はてなキーワード: お笑い芸人とは
M-1における井口の河本に対する態度を見て「相方を見下している」だとか「当たりがきつい」だとか「パートナーへのリスペクトがない」だとか、色々言われておりますな。
初めてあれを見る人はみんなそう思うと思います。その感想は正しい。
でもね、井口の態度はあれで正解なんです。
YouTubeの「ぶちラジ」やSpotifyの「週刊少年ツヤマ」やらをともかく20本くらいずつ聴いてからもう一度振り返ってみてほしい。
https://www.youtube.com/@buchiraji
https://open.spotify.com/show/5KW9o9GXeZZnq0KbUSMOf4
これらを聴けば、いかに河本がお笑い芸人としてポンコツで、自覚的に井口に人生ぶら下がって生きているかがよくわかります。
このコンビを男女関係としたら、ヒモです。河本は、井口のヒモ。
井口にはピンの仕事が多くてコンビの仕事は少ないため、河本は基本的にヒマで普段は内装工事のバイトをしています。
たまに河本にテレビの仕事があっても雛壇に座ったまま何一つ言葉を発することはできず、たまに何かを喋れば場を凍らせるような発言をして当然放送ではカットばかり。
なのにコンビ結成初期にふたりは「ギャラはコンビで折半」という取り決めを交わしており、そのため「休みなく働いている井口よりも、ネタも書かずお笑いの仕事もほとんどない河本のほうがバイトの分だけ収入が多い」という逆転現象が起きています。
独身非モテキャラとして文字通り身を削ってネタを作っている井口の稼いだお金で、河本は妻子を養い幸福な家庭を築いています。
なので、ウエストランドファンの間では井口が河本を罵倒するのは当然、という共通認識があるのです。
知らない人がいきなりあれを聞いたらびっくりするのも当然なんですけどね。
井口はことあるごとに「私ひとりの力でM-1決勝に行きました」と言っていますが河本自身もそれは否定していません。悪びれもせず笑顔で「連れてってくれてありがとな!」と言っています。井口は「頼むから邪魔だけはしないでくれ」「早く解散してえわー」と返します。
そういう関係性なのです。
ヒモではありますが、とにかく従順に井口につき従う姿勢を河本は貫いています。
「ぶちラジ」を見ていると、ほんのたまにですが、井口が河本に対してとても素敵な笑顔を見せる時があります。一瞬のことなのであやうく見逃してしまいそうになりますが、それは普段の井口の心の闇からは想像もつかないような、純粋で穏やかな、やさしい笑顔です。
このふたりがお互いを心の底から信頼しあっていることは間違いありません。
おそらくインタビューでもこうした関係性は当人たちの口からは語られないことでしょう。
でも、上記のラジオ等で彼らのやり取りをとにかくたくさん聴けば、きっとわかると思います。
ふたりを結びつけている絆は、ちょっとやそっとの、いや、見ている者が引くくらい辛辣な罵倒であってもビクともしないくらい強いものだということが。
あかね囃は、題材は落語だけど、話の展開が完全に少年マンガで、しかもバトル漫画なんだよね
落語マンガといえば、落語心中(アニメ化ドラマ化数々の受賞)、次点で道楽むすこ(夏子の酒の作家で18巻)かなと思うんだけど、それらとは方向性が違う(少年少女よりは上の世代向け)
原作はストキンPro受賞者(ネームの賞レース。この時の作品もお笑い芸人の話)、作画はスポーツマンガ連載やファンタジーを描いてた作家なんだけど、このコンビがうまくいったんだろうな
この2人は過去に読み切りで漫才マンガ描いてて、その流れでこの漫画が連載になったと思われる
マンガの構成が上手いのは、落語のノウハウをそのままネームに生かしてるからだと思う(客を飽きさせず引き込む展開等)
それで作画が10年漫画家してる人なんで、さらに魅せ方が上手いんだよな
普通ジャンプで落語なんてありえないんだけど、完全に落語を少年マンガの人気スタイルに落とし込んでるので、人気が出るのも頷ける
編集者は村越という人みたいだけど、最近ではアオのハコも当ててるし、編集もいいんだろうな
今後も目が離せない作品だ
アートネイチャーがやってるような「ハゲは恥ずかしいことなのでお金を沢山使って防ぎましょう」みたいなネガティブキャンペーンは法律で禁止してほしい。
お笑い芸人がハゲ弄りをしている映像とかは積極的に発売禁止にして欲しい。
あと、ハゲを笑うことを侮辱罪として訴えた時にそれがちゃんと通る確率を裁判所はちゃんと上げて欲しい。
今の社会は「外観的特徴を『少し』からかったぐらいのことで怒るほうがおかしい」という価値観が蔓延しすぎている。
でもそれって割れ窓理論みたいなもので、そういった『少しなら大丈夫』がどこかにある限りは、「これぐらいなら『少し』の範囲だと思った」でラインを踏み越える奴らがあとを絶たないままだ。
「ハゲは肉体が劣化しきったヒトモドキ」という風潮を否定した所で、「髪型がバッチリ決まっているのがカッコイイ」が否定される社会になるわけじゃないだろうに。
別に自分は「髪の毛が少ないせいで髪型がいい感じになってない」と言われるのは我慢できる。
「(不可抗力により)毛量が少なく生え際の位置が若い頃と全く異なっている」ことに対して過剰な嘲笑を受けるのをおかしいと感じているだけだ。
まして、それを自分たちの手で煽ってマッチポンプを仕掛けているような連中が野放しになっていることについてはいよいよ許しがたいのだ。
○ご飯
○調子
