はてなキーワード: 非オタとは
って話がバズっていたが割りと実感がある
二次元系のオタクとして認識している同世代の知り合いがVtuberの話で盛り上がっている場面は良く目にする
個人的にはなんだか乗り切れないところがあってVtuberに夢中になることは今のところなく、話の輪に加わる事ができないことが多くてちょっと寂しい
個人的にはそもそも新しいコンテンツを摂取できていない現状があるので、ある程度しょうがなくはあるが、
Vtuberがどんどんメジャー化していて共通言語化している感覚がここ1,2年ですごい
オタク系の飲み屋に行ったときに女の子がVtuberを話題にすることが増え、グッズを身に着けているのを良く目にするようになった
アニメだったりゲームだったりをそれぞれ楽しんでいるのだろうけれど、「推し」の対象としてVtuberを第一に挙げる人が非常に増えている
自分個人としてそもそも、ニコ生配信者だったりゲーム実況者だったり、youtuberだったり、といったカテゴリの人たちを推した経験が今までないので、この話題においては自分が非オタみたいな立ち位置になってしまう
ざっくりとした「オタク」という同じカテゴリにいると思いこんでいる前提があるだけに、疎外感を強く感じて非常につらい
プラスしてその語り口としてVtuber同士の関係性に言及されることが多く、ハイコンテクストだからハードルの高さを感じる
誰と誰の絡みが面白いだとかてぇてぇとか、
自分が以前見ていた、女性声優が出るニコ生やラジオ何かを見ていて感じていたこととほぼ変わらない気はするし、アニメのキャラに対しても抱くものではあるが一次的な魅力として捉えるのはしんどい
あとは音楽ライブをやって成功をしているのもなんか納得がいかない
活動の一つとして歌を歌ってその延長としてライブをやる、という流れは自然なため理解できるが、
歌を歌う人として秀でている要素があるわけではない配信者がわーきゃー言われながら音楽ライブをしてる意味がわからん過ぎて全くのれない
そんなVtuberに対して好きな作家陣が曲提供していたりもして、なぜそんな素人に・・・?と疑問を覚えるが、もうこれは単なる嫉妬ではある
(似たような話題として声優が歌うことの是非が問われることがあるが、声を使った表現者としてプロフェッショナルなのだから付加価値がある、ということは個人的に納得がいくため、門外漢にそのように説明し擁護することは多い)
あとは全然違う話ではあるが、結局中身に依存して行く形に回帰していってるのもなんかもやっとしている
ガワを獲得すれば外見に依存せず(配信者が)活動できる、というところにVtuberおよびその技術の使われ方が着地してしまった感があるのがなんだかなーとちょっと思ったりもしている
ぐだぐだと思いつく個人的な理由を並べることはできるのだけれど本質的な問題ではなく、
結局それは輪に入れない自分を正当化するための後付的な行動で、Vtuberの是非を問いたいわけではない
結局自分の知らないコンテンツで置いてけぼりにされることがある(特に3人以上の場に置いて)のがつまらなくて、どうしたらいいか分からないというだけなのに、
それが理由でコンテンツそのものもなんか気に食わねえな、となっているだけではある
ただ、新しいコンテンツを仕入れてアップデートしていかないとこうやって頑固に孤独になっていくのだなとか、
若い頃から、学校や職場でオタクではない人に自分がオタクであることを明かす(別に隠してるわけじゃないけど)とこんな風に言われることがしょっちゅうある。
「喋り方がオタクじゃない」
もうウンザリだわ。
お前らの頭の中のオタク像はどんなモンスターになってんだっつーの。
見た目も喋り方も性格も、オタクであることと無関係じゃねーか。
そもそも、俺は大して上等な見てくれじゃないし、人格者でもない。
世のオタクはそんな俺を遥かに下回るクズ人間ばかりだと思われてる・・・ってコト!?
