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はてなキーワード: 自虐的とは

2022-08-21

anond:20220820221916

最近非モテだとか、喪女コミュ障といった属性タイトルにいれる文章が多いとふと思った(最近といってもここ10年くらいのスパン

これって、物語にスッと入ってもらうにはとてもいいキーワードではあるんだけど、

読み手に対する予防線でもあるんだよね。「不器用人間ですから。そっから先は聞かないでください(高倉健)」みたいな。

自虐的自称は、80年代の「オタク」、90年代の「ニート」が最初ではなくて、もっと遡れば1960-70年代ノンポリ

そのほか、もっと広くとらえれば、モラトリアム世代フーテンヤクザ浪人渡世人と、江戸時代までさかのぼる。

とりあえず非モテで考える。

タイトル自称するということは、非モテイデオロギー的な主体読み手に受け入れさせ、非モテイメージコーティングされた主体だけを提示し、物語を展開する、ということ。

非モテという言葉違和感なく入り込める、まず読者の選別をする。

そこに読者を誘導する意味は、結局のところ、選別した読者に、見せたい自分をみてもらいたいということなんだろう。

そうすると、必然的に、主題は、「自分に対する評価」になる。

自分の話がいかに読者の心に響いたか、あるいは、いか自分評価されたか、されなかったか

2022-08-14

女の自虐って「予防接種」なんだよね

他人から言われたくないことを先に自分で言っておいて、わざわざそれを他人否定させる

あくま牽制であって、マジで同意されることなんか想定してないの

「女は自虐的!」とかじゃなくて、ただ単に予防接種としてのポーズに過ぎない

2022-07-02

芸人がつまらない理由わかった

自虐ネタじゃなくて風刺ネタをするから

もっとわかりやすくいうとイジれる女芸人がいない。

最初に思ったのが、キャラオーバー表現されてるけどキャッチー面白いというタイプの女芸人がいないこと。

一番しっくりくる例だとぺこぱの時を戻そうの人は明らかに馬鹿にしてくれ」的キャラ付けなのに何故か自信満々というスタンスギャップ面白い。で、ひな壇とかでもちゃんとそのキャラを一貫していて変にかっこよくみられたいという欲求がない。最近人気の粗品ダメ男感のあるイジられキャラ的親しみやすさで人気がある。

たぶんお笑い本質の中に、観客から演者への見下しっていうのはあると思うんだよな。

常識範疇理解できないことを可笑しいと思うわけで、それをやりすぎて不快にならないラインをうまく模索している芸人露出増えてるなと感じる。

逆に銀シャリみたいな漫才タイプは完全に理論で詰めてるから自虐的に売る必要はない。ただキャッチーさがなくなるから芸人としてのキャラは薄くなる。

同じく漫才コントを詰めてて、でも自虐的キャッチーさもあるサンドウィッチマンの方が伊達と富澤という人間記憶が残りやすい。

表題の話に戻ってきて、女芸人ぺこぱっぽいキャラで思いつくのがアンゴラ村長だけど、あれは「笑いとして」自分を下げることがない。

美人がなんか変なことをしている」というキャラで売っていて、自分が女芸人の中ではそれなりに美人であることを捨てていない。ひな壇とかバラエティを見てても笑いとして自分を下げる器用さがなかったのかなと感じる。

他にも女芸人でよくあるのが「男女ネタ」だと思う。女同士のいがみあいネタにしたり、彼氏彼女のすれ違いを表現したり。こ

これっていうのは結局あるあるネタを脚色しているだけであって、それを演じてる芸人本体キャラがない。ちょっとお高いところから世の中をこういう風にみてるんですよーという評論家感が嫌味。

長くひな壇とかバラエティに出て来れた女芸人ってやっぱり安心してイジれるキャラがある気がする。

大久保さんは一時期エロいおばさんというキャラをブラさなかったのでどこでも使いやすかったし、今は病んじゃったけどハリセンボンは真っ当に男の漫才をしていて露出機会が多かったし、芸人として好感を持てた。

2022-06-23

anond:20220623111020

まあ、ああゆうのもガキっぽいけど、あれも日本ありがちな自虐的すぎる感覚への反動なんだろうなとは思うよ。

2022-06-21

anond:20220621121455

独り身の高齢者って性格が悪く何言ってもはいはいどうせ俺が悪いんだろって言うような自虐的な曲がったやつがほとんど

同情心とか持つと付け込んでくるから見て見ぬふりがちょうどいい

近寄らんこった

2022-05-08

anond:20220508035645

さすがに子供欲しがってる人間はおおむね自己肯定感高いだろ

自己評価他者から評価釣り合ってないことに不満を感じ、

自虐的弱者男性を名乗っている男はいるかもしれない

2022-04-21

anond:20220421175928

野村総研10年だけ貯金して好きなことしてる人多いよ。


それとも自虐的自慢?

