「正鵠」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 正鵠とは

2017-11-21

https://anond.hatelabo.jp/20171120175954

謎の勢力に凍結スクラム食らう程度には正鵠を得ていた。というかお前何回同じ奴立ててんだよ精神病者かw

2017-10-16

anond:20171016153623

本日増田の中で最も正鵠を射たものだと思う

距離の狭め方が下手

愛情の受け取り方が下手

・まず否定から入る

こういうタイプはほぼ確実にオタク理解され難い趣味を持ってる物だと思ってる。

2017-08-24

https://anond.hatelabo.jp/20170824154719

マルクス資本主義批判自体は、かなり正鵠を付いていたと分析する学者がたしかいたはず。

ただし、旧ソ連はじめ共産国ありさまを見ると、共産主義化のためのプロセスと、共産化後のシステム維持の方法には大きく問題があるだろうとは思う。

中国とか北朝鮮を見ても、指導者層はかなり腐敗してるのは明らかだし。

人間コントロールする限り、労働報酬の分配システムが透明公正化しえない→効率悪化汚職社会化社会全体の活力低下、みたいな方向からは逃れられなそう。

社会の活力低下とか汚職社会化については、今の日本がまさにそうだけど、資本主義化・民主主義プロセスを踏んでいてすら、数年間権力が固定するだけで汚職疑惑だらけになる。

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822101412

 これな。w

だって元増田がつまんないって言ってるのも任天堂関係ないんだもん。

 図らずとも正鵠得たりじゃねーの? 4*4の対人戦なんてルールシステムだけでどうにかなるわけねーじゃん、ってな。

いや俺はヒーローモードも認めたから買ったんだけどさ。

2017-07-12

表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について

一向に前へ進まない反表現規制派の議論 『ゆらぎ荘の幽奈さん』批判への反論価値がないわけ : 九段新報

http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/51659690.html

このブログを読んだ感想です。

各章が独立していた内容なので、どこから読んでくれてもかまいません。

  

表現への批判表現規制はどう違うのか

要するに、今回の件の批判者の主張は「少年誌にふさわしくない」と「このような構造表現は好ましくない」の2点に大別できます。そしてこれへの真っ当な反応としては表現媒体販売場所の適不適に関する議論か、どこまでの表現なら現状の媒体可能かといった議論しかありえません。

まず一点目の「少年誌にふさわしくない」という批判について。

  

被害肯定的に描いているのは、たしか問題表現です。しかし、それを少年漫画に載せるのが不適格なのかと言うと、簡単な話ではありません。

例えば正義のために暴力をふるうアンパンマンも、私刑肯定的に描いたという意味では問題表現だと言えます。また、サザエさんでは家事育児女性仕事とされていますから、これも女性差別肯定していると解釈することができます。こうなると、あらゆる漫画問題表現を見出すことが可能であって、どこで線引きをすればいいかは難しいです。

そもそも少年ジャンプに載せたらダメなのか、巻頭カラーで載せたかダメなのか、それとももっと読者層の年齢が高めの漫画雑誌に載せることもダメなのか。ジャンプ編集部判断を迫るのではなく、批判者たちも責任を持ってその提案をすることが望ましいです。

  

それに、出版社に対して自主規制を求める活動というのは、仮に権力者ではなく私人がやっていることだとしても、一歩まちがえると危険を伴います

例えば「LGBTは不快だから表に出てくるな」「反戦漫画子供に読ませるな」という"批判"をしている人たちだっているでしょう。かつて性描写暴力表現を潰そうとしていたPTAも今回の騒動とおなじ手法で、やたら大声で騒ぎ立てて世論をかきたてたり、出版社に要望を出してその世論忖度させるという手口だったんじゃないですか。昔のことはよく知りませんけどね。そして、これが公権力と結託すると恐ろしいことになります

自主規制の是非については、あくまでもケース・バイ・ケースですが、「世論に押されて自主規制に追いこまれるのも表現規制の一形態だ」という理解は持っておくべきだと思います

  

  

  

つぎに二点目の「このような構造表現は好ましくない」という批判ですが、これは非常に厄介です。かりに『ゆらぎ荘の幽奈さん』を年齢層が高めの雑誌移籍させたとしても、この批判を免れることはできません。

  

このブログ主さんは触れていませんが、「このような構造表現は好ましくない」というのは単に論評をしただけではなく、「好ましくないかゾーニングしろ」「好ましくないから内容を変えろ」という含意があることも多いです。

オタク規制されそうになったり、ゾーニングを求められたりして、いつもピリピリしているんです。だから作品名を名指しされてそんな批判を浴びせられると、オタク側が過敏に反応してしまうのは仕方ない気がします。

  

また、批判者は作品内容を論評するにとどまりません。「こんな好ましくない表現のある漫画を作ったり消費している奴らはクズだ」という侮辱をされることもあります

オタクはこの侮辱に対して、どのように応答すればいいのでしょうか? 頭を下げて、「この漫画は性被害肯定的に描いた作品です。こんなものを楽しんでいる私たちは罪悪な人間です」という懺悔をおこなえばよいのでしょうか? さすがにこの対応を求められるのは屈辱的だし、ハラスメントではないかと言いたくなります

もちろん批判に応答する義務はないですから黙殺しておくのが一番だと思いますけど、それはそれで「オタク社会的責任果たしていない」という攻撃材料を作ってしまいそうです。

  

