はてなキーワード: ゲイルとは
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。
@moonchild3606
面白いことに、私が初めて「ティアーズ オブ ザ キングダム」をプレイしていたときは、楽しんではいたものの、リニア ゼルダのファンとして、現在のゼルダにはもう自分の居場所はないという沈んだ気持ちから逃れることができませんでした。 だから青沼がこれほどのことを言うのを聞くのは、正直少し胸が張り裂けるような思いだ
@schl0ck
右? 物事が永遠に同じであるべきではないことはわかっていますが、私がゼルダの伝説のゲームに夢中になったのには特別な理由があり、それらの理由のほとんどは最近の 2 つのゲームには存在しないか、あまり焦点が当てられていません。
@starscythe2099
伝統を拒否する。 変化を受け入れましょう。 いい感じだよ、男。
@boughtinbloodendless7813
@starscythe2099 間違った伝統がそうなるのには、それが機能する理由がある
@Malorak
@starscythe2099 ...これはアートには当てはまりませんが、爆笑。 ロック音楽が好きな人に、「2023 年になったので、音楽も変わります。新しい音楽を聴いてください」と言うところを想像してみてください。 確かにそれを好む人もいるでしょうし、オープンマインドでいることは素晴らしいことですが、おそらく 2023 年の音楽は彼らにとって合わず、後でもう一度試してみて、新しいロックが何をしているのかを見たいと思うかもしれません。 それは100%大丈夫です。 ジャンルには理由があって存在します。 どちらも存在する可能性があります。 非常に奇妙なテイクNGL。
@dericandkhristy
@schl0ck ところで、OoT とムジュラの仮面を「同じ」だと考える人はいますか? 風のタクトやトワイライトプリンセスはどうでしょうか?
ゲームは、ストーリーと一部の進行の直線性、妖精が優れた回復アイテムであること、宝箱を開けたときの「DA NA NA」などの核となる側面を維持しながら、常に異なっています。
なぜ任天堂が伝統的なゼルダの要素をすべて(まあ、ほとんど)捨てなければならないと決めたのか理解できません。
自由を増やすためだけに、公式全体を破壊することなく変化を起こすことができます。
人々が問うべき質問は、どんな順序であれ寺院を建てることに、私たちが失ったものすべてに本当に価値があるのかということです。
答えは簡単です、ノーです。
@dericandkhristy
@SirMalorak 素晴らしい投稿です。 👍
@LinkMountaine
@dericandkhristy ただし、実際には何も失いませんでした。 いくつかのことは単に異なって処理されます。 ゼルダシリーズは常にこのスタイルに合わせてデザインされています。
@cyd_hunter99
@LinkMountaineer いや、全然違う気がする
@LinkMountaine
@cyd_hunter99 まあ、間違っているかどうかはあなたの選択です。
@thatnerdygaywerewolf9559
@LinkMountaineer ただし、物は失いました。 失われたものの 1 つは、能力の進歩の仕組みでした。 古いゲームをプレイしていくうちに、徐々に新しい力や能力を獲得し、パズルを解き、環境と対話するための新しい方法を提供します。
BotW にはこの要素がほぼ完全に欠けていました。環境と対話する新しい方法を提供する新しい能力はゾーラ アーマーとおそらくラヴァリのゲイルだけでしたが、どちらもパズルでは使用されませんでした。 残りの能力は単なる戦闘補助者でした。
TotK は、すべての賢者の能力に環境効果とパズル解決の応用があったため、この点では少し優れていましたが、初期能力に比べればまだマイナーであり、過去のゲームで新しいアイテムを入手するほどゲームプレイに影響を与えません ( さらに、その使用方法によっては多少の手直しが必要になる可能性があります)。 さらに 2 つの隠された能力がありますが、1 つは主な能力の退屈さを取り除くだけ (オートビルド)、もう 1 つは小規模で戦闘のみです (地震テクニック)。
編集: 新しいアイテムやパワーが戦闘に影響を与える方法もあります。一部の敵は事実上「パズル」の一部であり、対処するには多様化する兵器のさまざまな部分が必要です。 BotW には再びこの要素が欠けていました。新しい能力は、面白いというよりも、単に退屈を軽減するだけ (ウルボザの怒りはダメージ スポンジの敵に対して役立ち、ミファーの恩寵は料理の必要性を軽減します) か、アクションを自動化する (ダルクの保護は自動で完璧なガードです) ためです。 TotKは、時間の経過とともにより多くの「パーティーメンバー」を提供し、ランダムな武器では戦えない一部の敵(特定のダメージタイプを必要とする鎧を着た敵やギブド)、および大きく異なると感じられる他の敵の間で、再びBotWよりも優れていました。 あなたが見る他人(暗い手)から。 そして、TotK がこの面でどれだけ改善したかについては実際に満足していますが、あなたの能力セットは依然としてほぼ一定のままです。
@Buttertruemu
それをどう説明したらいいのかわかりませんでしたが、あなたは私が表現できるよりもずっと上手に表現してくれました。 楽しかったけど、もっとリニアなゲームが恋しい
@ausgod538
@SirMalorak 会社が両方をやりたくない場合、両方は存在できません。
@therealpskilla502
古い LOZ ゲームを説明するときに「リニア」という言葉を軽蔑的ではない方法で使用でき、それによって嘲笑されることがないのは素晴らしいことだと思います。 シリーズが時間の経過とともに進化するのは問題ありません。私は新しいコントロール、ラッシュラッシュ、新しいアーマーセットなどが好きですが、LttP に遡る数十年にわたるシリーズのアイデンティティが何であったのかを忘れないようにしましょう。 SSが嫌いでオープンワールドの流行に乗って、同じ年に発売されたスカイリムに夢中になった人がいたような気がします。 SS には問題がありましたが、それはモーション コントロールと反復性によるものであり、直線性そのものではありませんでした。 当時の一般的なコンセンサスは「リニア = 悪い」となり、結果として LOZ のファン層は分断されました。 これで 2 つのオープンワールド LOZ ゲームができました。どちらもそれ自体は優れていますが、オープンワールドと非直線的な進行があるというだけで、ロック付きの没入型で直線的なダンジョンが少なくとも 7 つ手に入らないというわけではありません。 アンドキーまたはパズルボックスのゲームプレイは、ベテランのファンにとても愛されています。 (マップのサイズに基づいて、ダンジョンは 10 ~ 13 個程度が望ましいです)。 シリーズの中核となるゲームプレイ要素を完全に削除して、反復的な神社やアクティベート 5 ターミナル スタイルの「ダンジョン」に置き換えても、ファンの半分を疎外しないと期待することはできません。
