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はてなキーワード: 排他的とは

2023-11-30

AI絵師達のAI絵への忌避について

AI絵を嫌う反AI達は「AIを使った作品は心がこもっていないか禁止するべきだ」と繰り返し主張している

既に生成AIクリーン化は実施されており、合法学習において絵師たちが蛇蝎のごとくAIAI活用者を嫌う政治的思想根底にあるのは

「手描きでなければ心がこもっていない」「手抜きである」というオカルト的な手描き信仰に基づく

  

しかし少しでも冷静に考えてみれば分かるはずだ

漫画スクリーントーンは手抜きではないのか?

デジタルツールを使って絵を描くのは手抜きではないのか?

手ぶれ補正は?変形ツールは?ブラシ機能は?

  

イラスト界隈はそのような新しい技術が出る度に「これは絵ではない」「使う人間邪道だ」と

排他的姿勢を露わにし、活用者を徹底して差別してきた歴史がある。現在AIイラストも全く同じ状況に置かれている

しか上記ツールはいずれも浸透し、今AIを親の仇かのように憎悪している絵師達も日常的に使っているもの

彼らも過去に幾度となく新しい物を否定する適応できない層から差別を受けていたわけだが、

過去無知な老人達に学ぶ事なく差別排除運動を繰り返しているのは愚かと言う他無い

奥 浩哉 @hiroya_oku

僕が3DCGを始めた頃もCGが心がこもってないとか言われてたけど、今はAIが同じこと言われてる。CGは許されたのだろうか?

  

プロであるクリエイターからイラスト界隈の村ルールには辟易しているようで、

リプライでも奥氏に賛同する形で反AI達に多くの批判殺到している

  

前回のコミケでは反AIと反AI絵師達はあらいずみるい氏への一方的AI使用疑惑をかけ(そもそもAIを使っていたとしても何の問題も無いのだが)

犯罪者呼ばわりなどの誹謗中傷集団で浴びせ、同氏から手描きの証拠提示されるという事態に至った

その事件Yahooニュースなど大手ネットメディアでも取り上げられ、反AIの異常な攻撃性と非論理的お気持ちが世に周知されたが

未だに反AI達はあらいずみ氏への誹謗中傷をしつこく続けている

  

このような振る舞いはもはや技術適応できない老害どころではなく、一種カルト信仰に近いものと言える

既にAdobe FireflyやDALL-E3により「イラストAIを使って作る」という認識一般化しており、

Windows搭載のペイントにもAIが導入される事が決定している

今後反AIの先細りと先鋭化はますます激しくなると予想されるが、認知の歪みが激しい彼らが

現実事件を起こすような事態に発展させない為にも

AI思想、及びそれに同調している絵師には警戒し、しっかりとNOを突きつけ関係を持たない事が推奨される

2023-11-13

anond:20231113105059

それが排他的関係にあると思ってるの知性が欠如してる証左だよ。ひょっとして知的障害の方?

2023-11-04

anond:20231104164918

排他的なのは良くないんだがネトウヨ差別主義者だから

あい排他性の高い連中のせいで分断が広がる

2023-10-23

現代でも宗教を信じているバカばかりなのが地球

日本にいると宗教なんて頭のおかしいジジババとそのご子息くらいしかやらないものという感じだけど海外だとむしろそういう人達は少数派で未だにガチ宗教を信じている人はたくさんいる。無宗教社会なのは日本中国くらいなものだろう。

ヨーロッパ南北アメリカではキリスト教が強い。キリスト教は何をしても神が許してくれるというクソ宗教であるユダヤ教というのは世界中に散らばって金融を牛耳っている。アメリカトップにいるのはユダヤ人ばかり。ホロコーストで消されかけたのは金融を牛耳りすぎてウザがられたから。非常に排他的宗教。肉と乳製品を混ぜて食べないとかいチーズバーガーとか肉乗せピザとか食べられないクソ宗教中東西アジア東南アジア北アフリカなんかではイスラムが大変に強い。21世紀にもなって頑なに豚を食べないアホが何十億人もいる。インドではヒンドュー教というカースト制度のある非常に差別的宗教が未だに信じられている。牛を食べないしそもそも肉を食べないクソ人間ばかり。

