はてなキーワード: 自己評価とは
※散文、乱文、オチ無し、主張なし、まとめなし
※なんか客宛に書いてるみたいな感じだけど、よくよく考えてみると、
どちらかというと客じゃないしなんも考えてもない第三者に「誇りを持って云々」て言われるのに一番ムカついてるっぽい
明らかに見下してるっていうか蔑んでる客にももちろんイラつくけども、
「○ちゃん女神だわ」とか「誇り持つべきだよ~」みたいに言ってくるジジイにイラつく。
ネットでも、風俗嬢や水商売の女がまとめブログのコメント欄で叩かれてたり、
フェミの人たちが「搾取されてる」みたいなことを言ったときに、
『いや、彼女たちは誇りを持ってやっているんだ、馬鹿にするな』みたいに言う人がいるけど、
なんかそっちのフォローしてくれてる方にモヤーっときちゃうんですわ。
その言葉によって隠れちゃう悲惨な現実もあるのに。いや、むしろ隠したいのかもしれんが。
肉便器とか生きてる価値なしとか言われるとマジで怒りに震えるし、
フェミの人に搾取云々て言われる時も、その奴隷扱いにムカついたりする。
フェミの人のそういう発言にムカつきそうになるとき、
で、なんでかっていうと、
ホントはこの仕事をやりたくないけどやらざるを得ないからやってる人はいっぱいいるんですわ。
こんな話すると『ネタだろ、今は女子大生やOLがお気楽にアルバイト感覚でやってるんだろ』、
とか思ってしまうオジサン方もおられるかもしれないけど、
実際、親の借金で、とか、学費や生活費が必要だけど時間と金のこと考えるとこれしかない(意外と下の兄弟の学費のためとかも多い)、とか、
もちろん自分の借金のためって人もいるし、明らかに頭が弱くて(知的障害一歩手前?)これ以外に仕事が無い、とか、
一見普通だけど会話しようとしてもなんか成立しなくて(発達障害系かな)こりゃ一般的な職場では働けないだろうなという人とか、
シングルマザーの人とか、会社クビになって働き口がない人とか、精神病んでいて毎日会社に行くのが不可能とか、、、
そういう人がかなりいるんですよ。
なぜかって言うと、やっぱり、開き直ろうとか堂々としようとか思っても、
ずーっと刷り込まれてきた常識(風俗嬢は汚い存在、的な)はやっぱり拭えなくて、
自分の人気が金に直結するシビアな仕事だからストレスも貯まるしで、
摂食障害を患っている人や自傷行為をする子もかなりいるんですわ。
あとはもともと病んでる人も多い。
だいたい、罰金制度みたいな違法な制度が普通に横行してるのは、
やっぱ、従業員が辞めたくても『辞められない』って現状をわかってるからであって、
そういうのを搾取と言うんかな、と思ったり。
こういう仕事をするしかないくらいに追い詰められている状況で、
お気楽に稼げるとか自分で選んだ仕事なんだから誇りを持てとか……。
うーん、という感じですわ。
だから客に「○ちゃんはプロ意識あっていいなぁ、女神だよ、それに比べてうちのOLは…」
みたいなこと言われたり、
ネットで知らないオジサンに「彼女たちは誇りを持ってやってるんだ!馬鹿にするな!」
みたいにフォローされたりすると、
「は?何が女神だよ誇りだよクソが。こっちはしかたなくやってんだよ。
大量に食ったものを嘔吐し、手首を切り裂き、不眠で眠剤飲みながら、
それでも金のためにしかたなくやってんだよ。お前の会社のOLになれるならなりたいわクソが。
誇りもクソもねーわ。
自分が気分よくちんこ勃たせるために現実を見たくないのはわかるが、それが現実じゃクソが」
って言いたくなってしまうんですよ。
結局、お前が気分よくちんこ勃たせるためだけだろ、って思っちゃうんすわ。
「風俗嬢が何言ってんの。そういう仕事はコソコソ隠れてやるもんだろ」ってなるわけで。
『プロ意識(笑)を持ち、悲惨な裏事情を微塵も感じさせず笑顔で接客。しかし堂々とできる身分ではないのでそこはわきまえる』
っていうのがオジサンたちの理想なんかもしれん。
風俗嬢に対する評価っていつも、「賛美」か「蔑み」しかなくてすげー極端。
だからと言って「風俗嬢は可哀想な人達!」みたいに一刀両断されてもムカつくんですわ。
もちろん、この仕事がしたかった、そしてこの仕事に誇りを持っている、っていう人もいますし。