@dpackerman4203
正直に言うと少し侮辱的でもあります。 長年のファンとして私たちは古いゲームが大好きですが、彼は基本的に、それらは時代遅れであり、もう重要ではないと言いました。 そしてイライラするのは、Botw からやってきた新規ファンが同じようなことを言う人がたくさんいるということで、それが本当に気になります。
@saxor96
@ausgod538 それが問題です。 私たちは彼らがBSの理由でそれを望んでいないことを批判しています。
彼らが単純に「オープンワールドのダイナミックさをもう少し探求したい」と言ったのなら、古いシステム自体が時代遅れでもう良いものではないことをあからさまにほのめかすよりも、もっと耐えられるでしょう。
@therealpskilla502
@dpackerman4203 先代からのシリーズベテランということで、本当に老けたなと感じます(笑)
@vanyadolly
オリジナルのゼルダファンとして、私は新しいコンセプトを本当に楽しみにしていましたが、正直に言うと、NESゼルダを機能させる要素はまったく組み込まれていませんでした。 これらのゲームは、新しいアイテムを獲得するたびにさらに探索することを促す直線的な進行を持っていました。 世界は空虚で目的のないものではありませんでした。 現在、彼らはオープン性を重視するあまり、ゲームプレイだけでなくストーリーもそのせいで損なわれています。 個人的には、ゼルダ ゲームの魅力を満たすものはほとんどありません。
@vanyadolly
@LinkMountaineer絶対に違います。 私は基本的に古典的なゼルダのファンなので、そのような話は聞き飽きています。 オリジナルのゲームは直線的に進行するオープンワールドを持っていたため、リニア ゲームとの共通点が多かったです。 それがこのゲームを素晴らしいものにした理由であり、現在のゲームに欠けているものでもあります。
@gamgee3393
@starscythe2099 それはひどい哲学です。もし変更がより悪いものであれば(ゼルダの話ではなく、一般的に)、私たちはそれを受け入れるべきです。 私たちのリーダーや、お気に入りのフランチャイズを支配する人々に挑戦するのをやめたら、私たちは結局、ずさんな消費と生活をすることになるでしょう。
@LinkMountaine
@vanyadolly あなたの聞き飽きたことは本当に気にしません。 現実は現実だ。 また、直線的に進行するオープンワールドを実現することは物理的に不可能です。 オーバーワールドに後で開かなければならない場所がある場合、それはもはやオープンワールドではありません。 この 2 つは相互に排他的です。
@therealpskilla502
@vanyadolly よく喋ります。 他のすべてを犠牲にして「無限の自由」を追求することは、直線的な物語の進行に基づいて構築されたシリーズとは相容れません。 私が「物語の進行」と言ったのは、これにはストーリーとゲームプレイの両方が本当にユニークな方法で含まれているからです。
@kylemccrory8509
@starscythe2099 そのようなものを単に理由として拒否するのは十分な理由ではありません。
@vanyadolly
@LinkMountaineer 不可能ですが、なんとか 1986 年にそれを実現できました。Elder Scroll はそれを何度か行いました。 BotW と TotK がオリジナルのゼルダ ゲームに似ているというのは完全な誤りです。 オリジナルのゲームには、リニア ゲームやその 2D 後継ゲームとの共通点が多くあります。
オープンワールドとは、すべてのエリアに 100% アクセスできることを意味するものではありません。 もしそうなら、現在のゲームは、進行の背後にいくつかの制限がロックされていたオリジナルとの共通点があるとは言えません。
@LinkMountaine
@vanyadolly 私は、過去のゼルダ ゲームが範囲の点で BotW や TotK に似ているとほのめかしたことはありません。 実は注意してください。
実際、オープンワールドとはその定義そのものが意味するものです。 いつでもどこでも制限なく行くことができます。つまり、世界は真にオープンです。 したがって、オープンワールド。 私は本当にそれは自明のことだと思いました。
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。
https://twitter.com/URUWA_L_O/status/1711914705080717791
またぞろ、ぺドフィリアも「クィア」や「性的マイノリティ」に入る論が出てきたが、そんなもん入るわけないだろう。
と言うと、どこかの学者がそうtweetしていたというのが根拠として毎度持ち出されるのだが、学者一人の不用意なtweet一つで社会の共通理解になるわけもあるまい。世の中を知るべきだ。
クィアがペドを含んでるってのはどっかの一学者が言ってるんじゃなくて、クィアの元祖、本家本元のゲイル・ルービンがいってるんですわ
ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」
https://appinternational.org/2021/09/10/izaakson_from-foucault-to-san-francisco/
本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On the Woman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。
クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(Thinking Sex: Notes For A Radical Theory of the Politics of Sexuality)」という広く知られている文書だ。
ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。
左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。
トランスやQ:クィアがペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。
以下はクィア系文化人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィア・スタディーズにおける超重要文献からの抜粋だ。ちなみにルービンはトランスの教祖ジュディス・バトラーの師である。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/GenyaFukunaga/status/1516727453787426818