韓国キリスト教支配されているので東アジアでも少しいびつ日本中国最後希望だが中国はご覧の有様。文革からの恐ろしい独裁一党体制

日本に生まれたことを誇りに思いなさい。

2023-10-21

フリーレン

独身高齢者ターゲットにした作品みたいな説があったけど、今週の敵とは絶対分かり合えなくて「話し合えばわかる」みたいなことを思ってたらやられるっていうエピソードは、排他的高齢保守層に受けるため世界観

2023-10-16

関西出身九州住みなんだが、九州の奴って排他的な奴多くね?

イントネーションが違うので関西出身ってことはすぐ見抜かれるんだが、就活の時に

君、関西弁直す気ある?関西の人は関西弁に拘りがあるのか、関西弁が抜けないよねぇ~w

みたいに小馬鹿にされることもあった

接客バイトしてて、お客様に言われたことを上司に伝える際もかみ砕いて要所を伝えるのだが

お客さんがそんな関西訛りだった?

みたいに意味のないところで突っかかってくる

あとはマジで男尊女卑を地で行ってる

女みたいな奴、とか、女は〇〇~、みたいな会話が日常的に聞こえる

本州と比べて冗談抜きで30年遅れてるよこの地域

2023-10-14

anond:20231014224051

全員特性の偏りは持っている中で、たまたま現在社会において生活に著しい支障が出ない程度の特性人間が「定型」と呼ばれているだけなので、

君のように排他的な考えの人間であれば定型範疇同士でくっついても偏りの方向が違えばすぐに不和を起こすだろうね

anond:20231013190413

2種だと増やすという目的争奪戦ができるけど3種以上になるとそれ以外の目的で性を争うことが発生するから

生命は全部増えることを目的としているので結果なにかを殲滅することはあっても殲滅目的生物はいない

3種目以降はその殲滅目的のものが出来てしま

LGBTなんちゃらもそれが問題

別に誰が何を名乗ってどの性別が好きでも問題全然ない むしろ全員まじってつながるなら最高

どれが嫌いだれが嫌いといって自分の増殖行為を阻害されてるわけでもなく増殖する気もなしに攻撃を始めるのは生物として異常

害を与えるためだけに生まれてくるものなんていないはずなんだけど性別を3種目以降にすることでそれになってる人が現にでてきてもいる

追記

殲滅は前提なしに出す言葉としては不適切だった

基本的に取り込まないからの排除からの「接触すると徹底排除」が殲滅だと言いたかった

LGBTQ+も話題範囲に近かったので手っ取り早くあげてしまったのは不適切だった

イカでもエイでも宇宙人でも「人間」という種別として取り込んだとき言及するに面倒だった

単純な話3種類目以降が別の生物生態系だと考えてみてほしい

形がヒトのそれだから なまじっか言葉理解できるからという形のものから人間のものまで

みんな分かり合えるとおもうのだろうけど 現状でさえ宗教が違うというだけですら人間でもニンゲン扱いしないんだよ

創作の話でいうと超能力をもった人間と旧来の人間とかスターウォーズとかスタートレックとか

なぜみんな交配しあわないのかなってまず思ったりするのならば人間ほどの複雑さをもってしてもmRNA生物並みに生存競争してるのかって驚異的ではあるけどね

複雑さが増すほど差異境界としての意味をもたなくなり寿命は長くなる

社会という単位で言うと性別は2種を内包するが地球上でも200とか300とかの単位寿命は1000年も2000年もある

地球という単位だと億という年単位生命という分類をがざっくり水上と水中くらいにわけれもする

単純になっていけば短い期間でどんな生物にも結合して変化し次の世代を残していく

人間という生物基本的にそういう構造をしているというだけで人口的に生命を生み出せば人間観測範囲においてはそんな境界線はなくなるかもしれない

男性が好きな高校生漫画とかゆるい百合とかジャンプ漫画ホッテントリに時折あがる時でさえ性別がと

LGBTQ+の記事もあがるけど性別がと 関係ないのだからほっとけばいいし好きにさせておけばいいのにそれですら「当事者でないところから干渉」をしてるよね

3番目以降の生態系干渉抑制排除ではない方向で扱われる状況を目の前でみることができるのは寄生生物みたいなものがあるけども

人間があれを許している領域ほとんどないといっても過言ではないほどに狭いのではないか

人間もっと蕩けて一つになるくらいならばより広い範囲になるかもしれないしより人間的であろうとするならばどんどん性別は減っていくというかすでに2種なんだがというところだろう

