はてなキーワード: 恐ろしいことにとは
エレベータのメンテの人が今日たまたまメンテでいらっしゃったので訊いたんです。
エレベータって夜中に勝手に動くことあるんですか?と。そしたら遠隔で診断やメンテナンス出来るように夜の1~3時に動かすことはあります、だそう。
時間も言ってる時間とあってるし、あながちこないだ深夜勝手にエレベータが動いて違うフロアに移動してたこともあり得るってことで、ちょっと安心しました。
でも夜中に自分のいるフロアにチーンってエレベーターがきたら恐ろしいですよね。
今日も何個か増田を書きましたが、恐ろしいことにまたブクマやトラバはつきませんでした。
自分はフォロワー2万人以上いるんで何つぶやいても反応があるから楽しいけど、フォロワー数十人~数百人で、いくらつぶやいてもたまにしか反応ない人は何が楽しいのだろう。
そういう人のつぶやきを見てみると、周りを意識してない個人的なメモをずっとしているのならまだわかるけど、なんだかフォロワーの目を意識したツイートをずっとしているんだよね。問いかけだったり、ウケ狙いのツイートしたり。でも、まったくふぁぼられてないし、リプライももちろんない。恐ろしいことにそういう人のツイッター開始日が2011年だったりする。いったい9年間も反応のないツイートして、何をしているのだろう。
そんな状態でツイッターやるなんて、時間を無駄にしているようにしか思えないのだけど、いったいなにが楽しいのだろうか。なにもつぶやかずに消費者に徹した方が有意義で楽しい人生送れると思うけど。
https://anond.hatelabo.jp/20190828221637
4月ぐらいから毎月の退職者が止まらなくなり、特に社員が毎月2人以上辞め始めた。
一番多いときは30人以上いたプロパーが、もう15人ほどしかいない。
あれだけ来年、再来年のプロダクトを語っていたCTOがあっさり辞めたのは笑った。
いやたしかにそれではまずいだろうとは思っていたけど、それを先導していたお前がハードウェアチームで真っ先に転職するのはねえだろ。
恐ろしいことにソフトウェアチームはリーダー残して全員辞めた。
もう人を雇わず外注にするそうだ。というか外注にするしかない状況。これでは人も雇えない。
CEOも退陣して裁量のない肩書きに変更された。今後の決定はCFOとCOOがするんだと。
それでもCFOがCEOを兼務する、という風に言えないのがまだまだこの会社甘いなと思う。
この半年間、どうすればこの事業が生き残れたのか、どこが間違っていたのか考えていたのだけど何度考えても
作っている方もよくわからないものを、よくわからないまま(何に使えるという断言も確信もないまま)ユーザーに売ろうとしている。
プログラムにメスを入れるプログラマが免許制でないのはおかしいだろ
プログラマも免許制にして、然るべき資格試験を突破して能力を証明したものだけが、
試験を突破できないクソザコは、無資格の補助作業者として、プログラマの補助に徹するべき
世の中には、本当に知識も経験もないクソザコ無能にも、恐ろしいことにプログラムの変更をやらせてしまっている現場がある
当然、クソザコ無能はクソザコ無能なので、ガキがカエルの腹を開くが如く、
プログラムの中をしっちゃかめっちゃか掻き回して、最後には死に至らしめてしまう
もし、自分の子どもが盲腸かなんかで手術となった時に、クソザコ無能が執刀を担当するとなったらどうだろうか?
腹わたが煮えくり返らんばかりの怒りがわくはずだ
クソザコ無能なガキには指一本触れて欲しくない
加害者は「まぁ一度くらい失敗するよね」と言われる。
加害者に更正の場を!と。
その苦悩のぶつけ先がなく
トラウマによっては働くこともままならないが
支援は殆んどないだろう。
私は罪を犯した加害者に、二度と同様の事ができないよう
トラウマを刷り込むべきだと思う。
心身ともに植え付け、やろうとすれば
そんなトラウマを植え付けたい。
できれば、被害者と同等の目に遭わせ
トラウマを植え付けるべきだ。
つっても無理だろうな。
どうあがいても「加害者有利」
被害者や善人は、良いように扱われるのみ。
ここもわかりづらいポイントだけど、同時にすげー面白い瞬間でもある。
まずタックルを食うと
↓
↓
その時点でその場には「倒れた奴」と「タックルを見舞った奴」がいる
↓
A、倒れた奴はプレーに関与できない。
タックルを見舞った奴も、一旦倒した相手を解放しないといけない、まだ2人だけの世界
↓
そこにタックルを喰った側、見舞った側のそれぞれの見方が応援に殺到してくる
↓
B、倒れた奴は計算外、ここで双方で1人ずつがポイントに到着すると「ラック」という押し合いになる。
この押し合いで許されるのは「真っ直ぐ押して相手を排除した上でボールを足で掻き出す」というもの
↓
問題はAの瞬間とその直後、倒れた奴を除いて、ボールを防衛したい相手が到着していない場合、ここ!
ここではちゃんと立ってる奴に限りボールを手で引っこ抜いていい!