(ところで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の件とは異なりますが、成人指定がかかっているエロマンガに対しても、「このような構造表現は好ましくない」という批判をすることが可能です。しかし、その批判を名指しでやることは、嫌がらせ以上の意味があるのでしょうか。製作者側も好ましくないと思ったから成人指定にしているわけですし、仮にその批判を向けられたせいで炎上案件になってしまったら困ります。)

  

  

  

表現規制において、右派だけを脅威とするのは誤り

また規制を進めようとしているのはフェミニストではありません。第一日本国内フェミニストはそこまでの政治権力を持ち得ていません。日本において議会多数派ほとんどの場合右派(というか極右)が占めており、規制も彼らの手によるものです。

もしフェミニスト規制を進める権力がないのだとすれば、オタク側はフェミニストから批判に耳を傾ける必要がなくなります権力のない者からいくら批判を受けたとしても、こちらは黙殺か冷笑をしておけばいいんです。

ただし実際には、自民党表現規制をおこなおうとするときリベラルフェミニスト等の左派勢力がそれに加担・黙認する恐れがあります。こうなってしまうと、民進党社民党共産党いくら反対をしたくとも、その足場が揺らいでしまます

  

オタク普段、左派勢力から批判ちょっとはまじめに聞き入れておかないと、いざというとき彼らに助けてもらえなくなるのです。

リベラルフェミニストは、オタク自分たち批判を聞き入れようとしなかったり、自民党山田太郎を支持している姿を見ると、激怒するでしょう。そうなると次は報復感情が芽生え、批判を押し通すために権力を頼ろうとするのが当然のなりゆきです。

その意味リベラルフェミニストは、自民党右派勢力ほどではないですが、オタクにとって油断ならない存在です。

  

もっとも、オタクが彼らの批判を聞いたところで、批判は次から次へと出てくるし、あげくのはてに土壇場で裏切られる可能性があります

自民党表現規制をやるとすれば、その大義名分は、「性暴力肯定している漫画けしからん!」「こういう漫画流通しているのは女性差別だ」というものになるでしょう。左派政党はともかくとして、その支持者たちがこの問題自民党に加担するのは、けっこう容易に想定できる事態だと思います

例えば自民党が、「少年誌から健全な性表現(=女性蔑視を促すもの)を追放する」という法案を出したとすると、それは今回の騒動ジャンプ編集部自主規制を求める人たちの目的合致するものです。このときリベラルフェミニストが「自主規制には賛成だが法規制には反対だ」という峻別をする人ばかりだとは限りません。

  

あーね、あとは、「リベラルオタクの支持を集めそこねたのは、リベラルがクソすぎる責任もあるのに、その反省はないのか」とか、「"表現の自由戦士"みたいなオタク像ばかりを見ていて、このブログ主現状認識おかしいんじゃね?」とか、いろいろ言いたいことはあるけれど、そこは私もろくに把握できていないので語るのはやめておきます

  

  

  

エロからこそ批判されている

批判者はエロから批判しているのか?そういうわけではありません。

このブログ主は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』が批判されているのはエロからではないと言っていますが、それは違います

絵としてエロいものからこそ、我々の感情をゆさぶり、批判やり玉に上がっているのです。その証拠に、私刑暴力肯定している『ジョジョの奇妙な冒険』等は、エロくないか批判やり玉にあがりません。

  

今回のような批判が起こっているのは、この漫画の絵がエロく見えるからに他なりません。

もし視覚的には欲情を誘わない絵柄とか、エロくは見えない描写方法採用していれば、女性蔑視・性被害うんぬんという指摘があったとしても、それが大勢の人たちを巻きこむ炎上案件にならなかった可能性が高いです。

  

  

  

差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある

今回の件で、はてなTwitterリベラルは「エロ問題ない」と繰り返していました。

しかし、私はそう思いません。

リベラルが褒め称えるような"エロ"ならば、それをどんどん子供に見せてよいですか? それを公衆に向けて掲示することは、ポリコレに沿っていると言えますか?

そんなはずがありません。どれだけ適切に描こうとも、やはりエロゾーニング対象にするべきです。

  

ところで、欧米基準に従えば、二次元三次元区別せず、「児童水着姿をエロティックに描くことは児童ポルノだ」という論を立てられると思います

今日日本リベラルフェミニストはまだこの基準採用していないようですが、萌えキャラは童顔ばかりだし、それが水着姿になっている漫画はアウトだという意見が主流になる日が来るかもしれないですね。

  

  

  

作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない

一言でいえば、「意図的がどうかにかかわらず女性被害を受け、それを肯定的に書いている」ことが問題視されています

女性が性被害を受けることをを肯定的かいたというのは、じつは問題本質ではありません。

例えば『ゆらぎ荘の幽奈さん』で、胸を強くさわられた女子が痛がっていたり、そのことで心が傷ついたシーンが描かれていれば、何も問題はなかったということでしょうか。

  

そういえば、この前に炎上していたクジラックス漫画について、リベラルフェミニストがどう思っているのかを知りたいです。

あの漫画ポルノとしては珍しく、レイプ正当化できない悪として描ききっていました。つまり、「レイプ被害者を傷つける暴力だ」「レイプをやる奴は卑劣犯罪者だ」という認識を貫徹していたのです。

