はてなキーワード: ステイタスとは
37歳 男、都内在住。
年収は700万円位。この前のボーナスは額面で約90万円出た。
所属している会社は、部署ごとに激しく赤字と黒字を出しているので
会社全体はトントンorチョット黒で今年度は着地しそうと部長。
「会社はまだ大丈夫。うち(の部署)はド赤で(今年度の売上)締めたいから、できれば来期に納品できるように調整して」
と、部長からありがたいお言葉を頂いたので、テレワークをしながらのんびり来期に向けた仕事をしている。
皆少し寂しいのか「ゲンキ~?」と学生時代かのような挨拶をし、会議が始まる5分前に入ってきて雑談する。
そこで近況や最近お取り寄せで美味しかっただの、子供に対する愚痴などを話しながら、全員揃ったタイミングで会議スタート。
終わりは「じゃあ他に何かある人いる?いないみたいだから終わりにします。お疲れさまでした。」 「「「お疲れ様です」」」
スッパリ終わる。
会議終了即資料送付&議事録作成・報告&チームmtgができて無駄がない。
残業が激減した。
同じくテレワークをしている妻と18時頃に「今日は何たべよっか~」と話し、スーパーに買い物に行く。
近くにスーパーが3件、酒屋さんもあるので、ワイン選びで困ることがない。
夫婦でお酒が好きなので、今まで買わなかった3000円オーバーのワインを選ぶことも多くなった。
お刺身に合うかと白ワインを買って、「この前買ったやつの方がお刺身には合ったね」
「これだったら牛のタタキの方があうかもね」と感想を言い合う。
生活が変わった。
仕事終わりでまっすぐ家に帰ってきたことはほぼ無かった。24時は超えていた。
僕と同じくらい稼いでいるので、平日外食が週2回はあった。
外食すると二人で1万円。
二人そろって休日が取れればお出かけ。
それぞれ2千、2千、1万。。。
エンゲル係数が高かった。
だが家でゆったり食べるのも悪くない。
仕事がなくなったり、大変な方を拝見するに、その心慮りたい。
ただただ環境が変わった。
自分にできることは、外食せず、サウナに行かず、休日も家にいよう。
両親・義両親にも合わず、連絡を取り合う。
それくらいだ。
最初は退屈していたが、そのうち慣れた。
わかってはいたが、外食・夏休み旅行がいかに大きな支出だったか。
東京のど真ん中で力一杯働いて、力一杯に楽しむことが最上だった。
消費をステイタスと思っていた部分もあるだろう。
だが意外と日常をゆったりと過ごせるということが分かった。
あう辞めるって言ってる人たちって、そもそもどうしてあうと契約したんだろ?
あうだけじゃなく、ドコモあうソフバンユーザーの人ってどうしてその三社にいるの?
何がよくてその三社で契約しようと思ったの?
その三社がかっこいいと思ったからでしょ?
CM見てすごいなーとか思ったり
そういう「僕は大手キャリアと契約してるんだぞ」って言えるステイタスを感じるために三社を選んだんでしょ?
それなのに今の君の姿はどう?
※が多いとか価格が高いとかそんなことゆってる君の姿を若いころの自分に見せられるの?
アハモに行くもん!AUやめるもん!ってゆってる人たちには三社のお客になるんだと財布を握りしめてキャリアショップの自動ドアを開けた時の自分を思い出して目を覚ましてほしいですね
趣味は赤字であるべきというひとって、オールドタイプなんだよな。
それ古い。
今の時代、趣味が高じて金儲けにつながるケースは枚挙にいとまがない。
youtuber、同人作家、イラスト描き、なろう作家、日曜漫画家、動画作成、ゲームクリエイター、趣味が高じて金儲けをやることが何らおかしくない時代に突入している。
二次創作だってそうである。趣味はカネを使うことが当然、赤字であるべきという考えは「道楽」であり、今の時代、そんな巨額の道楽をできる趣味人がどれだけいるんだろうか?
