はてなキーワード: オダギリジョーとは
Airペイのトレーニングモードが解除できないのなんでだろう?と尋ねてみたら、
機械は届いて全部設定できて、
いざ本番と思ってトレーニングモードが解除できないからなんでだろうと思ったらそう言うことだったのね。
あのシーエムみたいに本当に決済できなわ!ってオダギリジョーさんをマジリアルに味わうところだった、
ちょっと焦ったわ。
そんで事務所の上の人、
「なんでAirペイとかCoineyとか導入したんだっけ?」って
笑っちゃうわ。
まったくだわ。
流行に乗っかりたいだけかよ!とも思っちゃいそうなほど
なんかよく分からないけどVISA一択でいいんじゃないの?と思っちゃうけど、
余計に手札が使えるようになったら分からない人は混乱するわよね。
海外の商習慣が分かんないので、
メインの支払い方法の3番プラットホームはよく分からないけど、
サイトなんかでは海外対応どうしたら良いの?と逆に分からなさすぎるから、
メールアドレスさえあればやり取りできるっぽくって、
請求書を送ってるのに、
メールアドレスを教えてくれって、
やり取りが頓珍漢なことになってて
そんなのできっこないわよ!と高をくくったのを一旦置いといて
なんかできるっぽいのよ。
まあそんなこんなで慌ただしい朝ね。
でもお店のもの全部くれって言われたら困るけど、
うふふ。
何も食べて無くアイスコーヒーだけにしたわ。
アイスコーヒーの季節もそろそろ終わりでホッツコーヒーに変わる頃季節が変わったなって思っちゃうわ。
オレンジって季節関係なくあるから一体何時が旬なのかしら?と一瞬考えるけど、
おかしいことにはならない味の決め手よ!
違う種類の果物をたくさん混ぜるとあんまり美味しくなくなっちゃうので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日の私に聞いても仕方ないでしょ大賞受賞したのは、
「海外取引での必要書類PDF印刷したものをサインしてどうやって送り返したらいいんだろう?」でした!
パチパチパチパチ!!!
またスキャンしてメールで添付して送り返したらいいんじゃないの?
と言っておきました。
そんなこと聞かれても私分かんないからね。
その英文には何が書いてあるのかしら?
よく分からないけど、
これで午前中使ってしまうなんてなんと言うことでしょう。
と叫びたいところだけど、
ついでっちゃーついでなんだけど。
でもその部署部署でその都度都度で必要申し込めばいいんじゃないの?って思うけど、
経理じゃないのに雰囲気経理と近そうな立ち位置だからって私にって回ってきてさ。
まあ最近流行ってるなんとか決済の勉強になるのかならないのかは分からないけど、
でもさ
いざなんとかペイ使えますよってなっても
本当に使えるのか問題あると思わない?
操作で手間取ったりしたり、
結局出来なくてそういう時に限って現金持ち合わせてなかったりと地獄になるじゃない。
もうあれ本当に困るのよね。
そのときはたまたまお店の前にコンビニATMがあったからまだしも、
結構それって恥ずかしいわよね。
数千円も持ってないのかよ!って恥ずかしいわ。
だからカード決済やらなんとかペイやらで決済すると見せかけておいて、
実はダメだったときの現金も持ち合わせてるときしかお店に行かない!ってそうなるのよね。
今さらオダギリジョーさんだって「はい100万円のおつりです!」って言わないぐらいに
冷やの汗もののまた辱めに晒されるんだわって危ういところだったわ。
そう言うことってないかしら?
もう来年の干支がいつ決まるかって早く決めて欲しい級にドキドキするわ!
今年は早く準備しちゃう気満々よ!
