はてなキーワード: 自己評価とは
問題を他人に押し付けられる感じが嫌なんだよね。
まったりと、自分の好きな課題だけに取り組んでいきたい。そういう風にして生きている。
プログラミングも同じで、自分の作りたいものだけを作って生きている。
それともう一つ不満なのは(或いは『自分に合ってない』と表現した方が適切なのかも知れない)、洗練されたデータ構造や設計の必要性が問題中に殆ど出現しない所。
これは多くの言語に対して同じ問題を提供するには仕方のない事かも知れない。でも個人的にはそれが不自由で仕方がなかった。
例えばC++における純粋仮想関数(インターフェイス)と継承を使った下記の様な「木」を表現した構造、まず出てこないでしょ?C++ではなくCならswitchテーブルを使った再帰関数で実現する必要があるし、これが言語間で共通な問題を隔てる原因にもなっている。
struct interface_tree{ virtual double eval() const = 0; virtual std::size_t subtree_num() const = 0; virtual interface_tree *subtree(std::size_t) = 0; virtual ~interface_tree(){} }; // expression tree, add struct tree_add : public interface_tree{ tree_add(std::size_t n, interface_tree **t){ subtree_[0] = t[0], subtree[1] = t[1]; } virtual double eval(){ return subtree(0)->eval() + subtree(1)->eval(); } virtual std::size_t subtree_num() const{ return 2; } virtual interface_tree *subtree(std::size_t i){ return subtree_[i]; } virtual ~tree_add(){ delete subtree_[0]; delete subtree_[1]; } interface_tree *subtree_[2]; }; // expression tree, sub struct tree_sub : public interface_tree{ tree_add(std::size_t n, interface_tree **t){ subtree_[0] = t[0], subtree[1] = t[1]; } virtual double eval(){ return subtree(0)->eval() - subtree(1)->eval(); } virtual std::size_t subtree_num() const{ return 2; } virtual interface_tree *subtree(std::size_t i){ return subtree_[i]; } virtual ~tree_add(){ delete subtree_[0]; delete subtree_[1]; } interface_tree *subtree_[2]; }; // expression tree, value struct tree_val : public interface_tree{ tree_val(double n_) : n(n_){} virtual double eval(){ return n; } virtual std::size_t subtree_num() const{ return 0; } virtual interface_tree *subtree(std::size_t i){ assert(0); } virtual ~tree_add(){} double n; }; // ...
はあはあ、なるほど。
こういう女の子が身近にいて、後輩の男がそういう女の子に振り回されてけっこう傷ついてたからちょっと気になってしまった。
そういう子でも、一応気持ちは盛り上がったりして、付き合ったりはするんだよね。
そして居心地悪くなって振り回してわがままやって、別れて、ほっとしたーっていう。
なんだろう、自分は恋愛マンガの主人公にはなれないのだ、って言いながら、完全に他者の視点を許さない生き方は。
少しでも相手の気持ちになれたら、ほっとしたというのはあっても、申し訳なかった、が先にたつ気がするのに。
自己評価があまりに低かったり、または逆でかなりプライドが高かったり、そういう傾向がある気がする。
共感系のまんがに興味が持てないのも、共感能力が低いからなんじゃないかな。
そして、傷つけた男の気持ちに共感できていれば、別れてすっきりしたわー、で済ませられないもの。
いや、何がいい悪い、って言いたいわけじゃなくて。
