はてなキーワード: 編み物とは
ニッターズハイ!見てみたけど、陸上でそれなりに活躍してた男がケガで挫折し編み物を始めるという話で
昔Twitterで見た「タピオカを飲んでニコニコしてる優しい男」の話だった。
結局「男らしさの呪縛に苦しんでるのは男のせい」みたいな思想が透けて見えて、「有害な男らしさから解放されて私たちに優しい都合の良い男になって」というメッセージしか見えないんだよな
こっちから見れば結局高身長でイケメンな男たちが自責し悩み編み物に熱中していくっていう、十分男らしさに見えたけれど。結局作者の「他責と庇護欲」という「女性受け」前面に見える作品なのよ。
『私たち腐女子はゲイの皆さんにカミングアウトして欲しいんです おっさんずラブでやってたように職場や学校でやっちゃってください!!大丈夫、腐女子はみんな貴方達の味方です!』
見たいな勝手に男に消費対象としてのロールをかぶせてるようにしか見えないのよな。
別にこういう話は書いても良いし勝手に萌えてていいんだけど、「男らしさの呪縛」とかそういうポリコレの包み紙で自分の性欲を隠すのを辞めなよ、と思う。
結局「男の苦しみに首を突っ込んでるように見える」のはその売り出し方の問題でさ
まどマギやエヴァを「守られて他人を助けない女らしさからの解放」として売り出すようなことを世の中はしないから
「男の苦しみに首を突っ込んでるように見える」事例が少ないからだと思うよ。
やってみたことある人なら分かると思うけど編み物って数学なんよ
編み物の基本作業って、編み目を一個一個繋げて列を作り、その横に新しい列を編んで繋げて作っていくってことなのね
直線の列から始めるとシートができて、列の始めと終わりをつなげた輪の形から始めるとチューブができる
列を変えるときに目の数を増やしたり減らしたりしながら編むことで、線の幅や輪の太さを変えてカーブを作っていく
この作業はレゴで立体物をつくるのと同じであると経験者なら分かってくれるのではなかろうか
思うに編み物が女性的であるとされるのは産物が主に服飾であるからというものと、毛糸という素材の柔らかさの印象からきているのではないか
しかしその実質を考えると男性になぜ編み物が浸透していないのか不思議なほどには男性と相性のよい領域にあると感じられる
(男性のなかには機械的で単調な作業が神経的に堪えられないタイプの人がおり、そういう人はそれが男性の特性だと思い込んでいる向きもあるだろうが、それは男性内での個人差でしかないだろう。数学の得意な男性とからっきしな男性がいるように…)
だから手芸漫画も何もかも、男らしさの呪縛から解き放たれて〜じゃなくてお前らも女の役割を苦しみを味わえなんだよ
湘南爆走族の主人公って、暴走チームのリーダなんだけど趣味が編み物じゃなかったっけ?
それはともかく、なんかハリウッドでもそういう「善き事」を無知蒙昧の庶民の皆さんに啓蒙する体で作られる作品って多くなってて、そういうのって本当にウザい感じしかしません。人の説教したい欲、善き事を知っている自分って偉い!とええ格好したい欲というのは無限なんだなぁと。
女がやってたら話題にすらならずに消えそうだしそういう狙いだろ
ちゃんと本文読めば書いてあるけど、もともとジェンダーバイアスのことを描く!って発想がスタートじゃなくて、編み物マンガはどうだろう?ってのがスタートなんだよ。結果的にそこからジェンダーバイアスってあるよね、となって、そこを主軸にしてみたら今までにない作品になるんじゃないか…っていう連想があったわけ。キャッチコピーを額面通りに受け取るなよ。あれは刺さるようにガツンとバイアス掛けるもんなんだから。
「その後、連載の構想について考えている時に『編み物漫画を描くんだ』という話を友人にしたら、『主人公は女の子なの? 』と聞かれて、『えっ? 』と思ったんです。友人はなんで女の子だと思っちゃったんだろう、って。
実は私自身も『男性が編み物をやっていると珍しいんじゃないか』『漫画として面白いんじゃないか』という発想があったのですが、その時に、それがジェンダーバイアスだってことに気づきました。このことをちゃんと書かないといけないんじゃないかと思い、1話がそうした話になったんです」
見つけたのかよすごいな!……と思ったら、これは別の人だよ。こういうシンプルなヤーンホルダーじゃなくてさ、機械編み機の糸を支える部分みたいなヤツを、鉄の籠とか針金とかを溶接して作った、趣味で編み物やってる男がいたんだよ。私の記憶が確かならもう十年くらい前の話だけど。