何言ってるかよく分からないわ。
うふふ。
林田健次さんが歌う版の青いイナズマの前奏の部分のパリパリパリラーって言う気持のパリパリ感。
あんまりそんなに言うほど海苔のパリピ感にはこだわらないんだけど、
海苔巻きをニューヨークスタイルでホットドッグの様に食べるスタイルもオススメだわ。
今朝ほど寒かったことはなかったわ。
だんだん寒くなっていくのかしらと思ったら、
ちょっとぬるめのやつ作って飲んだわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人生ってさ、
いきなりカード見せられて、「君は、どれを選択する?」って感じなんだよ。
それが毎日で、朝昼晩、常にそうやって選択肢を迫られるのが旅なんだよ。
インドはそれがハードモードで、どのカードを選んでもヤバイから、
選ばないって選択肢もある訳。
毎回、論理的に選べる訳ないし、
私が行った時には、
たまたまイージーカードを出してくる人にしか出会ってなかったのかもしれないし、
騙されたとしても偶然悪いカードを引いただけだと思うけど。
女性は特に「俺んち来ない?系」は、ヤバイとしか思わないから、
インド人もセグメントかけてるのかなー。
やだね。IT大国。怖い。
インドは魅力的な国だと思うので、
行く時には、旅の勘が冴える3か月目くらい、もしくは3か国目くらいがいいのかな。
Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。
魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点が散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。
以下、ネタバレなし。
まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である。
1人目の男、藤島(役所広司)は、加奈子の父親である。藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子の母親と離婚し、自堕落な生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子が覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島は加奈子の行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。
2人目の男、「ボク」は、加奈子のクラスメイトである。学校でいじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子に復讐を果たそうとする。
この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループの目的は何か、といった謎を解明していくものである。
演出で特徴的なのが、上映時間のほとんどが、藤島が暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である。藤島は関係者に暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。
その上で、この映画が酷評されている点をまとめると、以下のようになる。
(1) 結末まで観ても話がよく分からない
この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島の暴力と加奈子の魅力だけで語られるものであるから、言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子、ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。
ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。
この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。
観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句、暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである。
しかしこの映画に主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画に主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。
(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない
この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだ(ネタバレに配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。
そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。
これである。監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督の映像技術でさらにパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントはうなぎのぼりである。
(2) 暴力シーンが痛快
批判の対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物であると桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。
どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。
よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっております。ネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。
そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察たのしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!
香田幸 | (長女) | 真木よう子 | 「そして父になる」出演 |
香田佳乃 | (次女) | 鈴木杏 | 映画「吉祥天女」叶小夜子役 |
香田千佳 | (三女) | ? | |
浅野すず | (異母妹・四女) | 内田伽羅 | 「奇跡」出演 |
浅野陽子 | (すずの義母) | YOU | 是枝作品の常連 |
都 | (三姉妹の生母) | 森下愛子 | |
大船の大叔母 | (三姉妹の祖母の妹) | 樹木希林 | 是枝作品の常連 |
北川十和子 | (すずの叔母) | 内田也哉子 | 樹木希林の娘で内田伽羅の母 |
浅野 | (四姉妹の父親) | 井浦新 | 是枝作品の常連 |
多田裕也 | (エース) | 金子隼也 | 大天才テレビくんのサッカー少年 | |
尾崎風太 | (同級生) | ? | ||
緒方将志 | (関西弁) | 前田旺志郎(まえだまえだ弟) | 「奇跡」出演 | |
坂下美帆 | (ゴールキーパー) | ? |
椎名和也 | (シカ先生) | 阿部寛 | 是枝作品の常連 |
井上泰之 | (オクトパス監督。理学療法士) | オダギリジョー | 是枝作品の常連 |
藤井朋章 | (大学生?) | 柳楽優弥 | 「誰も知らない」主演 |
浜田三蔵 | (アフロ店長) | ? | |
坂下 | (佳乃の上司・美帆の兄) | 堺雅人 | 銀行員といえば |
尾崎光良 | (風太の兄。酒屋の三代目) | 寺島進 | 是枝作品の常連 |
福田仙一 | (山猫亭マスター) | リリー・フランキー | 「そして父になる」出演 |
二ノ宮幸子 | (海猫食堂店主) | 風吹ジュン | 是枝作品の常連 |
肉のナカムラ店主 | 佐々木則夫 | なでしこ監督 | |
肉のナカムラ娘 | 澤穂希 | 伝説のなでしこ選手 | |
観光客 | ニコール・キッドマン | 逆オファー中 |
実に嫌な奴だ、何という人間のクズ、と思っていた。生活保護の問題が浮かび上がる前から。
森三中の小太りの子、と書こうとしたらみんな小太りなので、一番背が低い子が結婚発表をして、おめでとう、おめでとう、と言い合っている時に、河本は「この男を逃したらおまえみたいなブスには次はないで」というような内容のことを言い、空気を固まらせていた。これが山田花子が相手だったら「じゃかあしいわ、出来そこないのフクスケみたいな顔をしてるおまえが何を言うてんねん」と切り返せただろうし、花子の温情によってギャグという形にして貰えただろう。しかし森三中のその女子は、芸能人としてのポジション的にも、河本に切り返しが難しく、女子としての自意識と芸人としての欲をいまだ調整しきれていないように見えた。河本は芸人としても場の空気を見誤ったわけで、同じ毒舌キャラであっても有吉がいえば芸になっても河本が言えばただのモラハラ、セクハラ、パワハラなのであった。
バッテリーとしての信頼があって初めて投球できるシンカーにカーヴがかかった魔球をいきなり初対面の人に放ったようなもので、芸としての計算ではない、ただ単に河本が思いつきで、自分の性格から出た悪意ある毒舌を放っただけだった。普通にゲスな男である。
さて、そのゲスな男であるが、小中学校でオダギリジョーと同級生であり、オダギリ当人を前にして、俺はオダギリよりももてた、大阪ではおもろいのが一番もてんねん、と鼻を高くしていた。それは河本にとっては心からの魂の叫びであっただろう。別に河本がもてなかっただろうというつもりはない。ただ、普通は謙遜するものである。オダギリのように、正真正銘もてる男ならばここで謙遜しなければ社会的生命が危ういだろう。しかし「お笑い」はひたすら自我をだだ漏れさせることが許されるのである。自我を拡大させるための手段が牛丼屋かお笑いかと言う違いはあっても、その幼児的な全能感はワタミの社長に似ている。河本は自意識の中では「二枚目」として生きている。それが滑稽だと言えば滑稽だが、滑稽なのが問題なのではない。普通は生きていくうえで矯正されたり隠したりする全能感、絶対的な自己肯定感情が「お笑い」といういわば批評者の立場にたつことで、なんら矯正もされず、結婚を控えた女子に「おまえはブスだからこれが最後のチャンスだ」と計画性もなく無意識に投げつける男が、「人の嫌がることをするような人は消えればいいのに」と言えてしまうのである。この盲目性。絶対的な自己中心性。これはもはやほとんどサイコパスであろう。
ペ・ドゥナが心を持ったダッチワイフ(はいはい、空気人形ですね)を演じる映画。
事前の予想・期待を裏切られた点が二つあったので、それについて書きたくなったのだが、他にかけるところがないのでここで書く。
でも、別になにかちゃんとしたまとまりがあることを書くわけではないく、ただ感じたことをだらだらと書くだけ。
なので別に面白いものでもなんでもない。そんなものでも書ける増田って便利だな。
また、ストーリの解説をやるつもりはないが、ネタばれは盛大にしていくので、映画をこれから観るつもりの人は読まないでください。読んでも面白いことは書かないしね。
まず第一点。この映画、予告編を見た時点で即、観に行く事に決めていた。予告編に映し出された、ペ・ドゥナ、オダギリ、あるいは是枝監督のゆえ、ではなく、板尾創路の演じるダッチワイフ所有者の悲哀のゆえ。
あまりに悲しい...だって、自分のダッチワイフに別の男へ走られて、捨てられるんだぜ!
「サマーウォーズ」とか「時をかける少女」を観て落ち込む男が色々といるようだけど、そういう人達にも観てもらいたいな。
俺は「サマーウォーズ」を観ても特に何も思わなかったんだけど、あれで落ち込む人達にはこれに何か感じたりするのだろうか?