そんな、「年間100万円カメラに使いました」とか、そういう趣味ができる人間はなかなかいない。
だから、赤字を少しでも圧縮する方向に進んだし、時代は「金もうけできる趣味」が増えている。
今の時代、You Tubeを見れば、趣味でカネを稼いでいる人なんて沢山いる。
写真にしても、写真加工のスキルを利用して副業に生かしている人も沢山いるのだ。
旅行を記事にして、広告収入を集めてる人間はそれこそ大勢いる。
元増田の、趣味は赤字がデフォルト。赤字こそ自然で、黒字を出そうとするのは趣味ではないという認識は、30年前のバブル期のものだ。
しかし、10年前にしても、ゲーム趣味の人間が、そのゲームをブログの感想をかいて広告収入を得ていることだって珍しくはなかった。
現在、趣味は「赤字垂れ流しこそ格好いい」という時代ではない。
むしろ「赤字をいくら圧縮したか?」とか「趣味が金儲けできるまで高じた」ということがステイタスになる時代ですらある。
それは趣味ではなく仕事だというが、この二つを切り分けて語ろうとすること自体がもうすでに時代に適合していない。
だって、もうその二つは切り分けられないほどに領域が曖昧であり、趣味で金儲けすることが可能な時代に突入しているからだ。
こういうふうに趣味は赤字なのが当然というほど、沢山の給料をもらってる人もいないから、赤字垂れ流しで趣味を続けること自体がもう難しいのだ。
むしろ、趣味の収支を安定させて金を儲けること、きちんと趣味を継続させることこそが現代的な趣味の形だとも言える。
中央区と千代田区と港区に住んでる同僚や友達、知人とか20組くらい思い返してみたけど誰も車持ってない。借りる。
多分世帯年収は4000万〜1500万くらい。代わりに別荘とか持ってて借りた車で行く。車に価値を求めるのはだいぶ田舎っぽい気がする。
もちろん子供がいる人が8割方でランドセル買うか買わないか位の年齢だけど不要。思い出の車は借りものでいいんだよ。普段は駅まで歩いているんだし。
世帯年収高いと車保有率が高いみたいなのあったけど、世帯年収高いのって大体バブルより上の世代でしょ。
大体じーさまばーさまの世代は車があるのがステイタスだったりするし、海外に移動とかあんまり考えなくてもいい世代だから欲しいんじゃないの。
アラサーに足を踏み入れようとしていた数年前のこと、元友達であるマウンティング女を含めた小学校時代の同級生たちとよく遊んでいた。
当時の元友達は、仕事は契約社員でそこそこに頑張るに留めて実家で何不自由なく暮らし、プライベートでは旅行に行きまくり彼氏とも同棲目前の関係で、公私ともに順調そのものだった。
こちらとしては特にやっかむ気持ちもなく自然に接していたのだが、会話の中でどうも引っかかるようなことを言われることが次第に増えていった。
彼女はいつも私と二人きりになると、一緒に集まっていたプライベートが上手くいっていない同級生たちのことをこき下ろすような口ぶりになった。
例えば、婚活を頑張っているが結果が振るわない子や彼氏と不仲に陥っている子を指して、「あの子たちと私ではステージが違うからねw」と言ったり。
きっと当時の元友達は、彼氏から結婚を視野に入れた同棲話を持ちかけられていたことが余程嬉しかったのだと思う。
ちなみに彼女が小馬鹿にするようなニュアンスでそう話していた聞き手である当時の私には彼氏さえいなかった(笑)
私が猫を飼えば「またしばらくは彼氏できないねw」と笑い、ちょっとした身だしなみの抜けを目ざとく見つけると「そんなんじゃ彼氏できた時困るよ~」などなど、今思えば私自身ずいぶん彼女にマウント張られてたんだなあと思うようなことを言われてきた。
他にも実家の貧富の差や、学歴、容姿、スタイル、友達の数等々いろんなことでチクチク言われた。