これを見て思った。
「海外ではLGBTは〜」とかいう言論はデータに丸められてしまっているのでN=1の(外れ値かもしれない)話
移住する旅行でいったNYCではゲイの人がかっこよく見えた。だから「良いゲイ」を見たんだと思う。
だが、結局移住先に選んだオランダでは自分は運悪くオランダで「悪いゲイルーマニアカップル」に遭遇した。
同じ家に住んでいたが、こっちはコロナで家で仕事をせざるをえないのだが、彼らは
無職でずっと電話を大声でしつづけて、共同キッチンはずっと専有し、自分たちの主張ばかり通す。
料理が好きなのでずっと使い続けているが、自分が利用しようとすると
ムッとするし、彼らが入ってくる当初家が汚かった(先代が汚していただけ)ことを俺のせいにして、
トルコ(タキシム)で浴場にいったのだがハマムという浴場はゲイのたまり場で、正直気持ちが悪かった。
正直治安が悪いと聞くには聞いていたが、どうしても疲れがたまっていかざるをえず行った。
最大限警戒してサウナにはいったら、サウナ部屋で前に座ったゲイが性器を見せつけて来た
まぁ、こういう悪いゲイを見てしまうと、意見も変わりそうなのだが、「良いゲイもいれば悪いゲイもいる」
だと思う。
「悪いゲイ」も当然いるという立場も必要だし、「良いゲイ」のは知っている。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna
学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai
妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738
ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill
漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna
学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai
妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738
ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill
漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
子どものころボーイスカウトに参加してましたって言っていたあいつへの評価変わる
米国のボーイスカウトでの性的虐待被害を訴える訴訟で、ボーイスカウト米国連盟(BSA)に対する訴えの数が少なくとも9万2700件に達したことがわかった。
アンドリュー・バンアースデール弁護士によると、15日時点では推定8万2000件だったが、訴えの期限である16日午後5時の後、裁判所から9万2700件との連絡があったという。
ロサンゼルス在住のジル・ゲイルさん(58)は少年時代をアラバマ州で過ごし、1970年代に2度虐待を経験したと語る。
「これほど多くの人に虐待が起きていたことは残念だ」としつつも、「多くの報告によって人々の注目が集まり、他の子どもたちが我々と同じような虐待に遭うのを防げることはうれしい」と話す。
また、可能な限り多くの人に被害を訴え出てほしいとも述べ、「経験したことが認知してもらえるということを彼らに知ってほしい」と語る。
BSAは声明で、過去の虐待で影響を受けた人々の数に打ちのめされており、その痛みをなかったことにできないことが心苦しいと述べた。
バンアースデール氏は過去1年7カ月間にわたり被害を主張する人々数千人と会話し、BSAでの性的虐待は「不文律」となっていたとの見方を示す。
「ヒアリングの結果、性的虐待は国中の組織で通過儀礼となっていた。バッジを獲得するためにこなさなければいけない他の課題と同様だった」と語る。
増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。
このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイユ王国の開戦状態から始まります。片方の国ソレイユの姫様ユウキは最初戦争状態にあるとは知らされていません。しかし彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国の人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国の兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器のエネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器は沈黙して終了、仕方ないから両国の国交が暫定的に回復するという話です。
で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称は別にある)を擁していて、この動力源はもともとベルデ公国を仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器の動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国の逆鱗に触れて戦争状態となります。
まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手が帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイラから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国が資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益の綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦をモデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズムを一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本とアメリカをモデルにして考えても、まずありえない行動です。
ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマト、ガンダム、銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマトの場合好敵手、ガンダムや銀英伝の場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマは希薄です。実際に武人が生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。
