はてなキーワード: 天道とは
今の日本の全体として。宗教の力も共同体としての力もどんどん薄まって、
「お天道様が見てる」とか「ご先祖様に顔向けできない」みたいな感覚もかなり機能しなくなってきた。
だからモラルやマナーを守るのも、「社会秩序を守るのが結局自分にとって得だから」みたいな、
自分自身、かなりの部分そういう思考で生きてきたが、子どもに教育していてそれでいいのか?と思えてきた。
最近知恵が付いてきたのか「で、それをして俺に何の得があるの?」みたいに言われたりして、
こういう時に「損得とかじゃなくて人としてそうすべきなんだ」みたいな言い方しても全然響かない。
仕方なく損得論で話しても、「でも、それだとリターンに対してコストが見合わなくない?」とか言われたりして。
ひろゆきのクソに影響されてるのか知らんが、生意気にも論破しようとしてきやがる。
結局、「人生経験の足りないお前ごときがリターンとコストを正確に見積もれると思うな」と一喝して黙らせたのだが、
事の発端がなんなのかっていうと、「ご近所さんにちゃんと挨拶しろ」って話なんだよね。
こんなことで、防犯上のメリットとか、ご近所トラブルリスク回避とか、自分で言っててそういう問題か?って思ったんだよな。
やっぱモラルとして挨拶しろ、でいいような気もするが…でも実際子が言ってることも分からんでもないんだけど。
自分も子どもの頃、親父に理論的に説明されずに頭ごなしに叱られて腹立ったことも何度もあるし。
うーん、難しい。
現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。
徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。
ところがどうか?
これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会の上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。
大事な政策を担う役人たちは、公然と賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。
そのくせ、自分たちが支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。
ただでさえ、重い年貢や賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。
民の恨みに呼応して、天も怒っている。
近年、地震、火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。
そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである。
ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。
下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。
目の前で起こっている天災や天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋や茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。
多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり、危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。
なんたることか。
これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事そのものではないか。
いま、奉行や役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。
彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。
このような役人や商人たちの所業は、天道や聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。
いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。
私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。
そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこちの蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。
んー 多分この手の主張をする方には何を話してもきっと心底納得はできないだろうし、そもそもこういう考え方の方はそれでいいというか、他の意見が必要が無いと思う。
その上で話すとするなら、もう「宗教が必要な人もいる」としか言えないんだよなぁこれ。
宗教って人の心の弱いところを補うもんだから、基本的に絶対なくならないもんなんだよね。