他人にマウントを取るだけならまだしも、元友達は自己肯定感が異様に強く、いつも自信満々で且つ他人の批判を絶対に受け入れない女だった。
職場にTPOを考えない派手な格好で行って指摘されれば「きれいな子が華やかな恰好しているのが気に食わないんだと思う」と言ったり、カフェで大声で喋っていて注意されると「若い子の声は響くからねってお母さんも言ってた」と言ったり、自分の話ばかりで人の話を聞かないことを女友達に面と向かって指摘されると「あの子は私が男の子と遊んで楽しそうにしてるのが気に食わないんだと思う」などと、何の臆面もなく言うのだ。
あまりにもサラッと言われたので当時は聞き流していたが、今書いていて改めてすげーなと思う。
とにかく何でも「自分に対する批判=自分への嫉妬」と捉える女だった。
さらには、元友達の行動の動機のほとんどは損得勘定によるものだった。
友達が多いことがステイタスなので無節操に交友関係を広げるが、いざ結婚式等の冠婚葬祭に招かれると掌を返して厳しい取捨選択をする。
なんでも「私は友達が多いから自分の式の時に呼んでもいいと思える子の式にしか参列しない」らしい。
とかくお祝事に関してはシビアで、自分に戻ってくるアテが無い限り友人たちに何かしてあげるのは嫌なのだそうだ(アラサーのくせいに誕生日プレゼントを500円以内で済ませようとしたこともあったな)。
近しい友人たちのうち、彼女に結婚式の出席を断られた子が私の知る限りで3人いるが、そのいずれにもご祝儀だけでも渡すかお祝いのプレゼントだけでもするといったようなアフターフォローさえしないばかりか、出欠の返事をすっぽかす非礼ぶりだった。
特にここ1~2年の彼女のこうした行動は、もう自棄になっているんじゃないかと思うくらいひどかった。
そうして、当然私に彼氏ができた時も結婚する時も大した感慨もなさそうな反応だった。
ちょうど別の子の妊娠報告と重なったので、ひとまとめにして「おめでとー!」の一言のみで済ませ、その後集まってお祝いしようという話の流れには「私は最近海外旅行から戻ったばかりで金欠だからパス!」とのこと(笑)
散々周囲の共通の友人たちに対する失礼な態度を見せつけられてきたので別に傷つかなかったけど、もし彼女がこの先もこういうスタンスを改める気がないのなら、きっと苦労することになるだろうなとふと思った。
そもそも、自信満々のわりに顔はいとうあさこの若い頃を小奇麗にした感じなので特段美人ではないし、スタイルも抜群じゃないし、料理もできないし、仕事も非正規雇用だし、第一性格が悪い。
だからこそそれなりにちやほやされる時代にさっさと結婚すれば良かったのに、同棲までした彼氏には散々わがまま言って振り回した挙句、たった数か月で浮気されてフラれて実家に出戻ってきてしまった。
その後できた彼氏もイケメンで女の扱いは上手いが婚歴がない(結婚願望はある)アラフォー経営者という怪しい男で、遠距離恋愛をしていたがなかなか連絡が取れなかったり向こうのタイミングで急に会いに来たり旅費自腹で会いに行かされたりなどしていて、結局数か月間都合の良い女扱いをされただけでフラれていた。
このあたりでもうヤバいことに気づけば良いものの、彼女はまだまだ自分はイケてると思っているようで、今もインスタにバンバン遊び呆けている写真をアップする日々を送っているようだ(最近では飼い犬とキメ顔で映っているステイホーム写真にすり替わったらしい)。
とはいえ今年30歳。
周りの友達はどんどん結婚したりキャリアを積んだり、そうでなくても年相応に充実して地に足着けた生活を送っている子がほとんどなのにもかかわらず、彼女の過ごし方は大学生や新卒そこそこの若い頃と何一つ変わらない。
実家で家族とぬくぬく暮らし、家事もせず、仕事もお小遣い稼ぎ程度だろう。