わたしはアルバイト感覚で始めたけど今は一応プロ意識(笑)みたいの持ってやってるし。
普通の仕事に対しては、可哀想だと思ったり、蔑んだり、変に神格化したり、っていうのはあんまり起きないから、
いちいちそれで「死ね肉便器」って言われたり、
そうかと思えば「誇り持ってやってる女神」なんて扱い受けたりしなかったし。
辛いことも楽しいことも誇りもあったりイヤなこともあったりする普通の仕事とは違うんだよな。
自分は高額アルバイトという感覚で始めてあまり苦しんだ記憶もないので、
そういうオジサンの言葉でイラついたりしなくてもいいんだろうけど、
悲惨な同僚の姿なんかを見ると、モヤっとせずにはいられないんですわ。
理解者のふりして女神とかなんたら言ってるけどな、お前が抱いてるのはこういう子なんだ、血反吐吐いてでも頑張ってやってる子なんだ目ん玉ひん剥いて見やがれ、みたいな。
そういう、誇りたくても誇れない、みたいな状況があるわけですよ。
誇りたいけど、そういう同僚の姿を見ると、やっぱりこれは弱者に対する搾取的なものに見えるし。
自分が一生懸命やってる仕事が「搾取されてるだけ」とか思いたくないし、かといって社畜の大将みたいにもなりたくないし。
「これはこうこうこういう貧しい学生が1日中苦しみながら、バナナを熱湯に漬ける仕事をして作ったんだ…」
とかは考えない。
だから、風俗嬢の裏事情まで全部背負えとかいうのはおかしいのかもしれないし、
むしろその人の個人的な問題まで考えろってことになると、
風俗嬢ってやっぱサービスだけを売る仕事じゃなくて、まるっと自分を売ってる仕事っていうことになるんかな、
そうだとしたらなんか違うし、自分はサービスだけを売ってるつもりだし、
なんていうか、スーパーのレジ打ちみたいに、ただレジを打ってお釣り渡す仕事みたいに、
ただ単純にサービスを売ってる、って感じで風俗できないかな、っていっつも考えるけど、
でもやっぱそういうオジサンの言葉にいらついたりするってことは、
やっぱ、サービスだけって考えれてない、ってことなのかな、と思ったり、
俺も自己評価が低い。けども、リア充を見て、あんなことしちゃって!と思うことは無い。
人を上下関係で見てしまうということもないな、と思ったが違う。
まるで自分は地の底にいて、他の人はみな地上で生きてる感じだ。
だから、人を上下関係で見てしまうというのはある意味言い得てる。自分より下はいないけどな。
いつもそれを眩しそうに見上げてる。
でも嫉妬や他者否定は感じない。
すごいな、眩しいな、俺と違う生き物だな、と思うだけだ。
何故それで自己評価が低くなるのか。自分の場合は警戒心が強すぎるからだ。
褒められると次は殴られるのかと警戒してしまう。
笑顔で近づいてこられると警戒心が全開。
他人の感情や好意や悪意ってやつを感じ取る能力が薄くて、共感性に乏しい。
好意を持たれていてもそれに気づいて認めて自分の充足に充てる事が出来ないし
逆に悪意を持たれていても気づけなくて相手を知らないうちに怒らせることになる。
眩しい世界にいる俺以外の他の連中は、俺にはわからないコミュニケーション方法で
自分には知りえない充足を得ているに違いないとかつては思っていた。
今も少しそう思っている。
そんな世界で人間関係に揉まれるのは、言葉の通じない国を目隠しで歩くようなものだ。
だから、常に最悪のケースを考えて警戒し、自分の能力を最低ラインで算段している。
自分のやることを過小評価する。人は自分を悪いほうに取ってると仮定する。
他者に自分がこう写るであろう、という想像が徹底的に低いから自己評価が低くなる。
そうしないと恐ろしくて生きていけないからだ。
元エントリとそれに対する批判がぐだぐだしてるのは、自己評価が低く自己肯定感が少ないことと、自信が無いことは必ずしも比例しないからだ。
俺は、自己評価と自己肯定感はこれでもかというくらい低いが、自分の実力の測り方については確固たる自信がある。
自分の出来ることと出来ないことは非常によくわかっているつもりだ。
「この人は「自分に自信がない」と「言える自分」に対して、「堅固な自信」を持っているからだ。」
というのはまさしくその通りかもしれない。
でも、なぜそれが批判になるのだろう?もう生きてはいけない?本当に?