友達の家族が、摂食障害患っててさ。病院やらだけじゃ治らなかったんだけど、ある時とある宗教の考え方がその人にぴたっとはまったらしくて「私がずっと考えてたことがここにある」って思っちゃったのよね。
そして、それから以前よりは元気になったのよ。その宗教の集まりのなかでスピーチするのが夢になったり。
健康な人からみると「うわぁ」って思うかもしれないけど、その人にとっては救いになったのよね。
もちろん「宗教じゃなく他にも方法はあった」っていう人もいるだろうけど、けどそうやって宗教に何かが救われる人がいるのも確かで、なので「必要な人もいる」としか言えん。
あと、信じていようがいまいが、神頼みした経験ある人は一杯いるだろうし、何か悪い行いが頭をよぎっても「お天道様は見てる」って風に、悪いことをする自分の行いが何かにばれているんじゃないかって思えて踏みとどまる人もいる。(バチが当たるとかはよく言うよね)
仮に人間は死後99.999%の確率で無に還るとしても、死後の世界の証明が出来ない以上、残りの0.001%の中には天国なり地獄なりが含まれている可能性はある。
それならば保険として、とりあえず脳死NISAオルカンぶっぱよろしく、神でも仏陀でもなんでもそれっぽいものの存在を心の片隅にでも認めておいて、善行らしきものを細々と積み立てていくことにデメリットは存在しない。
別に毎週末教会に通う必要もなければ、よくわからん経を読み上げたり、神のために聖戦に参加することもない。ただ、日常生活に影響しない程度に、自分にとって都合のいい神を信じておけばいい。
どの神が本物で当たりなのかは知らないが、もしかしたら古今東西世界中すべてのあらゆる教えが実はたった一つの存在を指していた可能性だってなくはないわけで、どいつを選んでもどうせ大して天国行きの確率は変わらない。
しかし、人類史上どの文明においても、悪魔崇拝を除いては、「善行を成すことで地獄に行く」というパターンに納得のいく理屈を与えられていない以上、0.001%以下のほぼ存在しない確率であっても、それにベットしておくことにデメリットはないのだ。
宗教はどうでもいい。死後に天国がないという悪魔の証明が成立しない限りにおいては、己の望む天国行きのチケットを手に入れるために、己が信じる善行を成せばいいだけ。
江戸っ子なら
「べら棒奴、そんなもんが”かるぼなーら”になるってんなら、山芋が海に逃げて鰻にならぁ、お天道様が西から上って東に沈むってんだ。馬鹿言っちゃいけねえ。」
「は? か、かるぼなーらって、あの、昔夜店でぷー…ってふくらまして売ってた…」「いや、それカルメ焼きw」(と無理矢理なボケ・ツッコミで流すことで壊れかけた場の雰囲気を繕うとともに、下手なギャグで話を逸らすことで「お前の言ったことはこれくらい意味が分からない、下手なギャグ以下の寒い話」ということを暗に話者に伝えようとする。)
と笑顔で切って捨てて終わり、みたいな感じだろう。いずれにせよ、これらのような高度に磨き上げられた言語体系には、こういった状況を滑らかに回す知恵が組み込まれているものだけれど、残念ながら現代共通語はまだそこまで至っていないというのが実際のところだと思う。個人的には、せっかくのこれらの言語資産を活用して現代語にはもう少し頑張ってもらいたいと思うところなのだが。
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。
高潔な人間に育つと苦労しそうではあるけど、稀にそう望む親が居たほうが社会は健全なんだろうなと思うよ。(anond:20230916221806)
普通、そう望むのが一般的だよ。異常に意識が低い親以外は、清く正しくお天道様に顔向け出来る行動をって育てる
元増田(anond:20230916165514)や一部のアレな人たち(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230916165514)は、
『要領が良い』と『誠実で礼儀正しい』は、決して両立し得ないと思ってる節があるけど、それは誤解なんだよな
要領が良いは能力(Ability)の話であり、誠実で礼儀正しいことは態度(Attitude)の話であり、完全に別のもの
たとえば、自分の専門外に安易に言及したり、陰謀論を唱える学者を賢いと考える人はほとんどいないでしょ
でも、能力(Ability)だけにフォーカスを絞った客観的な事実は、高学歴で少なくとも低いIQではない
賢い人の振る舞い、穏やかな人の振る舞いをしていれば、周りの人はそのようにその人を認識するし、
長年にわたって積み重ねられた行動や習慣は、やがてその人の性質や性格と呼ばれるようになる
隙あらばルールを破っても良いという態度を持つ人には信頼されないし、誠実とは捉えられない
何を考えてこんな生きる上での困難を与えようとしてるんだ?って話なんですわ
ルール破りを反省するどころか美化したり得意気にしてる人たちはちったぁ考えて欲しいんですけど、
クソ上司の武勇伝聞いてる時の感情、不誠実な行いを繰り返してきた結果としか言えない人の自慢話や可哀想アピールを聞いている時の感情、
それがあなたやそのように育てた子どもに向けられる人々の感情です
レイプにしたって男のガキがおばさんに犯されるのと、女のガキがおっさんに犯されるのが同じだと言えるか? 胸張って言えるか? 俺の目を見て言えるか? お天道様に誓って言えるか?