今年の正月に夫と一緒に帰省した時に、地元で元友達とその家族が一緒に歩いているところに出くわした。
その時の彼女のひきつった笑顔と、さっさと立ち去りたそうにしていた様子は忘れない。
傷つきはしないが、彼女を特別敵視したつもりも嫌われるようなことをした記憶もない自分が何故こんな態度を取られるのかよくわからなかった。
彼女にとっては、いつからか私との友情は私を下に見ることができる状況でのみ成立するものになっていたのだろうか。
結婚報告した時の元友達の態度で「もうここで関係は終わりだな(向こうもそうしたいと思ってるんだな)」と思っていたので、その場は適当に挨拶だけして別れた。その後、一切連絡も取っていない。
彼女のような成長のない人間は、今後どんなふうに歳を取っていくんだろう。
自分の生き生きした若さに多大なる自信があって、それだけを頼りに生きてきた人は、この先の人生をどうシフトしていくんだろう。
特定の相手と深い関係を結ぶのも難しい質だろうし、許される限りずっと実家で子供の頃と同じように過ごすんだろうか。
余計なお世話だとも思うけど、正月に地元ですれ違った時、バリバリにオシャレしてお父さんお母さんと歩いている元友達を見て「この子の時間は止まってるんだな」と思ったのだ。
あくまで今までの彼女の生き方の総括を見た結果の感想であって、別に30過ぎて実家の両親と過ごすことが悪いと思ってるわけではない。
ただ、私は夫と一緒に帰省して、実家の両親に挨拶して義両親の家にも行って色々と気苦労も多かったけど、目先の楽しいことばかり消費して何も成長せず時間が止まっている彼女よりはずっと良いと思った。
知り合いが顔出しアイコンでやってるTwitterで甘酸っぱい恋愛Tweetをしていた。
元金持ちマダムでいまも悠々自適でバツイチで十代の子供がいる。
タイムラインは高価な買い物や旅行の話が一割、あとは恋愛アカウントの名言やら引き寄せやらソウルメイトやらで埋まっている。
惚れるのは仕方がない。いくつになっても恋愛はままならない。
でもいかにも脈がなさそうな十も二十も歳が離れた年下から惚れられていると言い張るいい年をした大人を見るといたたまれない気持ちになる。
あれ、なんでなん?
「どう考えても無理目な恋愛やのに本気になってもうた…」と頭抱えるのが筋じゃないん??
彼女の解釈によると相手は未熟さとか内気さとか何らかの養育的背景により、自分の本心に素直になれないらしい。
それでもう一年以上LINEの返信がないし、電話は留守電だし、会うのももちろん無理。
それで数日おばはんは浮かれていた。フォロワーからも祝福のリプライが届いていた。
跡が残るところを覗きに来るとは熱い想いを抑えきれない証拠という解釈である。
一年無視してきた相手のSNSをのぞくって怖いもの見たさ以外思い浮かばないんだが、このポジティブさはどこから???
こういうアラフィフおばはんをこれまで何人か見てきたんだが、見かけるととてもいたたまれない気分になる。
言い張っているのがおっさんのときは「アホか!キモいわ」と呆れ、軽蔑するがそれ以上悩むことはない。
おっさんは図々しく行動化して相手に接触しようとするから目につきやすく、批判も浴びやすい。
しかしおばはんの場合は相手からの誘いを待つので、はっきり断られたり周囲から批判されたり、現実をつきつけられたりすることが少ないようだ。
「素直になれない彼」「本心を隠す彼」を待っている系おばはんのステイタスは様々。
バツイチ子あり、既婚子なし、未婚といろいろいた。
しかしひとりも、ただのひとりも、外見的にイケてる女子はいなかった。
若いときにモテたとか、同世代から引く手あまたとかもなさそう。
それなのになぜか一回り前後年下の男から惚れられていると思いこむってどういうこと??
