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はてなキーワード: ゴキブリとは

2021-03-08

anond:20210308105622

あのさ、自分でもそれ思うの?

ゴキブリなんて食べたくないけど、食べられないのは残念だね」とか言われたら、そう思うの?

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想

この記事が注目を浴び、多くのブコメが集まっている。

"カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ"

https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b

まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼定義リベラル定義の困難さ、特に現在日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラルであると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトポリティカルコンパスでは、

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

61.1% 左派, 72.2% 自由主義者

という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である混同している人は気をつけてほしい。

そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。

まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論フェイクニュース似非科学歴史改竄代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。

たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党本来ワクチン否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政要求したりしてきた。しか副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しか現在出ている科学検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。

この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判原告団体については、補償範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告支援する左派政党や団体に共通する問題として挙げた。

しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。

"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思いますリベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快ものかもしれません。

しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"

ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。

シグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。

語ることがリベラル専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的文学芸術を愛する少数のインテリ世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリ傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚発言だとは気づいているのだろうか。

シグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

自由民主主義」の社会享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。

日本左翼をやっていると、自分投票した候補者当選することも少ない。民族的性的、その他さまざまなマイノリティ権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界いか存在認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動第一歩になる。言うまでもない前提だ。

上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者多様性重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。

また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家ブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。

しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティ運動の中などでは特に当事者が自ら語ることを重視する。当事者心中を非当事者想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想立場の違う作家いかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。

その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステート洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。

シグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論原則としては全くその通りであるしか現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論ヘイトスピーチへの対処現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラル原則現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。

"「トランプ陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"

https://finders.me/articles.php?id=2529

私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。

また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外から解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報さらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象特に感情からまなくも起きる。平凡な思想感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論フェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。

ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本記者によるものさえある。

"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html

シグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。

続きはこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213813

2021-03-04

ハエトリグモはチョロチョロ歩いててこんなに可愛いのに

ゴキブリは高速シャカシャカギャーーー〜〜!って感じで気色悪いの何が違うんだろう。前世の行いか

2021-03-02

anond:20210302124522

ワイはゴキブリ流行ってインターネットの至るところで見かけるようになったらインターネットするのやめるやで

anond:20210302124132

嫌いなゴキブリが潰しても潰しても

色んな所から沸いて出たら嫌っしょ

それと同じ心理

見たくないのに現れて、ゴキブリ愛好家が画像ばらまいたり、ペットゴキブリを見せてきたりもする

見せるほうのマナー問題であって、避けられるもんじゃないんだよなぁ

2021-03-01

anond:20210228231212

小動物を平気で殺める奴は、やがて猫、犬、…、とエスカレートしていって、最後には人間を手にかけるようになるよ。

坂道を転がるように。

海外では人間より大きなキリンライオンまで平気で殺める奴も出てきてる。

蚊やゴキブリを潰しているところまでで止めなきゃいけない。

2021-02-26

https://anond.hatelabo.jp/20210226140830

絡んでくる人がいるってのが読めないの?

キモイキモイキモイ

いちいちブロックしてるけどそういうゴキブリが沸いてくると思ったら

見る気なくすのよね

2021-02-23

anond:20210223214407

ボードゲーム沼へようこそ

小学生くらいの子と2人で遊ぶなら、まずはガイスター(メビウスゲームズ)がおすすめ

カルカソンヌフルルールで遊べるくらい聡い子であれば、なんでもいけると思うけど(自分子供と遊ぶ時は草原ルールを抜いてた)

アルトも分かりやすくていい

男の子ならバトルラインもハマるかもしれない

コリドールも私は好きだ、頭を使うけれど

年齢があがってくればドミニオンなんかも遊べるかもしれない。但しこれは人を選ぶ

人数が多い方がいいけれどゴキブリポーカーも2人でも遊べる

十分に物語を吸収できているならディクシットも面白い

2021-02-21

韓国人をゴキブリ扱いするのはゴキブリに失礼

日本人だろうと韓国人だろうと、人間は等しくゴキブリ様より遥かに下の生き物に決まってるだろ。

ゴキブリに謝れ。

2021-02-20

anond:20210220210757

人権がないやつが性犯罪者扱いされてるだけで

それ誰のこと?

そいつらはゴキブリみたいに問答無用で叩き潰されたり犬猫みたいにガス室で殺されても罪にはならないの?

簡単人権ないとか言うなよ

なんで性犯罪者人権なんかあるんだろう

私はゴキブリが好きだ。

蛆虫も好きだ。

蚊も嫌いじゃない。

勝手ながら人間にとって邪魔から殺すけど、彼らに罪はないし生態は興味深いし、地球に欠かせない仲間だと思っている。

しかし、同じ人間性犯罪者という生き物はこの世に生きていることが許せない。何故死刑にならないのか、こんなに刑が甘いのかわからない。

どうして自分の汚い一時の欲望のために平気で被害者人権を、人生を踏み躙ってあろうことがそれを自慢していられるのかわからない。

痴漢依存症とかやめられないとかいうが、どうしても理解できない。やらなきゃいいだけじゃないかエイリアンハンドじゃあるまいし。やらなきゃいいだけなんだからやめろよ。自分の手を縛れよ。切り落とせよ。

