐的かつリアルなリリックが、徐々に周りに届いて…。 あり得る。
ぼっち・ざ・ちるあうと! →カフェやラウンジで流れるようなオシャレな音楽を作れれば、みんなが見直してくれるかも?過去の音楽を参照して、ぼっちのトラックメイキングが始まる…! ヤバい。独りの部屋から抜け出せるだろうか。
ぼっち・ざ・あんびえんと! →お父さんの好きな音楽ジャンルに天啓を受けた後藤ひとり。音の深淵に近づくため、たった一人の冒険が今始まる…! ダメ。部屋に閉じ篭もっちゃう。
eスポーツを必死に叩く人間と大量に接してきたが、一定の傾向が見えてきた。
最も代表的なのは、オリンピックへのeスポーツ採用を毛嫌いするような、伝統的スポーツの信者だ。
こっちの話はひとまず置いといて、もう一つの人種を挙げると、自尊心がないゲームオタクだ。
https://elken.hatenablog.com/entry/2020/09/30/224330
日本からlolのトッププレイヤーが出るより、どうぶつの森みたいな日本のゆるい空気だからこそ作れるゲームで外貨稼いだ方がよほど国益だ。
彼らの文章には以下の特徴がある。
自分は身体的に弱者で、だからゲームを選んだのに、ゲームの世界にまでスポーツを持ち込むなというわけだ。
自虐的な臭いがプンプンしてる。自尊心を得るのに失敗した男の典型だ。
弱い男にとって、マッチョイズムと体育会系の文化で成り立つeスポーツが怖いわけ。
吐き気を感じる感想も感じる人の自由なので感じてもいいし感じなくてもおかしくはない
小声だろうが大声だろうが心の中だろうが罵倒も侮蔑もしていいよ
ただ結果について好ましくなかったというのなら、学習しないといけない
記憶して次に備えないといけない
まず、小声で漏らして聞かれると大声でばらまかれる奴が傍にいるって状況を確認すること
聞かれたらヤバい奴を認識してそいつに対策した状態なら思うだけでも大声で言っても問題ない
もし結果が好ましくなかったのならば、その経験値と対策が足りてなかったね
ほかには便乗するやつらとかその人数、範囲、そして状況の遷移を予測できないこともあるけど
この経験から対策を練ってよりよい次への学びを得られたらそれは価値があることなので
だれが悪いとか必要性を問う事もない
しかし初回からうまくストレスを回避して経験値だけまるもうけしたいのであれば
追及されたときに黙り込んで状況を人任せにせず自分でコントロールをする努力が必要だったのではないか
口からおもったことがでてしまう病気だと弁明しだからといって許されるわけではないという事を
すみやかに「病気を馬鹿にするのか」と攻勢に出て論点とCの攻撃を回避する手立てにでるのもひとつありなのではないか
ほかにも奇妙な行動をとるとかアクシデントを発生させる、敵対者を別につくるとか自虐的になるなど色々あるだろう
ただひとつだけ状況の進行を他人に任せてしまったらそれはどんな結果に至ろうと任せた本人の責任になる上にコントロールできなくて当然だ
もしもそれらを計算の上でAが大声できっかけを作ったのだとしても
二次創作界隈のぼやきを眺めていると、「マイナーCP」についての愚痴をよく見かける。
そのほぼすべてが「マイナーCP界隈の内側」からのぼやきだろう。
これを書いている人間は、界隈の人数とか生産数とか関係なくその時ハマったものを好きなように生産している人間なので、そういう嘆きを見ても「わあ大変な思いをしている人もいるんだなあ」程度にしか考えていなかった。
持論としては、作品は描(書)いたら増える。それを見て魅力に感じた人がいれば界隈人数も増える。それはどのキャラクター・CPも同じこと。
それでもマイナーと大手の差が開くのは、純粋なキャラクター人気の差とかその時の情勢とかもろもろが関わってくるものなのだから、そのCP並びに作り手や語り手が悪いわけではない。ただ運が悪かっただけ。
そう考えていた時代もあった。
