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はてなキーワード: 痴呆症とは

2023-06-19

祖母が死んでいた

間違い電話の折り返しで母と話したとき祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.

祖父はかなり前に他界している.祖母一人暮らし痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.

最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.

年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.

から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代親族がそれを許さなかったそうだ.

おぼろげながら思い出せる会話から教養の片鱗は覗かせていた.

2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.

理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父レイプされたそうだ.

母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.

当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.

そのときの母の絶望想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係破滅した.

私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.

因果関係不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.

短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.

小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.

いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁お気に入り自転車サドルをめった刺しにした.

私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費負担してくれる程度には父は稼いでいた.

勉強研究は楽しかった.指導教員にも恵まれJASSO奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.

私は病んだ.祖母憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.

ほどなくして不登校となり,カフェインLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.

幸い研究業績は積み上げていたため,職にありつくことはできた.毎日リーマスやラミクタールを飲むことでどうにか生きている.

祖母が亡くなったと聞き,帰省の際時折見せていた物憂げな表情を思い出す.

2023-06-02

anond:20230602202701

そりゃ老齢化すると痴呆症カテに入れられるから

2023-05-28

anond:20230528065859

俺は見ないからわかんないけど、痴呆症になってきてるおばあちゃんが一日中見るからテレビ必要なんだなって

2023-05-01

anond:20230501210012

なぜ女性VTuberと遊べたのかそっちが聴きたい。

痴呆症か?きしょい上に難儀なやっちゃな。

2023-04-16

地元が消えたら将来の介護葬式が一気に片付く

上京した先で家庭を築き仕事をしていると、ふとした瞬間に20年30年後のことが頭をよぎる。

地元実家に大きな不満や嫌悪感情はない。

不自由なくスクスクと育ててくれたことにむしろ感謝気持ちで溢れているくらいだが、その親もいつまでも元気なわけでもない。

どんどん老いぼれていく親を見る度、痴呆症祖父祖母大往生と親の苦労を目の当たりにしたときに感じた気持ちを思い出す。

絶対に同じ目に遭いたくない。

足腰が立たなくなったり病気で入退院を繰り返すようになったら?関東から地元へ往復しなきゃならないのか?全部片付いたあと土地相続とかどうすればいいの?

生存のために他人扶助必要とするようになったり、鬼籍に入ったのちの面倒なやり取りでこちらの生活に牙を剥いてくるかもしれないと思うと憂鬱になる。

そんな気持ちに付き合っているうち、隣国から頻繁に発射される兵器とけたたましく響くスマホアラートを耳にする度に「実家ピンポイントで落ちてくれたらな」と思うようになった。