2022-04-19

増田って日に日に質が落ちてる気がする

マジ底辺ニート統失、ボッチキッズみたいな人間が、他人への恨みや妬みを口汚く罵るってパターンものすごく増えている。

皮肉冗句偽悪的だったり自虐的だったりってのとはまた違う雰囲気

スラム化しているような感じがする

2022-04-13

さよなら絵梨の論点を整理したい

追記:整理と言いながら大分とっちらかってしまったので要約。

・少なくとも、スマホ主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈余地あり

・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。

・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。

■本作は五重構造になっている

母親最期を看取る主人公

②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジ映画作る主人公

③の出来事を振り返る中年主人公

④に爆破オチを追加した主人公

⑤という映画体裁にしたマンガ

あとは無数の映画オマージュそれから作者の過去作や実体験も重なってくる。

■どこまでが虚構でどこから現実か?

身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチ現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやす表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。

■①

最初主観視点スマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?

18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます

P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。

■②

P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホ隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用

★"母親の死を冒とく"”あん映像流して母親申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"

続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムスマホで撮った映像と、後撮りした映像シームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。

P39、作中で言及されている通り本来眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像ソフト編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生技術力を考えるとBかC。

P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブファイトクラブは、本作のどこまでが現実空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにメタ構造ネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。

★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。

P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身過去編集と似たようなやりとりしてたことを過去インタビューで語っていた。

★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機主人公の口から言語化されている。

★P82で、作品テーマである"ファンタジーひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。

P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写編集ウソが混ざっていることが明示される。

★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画バカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼死ぬシーンの説明

P87で絵梨が意味深沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86過去回想シーンのため、編集

P90~P93もそう。意図的沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやす表現で、電子掲載特性が生かされていて良い。

★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分面白いと思って作った作品馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。

前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。

P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的ネタにしてアピールすることで、ネタマジレスを防ぐと同時に、この作品テーマの一つである虚構現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。

★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"

ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。

P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。

P108。最初出会い病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。

P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。

P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。

★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"

ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。

P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。

P133廃墟主観視点でないので、後撮り。

■③

P151にて場面転換。

P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。

P164、ここから主人公モノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらいかカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像流れるのかな?

P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。

■④

P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作現実メタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。

★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。

映画タイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス定番ネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。

★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーひとつまみ足りないんじゃない?"

恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。

★P191、最期作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"

作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。

P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。

すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体作品にしてやろうというところなのではないか脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。

2022-04-11

anond:20220411114510

(なんか痛すぎて読んでないけど、)


はてなーはどうこうって主語でかく否定的に書く増田ブコメが増えてる気がするけど、前からこんなにいたっけ?

自虐的に書く人は結構いたと思うけど。

それともスルー力低い人が増えてピックアップされるようになってる?