俺は自分の性格を変えることは諦めているので、この自己評価の低さをいまさらどうしようとも思わない。
逆に考えれば、どんなに浮かれた状況でも慢心せず、怒らず、個人に肩入れをせず、他人を冷静に眺めて判断でき
些細な事に嫉妬心を抱かないので他者の優れた点に気づきやすい、ともいえる。
非常に承認欲求を充足しにくいのだけはネックだが。
ちゃんというと、最近色々とばれた佐藤聡美、竹達彩奈、日高里菜と、御三家こと堀江由衣、田村ゆかり、水樹奈々についてのエントリ。
まず、言いたいのはショック受ける竹達ファンはどうにかしてるだろってこと。
実力はありそうだが垢ぬけてないのを彼氏に選ぶあたり、完全にイメージ通りじゃん。
むしろ、ガチでそういう座を狙っちゃってるやつがいるとしたら、純粋にチャンス出来たとか喜べばいいのにね。
まぁ、スキャンダルっぽいのは日高くらいなもんで、こっちはファンご愁傷様、現実はこんなもんと言ってあげたい。
佐藤はあんなもんだろ。ただ、仲間似という自己評価はじわじわくる。元々痛い子だし笑えるな。
さて、ぶっちゃけ3人とも大して影響もなさそうに思える今回の騒動だけど(日高はドル売りか怪しいし)、
気になるのは平野叩きでも見られたアイドル声優とはかくあるべき論みたいなもん。
平野を芸能活動から事実上ログアウトさせた魔法のコンテンツだけど、これってなんなのよって話。
「アイドル声優は、ファンが嫌がるのを避けるために絶対に男関係を見せてはならない。
アイドル声優である御三家(堀江由衣、田村ゆかり、水樹奈々)はそうしてきた。であるから、お前もそうすべき。」
ハルヒ一本槍で作品を壊しにかかる平野はもう帰って来なくていいけど、こんなの押し付けられるのはタレントとしては嫌だと思う。
気がくるって当然。
だって、堀江なんか業界を震撼させた枕騒動の社長と相当危ない噂があり、実際、騒動後、売り上げを落としたわけだし、
田村だって伊福部のイメージ強すぎるし、水樹はそもそも声優なのか怪しいし。
そりゃさ、実際には表に出てないよ。堀江は松田と写真撮りあっただけだし、商品を傷つけるほど馬鹿社長じゃないだろう。
伊福部は声優全員とやっている設定だし、水樹と櫻井だって坂本と鈴村と同じような結末を迎えるとは限らない。
けどさ、それくらいなもんじゃん、業界入ってからのさもありなんな噂と中高生の頃のプリクラ流出の程度って。
流出した、付き合ったら=セックスするとか、声優の倫理観を問う前にお前らの倫理観を問いたいよwww
合コンしたらやり捨てれるとか思っていそうでこわいよね。少しは女性に気を使えるようになってください。
とりあえず、さもありなんな噂が出たところで、中高生の頃のプリクラ出てきたところでなんなのつ話だし、
処女云々は実際に彼女にしようとしている奴以外はどうでもいいことじゃない。
そして、彼女にしたいと願うほどの人間が、好きな人が処女かどうか気にするのもどうにかしている。
もちろん、処女厨みたいなもんは大方ネタだし、伊福部と出来てんだろとおんなじようなもんだけどね。
ネタとネタとして分からない奴は(ryみたいなもんだとも思う。
ただ、御三家をアイドル声優のお手本的なものとして扱い、それを新人に強制する狂った図はやめていただきたいね。
そんなにきれいなアイドル声優なんていたことなかったって。松来さんは結婚しててほしいけどね。
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52492183.html
↑ちなみに、これは全然ファンじゃないと思うwwwやら管が昔、結局金を落とさず焚き付けるだけのアフィサイトに切れていたが
たまには彼も正しい。ちょっと元祖のこと嫌いになったね。
私はアスペルガー症候群だ。
①さびしさを紛らわす。
③他の発達障害者はどうやって障害とともに生活しているか知りたい。
この3点ぐらいだと思う。
ではその当事者会に実際に参加してみて、感じたことを書いてみる。
①さびしさを紛らわす。
発達障害者といってもさまざまな人たちが存在する。活動的な人もいれば内気な人もいる。
趣味だってまるで違う。こういったところは発達障害者以外でも同じだと思う。
問題は話がまるでかみ合わないということだ。