ちょっと太り気味の子が自分の写った動画を上げてたんだけど、動画中で着ているのが「ぽっちゃり」とか「大盛り大好き」みたいな、デブを(マイルドに)揶揄する言葉の入ったシャツばかりで、結構ショックだった。
前に、「お前の自己評価が低いのは、謙虚なんじゃなくて、いざ低く評価された時にショックを受けないための自衛手段だろ」みたいな文句を見かけて割りと感心したんだけど、似たような構造がここにもあると思う。
つまり、このハイティーンか大学生くらいの彼は、自分が太ってることを気にするあまりに、自ら率先してそれをネタに昇華することで、「お前デブだろ?」みたいな身も蓋もない指摘を避けようとしているのだろう。
はっきり言って彼の体格は、標準より多少ふっくらといった感じで、決して病的なものではない。一昔前ならむしろ健康的と言われてただろう。
そんな彼が「自分はデブだ」という思い込みの中で、自分を茶化すことでどうにか自分を守ろうとしている。そんなプレッシャの中で思春期を送っている人が、おそらくは数万人単位で存在しているのである。
http://anond.hatelabo.jp/20081201001241
私も女装している歴史が長くて、昔こんな人いたな~って懐かしい気分に浸りたかったのに、出てきたのはまさかの自分が書いた文章でした。
過剰な懐かしさって言うのは冷や水を浴びさせられたような気分になりますね。
文章を読むのに勇気がいりました。
この記事を書いたのはなんと2008年で3年と少しも経っています。
20代前半だった女装子も20代後半になりました。
当時は「男の娘」なんて言葉は全くありませんでしたよ。そのあたりも含めて懐かしいです。
今回改めてここに書かせていただいたのは、あれから信用できる人に出会えたのか?どう出会えたのか?って言うことを書きたいからです。
結論から言えば、人にはたくさん出会えましたが相変わらず自分が女に見えるのかどうか分かりません。
でも、これって信用できない人にたくさん会ったって言うことではないんです。
あれから女装を通じてたくさんの出会いがあったんです。驚いたことに。そして、たくさんの友人ができたんです。
当時もmixiや女装SNSをやっていてエロメッセに困ってました。
でも、たまにそうじゃない、友達になりたいっていうメッセージもらうことがあったり、同じようなスタンスの女装子さんを見つけることができたんです。
そういう人たちのうちでも8割ぐらいはなんとなく絡みが少なかったり、なにかおかしいと感じる部分があったりして疎遠になりました。
でも、数名の方たちと一緒にどこかでかけたり、女装子さんとは元々あるコミュニティに所属している人と仲良くしていただけたので、その方を通じて他の方たちとも仲良くしていただくことができました。
でかける場所も、女装のイベントだったりバーだったり、ばれてもいいって思える落ちつける場所も見つけることができました。
おしゃれして出掛けることができるようになって当時よりは確実に楽しんでいます。
その中でもやっぱり女装ではなくて、女装してエロいことするのが好きな人もいますが、話をしてみると意外に楽しい人が多かったです。
相変わらず尻は狙われたくないですが、きちんとハッテンしている方々もたくさんいました。
ネットを通じてだととても見えにくいことでしたが。
おかげで色々なスタンスでもまぁいいやって思うようになりました。
でも、やっぱり自分が女に見えるのかどうかを聞ける人と言うのは見つかってません。
相変わらず同じことで悩んでますよ。
でも、そのうち聞けそうな人とはたくさん知りあうことができました。
まぁ今はそれでいいかーと思えるようにもなりました。
女性の友達が躊躇いなく一緒に外出してくれたり、自分自身もそれに慣れてきたせいもあるのかもしれません。
ちょっとだけでも満たされていたら、それはそれでいいのかもしれません。
イベントやバーでもその時に出会いを求める方が良く来るのですが、なかなか難しいみたいです。
実は、先日昔の写真を見たのですが、自信があると言ったわりには「あ、男だ」と思ってしまうような写真だったんです。
そして相変わらず最近撮った写真は女性に見えないこともないという自己評価です。
2009年ごろからきれいな人すっごく増えたんですよ?皆さんご存知?
このエントリで信用って言うことや、ネットのことなんかも改めて考える機会になりました。
あとは老けるだけと言う感じは当時よりよっぽど感じますし、結婚など立場が絡む色んな事が増えてきていますが。
なぜか当時よりは焦ってません。
最近人と話したりしてて人のプライドの高いかどうかっていうところで接し方を調節するのが処世としては重要なのだろうというのを強く感じるようになった。つーか対人コミュニケーションの金言集的な扱いをされるカーネギー氏の「人を動かす」においても、一貫したメッセージは「相手の自尊心を傷つけるな(つーかむしろくすぐれ)」だったはずだ(うろ覚え)。なので自尊心を傷つけないように相手を立てることは非常に重要、これは当然に同意する。
