はてなキーワード: ユニゾンとは
アイドルネッサンスのチーフ照井さんは、もともと新人開発をやってた人。全国いろんなところに行って、才能を見つける人らしい。
コスメティックルネッサンスというCMで曲をリアレンジして流すというのが流行ってた時代があって、それを真似た。最初が17才というのが良かった。
カバーする意味をすごく考えている。歌詞を大事にしてるというお話があった。
以上
秋元康関連で、おニャン子クラブの頃からだけど、あの手の集団の曲って、ユニゾンなんだよねぇ。まぁ基本アキハバラとか各地の常設小屋でパンチラ踊りを売りにして、音楽CDと言う形態のチケット販売?(昔、エイベ糞とかがズリ穴CDとかでやってた形式?)、メディア露出も枕営業?なかんじで、口パクだろうがファンは楽曲自体はどうでも良いと言うようなCD売り上げランキング…。末期的ビジネスモデル!ああ、ヨモマツ…。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/31/akb-undeclared-income_n_8068254.html
ググれば、ヤバい噂が沢山出て来るし!
http://gosippu.hatenablog.com/entry/2014/03/17/233912
http://matome.naver.jp/odai/2142321143715355201
http://matome.naver.jp/odai/2138494781048309201
連休初日という事で、一つ映画でも見ようかという事で「心が叫びたがってるんだ」を観てきた。
長文なので、ブログにでも書けばいいんだろうが、私のブログは極めてテーマを限定したもので、書くところがないので、増田に書くことにする。
あらすじを超ザックリ言うと、幼い頃のトラウマで上手く喋る事が出来なくなったオカッパと、空気マン、空気ガール、怪我で夢破れた金属バットが、地域交流会の出し物でミュージカルをやる事になって、その過程でそれぞれの問題と向き合っていく、みたいな話である。
意外とよかったので、皆さんの連休の過ごし方の一つのヒントになればと思い、見所と気になった所を列挙していこうと思う。
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見所1
「描写のエゲツなさ」
基本的には上記あらすじから想像できるような、爽やかな青春群像劇である。
まず、4人の主役の1人であるオカッパ、順のエピソードが物語冒頭で語られるのだが、それが画に登場した瞬間に、「こんなのイヤな予感しかし無いじゃん」という不穏さから、「うわー、これ見たくない見たくない」と見事に展開していくのだ。
序盤でいきなり物語に引いてしまうか、「ん、これは創った人、凄いぞ」となるか決まると思う。
次に、キャラ描写も「うわあ、妙にリアルでやだなあ」と思わされる。
ここでは、重要人物、順の母、泉を挙げよう。
泉は序盤とそれ以降で人の弱さを見せつけるように、結構キャラが変わる。
それが、「まあ、そうなっちゃうのもわかるよ・・・」という感じで、さらに妙な厚みを持たせるのが、彼女の職業だ。
一応、割愛するが、見た瞬間「うわ、有りがち!」膝を叩き、その職業であるだけで、なにか彼女の抱えている事情を説明するオーラのようなものが見える気がするのだ。
これは若い頃、その職業の方とイマイチうまくいかかった私自身の偏見かもしれ無いが。
もう一つあげると、作中で出てくる「怪我をする描写」だ。
ここは画の力が凄い。
見た瞬間に「うわあ、イタタタ」となるし、絵面が容赦なく汚く、怪我一つでその後の憂鬱さまで伝わってくる。
他のレビューで、「変に生々しい」というのを見かけて、その点は同意見なのだか、その方の、「アニメなのに現実に引き戻されて乗れ無い」というのと、私の評価は逆で、ここら辺でグイグイ掴まれてしまった。
見所2
「構成の上手さ」
順と、主役の1人、空気マンである所の坂上が劇中劇のストーリーについて話し合うシーンがあるのだが、終わってから振り返れば、これがまあまあ重要な伏線になっている。
また、後半でこの劇中劇と本筋が同時進行するシーンは、私調べでは最大の見所と言ってもいい。
クライマックスは「それは読めるよ〜」というベタな演出なのだが、「でもそれしか無いよね、待ってた!」という形になるのだ。
それというのもフリが効いているからで、「おっ」と感心させて、その上でクライマックスに期待を持っていかせる構成がうまい。
見所3
「秩父の美しさ」
管理はされてるがちょっと古びた神社や夜中にポツンと浮かび上がるコンビニは妙な実在感がある。
北関東の豊かな自然と貧しい娯楽、少ない溜まり場が、閉じて煮詰まりがちな人間関係をうまく演出していると思う。