そういえば、もう何年も前だけどTwitterに編み物が趣味だという男性がいたけど、毛糸玉をそこらに転がしたまま編むと毛糸がもつれてしまって「効率が悪い」ってんで、効率よく編み物をするための毛糸玉台を発明しておられた。
編み地に違う色で模様を入れる時も、その毛糸玉台を使用すれば糸同士が絡まないとか、まあ便利そうではあったけど、ただの趣味の編み物に「効率」を求めてドヤっているのを見て、この男と自分は相容れんと思った。
編み物とか刺繍とかそういう手仕事系って、必要に迫られてやる時以外は、頭の中を無にしてただ手を動かせればいいだけで、作品の量産とかどうでもいいから。
手芸は「呪い」を解く? 男子高校生が編み物を通して自分を取り戻す漫画「ニッターズハイ!」作者に聞く
「男が手芸なんて変だし」。自分にかけられてしまった「呪い」やジェンダーバイアスを解体していく物語『ニッターズハイ! 』。「男子高校生が編み物をする」というテーマはどのようにして生まれたのか。作者の猫田ゆかりさんに聞いた。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60dc293fe4b0b84c3be32135?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
詳しくは知らないけれど最近流行りの「他人にかけられた『呪い』や『ジェンダーバイアス』から解き放たれる人間を描く」作品であるらしい
LGBTなど多様性を受け入れる事の重要性が説かれる今、編み物といういかにも女性的な趣味の男性を描く作品はなるほど確かに「男らしさを降りて良い」と男性を勇気付かせる物なのだろう、きっと
だけれど、僕は以前からこの手の作品やキャッチコピーを目にする度に思う事がある
「男らしさ」という物に苦しめられている男性は確かに存在するだろうし、そんな物を捨てたい自由になりたいと思っている男性もきっと世の中には存在する
だけれど…何故その「男らしさという呪いに苦しめられた男性」を描くのが、
「男らしさに苦しめられている男性」ではなく、
決まって「男らしさに苦しめられている男性を描きたい女性」なのだろうか?
「いやそんな事は無い。男らしさの有害性に苦しめられ声を挙げている男性はとても多い」という人も居るだろう
ただ、僕の観測範囲の問題なのかは知らないけれど、僕がこれまで目にした「男らしさに苦しめられる男性」を描いた漫画家さんは、決まって皆女性だった
『違国日記』ヤマシタトモコが語る、“口うるさいマンガ”を描く理由 「人のあり方は多様でいいと気づくのはすごく難しくて苦しい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/190e00f82bd10f71e69750a969bd72110b0109e3
たった3例だけれど、男性が「男らしさの呪いから解放されたい」と当事者目線で主張している例を僕をこれまで見た事が無いので、
結果的に「何故か女性が男性の生きづらさについて熱心に語っている」印象が僕の中にはある
その男性の生きづらさにしても、「女性の目線から描かれた男性」の「男性の生きづらさ」なので、これ現実の男性像と微妙にずれてる様な…という違和感を僕は拭えない
ところで最近、「ワンダーエッグ・プライオリティ」という様々な問題を抱えた女子中学生達の苦悩と戦いを描いた作品があった
かつて数々のヒット作を手掛けた男性脚本家・野島伸司氏が手掛けた作品であり、何の事前情報も無く見た所面白くて三か月間楽しませてもらった
この「女子中学生の苦悩」というのが男の僕から見た所本当にリアルなのかどうかは分からなかったけれど、「ああ、こういう事本当にあるんだろうな…」程度の気持ちでリアリティはそこまで意識せず見ていた
Twitter等で感想を見る分には女性受けもそこまで悪くなかったような印象があるけれど、実際の所は僕には分からない
「ああ、これって典型的な男が考えたリアリティの無い女だな」と思った女性も大勢居たかもしれない。それは僕には分からないけど、そう思った女性が沢山居ても不思議ではない、と思う
だとそのキャラクターや作者を嫌う女性を僕は昔から時々見かけてきた
僕が「男らしさというジェンダーバイアスに苦しむ男性」を描く作品や女性漫画家に対して抱く「何故貴方達女性が男性の生きづらさを描こうとするんです?」というちょっとした反感は、それに近い物かもしれない
【追記】
全くかは分かりませんが、男性が男性の生きづらさについて女性作家ほどに書かないなら、
「男性の感じる男性の生きづらさ」は「女性の思う男性の生きづらさ」よりそれほど深刻な物ではないのではないでしょうか…?
