はてなキーワード: ステイタスとは
発達障害の人に「発達障害の人とどう関わったらいいですか?」と聞くと「関わらないこと」と返される。これは残念な気持ちにはなるがよく聞く話である。
しかし実際には、互いに全く関わらないということは不可能である。お互い生きていかねばならない以上、勉強をし仕事をする。その中で関わりを全く断つことは互いに不可能である。
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さて、世の中では「意図していなかったとしても、誤解を生む発言をした時点で罪である。」という言説がある。事実弁明として「そういう意図ではなかった」はもはや禁句とされている。意図していなかったことが真か偽かはほぼ焦点にならない。そういう表現をした時点で罪になる。
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発達障害の人(もちろんグラデーションのあるものだが)が自身に「関わるな」という1つの理由として、「意図せず怒らせてしまう」というものがある。いわゆる"無神経な言動"をして相手を怒らせてしまう、嫌われてしまうということである。それは言葉足らずだったり事実をあまりにも突きつけてしまったりすることで起きてしまう。これは本人も非常に悩んでいる部分である。相手が怒ったのは分かるしとても印象に残るが、なぜそうなったか理解できない。なので彼ら彼女らは膨大なケーススタディを要求されている。やむを得ず"共存"するために。
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自分が障害を持っていることを必ずカミングアウトさせることは、モラルに反していると思う。カミングアウトするかどうかは本人の意志であり、現実として存在する「差別」への対抗策としてその秘匿権はあって然るべきだ。ところで世の中は「誤解を産む発言自体がNG」である。さて、ここからが議題なのだが…
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「誤解を産む発言自体がNG」とは、多様性を受け入れようという世の中で正しいことだろうか?相手が発達障害である場合はしょうがないと受け入れる?それをどう判別する?判別不能な状況のなかで、しかしあなたが傷ついた事実は残る。そうしてその人とは距離を置く。彼ら彼女らは孤立する。「全く関わらない」ことは不可能なので、「集団の中で孤立する」という最もつらい状況が引き起こされる。集団の中で孤立しないために、最初から孤立するために「関わるな」と言うのだろう。というのは私の推測だが。
意図していない「誤解を産む発言」だったとしてそれを許容する世の中であれば、そういったことは多少は良くなるのではないか?相手がどのようなステイタス(障害の有無やグラデーションの程度)を持っているか知るすべのないこの世の中で、「もしかして君は発達障害?」なんて言葉を浴びせる前に、「誤解を産む発言自体がNG」という余りにも大きな「予防切除」を見直したほうが良いのではないだろうか。
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きれいに文章がかけない。文書がかける奴らに有利な世の中だ。私の考えはあなた方に届かない。悲しい思いだけを抱え、今日も現実では口をつぐみ、口角を上げる。
剥き出しの名詞としてではなく、学名や標準和名でもなく、あるいはペットなど特定の個体を指し示すわけでもない、「その動物」を指す親しみを込めた呼び方を表にしてみた。基準は自分が使うかどうか、もしくは聞いたことがあるかどうか。たとえば道端や動物園や水族館でその動物を見たときに子供に向かって「○○がいるよ」と言いたいときになんと呼ぶか的な。
- | 種族名+様 | お+種族名+さん | 種族名+さん | 種族名+ちゃん | 擬音語+ちゃん | 寸評 |
犬 | お犬様 | × | × | × | ワンちゃん | 「お犬様」は江戸時代の徳川綱吉に絡めた揶揄表現以外ではほぼ使われないので、実質的に鳴き声の擬音語に基づく「ワンちゃん」のみ。めちゃめちゃ親しまれてる。 |
猫 | お猫様 | × | 猫さん | 猫ちゃん | × | 「お猫様」はネコを飼わせていただいている人がそこそこ使ってる印象。人口に膾炙してるのは「お」を抜いた形だけど、種族名で呼ばれてるので犬より敬意を表されてる感。 |
馬 | × | お馬さん | × | × | × | やっぱりお侍さんの乗る動物だから社会的ステイタスが高いのかな? |