他人の話を聴こうとせず、自分の趣味の話ばかりしてしまう人が多い。
たぶん、この文章を読んでいる人は自閉傾向を持っていたとしても比較的軽い場合が多いだろう。
私は同じ発達障害者であっても、ここまで違うのか、話が通じないのかと孤立感を味わった。
よって、さびしさを紛らわせることはできなかった。
この点については確認できる。
参加している発達障害者の1割ぐらいはある程度会話することが可能だ。
ただ、だれもかれも自分のコミュニケーション能力の低さによって
社会から孤立しているという話ばかりでワンパターンで嫌になってくる。
③他の発達障害者はどうやって障害とともに生活しているか知りたい。
これについては話さない障害者が多い。
話したとしても、飲み会で上司が部下に話すような説教の内容くらいのもので、
「発達障害者なので特に○○について気をつけよう」といったような具体的なものではなかった。
あとはそもそも社会と折り合いをつける気のない発達障害者が多いことに驚いた。
発達障害者のいいところを伸ばせばいいと考えている当事者や支援者が多く、
なので、障害とともにどのように生活をしているかについては知ることができなかった。
あと、問題点として感じたのが、
多くの発達障害者の当事者会で未診断の人も参加を受け入れているという点だ。
参加人数が集まらないのはわかるが、未診断の人を参加させる前に
また、発達障害者の当事者会に参加しても、一度きりで何度も参加する人が多くないのは、
・他人の話を聴かず一方的に話してしまう人がいる。
・単なる傷の舐め合いになってしまう。
この時期に追加募集に食いつく人たちなので、
なんとなく「ああ、そりゃ無い内定だよな」と、
思わされてしまう要素が、たくさん見受けられた。
・距離がある面接官に対して、声が異様に小さい。
・緊張しすぎて、日本語が支離滅裂に。
・聞かれている内容からずれて、
・普段使わないだろ!っていう小難しいカタカナ語を入れてくる。
・やたらと自己評価が低い。
中身がなくて上滑りしてる言葉は大嫌いだ。
しかし、具体的な場面に下ろしてくれば、
目の前にいるオッサンに、適切な方法で、
聞かれたことに答えつつ、自分を売り込むんだよな。
自分を売り込まないといけない場所なのに、
「自分はこんなにダメです」「こんなことが出来ません」「こういう力はありません」
自分の売り方、見せ方、を意識していないとダメだな、と思いました。
自分も気をつけよっと。
一人称がキモい。無駄に持って回った言いまわしが寒くてオタクっぽい。
ネットにおいてパートナー(男)のギャンブル癖、借金癖、浮気癖、DVなどに悩まされる女性の投書を見るにつけ、自分に何が足りないのか自問自答する日々です。どうか助言をお願いいたします。
ネットと現実社会を混同してそう。イケメンはみんなチャラいとか勘違いしてたり、単に暗くて主体性が無いだけなのに「誠実」とか勘違いしてそう。
小生のプロフィールを紹介します。ルックスは中の下?ルックスは主観の問題ですが、過去に酔った女性から面と向かって不細工と言われているので、おそらくそうだと思います。
プライド高そう。言葉とは裏腹に自分はブサイクじゃないと心のどこかで思ってそう。
あと「見た目と中身は違う」とか短絡的に思ってそう。
総じて、自己愛が強く自己評価が実態とかなり乖離して高い印象。
ハウツー話から懺悔まで色々これまで書いたが、そんな経験ない。
あからさまに一人だけ罵倒するために一行レスつけてるだろ、ってのに噛み付かれることはあったが少ない。
あってもあからさますぎるやつ。(職場の受動喫煙がきついーって書いたら、「タバコ吸えないインポは死ね」と書かれるような)
ここから本音のターン。
匿名の利点述べると、必ず「自分の実績になるやりがいを知らないからだ」という人が居る。
汚い言い方になるけど、リアルでイケメンとそれ以外のスタートラインが違う世界があるように、ネットイケメンとも言うべき存在がいる。