見所4
「主人公格の2人の歳なりの幼稚さ」
主人公格4人の中で、オカッパ順と、金属バット田崎は、わりとナイーブに描かれる。
感情的になったり、恥ずかしいシーンが多い田崎は、「まー無理もないかなー」と思わされるくらいには置かれてる状況がちょっと気の毒な感じなのだが、順の方は「おいお前さ」と言いたくなる幼稚さで大問題を引き起こす。
しかし、それがいい。
映画に登場する高校生は「そんなまとまった思考するか?」となりがちで、「大人が考えた高校生」である事が多いように思う。でも、本来、高校生なんて劇中の順くらい自分が整理できて無いもののはずだ。
だから、一瞬「それ無くねえ?」と思わされる順の行動も、「いや、高校生はこれでいい」という風に感じられる。
物語に協力する為に大人な台詞回しや行動を強制されがちな「劇中のティーン」だが、これくらい幼稚な方がリアルだと思う。
見所5
「キャラの小物」
順の小物に注目したい。
そのショートメール機能でコミニュケーションをとるのだが、小さい彼女が一生懸命ポチポチやるので、さらに小ささが強調される。
また、彼女はリュックを背負っているんのだが、これがいい感じのダサさで、彼女の「他人とコミニュケーション出来ない」事をビジュアルでうまく説明しているように思う。
他にも空気マン坂上の高校生にしては小慣れたファッションや、田崎の中途半端なワイルドファッションも、こだわって創ったキャラを感じさせる。
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というわけで、本筋も良いんだが、その周辺も結構楽しめる。
では気になるところを。
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気になる所1
「バケモノの子」ほどでは無い。
この話のテーマの一つは「言葉」なので、勢いセリフが重要なのはわかるのだが、それでも心情に関わる所では、「ここは絵でほのめかして、あとで言葉にしてもいいんじゃ無いかなー」という点は感じられた。
気になる所2
「仁藤のキャラが薄い」
ここまで言及されなかった最後の主人公、空気ガール仁藤だが、彼女のキャラが薄すぎる。
ナイーブな順、田崎と、空気を読む坂上、仁藤が対称をなす中、坂上の空気っぷりに関しては、劇中で説明がなされ、そのことでキャラが立ってくる。
劇中で言及される「彼女特有のいやらしさ」や、仄めかされる「弱さ」について、もう少しエピソードがあれば、俄然魅力的なキャラとして立ち上がってきたと思う。
気になる所3
「クラスメートがみんないいヤツすぎ」
いい意味で幼稚な順や田崎が、物語を混乱させて見せ場を作る中、じゃあクラスメートはどうかというと、これがちょっとブーブー言うだけで、物語の進行に非常に協力的だ。
特に順に対する寛容さ、というか子供の世話でも焼くような態度は、「いや、高校生なんてもっと聞きわけ無いでしょう」と思ってしまう。
気になる所4
「主題歌」
主題歌の内容は映画の話と似ていて、両方とも「言葉によるコミニュケーション」を主題としている。
そこらへんは放送作家出身の、作詞家・秋元康らしいところで、企画ありきで行ったのだろう。
問題は曲のスピードで、テンポが急に早くなるように感じられるのだ。
直前までスタンダードの名曲でミュージカルをやって、それでこの早い四つ打ちの主題歌にはいるので、「え、そんなスピード感ではやってなかったでしょ」と戸惑う。
ユニゾンも綺麗で、まあまあハマってるんだが、そのスピード感だけ、入った時にちょっと違和感があった。
ただ、観客で立つ人はかなり少なかったし、大枠では大多数を不快にするような違和感ではなかったんだろう。人によってはどハマりという評価を下せるくらいの微妙なラインだと思う。
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さて、鑑賞後の気持ちが冷めないうちに見所と気になる所を挙げた。
この作品の売り文句が、「あの花のスタッフが送る青春群像劇」なのだが、私はあの花という作品を「存在している」こと以外知らない。
で、アニメは好きだが、最近のアニメにありがちな萌え声演技が苦手で、俺物語からも脱落してしまったくらいの、アニメライトファンである。
そんな自分からしたら、「思ったより全然いいじゃん」と感じられる作品だった。
果たして、先輩レビュアーが挙げた、「コアなアニメファンには覚めちゃうが、一般のライトファンには受けそう」という評の、肩翼を担う形になった。
さて皆様はどう評価するだろうか。
これへのブコメの
tabidachi_nam それ、バイトの店員が一番思ってると思うよ?
