はてなキーワード: 威圧とは
私は絶対小さい人が良い!とまではいかないけど大きすぎる人は威圧感を感じて苦手だ
父親は180cm越えの長身で関係も良いし、過去にトラウマがあるとかもないんだけど、なぜかダメ
160cm台くらいの小柄で50~60kgくらいの華奢な人の方が良いな~と思っているけど、
周囲に居る小柄な人に「自分のこと好き?」みたいに勘違いされたら面倒だし、
大柄な人に何もされていないのに「威圧感」って失礼だし、大っぴらには言ったりはしないな
わざわざ言わないけどそういう人もいるかもよ?
朝の通勤時、近所の中学に通う女子3名がいつも道路の向かって左側を横並びで歩いてくる。
その道路は一車線一方通行で両脇に歩道があり、お互いが向かって左側を歩けば人同士がすれ違えないような狭い道路ではない。
どうやら手前にある向かって左側の側道からくる生徒と待ち合わせをしているらしく、そのまま向かって左側を歩いてきているようだった。
つまり、女子中学生3人を避けるには、自分が後ろから来るかもしれない車をケアしつつ、車道側にでなくてはいけない。
そんなことにも気づいていないのだから、教えてやらねばならない。
かと言っていきなり話しかけても変質者だ。
仕方がないので、いわゆる歩道の白い線の内側を直進することにした。
ところがこの3人組は、一向に横並びの隊列を返す様子がない。
頭の中ではふざけるなと思いつつ、このまま直進して割って入れば、それはそれで不審者だ。
これ以上直進すればぶつかりかねないだろう一歩手前まで近づいて、大げさに後ろを振り向いてから大きく進路を変えてすれ違った。
これで少しはわかってくれたのではないかと期待した翌日、彼女たちは同じ様に向って左側を横並びで歩いてきた。
なんでわからんのかと苛立ちつつ、今回もすれ違うときに同じ様に大きく振り返ってから、加えて、肩が触れてもおかしくないくらいのギリギリの距離を通ることにした。
しかし彼女らは一向に隊列を変えることはなく、ぶつかるわけにはいかないとこちらからギリギリのところで半身をひねるようにして衝突を逃れた。
翌日、彼女たちはやはり同じ様に向って左側を横並びで歩いてきた。
直前まで近づいても避ける気配はない。
クソバカでかいため息を付きたい気持ちを抑え、昨日と同様の方法でギリギリのところをすれ違った。
翌日、同じ道に差し掛かると、やはり同じ様に彼女たちは3人横並びでこちらに向ってきた。
またかよ。
苛立ちを抑えつつ近づいていくと、いつもと少し様子が違った。
一番道路側の女性とが、あきらかにこちらを睨んできているのだ。
睨み返したい気持ちを抑えて、前日までと同じような進路を取る。
大げさに後ろを振り向いた後、理不尽に耐えきれず顔を戻すと同時に睨み返してしまった。
その瞬間でさえも容赦なく向けられていた敵意たっぷりの視線と衝突する。
大したもんだなこのクソガキ。
そうは思いつつも、こちらは大人。こんなことくらいで手を上げるわけには行かない。
そこでひらめいたのがタイトルの通りだ。
彼女たちにしてみれば、別にそれほど悪いことをしているという自覚がない。
それなのに、それを威圧するように歩く俺こそが、悪であり忌むべき存在なのだ。
かと言って同じことを繰り返せば自分はいつまでも悪しき存在から抜け出すことはできず、彼女らに正義を教えることもできない。
もうこのような事態に陥ってしまった以上、声をかけるなんてもってのほかだ。
これは駄目だ。別に見ず知らずの女子中学生に世の中の道理を説いたところでなんのプラスにもならない。
https://blog.tinect.jp/?p=68019
だいぶ昔にMENSAに所属していて、MENSAのIQテスト大会みたいなので優勝したりして、IQという指標で分布見たらかなり端っこにいるヤツ。
元記事にある様な行動を取ったりすることもあるので胸が痛くて増田に書こうと思いました。
ちょうど、同じことを社内向けに伝えたばかりなのでタイムリーだったというのもあり。
まず最初に断っておくと、この項目はいわゆる知的障害者への偏見を抜きにして事実だけ読んでほしいです。