予告編の中でペ・ドゥナはARATAとデートをし、自分の作り主であるオダギリ・ジョーに出会う。はいはい、やっぱ男前の方がいいよねと(まあARATAはそんなに男前ではないが)。
なので映画的にそこら辺は当然だろうと思ったのだが、同時に俺としてはこの綺麗で幻想的なように見える作品のなかで、板尾の役にはどういう結末が用意されているのだろう?という点に関心を持った。
予告のなかでも板尾はペ・ドゥナに元に戻ってくれ、と頼むシーンがあるのだが、俺はそこに行くまでにペ・ドゥナに精神的に裏切られていた事がわかって傷つくシーンがあるのだと勝手に思っていたのだよね。
劇中、心を持って動くようになったペ・ドゥナのダッチワイフは板尾以外の人間からは人間として認識されるが、板尾からはダッチワイフとして認識され続ける。なので板尾はペ・ドゥナと一緒に風呂に入ったり、膝枕をしてもらったりする。この膝枕のシーンで、俺は恥ずかしながらまじうらやましさを感じたのだが、でもその裏でペ・ドゥナはARATAの事が好きになり、板尾からのキスを避けようとしたり、板尾が眠った後、シャワーを浴びたりする。板尾はペ・ドゥナは完全に自分のものだという幻想の中にいるわけだが(だってダッチワイフだからね)、ペ・ドゥナの心は完全に裏切っていた。
だから板尾に一体どういう決着をつけてやるのかと思っていたら、何のことはない、板尾は完全に女の形をした自分の鏡がほしかっただけ、という設定なのだ。ペ・ドゥナに心があることが分かった後でも、板尾は精神的に裏切られていたことを知る事はないまま、心をなくしてくれと頼む。俺が興味のあった点は、まるでペ・ドゥナの方が被害者である、かわいそうな存在というポジションを取ることで解決されてしまっていた。板尾が「ダッチワイフ」のペ・ドゥナとラブラブ一人芝居をしている裏で、ペ・ドゥナはARATAに恋して、そして悔しいかな正直、非常にかわいいデートをしていたりして、はっきり言って板尾の方が滑稽な哀れなピエロであったというのに。
で、第二点。そういう勝手な期待をしていたものだから映画の中盤くらいでなんか肩透かしを食らわされた様に感じたのだけど、実はその後、この映画はこっちがまったく予想していなかった素晴らしい方向で予想を裏切ってくれる!救いの神はなくとも、悪意の悪魔はいるというか。なんとこの映画の後半には、モダンホラーのイメージがあるのだ!モダンホラーは日常生活の中に紛れ込んだ恐怖を描くものと定義されているとおもう。この映画は半分過ぎまでファンタシーの要素がありつつも、基本日常生活を描写していく。そこからオダギリジョーの人形制作所へ...あのシーンで、「悪魔のいけにえ」の地下室を思い出したのは俺だけではあるまい!
そしてペ・ドゥナとARATAの最後のからみ、さらにその後のシーン。すばらしい!善きことを意図しながら、意図していた事とは全然違う結果になるという、経済学で言うところの Unintentional Consequence!って、ちょっと違うけど、でもあの意図のすれ違いはすばらしい。そしてそのシーンのペ・ドゥナが美しい。正直あそこで終れ!とすら思ったよ。ま、こんな事を思っているような人間だから、俺は板尾の役に共感を感じたりする事になるんだろうがな。
地デジのEPGではどう表記されるのか?未だアナログユーザーの私には解りませんが、
インターネットが普及した今の時代に「なぎ」だけ平仮名で表記というのは
双方にデメリットがあるでしょう。
ということで作成してみました。
また、草なぎ2:55とか事件を揶揄するものは芸能活動上メリットが無いので対象外にしました。
つるの剛士と少し似ているな。
なんてことになったら、ポスター表記は間違いなくこれだろう。
字数が多いか・・・苗字を区切る☆をつけて「くさなぎ☆つよし」はどうか?
やはり、つのだ☆ひろのように字数が少ない場合にのみ有効だろう。
ひらがなベースでほっしゃん。を意識し、「つよぽん。」というのも考えたが
原形をとどめていないので却下だな。
ファーストネームから読ませる「ツヨシ・クサナギ」もケン・イシイのようでアリのような気が。
②にもあげた☆を入れて「ツヨシ☆クサナギ」、う~んダイヤモンド☆ユカイみたいだなあ。