ステラは常に生き方を探します。ユウキは戦時でも生かすことを見出し、ゲイルも孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子は戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からもキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味でユウキというキャラクターは最も自己犠牲的であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあんな指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊の隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います。
ただ、視聴者的に言えばハロルドとゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。
タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔が犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。
特に順位無しで俺が電子書籍や蔵書として購入した、漫画喫茶で読んだ、完結済みのおすすめ漫画を紹介。
(追記)
すみません。三月のライオン、終わってないんですね。リストから消しときます。
(追記2)
ブコメありがとうございます。いろいろ参考にさせてもらいます。そう言えば、手を出してないなぁって漫画もあるんで、Kindleで漁ってみます。
読んだけど、好きでも嫌いでもないので上げてない完結漫画もわりとあったりします。ブコメに上がってるのだと、フルアヘッドココやBASARA、シュトヘル、皆川作品全般は、そんな中に入ってる感じです。
ブコメに上がってないものだと、銃夢、ナルトとかBLEACHとかカイジ、金色のガッシュベル、戦国妖狐、ソウルイーター、るろうに剣心とかの著名どころもそんな感じですかね。
長編漫画を始発待ちの漫画喫茶でまとめて読むのが好きな傾向があるのでメジャーどころしかないという。漫画好きの人の参考にならなかったら、すみません(陳謝)
夏が来ると必ず読みたくなる。傑作揃いのあだち作品の中でも最高傑作だと思う。タッチ、みゆき、クロスゲーム、どれも感動しますけどね。
三角関係がほのぼので好き。ゆうき作品もたいがい読んでるけど、一番好きなのはこれですかね。俺はパトレイバーよりも好きです。
微妙にエロくてNTR属性を覚醒させられるかもしれない。隠れた名作だと思う
異能バトルもの。ゴミを木に変える能力一つで、何が出来るかって発想の豊かさが面白かった。
主人公のクズっぷりにヒロインの寿くんが振り回される姿に震えろ。
1回読んだだけでは何が何だか分からないけど、とにかく引き込まれて何度でも読み返す、そんな漫画。
僕は金次郎になりたい。色んな格闘技が出てくる異能各党漫画だけど、キャラが濃くて立ってて捨てキャラってのがいなかった。だから、最初から最後まで面白い。
多分九州くらい大きな島なんだろうな。二度読むと絶望する矛盾だらけ、勢いだけの酷い漫画なんだが、しかし丸太が無双すぎて最高のギャグマンガなんだよ。酔ってる時に読んでくれ。
異能バトルもの。単純な能力を使って工夫をしながら戦っていく展開が、どうも俺は好きらしい。決壊で妖を囲んで消滅させるというシンプルな能力の奥深さと世界観が好き。
最後の方はダレまくりだったけど、単なるバトル漫画になるまでは面白かった。
少年漫画の知恵比べ系ギャンブルゲーム漫画の中では、テンポの良さとゲームの設定の面白さが異色でお勧め。照朝ほげー
終わり方には納得いかないが、超天才テニスプレーヤーの主人公があり得ない速さで強くなっていく漫画。もう少し才能のない所を見せて欲しかったなぁとは思うけど、戦略的に戦っていく展開が好きだった。
熱い天才を描かせたら並ぶものがいない作者の名作カーレース漫画。天才が順当に天才っぷりを発揮して周囲を驚かせてくだけなのに、全然しらけないし、なんか熱いものが残るんだよねぇ。シャカリキ、め組のダイゴ、昴と、作者に天才を描かせたら本当に熱いし、どれも面白いけど、Capetaが一番熱かったです。
人間を食う化け物を倒すため、自ら化け物となって戦う少女たち。圧倒的過ぎる強敵、仲間たちとの友情、受け継がれる意志、主人公の覚醒。ジャンプらしい王道漫画ですね。アリアドネも化けてくれ。
喧嘩最強のヤクザの魂が、貧弱小僧に乗り移って大あばれ。格闘技漫画の癖に格闘シーンがつまらん漫画も沢山ある中、バトルの描写と工夫に特徴があって、トリッキーな動きと工夫が楽しいです。
天才が順当に天才っぷりを発揮するだけのゴルフ漫画。でも、Xiまでは面白かった記憶。あんま覚えてないけど。
人類を結晶化させるウイルスとの戦いと、人類同士の覇権争いに翻弄されながら、沢山の大切な人物が死ぬ鬱展開の連続でヤク中になりながら成長していく主人公が魅力的な漫画。周辺キャラが魅力的で、設定も詳細で面白かったですね。
天才クライマー三歩が、山岳レスキューに命をかける漫画。前向きで真剣でストイックな三歩を通じて山と人生のすばらしさを教えられる漫画です。読了後の感動がいつまでも消えず、いつか南アルプスでコーヒー飲みたいって気になりました。
現代医師が江戸時代にタイムスリップして、チートっぷりを発揮する漫画。様々な病を現代知識を使って解決する無双展開の中で、女性作者っぽいベタだけど心地よいロマンスもあり、医療の知識とか歴史を学べて、その辺りが気に入ってた理由ですかね。
シンドバッドの冒険をモチーフにした異能バトルものではあるんだけど、バトル描写だけ見れば少女漫画で。薄く面白くはないです。設定と世界観、キャラクタの理想同士のぶつかり合いが、練りこまれていて結構良かったなぁという記憶。
砂漠では背広がいい、ナイフは銃より近距離では強い、とか謎のサバイバル技術を駆使しながら、時には伝説の軍人として、時には保険調査員として様々な事件を解決しつつ、考古学者として自らの研究を追い求める主人公の活躍も楽しめる大人の漫画ですね。
不死身の剣士が、多彩な剣士の色物と言っていい厨二武器と厨房剣術にぼろ雑巾にされる漫画ですね。キャラクターが魅力的過ぎるんですよ。特に尸良w あんな無茶苦茶な奴、見た事ない。クライマックスに向かうにつれて、登場人物と戦闘がカッコよくなっていくのが最高ですね。吐鉤群がカッコよすぎ。
メルゼズ・ランス! 岩代さんの漫画がブレークしない理由が俺には分からない。謎のテレホンカードを使って異世界へいき、超能力を駆使して訳も分からず敵と戦う。戦いの日々の中で、異世界の真実が明らかになり・・・、面白いのになんで打ち切りなんや
タイトルに偽りなし。アホすぎて爆笑必死。ヨシコみたいな友達が欲しかった。彼女には欲しくない。
藤田作品は全て好きです。邪眼も好きだし、短編から長編に至るまでハズレがない。中でも、からくりサーカスは最高傑作だと思うよママ。
