はてなキーワード: 眼鏡とは
今の日本人、特に若い人が「日本はオワコンだ。早く日本から脱出しなくては」みたいな意見を聞くたびにもやもやする。
海外の何がそんなに良くて、海外にいったらなぜ成功できるのか。またそいつらのいう「海外」とはどこなのか?
自分はこれまで外国人と多く触れ合ってきた人間だ。そのため、海外の事情も普通の日本人よりは知っている方だ。
外国人と話していると日本ほどいい国はないと言ってもらえる。にもかかわらず日本から脱出したいという日本人はたくさんいる。自分にはその理由がさっぱり分からない。
一口に海外がいい と言っているが、海外といったて世界には240以上の国と地域がある。一応自分は国旗マニアだから、そのすべての国について程度の差はあれある程度知っている。そのうえで、たいていの日本人は日本で住んだ方がいいと思っている。
理由としては、まず基本的にどこの国でも自国民が優先される。基本的にはその国出身のやつが過ごしやすいように国はできている。
日本に住んでいる外国人たちの置かれている状況は大変だ。外国人というだけで、入居が拒否されることもあれば、外国人という色眼鏡で見られる。
それは日本だけだろ とかいうやつがいるが、とんでもない。外国人と自国民を全く同じように扱う国などない。
また、日本より治安が良い国もあまりない。経済が安定している国だってないし、警察や政府が腐敗している国なんてゴロゴロある。
海外で暮らすには当たり前だが、収入のあてがないといけない。しかし、日本人で英語が話せるのはせいぜい2%ほどだというデータがある。
日本はオワコンと言っている人達の中で英語が話せるやつは果たしてどれくらいいるのだろうか。ましてや、スペイン語やフランス語などを話せる人はさらに少ないだろう。物価が安い国にいけば大丈夫という人もいるが、物価が安い国は後進国が多い。アフリカのウガンダなどに行けば日本人はたいてい金持ちだろうが、かなり不便な生活を強いられるだろう。
また、戦前ブラジルやキューバにわたった日本人たちがどのような生活を強いられたのか知っていたらこんなことは言えないはずだ。
3、海外とはどこを指すのか。
海外脱出しなくては とネットでよく聞くが、具体的な国名を聞いたことがない。また、どこの都市に住むかに至っては皆無だ。
日本に移住する場合、日本に住む!と言ったって離島に住むのと、沖縄に住むのと、東京に住むのでは話が違うだろう。海外脱出組はどうも”海外”という場所に行くらしい。
日本は十分に成功している。これだから日本は、海外と比べてここがダメだ~ みたいな人に出くわしたことがある。
自分はとっさにそれはどこの国を指すのか?と聞いたが出てこなかった。南アフリカと比べてどうなのか?チュニジアとは?イタリアやポーランドとは?
ジャマイカは? と聞いた。結局そいつはたいした根拠もなく言っていただけだった。
総合的に公平な目で審査したランキングの方がはるかに信頼できるだろう。
5、なぜまだ日本にいるのか?
そんなに海外がいいなら、とっとと日本から出ていけばいい。なぜいつまでもいるのか?金がない? 海外に行けばすぐ仕事が見つかるんだろう?
そっちで探せばいいじゃないか
[B! セクハラ] 殺気だつ草津町傍聴席「犬だってしねぇよ」 セクハラを背中で浴び続けた気分になった〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
きみらのお眼鏡にかなう観光先なんてあるのかな? あるなら教えてほしい。
ドコモはセクハラするから機種変しないとかいうけど、KDDIやソフトバンクはきれいな回線なの? MVNOだってドコモやauの回線使ってるんだから、日本に使える回線なんて一個もないじゃない。
日本に住んでて日本国籍持ってる時点で、あなたも、わたしも、共犯なんですよ。そこのはてなーさん。切断処理して矮小化し、自分だけきれいなつもりでいちゃあいけない。
つい先日、推し作品の舞台が幕を下ろした。シリーズ別で何年か続いていたものもすべて終わった。携わっていた皆様、本当にお疲れ様でした。
推し作品では、作品内のキャラクターが架空の舞台や映画に出演し、それがドラマCDとして公式から出ていた。舞台が3作品で映画が4作品。これからする話は、キャラクターたちが出演していた上記7作品をそれぞれを舞台化したものだ。
