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2022-11-12

cosumiの5路盤に勝てない

https://anond.hatelabo.jp/20220418214932

今更だけどこの投稿を見てcosumiをやってみたんだけど

5路盤にすら全然勝てない。

途中の5手目とか6手目あたり、どこに打ったら良いのか皆目見当もつかない。

囲碁難しすぎるわ。

2022-11-06

anond:20221106154658

昔と違って趣味の種類が多岐にわたるようになってきてるから囲碁将棋から特段の置き換え先が見つからないんだろうなーと思う

わかりやすくみんなが好きなものがあるといいのにね

オタクが集まるハウスって

要は「多世代交流センター」「なんとか文化センター」みたいなやつのオタク版が欲しいということだよね

しかにうちの地域交流センター囲碁将棋盤が置いてあるだけでほとんど利用する人がいない

時代に合わせて内容を変える必要があるんだろうな

我々の世代囲碁将棋に替わるものってなんだろう?

遊戯王MTG? TRPG?

アニメ鑑賞ルーム

2022-11-05

anond:20221105095725

自分スポーツ全般にそれ感じるけど、一つだけスポーツはじめたらそのスポーツを見るのはそこそこおもしろくなった。

まり一切やったことないから見る目もない。

やろうとしてみると「あんな動きは並みの人間にできるものではなかった」ってのがわかってきて、細かい差異が分かるし。

集団ダンスだと駆け引き的な部分のおもしろさもあるのではないか

相手より俺のほうが上手く飛べる、ではなく、二人とも自然に息が合っているってとこ。

 

でもまあ、一生知らなくてもいい楽しみも世の中にはいっぱいあるよ。

俺も囲碁の一試合の終わりタイミングがさっぱりまだわからんしたぶんそのまま死ぬ

2022-11-02

囲碁で下らない手を指す奴は最低だな

2022-10-31

司書マイナースポーツ

日本だと将棋囲碁で稼げるけどヨーロッパだと稼げないだろ

代わりに競技チェスになったりすんじゃん

日本じゃ司書マイナーなんだよ

から司書地位のあるアメリカとか行って就労すべきだ

 

日本司書が食えないのおかしいって

日本んで競技チェスで食えないのはおかしい、とか言ってるのと同じじゃない?

そら本場じゃないからそんなもんだろ。

2022-10-10

ディープラーニングブームって結局何だったの?

今年2022年は、ディープラーニングが注目されるきっかけとなった画像認識コンテストから10周年になるのだそうだ。つい数年前、コロナ禍が始まる前までは、「ディープラーニング人工知能社会を変える」とさかんに喧伝されていたのを覚えている。

けれども、たった今、周囲を見てみると、我々の生活のもの10年前とさほど変化していない。我々の所持品のほとんどは、多少のスペックの向上はあれども、10年前には既に存在していたものだ。もしも仮に、過去10年間昏睡状態だったとしても (コロナ関連のもろもろを除いて) テクノロジー的にはさほど困惑することなく新たな生活になじめるだろう。

もちろん、細かく見れば変わっている部分もある。将棋囲碁テレビ中継に常に形勢判定が表示されるようになったとか、顔認識による個人識別の精度が向上しすぎたためにプライバシー保護が大きな政治問題になっているとか、画像生成や文章生成の面白いデモが頻繁に注目されていたりもする。

それでも、我々の生活に関するテクノロジーのものは、10年前からほとんど変化していない。そんなことを強く感じたのは、故障した掃除機を買い替えるため、久しぶりに都心家電量販店に行ったときのことだ。あらゆる商品の形が10年前から変化がない。一般消費者向けのスマートウォッチVRゴーグルも、今ほど広く利用されていなかったとはいえ2000年代には既に登場していたし、ルンバのような掃除機ロボットも既に20年の歴史がある。

たかだか3,4年前まで、すぐにでも発売されるかのように報道されていた、自動運転車調理ロボット、部屋のお片付けロボット洗濯物をたたむロボットを私が購入できるのは、一体いつになるのだろう。