作中での性暴力の取り扱いが肯定的否定的かということだけに注目していると、レイプ=悪という認識を徹底させたこの漫画が一周まわって健全だということになってしまます

参考:「クジラックス漫画って、むしろポリコレ的に正しいでしょ?」

https://anond.hatelabo.jp/20170619174431

  

  

  

被害を娯楽として消費しないことは可能

これは私見になりますが、萌えという欲情を誘う絵柄で描いた漫画である以上、性被害は抜きどころです。

  

ストーリー上でいくら否定的ものとして描いていたとしても、それは性的消費の対象となります

キャラが性被害を受けているとき、その肉体が露出していると、男性読者はそれを見ながら欲情してオナニーするのです。

胸や性器露出がなくても、その瞬間の女キャラの顔の表情を見るだけで、男性読者はきっとオナニーすることができるはずです。女キャラが恥じらいの表情ではなく、嫌がっている表情を浮かべているとしても、それはそれで抜けます

これではどうやっても、「女キャラが性被害を受けている場面を男性読者が娯楽的に消費する」という構図を脱することができません。

  

この構図をなくしたい場合萌え系の絵柄の漫画では、性暴力・性被害を作中で取り扱うことをやめるのが一番です。

また、該当箇所の絵を省略して、そういうことは文字で伝えるという方法もあるかもしれません。(しか男性読者は、作中では省略された性被害の場面を勝手妄想するし、あるいは性被害をうけた女性という属性に興奮し、それをオカズにしてオナニーすることができるでしょう。)

  

  

  

エロと野蛮さは切り離せない

フェミニストが彼らの言うところのエロ批判するのは、主に女性の軽視、蔑視搾取、モノ化といったことを肯定助長すると認識しているからです。フェミニストエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロ女性独立した人物としてみなさなものであるからです。その前提をクリアするのであれば、むしろ女性独立の証として肯定するフェミニスト大勢ます

この指摘は、いちいちもっともな話だと思うんですが、「そんな批判をされても知らんがな」という反発をしたくなります

  

フェミニスト女性独立の証として肯定するエロとは、どれだけ素晴らしいものでしょうか? "女性の軽視、蔑視搾取、モノ化"を解消したとしても、今度は女性男性に向かってそれをやり返すだけです。

例えば女性自分の好みで男性自由に選ぶということ、それは女性の権利です。しかし、その権利行使するとき女性は、きわめて動物的な性欲を発揮しています。金、地位容姿、安定感、人格、優しさ、そこには微塵もポリコレなどというもの存在しません。

パートナー人格や優しさを求めるのは人間的な営みだと言われそうですが、じつは全然そうではありません。女性恋愛において男性に求める人格や優しさとは、それはそれですごく動物的なものです。まるで獣のメスのようにオスを選別しているのです。女性恋愛セックスで感じる幸福も、すべてはこの獣性に支えられています

いずれにせよ女の性欲も、男と変わらず獣のそれと同然なのであって、どこまでいっても身勝手で汚らわしいものなんです。性欲は、社会正義を求める意志とは根本的に矛盾しています

こうなると結局、エロの正しいあり方というのは分からなくなります表現物において女性キャラクター主体性を重視すればポリコレに適するかといえば、すでに述べたとおり、決してそうではありません。

  

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

  

  

そもそも誰のため、何のためにゾーニングをするのか?

少年誌といえども、子供はその本を自発的に選んで買っているわけです。これを「少年誌にふさわしくない」と批判して自主規制に追いこむのは、子供権利を奪っているのではないかという疑念があります

  

これはゾーニングにおける根本的な問題ですが、「子供の目に入らないように大人配慮する」と、「子供自発的に見ようとしているもの大人妨害する」を混同してはダメじゃないかと私は考えています。この配慮妨害は重なる部分がありますが、前者が積極的におこなうべきものであるのに対して、後者抑制的におこなうべきものでしょう。

今回は巻頭カラーから目立っていて、その点は大人配慮をせずに子供に見せつけたと言えるかもしれません。しかし、子供はこの雑誌が以前からこういう作風漫画を連載したものだと知ったうえで購入しているのですよね? それがあくまでも子供主体性の発揮だということは、議論の際にもっと考慮に入れるべきだと思うのです。

(なお、確か少年ジャンプの読者層は高校生~成人が大半、残りは中学生だったりするので、小学生の10歳以下となると、ほとんど読んでいないはずです。それを一律に"子供"扱いすることには違和感があります。)

2016-05-29

深夜アニメことなど知るべきではなかった

深夜アニメ低俗で、猥雑で、品性下劣だ。普通人間深夜アニメに興味など持たない。

存在すら知らない人の方も相当数存在するだろう。

低俗で、猥雑で、品性下劣存在に幻惑され外道に身をやつした人間もいる。これを書いている人がそうだ。

低俗さ、猥雑さ、品性下劣さがそれぞれ太い手綱となり、筆者を縛り続けている。それらの桎梏から脱することはもはやできない。

結局深夜アニメを見るということは、本質的には違法薬物の乱用と何ら変わらない。

岡田尊司が「アニメマンガゲームなどは麻薬である」と自著『脳内汚染』で断じたが、氏の指摘は正鵠を得ていたのだ。

 

小中高校生時代、親や教師から「世の中には知らない方が幸せなことがある」と言われていた。

しかし小中高校生時代無知蒙昧なのは世の常。無知蒙昧な筆者は、知識量の多寡幸福度は比例すると無邪気に思いこんでいた。

確かに知識量が多ければ、学歴獲得競争で優位に立つことができる。知識が窮地を救うことも多い。

したがって「知識が多ければ不幸になる」というモデルは粗雑なものしか言いようがない。

ただ、「知らない方が幸せなこと」も世の中には確かにある。

そのことにようやく気がついた。

 