を見て、自分がミニストップでバイトしていた頃のことを思い出した。
今から10年以上前、まだハンバーガーとかパニーニとかやってた頃。パニーニ美味かったのに無くなっちゃったな。ミニストップは無駄にチャレンジングなフードがいいよね。
あ、そうそうそれで20分置きだったかな、店内BGMで「ミニミニコミュニケーション」とかいうミニ番組(ミニストップだけに)が流れてきた。
1時間に3回、5時間勤務(平日)で15回、8時間勤務(土日)で24回。バイトの最後の方は一言一句覚えてるレベルだった。
ハーイ!タケベカズミです。ポカポカ暖かくなってきましたネ!
みたいな始まりだったことは脳に染みついている。
ひとしきり花見とソフトクリームの話をした後に流れるのがaikoの『桜の時』だったんだけど、曲紹介が「桜バトル」に空耳していたのも覚えている。
「この季節にぴったりの1曲です。aikoで、桜バトル」みたいな。妙に平坦なサクラバトルのアクセントは今でも言える。サクラバトルじゃねぇけど。正しくはサクラノトキだけど。
きっと今ミニストップでバイトしてる人は「ま~やのいただきま~や」、店内放送にユニゾンできるほど染みついてると思うわ。その2回「是非」って言うところとか絶対完コピしてるわ。
元増田です。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
オケだと中音域の厚みを担うのはホルンとヴィオラくらいしかいないので、プロはともかくアマチュアの手にかかると往々にして「ダシの効いていない」演奏になりがちだから、中音域が充実している吹奏楽は恵まれていると思っていた。
でも実際聴き込んでみると「過ぎたるは~」な気がしてきた。なんというか、中音が厚過ぎると着膨れしたような、輪郭のぼやけた、大味でいささかクドいサウンドになる感じだろうか。
吹奏楽の低音はユーフォ・チューバ・コンバス・トロンボーン・ファゴット・バスクラ・バリサクと一見充実しているように見えるけど、フルート・オーボエを除く残りの楽器がほぼ全て中音だと考えたらやはり足りないってことか。
でもクラと立ち位置を交換するとなると、音域の問題から2声あるアルトのうちの1つをソプラノに変えるってことだよね?