しかしこの度、あるマイナーCPのイベントに参加したことがきっかけで
と考えるようになったので、日記に残そうと思う。
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上に書いた通り自分はその時ハマったものを好きなように生産する人間なので、今作っているものがマイナーかどうかなんて全く認識していなかった。(そもそもマイナーとか大手とかでCPに優劣をつけて見たりもしない)
SNSでも仲のいい友達といくつかの無難な公式アカウントしかフォローしていないので、そのCPに今どれだけ作り手がいてどれだけ盛り上がっているか、も知らない。
だからその「マイナーCP」が人に飢えているマイナーということも、イベント中の参加者のボヤキで初めて知った。
web上で品物のやり取りをし、アバター越しにチャットで参加者と交流をし、主催者が設定したデザインに彩られたイベント会場を楽しむ、というもの。
リアルのイベントとは違って対面での個人交流がしにくいのがオンラインイベントなので、そうした交流会を設けているイベントは珍しくないと思う。
似たようなwebイベントに何回か参加したけど、やはりどこも参加者同士が盛り上がるための交流会を設けていた。
webイベントというものは、そのように特定の時間と場所を設定しなくても会場のどこでもチャットでの個人交流ができる。
にも関わらずわざわざ交流会を開催する意味合いとしては、積極的なコミュニケーションの場を通じてファン同士の絆を深めたりCPへの熱意を発散したりといった「界隈をより盛り上げたい」という村興し的な面が強いと私は考えている。
何度か参加した他イベントの交流会でも、話したこともなかった相手と言葉を交わせたり、好きなキャラクターやCPの話だけで知らない相手の友達の友達まで巻き込んで大勢で盛り上がれたりして楽しかったので、その「マイナーCP」のイベントの交流会も楽しみにしていた。
当然CPイベントの主軸はそのCPの作品をめいいっぱい楽しむことにあるので、交流会だけがメインではなくあくまでおまけ程度。
例えるならスーパーの買い物でたまに引ける福引程度のものなので、「買い物ついでにこれも楽しめたらいいな」くらいの期待度。
ティッシュが当たろうが掃除機が当たろうが、目当ての買い物はクリアしているのでまあいいや、の感覚。
それでもイベントに参加するなら「そのCPを取り巻く人々の空気感を味わいたい」のが個人的な趣向だ。
CP好きで集まった人々なら、CPやキャラクターについての熱い萌え語りが聞けるかもしれない。
好きな作品の同人に関わる人と交流ができることが楽しみだった。
しかしいざ交流会がはじまると、CPやキャラクターの話はエッセンス程度。
発言しているのはほんの一部の人のみ。おそらく「界隈の中心にいる人」たちなのだろう。
(交流会には20人くらいが参加していたが、会話していたのは5人程度だったと思う。他の人たちは「お疲れ様です」「開催ありがとうございます」といった挨拶をはじめと最後にしているのみでほぼ無言)
その中心の人たちの話題も、「〇〇さん相変わらずですよねー!」「出た〜w ✕✕さんのこれ〜ww」といった『人いじり』がメイン。
界隈や人ではなくCPやキャラクターが好きな私には全くわからない。
要は身内ノリが激しいのだ。
その「身内」の外側にいる人間には入る隙間がない。
先程福引で例えたが、福引を引きに行ったらスーパーのスタッフの個人的な話をずっとされて楽しいと思う人はいないだろう。
それでも折角交流会に来たのだから一緒に盛り上がろうと自分なりに入れる話題を見つけて乗ろうとしたりした。
たまにキャラクター中心の話になった時にそのキャラクターを掘り下げる発言をしたり、『界隈の人』の話でも頑張って乗って一緒に盛り上げようとしたり。
もちろん私の他にも同じように乗ろうと一生懸命発言している人もいた。