そういう人は自分のマーケティングが苦にならず、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのにやりがいを感じる。自分名義で発表した方がスタートラインが段々前になっていくし、アルファなんとかや有名Pみたいな存在になって、いい結果をだせる。何故自分のキャラ作り戦略にやりがいが感じられるのかというと、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしてるから、表現したいものとそのための自分の理想形に乖離が少ない。乖離があってもそれを埋めるべく常に努力をしていて慢心しないから自信があり自己崩壊しない。そしてそのやりがいが自己評価を上げることになり、自己評価が上がることで乖離は少なくなり、やりがいを感じ、と循環する。
対して俺みたいな奴は、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしていないから、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのが自分に欺瞞を感じるだけで苦痛でたまらず、自分名義で発表するとスタートラインがだんだん下がっていく。そしてその乖離感からさらに自己評価が下がり、自分を表現する時に自分を偽る恐怖感から「俺はゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな人間だが、許されるなら独り言をここに書く機会が欲しい。」みたいに出来る限りスタートラインを後ろに下げるようになってしまい、それがさらに表現の評価を下げることになり、さらに自己評価が下がり、下がる一方の循環になる。そうなってしまうと、肩書きの利点を捨てて、匿名でスタートラインをゼロ位置に戻した方がまだ自分の表現が受け入れられるなんてことになる。
しかし社会と言うのは不思議で、そんな「ゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな、独り言を言うのも許されないような人間」と自覚している人間の書くものでも、匿名だと人に何かを与える事ができてしまう。そしてそんなトリックのような表現であっても、それで何かが他人に与えられる限り、存在価値を100%否定できない。
それは人に迎合しすぎるからじゃないだろうか。
もともとは親に対して、いい子でいなければ愛してもらえない、機嫌を損ねるような行動をしてはいけないと思いながら生きていく。そのため、親の機嫌にものすごく敏感になる。外の状況を読み取って、他人の機嫌がよくなるよう動くことばかりに自分のエネルギーを使い、やがて自分で何がしたいかを考えることができなくなる。
子供のうちはこの行動原理はすごく有利だ。なんせ周りの大人が求めることをこなすのだ。評価されないわけがない。しかし大人に近づくにつれて、ご機嫌取りに求められることが難しくなり、うまく動くことができなくなる。そして自信を失い、自己評価を著しく下げることになる。
また周囲の状況に迎合することに疲れているため無気力になり、人生経験が乏しくなる。そのため人との会話の内容についていけなくなる。会話を避けるようになり、さらに会話をしないことで雑談程度の会話もできなくなる。
ろくに会話ができないのでやがて友達もいなくなり孤独になる。そんな自分を正当化するために、周りの人間は敵だと認識するようになる。殻に閉じこもるようになり人と関わらないのでいっそうコミュ力は落ち、自己評価も修正されることなく下がり続ける。いつもおどおどして自信がなく挙動不審になり、さらに人が近寄らなくなる。
こんな感じのことを最近思った。
この負のスパイラルとでもいうような生き方にはまると、本当に身動きが取れなくなる。胸をえぐるような孤独に耐えかねて人と関わろうとしてもコミュ力がないからうまくいかずさらに落ち込む。ここから脱出するには、根元にある「人に迎合しようとする」ところから矯正していく必要があると思う。要は好かれようとするな、嫌われていいから自由に生きろ、ということだ。
まー、そうかもなぁ。過去の自分を見ているようでなんか元増田がいたたまれないんだけど。
そりゃそうだよなぁ、渦中にいる人間からしてみりゃそうだよなぁ。
とりあえず、これだけはいえるんだけど。
我々にとって、世界中の大抵の学習はカンタンなもんだよ。俺、現在では司法書士持ってるけども。
あんなんサクっと受かっちゃうぜ。そんな俺より難関を潜った元増田さんなんだから、恐らく弁理士いけんじゃね?