サクソフォンオーケストラを見る限り、ソプラノはピーピー・キーキーにならない「旨味のある」音を出すのが難しそうで、結構ハードル高いんじゃないだろうか。
今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
その間口を全部吹奏楽が持ってっちゃってるってのはそのとおりかな。
クラシックは一生かかっても演奏しきれないくらい沢山の名曲があって、一度好きになれば死ぬまで病みつきになれるのが魅力だと思う。
反面、その全てが職業演奏家によるパフォーマンスを前提にしていて、尚且つオケに慣れ親しんでいる人達がそういう曲だけで満足しちゃっているのが問題なんだよ。
それがオケの敷居を高くし、特に若い人の間口を大いに狭めているという意味で。同じことはカルテットのような弦楽合奏にも言える。
とはいえ、アマチュア演奏家や若い音楽ファンでも気軽に楽しめる新曲なんて、なまじ過去の名曲があるせいで単純に見劣りするだけというのはある。
でも大河ドラマのOPとか、ああいうののもう少し簡単な曲なら結構いい線行きそうな気はするけど。
まあ長い年月の淘汰を生き残って愛聴されてきたというのが名曲の名曲たる所以であり、そういう逸品がゴロゴロしているのは、他のジャンルから見たら羨ましいのかも知れないが、現実はそんな喜ばしいことばかりじゃないというか。
そこら辺わかってる作曲家は加減をしっかりつけたり、比重を変えたりして吹奏楽ならではな色彩を出せているんだけどね。
課題曲程度だと、教育的配慮が優先されるから減らすべきところも減らさずユニゾンつけまくったり、
ただでさえ分厚すぎる中音域と薄すぎる低音域のバランスが滅茶苦茶で聞くに堪えない。
最近サクソルンオーケストラっちゅーもんがあるぐらいにはサックスは管楽合奏で重要な地位を占めとる。
個人的にはサックスとクラリネットの立ち位置交換するのもありだと思ってる。
これのおかげでピッチ合わせに長時間取られる団体多し。むしろ人数を減らすべきだと思うよ私は。
一方の吹奏楽は、とにかく取っ付き易さと親しみ易さが印象に残る。
そうね。今どきモツだベトだ言って聞いてくれる人もお年寄りが増えた。
個人的にも、現代音楽の聴きやすいモノのほうが若い感性には応えられると思う。
ももクロのライブで心に残るシーンといえば枚挙に暇がないけれど、個人的にナンバーワンなのは女祭り2011のアンコール2曲目「コノウタ」。
曲中、百田夏菜子さんのソロのシーンでメンバーが本来の振りを離れて百田さん向けにケチャ(百田さんを賞賛する動き)をする。ソロパートを歌いつつ「あれ?」と困惑した表情で横を見るとやはりケチャをするメンバーがいる。笑顔でソロパートを歌い上げ、次のユニゾンパートに入る一瞬の間で「ありがとう」という百田さん。困惑した表情が徐々にほぐれ、心底嬉しそうな表情に変わり、笑顔でありがとうと言う。
凄く微笑ましいシーンなんだけど、とても感動するシーン。
http://youtu.be/NwZnsPgJ9NU?t=10m23s
蛇足だが、あのケチャは百田さんが前の曲でナイスフォローをしたから実行されたのではないと思う。その方が美談度は高いけれど、彼女たちはそういうことはしないような気がする。
元KinKi Kidsファンがお送りする現在のKinKi Kidsとそのファンの動向について
ファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながらどんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と、
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、
今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか?
KinKi Kidsとしての活動に火種を撒き散らすのは常に剛。
かつてファンだった人にここまで本気で嫌われるジャニタレは初めてではないかと思われる。
ネット上にはKinKi Kidsに対し解散要求を出すファンがいる。
これは異常な状況である。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
どちらかと言えば剛が/光一が好きなどを含め、KinKiの二人ともを好きな人たち。
通称「剛オンリー」。
しかし光一を否定する人が少ないため実質的にはほぼKinKi Kidsファン。
半数以上は剛アンチを兼ね備えたファンと思われる。
剛を受け入れることができず、KinKiファンを辞めざるをえなくなった人、またはKinKiにいる光一を楽しむことができなくなった人。
病的なまでに剛を嫌っていることもある。