実家更地になって人間ごと地図から消えてくれたら。

今抱えているぼんやりとした不安や将来への憂鬱気持ちが一気に晴れるのに。

実際にそうなれば、楽以上の悲しみや怒りが強く湧いてくることと思うが、想像の中では自身に降りかかりうる問題埒外のパワーで事前に解決されることを期待してしまう。

親は今年で65。

地元は好きだが廃れるばかりでなにも無く、たまの帰省以外で帰るつもりは毛頭ない。

すべてをうやむやにしてくれる大きな出来事が起きることを今日ぼんやり望んでしまう。

2023-03-29

認知症っていい言葉だよな。認知障害だったらお年寄りは認めなさそう

痴呆症ももちろんアウトだ

こんなふうに言い方一つで変わるんだな

2023-03-17

父の加齢が結構ちぃ

15年ぶりに実家に戻って2ヶ月くらいたつ。

ずっと一人暮らしだったので、家に自分以外の存在がいるというのになかなか慣れない。

で、父がおそらく65~68歳くらいなのだが…「ボケてはいないけど、近所のうざいおっさん」くらいになっててしまって非常につらい。

から少し怒りっぽいところがあったが口に出る前に抑え込めていたのが我慢できないようになってしまったみたいで、

自分理解できない話をされると機嫌が悪くなる」「自分意見が聞き入れられないと怒り出す」という加齢かなあと思うものもあれば

「深夜に掃除機をかけはじめる」などのわりと痴呆症入ってきてるんじゃないかという行動もするようになっていた。

あと母に暴言…とまではいかないが喧嘩腰で話すことも多くなっているように感じる。

おばあちゃんが非常に穏やかな人でボケずに大往生したのもあり、身内がこんな風に変化してしまったのに驚いている。

兄と弟もいるのだが、この二人はずっと実家にいたので、こんな状態の父とは冷戦状態勢力図が父・母弟・兄・の三国志状態になってしまっている。

このまま加齢が進んでいったらテレビでよく見る暴言はいて周囲に当たり散らす老害になってしまうのではないか不安だ。

自分にできることはなんだろう…と考えてみたものの、一刻も早く家を出て遠いところで働き始めるしかないという結論がでてしまった。

育ててもらった恩はもちろん、ありがたいと思うけど「近所のうざいおっさん」の面倒を見る気にはどうしてもなれなかった。

薄情な話だが「ボケる前にさっさと…」とも思ってしまう。

はぁ。自分の老後の前に親の老後がくるのは当然だけど、頼りになった一番身近な大人劣化していくのを見るのつれえよ。

2023-02-23

anond:20230222190044

1970年代まれだけど、

メガバンク商社の後輩(1990年代)で顕著だなぁと感じたのは、20代結婚出産している点かな。

(この20年ぐらいで、女性行員が本当にそれ顕著だなぁと感じる)

ワシ等の世代20代は遊びたいという意識だったのだけど、彼らの意識子育てを先にクリアして40~50代以降を自分人生を生きようというらしい。

子飼弾さんも似た事言ってたのを思い出した。

アラフィフになったけど、後輩らの思想ベターだなと感じるよ。

もちろん、十分な福利厚生経済的基盤があればなんだけど……。

ブコメには子供自分QOLに利用するなとか、子育てリスクもあるので隣の芝生とか意見もあるけど、

はっきり言うと今の日本高齢者福祉や、一般人高齢者に対する意識(件の高齢者自決しろとか)を鑑みるに、相当な資産が無いと老後の人生はかなり難易度が高いと思う。

(たとえば、病気けがの話だけでも

 ちょっとした骨折は、10年ぐらいのスパン100人に1人ぐらいの割合で発生すると思うが、30代の骨折と50代の骨折と80代の骨折は本当に訳が違う。

 80代の骨折は、部位にもよるがほぼ死刑宣告だからね。落ちた筋力は、並々ならぬ努力人で無いと回復しない。そのまま寝たきりになり痴呆症になり看護もままならず死ぬ

 そういった現実は、20代では本当に判り辛く、歳を追うごとに友人知人や家族問題として現実として実感してくる。

 いや、キリスト教の様に「死んでも主の元へ」なら、高齢者は皆死ねで良いんだけどね。僕らの宗教観死ねば電源Offな訳じゃん。)

2022-10-22

老人ホームって独身でも入れるんだっけ?

俺のイメージだと子孫が資産管理して毎月の利用料収めてくれないと成立しない気がするんだよな。

あそこって言うなれば老人向けの託児所みたいなもんじゃん。

保護者である子供が老人の金を預かった上でその中から払うって形だよな?

違うの?

でもそうなると老人ホームの中で老人が金の管理することになりそうなんだが、それって無理でしょ。

一部の人痴呆症の最終処理場として利用している以上は、あの空間の中で金銭安全管理することはできないと思う。

じゃあ独身人間って老人ホームにも入れずに死ぬしかないのかな?

俺なんとなく自分はアルジャーノンのラストみたいな感じで自分が入る老人ホーム手続きをするものだと思ってたんだが、よく考えるとそういうシステムなのか知らねえって気づいた。

教えてくれよ。

ここ老人ばっかだしみんな本当は知りたがってるから、いい感じのトラバ入れたらお前の方にブクマじゃぶじゃぶ入るぜ?