数字も強いだろうから、会計士もいけちゃう気がするよ。英語なんて当然のように出来るだろ?
俺は官僚辞めた後、色んな仕事を転々として自営の道に入ったわけなんだけども。
世の中に難しい仕事なんて一つもなかったよ。必要なら勉強する、スケジュールを組んで素早く頭に突っ込む。
この基礎メソッドが出来上がっているなら、世の中そんなに怖いものはないよ。必要なら勉強すりゃいいし、
勉強している間は教育業界がテキトーに食わせてくれる。国立医大出てりゃ、余裕でそこそこ稼げちゃうからな。
理数系の講師って常に不足してるし。後はタラッタラ自分はなにしたかったんだっけなー、と考えればいい。
医者になる過程で身についたものって、元増田が考えてるより遥かに大きいし
それを冷静に認識できれば、仮に医学の道をブン投げたとしても君はモノスゲーいいスタートを切れるんだよ。
そりゃ、君も俺もドロップアウターかもしんないし、当初の目的には挫折したけどさ。
でもさ、それやりたかったことじゃないだろ。元々さ、小中高と変に頭が良くて、俺は文系だけどさ。
まぁ、そんな感じで特に楽しいことも夢中になれることもなかったから、そりゃもう何も考えずに進んだらそーなったわけだ。そんなんどーでもいいじゃんよ。
まー、当初の目的には挫折した!それは認めちゃっていいんだよ。でも、君は既に色々便利アイテム持ってるじゃん。
素晴らしい経歴と資格と能力を、いつの間にか手に入れちゃってるわけじゃないですか。俺より上でしょ、ずっと。
世の中には、分析屋タイプの人と、プレイヤータイプの人がいる。もうひとつ、わけのわからないエネルギーを周囲に発散しまくる種類の人間もいるが、そういう人はやはり例外だろう。
分析屋タイプの人は、今まではそれなりに評価されてきた。こういう人は規範意識も高くて言うことに説得力があるので、中間管理職レベルのマネジメントには結構向いているように思う。いわゆる才能みたいなものがなくても自己研鑽によってこのタイプにはなれるので、一般人が目指すにはもってこいだ。ただ、最近は社会全体の底上げが進んだせいか、このタイプがあまり評価されなくなってきている。言葉を換えれば市場に溢れているとも言える。ネットなんかで見かけるのもこのタイプが多いかもしれない。
反対に評価されているのが、プレイヤータイプの人だ。このタイプの人の特徴はなんといっても当事者意識。社会を変革しようとか、既存の枠組みを躊躇なくぶっ壊すことに興味を持ち、実行しようとする。実行フェーズにおいても、自分で陣頭指揮を執りたがるし、現場に出たがる。また受け身になることに我慢ができず、つい自分から動いてしまう。言ってることはよくわからなくても、行動で裏付けて周囲を黙らせる。ただこのタイプは少ない上に敵を作りやすい。異端児扱いされたり、自己中心的に思われることも多い。しかし本人は割り切って考えることも多い。
プレイヤータイプは近年急に求められるようになったが、その原因はおそらく日本社会全体が行き詰まっていることにある。この閉塞感を打開してくれる「誰か」をみんなが求めているのだ。しかしそんな人間はそうそう見つかるものではない。多くの場合見つかるのは「自称」プレイヤータイプで、過度な期待と自己評価によって結局潰れてしまう。だが社会が必要としているのならば、プレイヤータイプにならない手はない。ではどうすればなれるのか。断言はできないが、プレイヤータイプになるための第一歩は、欲望に対して素直になることだろう。プレイヤータイプの人を観察してみると、規範意識よりも欲望に対しての執着が強い傾向があることがわかる。そもそも日本人は規範意識が強すぎる。正確に言うと、他人の規範意識に対しての監視が強すぎるのだが。そしてこの傾向が変わりゆく社会にフィットする人材を輩出できない大きな原因であることはおそらく間違いない。そうと決まれば、六畳一間の幸せとか言うのはやめて街へ出よう。そしてガンガン稼いでガンガン美味いものを食べて、良い酒を飲もう。もはやそういう人の方が評価される時代なのだから。
ちょっと信じられない話だろうが、ヤリマンの多くは見た目30~70点の普通な感じの子が多い。
どうしてそうなるのか説明すると。
