はてなキーワード: リポーターとは
すでに優秀な人ほど海外の大学を目指すなどして本当に日本を出て行っているという事実。日本に残るのは第二言語を習得できないバカばかりだ。いずれ大学卒業後の進路も、まともな仕事をしたければまず真っ先に外資系企業を目指すしかなくなり、あまり仕事の出来ない奴が渋々日本企業に入る、という状況になるだろう。こういう(選択的な)人材の流出が進むとどうなるか。いずれそう遠くない未来「日系人は優秀だけど日本人はダメ」という状況になると思う。
アメリカやイギリスなどに国籍があり、その国の環境で育てられた“日系人”がノーベル賞を受賞し、それを見た本土日本人が(完全に海外国籍であるにも関わらず)勝手に同胞認定。「日本人がノーベル賞受賞の快挙!」などと連日報道し、頭の悪いリポーターが押しかけて「好きな食べ物は?」など低レベルな質問を投げて閉口される…という状況が目に浮かぶ。カズオ・イシグロや大坂なおみを見るにつけ、そんな未来がいよいよ現実になりそうだと感じる。
すでに優秀な人ほど海外の大学を目指すなどして本当に日本を出て行っているという事実。日本に残るのは第二言語を習得できないバカばかりだ。いずれ大学卒業後の進路も、まともな仕事をしたければまず真っ先に外資系企業を目指すしかなくなり、あまり仕事の出来ない奴が渋々日本企業に入る、という状況になるだろう。こういう(選択的な)人材の流出が進むとどうなるか。いずれそう遠くない未来「日系人は優秀だけど日本人はダメ」という状況になると思う。
アメリカやイギリスなどに国籍があり、その国の環境で育てられた“日系人”がノーベル賞を受賞し、それを見た本土日本人が(完全に海外国籍であるにも関わらず)勝手に同胞認定。「日本人がノーベル賞受賞の快挙!」などと連日報道し、頭の悪いリポーターが押しかけて「好きな食べ物は?」など低レベルな質問を投げて閉口される…という状況が目に浮かぶ。カズオ・イシグロや大坂なおみを見るにつけ、そんな未来がいよいよ現実になりそうだと感じる。
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。
ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督のロバート・ゼメキスはDVDの副音声でこう言ってる。
監督が求めたのは、自分の意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢なキャラクターだった。90年代の映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。
じゃあさ、「フォレスト・ガンプの時代に現実の知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年~1990年のアメリカは知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。
劇中、フォレスト・ガンプ少年はIQの低さから公立小学校への入学を拒否されかけたのだが、ママが校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。
愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者は施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。
1965年にウィローブロック州立学校という知的障害児の施設がリークされた。
潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間が生活する環境とはとても思えない状況だった。
とにもかくにも、この時代に知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間の尊厳はない。
1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。
ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法を勉強させません」なんて言い返している。
個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。
というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。
それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者のコメントを求む。
血の日曜日事件のアラバマ州が舞台でありながら公民権運動をスルーしたことで、白人礼賛の保守映画と認定されがちな本作であるが、1960年代は黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。
1963年には脱施設化の転機である「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、
1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設に収容されるべきではないという判決が出された。
公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカの障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)
設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州で公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。
個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクにスカウトされてないほうが疑問なわけだ。
アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。
ガンプは走りたいから走っていたが、現実の知的障害者たちはそういうわけにはいかない。
結局デモなりなんなりで、「地域で暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民の了解を得るしかない。
というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別を禁止する公民権法だ。ダン中尉、政府のおっぱいは限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府が障害者の権利を認めたのだ。
「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。
90年代ハリウッドでは障害を肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。
革命的なのは2000年代のファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。
さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害を肯定的に捉える映画の企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。
「だって俺、興味ねーし」っていう。
結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラのフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。
まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。
「知的障害者」だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。
今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活をエンジョイしてる知的障害者もいる。
日本の話だけど、この前バリバラに地域で子育てしてる知的障害者の夫婦が出てたぜ。ハロー・1950年代、これが2019年だ。
だから、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。
当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。
そもそも北海道出身のローカルタレントがいるのかというのが気になった、
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181219014921
オクラホマと同じくオフィスCUE所属の旭川出身小橋亜樹や札幌出身北川久仁子、
夕方の情報番組のアンカーも務めるDJの帯広出身GUCHYや同じく夕方情報番組を持つ江別出身ヒロ福地
それからUHBで情報リポーターをしている石井ちゃんこと札幌出身石井雅子さん
この辺りが日常的によく目にする活躍している道内出身のローカルタレントと言えるのじゃないかなあと思う
企業がトップページに使う画像がフリー素材って事あるのかなぁ。
https://irodori2u.co.jp/20170921-ikk00256/
「電車での乗客の表情も旅行者にとっては”日本の印象”になるんだ……」と気づかせてくれた親友の韓国人の何気ない質問
https://this.kiji.is/369737558743188577
47リポーターズ地方新聞社や共同通信の記者らによる署名入りコラム。 地方創生に絡む問題を多く取り上げ、新聞記事とは違った切り口で提供します。
どっちも「同じ写真」使ってるけどどちらにも画像の著作表示がない。フリー画像なんだろうか。
調べたら
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%97%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%99%A9
ワイドナショーで古市(下の名前読めない&知らない)さんが「M-1はともかくM-1について語りたがる人が嫌いだから嫌い」とおっしゃってました。
なるほどと膝を叩いた。
詳しくは知らないですがM-1自体はK-1などの格闘技のパロディ的なネーミングですよね。笑点が焦点だか氷点だかの人気ドラマのパロディといっしょで。
いつしか登場人物にはこういうドラマがあるからあそこでああいうことをいって審査員がこう答えたことに感動するというのは非常に格闘技、あるいはプロスポーツ競技と似通ったものがある。それをして「気持ち悪い」という感覚もわからなくはない。
そうなると古市さんはそういうことをずっと語り続けている「とくダネ!」の小倉智昭さん(彼も下の名前がわからないけど検索候補で出てきたのでこれだと思う)のことも嫌いということになるのか。オリンピックのたびに仕事半分遊び半分で現地リポーターをしてる彼を。
ある女優の息子が性犯罪を犯したってことで、母親としてのお詫びの会見があって、
その席上、某テレビ局の記者だかリポーターだかが、下劣な質問をしたとかで叩かれてる。
実際、質問は叩かれるべき下劣なものなのだけれど、それに気丈に答えた女優の評価は上がっているようだ。
今後の女優の芸能活動にとっては、かなりのプラスになるだろう。
実際、「女優さんかわいそう。メディアに負けずに頑張れ」という反応を、ネットで結構見かける。
そもそも、なぜ記者会見がこのタイミングで開かれたかといえば、女優が今後も芸能界で生きていかなきゃいけないからだろう。
これが一般人なら、凶悪な犯罪がおこったからって、「なんで親がお詫びの記者会見開かないんだ!」と叩いたりしたら、それこそ大炎上するはずだ。
それが、みんな「会見が開かれること」それ自体については当然として話が進んでいるのに、なんとなくモニョる。
女優サイドが、「いまはとても、記者会見を開ける状態にないので、そっとしておいてほしい」といってたら、
どういう反応だったんだろう?
それはそれで同情があつまったんじゃないかという気もするし、
もしメディアの側とか、どこぞの「文化人」が「なぜ、あの女優は会見しないんだ?」などと発言したら、
そもそもああいう記者会見がテレビで生中継されて娯楽として消費されていること自体が、かなり下劣なことなんじゃないかと思うんだけど、
違うのだろうか?
シン・ゴジラいまいちだった派の全員がこのような意見だと思われるのは心外なので批判しておきたい。
絶賛されている『シンゴジラ』が個人的に58点の映画だったので海に身を投げたい | 二十日・de・おぼーん | note
政治描写に絞り込むために背景はあえてオミットされていると見るべきだ。
かと思えば「大統領になりたい」だの「総理になりたい」「幹事長になりたい」だの政治的野心をのぞかせる台詞はポンポン出てくる
これはナイチンゲールなどが言う「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」と同様のことではないかと思う。
政治家は、名誉欲や出世欲、あるいは「国を守りたい欲」といった個人的欲望によって仕事をしている。
それは「人のために働く」ことと相反しない。
あえて「無私無欲な英雄的人物」を描かないことがリアリティを生んでいるのである。
廃墟となった町を前に、ことさらに嘆いてみせるのはニュースリポーターの仕事であって、政治家のやることではない。
終わったことは終わったこととして、いかに立ち直るかを考える。
という割り切り、切り替えの早さを描いているのではないか。
前段の「感情移入」もそうだが、「主人公には感情移入させねばならない」「物語はカタルシスを描かねばならない」という観念に囚われすぎている。
こういう物語だったらこう描くべきだよね、という気持ちが先行しすぎているタイプの批評家であるように感じる。
シン・ゴジラは「リアルの政治ドラマ」と「フィクションの特撮映画」を描いた物語なのだ。
だからこれだけ綿密に取材して政治家や官僚のキャラ作りをしてきたくせに、
フィクション側の画面へ行った途端に「無人在来線爆弾」なんてものが出てくる。
その構造を批判こそすれ、ヤシオリ作戦そのものの荒唐無稽さに突っ込むのは野暮である。
主人公の作戦チームってあれだけ人数いるのにマキ・ゴロー博士の暗号解読して凝固剤の生産を手配しただけで実は大したことしてないよね
その二つだけでも十分なうえに、ヤシオリ作戦を立案したのはあのチームでしょう。
あれはゴジラの放射性物質の半減期が短かったという話で、ゴジラの遺伝子データから除染できるという話ではなかったと思うが…
全然ハーフに見えない高圧系女子の石原さとみが「40代で大統領になるのがドリーム」とか言ってるけど、アジア丸出しの顔でなれるわけないだろとか
女性でアジア系で若年、というハンディを乗り越えたいからこそのドリームなんじゃないですか。
この人、10年前にも「黒人がなれるわけないだろ」とか言ってそう。
まったくだ。
ゴジラの造形は最高
腕が小さすぎない?
曲もいいし
冷静になるとああまで過去作をオマージュする必要もなかったんじゃないかという気が。
放射火炎以外のCGがしょぼかった…