牛 | × | × | 牛さん | × | × | 馬と比べて農民に近い動物だから「お」が付かないんだろうか? |
豚 | × | × | 豚さん | × | × | ある種の人間に対して呼びかける際の使い方については関知しない。女王様とお呼び! |
猿 | × | お猿さん | × | × | × | やっぱ賢い動物には「お」を付けたくなるんだろうか。 |
狐 | × | × | 狐さん | × | × | 民間伝承では賢いってことになってなかったっけ? |
狸 | × | × | 狸さん | × | × | むじなについてはカウントしないものとする。 |
鳥 | × | × | 鳥さん | × | × | なんかよそよそしくない? |
魚 | × | お魚さん | × | × | × | 冷静に考えたらなんでこんなに敬意を表されてるんだろう……一番身近な食い物のはずだよね? |
人間 | 人間様 | × | × | × | × | 人間さんチームは爆弾を背負って敵チームの戦車の下に潜り込んでください。特殊カーボンがあるので相手戦車の乗員が傷つくことはありません。 |
「お+種族名+さん」と「種族名+さん」が綺麗に相補分布してるように見えるからなんか音韻法則とかでそうなってたりするんだろうか。
何とも不思議なことである。小山田圭吾ファンたちは彼ら自身、長年に渡って「小山田圭吾がイジメをしたことは事実」と認めた上で「過去にイジメをしていようが、それがどうした。そんなことは気にしない。これからも変わらず、自分たちは小山田圭吾のファンを続ける」と言っていたはずである。
小山田圭吾がイジメの加害者であったことは、小山田やファンにとって恥ずべき過去ではなく、むしろイケてることの証し、ステイタスであるかのように本人もファンも振る舞っていたはずである。
それが、東京五輪をきっかけに幅広い批判を受けるようになった途端「記事の原文を読むと印象が変わる。小山田圭吾はイジメをしていなかった」と言い始めたのである。
フリーター女子18歳さんが、昼勤のパートさんから映画鬼滅の刃のDVDを借りて観たそうで、
「普通漫画ってあんな風にキャラが死んだりしないと思ってたからびっくりしました!」
と言っていた。そうなのか。私はHUNTER×HUNTERとDEATH NOTEを通過した古のオタクであるので、重要人物がポックリ死んじゃうのもよくある話だよねーと思ったけど、今時はそうなのか。
と、思ったが、更に少し会話を続けたところ、実はフリーター女子18歳さんは「漫画が読めない」ということが発覚した。漫画が読めない人……たまにいるけど、当人の属性によっては漫画を読めないことがむしろステイタスのようになっていて、いつまでも漫画を読むスキルを獲得しないでいるものだが、しかしほんの一歩、外の世界に踏み出してみると「漫画すら読めない馬鹿wwwwww」と嘲笑されるため、複雑な拗らせ方をしている場合がある。
「漫画が読めない、なるほど。コマ割りがね。どこから読んでいいのか分からないっていうね」
「そう、そうなんです! 学校が漫画読むの禁止だったから、漫画読んだことなくて。そしたら読み方わからなくなっちゃったんです」
「真面目か!」
いや、大抵の学校は漫画読むの禁止って言うけど、でも家庭までそんなルール律儀に守ってる奴いないって。という話じゃなくて、学校のルールを持ち出してまで、漫画を読む能力の欠如を彼女は正当化したいのであり、正当化したいと思うほどにこれまで小馬鹿にされて来つつ、それでいいと肯定してくれる仲間もたぶんいるのである。
なお、彼女のお姉さんは漫画を読める人らしく、鬼滅の単行本を全巻揃えたそうなのだが、妹に貸して読ませることをせず、一通り最後まで読んで売っ払ってしまったらしい。姉ちゃんケチだな。私の妹と同じタイプ。
私の実家ではきょうだいでそれぞれ同じ漫画を買ってはいけないというルールがあった。単に、ダブるからである。それぞれ別の漫画を買い、きょうだいで貸し借りし合えば、自分のお小遣い以上に多くの漫画が読めてお得だろ? という、「親の理論」な訳だが、そんなことが子供に通じる訳もなく、ジャイアンタイプのきょうだいから漫画を借りて読むことは出来ず、しかも自分の漫画は勝手にもって行かれるし、「この漫画は自分が買うからお前は買うな」と牽制される。
これは我が家だけでなく、友達の家庭でも同じようなルールがあり、きょうだい間競争に負けた子供が漫画から脱落するということが起きていたので、珍しいかもしれないけど希にあるのかもしれない。