実は、それほど可愛くもなく、ブスでもない平均女が一番男に口説かれる機会が多いからだ。
モテる男の守備範囲(セックス対象)は上は100点から下は30点くらいまでと相当広い。
見た目普通の男であれば選ぶ女もそれと同等の普通な女と付き合えれば世の中とても上手く回るのだが、残念ながらそう上手くいかないのが世の常。
モテる男は80点以上の女をしっかりキープしつつ、本来50点同士で付き合うはずの女にまで手を伸ばす。
本来いい女と付き合っているはずのモテ男が50点の女にまで手を出してくるのだから普通以下の男にしたらたまったもんじゃない。
モテ男にしてみたら50~70点くらいのちょっと惜しいくらいの女が一番簡単にやらせてくれる。
こにちょっと惜しいくらいの女は彼氏がいたとしてもイケメンモテ男の2番か3番目のキープ女である可能性が非常に高い。
常に彼氏(だと思い込んでいる)に不満や嫉妬を抱いているのでちょっと優しくしてあげるだけで簡単にHさせてくれるのだろう。
たとえ本気で付き合っているカップルだとしても同じレベルの普通の男である場合が多いからイケメンが口説けば簡単に体を許す。
正直、彼氏のいないちょっと惜しい女よりも逆に彼氏がいてくれた方がイケメンのモテ男にしてみたら比較してもらえるので落としやすいのだ。
逆に彼氏のいないちょっと惜しい女だった場合、女が思い描く理想の男(80点以上)と比較されるので落としにくい。
相当頑張らにゃならんという事だ。
自分が普通だからといって同等の普通な女を口説いたところで、そう簡単に口説き落とせないんだということを知るべきだ。
そしてかりに彼女が出来たとしてもその彼女はかなり高い確率で浮気癖、もしくは浮気の経験ありだということも知っていて損はない。
あなたが自己評価で50点の男だとしたら、狙う女は20点から上だ。
間違ってもいきなり自分の点数以上の女を狙うような時間の無駄は避けるべきだ。
まずは自分の好みや感情など一切無視して経験を沢山積むべきだろう。
いい女と付き合うのはそれからだ。
ん?いい女と付き合いたいがためにブスな女を踏み台にして相手を悲しませたくない?
フッ、甘いな。
女の方こそいい男をゲットするための執着心や女磨きの向上心には目を見張るものがある。
大したことない男が「女を悲しませたくない」だなんて甘っちょろいこと言ってると逆に女に捨てられるのがオチだ。
他に男なんて出来るはずがないと思うくらいのブス女に限って実は・・・・。
と俺がいくら非モテに言っても分ってもらえないのはよく分ってるよ。
ま、理解されなくたっていいさ。
分る奴には分ってもらえると思って書いてるから。
成人の日に、大人についての話がおこなわれていた。
どういった性質が、大人として認められるのだろうということについてであった。
そもそも大人とは、善なる存在なのか、それとも悪なる存在なのか、もしくはその両方の混在であるのだろうか。
その芯とは、自分が気づいていても、また気づいていなくてもいい。
ただ芯がそなわっていることで、そこから自己評価が構築されていき、大人としての自己が確立していくのである。
そして芯のない人間は、たとえいくら歳をとっていても、(私が思うには)子供である。
また逆にどんなに歳若く幼くとも、芯が内にそなわっていれば、それは大人なのである。
ウェブ上でしばしば、「うつ病は甘えだ」という文句を目にする。
そしてこのことについて考えてみる。
うつ病は甘えだ、とは、別の言葉で置き換えると、自己評価の低さは自分に責任がある、とできはしないだろうか。
つまり、低い自己評価は、それを努力なり工夫なりで高めることができて、そうすれば自己問題は解決することができるというのだ。
ただし、そのアプローチはあくまで建て前であって、本当はそれよりもやっかいな構造をしているのである。
というのも、自己評価が(過剰に)低いということは、同時に自己評価が(過剰に)高いということでもあるからだ。
つまり、低いものを高めることで解決する種類の問題ではない、ということになる。
だから、うつ病というのは当人にとっては、甘えであってまた厳しさでもある。
そして甘えることもできず、厳しくすることもできない心の内なる叫びなのである。