だがかねてからこのコミュニケーションスタイルを貫くことの絶対性には強く疑問を持っていた。常に相手を立てて、反論せず...追従を重ねるまでは行かなくとも、随分単なる太鼓持ち、ないしはただの存在感の無いやつになってしまうおそれがあると思った。で、一方で割りと尊敬を集めてみたりとか、わりといわゆる威圧をうまく使うことでそのコミュニケーションが上手くいく場合もあったりすることを感じる(例えば女性なんか一般的に引っ張っていって欲しいという意見が多勢だし、男でもドMというか末子気質のやつがいる。)なので自分の立ち位置もそういったものに応じて変えるのはわりと有効そうだと思い至った。
で、少し話が飛ぶ感じになるが自分が検討したいのは、①相手のプライドの高低、②さらにその人の実力の高低(頭の良さ、仕事での成績、見た目の良さなどなど、その人の自尊心の源泉になっている事柄があるはず、それの程度をここでは指すことにする。)でそれぞれ分けて、4類型の人々との接しかたを少し整理したい。
1.プライド高×実力高
普通に実績があって自分に自身があるタイプ。仕事とかも良くできて実際に回りからの尊敬もある。適度な自尊心ならいいけど、自分に自信がありすぎるとちょっと過剰気味になって評価落としたりはする。このタイプは自尊心が高い一方で仕事もできてるわけだから実際にその実績を褒めればいいと思う。別に嘘を付かなきゃいけないわけじゃないからそこではあんまりしんどくない。
2.プライド低×実力高
謙虚だけど優れたタレントを持つ人。要するに一番人格ができているタイプで、本当に実力がある人は1を経てか経ずかここの類型でいることが多い。(自分の実績を鼻にかけなくなる)ただ、一方で圧倒的実力でなく、ただ相対的に少し能力があって、でもプライドが低い場合もある。こういった場合はその人の能力が見えづらくなったり埋もれてたりするので、仕事なりのときはその人を立てるよう周りが配慮すると吉。このタイプはあんまりいたずらに褒めても本当に嬉しくない対応をすることが少なからずあるので、その他の性格を見極めることが必要かなあと思う。
3.プライド高×実力低
よくいる嫌な奴の類型。基本的には人からは嫌われてたりすることが当然多いわけだが、例えば機械的な組織、会社とかにおいては機械的に昇進した上で実権を握っていたりする(無駄に)ことがあり、その場合は断交などもってのほかでむしろ良好な関係を保持することに努める必要が出てくるわけだ。
さて、この場合が一番この人のプライドを傷つけずにすることに腐心することが肝要。なぜならこの種の人は能力が無いのでボロが出ることが少なくないわけだ、しかしそこでそれを付くようなことはせず、むしろ上手くフォローしながらその人の功績とするように見せる必要がある。いわゆる無能上司、で困るパターンはこれに当たるわけだが、ちょっと類型が多すぎるか。ただ、たとえばブスなのにプライドが高い、とか馬鹿なのに自分大好き、みたいな連中もここであり、一番の問題児ということになる。
4。プライド低×実力低
単に無気力系なことが多いこのタイプ。特に自己評価も高くなるはずもなく、どの集団においてもカーストを上げることはあまり無いので、損得考えて積極的に付き合うことは少なくなるはず。ただ自己評価が高いわけじゃないので基本的にプライド高い系のやつに見られるあの過大な自意識の垂れ流しが感じられず、付き合っていて落ち着くことが多い。ふと疲れた時に話するような相手に一人いたりすると驚くほど自分の気疲れから解放されたりすることがあるのは特筆に値するかも。自己評価低めなことが多いので、自分自身に尊敬させてフォローしてもらうようなコミュニケーションを心がけるのも一つかも。もしくは乏しい承認供給を求めている場合もありそうでそのあたりは見極めが必要かも。
すいません、考えながらだらだら書いたので支離滅裂っぷりがひどいのは自覚済みなので是非補記なりいろいろ頂ければ。こっち側の実力プライドの高低とか男女で結構話が変わってくるのかもとかは思った。
「出会い」≠「実際に会う」なのでネトゲもゲーセンも変わらんと思うけどね。
リア充臭がするとリアリティがないと感じるってことは、想定読者は非リア充なんだろうなあ。
リア充臭がするとこにいるからこそそこで「不思議」やっててもそれは本人の自覚的な演出でありフェイクであるって安心できるけど、そうじゃないとこだとリアルメンヘラかもって発想もあると思うんだわ。
あ、むしろメンヘラがいいのか?
生活基盤でない場所ならいいというんじゃなくて更にそういう条件がつくなら、それは「そこら辺歩いてる女はみんな自分よりカーストが上」というような被害妄想を抱いている男子が「女の中でカーストが下(故に自己評価が低い)」な女子と出会える場所であるというのが重要なんじゃないかな。
???
俺がそんなことを書いてるっけ?
俺は自分自身についてなんて1行も書いた覚えがないけど。
良い待遇を得ようと思ったら、まず、貢献が根拠になるのに。
君さあ、自分が擁護しようとしてるコメントちゃんと読んで理解してる?
全文引用してあげるね。
こいつって君が言うような「良い待遇を得るための建設的な活動」をしてるの?