推し作品では『キャラクターたちは私たちと同じ世界(三次元)に存在している』という様なことを公式がほのめかしている。正直、私も『キャラクター』と書きたくない。私自身も公式の影響を強く受けているので、キャラクターではなく実在する『人物』だと思っている。しかしここではややこしくなるので、心に蓋をしてあえてキャラクターと書いていく。
2.5次元舞台は役者がキャラクターそのものになるのが一般的だ。今回推し作品では『キャラクター(初代)が演じた舞台・映画作品の役を若手俳優たちが【2代目】として演じて2.5次元化する』という落とし所をつくった。なかなか絶妙な配慮だったとは思う。キャラクターそのものではないが、キャラクターが演じた役を演じるので容姿は限りなくキャラクターに近くなる。公式が『推し作品内のキャラクターを演じる訳ではない』としくれたのはよかった。それが後に弊害になる部分もあったが。けれど、それが明確に表記されていたのは舞台化の発表時だけだった気がする。以降は暗黙の了解なのかなんなのか、ハッキリさせずに2代目は作品内の役名で呼ばれていく。私は以降、2代目と呼んでいく。
何も知らない人には上記を1から説明しないと話が始められないのが大変だ。あと一応私のことについても書くと、私は推し作品は愛しているが若手俳優にはまったく興味がない。2.5次元が流行りだす前から舞台やお芝居は好きだ。推し作品の舞台は全シリーズを実際劇場に見に行った。
舞台化の発表が公式からあった時は賛否両論とんでもないほどの反響があった。2.5次元が流行りだしても推し作品は乗っからず我が道を行っていたのに。公式が『キャラクターは現実にいる』って体現してきたのはなんだったんだよ!?と拒否反応で舞台化発表の時点でシャットアウトした人も多いと思う。今なお舞台の話については人によっては地雷になる。批判の声の方が大きかった気もする。あとは戸惑いの声。私は元から舞台が好きだし、公式がやると言うならとりあえず見ようと思った。とりあえず見てから何か言おうと思ったのでこれを書いている次第である。
やっと本題になるが、結論から言うと見た事に後悔はない。舞台を見られたことはよかったと思う。だけど手放しで『最高だった!』とは言えなかった。
見た事に後悔がないのは、キャラクターたちが演じた舞台・映画作品が元なので、その作品のその後、もしくはその作品へと続くゼロのストーリーが見られたことだ。舞台の脚本は各作品ごとに違うのである意味二次創作にはなるが『もしこれをキャラクターたちが演じていたら…』と妄想が膨らむ。また、初代が演じた舞台・映画は現実ではドラマCDだったので、同じ内容でなくても舞台セットや衣装など雰囲気を実際目で見ることができたのはとてもよかった。脚本の中身ついては好みもあるので意見は別れると思う。アクションが多い舞台もあったので、そういう作品については物語の中身よりアクションを魅せる方に力を入れていたように思う。あとは2代目の脇を固める、舞台オリジナルキャストの存在も大きかった。場数をそれなりに踏んでいるであろう安定した演技、2代目を支え、引き立たせる役割をしっかり果たしてくれていてどの役者の方も素晴らしかった。そして、時に何役もこなし、時に舞台転換、時にダンスも踊る、万能すぎるアンサンブルの方々。アンサンブルは舞台の中では目立つ存在ではなくても、絶対に欠かせない方たちだった。原作のドラマCDは主演キャラクターしか出てこないので作品の世界感はかなり広がった。オリジナルキャストとアンサンブルの皆さんには本当にスタンディングオベーションを贈りたい。推し作品に携わってくれてありがとうございます。
じゃあなにが手放しで最高と言えないのか。推し作品の舞台は、本編のお芝居の後に歌やダンスのパフォーマンスをする2部構成だった。休憩も挟まず、本編の内容にも関係なく『この後は歌とダンスで盛り上がってほしい』と言われる。2代目は『キャラクターたちが演じた役の2代目を演じる』だけであって、正直歌う必要はないと思っていた。だから突然歌うと言われても困る。そしてお芝居の余韻に浸ることもできない。この流れが私は苦手だった。そして、さらに困ったのが『ペンライトを振ってほしい』と言われることだ。推し作品のキャラクターたちは歌を歌うので、キャラクターたちに対してペンライトを振るのは分かる。でも2代目はキャラクター本人ではないし歌う必要もないと思っているので、私にはペンライトを振る理由がなかった。申し訳ないとは思ったが、ペンライトを振りたいとは一度も思えなかった。極めつけは、歌っている途中で突然客席に向かって愛を伝えるシーンがあったりする。別に私に言っている訳ではない。でも客席に向かって言われたら、私も客席にいるので仕方ない。これだけは譲れなくて、私は推し作品のキャラクターの女ではあっても2代目の女ではない。お前の女ではない。めんどくさいオタクである。誰もが頷くような圧倒的なパフォーマンスを見せられたならその気持ちも少しは変わったかもしれないが、残念ながらそこまでには至らなかった。