外道に身をやつしたのは3年前の夏だ。

今までの記憶を抹消したうえで2012年の暮れに戻り、あの深夜アニメ原作萌え漫画存在しない世界人生をやり直したい。

千葉県は消えなくてもいい。

2016-04-16

情報ジャンキーから見た互助会問題

情報ジャンキー立場から、あの互助会問題を語ろうではないか。

キュレーター」と名乗ると、こそばゆいんだが、おそらく私はキュレーターであるはてなブックマーク自体は9年ちょい使っている。この前10周年だった事を考えると、はてブが始まって1年半くらいから始めたユーザという事になる。古参だなぁ、いやはや年取ったわ。

そして私は情報ジャンキーだ。暇を見つけて、いや無理にでも暇を作って、ブクマブクマブクマたまにコメントFeedlyDiggInoReaderを常用してて、1日に読むフィード数はたぶん4000を越えてる。というか、数えた事がない、数え切れなくて。情報を心地よく読む為だけに、ディスプレイは6枚つかってる。

 

でだ。互助会。あれ、はやく対策しないと、はてブは死にますよ。

 

なぜなら私がブクマしたエントリが跳ねなくなった。流されるようになった。流れる事自体自然の摂理から問題はないんだが、そのスピードが昔に比べて速い。すなわち互助会ノイズに埋もれて消えてしまうのだ。

多くの人や特に互助会ブロガーは初速にこだわってるが、普通文章力のあるブロガーとは、あるとき突然、日の目を見る。「3ブクマ集めるまでが勝負」とか言ってるやつは、そもそもブクマキュレーションの力を勘違いしてる。

ヒットするブログが生まれるには、ネットサーフィンするキュレーターが見つけて、すくい上げる流れがある。じわっと1ブクマついた記事に、誰かが2ブクマ目……数週間たって、3ブクマ目がついた瞬間、たった数時間の短い間、はてブ新着エントリに浮上し、多くの観測者によって評価される。そして跳ねるのだ。

はてブキュレーションとは本来通りすがり選挙投票なのだ

 

私がほぼ初期に1getして、その後浮上したブログは、コンビニ店長ハックルベリー先生ひきこもり女子のいろいろえっち等があるが、どれも自分が非公開ブクマした後、数週間して伸びる、じわっとパターンである

コンビニ店長水戸駅で貞操を奪われそうになった話や、ハックルベリー先生の語る面白コンテンツ創作術(無名時代版)をリアルタイムで読んでいた人は少なかろう。そして不思議な事に、リアルタイムでそれを読んでも、実は大抵の人には面白さが分からない。これは私も謎なのだが、コンテンツって誰かが解釈を照らさないと、普通の人には善し悪しが判断できないみたいだ。

名もなき情報ジャンキーブックマーカーが己の感性で“良いエントリ”拾い上げ、ブクマコメントタグで“読み方”を補完してる。これがはてブで良質なブログが発掘される構図だ。

 

で、ここ半年くらい、伸びないんだよな。拾い上げたつもりのブロガーが。はてブアルゴリズムが変わったとか、私の読みが甘くなったとか、色々要因は解釈できるのだが、やはり大きいのはノイズが増えたからじゃないかと考えられる。過去にもライフハック記事とか2chまとめとか、特定カテゴリが異常に伸びる時期があった。しかしその時と大きく違うのは、新着の流れる速さである。速すぎるし、ノイズが増えた。これでは多くの人々が面白い内容を見つけるタイミングを失う。

すなわち3ブクマを獲得したものの、人目に触れずに消えてしまうのだ。

 

互助会は、過去の信頼と審美で培われた新着エントリ欄を、数の力で押し上げてる。仲良しごっこは好きにすれば?と思う面もあるんだが、ノイズで新着ランキングが埋もれるとなると、話は別だ。良い書き手が流される為である

から見れば彼らは明らかに情報の読み方が浅く、能力が足りない。お友達ブログだけ読んでる奴は、読み方がなってない。「面白いと感じたかブクマしました」と抜かしているその感性を疑うべきである。少なくともブクマした記事と同内容の事をぐぐるべし。そして関連書を図書館で予約してはどうか。今時ネット予約が出来るから、30秒で注文できる。色々読んだ上でコメントするのも良いだろう。もう少しブコメに厚みを持たせられないのか(いやまぁ、古参ユーザでも頭悪そうな人もいるんですけれどね……)。

間内ばかり見ても読む力はつかない。あらゆるものを読まない事には審美眼は育たないのだ。そういうセンスを持たない人が「アフィリエイトで稼ぐ」とか「サロンはじめました」と言っても、失笑モノだ。なんだ君は、はてブに焼き畑農業しにきたのかい?己の親兄弟や友人知人にブログを見せても、恥ずかしくない文章を書くことを薦める。

死んだ後も、ブログは残るぞ。

 

こういうフリーライダーが増えれば、はてブがつまらなくなるのは必定だ。互助会ネットワークひとつカテゴリを新設して押し込んではどうか。「アフィリエイトネットワーク」なんかどうだろうか。ははは。私のようなキュレーターは、面白いブログを見つければ、カテゴリに丁寧に分類するから、新設カテゴリ互助会を振り分けて貰う方が問題はないのだ。