しかし私やその人の発言に対する共感も相槌もないまま、すぐ『界隈の人』同士の話に戻る。
こんなに虚無を感じる交流会もない、と思った。
交流会の会場設定もその狭い交流を加速させているように感じた。
とにかく狭いのだ。本来は広い会場を、デザインでかなり狭くしている。中心以外は入れないように真っ暗にされている。
そのままの広さなら、参加者があちこちに散らばってそれぞれ発言が誰かの邪魔をすることもなく個々人で交流ができただろう。というかこれまでに参加したイベントは全部その形式だ。
しかしこのイベントは参加者全員が中心に押し込められる形になっているため、一つの話題でしか盛り上がれない。他の話や個人的な交流をしようとすると、今盛り上がっている場にノイズを撒くことになる。
だから今進んでいる話題に乗れない人間たちはみんな押し黙って、僅かに発言できる挨拶の瞬間に短いチャットを打つことしかできない。
主催もその『身内ノリ』を止めるどころか、進んで乗って盛り上げていた。
参加者全員を楽しませるように、ではなく、「自分が自分と仲のいい相手と楽しめるように」そんな盛り上げ方しかしていなかった。
乗ることができない人間にとっては、他人同士の身内通話を延々と聞かされているような、そんな時間。
なんのために参加しているのか、これはなんの時間なのかとさえ感じている頃、その『話題の中心』の人が発言した。
「まだまだマイナーだよね、ここ」
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それで私が感じたのは、ああこれがマイナーCP界隈というものなのだな、という認識だ。
マイナーCP界隈者が時折自虐的に使う「村」とは、なるほど的を射た表現だったのだ。
よその人を招くイベントを開催しても、村人たちが結束しすぎて、結局よその人が居着く隙がない。
私はこれまでマイナーCPとは「キャラクターの露出が少ない、公式での絡みが少ないなどといった理由でどうしょうもなく人が増えない界隈」だと考えていたが、実態は違ったようだ。
「結託しすぎて排他的になっている界隈」これこそがマイナーCPであり、マイナーCPに人が増えない理由なのだ。
このCPを嫌いになったわけではないので生産自体はやめないが、このCPのオンリーイベントに参加することはもう二度とないだろう。
このCPのリアルイベント参加も検討していたが、リアルはより一層身内とアウェイの差が開くと感じたため、参加を取りやめた。
(リアルイベントも「界隈の中心者」が開催に一役噛んでいるらしいのもその理由だ)
このイベントに関しては参加させてもらった以上は大人の対応として「楽しかったです、運営お疲れ様でした」と主催に伝えたが、本音としては「楽しくなかった。二度と参加しない」が全てだ。さすがに本音は言えないので心とこの日記にナイナイした。
身内ノリが悪いと考えているわけではない。
同じ志を持つコミュニティに所属し仲のいい相手と絆を深めることは人間にとって最大の幸福なのだと某有名大学も発表している。
「界隈感」が嫌いな私の好みもある。
ただ、やはりマイナーCP界隈は自ら「ここはマイナーCPだ」と発信して界隈を狭めても得にはならないと思う。
マイナーであることに良さを感じているのなら好きに狭くなればいいと思うが、「人が増えてほしい」ならせめて公募イベントでの身内ノリを抑えたほうがいいのではないだろうか…。
そのイベントでも「もっと盛り上がってほしい」「人が増えて嬉しい、もっとたくさん来てほしい」と発言する「界隈者」たちに何度も心の中でツッコミを入れていた。
新参をちやほやしろと言いたいのではない。せめて身内以外が参加しているイベントなら、身内ノリを控えたほうがみんなで盛り上がれるんじゃないか…。
まあ、ことwebイベントに関しては開催者が全てなので開催者が身内ノリに賛成するなら、もういいのかもしれない。