内心がどうあれ現実は片思いなわけだから惚れられない自分を顧みれば謙虚になっていいはずなんだが
「なぜはっきり告白したり交際を迫ったりしてこないのか」と自分の受け身な態度は棚に上げて相手の優柔不断さ(!)にイラついていることが多い。
「彼の本心をはっきりさせるには?」って避けられていて相手に彼女がいる時点ではっきりしとるやろ!
しかし自分の悩みはこういう思春期回帰型の女性が存在することではなく、こういう女性を見るとものすごくいたたまれない気分になることだ。
思春期回帰型おっさんも数多く目にしてきたが「キモい。以上、終わり」である。
恋されたい。
付き合いたくないけど恋されたい。
どうしようもない欲。
この欲、仮に叶えたところでその先がない。
その先の「付き合う」というプロセスは怖すぎて恥ずかしすぎて無理だし、逃げたくなるんだ。
恋されるところまでは気分よくなれる娯楽だけど、
その先、自分が真剣に相手と関わっていくとなると、できなくて、
お高く止まっているうちに相手も離れていくんだなぁ。
というかそんなに良いものでも多分ないし、すべきことでもないんだわ。
私が綺麗売りして幻想持たれて好かれるところまでやりたいのと、
正直な自分の姿を晒して人とリアルに付き合っていくということは多分別のことなんだ。
でもそうやって何を得られるというのか?
ただ悶々と私のこと好きでいて欲しいし、
私はそうなったことを実感するだけして逃げたい。
そうなったら多分私の執着も消えるんだろうな。
急にその人に興味がなくなる。
そしたらもう会わなくてもいいし、その人が別の誰かと付き合おうがもはやどうでもいい。
なんて無駄な執着なんだろう。
ちやほやされたいし、ステイタスで勝ちたい。
あなたのためにこんなに苦労してるのよと唱えられて育てられた。そのせいか物心ついたときから、存在していること自体がなんだか申し訳なくて、生まれてきてすみませんねって風にずっと過ごしてた。無理して高いものを用意されたりすると、そんなことまでしてくれなくていいのにと思った。その苦労のせいで、こんなにしてあげてるのにお前は!と普段の生活のなかで苛つかれるのが凄く嫌だった。
ところが、大人になってこれまでの全ては親の見栄だったのかもしれないと気づいた。大学の友人達は親と健全な関係を築いていたからだ(少なくとも僕の両親や親戚のそれとは全く異なっていた)。これまで僕に選ばせる形できた道は、親の世間体とか親戚同士の見栄の張り合いとか、そういう事のためだったのかと妙に納得した。僕はそのために生まれてきたんだ。皮肉なことに、大学まで行かせてもらったからこそ気づけたのだけれど。
そんな風に大人になった僕は、親になることに魅力を感じない。むしろ早く役目を終えて眠りたいとさえ思う。バブル真っ只中だった親世代からすれば、自家用車を乗り回し、子供を大学に入れてそこそこの企業に就職させるのがステイタスだったんだろう。でも僕はそれをしたい(させたい)とは思わない。たぶん本当の意味で家族が欲しくなる頃には、もう年齢的に手遅れなんだろうと思っている。
これからも奴等はきっと、結婚はまだか孫はまだかと問うだろう。そして当然のように手厚い介護を要求するだろう。なぜならそれが奴等の価値基準だから。親戚や他所の家と比べて(金銭的な見栄えで)優位に立ちたいのだ。さもしい奴等め。
彼等にとって子供とは彼等の人生を彩るために存在している永遠のアクセサリーだ。でも、アクセサリーはなくても生きていけるだろう?少子化上等くそくらえだ。
初めに言っておくと、私はまあまあのメンヘラでメンタルが弱いのですぐ落ち込んですげー面倒くさくなる。
それでもってレズビアンなんだけど、カミングアウトはできてない。
家庭環境だけど、父はおらん。別居するだけだからと言われて母について行ったら知らんうちに離婚していたらしく今は音信不通。母子家庭。