2代目の役に対しても同じ気持ちだった。初代はドラマCDなので声のみの演技だ。色眼鏡で見ている部分もあるが、それでも感じるものはあった。2代目に関しては視覚を通しても見ているのに心に響いてくるものが少なすぎた。若手俳優だし経験の差なのかなと思えば仕方ない部分もあるが、私は2代目の頑張りや成長を見たい訳ではない。推し作品の舞台を見に来ているのだ。お金を払って客として見ているのだから、完成された舞台を見たい。それが叶わない部分が少なからずあった。それが推しキャラクターの演じた役の2代目であれば尚更気になる。初代の演じた役への解釈が薄っぺらい。表現力が足りない。先ほどの話にもなるが、2代目は無理に歌わなくてもいいからもっとお芝居に力を入れて欲しかった。2部構成には無理があったんじゃないかと思った。
そして、2代目のことは最初から最後までどう扱っていいか分からなかった。舞台では2代目として初代の役を演じて、パフォーマンスはキャラクターと同じように歌って踊る。さらには時々キャラクターの口癖や仕草を真似る。
2代目、お前らは一体誰なんだ。
公式、お前は客に何を見せたいんだ。
2代目は2代目なんだからキャラクターに重ねたくない。最初から最後まで線引きをちゃんとして欲しかった。
これは推し作品に限ったことではないが、2.5次元の流行りで若手俳優はいろいろな舞台へ引っ張りだこだ。稽古時間が限られていたり他の仕事があったり、分からないけど色々あるのかもしれない。そこに今はコロナもあるので制約があると思う。これがあの時の精一杯だったのかもしれない。だけど、なんで客側がそんなことを考慮して見なきゃいけないんだろう。創られた非現実世界を楽しむために舞台を見に行ってるのに。なんで諦めて見なきゃいけないんだろうか。流行りだから、儲かれば舞台化するでいいのか。実際推し作品の舞台化が儲かったかどうかは分からない。正直そんなにキャパのない東京公演でも当日券が出たり空席も見かけた。最後の舞台の千秋楽後も続報はなかったので、ここが幕の引き時だったのかもしれない。
以上が、推し作品の舞台を観た率直な感想だ。色々なことを言ったが、最後まで推し作品の舞台に携わってくれたすべての方に感謝を言いたい。前途多難な舞台化を走り切ってくれてありがとうございました。
推し作品の公式は、ファンの声をもっとリサーチしてなるべく多くの人が喜べるコンテンツ展開をして欲しい。身内同士をこれ以上仲違いさせないでくれ。頼むから。
小学生の頃、担任がくれた暑中見舞いに「(頼むからやる気をだしてくれ)」と暗に書いてあった
先生がはがきいっぱいに書いてくれた私の似顔絵は今でも鮮明に思い出せる
力こぶをつくり目を輝かせて元気に跳ねている私
それが先生の望む理想の私であり、現実はそれとは程遠いらしいことはさすがになんとなくわかった
「そんなこと言われてもなぁ」というのが当時の感想
ぶっちゃけ思い出して増田なんか書いちゃってる今も同じ様に思う
多分この熱意のなさが先生にあの暑中見舞いを書かせたんだろうとわかる点だけ成長したかもしれない
でもやる気あるってどういう状況なのかは今でも全くわからない
当時は毎日学校へ行って帰ったら校庭へとって返し約束もなく集まった同級生と日暮れまで三角ベース、帰宅したら宿題して朝起きたらまた学校へ行って
いまは毎日仕事行って帰ったら夕飯作って寝る時間まで思うままダラダラして、起きたらまた仕事行って納税だってしてる
やる気なんかなくたって、仕事があり夫がいて二人で見る映画は面白く、来週の予定をなんとなく話せるのは嬉しいことだと感じられる
なんの不都合もない
いやほんと簡単に口にするよね、君たちは。
わかるよ〜〜!口には出さないけど。
だけど、髪切ったとか服がいつもと違うとか、きっかけは色々あれど、褒めてるの全部「顔」じゃん!!!!!!
はーーい、顔面がブスですいませーーーーん。
はーーー他人が褒められると相対的に自分が下げられてると感じるーーーーーー!!!!!!
辛くて辛くて整形して二重にして化粧してそれっぽい服着て振る舞ったら「可愛いね」って言われる機会増えました。
でもでもでも、心が死ぬのですぐやめました。
ナチュラルメイク嫌い!
フェミニンな服嫌い!