 

はてな上場したし、私も歳を取った。時代は変わるものだ。ランキングノイズにまみれ、はてブキュレーションシステム死ぬのも、時代の流れか。

私のような日陰ブックマーカーも、隠れた実力ブロガーも、雑踏にまみれて消えゆく存在なのかもしれない。

 

関連エントリ

互助会対策、あるいは良いホットエントリーにするアイデア

はてなブックマーク互助会つくろう

互助会問題についての個人的な意見

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追記と一部ブコメの返信

id:zuiji_zuisho うーん、互助会の肩を持つつもりはないけど、この増田の話も眉唾だ。誰も見てないようなブログが、増田の非公開ブクマ(どこに露出することもない)、その後に火が付いて伸びるってほとんどオカルトじゃないか。

ごめん、ちょっと書き方が悪かったな。昔は公開ブクマだった(というより、公開ブクマしかなかった)。自分は数ヶ月毎にはてブを整理する上、ファン機能が嫌いなので、全文自動保存スクリプトを回した後、非公開にするという使い方をしてるというだけなんだ。なので実際はブックマーク時は公開ブクマである

はいえ、私と同じような動き方をしている人は何人かいる事は確かで、どこからともなくやってきて、ブクマして去って行く人を知っている。そして非公開ブクマをしても、3ブクマキュレーションは成立していると思える。おそらく私と同じようにRSSリーダーキーワードRSSGoogleアンテナ、Tumbler、他サービスタグRSS経由でやってくるのだろう。

ネットに公開されている以上、誰も見ていないはありえない。

 

ちょっと長いが良いツイートだったので全文引用する。

id:arata2515

すまないけど、結局「俺が思う『面白い』が絶対的に正しい」と言ってるようにしか見えない。ユーザー層の移り変わりもあるだろうし、自分感性多数派でなくなる時もあるだろう。数で勝つしかないのだ。

互助会批判を見てて、とある大手新聞社の人から聞いた「新聞生き残る理論」を思い出した。要するに、「新聞情報重要度によって扱いの大きさを変えて序列をつける役割を持っている。一般人には情報の優劣など判断できないため、新聞のその役割必要なのだ」という話だった。

新聞が「少人数のプロ記者情報重要度を判断する」メディアだとしたら、はてブは「不特定多数アマチュアブクマカーの投票数(ブクマ)によって情報重要度」を扱い(ホテントリ入りか否か)が変わるメディアだ。

もとい、はてブは「不特定多数ブクマカーの投票数(ブクマ)」によって情報の扱い(ホテントリ入りか否か)が変わるメディアだ。

情報価値判断正当性はそのメディアキモだ。新聞がそれを「プロ記者」が担保しているとすれば、はてブにおけるそれは「ブクマカーの投票数」になる。互助会批判は、言ってみれば、その正当性への疑議だ。

さっきブクマした「古参自称敏腕ブクマカー増田」の言い分は、大手マスコミ側の理屈と似てる。両者に共通するのは「自分達の価値判断こそ正しく、大多数の一般人には情報価値判断など出来ないのだ」と思っている点だ。

だが、はてブの「不特定多数ブクマカーの投票数によって情報序列を決める」という仕組みでは、彼ら「敏腕ブクマカー」の投票活動は埋もれてしまうことがある。彼らが如何に敏腕であろうと、「一票の価値」は変わらないからだ。まぁお気に入りもあるからそうとも言い切れんが。

面倒になってきたのでまとめると、はてブはよくも悪くも「数」で決まるメディアなので、ある程度の「衆愚化」はしょうがない。嫌気が差してきたブクマカーの望むホテントリを「作る」には、さらなる精鋭を育て、暗愚を数で上回るしかない。

それが難しければ、もう少数精鋭のキュレーターが結託して新しいはてブに替わるメディアを作るしかないんじゃないだろうか。

ルール厳格化したりすることで、多少の衆愚化は避けられるかもしれないけど、遅かれ早かれどこかでまた似たような問題が起こってくるような気がする。

新さんはTwitterを使っています: "すまないけど、結局「俺が思う『面白い』が絶対的に正しい」と言ってるようにしか見えない。ユーザー層の移り変わりもあるだろうし、自分の感性が多数派でなくなる時もあるだろう。数で勝つしかないのだ。 / “情報ジャンキーから見た互助会問題” https://t.co/ijojg7CqiF"

正鵠を射た意見だ。

はてブが特異なのは集合知集合愚バランスである。そこが絶妙ゆえに、キュレーションメディアとして評価されていた。互助会問題によりそこが変わろうとしている。対策はarata2515氏が書くように、古参ブックマーカの移動の他にはないだろう。

 

 

玄人めいて書いたが、実は私自身も「本当に価値のある記事・伸びるブログ」は、リアルタイム……つまりブクマした瞬間は、よく分かっていない。たがしかし、何千と読んでいる中で、フッと違った感触を得る事がある。これは本当に不思議で、形容しがたいのだが。平原四つ葉のクローバーを探すのに近い。あるいはSTGでいつのまにかレアキャラを撃ち倒していた感覚というべきか。つまり、実に些細なのだ。

はてブ利用者みなが、ブログを繊細に読めとは言わない。時代の変化もあろう。しかし、声の大きく粗暴なやつが、静かに価値を語る者をかき消すならば、残念に思える。

引越しかないかね、やっぱり。

2016-01-11

シロクマ「個人の自由と可能性をはき違えたロスジェネ説教する!」

というツイートリツイートしたシロクマ曰く、

なんというか、凄いですね。そんなに説教がしたいの?

