はてなキーワード: お笑い芸人とは
村本大輔(ウーマンラッシュアワー)「この命を奪おうって決める仕事はなによりも重い仕事よ。あなたはハンコを押すだけ、そのハンコを押すことによって、人間がひとりこの世界からいなくなる。そこには遺族もいる。地味な仕事じゃないよ」
村本も増田も間違ってる
「法相は朝、死刑(執行)のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」
発言については適当にニュースサイトからピックしただけなんだけど…
葉梨「法相は朝、死刑(執行)のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」
葉梨「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」
→「だから、私は今にも辞めたいと思う」と言ったなら問題と思う。だけどそんなことは言ってない。
→どちらかというと「それでも私はまじめにやってます」的な発言だと思ったのだが、そうではないのか? いや知らんけど。
ひろゆき「『票とお金になるから大臣になった』と口に出す事が不味い事だと全く思ってないのが凄い」
→いや、そんなこと言ってなくね? それってあなたの感想ですよね。
→そこに関しては同意。ついでに、それを言うなら〝こんな人達〟を選挙で選ぶ日本国。ってことにもなるけどね。
斉藤鉄夫(公明党:国土交通相)「命の重さと法の厳正さの象徴である法相として覚悟に欠ける発言だ」
→??? 法の厳正さは、まあそうなんだろうけど、命の重さの象徴? そうなの?
石川大我(立憲民主党)「あまりに軽率。死刑執行のサインをする資格はない」
→何が軽率? 「どうせ考えなしに印鑑押してるだろ!」っていう決めつけ?
ラサール石井(タレント)「耳を疑うとはこのことだ。どこを切っても問題発言」
→ちゃんと耳を疑って。問題発言を切り取ったのだから、どこを切っても問題発言なのは当たり前。というか、問題発言に聞こえるように報道されたのだから、当たり前。たぶん、自分の耳を信じすぎ。
村本大輔(ウーマンラッシュアワー)「この命を奪おうって決める仕事はなによりも重い仕事よ。あなたはハンコを押すだけ、そのハンコを押すことによって、人間がひとりこの世界からいなくなる。そこには遺族もいる。地味な仕事じゃないよ」
→いや、地味だろ。なんか「重要=地味じゃない」みたいな偏見持ってる?
→お笑い芸人からすれば、そうなのかも。たぶん、世の中の地味な仕事してるすべての人を見下してる。
葉梨というのがどういう人なのかは知らないけれど、
「ここは都合が悪いから読み飛ばそう」
それで騙し通せるという発想が負け犬くんすぎるんだよなあ……
相手を説得しようとも思わず、一方的な思い込みを突き付けるだけで満足してきた陰キャの証拠……
コミュニケーションそのものを誤解したまま齢だけ重ねた〝真〟のカースト最下位
戦わなければ負けることはない。だから負けず嫌いにとっての究極の戦略は〝戦わないこと〟
だがそれこそが本当の負けだと知れ
お笑い芸人にそんな知能がある訳が
実は結婚してましたはどうとでも逃げ切れる話だったのに、その裏で自分のラジオの構成作家と10年不倫してましたのスキャンダルは、下種のレベルが段違いすぎて笑う(笑えない)
今日日お笑い芸人でも自粛待ったなしのレベルなんで、まあ2年くらい消えるだろうね。
鈴村健一心労で倒れそう。
声優のスキャンダルが追われるようになって、今ビクビクしてる人結構いるんじゃねえかな。
某国民的アニメに出てる4,50代声優の複数が結構いろいろ問題かかえてるし。
そもそもの話、演劇関係の下半身事情がイカれてんのは今に始まったことじゃない。
あるあるネタで「こちら側のどこからでも切れます。」が嘘だ、意外と切れないぞ、という話があると思う。
お笑い芸人か誰かもテレビで言っていたりして、子供のころ小学校でもネタとして話題になった。
たしかに実際に手で切ろうとした時、こうした文言があるにも拘らず失敗することがある。
だから小学校時代の俺もそれでわいわい騒いでいたのだが、一人だけこれに異を唱える女子がいた。
確かに切れないこともあるのだが、それはギザギザの時も変わらないのではないか、ということなのだ。
よく聞いていくと、そもそも「こちら側のどこからでも切れます」以外の、例えばギザギザカットの包装小袋でも失敗してうまく切れないことがある。
「こちら側のどこからでも切れます」は、どこからでも切れることを説明しているだけであって、その失敗の可能性はまだギザギザカット包装小袋など他小袋の場合と等しく含まれているのではないか。
だから「こちら側のどこからでも切れます」で切れないことはそんなにおかしいものではない、笑い物にするべきではない。そんなことをたどたどしくだが一生懸命に説明していた。
つまり、プラスチックの小袋を開ける際に失敗する可能性が形態を問わず存在しているのであって、その可能性をちゃんとさっ引いて「こちら側のどこからでも切れます」を評価するべきだ、ということなのだ。
言を重ねるが、確かに「こちら側のどこからでも切れ」るのだ。ただし失敗する可能性があるということ。そんなことを頑張って説明してた。
女子だったから男子はからかうような流れになったと記憶している。でも俺は、家に帰ってからその腑分けの仕方、発想のあり方、そしてその女の子のことをずっと考えていた。
これが私の初恋だったのだろうと思う。
フィクションだと実話系の怪談とちがい、綺麗なオチや筋が通ったストーリーが必要になる。だから、フィクションの怪談を読んでいると「なんて綺麗な話なんだ!」と思う。
実話系怪談は怖い体験をした人の話をそのままアウトプットすればいい
そして、おそらく視聴者や読者が「むちゃくちゃ怖い!面白い!」と思えるようなクオリティの怪談はごく一部
怪談師として人気がでればたくさんのファンが怪談を提供してくれるんだろうが
人気がない人はガンガン取材に行かないといけないし経費もかかる。
その点、フィクション作家は自分の頭の中に浮かんだことを文字や漫画に起こせばいい
物語をグロテスクにしようとすればいくらでもできる(しかし、派手な展開にすればフィクションっぽさがでる)
怪談師は怪談師で話術や取材をする人から詳細な情報を引き出すコミュニケーション能力が必要になる。
こうして考えると実話怪談と作家が書くフィクション怪談は全然別ジャンルで
受けとる側が実話怪談が好きかホラー小説が好きか好みによって評価がわかれるんだろうな
実話怪談が好きな人がホラー小説を読むと「どうせ作り話だし!」と冷めてしまうかもしれない
怪談師とフィクションホラー作家はどちらが有利かなんて結局決められないんだろうな。別々のジャンルだから。ラーメン屋で食べるラーメンとカップヌードルどちらが好きですか?と聞いているようなものか
お笑い芸人が作家の怪談を丸々パクって話すなんて事件があったそうだけれども、せっかく怪談を話す機会を得たんだから取材すればよかったのに