韓国では性犯罪者GPSを付けたら再犯率が大幅に減ったが自殺者が出たらしい。

何が問題なのかわからない。メリットしかない。

何故GPSひとつでこんなに人権人権と庇われるのか。

私が独裁者なら、性犯罪者人権剥奪し、あらゆる拷問の末死に至らしめる刑にしたい。

何故そうならないのだろう。

何故、実験動物がこんなに反対されてるのに、実験動物の代わりに彼らが使えるようにならないのだろう。

何故、何も悪いことをしていないゴキブリは躊躇なく殺されるのに、それどころか、動物の中で最も権利尊重されている犬や猫ですら合法的に殺されまくるのに、コンクリ殺人事件犯人は、ただ「ヒト」であるというだけで人権とやらに守られてしまうのだろう。

アニマルライツとかは嫌いだけど。

アニマルライツがいう「種差別」で成り立つ人間優位社会は、必ずしも人間にとってプラスではない。

2021-02-17

テラフォーマーズって何で人間特殊能力移植したの?

ゴキブリは熱湯かければ一発で死ぬくらい熱に弱いんだからアシダカグモ能力人間移植するなんて面倒なことをせず、火炎放射器で戦えばよかったじゃん。

源平→源氏VS平氏という分かりやすい構図。ラスボス格の清盛に対して、一度は敗れた源氏御曹司辺境で力をつけて逆襲するというオーソドックス貴種流離譚。ただし、めぼしいキャラクターが他に義経木曽義仲くらいしかおらず、平教経とかいうよくわからん奴を義経ライバルに据えてしまうくらい平氏側の人材がいない。あとみんな似た名前で覚えづらいのも地味に難点。

南北朝→敵味方が目まぐるしく入れ替わってマジでよくわからん。大きな戦で決着がつくということもなく延々と争い続けている。勝ったら身内で争いはじめる。負けてもゴキブリのように復活する。主人公格のくせに何をしたいのかよくわからない尊氏もさりながら、「優柔不断な後醍醐」像が定着したのもグダグダ感が増している要因かもしれない。後醍醐評価路線でやればワンチャン

戦国時代群雄割拠で各地方ドラマがあり、群像劇としてさまざまな視点から物語ることができる。天下人になったと思われた信長本能寺死ぬという驚きの展開、秀吉の驚異のサクセスストーリー、そして家康権力掌握が関ヶ原という天下分け目の大戦で決まる分かりやすさ。消化試合感のある大坂の陣真田幸村のおかげで最後の盛り上がりを見せた。やっぱ戦国時代っきゃねえよ。

幕末暗殺粛清陰謀歴史が進んでいく陰湿さ。打つ手打つ手裏目幕府。ただのテロリスト集団長州。佐幕の強硬派として長州いじめていたくせにいつのまにか幕府を裏切っている薩摩奥羽越列藩同盟でもうひと盛り上がりあるかと思ったら瓦解して終わる戊辰戦争維新の最大の功労者無駄に戦いを起こして惨めに死ぬ西南戦争。全体的にグダグダで、スカッとした盛り上がりに欠ける。キャラ人気に頼る他なし。

2021-02-15

anond:20210215132737

論点ずれてるよって指摘しただけなのに被害妄想強いなお前

ゴキブリくらいしぶとく生きろお前は弱すぎる

2021-02-12

anond:20210211214034

恐怖は対処困難性とイコールではないがそれと結びついていると思う。

ゴキブリ蜘蛛に誰もが恐怖を感じるのは対処が困難なほど「速い」から

対して植物光合成という事実上なにもないところから栄養を得ることができるチート能力によって得た「物量」で

対処困難性を実現する。草を1本だけ対処するのはかんたんだが

数平米に広がった草むらに対処するのは困難だ。

anond:20210211214034

蜘蛛ゴキブリも動いてないなら全く怖くないか増田の言ってる意味全然わからん

動いてないものは怖くないだろ

と思ったけどびっしり生えたカビとかはその時点で動いてなくてもちょっとやだな。

2021-02-09

anond:20210209143615

嫌悪感って凄まじいもんな

でもまぁ他人を嫌いになるぐらいドス黒い精神持ってるんだから別に差別がどうとか気にしなくていいよ

そこまで博愛主義者でもないだろ君は

ただ嫌いになった要因の一つ一つをちゃんと考えて、じゃあこれは平気だな、これは嫌いだけどこれは別にアイツ関係ないなって思えるようになったらそのうちわざわざ嫌いになってる意味合いも無くなってくると思う。

 

まぁ後『無理』と『嫌い』を一緒くたにしちゃう人もいるから、そこら辺は増田で考えて

嫌いが行き過ぎると無理になるというか、人間全てを受け入れられる程人間の懐って広くないんだから

だったら食べられるものだけ食べられるようにして後は食べなくていいものを避けるようにしておけば、わざわざ嫌いにならなくても、良くなるんじゃないでしょうか。

 

あと動物基本的差別するように出来てるから、じゃないとゴキブリ排水溝走り回ったネズミに指食われてもニコニコ笑って生きなきゃならなくなるだろ

人間様が一番偉かったら俺ら今でもヒグマ自然現象に怯えねえもん

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