そういうわけで、漫画読みの姉を持ったが故に漫画の読み方も知らない妹が生成された、というのがフリーター女子18歳さん家の家庭の事情なのかもしれない。
漫画の読み方が分からないのは嫌だが漫画は読んでみたい、だが漫画の読み方を覚えるのは嫌だというフリーター女子18歳さんにどうしたらいいですか? と聞かれたので、スマホで読める縦長の漫画読めと答えた。
私はオッカム先生と逆の立場で、おそらくこの論調では上流階級(自分から言う物でもありませんが…)の人間です。
大学に入り、オッカム先生のような地方から上京した人とお会いしました。
今までわたしの周りにいなかった方で、現在も友人としてお付き合いがあります。友人は元々才能があったのだと思いますが試験の成績もよく、教授ともよく交流されていました。
現在は大学ではないのですが、とある組織のエリート集団と言われるほどに出世されています。大学は奨学金を使用しており、おそらくご実家は困窮していたと思いますが、現在はそれこそセレブと言われる人でしょう。
私はそもそも親類はほとんど東大か早慶、医学部しかいない環境で育ちました。その親類からは、優秀であって当然だというプレッシャーも強く、円形脱毛症にもなりながら、ほとんど血反吐を吐くように勉強してきたのです。
もちろん、夫を決めるときにも同じような学歴やステイタスが求められました。結局お見合い結婚ですが、現在は専業主婦としてそれなりに生活できているかと思います。
しかし、オッカム先生のように、自分のために勉学を追求できる環境であること、周りからの無駄なプレッシャーがないこと、また子供たちの進学先等に無駄に口を挟まれることがなく仕事に集中できる環境にいられた友人については当初そんな人もいるものか!も驚愕しましたし、今もなお羨ましいと思います。
自分の希望どおりの分野をのびのびと勉強し、それを一生続けられる自由な環境から、オッカム先生のような博学な研究者が生まれたのでしょう。
人間に勝ち負けなんてないのです。勝てないなんておっしゃらないでください。
オッカム先生はもともと、北海道の裕福でない家庭で生まれ育った自分の境遇と、階級格差・地域格差への怨嗟をたびたびつぶやかれていました。たとえばこれとか。オッカム先生にとっては、その境遇から脱出するための唯一のキャリアパスが、大学の研究職になることだったということで、「うちには資産がなく告げる(sic)仕事もなく、もう大学組織に雇われるしかない。それで業績や大学の規模やステイタスに拘りました」とか、「私はガリガリ亡者のように(大学教員)職を求めていました」みたいな話はよく書かれてました。今回消されたツイートの中にも「大学に職を得られないなら死ぬつもりでした」というのがありました。地元dis・ご実家disについてはやや自虐芸が過ぎるようにも思ってましたが、それは個人的境遇についての説明とモチベーションにつながる話でもありますし、自分もこういう文化資本を含めた階級格差・地域格差がアカデミアでのキャリア形成に及ぼす影響(再生産)というのは、充分考察・検討に値する問題だと思っています。
そういった背景のうえでの、件の炎上について。オッカム先生は、国際会議の同時通訳をやれるほどの能力を持ちながら、研究もしていなければ常勤でもない既婚の女性達を見て、
北大助手時代に「東京は恐ろしい所だ」と思ったことが一度だけあります。国際会議のロジやっていた時、同時通訳を派遣してもらいました。最初は研究者なんだから通訳くらいできるだろうと思ってたのですが通訳は甘いものではなくまるでうまくいかなかったのです。まして同時通訳など訓練なしには無理。
アカデミアの国際会議でしたから専門用語だらけですが、事前に資料渡しておいたら、それはそれは見事な同時通訳がなされました。通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大やICUを卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです。
東大やICUや東外大(ICUや東外大は大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダーの問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした。
繰り返しますが、ジェンダーの問題は専門外なのでおいておきます。彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです。