2022-10-09

囲碁将棋AIの時も思ったけど

AIの「詰めが甘い」ことをもって「まだまだだ」とか「人間の方が上」とか言い出す奴のわかってなさってないよな。

単純計算なら人間の数億倍のスピードでできるけど、曖昧判断がうまくできないというコンピュータの弱点を補ったものAIだってのに。

単に条件付けを細かく設定してディテール修正することなんて、もともと人間より何倍も得意だっての。

あと一年以内に手ぐらいは完璧に描けるようになるよ。その他に不自然な点が残ってても、いつか修正できる程度のもの

 

AIがこれからもすぐには伸び難いのは、「何から学習させていいかからないこと」だ。

例えば漫画コマ割りまで学習させてシナリオを上手く漫画化するということもいつかはできると思うが、今はそれをどう学習させるのが良いかがわからない段階だろう。

そこの効率的手法確立したら実装はすぐだ。

AIってそういうもの

2022-10-08

anond:20221008233144

生成に関しては、本当に教師なし学習なんてできんのかって気がするけどな(今のtext to image系はタグテキスト画像ペアを使ってるという意味教師あり)。

だって結局生成した絵が良いかどうかって「チンコが反応するかどうか」でしかないわけで、それは人間じゃないと判断できないでしょ。

囲碁とかはゲーム勝敗という基準があるから自己対戦で学習できるけど、絵の生成でそんなことできんのかね。エーアイが興奮するけど人間はピクリとも来ない画像を出されても困る。

2022-10-06

anond:20221006154120

囲碁チェスの人も同じようなこと言ってたんやろうなぁ

2022-10-05

Google囲碁AI

教師なしでゼロから学習して人間より強くなったじゃん。

お絵描きAI学習データなしで自分だけで絵を描けるようになったら文句言われないのに。

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-26

わたしは今年26歳の社会人で、片思い(多分)で好きな高校生の子がいます

教師かな?

高校2年生であるきな子ゲームに夢中

こんにちは

この前、私が旅の途中で、彼女学校もちょうど修学旅行でしたので、偶然で彼女クラスがやっていたカードゲームに私は参加しました。

しゃべりで共同の興味が多いなあと思ったので、LINEを交換して友だちになりました。

最初恋人同士になりたいほどの好きな気持ちはあまりなかったけれども、

一緒にオンラインチャットして、オンラインでできることを助け合って、オンラインでできるゲーム囲碁とか)を一緒に遊んで、知らず知らずのうちに、

好きでたまらない気持ちになってしまいました。「早く成長して、同じ社会人になったときに僕と結婚してもらいたいなあ」と、自分の頭の中で時々考えます

告白とか、はっきりとしたことは無かったけれども、ヒントとかたまにあげました。思いが伝えたかどうかわからないんですけれども。

この先はセンター試験があって、もし恋愛のせいで大学に落ちたらめっちゃくちゃやばいじゃないかと思ったから、彼女高校である間中絶対にはっきりな告白はしない、恋愛関係を築かないと決意しました。

しかし、最近彼女は、とあるオンラインゲームにめちゃくちゃ夢中のようです。

私が彼女の代わりに、彼女ゲームキャラクターを成長させたら、なんとかゲームのほうは放っといて、

勉強に集中できるのじゃないかなあと思ったら、ちょっと期待外れでした。

私が代わりにゲームキャラレベルアップさせたのに、もう自分の力で目標を達成する必要はないのに、

彼女ゲームに夢中のままで変わらないのです。

でも親のように「勉強しろ」って一言を言いつけるのも、あまり良くないと思います

そんなに友だちとして信頼してくれたのに、結局親とは違いがない。こうしたら彼女がっかりするのでしょう。

高校2年の勉強はとても重要だと思います。私も昔高校生で、センター試験経験したことがあるからよくわかるのです。

高校2年生のときの成績の良し悪しによって、3年生のときが厳しいか楽かが決まります

わたしも、彼女自分理想大学に入ってほしいのです。成績をアップさせたいのです。でもとても仕方がありません。

どうしたらいいでしょうか。とても悩んでいます。皆様の意見を聞かせてください。お願いします。

kazukazu0926

2022-09-23

なんで囲碁プレイヤーにすら切断厨がいるんだろう

囲碁を学ぶ前に礼儀道徳を学んだ方がいいよ

2022-09-17

anond:20220915220513

この手の問題の話が難しいのは分類が困難だからだ。

 