いや内容は違うが前者も別ベクトルで恐ろしいが…。
特に妊娠の継続・中絶は女性が自分で決める固有の人権にも関わらず、それが加害者側に回った時の恐ろしさよ。
被害者男児との間に授かった子を加害者女性が出産しようとすれば、裁判所だろうが被害者男児本人だろうが「罰として堕胎しなさい」とは命令できないんよ。
女性に対する堕胎の強制は、たとえ相手が性的暴行の被告だったとしてもこの上ない人権侵害だから。
例えば、親元を離れホームステイとかに行った男児が、ステイ先の主婦にいたずらされて、その主婦が出産を強行しようとするような事件が起きた時、誰も主婦の行動を止めることはできない。
かくして加害者女性が出産を強行すれば、被害者男児にとってはなすすべもないまま、被害を受けた上に加害者との間の(偽物の)愛の結晶もこの世に誕生させられて、その結晶を抹殺できないばかりか逆に養育費まで払わされるというこの世の地獄に突き落とされる。
今話題のジャニーズがどうこうに直接関わりがあるわけじゃないんだが、どうしてもムカついたから書く
「女のそれに比べて、男の性被害は軽視されている」なんてことを言い出す奴がいるが、そんな当然のことをさも問題みたいに言うのは流石に知能を疑わざるを得ない。まさかとは思うが本気で言ってないよな?
そりゃ軽いもんは軽視されて当然だろ。
例えば女が通りすがりのおっさんに「パンツ見せて」って言われたらそりゃ嫌だろうが、俺がおっさんにパンツ見せろって言われても「え……いやお前が見たいなら別にいいけど……」って話だし、だいたいの男もそんなもんでしかない
男にも「パンツを見せろなんて……ひどい……傷つきました……」なんていう奴も居るだろうがそいつは頭のおかしい極端な例だしそれを言うなら別に気にしない女もいるし全体の話だよバーカ
青リンゴが存在しようとリンゴは赤いしステーキは高いしケーキは太る。議論またの名をロジカルな口喧嘩に溺れて当たり前のことすら分からなくなったのか?
もう一度言うが軽視されて当然だろそりゃ。実際軽いんだから。
レイプにしたって男のガキがおばさんに犯されるのと、女のガキがおっさんに犯されるのが同じだと言えるか? 胸張って言えるか? 俺の目を見て言えるか? お天道様に誓って言えるか?
今話題になってるのは男→男のレイプだから違いはそんなにないが、女→男のレイプでも性被害の価値は同じです、みたいなこと言うやつが居る。いや同じなわけねえだろ。いちいち説明が必要な事柄か?
男児へのレイプだって被害なんだから軽視されてはいけないです、みたいなことを言う奴もいるが、それを言うなら「軽視されてる」じゃなくて「軽視されすぎ」だろアホが。
女のそれに比べて軽視されるのが普通なんだから(なぜなら実際に軽いので)
程度問題として語るべきことでしかない。さも女へのレイプと程度が同じみたいに語るなタコ。
タチ悪いのがこれを男女平等とかジェンダーフリーに反対する側の人間が言ってることなんだよな(マジで同一人物が言ってる。それも少なくない人数が)
どうも権利とか平等とか言い出したら人類みな頭がおかしくなるらしい。
そうじゃなくともみんな好きなように"平等"の軸を決めるから無意味だよ無意味。
結果の平等を押し進める奴もニートに社会人と同じ給料を払えと言ったら反対するし、機会の平等がどうたら言う奴も障害者が野垂れ死んだらちゃんと支援しろとか言い出すから不毛にも程がある
平等なんて幸福な社会やら個人やらを目指すために有効だったり有効じゃなかったりする指標の一つでしかないのに、とにかく平等を達成することが目的になってる奴は頭がおかしいとしか言いようがない
結局フェミニズムやらジェンダーフリーやらに反対する奴も、平等にするのはいいことです、なんて妄言には反対しないんだよな。確かにお前らの言う通り飢えて死んでもエンゲル係数を下げるべきだよ
お前らが平等教を信仰してるのを別にとやかくは言わんが、それは理性ではなく信心であるという自覚は持ってほしい。
現実に理屈を合わせようともせずに、理屈に現実を合わせろなんて言い出す奴が多すぎる
いくらお前の頭の中で整合性がとれて正しい考えでも、現実にうまく機能しなかったならそれは間違った考えだよ。もう一回練り直してから口に出せ
俺やお前が必死こいて頭ん中でぐるぐる考えてるのは何のためだ? 最終的に自分や他人の人生を豊かにするためじゃないのか? そこんところよく考えろよな。