まぁ、オタクじゃない人がオタクはどういうものか真剣に考えることなんてないだろうし、これはまだいいよ。
問題は、声優やらVTuberやらのライブで出会った初対面のオタクにもしょっちゅう同じように言われるってこと。
しかも、どうやら本人は褒めてるつもりで言ってるっぽい(これは前述の非オタクの人達も同じだけど)んだよ。
例えるなら、公園のド真ん中で奇声上げながら野グソ垂れてるアホを尻目にトイレ入ったらそいつから
って褒められるような気分。
じゃあお前もトイレでクソすりゃいいじゃねえか。
結果的に、オタクをモンスター扱いする奴らの考えは正しいってことになるわけで、悲しいよ。
どうして真っ当に生きている俺がこんな悲しい思いをしなければならないのか。
サロメ嬢のおかげでVTuberそのものへの嫌悪感は少し薄らいだけど、
VTuberビジネスの何が嫌いって馬鹿をだまして搾取しようっていうのがスケスケなところなんだよね。
VTuberオタクがいろんなところで馬鹿なコメントをするたびに
「ああはいはい、VTuberビジネスはこういう馬鹿に依存してるんですね」
「馬鹿をだまして儲けてるんだから、だましきれなかっただけでそのVTuber死ぬよね」
(年齢層が低いから仕方ないけど)
ちなみに、ANYCOLOR上場時の資料で判明した通りVTuberのコアのファンは20代だ。
そして、おそらくサロメだけが30代~40代の視聴者の割合が有意に高いと思われる。
今までのVTuberと異質な点はここにある。
「40代のオッサンたちでも楽しめるVTuber」という路線を開拓することに成功したのだ。
VTuberの古参を気取ってる連中は、逆にサロメの面白さがわからないらしいがそりゃそうだろう。
サロメ様は今までさんざん言われていた「オタクのおっさんの話が通じるキャバ嬢」そのものなので。
斬新って言われてるが、オタクスラングが売りというのはむしろ古いタイプの生主じゃねえかと思う。
20代に人気の、特にホロライブ系VTuberは、おっさんからしたらしょうもない雑談を楽しんでるだけでそもそもリスナーに正面から向き合ってない。
若い子はそれでいいのだ。自分を見てくれるより、好きなVTuberどうしがキャッキャウフフしてくれる方がうれしい。
これからもホロライブやにじさんじのメインはそっち方向であるべきだ。ここがブレてほかのところにもオッサンたちが流入してきたら若い子が嫌がる。
サロメは他のVTuberと絡ませずに一人で40代のオッサンをひきつけ続けてほしい。
ただ、この見立てで考えるとサロメ路線は40過ぎの非オタオッサン向け(厳しいか)、 40過ぎ女性向け、40過ぎのオタク女向けの枠がすっぽり空いているのでもう2~3本くらい核弾頭が出てくると思われる。
テレビとかに出て来るタレント素人に関わらずオタクとして紹介されてる人からはなぜか同じようなタイトルが上がってくる。
最近は記憶違いじゃなければぽつんと一軒家あたりでやってた家族全員がボディビルとして活躍してる的なとこの長男がダンベルなんキロもてるとかいう題のを挙げてた。
他のはもう忘れたがもう全部が全部「そのタイトル何度もテレビで聞いたよ」ってのだったんだよね。
逆に街中歩いてるともちろんアクリル系や缶バッチとかつけてるあからさまなのもいるが、そういうのに描かれてるのはああ前も見たなと思うのばっかりで、むしろそういう目立った特徴が無い人が身に着けてるかばんがたとえば一見ビレバンっぽいデザインなんだけど描かれてる女の子が古塔つみっぽいけどなんかそうじゃないふうな感じみたいな、そういう新鮮な出会いがよくある。
暇でちらっと覗く普通の身なりの人のスマホにも見たことが無い漫画が映っている。そんなのざら。
オタクとして紹介されたりオタクのような身なりの特徴がある人が同じような作品ばかりで、そうでない人からの方が新しい情報が得られるって何を意味しているんだろうかと思う。
オタクであろうがなかろうが、人は極端に知名度が低い何かを、別に意識的に手に入れようとしなくてもめぐり合わせで一つぐらいは得てしまうもので、俺は行く先々でその片鱗を見ているに過ぎないというふうに現実解釈を行ってみたがどうだろうか?
つるたま
@tsurutama_ALLY
たわわの広告について45分ほど意見を聞かせてほしいと日経ビジネスから取材の依頼があった。
きちんと企画書や詳細説明があるのかと思ったけどなくて、しかもハトクロの黒澤さん宛のメールを間違って送られていて、
依頼する人を間違ってませんか?と返信したら「つるたまさんにも意見を聞きたい」と
性教育というセンシティブなテーマを扱っているので、丁寧に記事にしてくれるという確信がない人には、普段から基本的に取材を断りしているので、今回もお断りしたら
"記事中に「コメントを求めたが回答はなかった」と記載させていただきます。"との返信があった。
ついでにババアがJK広告にすぐキレるのは若さに嫉妬している説にも物申したい件
ずっと違和感があったのでちょうど炎上してるし書いてみようと思う。
たわわの炎上記事のリプ欄を見ると高確率でananの画像が貼られていて、ドヤ顔でキレ散らかしている人間がいる。