あり得ないのです。あり得ない世界だったのです私には。研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴と語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない。一体どんな世界なんだと背筋が凍りました。
という感想を抱かれました。当時その体験から受けた階級格差・地域格差の衝撃、圧倒的な語学力を持ちながら自分が切望する大学研究職というキャリアパスには興味を持たずに暮らしている(暮らせる)方々が存在することの衝撃をそのまま言葉にした結果、一連のツイートには、当時のオッカム先生がお持ちだったジェンダー観も交錯した形になり、そこが批判の対象になりました。
この「格差の衝撃」が、最終的に「自分と彼女達の旦那との勝負」(同時通訳者達の配偶者男性のことは、それまで話題に一度も登場していないし、そもそも研究職かどうかもわかりません)になり、しかもその彼らに自分は「絶対に勝てない」と勝手に敗北感を抱いてしまう…というくだりについては、多くの方が「もしかしてオッカム先生は、『男性の価値は、配偶者の属性や能力や、その配偶者を専業主婦として養えるかどうかによって決まる』という価値観をお持ちなのではないか?」という風に読まれたようです(自分も、素直に読んだらこの文章の意味はそうなってしまうように感じます)。そこで「トロフィー・ワイフ」という言葉を出して批判する方々も出てきましたが、オッカム先生は、この言葉を使ってオッカム先生を批判する方々に対して「女性はモノじゃないでしょう」「私、思いつきもしませんでした」と非常に憤られています。
もうさ、「トロフィー・ワイフ」という言葉がふっと思いついた人が2桁いるんですよ、確認した範囲で。どんな人生送ってきたんだと思うし、女性はモノじゃないでしょう。私、思いつきもしませんでした。
そして、「思いつきもしなかった」理由として、
思いつきもしない理由を考えてみました。
あともう一つ、アメリカ研究では、人種とジェンダー研究が盛んです。だから、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞きます。だから「ジェンダーのことは置く」としたのは、自分のような政治史はジェンダー研究者から見たら子供レベルだからです。でも他分野の人よりは知ってます。
と言っています。オッカム先生は、ご自分が「自分が性別で他者を差別しない」方だと考えられています。なぜならアメリカン・スタディーズは半分以上女性の、実力の世界だし、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞いているからです。これに説得力を感じるかどうかは読者の皆さんによって異なると思いますが、自分はちょっと、皆さんから指摘されていることの肝心な部分が伝わっていないのかな、と思いました。
もうひとつ、同時通訳という仕事について。同時通訳というのは、通訳・翻訳界のひとつの頂点で、その中でも国際会議などの同時通訳案件を請けられるのは本当のトップクラスの人材です。同時通訳というのは、どこに専門性があるかが誤解されがちな仕事で、語学力があればできる仕事…たとえば「米国からの帰国子女で、英語・日本語どっちも十分な語学力があれば、同時通訳ができる」という風に思われる方も多いようですが、実はそうではないのです。
英語を話される方なら「英語脳と日本語脳を切り替える」みたいなイメージは割と湧きやすいと思いますが、同時通訳というのはいちいち脳を切り替えてはダメで、「2つの言語モードを、脳のなかで同時並行で走らせる」という特殊な訓練が必要です。これは2言語ネイティブであってもなくても、練習なしには極めて難しいことです。
自分は同時通訳なんてとてもできませんが、一時期フリーランスの書籍翻訳をしていました。翻訳業界では「米語ネイティブで日本語も達者な人なのに、英日翻訳をやってもらったら商用出版に耐えないクオリティだった」ということをよく耳にします。頭が英語のモードのまま日本語に翻訳をすると「単語を日本語に置き換えた英語」になりがちで、日本語ネイティブが読んだときに不自然だったり意味が通らなかったりすることが多いのです。だから頭を日本語のモードに変えて、自分は英語原文を知らないというつもりで読み直して、それでも意味が通るかどうかを検証しています。