客観視できるからでは? 自分も女性を見て「型にはまってるな~」と思うことはある/作者が自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人しか描けなかったら作品が作れない。
女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事は僕もこれまで何度かあります
ただ、「男性の描いた女性」に対して「女性をよく客観視出来ている、リアリティがある」と褒めている女性をこれまであまり見た事が無く、「男にだけ都合が良い現実味が一切無いヒロイン」と貶す人ばかり見てきました
作者が自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人こそ「解像度の高い」キャラクターとして描きやすくなるんじゃないかな、と僕は思っています
【追記2】
誤字を訂正しました
"自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人こそ「解像度の高い」キャラクター"< これを言い出すと「ユダヤ人を600万人殺さないと『本当の』ヒトラーは描けない」に行き着くので、気にし始めたらキリがありませんよ。
そういえば嘘か本当かは知りませんが、先日キャラクターのリアリティについて面白い噂話を聞きました
「機動戦士Zガンダム」にパプティマス・シロッコという何を考えているのかよく分からない天才的な能力を持った悪役キャラクターが登場するのですが
監督の富野由悠季は天才的玩具デザイナー・村上克司氏をこのシロッコというキャラクターのモチーフにしたのではないか?という話が一部では有名で
シロッコが何を考え動いているのかを富野監督はシロッコに成り切って必死に考えた結果「こんな奴が何を考えているかなんて分からん!」と途中から嫌になってしまったそうです
「作者が自分と同じ性別・同じ性格・同じ境遇の人こそ「解像度の高い」キャラクターとして描きやすくなる」>残虐な支配者が描いた歴史書はさぞ解像度が高いだろうね
残虐な支配者に支配された側の話は支配された側の方が解像度高く描けると思いますし、支配した側の話は支配者側の方が解像度が高いのではないでしょうか?
増田がどのくらい編み物してるのかわからないんだけど、私(空間図形ダメダメ)はかぎ針編み>>>輪編み>>>>>>>棒針編みってレベルで得意と苦手がはっきり違っているから、道具によって向き不向きが大きいよ~と主張したい!!
そしてやりたいことと得意なことが違っていることもあそこそこある!!
あと毛糸の種類や教材の種類(動画じゃなくて本とか誰かに教わるとか)でも向き不向きがあるので……!!
最後に、増田がマフラーを完成させたのすごいと思う!!得意な人がたまたま身近にいたから落ち込む気持ちも分かるけど、編み物やって途中で投げちゃう人も大勢いるなかで完成させたの本当にすごいよ!!!おめでとう!!!
何になりたいか考えてる。
才能とか向き不向きとかは一旦置いとく。
私はお医者さんか小説家かいい感じの飲み屋の女将か雇われ牧場主で悩んでいます。
一番は牧場主かな。片隅にチーズ工房とかあるようなの。ヤギとかいるの。
ピザ釜とか設置したい。それで元気なニワトリを飼う。ヒヨちゃんみたいな。
閑散期(牧場にあるのかは知らんが)にベッドカバー織ったり編み物したりしたい。
牧場経営は難しそうだから大地主のお年寄りに雇われて牧場主したい。そんなのありえるのか。
でもなーーちっちゃい飲み屋の女将して常連客をくっつけたりもしたい。
なんかいい感じのつまみ出したい。おでんの大根は縦にしたい。ポテサラにはピンクの胡椒乗せたい。
医者もいい。美容外科とかでまったり高給もいいし、地域医療に密着小児科医もいい。
未婚で医療に人生を捧げて葬式には地域住民がみんな参列する、みたいなのいいよな。
親子3代かかりつけとか素敵。
魚の骨を取るのが滅茶苦茶苦手だ。
海沿いの町で育ったいわば骨取りサラブレッド(?)のはずなのに下手だ。
祖母は模型みたいな骨の取り方をする人で、認知症で私の事が認識できなくなっても私の存在を無視しつつ美しく魚を食べていた。あら、キレイ。
母も父も祖母程ではないがそこそこ上手い。兄弟もある程度はできる。
朝や職場での昼食は避けている。人と食事するときは選ばない。無言で骨取りに集中する。鮭と鰤で今更ながら練習しているがたまに刺さりかける。穴子や鱧、鰻は苦手。秋刀魚も鯛も苦手。干物の食べ方はわからない。