【さいごに】

コメントありがとうございます

排他的になる第三というのは「日本語OKとかまったくわからんとか正しい生物学の」と付けていただいた話のそれです

なぜ融合してどうなるかわからないにしても結果を生産しようとしないのでしょうか

自身の持っている定義に合わないから「排除」を開始するのですね

自己確立と存続のために

からいか理解しようとしない 種が違うから結びつかない

からないなら関わらなければよいのになぜ共存しない目的関係をしようとしてくるのかということです

生命はこれまでそのおはなしにならないものバクテリア時代から分解し吸収し融合して生物進化してきました

増殖したり進化したり共存を試みようとしなければ関係をせず離れていくだけで済みますし結果離れて存在はなくなっていくわけです

だれとでも何とでも溶け合おうとするなら性別は数えきれない対象と結びつきをもつでしょう

その関係性別とするなら多すぎて意味を成さなくなります

認めた相手共存を求めることやそれを守る事のために他者排除しようとする結果が人間の男女2種なわけです

人間の種類が少ないということは転じて人間という定義がそれだけ幅のせまいものだという事です

イルカも熊も人間だとオスとメスがあるので人間と認めるのかと言われたらどうでしょう

今回はこの話題で三番目が存在したとして

主観とそこからみた利用する他者の2者関係以上になると第三者はその関係性に対し自己の保持のために積極的に取り込まないという行動をとる例が見れたと思います

からいからまず攻撃してみるというのはSF映画でも定番になるほどあります

例として多くあります攻撃的になることが悪いわけではなくそ構造に従った一般的ものなわけで

より複雑で優先度が高いために得るための確度をあげようとして攻撃的になることもいたしかたない部分もあるかと思います

人間には3番目の選択がもう取れないところまで進化してきているのではないでしょうか

種の規模で見ると全体の破綻を導いてしま自己否定的なものは1者でも2者でも発生はしま

性別という個の状態で見る規模でいえば人間関係性で似たもの垣間見れるという事です

実際今回の状況を話題をはさんで双方という2つにおいて1つの議題という目的を持った状態に対し関係をもってくる第三者基本的破壊的だという話でした

2023-09-28

末端絵描きお気持ち

昔は美少女アニメクール表象として見れた

しかTwitterのせいで可愛い女の子の絵がネトウヨレイシスト冷笑家のアイコンとして使われてて、キャラマイナス言動を代弁させているところを見てしまった

アニメ可愛い絵が、そうした頭が硬くて保守的排他的人達を喜ばせるものだということに気づいた

そうしたらマイルドアニメを見ることにも描くことにも興味がなくなってしまった

自分が描くものが、ネトウヨ冷笑家、レイシストを喜ばせるなら描きたくないなと思ってしまう。

あの人達は頭が硬いし、社会に声を上げて権利を守ろうとする人達バカにする。

キャラクターは全て性的目線ジャッジするし、脚本にもトンチンカンケチをつける

意欲的な作品は嫌う傾向にある

自分を甘やかさな作品に怒る人たちが嫌いだ

作家の多様な主義主張があっていいのに。

嫌な人たちを喜ばせたくないと思ってしま

自分絵描きの末端だけど

昔は美少女アニメクール表象として見れた

しかTwitterのせいで可愛い女の子の絵がネトウヨレイシスト冷笑家のアイコンとして使われてて、キャラマイナス言動を代弁させているところを見てしまった