あ、シロクマがね。これだけ引用すると誤解を招きそうなので補足しておくと、青柳美帆子氏はこれより前のツイートで「VERY妻だけED座談会」における「男同士の飲み会では、愛人とのセックスは自慢になるが、妻とのセックスはむしろ恥ずかしいこと。結婚10年も妻とのセックスが楽しみだなんて言ったら、おそらく変態扱いでしょう」などの発言批判的に引用していて、あくまでその流れで「アラサーアラフォー男性向けの説教コンテンツ必要だよね…」と書いているだけです。たしかにこの「VERY妻だけED座談会」の人達は(青柳氏の引用を見る限り)批判されるべきですし、氏がそういう意味で「説教コンテンツ必要」と仰るのはわかるんですよ。

でも、シロクマの「個人の自由と可能性をはき違え、ロストジェネレーションという言葉にもたれかかってきた人々の目を無理矢理開く」っていうのは、そういうのとは全然関係なく、ほんとに単なる、シロクマ気持ちいいだけのいわゆる「説教」ですよねそれ。そして「たぶんボク得意です」という謎の全能感にも恐怖を感じる。青二才さんのことを若々しい中二病と評していたけど、この「たぶんボク得意です」が若々しい中二病()でなくてなんなのだろう……。

だいたい、無理しなくてもあなたの普段の言動がすでに説教コンテンツなので安心していいですよ。非常に不愉快だったので何度でも蒸し返すけど、「子供ができると考え方が変わるよ」系の人に反発して「私たちはコストパフォーマンスを考え、子供を作らない選択をしているだけだ。」と言っただけの人に、「人生のコスパを語りたいなら、まず人生のベネフィットを語ってみせろ」と絡む(なぜか「子供ができると考え方が変わるよ」側の人には言わない)、こういうのをまさに「説教」といいます。なるほど、 シロクマ先生の本はロスジェネから搾取した結果出来上がったロスジェネを見世物にしたものだっていう評価正鵠を射ていたんだなーと改めて思いましたね。(「シロクマ先生と親しいはずの人」の発言が消えているため本当にこんなことを言ってたのかはわかりませんが)

2015-12-29

何でババア石原を支持したのか

石原慎太郎と言えば有名なババア死ね発言があるが

「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害ものは「ババア」”なんだそうだ。“女性生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」

「この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性いるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しか人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球文明なるもの基本的矛盾表象している事例だな。」

「そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間人間というもの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家はいえないからあなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいた所以の一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。」

この狂った発言後の選挙で彼はババアの熱い支持を受けて再選した。

私的には不思議だった。

石原曰く爺は生殖能力があるから生きる価値があると枯れたイチモツを自画自賛しとるがめったに爺が生殖なんてせんし、しても甘やかしたり障害児だったりでろくでもない子供が多いし、世間を見たら定年して濡れ落ち葉になった爺よりよほど有用有意義暮らしている婆の方が多いし、パートタイマーでは圧倒的に爺より婆が使えるし、家事や孫の世話などでも爺より役立っているが万が一女性政治家

文明がもたらした最も悪しきものは爺ですよ、婆は役に立ちます仕事をやめた爺が生きているのは無駄で罪です(笑)

みたいな事を何度か言ったら爺の熱い支持を受けて再選するのは無理ではと思うのだ。

婆はずーっと男から侮辱的な言動を受け入れて、男から嘲笑われるのに慣れすぎているから笑って流したのかなぁよくわからん

セクハラとかも婆はわりと平気に受け流すしな。

2015-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20150523043224

トラバありがとうございます

一応通院はしています。といっても全然通えてないですが。定期的にとかそもそも外出とか予約とか診療時間とか……同病の皆さんがきちんと通えているのか気になって元増田を書きました。

なんとか行っても、足が折れていますとかならお医者さんも見たらわかるんですけど、薬があんまりとか夜眠れないとかがやっとです。正鵠まくり立板に水な患者さんがいたらそれも怖いですけど。

字が書けない読めないのに書かなければならない書類が増える。

そうなる前に、自分手続き出来るうちに、手続きしろ、とみんながシンプルに考えるならまだ良いが、実際はその程度ならまだ働けるのでは?となる。

この辺がもう少しなんとかなればいいと切に思います。そのラインダメになる前に見極めるのは本人でも難しいような気もしますが、それも含めて。

2015-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20150510210039

うーん、俺は無宗教で、大学基督教主義でキリストの授業も結構取って、

チャペルに一時期足繁く通ったけど、結局キリスト教にはならんかったな。

たまにいいこと書いてあるなーとは感じるけど教えがよーわからんし。

特にオールテスタメントなんてファンタジーだし。ふーんって感じでさ。

いやもう言っちゃう同志社卒なんだけどさ、

新島襄が渡米した時に出会ったハーディさんって人がピューリタン実業家めっちゃ凄かったんよ。

天職を通じて神に仕えるって(Serves God through the vocation. )言っててさ。

それですげー金持ちだけど、慈善事業やってますみたいな。

そのこと知って、この人すげーなー、俺もプロテスタント(ピューリタン)になったらあんなかんじになれるんかなーと思ったけど、

これって正鵠を射てないよなあと思ってやめたわ。だって天職で頑張るのが目的で神に仕えるのが手段なんだし。

なんで神様なんて信じられるんだろ。

2015-02-24

批判するマナーに関して

http://copy.hatenablog.com/entry/righttodiscuss

この記事を読んだ

批判することについて書いていこう

まず批判するっていうのはめちゃくちゃ高度な技術がいるんだよね。自分の言ったことっていうのは多かれ少なかれ責任というものが生じる、古い考え方で言えば言霊なんて言い方があるけど