違うよね。
無意味なことをやってるだけで、多分自己評価ほど「使える奴」ですらないタイプ。
職場で従業員の間に変な緊張や敵対をばら撒くだけのよく居る手合いのバカ。
別に正社員は非正規社員と対立関係にはないし、仕事の範囲も違うのにね。
非正規から見える部分で戦いを挑んだってただの独り相撲だよね。
と俺は言ってる。
このバカに比べれば、
という元増田の職場の非正規達の方がまだよっぽど妥当なアクションだと思うよ。
とも言った。
元増田は敵視の対象が「自分達を正規雇用してくれなかった使用者」だから、
敵視対象も間違ってないし、同じ境遇同士で職場で団結してるらしい。
こっちの方がマシだよね、と言っている。
うーん、そうかなぁ。今の男性の高い自殺率は、男性への期待値が高すぎるからでしょう。
Buss&Schmitt1993 このPDFのP21
http://www.psy.cmu.edu/~rakison/bussandschmitt.pdf
各国の比較、日本人女性は他国に比べて男性への依存度が高い(アメリカっていうよりザンビア)
日本の場合、男女で『パートナーに求める年収』に激しい差異があるのです。
平成17年版 国民生活白書 女性は結婚相手に対して経済力を重視している
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html
また過去から現在にかけて、女性の雇用は拡大、平均賃金は上昇していますが、女性の男性への期待値は下がっていません。
女性の92.1%は経済力も理由に配偶者を選択するが、男性は30.2%でしかない。
『女性の雇用、社会的地位が低いから男性への期待値が下げられない』
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100616
男性が経済的なプレッシャーを受けた結果、死んでいる、という事ですね。
うーん、そうかな?と私が思うのは
「2」に関しては上昇指向をもった女性自身が少ないため自然に実現すると思います。
アファーマティブアクション等の自然競争でない、不公平なバイアスがなければですが。
「1」に関しては
・結婚年齢を下げる
(10年前、まだ若い女性が多数いた時代、根拠のない自信にあふれた女性が沢山いました)
人口増加が見込めず、若い女性の数は減る一方なので不可逆的に女性全体の価値は下がりつづけるでしょう。
結婚年齢ですが、今、30歳以上の女性に関して男性からネガティブな意見が出まくってますよね。
(「anan、cancan読んでる女性が2chまとめサイト見るか?」ってーと、そんな見てない訳で、
まだ数年続く必要があると思います)
若い女性は「豊かな生活」って分かってないです(年収低いですから)。二人で一緒に豊かになりましょう。
また女性の賃金が下がれば、女性の上昇婚志向を満たす社会が実現することになります。
結果的に婚姻件数も増える、と思ってるんですけどね。
2011/12/30 zions
え?なんで男性に依存するかの考察は無し?女性は結婚出産で失職(休職)し夫の経済力に依存するから、配偶者の選択で経済力が重要だろ。女性の賃金が下がれば、男性への依存は上がると思うのだが。
はい、貴方の言うとおりの理由から女性の上昇婚志向は文化によらず全人類に見られます。
これは最初のリンク、Buss&Schmitt1993の国際比較を見てもらってもわかりますよね。
(ただ日本人女性の経済的依存度は他国と比較すると圧倒的に高いです)
ただ先進国になるに従って経済的依存度は減るケースが一般的でしたが、
日本人女性では賃金上昇とパートナーへの経済依存度が反比例しなかったのです。
女性の賃金が「上がれ」ば、男性への依存度は「減る」のが普通と思われていました。しかし日本ではそうはならなかった。
『女性の賃金が上がれば、男性への依存度が下がる』ってのは幻想です。
2011/12/30 indication
期待値を下げるには、実際に家庭をもった女性を理解できないと、始まらない気がする。家内も独身だとわからないだろうな的なことを言っていた。
ちょっと誤解があるかもしれませんが私には妻子がいます。女性の上昇婚の事は把握していましたので、私は社員、彼女は派遣社員という組み合わせで結婚しました(職場は別です)今は上手く行ってます(w
2011/12/31 lcwin
自分の世界だと世の中の女性はファッション誌みながら2chまとめブログも読んで釣られるし、BLもギャルゲーも歴ゲーも楽しむものです
女も「レディ」みたいな扱いに憧れるような前時代的な了見は捨てていくべきだ。
レディは封建時代の可哀想な幼稚な(幼稚で居ることしか許されなかった)女だ。
「愛され」とか馬鹿なこといつまで言ってるんだ。
レディが幼稚さしか選択肢がなかった可哀想な女性だったのかどうかはさておき、
脱愛され系目指す流れはホント欲しい。
なんかこう、被保護対象ポジの価値が過剰に高すぎてついていけない。
と思う反面、