まずわかりやすい例から言うと

「ぶつかろうとする変質者的な人たち」

を混ぜてはいけないよね。

 

避けないのか

避けれないのか

ぶつかろうとしてるのか

 

全部別だよね。

 

ぶつかろうとしてる人たちは論外にしておかないとかなりややこしい。

 

避けれない人たち

 

こういう人たちも多数いると思う。

これは隠れ要素なんだと思うけれど。

女性短期的もしくは反射的に直近の未来予測するのが極めて不得意である層がいると筆者は考えている。

未来予測が上手く出来ていないので人を「避けれない」人たちが少なくないと思っている。

関係ないが女性将棋が弱くて囲碁だとまあまあ強いのはこのへんの頭の構造の違いも関係していると思う。)

まり本人的には避けている、あるいはぶつからないように歩いているつもりなのだ

「なぜかぶつかりそうになる」

それは当然自分が悪いのではなく相手のせいである→男はぶつかってくるという結論を得る。

それか、男と女未来予測の仕方が大きく異る可能性もある。

それでお互いの呼吸が合わない可能性。

 

避けようとしない。

というのは倫理観とかマナーとか、しつけとかそういう話になるんだろうな。

一般的に女は避けないはこのカテゴリーに含まれると思う。

2022-09-16

anond:20220916134019

勝って嬉しいときも負けて悔しいときも、最終回の先もずっと囲碁を続けていくんだって感じがして好き。ジャンプ漫画として求められていた展開と違う、というのはわからなくもない。

2022-09-13

遊びを考えることができる人ってすごい

スプラトゥーン3が3日で340万本売れたんだってね。

すごいよ。

うまく言語化できないんだけど、新しい遊びを考えるってすごいなと。

遊びがなかったら、人生まらないと思うんですよ。

幸せ」って言葉意味って、古今東西「金と健康」だと思う。

健康必須として、問題は金。

大抵の満足は金で買える。

金があれば、働く必要もなく、美味いご飯を食べ、暑さ寒さからも逃れることが出来る。

ところが、お金持ちが最後に辿り着く遊びはというと、セックスアルコールという、これまた何千年も進歩してない。

夢中になれる遊びがあれば、あとは健康さえあれば人生の勝者。

もちろん、貧乏人でも楽しめる遊びは昔からあったさ。囲碁将棋みたいに。

でも、囲碁将棋レベルで飽きない娯楽、そんなポンポン、毎年のようにリリース出来ないと思うんだ。

いやほんと、新しい遊びをこんだけ世に出せる任天堂ってヤバいとおもわない?

2022-09-06

anond:20220906022058

囲碁オセロはすべての計算10の50乗だの200乗だの必要です。それって理解できる程度に簡単ですか?

現実パターンたかオセロと比べれば数段複雑。

結局理解できるところまでしか人間理解できず、理解したと誤認してるだけなんだけど、

自然科学以外はすべて理解してるって思いこむ馬鹿って謙虚なんですかね・・・

これだけで科学不要さがわかりますね。

2022-09-03

anond:20220903163356

解釈」という言葉意味が通じてないな。囲碁将棋みたいな完全情報ゲームに現れる「解釈」とは全く別の話。

じゃあ今から人工衛星(あるいはその軌道制御ソフトだけでもいい)作ってくださいとだけ言われて自動生成ソフトだけ渡されたら作れんのかって話なんだわ。

anond:20220903162735

なんかそもそも理解できなさそうだけど、解釈とセットでやっちゃうから手が出せんよ。

から将棋囲碁って負けたから。あれって全国大会とかだと東大主席とか出てくるんだけど、

その手の人らの解釈は話にならないってことでプロ含めボロ負けしたから。

AIが話す結論をまねてしまうのが一番正しいんだよね。その程度になれないレベル人間意見なら。

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