↓
ただ、ここでレフェリーの解釈が登場するのが「何をもってボールを置く」とするかで、喰った側が倒れた時に膂力に任せて強引にボールを置き、その隙に味方が到着してB状態になればもうボールを引っこ抜く事はできない。
↓
この攻防が行われるのはわずか0.5秒から1秒程の間、ここでボールを引っこ抜くのはビッグプレーでそうそう出来るものではない
↓
オーストラリア代表のデービット・ポーコック選手で、グレーのヘッドキャップと「それ太腿じゃないんですか?」って言うくらい異様に太い腕がトレードマークだ。
彼は恐ろしいことに例え相手がオールブラックスでも、大根でも引き抜くかのようにスポンスポンとボールを引っこ抜いてしまう。
------
ラグビープレーヤーに直接話を聞いた解説者によると、アレは「センスの世界」らしい。
運動でセンスというと、華麗なボールコントロールや鋭いパス、指先まで神経の行き届いたような身体運用を連想するが、「大男がやってくる前の一瞬で頭を突っ込んでボールを強奪する」というプレーの決めても「センス」というのが面白い。
---------
このポーコック選手は非常に目立つので、中継でも探しやすいと思う。
何より密集に彼がやってきた時、「真打登場か」というくらい周囲が色めき立つのですぐわかる。
オーストラリア戦では是非グレーのヘッドキャップに注目して欲しい。
ちなみに彼はジンバブエ生まれだが、幼い頃の情勢不安から両親と共にオーストラリアに移住したという経緯を持ち、そのライフストーリーからか、社会活動に熱心だ。
「激しいプレーは馬鹿だからできるんですよ」と言っていたが、「ウソつけ」と思う。
お前インテリじゃねーか。
もう10年以上も前の話。
発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。
なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。
サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。
怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。
残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。
特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。
その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。
不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校の名前が出た。
志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。
妄想も、それはもういっぱいした。
あとは私が頑張れば、その妄想が現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。
塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。
試験会場には、もちろん彼がいた。
当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。
試験の出来はなかなかのもので、塾長からも合格だろうと言われた。
安心した私は、受験からの解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。
私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。
無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。
そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。
受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。
しかし、彼が来ることはなかった。
私は受かって、彼は落ちたのだ。
家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者、先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。
もちろん、嬉し涙ではなかった。
同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。
結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業。
高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。
どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。
彼の進学した学校は、体育祭も文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。
途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。
色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。
ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。
疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな。
この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。
結局、当時の彼とは遠距離がトリガーになり、振られてしまった。
相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。
忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。
当然、彼のことも懐かしむように思い出した。
すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前を検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー。
それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。
変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。
履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモードで検索した。
すると、彼らしき人物がヒットした。
作風を見る限り、本人に違いなかった。
私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものでしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。
一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。
初恋の人の名前を検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。
きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。
けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。
都内23区内、俺の平均残業時間は10時間/月ぐらいなので勤労条件としてはホワイトもいいところ。
給料も年収額面で550万円とそこそこ。28歳でこれなら個人的には十分。
ただ、この会社がもはやユニコーン企業になれないと見限って転職活動を始めた。
個人的には1. 給料 2. 人間関係 3. 会社の成長や目的 この3つのうち2つが欠けると転職することにしている。
今回は後者2つがだめになった。
IoTがメインの企業なのである程度はやむを得ないのだけど、CTOがソフトウェア開発に全く関心がない。
しかもCTOが兼業であるため会社に週の1/3しかいない。これではなるほど、たしかにせいぜいハードウェア開発にしか目を配れないわけだ。
おまけにソフトウェアチームが7人いるのにチームリーダーしかおらず、この人物も決定権をほとんど持たない。結果ソフトウェア開発は方針も決まらずなし崩し的に行われている。
この現状にしびれを切らして同僚のアプリ開発者がやめ始めた。今月末で一気に2人やめる。もはや事実上の最少人数に近い。
鳥が先か卵が先かわからないが、CTOは早々と次のプロダクトのアプリ開発を外注にすることにしたようだ。
会社成長
恐ろしいことに千個単位で作ったハードウェア製品が毎月10個しか売れない。当たり前だが在庫の山である。
これをどうやって株主へ説明しているのかわからないが、1個7万円もするものがポンポン売れるわけがない。明らかに需要予測のミスである。
必死に営業やマーケティングチームが活動しているが、ぶっちゃけた話事業領域の選択からミスっていたことに気がついた。
入社後に実体を調べれば調べるほど、これに現在の事業規模ほどの需要はあるのかという内容で、ブルーオーシャンを目指してたら着いたのは水たまりでした、みたいになっている。
もし僕が株主であれば即座にお金を引き上げるレベルでこの事業には未来がない。
前職と比べて職務範囲が広く、縦割り組織に悩まされることなく仕事が出来たのはよかったが、そろそろ次の会社を見つける必要があるようだ。
親になるのは想像できないほど大変なことだろうと思うし、溜まるストレスに対して何か解消や癒しがあるべきだと思う。
でも、そのはけ口をパートナーや友人に求めるならまだしも、子どもに求めてはいけないのではないか。
例えば、親の大変さを子どもに説いて罪悪感を植え付けたり、見返りを求めたり。
親の言うことを聞く子どもというのは、社会生活を送るのに必要なルールを教えるということであって、親の言いなりになることではない。
命令しなくとも、育ててもらった罪悪感を子どもに植え付けて操ることはたやすい。
ではなぜそうなってしまうのか?親の自己肯定感の不足、これはパートナーや友達、親の親からの愛情を感じ取れないことによるものだと思う。
恐ろしいことに、この自己肯定感の不足は、また親から子へ、連鎖してゆく危険性がある。
ご意見ください。