アニメ可愛い絵が、そうした頭が硬くて保守的排他的人達を喜ばせるものだということに気づいた

そうしたらマイルドアニメを見ることにも描くことにも興味がなくなってしまった

自分が描くものが、ネトウヨ冷笑家、レイシストを喜ばせるなら描きたくないなと思ってしまう。

あの人達は頭が硬いし、社会に声を上げて権利を守ろうとする人達バカにする。

キャラクターは全て性的目線ジャッジするし、脚本にもトンチンカンケチをつける

意欲的な作品は嫌う傾向にある

自分を甘やかさな作品に怒る人たちが嫌いだ

作家の多様な主義主張があっていいのに。

嫌な人たちを喜ばせたくないと思ってしま

2023-09-26

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

2023-09-24

何故法曹にはネトウヨが多いのか

これほんと不思議なんだけど。

司法試験あんなに憲法勉強をする以上、法曹自然リベラルになるものだと思ってたんだけど。

何故か実際にはそれどころか、左翼リベラル積極的に叩き弱者を見下すようなタイプまりネトウヨが多いんだよな…少なくともネットで見掛ける限りは大体そう。

つい先日も非法学部・独学1年で予備試験合格論文14位)、国際公法選択英検1級中国語ネイティブって経歴の人が、

医師は変な左翼がのさばらないように医師会を作って頑張ってるとかいポストをリポストしてて

司法試験合格者の中でもさらリベラルになりそうな経歴の人がこんな差別的な内容を肯定的に流しちゃうんだ…とびっくりしたもの

個人的には弁護士が「変な左翼」じゃなくてどうするんだよって思うが。

中国語ネイティブって事は中国人中国育ちの日本人だろうに、それでどうしてこんなに排他的になれるんだろうか?

憲法は単なるツールと割り切って戦略的に、機械的勉強したんだろうか?

しかし私だったらこんなふうに個人特定出来る形で差別的意見を流している人は採用したくないな

2023-09-16

欧州マネしても日本だけは衰退するのはなぜ?

欧州の優れた移民政策を推進しようとしても日本排他的ネトウヨのせいで失敗する

欧州の優れた税制を輸入しても日本消費税ポッケナイナイする中抜きで衰退する

なんで日本人は先進国と同じように正しいことができないの?

2023-09-11

anond:20230911051446

別に日本人けが特別排他的なんじゃなくて

どこの土地も先住者が既得権持ってる。

道徳以前に理屈抜きに「先に住んでた人たちがまず安心して暮らせる権利」がある。

でもサヨク日本人にはそんなアドバンテージを認めない。日本国土使用上の権利は何人だろうと平等であるべきというのがフェアな態度だと思ってる。だから根本から話がすれ違う。

2023-09-05

日本プロ野球とそれ以外のスポーツファンの違い

バスケワールドカップ面白かった(予選敗退とはいえ)。ただ、フリースロー時のブーイングしたりとかあんまり好きではなかった。NBAとかでは確かに見るのだけど。

そういえばサッカー埼玉のどこかのクラブチームが何か問題起こしていた気がするし、フーリガンっぽさがカッコいいみたいがあったりするのかな。カタールワールドカップときに、試合後のゴミ拾いを強調していたのも良く分からなかった。外国目線を気にし過ぎというか。

プロ野球応援はそうした他のスポーツと違って、自分たち形成してきたマナー世界観があるように思う。MLB面白いけど、何だかんだ日本プロ野球面白い。そしてWBCで優勝したように、強い。