男女どうこうとかあんま関係ない部分で、いわゆる「おごられ上手」的なスキル磨いておかないと今後は死ぬかもしれない気がする。
個人的におごられんの苦手なんだよね。自分で自分のケツも拭けないみたいじゃん。
でも人生いろいろあるわけだし、「気分良くおごらせてくれる相手」が必要な日だってあるじゃん。
いい大学のリア充とかそこらへんすごい洗練されてるんだよね。「おごられつつ媚びずしかしフォローも完璧」的で何かこう最強。
「自分は相手を必要としつつ、相手からも必要とされてる」的なあの感覚を人にもたらすのがすごく上手い。
そういうの見てるとケツ拭きとか単なる意地じゃね? そんな安いプライド捨てれば? みたいな気分になりながら、
いや安かろうと高かろうとそれがオノレなりの自己評価であり価値観であって
いわば組み上がった立体パズルのピースみたいなもんだからそんなあっさり捨てるべきじゃねーよ、と我にかえったりして面倒くさい。
↓のうち5つが当てはまれば境界性人格障害(ボーダー)なんだってさ。
1.現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力(注:5.の自殺行為または自傷行為は含めないこと )
→あるある
相手の望むもの推測し、望むものを提供する努力は惜しまないかも。
チャラ男じが好きな相手にはチャラく。おとなしい感じが好きな人にはおとなしく。
まぁ、あとは見捨てられるのが怖くて、無茶な仕事も受けてしまいます。
2.理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式
→1.の通り自己像なんて無いな。
4.自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食い)
6.顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安)
→これはある。
何をやってもむなしい。
8.不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)
→怒りはないなぁ。何があっても虚脱感しかない。
9.一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状
→慢性的な見捨てられ妄想があります。・・・一過性ではないな。
周り(友人・同僚・恋人)を振り回してる自覚はある。
今思えば長く続いた恋人はお互いメンヘラで正に共依存の関係だった。
お互いがお互いにもたれかかってたんだよね。
付きえば付き合うほど摩耗して、だけど自分の視界には目の前の相手しかいなくて。
仕事で時間が合わなくなったら相手は当てつけのような浮気をくりかえして結局離縁した。
それを無条件に受け入れてくれる人・環境を探してるのも実感してる。
何か相手に迷惑をかけてしまうと、それがどれだけ些細な事でも
相手にとって俺への評価が0点になると思い込んでしまう。
だから、周りからしたら感情の起伏が激しい人に見えるんだと思う。
わかってるつもりなんだけど、不安感は抑えられないんだよね。
すごいなあ
人を犠牲にしたり食い物にする関わり方が、できる人というのは、本人も何か精神的にあるんだろうと思う。自己評価が低いとか社会への反感とか。
自分より失くすものがある相手だと思ってこうする場合が多いと思うけど (妬みとか、 立場的に弱くても、精神的に傷つくもの 守ってそうなものがあるから、甚振って楽しいとか )
私、そういう意味では最強かもwwwwwwwwwwwwww
失くすもの何もない
恐喝という犯罪が成り立つのは、そのあたりの兼ね合いをよく見極めてるからだと思う。
簡単人生オワタって言う、肥大したプライドに支えられたような人が言う言葉じゃなくて、実際に人生終わらされた人たちも見ましたよ
誰も助ける者も無く毎日怒鳴られて、数年数十年一生の事も
この人たちとは住む世界が違うと思う
ギークハウスまんせー
自分からセフレみたいになっちゃうんだよな。なんか良いなぁ、とか思ってて、良い感じになってセックスしても、自分からサっと帰っちゃう。メールも自分からはしないし、電話もしない。思わせぶりな態度も一切取らない。向こうがもっと仲良くなろうとか付きあおうとかしてきても、スって引いてしまう。自分も相手のことを良いなって思ってても。嫌われるのがとにかく怖い。自分を守ろうとしすぎて逆にないがしろにしちゃってるというか。嫌われるのが怖いから最初から踏み込まないし、踏み込ませないし。そしてとにかく自己評価が低いから、自分からサービスしまくるだけして疲れきる。そんな感じだから人間関係が浅い上に疲れるという何も得なし状態。男に対しても女に対してもそう。真正面からぶつかって玉砕、みたいな経験が人生にない。あまり努力もせず安全圏しか歩まず負けもないが勝ちもない。だって負けたら傷つくから負けないように勝負しない不戦敗人生。何もかも不戦敗。勝負して負けよう1度くらい。もう25だぞ。変わろういい加減。1度くらい勝負しようぜ。