もしくは自作ブクマ

2022-04-09

インターネット老人会っていうけどさ

あれ自虐的呼び方だと思ってたんよ。

でもWindows95ネット始めた人はもう25年経ってて、25歳から始めた人は50歳になってるんだよな。

あとインターネットじゃないけどパソ通80年代からやってた人はもう60超えててもおかしくない。

リアル老人会になりつつある。

2022-03-24

anond:20220324201056

俺は横から見て「こういう意味じゃないか」って予測したんだよ

自国のやってることに批判であることも含めて「自虐」と言ってるなら、自虐的になることで自国を守りたい人間が減る、の意味がとおるから

そういう相手の言いたいことの確認すらせず「自虐意味がわかってない馬鹿wwwしか言わないのはコミュニケーションする気がなくて煽りたいだけってことじゃないか

anond:20220324193508

アメリカイギリスフランス中国ロシアも向き合ってないよ。むしろ日本相対的に向き合い過ぎて自虐的になり自尊心がなくなっている。

2022-03-23

anond:20220323091204

日本マスコミ沖縄米軍基地問題ぐらいしか報道しないが

世界には反米国家がいっぱいあるし

アメリカ教養ある層はうちら世界中で嫌われてるよな・・・って自虐的に思ってる

2022-03-18

anond:20220318075730

うむ

この身を切る冷水のような自虐的感覚

「名乗るほどの者ではござらん」

2022-03-13

大阪悪口

大阪府について自虐的ギャグ大阪人が言うから笑えるんであって、府民以外が雑に悪口言うと場の空気が凍るからやめてね。

2022-02-25

怒りで脳が沸騰する

殺す。俺はお前を殺す。死ねボケ

ああ、怒りがしばらくすると収まるとは誰が言ったのだろうか

客観的に見てどうでもいいことでも一度怒りのスイッチが入ってしまうともうだめで、どうにも止まらない。殺す

お前を殺して、おれが死ぬまで殺す。しね。だいたい二週間くらいはずっと怒りに振り回されてまともになれない

イライラして投げやりでただれた生活になってしまう。今日は昼から天下一品インスタントラーメン食ったし、もうぼうりょくてきで自虐的生活になってしまっている。ソルティ・ライチも飲んでるので、一日の塩分摂取量は完全にオーバーしてるだろう。

死ね。殺す。衝動は止められないボケナスががころすぞカス死ねボケ

タマかち割って脳みそチューリップの花壇にぶちまけてやろうか。ボケ死ね。殺す

イラつく。いちいちイラつく。死ね。殺すぞカスが、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す

殺意って減らなくない?ころすぞボケ死ね殺す

普通に生きてても、こじんまりと生きてても不遜で失礼なボケナス出会って、怒りのスイッチ押されて、四六時中イライラが収まらなくなって殺す殺す殺す殺すみたいになるのって俺だけ?異端

ころすぞ!しねぇーい!ボケが。死ねクズが。ボケナス頃すぞボケが、死ね

今日だけで何回殺すって書いたんだろうか。先回以上は殺す殺す心の中で唱えて口にも出して、Web送信してないけど

テキスト上にも何千回近くも殺す殺すばっかり書いてる。もちろん、実際に誰かを殺すようなことはしない

ただ、抑えがたい殺意で脳が焼かれているのだ。しねやテメが死ねボケマジで殺すから死ねボケ殺すぞカス

死ねボケ。しねやしねや殺されて絵の各祖が、しね

あー、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。死ね。殺すぞクソがああああ死ねやあああああしねやあああああああころすぞボケがころすぞがああああ

あああああああしね

2022-02-19

anond:20220219171506

偉そうなこと言って最後自虐的シチュってオチのある話でもなく本当に俺スゲエ自慢話なのか…

2022-02-17

ヒートテック肌着問題の整理

2022-02-08

anond:20220208234929

インスタに自殺でもするんじゃないかってくらい自虐的コメントを出してたのはちょっと引いたわw

暴走してるじゃねーか、誰か周りの人は止めてやれよとw

2022-01-29

anond:20220129132257

一次二次わず同人読み物売れない表紙絵だけくださいとかいうのは何十年も前から自虐的お約束なのだが、世の中ではどう見ても文章だけのあれが売れたりこれがバズったりそれで家が建ったりしてるので、まあ、古今東西売れているものは売れている、ということなのだろう……

2022-01-17

2010年の「日本は、何で稼ぎ、雇用していくのか」って資料見てると辛

https://www.meti.go.jp/committee/summary/0004660/index.html

最も重視したのは、世界の中での日本産業現実直視することである。これまでの議論は、ともすれば、耳障りの良い「日本の強さ礼賛論」に陥ったり、非生産的自虐的な「悲観論」に走ったり、経済実態から乖離した「精神論と美文」に終始しがちであった。

再分配による成長の限界

特定グローバル製造業に過度に依存した成長となった2000年代は、景気の拡大期であったにもかかわらず、賃金は上昇しなかった。結局のところ、日本経済「全体」の「パイ」を拡大しない限り、成長は困難なのである

新自由主義的」な政策思想の後退と「国内雇用」への関心の増大

しかし、90年代に入り、省庁間の縦割りによる弊害が目立つようになり、「小さな政府」や「規制緩和」による民間活力の発揮を標榜する論調我が国にも広がる中で、いつしか、国は企業活動自由保証し、あとは何もしない方が良いという市場機能を無批判肯定する議論や、産業政策における国の役割をすべて否定するような議論さえ台頭するようになった。こうした中で、官民の連携の強さは失われ、相互距離は広がっていってしまった。

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