プロ野球以外の多くのスポーツ応援日本では「地域を元気に」「チームが苦しいときを支えた」とかの要素が無駄に絡んで変な方向に行っている気もする。そして少し排他的な印象もある。

2023-08-29

anond:20230829195821

おっしゃる通り、議論意見交換においてはさまざまな立場意見存在し、特に二次創作個人価値観に関する議論は多くの視点が絡み合うことがあります。こうした議論の中で、賛否が分かれることはよくあります

あなたが述べているように、二次創作に対する肯定派と反対派の議論は、その性質上、主観感情が大きく影響することがあります。同じ事例や情報をもとにしても、人によって受け取り方や評価が異なるため、意見の食い違いが生じることはよくあることです。

また、特定理論論法を駆使して議論をすることは、その立場を強化し、他方の意見に対して反発を示すことにつながることもあります。一方の立場を支持する人々が、その立場をより強調するために論法を用いることは、議論の特徴と言えるかもしれません。

議論意見交換は、多くの要因が絡む複雑なプロセスです。異なる立場価値観存在するからこそ、意見の幅広い対立共感が生まれ、新たな考えや視点発見するチャンスとも言えます。ただし、どの立場にも過度な固執排他的な態度を持つことは、建設的な議論理解を深める障害になる可能性もあるため、相手意見尊重しながら話し合う姿勢が大切です。

2023-08-22

anond:20230822202352

宗教叩きしてる奴らはそこ理解してないよな

何でもカルト扱いして穢れや風習無視している

から宗教を受け入れる自民が多くの人に支持されて排他的野党が支持されないのに

2023-08-18

anond:20230817202136

既にいくつかの増田において触れられている点ではあるが、元増田見解類似性解釈適用の面で、相当程度「アイディア保護論的な立場に立っており、一般的な法解釈裁判例の理解とは遠い立場となっているように見受けられる。ただ、その点の指摘よりも増田の大まかな論調同意する反応も比較的多いようであるので、念のため著作権法学部時代に諦めた現役ヘボ弁護士言及しておきたい(著作権の基本書等すら引っ張り出さずに雑に書いただけなので匿名で。)。

そもそも著作権は、実質的要件を満たしただけで、つまり創作をしただけで当然に発生し、他者に対する差し止め等、排他的独占的な行使をすることができる極めて強力な権利であるという性質を持つという基本的なところを押さえておきたい。知的財産法で言えば、特許権商標権実用新案権等、いずれもその強力な権利の代わりに、形式的要件として登録や公開などの制約が課せられていることと対照的である

これは、著作権法目的である文化の発展」のため、創作活動を行った者を保護することが重要であると考えられたために作られた制度であるが、他方で表現は多かれ少なかれそれまでの表現歴史との連続性の中にあるものであって、いかなる他の表現に一切依拠しない表現というものはあり得ない以上、創作者の保護にも自ずから限度も存在する。著作権保護範囲を過大なものとしてしまえば、強力な著作権排他性ゆえに後続の表現が委縮してしまい、逆に文化の発展が阻害されることになってしまいかねないためである。そこで、アイディアとそれを具体的なものに落とし込む表現とを峻別し、具体的「表現」のみを保護対象とし、「アイディア」は保護対象にしない、という「アイディア表現二元論」が著作権保護範囲論の最も重要原則として長く受け入れられてきているわけである

類似性における「表現上の」本質的な特徴が何であるのかということを考える際も、この点は忘れてはならない点であり、その絵がどういう物を描いているのかという漠然とした「本質」ではなく、その絵をその絵たらしめる「表現」がどこにあるのかということを考えなくてはならない。

その意味で、増田

それは、赤い帽子と青いオーバーオールの組み合わせが、「マリオ」というキャライラストの「特徴」だからでしょ?