「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならない辛い立場。
KinKi Kidsとしての活動のクオリティは光一ソロ活動のクオリティより低い。
剛がKinKiとしての活動のクオリティを下げているとも言える。しかし剛ソロ活動のクオリティはKinKiとしての活動よりも劣る。
<図式>
光一ソロ>KinKi Kids>>>>(越えられない壁)>>>>剛ソロ
なので剛ファンはKinKi Kidsに固執する。(剛はソロでいるときよりKinKiでいるときのほうがかっこいいため。)
対して光一ファンは剛がKinKiの足をひっぱっていると思っており、「光一はソロでのみ輝く」と言う。
KinKi Kidsの黄金期の活動の根幹は10代の頃から音楽・演出の勉強を重ねた光一が作っていた。
光一が主軸となってスタッフと相談し、意見を言い、切磋琢磨しながらKinKi Kidsを盛り立てていた。
当時、剛のご機嫌にコンサートの出来不出来が左右されるため、
「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねー」「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」などの会話は当たり前。
※この頃、剛も光一の方針に協力しているものと思われていたが、
実際には剛は後になって「周りの大人達の言うことを聞いてきた」と述懐している。(後述)
「自分は優しい人間であるから、周りがやって欲しいことに従ってきた」と、KinKIの活動方針に口を出し始めた剛。
しかし、ショービズについて真面目に取り組んで勉強してきた光一とはすでに雲泥の差がついており、
技量がないため何もかもうまくいかず、
などの暴挙を繰り返す。
一例:
演出に介入した結果、よかれと思って光一を蔑ろにする剛(『月刊テレビジョン』2006年7月号)
剛 「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
光一「ふ~ん、そうなんや」
剛 「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
光一「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
剛 「ウソなんや(笑)」
上述の流れにより、KinKi Kidsは加齢に従い剛色が強くなっている。
光一ファンは異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいるが、
KinKiファンはKinKiの二人の立ち位置が近い(仲が良く見える)だけで歓喜するレベルに堕ちている。
KinKiでの活動では本気出してない。(剛色が強いので出しようがないとも言える。)
光一ファンは「KinKiでは本気出してる光一は見られない」ので、KinKi Kidsの活動に金を落とさなくなっている。
これはKinKi Kidsにとっては痛手。
しかし剛色を薄めるためには光一自ら剛を否定しなければならない現状。
(剛が自分から態度を改める見込みがないため。)
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言い、
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執。
剛を否定しないファンは剛をとにかく甘やかしてちやほやする傾向。
KinKi Kidsの今後の活躍にご期待ください!
とあるアイドルの話。
ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。
ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と。
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。
そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。
未来は見えない。
だから、興味深い、と思う。
ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。
ネット上でのことなんて、リアルな世界の一部でしかないとも思うし。
実際、そこまで真剣に彼らを応援したり、解散要求を出したりしてるファンがどれほど居るんだろうとも思うけど。
それでも、そういう話がでる自体が異常なことだとも思うし。
ただ単に、どこかの熱狂的なファンが、なんかしらの思惑で煽っているだけなら、こんなに長く、根深いモノにはならなかったと思う。
常に、火種は剛の口から、行動から発信されていて。