言うまでもなく名作。もっと褒めてくれ?いや、お前は叩けば伸びる男だ。
原作品は好きなものが多い。恋愛ドラマの切なさ、涙なしでは読めない苦しい展開の中で、自分を許せない主人公が甲子園を戦うクライマックスはH2にも匹敵するくらい心揺さぶる名作です。ほんとうに皆に読んで欲しい。泣け!
超能力バトル漫画。遥か未来から超文明を持ってやってきた未来人が、謎の装置で知能の低い奴を無差別に虐殺していくって設定が衝撃的でした。
グダグダ言わんと読んで泣け!元気があまりにも不幸で健気で報われなくて、がんばれって応援しながら、俺も頑張ろうと泣きながら思える。そんな漫画です。
「お願い...一日でいいから、あたしより長生きして...。もう、一人じゃ、生きていけそうにないから...。」管理人さんと出会って結婚したい人生だった。
駆け出しの和食料理人の蒼太が様々な出会いをしながら、料理人として成長していく物語。いいから雅美と蒼太を結婚させろって!
ベトナム大使の公邸料理人、大沢公が料理を通じて政治やベトナム文化に関わっていく漫画。政治と料理を関わらせながら、料理に込めた人の思いが織りなすエピソードが爽やかで読後感のいい漫画。フォアかわいいよフォア。
言わずとしれた名作。潜水艦が独立国家になる。その設定だけで熱狂した思い出があります。
超人交渉人の勇午が様々な無理難題を解決していく漫画。物語の根底にある各国の文化や歴史と、事件解決に向かう推理を楽しむのが本筋なんだけど。絶対に拷問される主人公と、関わった女は全員惚れる勢いのジゴロ属性も見どころ。
超能力バトルなんだけど、主人公の能力がしょぼい。「他人に自分の思っていることを話させる力」とかいう、どう考えてもバトルに不向きな能力で戦っていくってんだから、どうなるんだか気にならないはずがないでしょう。20巻位に膨らませて欲しかったですね。
一戦闘ごとにパイロットが死ぬロボットを操って地球を守る少年少女たちの物語。少年少女の割にはあまりにも濃すぎる人生を送るパイロットたちの物語を中心に、謎のロボットや戦う理由が明かされていくスリルが面白かった。しかし最後は鬱展開でした。
連載中は好きではなかったんだけど、一気に読み直してみると面白かった。ヒナミかわいいよヒナミ
変態!変態!変態!変態!それだけなんだが、変態が突き抜けすぎてて面白い。
4部までと、STEELBALLRUNは面白かった。神父、お前は要らん。
曹操が好きなんで、演戯視点よりは全然好き。曹操ってのは中国史で10指にはいる天才だったと思う。軍事、政治、文化それぞれ単体なら、もっと上が居るけど。総合能力の高さは天才そのもの。地味に法政に注目してくれたのも嬉しかった。作者の勢いと画力の高さが魅力でしたね。
SF漫画。ブルーホールという次元を結ぶトンネルで現代から恐竜の時代へタイムスリップした軍人科学者のサバイバル物語。原作があるだけに物語と設定は重厚で面白いです。星野さんのSF漫画はどれも面白いけど、一つあげるとしたらブルーホールかな。
カレーの知識が増えていいのと、女の子が可愛いのと、ストレスなく読める作品で読みやすいのとで、時間を潰したい時にお勧めの作品。
赤ん坊だから時に理不尽にふるまう弟と、しっかりものに見えて時に子供らしく暴発するお兄ちゃんと、その心優しい父親の物語。温かい缶コーヒーを握りしめた弟が「にーちゃああったかいねー」って言うシーンで号泣
あの糞野郎のケツに杭がぶっ刺されて貫かれて死んだシーンで、ザマァアアアアアアと叫んでしまう位、野郎は憎たらしかったし面白かった。
復帰してくれてありがとう。ゆっくりでいいんで丁寧に頼んます。
完結する気がしないけども。
活きてる間に完結する気がしないけども、糞展開化したかと思ってたら、最近、再び盛り上がっててよい。
色々な理由でついていけなくなったけど、途中までは好きだった
先日、この記事を読んで、なつかしいPS・SS・N64による次世代ハード戦争を思い出した。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1903/31/news006.html
ソフト売り上げ結果を見れば圧倒的にPSの勝利であり、どうあがいても勝てそうにない
https://entamedata.web.fc2.com/hobby/game_rank_ss.html
https://nendai-ryuukou.com/article/056.html
このデータの正確さはわからないが、概ねの傾向は掴めるだろう。
トリプルミリオン3本、ダブルミリオン3本、ミリオン12本のPSとミリオン1本のSS。これは勝てそうにない。
当初はSSの方が売れており、ハード100万台の達成はSSが早かった。これはアーケードゲームが強いセガのファンが購入したのに対し、
そもそもどこを目指しているのかよくわからなかったPSという位置づけだった。
潮目はもちろん誰もが知るところのFF7の発表だ。あとは多くのサードがPS陣営に流れていった。
そこで、スクウェアがSCE陣営に付くことを前提として、当時どうやればセガがそこそこ戦えたかを
後世の知識を持ってたままループしたとして、シミュレートしたい。
1997年1月にFF7が発売、その前年である96年8月にトバルNo.1が発売されることを考えると、時間はあまりない。
バーチャファイターとデイトナUSA(5か月早める)の2本をローンチに発売する。
これでアーケードファンの心をがっちりつかむ。デイトナUSAはそのバカさから、
パーティゲーにも向いているので、気合で4人対戦機能を付ければ、キッズの遊び道具になったはずだ。
(私の記憶では、4人同時対戦できるレースゲームはマリオカート64が最初だったはず)
逆にワンチャイコネクション、ゲイルレーサー、 真説・夢見館は開発をやめよう
・8月11日 シャイニング・ウィズダム
サードだと
・12月25日 真・女神転生デビルサマナー
くらいだろうか。どうみてもオタク臭い。いや、個人的には悪くないラインナップだが、ドラクエかFFしかやらない一般層がこのハードを買いそうにない。
まず、前年のバーチャファイター11月、リミックス7月、2を12月に発売するのは頭が悪すぎる。
ここは気合でバーチャファイターとリミックスは合体させて、ローンチで発売すべきだっただろう。
オリジナルバージョンとリミックスバージョンが選べます。これはかなり画期的なローンチだ。
そして、バーチャファイター2は夏に発売すべきだ。バーチャコップ、VF2、セガラリーを立て続けに発売する意味が分からない。
そして、申し訳ないが、シャイニングウィズダムやホーリィアークの開発をやめよう。
冬に発売すべきはシャイニングフォース3だ。発売を2年早めよう。
あと、シナリオ1、シナリオ2、シナリオ3という売り方は最悪だった。
3部作であることは隠して、シャイニングフォース3~王都の巨神~というタイトルで売る。
「続くじゃねーか!」という批判が出るかもしれないが、当時はネットはない。大丈夫だ。
・1月26日 ガーディアンヒーローズ
・3月22日 パンツァードラグーン ツヴァイ
・8月30日 ファイティングバイパーズ