おそらくこの人たちは、女性は「女性のエロ画像はNG!」と言う癖に「男性のエロ画像はOK!」と言う点がダブスタだと言いたいんだと思う。
「男性にとって女性はえっちな存在だから、女性にとっても男性はえっちな存在なはず」
という主張である。
でも実際は「男性にとっても女性にとっても女性の方がえっちで男性はあまりえっちではない」が正しいんじゃないだろうか。
ということである。
デブで脂汗を浮かべているキモいハゲのおっさんを想像してみてほしい。
男性だろうが女性だろうがキモいハゲのおっさんはあまり好きではないと思う。どう考えてもえっちではない(特殊な性癖の人は置いておく)
逆に言うと可愛くて巨乳のJKは男性だろうが女性だろうが大好きだし、えっちだと感じるのだ。
たぶん。
では何故えっちなJKの広告は炎上するのか?そして何故突っかかるのが大体おばはんなのか。
エロ耐性は多くの場合過去にどれだけえっちなコンテンツを摂取したかで決まる。
ほとんどの男性>>>>>>ほとんどの女性>>一部の男性>>>一部の女性
オタク男性>>>>>オタク女性>>>非オタ男性>>>>>非オタ女性
みたいな感じになる。
2次元のエロコンテンツに対するこれまでの人生の摂取量が異なるからだ。
先に述べたように、男性にとっても女性にとっても女性はえっちである。
男性が男性を見て興奮しないように、女性は女性を見てもえっちだと感じないなんてそんなことはない。
そのうえ2次元巨乳JKなんてえっちランキングの最高峰と言っても過言ではない存在である(異論は認める)
グロ画像を見た時にグロ耐性のない人がオエッてなるのと同じように、エロ耐性のない人がいきなりエロの最高峰を浴びたらそりゃあウワッてなるのである。
おばはん達はおそらく昭和の3次元女性のエロコンテンツへの耐性はあるが、令和の2次元女性のエロコンテンツへの耐性はない。
若さへの嫉妬などではなくて、単に2次元の摂取量があまりに少ないからだ。
以上が、一部のおばはん達が2次元女性のえっち表現に噛み付く理由の考察である。
言いたかったことは大体書いたので、最後にたわわのどこが良くなかったのか自分の意見を書いておく。
もう少し考慮した方が良かったのではと感じる点は以下の2点である。
・「たわわ」という文字
メインのアイちゃんのイラスト自体は、普段のたわわからは考えられない程おっぱいの主張が大人しく、作者の配慮を感じられる。
しかし左下の宣伝画像がそれを台無しにした。明らかに巨乳を強調した画像だからだ。
「たわわに実った果実」という文字列を見て純粋に果実を想像する人間がどのくらいいるだろう。
正直これではエロ耐性のない人から文句を言われても仕方ないと思う。
殺人鬼のような格好をした人間がチェーンソーを後ろ手に持って立っているイラストが描かれている。
イラスト自体には特に臓物や血は描かれていないが、タイトルロゴは返り血で真っ赤になっているし、左下の既刊紹介画像には血塗れの臓器や死体の断面がデカデカと映っている。
実は殺人鬼から民間人を守るヒーローの漫画だったとしてもである。
ないとは思うが、耐性のない人がどこに目を向けるのか、そして耐性のない人にどこまで合わせるのかは慎重に考えた方がいい気がした。
長くなったけど書いてすっきりしたので終わりです。
先日、家ついていってイイですかの特別編をやっていて、女が部屋の壁いっぱいにカントクのポスター等を飾っている様子が映っていた。
女のその部屋に入れてもらわない限りそいつ自身にはオタクっぽさがまるでないのがミソ。
ああいう二次元の隠れオタクが占める割合は案外大きいのかもしれない。
俺の中学高校時代はおそらくはいわゆる中二病の影響でこれみよがしにオタクグッズを身に着けたり学校に持って行ったりして自らの口でもオタ非オタ関係なくオタクアピールをしていた。オタク仲間からは尊敬され非オタ含めてもクラス中での目立った存在と認識されいい気分だった。
でもそのクラスにも実は結構な人数の隠れオタクがいたりして「あいつ浅いのに安い称賛で悦に入ってるよ恥ずかしいw」とか内心思われていたのかも…
俺はお前の言う表自だと自認する身だけど「ある種の表現を公の場に出す事はそれそのものがセクハラ」という考えは認めているよ。
その上でその「ある種の表現」がどのような表現を言うのか、まずは社会的合意を取ってからゾーニングだなんだは叫べと思っている。
そりゃあ職場にヌードポスターがあったら大多数の人はセクハラだと思う。これは社会的合意が取れている状態と言って良いだろう。
じゃあ近年たびたび話題になっている萌え絵広告なんかはどうだろう?
俺には極一部の得意なネットクラスタの人が目くじら立てているようにしか見えない。
だって、現実で会う非オタクの普通の人々を見ても規制を叫んでいる人なんてほぼほぼ見たことがない。圧倒的大多数は無関心でしかないもの。
正負問わず関心のある層だけ取り上げても、近年のオタク文化の興隆を思えば、規制派と呼ばれる存在はその手の表現の愛好者よりもほぼ確実に少数派だと思われる。
そんな状態で「こんな表現を堂々と見せるなんてセクハラだ!」と言われても「まぁ、そういう特殊な取り方をする人もいるんですねぇ……」以上の感想は出てこないよ。