濃いメイクして、自分が良いと思う服を着て、嫌なときは嫌とちゃんと言う、そういう自分が好き。
可愛いって言われるように努力すれば?ってクソバイスいらないです。
しかし、好きな格好すると「可愛いね」って言われないんだなーーーー。
「可愛いね」って言われたいんじゃなくて、言われないことが苦しいのね。
これが大事。
「個性的な服装の人、自分は好きだけどな?」はい、ありがとう。
そうじゃない。
隣の人だけが、顔を褒められるのが苦しいの。
なんで職場で顔を褒めるの?
コミュニケーション円滑になってないよ?
男オタクは自分たちはキモいものだという視線を内面化してるだけだよ。
「キモい」は「オタク」の枕詞じゃん。令和になっても「キモオタ」みたいに言われること多いじゃん。
男オタクは「キモい」と言われることに慣れているだけ。自分たちが「キモい」と思われていることを知っていて、諦めているだけ。諦めているから向上の努力をしようとしないだけ。
「三次元の女より紙とJPEGの女」ってのも、言ってるやつの8~9割は酸っぱい葡萄だから。どうせこんな容姿だから無理だよ……っていうのが骨の髄まで染み込んでいる。
で、全体的にファッションセンスが壊滅的なので、っていうか女よりファッションに興味がない男の中でも特にファッションセンスがない連中を選りすぐったのが男オタクなので、オタク同士で外見で貶し合いっていうのは基本的に発生しない。
(っていうか、そもそも論として、よほどのことがない限り男同士で外見や服装を品評することはないよな……これはオタクに限らずそうでしょ。そもそも服装に対するジェンダーの差があると思うなぁ。男は服装について色々考えることが嫌いなのです。もちろん先天的というよりは後天的な文化的刷り込みだと思うけどね)
それでもって複雑なのは、単に見た目を整える能力が欠如しているから見た目がキモいんじゃなくて、あまりにキモいキモいと言われ続けたせいで「見た目がキモい」ことがなんというか男オタクの自画像になっちゃってる感があるということだ。
昔、よく戯画化されたオタクで、チェックシャツにバンダナ、みたいなのがあったよね。今から思えば差別的な目線だけど、でも、あれが「オタク」であり、俺たちはああいう存在なんだ、っていうアイデンティティはあるよね。
ニコニコ動画でアニメとか見てるとさ、そういうテンプレ的なオタクの服装したやつがモブで出てくると、「俺らじゃん」「お前らwww」みたいなコメントが飛び交うし、自分がオタクを自称して「俺らオタクはさ~」っていうときに、そこで思い描いてる「俺ら」ってのはパリッとしたスーツを着こなしたイケメンじゃなくてチェックシャツのバンダナ眼鏡だと思うのよ。
イギリス人にとってのブリタニアとかフランス人にとってのマリアンヌが、俺らにとっての「デュフフwww」とか言っちゃうチェックシャツのキモオタなんだよな(実際にはもう秋葉原でもチェックシャツとか着てないやつの方が多数派だけど、まあ多くの日本人も日常生活で着物着てるわけじゃないし……)
なので、多くの男オタクは、外見がキモいと思われることに(他の趣味を持っている男たちと比べると)頓着しない傾向がある。でもそれは容姿の品評から解放されているからじゃない。まったく逆だ。容姿の品評会で敗者であることを自覚し、それに甘んじているからだ。容姿の品評会で敗者であることが自己認識の一部になっているからだ。
男オタクにとっては、オタク趣味全体が他の男たちや女たちから「あのジャンルってキモい男が推しがちだよねw」って言われる対象だったわけで。
逆にその「キモいジャンル」の内部、つまりオタク趣味の内部ではそんなに服装の縛りはきつくないんだけど、賤民のあいだでは平等な関係であることを身分差別から解放されてるって言われても困る。
余談。俺のこれまでの経験からすると、オタク趣味に走る男の外見、他の趣味に比べて明らかに一歩劣るよね。原因なのか結果なのか偶然なのか観測範囲の偏りなのか俺の思い込みに過ぎないのかは知らんけど。
原因っていうのは、つまりオタク趣味というのはスポーツや吹奏楽とかとは違う周縁的な趣味であって、いじめられっ子の駆け込み寺のような役割を果たしている場合もあったからだ。「外見がキモい」がいじめのトリガーの1つになることは多いので、駆け込み寺に駆け込んでくるやつらの外見が駆け込む必要のなかったやつらより平均的に劣ってるのは十分ありえる。
結果っていうのは、オタク趣味って運動不足で不健康になりやすいのと、他の趣味と違ってファッションに対する意識があまりにも低いので、結果としてそういう界隈にいるやつらの外見はフットサルやってますとかそういう連中に比べて劣るものになりがちだろう。
でも実際、オタクと非オタクのあいだでの容姿の差ってどのくらい統計的に立証できるんだろうね。倫理的にアレだから真面目に研究することは難しそうだけど……