と書いていることや、

目の見えない人に、件の女性が描いたイラスト説明することを考えてみろよ。

・真横を向いてふりかえった構図

・赤いベレー風の帽子に特徴的な大きな黄色の丸い飾り

スマホの画面をこちらに見せるポーズ

について言及しないことある

と書いていることはかなり「荒い」議論であることがわかってもらえるのではないだろうか。

もちろん、構図や身に付けているものポーズ等の選択表現と言える部分もあるが、「表現」となった部分には独占的な権利がこの作者に与えられるのだと考えれば、この程度の特定の仕方では「アイディア」に近いものと断ぜざるを得ないことはわかるだろう。元の絵の構図やポーズが、この作者にしか生み出せない創作表現で、この作者のみが独占的に描くことができるものだとしていいのか、と考えれば、「いやいや、そういう抽象的な構図、ポーズはありふれたもので、独占的に他を排除できるほどオリジナリティがあるものではないだろう」と思う人が多いのではないかポーズ選択についても、せめてもう少し具体的な言及必要である(「半身(横向き?)に構えて首を曲げて顔を正面に向けた状態で、奥側にある右手を顔の付近に持ってきてそこに画面を正面に向けたスマートフォンを持たせたポーズを、胸元から頭頂までをグラデーションの背景のみで画面中心に収める構図で描いていること」とか、絵の心得がないので適当だが。)。あえて言えば帽子は特徴的だが、全体として見れば帽子比重は強くなく、塗りの特徴やくっきりとした主線等の「絵柄」、表情や体形、手に持った筆や鉛筆等の小道具選択スマートフォン画面の表示内容、服装選択等といったあたりも、元の絵の「表現上の」本質的特徴に含まれると考える方が私としてはしっくりとくるところである。無論この辺りの具体的線引きは最終的には正解のないところであろうが、元増田のとらえ方は不正解と言ってもおかしくない程度に極端な議論であるとは言えるものと思われる。「本質的特徴」や「創作表現」というテクニカルタームはその文字面に反して非常に解釈が難しく、安易素人判断を信用するのはやめた方が良いだろう(それは私のこの投稿も同じようなものだが。)。

なお、依拠性がある以上類似性で争うのは無理があるだろうとか、AI翻案したんだから翻案侵害は確実だろうというような反応がブコメに見られるが、コーヒーを飲む男性写真トレースした事案で侵害否定されている地裁事例からすれば単純化し過ぎた判断だろう

さて、突っ込みは以上だが、ついでにもう少し著作権保護範囲について考えたい。完全に私見だが、著作権侵害事件における本質的特徴とは、「その人にしかできないその表現の魅力はどこにあるのか」というところから考えれば少しわかりやすくなるのではないか著作権法運用するにあたって、何を保護し、何を保護してはならないのかと考えると、それを作った人が生み出した、その人らしさの表現こそが保護されるべき、でいいじゃないのというイメージである。恐らく、現実に絵を描くときには、構図や服装を考えることも大変で、そのためにいわゆるトレパクが嫌われるのだろうが、構図や服装だけでその人らしさが出るレベルとなると相当特異だと考えられ、それを保護してしまえば逆側の弊害(委縮)が大きすぎるのではないかと考えるし、その人らしさの部分が保護されれば、いくらトレパク等の邪魔が出ようとその人が創作をする価値は失われないはずなのではないだろうか。無論、この辺りの創作側の主観的「大変さ」と法的保護乖離の部分はまた難しいところではあるが、意図的特定作家からのトレパクやそれのみを材料にしたAI学習、出力が続けば場合によっては不法行為等を構成することはあるだろうし、ばれた時の社会的制裁は大きなものになるだろうというあたりでバランスをとるしかないのではないかと今のところは考える次第である

2023-08-17

anond:20230815151811

「少人数の女性ミニティは堅固で排他的になりやすい」を「つまり男性のコミニティ排他的じゃないってことですか!?」って解釈するのは流石に病気が過ぎて釣りしか見えん

2023-08-16

anond:20230816150004 anond:20230816164357

ワイもこれみて事務なんて誰でも出来る仕事するべきじゃないの思いを強くしたわ

スキルな人ほど排他的

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