何かを批判するっていうのは多くの場合はその物事に関して否定的立場になって書くことだけど何かを否定する、しちゃいけないっていうのは自分自身の行動とか思考にも不可避に絡んでくるから自身を抑圧することにもつがなり自由を奪うことにもなる

から自らの正義とか立場になって批判するっていうことは自らが現在の自らであるから言える言葉でもあるっていうことにもなる

けど自分っていうのはどんどん変わっていくものからね、ひどく流動的なんだよ

純愛を信じてた人が恋に破れ愛のないセックスに溺れていくなんてのもよくある話で、彼や彼女純愛を信じていたころには「好きじゃない人とセックスするなんて信じられない」って言ったとしてその言葉自体セックスに溺れる絶望さらに増幅していくことになるなんて恋を信じていた当時は考えもつかないよね

ヘーゲル人間は真→知→真である提言したんだよ。自らの経験によってある行動規範思考規範ができるけどそれは実はそんなに正しくはない、絶対的ものじゃなくてどんどんどんどん変わっていくものだって

細胞も3年間で全部入れ替わるなんて言うしね、3年あれば別人になれるってことだ


から何かを批判するっていうのはそれがどんなに社会正義に即していることであれどんなに正鵠を射て見えようがあんまり進んでやるべきものじゃないんだよ。いわゆる考えがまとまったとされる「大人」でもやめたほうがいい

それでも批判するなら自分絶対にこうではないって覚悟必要だよね、まぁ絶対なんてもの絶対にないんだけどさ



しか批判ていうのはベクトル問題でもあるよね

上述したように人に関する正義とか倫理みたいなもの常識とされてるものでもよくわからない上に自らの枷になりうるからしないほうがいいんだけど

社会構造に関してとか秩序に関してはどんどんやるべきだと思うよ

ほら、ヒトラーとかの共産主義は結局は人間感情の部分に最も触れてくるようにプロパガンダされてたものから狂信的でけっして優しい世界ではなかったと思うから資本主義みたいなある程度以上の秩序とか論理はあるべきだしね

ほら、最近話題になった藤井先生橋本さんのいざこざみたいなものを出すとよくわかるんだけどあれは完全に藤井先生が正しいよね

公人である以上は秩序を作る側、秩序そのものにいるわけだから批判されるというのは「必要」なわけだよ


まぁこうして書いてる内容もいつか僕の中で燃やせないゴミになって溜まっていくんだけどね

2014-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20141226191716

政治資金の何か、一目性がなく、とても見づらいので適当に抜き出しておいた。

H23年分 国会議員関係政治団体の収支報告書より一部抜粋

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20121130.html

麻生 太郎 個312万 総764万

安倍 晋三 個750万 総1,558万

石破 茂 個30万 総530万

伊藤 達也 個304万 総304万

岡田 克也 個108万 総108万

小沢 一郎 個16,194万 総21,344万

平 将明 個7万 総863万

野田 聖子 個564万 総574万

志位 和夫 みあたらず

山口 那津男 個44万 総44万

渡辺 喜美 個721万 総751万

H25年分

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SG20141128.html

麻生 太郎 個535万 総2567万

安倍 晋三 個1,343万 総2,253万

石破 茂 個222万 総332万

伊藤 達也 個428万 総428万

枝野 幸男 個0万 総0万

岡田 克也 個275万 総275万

小沢 一郎 個3,594万 総4,594万

平 将明 個19万 総847万

野田 聖子 個785万 総785万

山口 那津男 個44万 総144万

山本 太郎 個4,541万 総4,541万

渡邉 美樹 個0万 総2,250万

渡辺 喜美 個547万 総717万

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/

他の年度などは定期公表分から確認することができる。

ピックアップ適当である。この人がないというのであればフォークしてマージされたし。

共産党とかは党本部からのみで個人や企業献金は無いのかな?

でも、党全体でも6億→4億しかないし。

自民党で14億→24億か。あまり集まるものでもないのだね。

見方がよくわからないので、ここで抜き出したもの正鵠を得ているかは謎。

PDF手書きスキャンしているだけだし、初めてみた感想としては「なんじゃこりゃ。」

紙でしか公開しないよりはいいのかもしれないが・・・

こういうのはどこかでオンブズマン的な人たちがクラウドソーシングとかで入力がんばってたりしないのかな?

データベースにしてくれていたら、平均値だとか最頻値だとかだして、異常値検定とかできると思うんだけど。

統計につかうにはもってこいだと思うのですが。

というか、支持者の住所がそのまま出ているのはよいのかな?

件の支持者の住所は詐欺などにそのままつかわれてしま二次被害になってしまうのではないか。

逆に言えば、おとり捜査日本でできた場合これほどよい釣り場はないのだが…

h25年分は、ある人への献金が下がったかわりに、あるひとがとても多く集めてますね。

あ、「生活の党山本 太郎となかまたち」になったんでしたっけ?