それは、たぶん、剛自身が意図してない方向で、次々と自身のアンチを生み出している。
否、少なくともジャニタレでも、特異な行動をしたり、分かりやすいくらいに特別扱いをされていたり、仕事を真面目にやらないタレントは、Jr.、デビュー組に問わずアンチがつきやすく、嫌われるものだけど。
ここまで、本気でかつてファンだった人に嫌われるジャニタレは初めてじゃないかと思う。
と、先入観を抱かせるのもどーかと思うけど。
自分がもう嫌いっていうか、自担にはこういう風にはなってほしくないと思ってるし。
本気で近づかないでくれ、影響受けないでくれ!常に反面教師にしていてくれと願わずにはおれないもんで。
どうしても中立的な立場にはなれないんだな。すでに。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
KinKi Kidsのファン。
堂本剛のファン。
堂本光一のファン。
同じじゃん、と思われるだろうが、全く違う。
KinKiのファンはグループのファンで、どちらか寄りとかがあったりはするが、少なくともKinKiのふたりとも好きな人たち。
こちらは、剛に心酔し、信者とまで揶揄されるほどのファンが多くを占めていると思われる。
が、ほとんどはKinKiファンになるので、本気で剛オンリーとなっている人は意外と少ないんじゃないかと思う。
たとえば、光一アンチ化するまでの剛オンリーは、そんなに居ないと思う。
こちらは、ほぼ半数以上が剛アンチを兼ね備えたファンだと思う。
剛を受け入れることができなくなって、KinKiファンを辞めざるをえなくなった、KinKiにいる光一を楽しむことができなくなった。
ある意味、病的なまでに剛を嫌い、ときにはそれ完全に思い込みじゃ。。。という持論も捲くし立てるけど。
少なくとも「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならないことを考えれば。
その時には脊髄反射的な反応もしょうがないと思うし。
逆に、そこまで嫌われる剛って何者だよ、とも思うが。
結局、クオリティがKinKiでの活動<光一のみの活動となっている現状を見ると致し方ないと思う。
そりゃ、剛ファンはKinKiに固執するよ。
かつて光一が作り上げたアイドルKinKi像を、はちゃめちゃにして壊し続ける剛の行動の結果が現状によく出ていると思う。
まあ、剛本人は壊していると思っても居ないし、剛ファンもKinKiファンも、きっとそう思ってるんだろうけど。
簡単に嫌いになれれば、それが一番楽な道筋だ。
でも、光一本人に嫌いになる要素がない。
ただただ、彼が一緒に仕事をしている剛を知れば知るほど、嫌いになっていく。
剛の言動に「どうして?」「なんで?」と疑問を持ち、考えれば考えるほど、嫌になっていく。
終いには、観ているだけで虫酸が走ったり、名前を見るだけで悪寒を抱くほど嫌いになるのに。
否が応でも眼に入る。
そして、剛が発言する度、行動する度、怯え傷つき、ますます拒否反応を抱く。
それでも、光一がいる、好きな人がいる、笑っている、歌っている、踊っている。
そんな状況、正直体験したこともないし、想像もつかないけれど。
ある意味で幸いなのは、年数を重ねる度に、KinKiが剛色に染められていったこと。
光一の表情が明らかに違うこと。
(まあ、KinKiファンはそう思ってはないし、それもファンの見方次第なんだろうけど)
KinKiで本気の光一を見ることが出来ないのならば、応援する必要はない。
大切な金銭を消費する理由はない。
そう判断をくだすことができたということ。
KinKiにとって不幸だったのは。
光一ファンが(一部でも)そういう判断を下してしまったこと。
下してしまえるグループに成り下がってしまったということ。
10代の頃に、芸能界で生きることを決意し、音楽に限らず、演出の勉強もした。
今の光一の仕事ぶりをみれば、並々ならぬ努力を10年以上重ねていたんだろうと推察されるほどに。
うまく廻っている時期があった。
それが黄金期だった。
剛があまりその辺に興味がなく。
のちに剛自身が「周りの大人達の言うことを聞いてきた」というようになる時期だ。
光一がメインとなって(しかし、それを必要以上にアピールすることもなく)。
スタッフと相談し、意見を言い切磋琢磨しながらKinKiを創っていた頃。
ファンも当然、剛もそうなのだろうと思っていた。
たとえ、コンサートで剛の顔色を伺いながら、今日のコンサートの出来不出来を伺うことに何の疑問を抱いてなくても。
のちに「おみくじコン」と揶揄されるKinKiコンでは、それが当たり前だった。
ファンは常に剛の顔色を窺う。
今日の剛の機嫌がどうかをまず確認する。
機嫌がよければ、コン中もにこにこしているし、MCでもよく喋る。