明日仕事なのに遊んだゲームが面白くてその余韻を楽しみたい気持ちで飲んじゃった。
美少女ゲームの文法で作品の構造自体に仕掛けがあるSFを書くことと、こめっちょのクオリティに定評がある infinityシリーズや極限脱出シリーズのライター打越鋼太郎さんのAIシリーズ第二段。
前作から3か月後、身体を真っ二つにされその半身だけが見つかるハーフボディ連続殺人事件が発生する。
なんとその6年後に、見つからなかった半身が見つかる、しかも6年経ったとは思えない真新しい死体が。
6年越しに見つかる半身を巡る殺人事件を、前作から3か月後を舞台に新人捜査官の龍樹と、それから6年後を舞台に捜査官になったみずきの二つの視点で追うことになる。
しかし、話を進めていくと、事件の捜査は二の次で人間関係、愛をテーマにしたそれの解きほぐしが始まる。
ソムニウムパートと呼ばれる対象者の夢に潜り込む装置を使って、彼らが人間関係の中で秘めた気持ちをスッキリさせる。
大きく分けると3組のお話が主軸になっている。
売れないお笑い芸人の父親が息子を思う気持ち、そんな父親に向ける子供の本当の気持ちを解きほぐす、米治、祥磨ルート。
元犯罪者ながら成り上がろうと努力する男性と、大金持ちの娘という立場でその男性のプロポーズに悩む、ライアン、絆ルート。
醜くい自信の肉体を受け入れてくれたがそれを信じきれずにいる苦悩のお話の、厳、亜麻芽ルート。
この3組の相手を思うが故に相手を守りたいと思うが故の苦しみが、ソムニウムパートによって解きほぐすされていくのが感動する。
特に最初はストーカー気質な上に元犯罪者というヤバさのせいでドン引きなライアンが、本当の本当に絆のことが好きだと伝わってくるパートが僕は好き。
お嬢様ながら「興奮するとオシッコ漏らしちゃう犬みたい」と下品な例えをされてしまう激情的な絆とのカップリングは面白く、今作のソムニウムパートの主役と言っても良いだろう。
そんなわけで、人間関係感動パートがかなりの文量あるのだけれど、当然このゲームそれだけではない。
最初に書いた通り、6年越しに死体の半身が見つかる、それも死亡推定時刻は6年前ではなく最近、という奇妙な謎を解かないといけない。
読者である僕からするととんでもない謎なのだけど、どうにも登場人物たちは謎と思っていない。
それどころか彼らの話す仮説の方がより謎を深めていく。
正直、今までそれなりの量のミステリを読んできているので、殺人事件の仮説の要点を踏まえることは得意だと思っていた。
その通り今作も最初のうちはふむふむと読み進められる。
歯車というか、そもそも主人公たちと読者である自分との間に齟齬がありすぎる。
と、事件の謎よりも、謎の仮説の方がどんどんと混迷を極めていく。
いったいぜんたい、根本的に「ナニが起きて、ナニを解決しないといけないのか?」そういう枠組みから疑う必要がある、そう気付かせられる。
まあ、そりゃそうなのだ。
打越鋼太郎という作家性、どう考えても物理的不可能な不可解な事件現場、登場人物と読者との情報の齟齬。
これらを踏まえれば、物語の構造に仕掛けがある類のトリックであることは明白だった。
なのだけど、僕はかなりあっさり引っかかってしまい、おどろきの声を上げてしまった。
ゲームで物語を遊ぶという構造的に疑うことをやめてしまう部分をうまく利用しているのが面白い。
正直ちょっと前作を踏まえると矛盾するのでは? と思わなくはないのだけど、どうも作者自身もそれはわかっていたらしく、かなりわざとらしいフォローが入っていた。
そんな物語の構造に仕掛けられたトリックを乗り越えて、お話は幕を下ろす。
完全にシリーズ恒例にする気満々のアレで締め括られる。
前作で始めてみた時の衝撃は本当にすごく、今作でも期待していたのと同時に、このハードルを越えられるか? と不安だった。
なのだけど、全くもって問題なし、前作並みのアレでの締め括りで感動的で、泣けて、笑える。
前作でも感情が泣き50パー、笑い50パーで半々になってしまいどんな顔して良いか分からずただただ感動したが、
今作も泣きと笑いの感動が同時に味わえた。
いやあ、よかったよかった。
そんな前作並みの感動の完結後、前作ではたった一文で示唆され、シリーズを跨いで追っているファンの度肝を抜いた、打越鋼太郎作品で度々登場する「アイツ」の件。
今作では1文ではなく、短いながらもちゃんとしたシナリオが展開することになる。
「物語の構造に仕掛けがある」という構造に仕掛けがあることが明かされる。
これ自体は、シリーズは異なるが同じ作者の作品を踏まえるとさもありなんではある。
しかし、その味わいは全く異なっていた。
そもそもこの種明かしがグランドフィナーレの後に来るという構成が根本的に何かおかしい。
これを「アイツ」の功績によって得られたシナリオグランドフィナーレにするのではなく、「アイツ」が少ししか登場しないシナリオをグランドフィナーレにする。
これになんの意味があるのか。
なんかこうyoutuberとかならまだわかるんだけどそこらへんのおっさんでもなんかお笑い芸人の真似みたいな口調でしゃべるのなんなの?
そりゃまあ彼らはおしゃべりのプロなわけで、ちょっと上手くしゃべろうかなって思えば真似するのはわかるよ。
誰だって少しでも向上心があればプロの真似するのは比較的メジャーな行為だよね。
だけどさ、おれそのお笑い芸人しらないんだよ。だからなにのマネしてるのかわからないから単にへんてこなムーブをする素人にしかみえないのさ。
どうしろっていうのさ。