友人や同僚はあんなにスイスイといとも容易く骨取りできているのに…
自慢じゃないが祖母直伝の編み物という特技、切り絵、アクセサリー作りなど正直細かい作業は得意な方だと思っている。
おかしい。
こんな私も小学生まではありとあらゆる魚を食べていた。毎日ではないが、食卓に煮魚や焼き魚が並び、小テストのようにクリアしていた。あの頃は私の魚人生で一番輝いていた。
その後、喉に骨が刺さるまでは。
正直言うと小学校低学年の私は慢心していた。お皿の上のあまり見かけない魚に今までのノリで油断した結果、立派な骨が私の無防備な喉にジャストミートした。痛かった。ご飯を食べても抜けず耳鼻咽喉科送りになった。初めての挫折。
吸引チューブを突っ込まれ悶え苦しんでいる私の診察室になぜか私よりも小さい男の子がいた。意味がわからないがチューブで溺れる私を近くで眺めていた。(個人情報とは?)私を処置した医師の顔は全く思い出せない。ただ小さい子に見られてるからそんなに泣いたらダメだよ~という言葉だけははっきり覚えている。
子供はどうでもいい。こいつ、これが終わったら…!と思った。その医師の喉に骨が刺さる呪いを百万回かけたい。
その後なぜか上手く食べられなくなり今に至る。小学校の給食で骨付きは無理だと担任に涙ながらに訴えた経験は黒歴史だ。その時ちょうど教室のテレビで魔女の宅急便が流されていて、金曜ロードショーで見る度に嫌な思い出がよみがえる。
ちなみにスーパーで「骨無しです」と大きなシールが貼られた魚を飼ったこともある。食べたらしっかりした骨が残っていた。解せない。魚の骨格を覚えたら骨のある場所がわかって取りやすくなるとどこかで見て、魚類の勉強をしたこともある。魚の知識だけは増えた。
下手な自分に諦めはあるけど、やっぱり上手くなりたい。大人として恥ずかしいし、人との食事も困る。子供の頃の大人って美味しそうに大根おろしののった秋刀魚をおかずにご飯を頬張るイメージだった。今の実力で魚とご飯を一緒に食べると確実に喉に刺さる。っていうか大根おろしで骨が見えないから絶対無理。
たったの32年で、やりたい事やり尽くせちゃったの!?
羨ましい!!!
30代後半の既婚女だけど、いまだに、自分の手でやりたい事沢山ありすぎて、子供とか全く考えられない。
(旦那にも伝えて、了承済み)
子供の頃から、手芸や工作に創作活動等々、自分の手で何かを作ることがとっても大好きだった。
お店に並んでる商品って、どうやって作ってるのか、想像できない物も多いじゃん?
その製法を解き明かして、自分の手で再現することがたまらなく好きだった。
この間、学生以来、久々にハンダゴテを握った。キーボードを造った。ふたを開けてみればシンプルな仕組みで、とっても面白かった。
キットを使っての自作だったけれど、ゆくゆくは自分でキー配置のデザインからファームまでやってみたい。
でも、時間が無くて断念している。
ファームと言えば、もちろん、プログラミングは15歳くらいからずっと趣味でやっている。実益もあるが。
プログラミングはヤバい。沼だ。年々新しい言語や技術や理論が出てくる。
どれもこれも楽しそうで、追いかけていくだけで無限に時間が溶けていく。
最近は、他にもやりたい事が沢山ありすぎて、追いかける技術を絞るようになってしまった。
本当は機械学習とかも触ってみたいけれど、今の所、使用用途が無いので触れずにいる。
最近、10年以上やってなかった手芸をやり始めた。刺繍、編み物、ビーズクラフト。何もかもが面白い。
レザークラフトも気になっていて、道具だけは揃えたんだけど、時間が無くてやれずにいる。
陶芸も気になっている。かごも編んでみたいと思っている。ミシンだって欲しい。
が、何もかも時間が無くて後回しだ。
創作活動も、学生時代から、もうずっと長くやってるけど、まだ飽きが来ない。
絵や小説といった、二次創作で流行してる分野だけじゃなくて、音楽の耳コピやアレンジも楽しい。
まだ独学だけど、ゆくゆくは人に習ったりとかもしてみたい。しかし、習う時間が捻出できずにいる。
昔からずっと、園芸や畑もやってみたいと思っているが、これも時間泥棒過ぎて、全然着手出来てない。
かろうじて、いくつかの鉢植えを育てているくらいだ。
それくらい、やってみたい事がありすぎて、人生100年弱なんかじゃ、とてもじゃないけど足りなくて困っている。
30過ぎてやることが無くなった、子供でも作っておけばよかった、なんて言える人が羨ましい。
この分だと、人間の寿命が10倍になって、出産適齢期が20歳~300歳くらいにならないと、子供を産もうという気にはなれないと思う。