しかし、機嫌が悪ければ、ムスッとしたり、MCでは押し黙る。
コンサートが終わって「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねーw」とか「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」とか。
そういう会話が当たり前だった。
(否少なくとも、今でもそうだと思う)
ちなみに「ドーム規模の公演でもKinKiコンはおもしろい」そう思っていた時期もあった。
毎年行っていたツアーで、「今回はちょっと構成が間延びしてたよね、微妙だったなぁ」と感じるコンサートがあった。
光ちゃんどうしたのかな?と思ったら、雑誌で意気揚々と剛が「今回のコンサートはオレが演出した」と言っていた。
お前かwwwwやっぱりだめなんだな、剛はw
で、当時は済んでいた(自分的に)。
でも、それから先、コンサートがおもしろくなることなくなった。
それから。
剛が「これからは戦っていく」という発言を皮切りに、KinKiに剛が意見を出してくるようになった。
それが、光一を含め、スタッフとお互いに納得するまで、とことん話し合い、意見を出し合い、そうして共通のKinKi像を成立させるために。
最強のグループにするためのものだったらよかった。
というか、普通そうだろうと思ってた。
そもそも、それまで剛が話し合いに参加していなかったのは。
剛曰く「自分は優しいから、周りがやって欲しいことに従ってきたから」で。
それは、光一やスタッフが「剛どう思う?」「こういうのはどう?」と意見を聞いてきたときに、ただ「それでいいと思う」と答えてきただけと推察されるわけで。
そんな剛が意見を言い出したら、ただの暴君だった。
後出しジャンケンのように、全てが終わった後で「自分はそんな風に思ってなかった」「ホントは違うことがやりたかった」という趣旨の発言を繰り返したと思えば。
そのうち「周りの大人が自分の意見を聞いてくれない」「僕は常に戦っている」と言い出す。
結局、自分の思うようにならなかったら機嫌を損ね、事後にメディアを使ってスタッフ批判、相方批判を繰り返す。
コンサートで口を開けば愛を語り、自分は優しく傷つきやすい人間で、しまいにはパニック障害や過呼吸症候群も持っていると病気まで持ち出す。
病気を持ち出されたら、何も言えない。
どうすることもできない。
ステージ上で薬を飲んでも、笑って踊らなくなっても、MCでダンマリを決め込んだり、光一を置いてその場から離れても。
ファンは心配することしか出来ない。
そして、ふと我に返る。
コンサートって、ファンを楽しませるためにあるんじゃないの?
なんで、剛の体調を常に気遣う必要があるの?
なんで、剛の機嫌を伺う必要があるの?
なんで、楽しむために来ているコンサートで、剛の心配をしなきゃいけないの?
気付いたファンは、疑問を抱く。
そうしてモヤモヤした気持ちを抱える日々が始まる。
光一がきている公演で「僕は長い間人間不信だった。バンドのメンバーに逢って救われた」と言ったこと。
光一の数々の音楽活動を知っているはずなのに、新聞で「光一は音楽に興味がない」と発言したこと。
自身のソロ活動でコンサートをする度、名前を変える度に、それまでやっていたことを完全否定すること。
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執していること。
年齢を重ね、社会人となりそういうファンの前に、いつまでも成長しない剛があり続けた。
10代後半、20代前半なら笑って「若いからね」と赦される言動も、ファン自身が幼いために見過ごされる言動も。
どうしても引っかかってしまうファンが増えた。
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言う剛。
若い頃から自分の未熟さを認め、多くのスタッフにぶつかり、若さゆえに否定され、それでも食らいついて努力を重ね続けた光一とは、すでに雲泥の差がついている。
それは傍から見ていても判るほどに、顕著だ。
彼が携わった作品に、全てが顕れている。
本人がどれだけ努力をしたか、どれだけの勉強をしたかを語ることがなくても。
出来上がったものが、全てを証明している。
私自身にとっても、エンタメを享受する人間として、理想とする「ショービズに活きる人間」の理想像は光一だったりする。
観客のために、ショーのために、最大限の敬意払い、努力をし、楽しんでいる人。
どんどん要求が高くなる観客を相手に、その要求、理想を満たすものを自ら生み出し提供し続けていけていること。
歌って踊って、自分のみならずステージに上がっている人たちを輝かせることができる人。
口先だけの言葉はすぐにバレる。