・11月29日 電脳戦機バーチャロン
・12月21日 ファイターズメガミックス
あたりだろうか。翌年の1月にはFF7が出ることを考えると、辛すぎるラインナップである。
アーケード移植作はどうしようもないので、これでいくしかないが、
相変わらず、バーチャファイターキッズとファイティングバイパーズをこの近さで発売するという暴挙をしている。
キッズは春ごろに発売すべきだ。または、昨年末の年末戦線に、キッズ同梱のSSを発売するなどをやるべきだろう。
とはいえ、本物のキッズはわざわざ「キッズ」と書かれたものは嫌いなわけだが。
ここで、何回シミュレーションしても、あの名作NiGHTSは発売すべきではないという結論を得た。
もう一つの大好きなバーニングレンジャーもである。
では、ソニックチームは何をすべきだったのか。
よくifの話で、ソニックをSSで早い段階から発売すべきだったという話がある。
もちろんそれは正しいが、日本市場でのソニックの人気はいまいちのため、日本市場ではソニックでは勝てなかっただろう。
ここでやるべきはエニックスの口説きである。つまり、エニックスと堀井雄二に頭を下げ、
うちのコンシューマ主力部隊であるソニックチームと中裕司をドラクエ7の開発部隊として使ってくださいと
頼み込むことであった。つまり、チュンソフトの立場をセガがやりますよ、彼にはファンタシースターを作った経歴もあるので、
RPGできますよ、ということだった。これは荒療治にもほどがあるが、
これまでのセガハードのソフトを見ても、やはりRPGは弱い。いまでこそJRPGと揶揄されるRPGだが、
当時は一番の花形であり、ハードの生き死にを決める。ここで、ドラクエを取らない限り、SSがPSに勝つことはないだろう。
つまり、結論としてはソニックチームをチュンソフトやハートビートの代わりのドラクエ開発会社に充てること。
もっと言えば、開発が遅れていたSFCのドラクエ6も引き取って、1995年末または1996年初旬に
多くの人が持つゲームボーイに比べて、ゲームギアでやったところで、たかが知れているのかもしれない。
他の案も募集したい。
~かしらとつける男性の名前だけを見て、最近ここ三か月くらい遊んでるチャットベースの人狼ゲームで演じている
リリアンという紫髪のオネェっぽいキャラを思い出したので知見を書いておく。
リリアンに出会う前にショーン、エリック、ミカミカ(いずれもキャラクターの名前)と渡り歩き、
時にはリア狂(リアル狂人=利敵行為を働いたり部屋のメンバ多数派の総意に従わない人間)と叩かれていたあたし。
しかし、リリアンになりきることで勝率も上がり、GoodGameが増えたなと思うことが増えた。
■語尾に♡(ハートマーク)をつける
⇒リリアンがリリアンな最たる理由はこれ。ほかのキャラが使ってもいいですが、一番似合っているのはリリアンです。
3行跨げば長いと大体言われるゲームにあって♡は一つだけで返信にもログ稼ぎにも使える優れもの。
感極まったら村ナイスね♡♡♡♡♡‼‼とハートを連打しましょう。
♡が文字化けする(iPhoneユーザ、Androidが混ざっていると起きる)、♡がしつこいというユーザがいたら
「ハートを盗られたリリィはただのオカマよぉぉぉ!!...でもごめんね」と断って使用を控えましょう。
♡がめんどいというリリアンにも会ったことがありますが、そんなあなたはゲイル(映画ハンクに似た感じの化物風キャラ)を使えばいいじゃない♡
⇒あなたは墓Barの店主です。なりがちです。だから常連客になりそうな村皆様には感謝と親しみを込めて普段から愛称で呼びましょう。
一例) ジェシカ⇒ジェシー♡, ミカ⇒ミカミカ♡ ショーン⇒ショーンたん♡
...距離をつめる材料は大きな力になります。野郎はわからないわ ♡
⇒進行が村目で疑われていたり、逆に独善的でやりづらさを感じたときはこの手で撹乱しましょう。
グレーの村にキッズがいれば、リリアン彼氏いるの?と勝手に食いついてきます。
イケメン芸能人の名前をリアタイで五人くらい追っておくと墓場でのピロートークも盛り上がります。
ゲームの主年齢層が自分と一回り離れているので、話題作りにもなります。
ただし、あたしのようにガチムチ系がほんとは好みでも出すのは止めましょう。
...でもあなたの考える等身大のリリアンと女の子が考えるリリアンが重なることは決してないから注意するのよ ♡
比較的女の子が多いゲームなので部屋によっては問題なくプレーできますが、LGBTの世相を反映するように男性のリリアンに対する当たりは個人差が非常に激しいです。
したがって、このオカマとヘイトを向けてくるキャラがいたら、吊るないし嚙みにより居心地のいい環境を作るのは非常に重要です。
逆に、ローラやジェシーの中の人が女性だったの時の、初期好感度ステータスは、平均して80%を超えています。いまだに理由がわかりません。
リリアンだー♡と言ってきた彼女たちの言動に注意しましょう。うまくいけば無条件にあなたの味方になってくれるでしょう。
進行で吊る人を決めたときに、「遺言聞くけど、ラーメンって何味が好きかしらん?♡」みたいな雑談が許される雰囲気もリリアンの強みです。
吊る人が付き合ってくれると、その人の色が白でも黒でも次の日に非常に良い雰囲気にもっていきやすいです。
大口病院での患者大量不審死事件にて、看護師が逮捕されました。大口病院では不審死が数十人にのぼることから、戦後最悪クラスのシリアルキラーと分類しても構わない事件と言えます。ただし、大多数の被害者のご遺体も灰になっていて、裁判の過程で殺人を実証できるのは2名ほどとなるかもしれませんが。
ブコメやツイッターの反応なのを見てると、看護師による犯行という事で、意外に思う方や、擁護する意見(単なる労働問題として国や施設を責めて看護師のおかれた状況に同情を誘おうとする傾向)が散見されました。「患者や遺族が悪い」というような必死に看護師を擁護するようなコメントは、事実から目を背けさせようとして「看護師の労働環境問題」と間違った方向に矮小化させる詭弁であり、危険です。悪意のある世論操作といっても良いでしょう。
今回の件は高齢者の延命問題とも、看護師の労働環境とも、全く別の話しです。もし本来、顧客の資産を守るべき銀行員が顧客のお金を横領したら、「銀行員の給料が安いからだ(可哀そう)、銀行の労働環境改善を」、とか「客が悪い」、「国が悪い」、となりますか? ならないでしょう。なぜか、女性の多い看護師という職業だからか、自らの幻想を投影してしまうエセ(自称)リベラルとでもいう「物わかりの良い人」のふりをして、害にしかならない事を盛んに言う人がいます。
医療関係者による連続殺人事件は、意外な話しでもありません。寧ろ逆です。啓蒙の意味も込めて、改めて、医療関係者とサイコパス的なシリアルキラーの事件と、その特性についてまとめてみたいと思います。
歴史的にみても、医療関係者によるシリアルキラー、大量殺人は多くあり、実際、過去30年のFBIの記録では、殺人事件が最も多く起きる職業は医療従事者であり、 有名な連続殺人犯も医療関係者が最も多いといいます。