2014-12-17

宮脇睦のメルマガでの津田大介運営する「ポリタス批判が圧巻だったのでここに転載する

宮脇睦のメルマガに「転載自由に」と書かれているので転載します。

編集後記

 ネット選挙が不発・・・ではありません。自民党共産党もしっ

かり活用していました。

 日本ネット選挙根付かない理由はふたつ。

 まず、根付いている事実に気がついていないこと。自動車存在

を認めなければ、モータリゼーションの到来に気がつきませんし、

スマホの普及を知らなければ、「パズドラ」の売上高を信じること

はできません。

 ネット選挙とは「常在戦場」。つまり選挙期間以外の選挙活動

の解禁です。実際の所、いままでも「政治活動」として選挙活動

黙認されていました。

 統一地方選挙を来春に控え、街角に目立つようになった、地方

会議員のポスターには「区政報告会」と告知がありますが、みな選

挙後の日程が刻まれ、その日時に実際に開催されるかは誰も知りま

せん。

 投票を呼びかけることは公選法に触れますが、「政治活動」は思

信条自由から取り締まることが困難という理屈が、ポスター

と繋がります

 ネット選挙とはこのネット版です。しかも、メルマガSNS

動画配信とやりたい放題。さらには「ニコ動」のイベントというリ

アルにまで党として進出しているのは各党同じ。

 つまり平時においても選挙に向けた取り組みが、ネットという

公の空間で解禁されたことこそ「ネット選挙」の本質なのです。

 本質に気がつけば、今回の解散総選挙を「突然だ」「唐突だ」と

非難することの愚かさを知ります昭和時代学生が抜き打ち検査

で、校則で禁止されたグッズが摘発され、それを非難するような幼

稚さです。

 ネット選挙本質については、ようやく一部のマスコミは気がつ

き始めたようですが、不発を叫ぶのは、マスコミ不勉強に過ぎま

せん。

 もうひとつ理由は、日本ネット有識者Web業界人傲慢さに

あります

 もはやフジテレビお抱えの感のある、津田大介氏は「ポリタス

政治ブログを立ち上げました。以前はこの人、「ゼゼヒヒ」なる

アンケートサイトを立ち上げていました。

 アクティビスト活動家)名乗る彼の行動は「批評家」です。

 ベクトルリベラルアンチ自民は明らかで、つまり彼の目指す

彼岸は「非自民政権」。彼の御尊父は社会党の偉いさんの秘書だっ

たようです。

 これ自体は、まったく問題がありません。それぞれの立場で思い

表現できる素晴らしき日本です。

 しかし、ネット選挙とつなげると問題が見えてきます。それは

批評批判)だけで政治を動かそうとしている」

 ということ。わかりやすく言えば朝日新聞ネット版です。しか

マイクロな。

 リベラル求心力が急速に低下する中、この方法が勝利を収める

ことはないでしょう。本家朝日新聞信用失墜は、致命傷になっ

たかもしれません。

 にもかかわらず「批判」で政治を動かそうとするのは、己の正し

さ、第一人者という自負だけが支える空回りの上から目線です。

 ペンは剣よりも強し。を標榜するなら、より具体的に政策に踏み

込む・・・というより、「ネット選挙」が解禁されたのです。

 ネット専門家オーソリティーで、仮に民主党を支持するなら、

党の内部に入り、宣伝文句を量産し、サイト運営ノウハウがある

ならこれを提供し、技術があるなら・・・あるならばですが・・・

自らソースコードをかくこと。すなわち

「自ら銃を手に取り戦う」

 ことをどうしてしなのでしょうか。

 それをせずにの政権批判は、どんな正鵠を射た批評であっても

「観客席からのヤジ」

 に過ぎません。安全地帯にいれば何でも言えます。せめて支持政

党と支持する理由を表明ぐらいはしなければ。政治について何も語

らないのならそれもありですが、支持政党無しとは、言質を取られ

ないための言い訳か、上手く立ち回るための方便に過ぎません。

 あるいは政治団体支持政党なし」の支持者なら、致し方ありま

せんが。

 私は繰り返し「消去法的自民党支持」と明示しています。それに

より私の文章にかかる「バイアス」を読者は知ることができるから

です。

 米国ネット選挙においては、シリコンバレー住民が、長期休

暇を取りボランティアとして陣営に参画します。銃のかわりに、マッ

クブックを片手に戦います

 選挙期間中も、課題問題はもちろん、票につながるアイデア

あれば、すぐにサイト作り替え、時に新設します。著名人なら積極

的に賛意と支持を量産します。ファンの離反を招くとしても、リス

クを取らずに手に入れる果実がないことを、アメリカ人は知ってい

ます

 翻り日本では安全からワーワーとがなるだけ。

 さらに言えば、そもそも「ネット選挙」を語る資格のない人に、

ネット選挙を語らせているので、「定着」しないと嘆いているだけ。

 結論を述べますネット選挙は確実に定着してきています。予想

したより良い方向で。

(おわり)

2014-08-06

文明がもたらしたもっとも悪しき有害ものは「ババア



20代後半以上女性 ネット上ではBBAと呼ばれ差別対象になる│NEWSポストセブン

「これは僕がいってるんじゃなくて、Mがいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害ものは「ババア」”なんだそうだ。“女性生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」[1]

ババア発言 - Wikipedia



http://anond.hatelabo.jp/20140805134308

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