同時通訳者というのは、これをリアルタイムでやる仕事です。頭をフル回転させて、耳から入力された言語Aの内容に意識を研ぎ澄ませつつ、語り手の立場、聴き手の立場、その場の文脈などを加味して、最も適切な言語Bでの表現を選び出して、言葉として淀みなく紡ぎ続けるわけです(個人的には、同時通訳者さんの脳内では将棋や囲碁などの知的ゲームのトッププロ並の情報処理が行われていると思っています。「アスリートに近い」という人もいます)。想像していただければわかると思いますが、同時通訳は脳にかかる負荷がものすごいので、長時間はできません。国際会議などのように尺が長い場合は、複数の同時通訳者をアサインして、15分交代でやります。休憩中はしっかり糖分を取る人も多いようです。業界トップクラスの年収数千万円レベルの方々でも、持ち時間の終盤にさしかかってくると、徐々に言葉が途切れたり、不本意な倒置などが増えたりしてくることがあります。それほどハードな高度技術職なのです。日本トップクラスのフリーランス同時通訳者の田中慶子さんのお話( 日本トップクラスの同時通訳者が明かす、英語で困ったときの切り抜け方 - ログミーBiz)など読むと、その内実が伝わりやすいかもしれません(ちなみに田中さんは帰国子女ではなく、高校まで愛知で育った方です)。
また、担当分野に関する深い知識も当日までに身に付けなければいけません。通訳業界ではしばしば「その場にいる人の中では、通訳が一番話題に疎い人物」みたいな言われ方をします。商談でも政治交渉でも学術会議でも、母語は違っても同じテーマについて語りたい人達が集まって話す場なので、通訳以外の参加者達はテーマ自体については深く理解しているのです。その2者の橋渡しをするのがその場で一番アウェイな通訳だと考えれば、どれほどの事前準備が必要か、というのは想像に難くないと思います。
こうした仕事の性質上、企業の常勤正社員で、毎日同時通訳ばかりしている方はあまりいないと思います。契約社員などでの社内通訳というポジションもあるにはありますが、数は多くなく、そういう方々の中にも将来的なキャリア形成として、より高収入で仕事も選びやすいフリーランス通訳者を目指す方は多いようです。オッカム先生がおっしゃられている状況を考えると、会議にいらしたのは、おそらく首都圏でサイマル・インターナショナルなどにエージェント登録されているクラスA以上のフリーランス通訳者だと思います。おそらく全員が、事前に当該分野・当該テーマについての予習をみっちりして、前日に首都圏から北海道に飛行機で前乗り込みして、複数人の体制でブースに入って、アカデミックな話題について原稿なしの同時通訳をやられたのではないかと思います。トータルの拘束時間は3日ぐらいかかっているのではないでしょうか。そういうプロフェッショナルの同時通訳者の方々が、その時はみなさん既婚の女性だった、という状況なわけですが、自分はこれを「キャリアに興味がない専業主婦のセレブバイト」と呼ぶのは無理があるし、そう言いたくもないなあと思います。この表現には「有閑階級で時間がある主婦だからこそできる、暇つぶしの趣味的な仕事」というニュアンスがどうしても漂いますが、仕事の実態はとてもそんな風に軽々しく言えるものではないし、だからこその高給でもありますし、将来につながる立派なキャリア職でもあるからです。
炎上ツイートの冒頭を読むと、同時通訳が「訓練なしには無理」のハードな仕事だということはオッカム先生も認識されていたようなのですが、そういう高度技術職に携わっている既婚女性達が、〈既婚〉で〈女性〉という手がかりだけから「比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている」と推定して、「専業主婦のセレブバイト」という評価に到ったのは、当時のオッカム先生が同時通訳という業態についてそれほどお詳しくなかったこと、お話をされた同時通訳の方がご自分のステータスについて「専業主婦」と仰ったこと(どういう質問に対してこの答が出てきたのか、答えられた方がどういう思いでこの言葉を選んだのかはわかりませんが)、男女の性別役割に関して当時お持ちだった先入観が絡まり合っていたこと、の3つによるのではないか、と感じます。
過去の物の見え方は物の見え方として、問題なのは、帝京大学教授として後進指導にあたる立場になられたオッカム先生が、当時ご自分がお持ちになられたそうした印象をどう考えられているか…なのですが、今日までのつぶやきを拝見すると「当時の自分の物の見方には、今からしたら偏っていた部分もある」といった形でそれを相対化する振り返りは自分の見た限りではあまりなく、むしろ一部の批判に対しては訴訟をする決意を固められているようです。自分は正直、事態があまり好ましくない方向に向かっていると感じています。