俗に言う"おこげ"ではない。
会社にゲイをカミングアウトした人がいれば「ゲイの後輩がクッキーくれたよ!」
みたいに、セクシャリティが全然関係ない話なのにその人がゲイであることを話に必ず乗せてくるのね。
思い返せば、母親はQUEENが大好きなので小さい頃からリビングのBGMは大体QUEENだったんだけど、フレディ・マーキュリーの話題はフレディがどれだけすごいかよりも「フレディはゲイでエイズで死んだんだよ」って話が一番多かったから、すごく申し訳ないことに未だにフレディの素晴らしさを感じる前に「フレディはゲイでエイズで死んだんだよな」って一番先に思い浮かんでしまう。もう一種の刷り込み。なんかボヘミアンラプソディ上映したから母未だに言うし。
で、私の話になるんだけど私は自由を求めてミックスバーに入った(二日で辞めた)。
そうしたらそこは自由の場どころか、オカマがオナベがホモが女装のオッサンが自虐して気持ち悪がられたりおこげのステイタスにされたり辛口人生相談に乗ったり下ネタ言ったりするタイプのところだった。
やっぱそゆ場所だとMtFってモテるんだよね。オカマとしてね。
だから姐さん率先して話してた。ホスト崩れのブス男をオカマジョークで笑わせてモエロゼ開けさせた。
すっげぇなって思った。
姐さんはオカマバーのエンターテイナーとして長年にわたり水商売してきた人だから、もう本当にカッコよくて尊敬できたし、私はそういう「オカマバーのキャスト」が本当にすごいと思ってる。トーク力もジョークも抜群にできて人生相談もできて、ショーで歌って踊れる人もいるわけじゃん。
でも、姐さんに「オカマは最初から馬鹿にされてんのよ(だからやりやすいのよ)」って言われたときになんか私はここにいられないって思った。悲しくなってしまった。
何が悲しいって、オカマバーのオカマは最初から馬鹿にされてるっていうことが。当人がそう思ってるってことも。
私はエンターテイナーになれん、レズビアンだからって馬鹿にする奴はうまく引っ張ってモエロゼ入れさせる前に片っ端からぶん殴りたいと思ってしまうと思ってミックスバーを逃げた。一言ことわりを入れたけど、まあ、実質飛んだ。
そんなことがあったから、なんとなく母親に「同じお店に性転換手術も終えて戸籍も女で喋らなければ誰しもが女だと思うようなニューハーフのお姉さんがいるんだけどオカマはハナっから馬鹿にされてるから楽って言われてなんか悲しくなっちゃったんだよね」って言った。(ミックスバーで働いてるとは言ってない)
って言った。
「その人べつに辛くないと思う。割り切って笑わせて馬鹿にする奴の金ふんだくってやるって頭いいじゃん」
って言うから、
おお、そういう考え方もあったかーワシが浅はかだったーって思ったのね。反省したのね自分を。悲しいとか可哀想とか、自分がやられたら死ぬほど辛いからその感情が姐さんにもきっとあるハズとか決めつけちゃったのがもう恥ずかしいと。
でもなんか母親が姐さんを気に入ってカッコいいカッコいいって褒めちぎるから、凄いよねープロってこういうことなんだねーみたいな同調してたら
「オカマとかゲイの人って後がないから、『今稼いどこ!』みたいなサッパリ割り切った思考がカッコいいよね!だから好きなのよ〜」
って言い出した。
え?
ん?
てことは私も後先ないってこと?
だってまあ自分が悲しくなるからあんま言いたくないけど、男×男カップルで住むとするやん。二人ともそれなりに稼ぎのあるサラリーマンだとするやん。そしたら割といい家に住んでいい生活して過ごせると思うの。お金が一番稼げるのってゲイカップルだと思うのね。ゲイじゃないから違ったらごめんなんだけど。
で、どのへんに「後がない」のかを考えたところ、やっぱ子供が生めないところなんだろうなと。
母親は言いたいわけだ。多分だけど
じゃあレズビアンである私も後がないっすね!ハァッ!ジャンジャン稼がないと!!