欧米での研究では、こうした医療関係者による連続殺人魔を一つの類型として、 healthcare serial killers (HSKs)、ヘルスケア・シリアルキラーズと呼ぶほどです。
医療関係者が患者を手にかけた事件は過去にも相次いでおり、専門家は「治療を委ねた患者が身を守るのは困難で、『密室の通り魔』とも言える悪質な犯行だ」と指摘する。
東洋大の桐生正幸教授(犯罪心理学)は「医療関係者は『患者の命は自分がコントロールしている』と思い込む傾向が強い」
インスリン大量投与 「密室の通り魔」 相次ぐ医療関係者の犯罪(1/2ページ) - 産経ニュース
http://www.sankei.com/affairs/news/140820/afr1408200001-n1.html
「今回のような犯罪は『死の天使』型といって、世界的に多くの事例がある。もともと看護業界に多かった。医師と違い患者の命を直接左右できない看護師には、自分が患者を救ったという『自己効力感』を見いだせず、鬱憤を募らせる人が出てくる。わざと患者の症状を悪化させ、回復させることにやりがいを感じたりし、エスカレートして殺害に及ぶケースもある」
こういった「現象」は海外でも知られており、ある確率で存在する特殊な人々によって起こされる。それらは看護師、介護者といった医療関係者に多く、あまり一般的な呼び方ではないが「死の天使」と言われている。これらは連続殺人の研究で、ある類型としてこういう奇妙な人達が存在することが知られるようになった。
〈女性の連続殺人者は「神を演じる」ことで満足を覚える。介護者である彼女たちは、患者の生死を握っている。女性が健康な犠牲者を制圧するのは困難だろうが、すでに死にかけているか衰えた患者なら簡単だ。また、男性は暴力的な殺人手段を用いるが、女性はより攻撃性の少ない方法をとり、薬品や毒を使ったり窒息させたりすることが多い。〉
事件が明るみに出て警察に追及されると、彼女らはもっともらしい理由を言うが、本質は『個人的快楽のために他人を死に至らしめる』すなわち快楽殺人の一種なのである。・・ただ心理的な背景にあるのは、前掲の本の著者の解釈だが「根深い無力感と劣等感を克服し、他者を支配し、関心を集めたいという激しい欲望がある」のだそうだ。だから立場や能力的にはいまいちな人間がやってしまう。
アメリカ史上64人の女性連続殺人犯の素性や動機、殺害方法、精神構造を分析した。・・ 女性連続殺人犯たちの間に驚くべき類似点を見つけ出した。彼女らのほとんどは、ごくごく普通の家庭環境の出身で、おもな殺人の手段は毒殺。ほぼ全員が家族を含む顔見知りを手にかけていることがわかった。・・・彼女たちのほとんどは、ごくごく普通の家庭環境の出身で、看護や人の世話、教えるなど女性らしい職業に就いていることが多い。・・・女性の場合は金銭や権力のために殺す傾向があることがわかっている。・・・女性の連続殺人犯について、きちんと研究されたことはほとんどない。それは、女性があんな犯罪を犯せるわけがないという文化的な根深い思い込みのせいだろう。だがそれが大きな間違いであることは明らかだ。・・概して女性の連続殺人犯のほうが、男性よりも逮捕されない期間が2倍も長いという。
ナチスドイツ時代の医師・看護師が主導し、障がい者や精神病患者を「患者は患者だから」「生きる価値の無いものたち」といって、看護師が患者を笑顔でガス室に送り込んだ「T4プログラム」というのがあります。これはのちのユダヤ人ホロコーストに繋がっていきます。
CiNii 論文 - ナチT4作戦における看護師 : その役割分析と共犯のメンタリティーに焦点を当てて
「ナチT4作戦における看護師:その役割分析と共犯のメン タリティー」
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110004875530.pdf?id=ART0008062566
医師・看護師の傲慢さの根源と、行き着く先というのが見えてくると思います。もともと医師、看護師と言った医療関係者たちはこういった性向に陥りやすい、という事なのです。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨て、研究し、対策をとる必要があります。
医療従事者は、上述したように職務内容的(Why)にも、犯行を行いやすいという機会的(How)にも、リスクが高い。そんな中に一人でもサイコパスが紛れ込めば、大変なことが起きてしまいます。WhyとHowがあるので、残りはWhen、つまり「いつ起きるか」「いつ」という時間の問題です。
看護師=性善説に立って物を考えるべきではない、という事です。事件は起きないだろう、では事件は防げません。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
ところが、日本の看護業界では、やっと最近になって上っ面の倫理教育が出てきました(ほんのひと昔は無し。「続き」で詳述)が、こういった看護におけるモラル・倫理について、教育どころか、指針も規定も無い、無知という恐ろしい状態にあるのです。
残念な事に、「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今回の事件を契機に、法整備も含めて、看護業界としても、意識改革をし、医療メンタリティ的にこういったことは起きやすいのだ、と看護師の倫理モラルの教育を改善して欲しいものです。
追記:誤解している人がいるようなのですが、「当該看護師に倫理教育していれば当該看護師はやらなかっただろう」などと短絡的な事は一言も言っていません。私が言っているのは、広く皆に知識として「こういうのは(一般感覚と異なり)起きやすいのだ、なぜなら~」という教訓的な知識の教育です。社会なり組織なりで「起きる」という事を認識しているのと、まったく認識していないのでは、結果は異なる、という事です。全然関係ない事に理由を求めたり、事件は起きないだろう、の意識では事件は防げません。
1800年代に、20年間にわたって400人以上の幼児を毒殺。
アーンフィン・ネセット看護師
1982年に、22人の患者を毒殺。裁判で証明されなかった人数を含めると138人を毒殺したとも。
1980年代、60人前後の乳幼児を筋肉弛緩剤を投与するなどして毒殺。命を操る自分に酔いしれ…
1999年、4人の患者毒殺で逮捕。実際は、131人の患者を毒殺したとされている。
1989年、看護助手たちによる49人の患者殺害。「患者を殺す事で、自分が神になったような、生と死の力を、自ら得たような気持ちを楽しんだ」
2014年、カリウム注射で患者38人殺害。「患者家族が気に入らない」という理由。ご遺体と共に自撮りをして親指を立てていた画像も出てきて、世間を戦慄させた。
1991年、幼児連続殺人犯。病院で新生児4人の幼児を殺害し、未遂が3人、傷害が6人。13の終身刑が科された。
1995年、患者の点滴にエピネフリンを大量投与し、蘇生させるを繰り返し、4人を殺害。実証された以外に40人以上を殺害したともいわれる。