MENSAの飲み会の中である人が「我々は知的障害者なんだ」と話していたことがとても印象に残っています。
どういうことかというと、IQ130(MENSA入会基準)というのはIQ70(知的障害基準の一つ)と同じだけの出現率であること。
そして、知的障害という分類を社会が生み出したのは、コミュニケーションや理解度がボリュームゾーン(IQ100)と異なることで、社会生活に困難を生むから。
大は小を兼ねる的に、高IQだからってコミュニケーション困らないでしょ、と思うとそうでもないです。
知的障害の方々の行動や思考の「理解できなさ」を思い浮かべてみてください。
なぜ、あの人はずっと同じことを繰り返しているのだろう。どうして突然関係ないことにこだわり始めるんだろう。
そういう「理解できなさ」をマジョリティに対して感じることがあるわけです。
そうすると、理解できないことを起因として集団からはじき出されながら社会生活に支障をもたらすことがあります。
僕はパターン化(抽象化)の能力が高いってことだと考えています。
複数の物事に触れたときに、それらの共通点・差異を見つけてパターン化し、次の事象へ当てはめてみようという意欲の強さと精度の高さです。
少なくとも、その能力だけで僕はMENSAに所属し、その中でもIQテスト大会やって優勝するくらいの異端にはなりました。
裏返せば思い込みが激しいんです。
サンプル数の少ない事象に直感とも言うべき帰納的なパターンを見いだして、恐れずそれを適用するだけなのですから。
そして、その独特なパターンに乗ってない議論や視点や考え方への理解はそれほどうまくできなかったりします。
だから、IQ高い/頭がいい=頭の回転が速いとか計算が速い、記憶力が高い、といった捉えられ方をすると困惑します。
相手の言っていることが言葉として理解できるけどその思考が理解できないとか、こちらが伝えようとしていることが全く伝わらないとか、かなりの頻度でありました。
勉強を教えてほしいと言うので教えると、こちらとしては当然こう考えるべきというレールがあるのに、そこに乗ってくれない。
僕は幼い頃からこんな風に周囲との違いを暗に感じてきました。
そういうことを繰り返して手に入れた結論は「人のことがわかるなんておこがましい」です。
「自分は人を見る目がある」と自負する言葉は僕にとって信用ならない言葉だし、「言わなくてもわかるでしょ」はわからないんです。
でも、僕自身はやっぱりパターン化して世界と向き合っているので、そこにはある種の自動化とか思考のショートカットが入っていて、それらを言語化するのにすごく時間がかかってしまう。
その中で、自分自身がうまく言葉にできていない部分を連ねていくときには、自分の思考をトレースしているために、ものすごく直線的な論理展開をします。
そんなときには他者の意見を否定するようないい方をしている場面も自分自身感じています。
ただ、僕は高圧的に話をして人をやり込めたいとか否定したいのではなくて、必死に自分の考えを伝えようとしているだけなんです。
その上で僕の間違っている部分を示してもらって、よい結論へ持って行く議論ができるとうれしい、と思いながら話をしています。
そんな思いとは裏腹に、自分の話し方がまずいせいで、どうしても人を威圧したり、意見を封殺するような口調になっていることが多いように感じています。
理由は上に書いたように、僕が話し始めている時というのはかなり必死な状態なんです。
今まで自分と同じ土俵だと思って話して行き違いを何度も何度も経験してきたことが僕の原体験にになっていて
みたいなやり方が自分の中に根付いてしまっているから、これをうまく修正できないでいます。
つまり、単なるマウンティングのために頭の良さでぶん殴っているわけではなく、立っている土台が違うことでコミュニケーション齟齬を産んでいるケースを想定しています。
今僕は、頭の良さっていうのは謙遜も自慢もなく自覚しないとひどい病だと思っています。
死ぬことこそが救い、俺が愚民を救世してやる、とナイフを振り回す異常者、怖いでしょ?