私の心が虚無になった。
私は母親のことが大好きで大好きで、本当に私より先に死んでほしくない。
何より私の唯一の親。
なんか、一番信頼してた近しい人に見放された気がした。
それからずっと、生きる意味をなくした感じがしてしまっている。
虚無だ。これを虚無って言うんだ…
いっそ毒親で私がものすごく離れたかったら言われた瞬間「ワス遠いところに引っ越すネ」って言えたかもしれない。
でも無理だもん。
大好きなお母さんなんだもん。
大好きなお母さんに否定されたんだ。
車を走らせているとよく見かける。
だからどうした というのが多くの人間の感じるところだと思う。
購入されて使用されるはずもない。
職場でこの件について話してみると「赤ちゃんが乗っているから安全運転をします」
「赤ちゃんが乗っているから煽ったりしないでください」(意味不明)ではないか
車を走らせる以上、安全運転を心がけるのは「当たり前」の話だし、
煽るのだって非常識なことなのだからそこまで過剰に拒絶する必要もない。
BABY IN CARが意味するのは、そういうことではないのだ。と思う。
①「私は既婚者です」
③「私(世帯主の場合)には扶養する家族が居り、養える財力もあります。車もその証拠です」
④「私(メスの場合)は独身者ではないので、ナンパしないでください」
⑤「私(オスの場合)はとにかく童貞ではないので、バカにしないでください」
主立ってこれらの効力を発揮するアイテムとしてBABY IN CAR は存在している。
少子高齢化社会と呼ばれる中、確実に既婚者であることは社会的ステイタスとなっている。
BABY IN CAR を使用することによって、既婚者と独身の差異が今まで以上に際立ってくるのだ。
しかし、恐ろしいことではあるが、不安を解消する方法を見つけた。
むしろ「はあ? 何いってんの?」ってぐらいに鼻で笑われる。
そもそも「オタク文化」という概念すら怪しい。そこにある面白いものでみんなやってる、ってぐらいのノリ。
おそらく「オタクは日陰者、キモい」というのの残り香なんだろう。
むしろネットの面倒くさい政治論壇のほうがオタクをバッシングしてる気配が強く残ってて、若い人間。リアルタイムの学生にはそういう匂いがまったくない。
インターネット老人会ぐらいしか、今の日本でオタクは差別主義者になるんだとか言ってるやつ居ない。
30~50代ぐらいのサブカルブームオウム真理教事件あたりの記憶が残ってる人たち、エヴァ直撃世代ぐらい。
塾の夏期講習に来たおしゃれ女子が「先生コミケって面白いですかー。FGOの本買ってきたら見せてください」とか、そんなノリ。
金髪校則違反をステイタスにしてる少年が、ラブライブサンシャインの国木田花丸Tシャツ着てLVに参加し、「現地行くんでバイトしたい」
とか言う時代になってた。
どんな思想や趣味の集団(グループ)でも、その「思想や趣味」が社会的に一定のステイタスが
築かれた後で、「後から加入して来たフォロワー」には確率的に「まじめクズ」が、まぎれ込みやすい。
「とりあえずどこでもいいから大企業に入りたい」と同じ心性。目的を持たない軽度のサイコパス。
「まじめクズ」は、普段はおとなしい「孤独相」のバッタが特定環境下で突如「群生相」に相変異して
周囲を食べ尽くす『蝗害(こうがい)』のように、匿名環境と特定の炎上案件が交差すると【まじめクズ憲兵隊】と化す。
【まじめクズ憲兵隊】の隊員は、信仰心・忠誠心の深さを自身や周囲の他人に証明するために
過激でイキった「信者行動」をとりやすい。「所属集団の中で存在感を高める」出世=承認欲求だけが生きがいだから。
俗諺(ぞくげん)に『3代目が会社を潰す』という言葉があるが、あれと同じ効果を