2007~2014年に老人介護施設2か所でインスリンを投与し、75~96歳の入所者の男女8人を殺害したことを認めた。別の施設での犯罪を含む、殺人未遂罪4件、暴行を働いた罪2件も認めた。
2000年前後にかけて患者106人を殺害。「心不全や循環虚脱を引き起こす薬剤を患者らに注射した後、同僚らの前で「救い手」として目立つべく蘇生を試みたことを認めている。同受刑者は、患者が息を吹き返せば幸福感が得られ、失敗すると挫折感を覚えたと供述していた」
おまけ>医師では、200人以上(実際には500人ほどとも)を殺した医師のハロルド・シップマンが有名。
日本でも似たようなのは多数起きている。最近ので、ぱっと思いつくだけで、
今年1月、静岡県浜松市内の病院で、入院している夫の点滴にカリウムを混入させ、
病院の業務を妨害したとして、別の病院に勤務する看護師の女が25日、逮捕されました。
威力業務妨害の疑いで、25日逮捕されたのは、浜松市中区寺島町の看護師、小塲芳恵容疑者(34)です。
警察によりますと、小塲容疑者は今年1月、浜松市の聖隷三方原病院に心臓疾患で入院中の 30代の夫の点滴にカリウムを混入させ、病院の業務を妨害した疑いがもたれています。
TBS Newsi
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2526110.html
2015/7/ 2
同居する4歳の長男を殴ってけがを負わせたとして、細江署は2日、傷害の疑いで浜松市中区寺島町、無職の男(39)を逮捕した。
逮捕容疑は6月中旬ごろ、自宅で、長男の頭を手で殴って10日間のけがを負わせた疑い。
男は1月、浜松市内の病院に入院中、妻(34)=威力業務妨害容疑で逮捕=から点滴にカリウム溶液を注入された。事件に関連して細江署などが自宅を家宅捜索した際、長男の体の傷を見つけて発覚した。
これ、実は
1.夫が入院している病院で、夫の点滴にカリウムを注入し、業務妨害で妻の看護師が逮捕。
しかし反省の弁はなく、「夫がそれだけ悪いことをしたと分かってほしい」などと強弁。
3.なんとなんと、カリウム注入看護師がこんどは窃盗で再逮捕。
東京都世田谷区の日産厚生会玉川病院で、入院患者に本来必要がない糖尿病治療薬のインスリン製剤が使われた事件で、故意に投与した疑いが強まったとして、警視庁は1日、同病院の看護師***容疑者(25)=同区桜新町1丁目、休職中=を傷害の疑いで逮捕し、発表した。
http://www.asahi.com/articles/ASGD12T6TGD1UTIL006.html
ーーーーーー
高柳容疑者は今年4月、勤務先である世田谷区の日産厚生会玉川病院に入院していた91歳女性に、3回にわたってインスリンを大量投与し、低血糖状態にした疑いで捕まった。「高柳容疑者は女性の容体が急変するたび、医師の診断も仰がず、率先して回復措置に当たっていた。周囲は<なぜ低血糖発作と分かるのか>と怪しんでいたのです。捜査関係者は、高柳容疑者が“できるナース”であることをアピールし、院内の評価を上げようとした、とみています」「代理ミュンヒハウゼン症候群」なる言葉が注目を集めている。「意図的にドラマを作り出し、周囲の注目を集めよう、褒められようとする人のことです。例えば自分で火をつけながら、それを消火して“英雄”になろうとする放火犯などです。本当は自分に自信がないのに、自己顕示欲は異常に強い。喜怒哀楽の表現がオーバーだったり、わざわざ難解な言葉を使うなど、必要以上に自分を大きく見せたがる傾向があります」
続く
気に入ったものを繰り返し見続けることがある。
一日に5回とか。それが数週間。
子供が気に入ったアニメや絵本をずっと見続けようとするのによく似てる。
まあ、そんな音楽です。
------------
JUNGLE FUNK
https://www.youtube.com/watch?v=0_JJqdWSJuA
リヴィングカラーのリズムセクションの 2 人と Vinx のユニット jungle funk の曲 "TORN"。
ひたすら美しく切ない。
ウィンビッシュのベースはデリカシーのある美しいコード進行を多彩なパターンでメロウこなしているが、
ガっと行くトコはきっちり行ってて、甘さだけにならないのが本当にうまい。
パーカッション(壺かな?)のオーガニックなリズムが、控えめだけど強いビートを一貫して曲に与え続けている。
そして、歌とコーラスワークの美しさにおれの涙腺は何度でも崩壊するわけです。
ちなみに、エリックゲイルズがギターを弾くインストバージョンが下記。
これも良い。
ウィンビッシュが弾いてるところが見れるのがうれしい(凄すぎて何やってるかさっぱりだけど)。
John Page Classic Presents “TORN,” featuring Eric Gales, Doug Wimbish & Will Calhoun
https://www.youtube.com/watch?v=WeefVD1668w
-------------
Chantae Cann All I do Cover Live HD
https://www.youtube.com/watch?v=i5liTAUdFHQ
最近はあんまり参加してないっぽいけど、スナーキーパピーの鍵盤の人として知られるコリーヘンリーのライブ。
見どころはシャンティーカンの歌!歌!。スナーキーのプロジェクトでもよく歌ってるけど、それほど
アピールする歌い手には見えなかったんだよね。けど、こっちは本当に良い。
ちょっとチャイルドボイスで、べったり歌い上げる感じにならない乾いた感触がステキ。
バックは結構いかつい演奏してるのに、そこからさらに2歩も3歩も前に出るパワーもさすが。
それこそ何度も聴いたけど、後半のロングトーンは何度聴いてもドキドキさせられる。
下のはたぶん同じライブの別な曲。これも上とセットでずっと聴いていた。
Cory Henry Plays Gnarles Barkley's "Crazy" feat. Chantae Cann
https://www.youtube.com/watch?v=xp8UCpHk-vk
-------------
North Mississipi Allstars - Turn Up Satan
https://www.youtube.com/watch?v=p1rLGrLAXQ0
NMA のブギ。
一見何のひねりもないミドルテンポのブギのようだけど、現代的な工夫が多く盛り込まれていて退屈させない。
逆かな?。今時のポップソングに典型的なブギのリフを再利用して見せたのかもね。
いずれにしてもそうした要素を中毒性高くパッケージした NMA の手腕はさすが。
ギターソロ開けにリフに戻ってくるとこなんか立ち上がって踊りだしたくなる。
使い古された何の変哲もないギターリフが強烈な輝きを取り戻す一瞬と言って良いと思う。
ルーザーディッキンソンは本当にうまい人で、ブラッククロウズのこの曲も執拗に聴き続けた一曲。
後半のソロは何度聴いても胸に刺さる。
The Black Crowes - Oh Sweet Nuthin'