元記事の同僚がどうかはわからないけど、コミュニケーション上の問題を感じながら論理的であることをやめられないのはそもそも問題意識が周囲と異なるのではないでしょうか。
それ自体が間違っているわけではないし、論理的に解決を進めることが社会や人類を発展させてきてます。
なので人と一緒に働いている中では、自分の特性みたいな部分を自覚して、周囲に伝えてみてください。
その人がどういう人間性なのかを、一面だけで判断しないでほしいです。
もちろん、中にはまさにクズと言っていい性根の人もいるでしょうし、そういう人を無理にかばってくれとも言いません。
しかし、普段は問題ないのに議論になると殴られるからいやだな、と思うような相手はもしかしたら問題を抱えている人かもしれません。
そういう人たちとインクルーシブに働ける環境を作っていけたらいいなぁなんて思っています。
わかってるけど、やりきれない部分ってあるんです。
なので、最善とは言わないけど、ここに書いたような文章をチーム向けに伝えて、お互いのギャップを一緒に見つめましょ、って話をさせてもらいました。
コミュニケーションなんだからみんなできて当たり前、たどり着けない部分があるのは甘え(努力していない)って言われるのは怖いなぁ。
ガースー内閣になってからしばらく経ちますが、これはアベちゃんのが良かったなー とボンヤリ考えている昨今です。
政権内部のことなぞ全然わからないので、すべて外からみた推測ですが、菅さんのあの圧が良い方向に向いていない気がします。たぶんブレーンやスタッフがビビっちゃってうまく機能してないんじゃないかなー
安倍さんは、ボンボンならではの鷹揚なところがあり、ブレーンが意見しやすい環境だったのではないかと思います。それが今井ちゃんやら誰やらの専横に繋がった と言われればそうなのかもしれませんが、所詮人間、ひとりですべてをすることはできないので、どれだけ周りから担ぎやすい神輿になれるかが重要だと思うんですね。特に、一国の宰相ともなれば。
菅さんはそこら辺、いまだに官房長官としてキレ者的なキャラだった状態を残しているようにみえますが、懐刀・右腕・金庫番的な官房長官と、首相は求められるキャラが違う。東洋的な統治者像(特に中国の皇帝的な)からすると、トップはキレッキレで全部パシパシとリーダーシップもって決めてくひとより、ちょっとボケてるくらいで周りが支えなきゃいけないタイプの方がスタッフとしてはやりやすいし士気もあがるんじゃないでしょうか。
そういった意味で、安倍さんは、担がれうまい というべきか、神輿としては歴代首相の中でもベストに近かったのかも。みなさん、バカだボンボンだ、中身空っぽだ と揶揄されますが、何の取り柄もない人間が戦後歴代最長期間首相でいれるわけがないのです。
古くは大山巌が若い頃はキレ者キャラだったのが、日露戦争の満州軍総司令官となったらボンヤリキャラに豹変して苦戦の中でも参謀団の士気を鼓舞して勝利した という故事もありますし、菅さんも早めにキャラ変しないと、周りがやりにくくて外しにかかる→疑心暗鬼が強まり粛清の嵐→ますます周りが離れる のネガティブスパイラルに入りそうです。もう入ってるかな?
総理怒ってますよ とか権威・権力で押さえ込むやり方は中長期的には自分の足元を掘り崩す行為に他ならないので、止めたが吉です。これまでずっとそういう動き方してきたからすぐに方向転換は難しいとは思いますが・・・ まずは、もうちょっと笑ったらいいんじゃないですかね。総理ともなると、威圧に益なし です。
全員が銃(脅威)を持ってお互いを威圧しあう荒んだ世界にしたいってことでしょ
それであなたはナメられなくなっても新たに抑圧される人が出てくるだけですよね
舐める舐めないで生きてる人と関わらないのが一番だと思う。関わらざるを得ない場合、要点だけに絞ってハキハキ対応。楽しい空気・有意義な意見交換ができてるときに舐める舐めないの話って出てこないし
「謝って下さい」
にも『謝らせることしかできないのが彼の限界のようで、無力感に苛まれた』と言った。だから、
「舐めてる」
という言葉も使わない。
そんなこと聞くのも野暮じゃん?
自分がそう感じる時点で舐められてるか、相手の態度が許せてない。
他人に聞いてもねぇ…
舐めてる?って聞いて、舐めてないって答えても信じられないだろうし、舐めてるって答えられたらそれこそ喧嘩するしかなくなる。
「威圧することで優位に立ちたい」
だから使いたくない