そんな日記。
女というか自分の話だけど、最近彼氏の色んな部分に「引っかかり」がある。そしてその「引っかかり」の多くは、「男ってみんなそんなもんだよ」と周りに言われるような些細なことばかりなので、単純に自分が強欲なのかと思ってしまう。
例えば、自分で行きたいと言っていたディズニーに、いざ行ったら文句ばかりなこと。相手の両親に嫌なこと言われて、苦情を言ったらすごく不機嫌になること。結婚式に乗り気じゃないこと。
私が多くの男の人みたいに「セックス!セックス!」って、下半身に判断基準の半分を持っていかれていたら、こんなことで悩まなかったんだろうか。私は男ならチー牛だっただろうし、マジでマンコついててラッキーだったなぁと自虐的なことを考えたりする。
最近、非モテだとか、喪女、コミュ障といった属性をタイトルにいれる文章が多いとふと思った(最近といってもここ10年くらいのスパン)
これって、物語にスッと入ってもらうにはとてもいいキーワードではあるんだけど、
読み手に対する予防線でもあるんだよね。「不器用な人間ですから。そっから先は聞かないでください(高倉健)」みたいな。
自虐的な自称は、80年代の「オタク」、90年代の「ニート」が最初ではなくて、もっと遡れば1960-70年代のノンポリ。
そのほか、もっと広くとらえれば、モラトリアム世代、フーテン、ヤクザ、浪人、渡世人と、江戸時代までさかのぼる。
とりあえず非モテで考える。
タイトルで自称するということは、非モテのイデオロギー的な主体を読み手に受け入れさせ、非モテのイメージでコーティングされた主体だけを提示し、物語を展開する、ということ。
非モテという言葉に違和感なく入り込める、まず読者の選別をする。
最初に思ったのが、キャラがオーバーに表現されてるけどキャッチーで面白いというタイプの女芸人がいないこと。
一番しっくりくる例だとぺこぱの時を戻そうの人は明らかに「馬鹿にしてくれ」的キャラ付けなのに何故か自信満々というスタンスのギャップが面白い。で、ひな壇とかでもちゃんとそのキャラを一貫していて変にかっこよくみられたいという欲求がない。最近人気の粗品もダメ男感のあるイジられキャラ的親しみやすさで人気がある。
たぶんお笑いの本質の中に、観客から演者への見下しっていうのはあると思うんだよな。
常識の範疇で理解できないことを可笑しいと思うわけで、それをやりすぎて不快にならないラインをうまく模索している芸人が露出増えてるなと感じる。
逆に銀シャリみたいな漫才タイプは完全に理論で詰めてるから自虐的に売る必要はない。ただキャッチーさがなくなるから芸人としてのキャラは薄くなる。
同じく漫才やコントを詰めてて、でも自虐的なキャッチーさもあるサンドウィッチマンの方が伊達と富澤という人間の記憶が残りやすい。
表題の話に戻ってきて、女芸人でぺこぱっぽいキャラで思いつくのがアンゴラ村長だけど、あれは「笑いとして」自分を下げることがない。
「美人がなんか変なことをしている」というキャラで売っていて、自分が女芸人の中ではそれなりに美人であることを捨てていない。ひな壇とかバラエティを見てても笑いとして自分を下げる器用さがなかったのかなと感じる。
他にも女芸人でよくあるのが「男女ネタ」だと思う。女同士のいがみあいをネタにしたり、彼氏と彼女のすれ違いを表現したり。こ
これっていうのは結局あるあるネタを脚色しているだけであって、それを演じてる芸人本体にキャラがない。ちょっとお高いところから世の中をこういう風にみてるんですよーという評論家感が嫌味。
長くひな壇とかバラエティに出て来れた女芸人ってやっぱり安心してイジれるキャラがある気がする。
大久保さんは一時期エロいおばさんというキャラをブラさなかったのでどこでも使いやすかったし、今は病んじゃったけどハリセンボンは真っ当に男の漫才をしていて露出機会が多かったし、芸人として好感を持てた。