全部、作品に出るから。
しない、のではない、できないのだ。
剛が観客を巻き込む。
スタッフを巻き込む。
妄想かもしれない。
でも、結局、剛は自分を否定する人たちを残していかなかった。
誰でも見れる雑誌で、友達を否定し。
真剣に剛を想ってくれている人たちが、どれだけ周りに残っているんだろうかと思う。
仕事として、真剣な議論がどう想像しても成り立っているとは思えない。
そういう風にしか生きられない彼を可哀想とも思うし。
そんな彼と15年以上2人きりのグループとして仕事をし続けてきた光一を単純にすごいと思う。
(どう想像しても、私は絶対、剛とは一緒に働きたくない)
KinKiは衰退して行く。
KinKiファンが異常に、ふたりが接近することに歓喜することも。
ふたりが仲がいいことを望み、渇望し、そういうふたりを見せておけば納得するほどまでに、レベルが堕ちてしまったことも。
少しでも剛の批判をすればファンによる集中攻撃を受け、批判ではなく「愛あるダメ出し」や単なる批評であっても。
剛を否定することは許されないネット上の状況も。
光一ファンが異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいることも。
剛を心から愛し、ファンとタレントとして共に切磋琢磨しながら成長しようというファンがいないということも。
結局、剛も、剛ファンも、KinKiファンも、光一ファンも、みんなが光一を望んでいるということも。
剛やファンから、光一はたくさんの責任を背負わされ、それらによって批判も賞賛も得るけど。
剛はみんなが甘やかして、ちやほやして、いいよいいよーと褒め称えられるだけ。
どちらが不幸で、どちらが幸せなのか。
たかがジャニヲタの。
たかがいちアイドルグループの。
本当の実情なんて、メディアに出ている以外には知らない人間の戯言ですが。
すでにKinKiファンの間から光一ファンが立ち上がり、剛アンチが声を上げ始めてから4年ほど経つ。
これから先、彼らがどういった経緯を辿って、どんな未来に落ち着くのか。
こんなに興味深い観察対象はない。
ちなみに光一ファンを剛アンチ化した顕著な一例を付記しておく。
T「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
K「ふ~ん、そうなんや」
T「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
K「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
T「ウソなんや(笑)」
K「知らなくはない(笑)。しかしこの曲、歌うと難しいな」
これがなんなの?と思っても、これでKinKiを捨てた光一ファンが確かにいる。
自分が好きなグループは、提供される曲をどうこうしてるということは全くないし、コンサートDVDの編集に自ら口を出すこともないけど。
こういう風にはなんないでね、と、勝手に思っている。(ホントに関係ないんだけど)
どの層がファンなんだ、誰がCD買ってるんだ、と思ってるんですけどー。
増員って。
モー娘か、と私も他のたくさんの人と同じように思いました。
エグザイルってさ、目新しいことを一つもやらない人たちっていう印象なんだけど、そのあたりどうなんだろう?
だって、一番ヒットしたのってチューチュートレインとかじゃないのか。
ATSUSHI(でしたっけ。歌のうまい方)が、途中で加入してもとから居た男前だけど歌はイマイチな人がいなくなって、ヤングなイケメン(歌は発展途上)が入って、っていうのは一応知ってるんですけど。
今度、ネスミスと一緒になるんでしょ?
むしろ二人にしてしまえばいいのに。
で、いまさらケミストリーと対決すればいいのに。
わたしがエグザイルを受け入れられないのは、踊る人たちに何の意味が?と思ってしまうからなんだろうなぁー。
これと同様に、なんかラップの人たちで楽器いないのに10人くらい居るひとたち、あれも「リストラせんかい」と思って見ているんだけど。
だって、リップスライムはさ、全員の声のタイプが全然違ってて、全員に「居る必要がある」のはわかるのよ。あれは、あんだけいないとダメな音楽だと思うんだけど。
10人くらい居るひとたちって、全員ユニゾンがほとんどじゃん。
・・せめて半分でよくね?
あれは、「え、デビューすんの?じゃあ俺もいれといて。バイトクビになっちゃったし」的な感じで増殖したとしか思えん。
はい。で、エグザイルの話に戻そう。
14人になったけど、これがきっとどんどん減ると思うんです。
だって、やっぱさー「俺がここに居る意味って?」って思うじゃん、人間って。
私の予想は年末か、年明けに一人減る。だな。
ま、そこまでエグザイルが今の調子かどうかも疑問だけど。