2022-06-25

anond:20220625134231

おそらく元増田はそれもOKだと言うと思う。

実際のところ、乳児や重度の知的障害者痴呆症のひとの人権を認めながら、同時に動物を殺して食べることも認めるのってかなり難しい。

2022-05-26

anond:20220525235155

親が高齢から肯定はできないけれど、心情的には理解できちゃう自分の心身の衰えを実感しながら、それを受け入れて生きるって、思った以上に辛さがあるものだよね…。

何より、痴呆症などで自分の心が失われてしまったら。もはや自分では認識できないかもしれないけれど、周りに負担だけをかける存在になってしまったらと考えると、居た堪れない。

そんな自分であっても包摂してくれる社会を夢見た方がいいのだろうか。

2022-05-24

anond:20220524141031

ナイス孝行。

おれも昨日、痴呆症になってじった祖母介護する母の夢をみたので、母に何かしてあげないといけないと思った。

2022-04-30

anond:20220430085859

「うっせえな!!」とかなら感情的になってるだけだけど

老人に対して痴呆症が進んでるって言葉は突発的に出ないよね。

苦しんでる人がたくさんいる病気だし。突発的に言うには憚られる言葉じゃん?

うわー。なんか怖いわこの人。

2022-04-27

パターン化と偏見それからstigma』

https://note.com/eajoydm/n/n1e81a63795d0

この記事って糖尿病へのスティグマへの批判という意味では割と良い事言っていると思うんだけど

まず何よりも一番スティグマ感を与えているのって「糖尿病」というネーミングそれ自体じゃない?

その病名をそのままに放置した上で自己責任じゃないとか誰でもなるとか言われたっていまいち説得力を感じない。

この人のTwitterアカウントの方を見たら「糖尿病」という病名そのものを変える事には否定的なようだったし

スティグマ問題視しているにしては随分と手ぬるいなと思ってしま

名前を変えても偏見ゼロにはならないだろうけれど現に「精神分裂病」が「統合失調症」に、「痴呆症」が「認知症」になった事により

多少はイメージが良くなって、当事者家族気持ちが楽になったという例があるんだし

(まあ前者は「糖質」などいう新たな差別用語が増えた訳で、名称を変えればそれで万事解決という訳ではないが)

2022-04-17

おばあちゃんがしんだ

それはいもの平日の通勤だった。

バスに揺られながら、朝から小室さんが司法試験に落ちたニュースを見て「こりゃ針の筵だなーコムも」とか、阪神いくらなんでも負けすぎだろここまでくると笑えるとか、個人的に物珍しいニュースを次から次へと見ていたら、ラインの通知が来て「おばあちゃんが亡くなりました」って。

えっ?って思って一瞬パニックに陥って、妻のばあちゃんなら2ヶ月前に亡くなったけど、他にどのばあちゃんが亡くなるんだよ?なんて、考えたくもないことは無意識的に排除しちゃったもんだから(ていうか妻のばあちゃんにすごい失礼)、うまく事態が飲み込めなくて、ラインの通知をタップしてメッセージ全文を読んでやっと「あ、俺のばあちゃん亡くなったんか」て事態を飲み込んだ。

ばあちゃんは100歳を超える大往生で、この2,3ヶ月は骨折入院しちゃって最後あんまりご飯食べられずに亡くなっちゃったんだけど、それまではずっと自宅で健在で、ちょっとたまに記憶が混乱する時はあったけど、痴呆症って感じもなくて話もしっかりできて、ほんとーーに最後まで立派で、ある意味他の人にあまり迷惑をかけなくて、本当に本当にすごいばあちゃんだったけど、そんなばあちゃんが亡くなっちゃってさ。

やさしくてすごい好きなばあちゃんでさ、怒られた記憶ほとんどなくて、俺の中の理想のばあちゃん像でさ、お嬢様育ちだったから「〜なのかしら?」みたいな言葉遣いで、いまだにお嬢様言葉使ったりしててさ、そういうとこも好きだったもんだから、本当さ、え?死んじゃったの?って。

コロナ流行りだしてからはさ、当たり前だけど全然会えなくてさ、俺、子どもが生まれたんだけど、コロナ前の0歳くらいの時に一回あわせてあげられただけでさ、クソかわいい息子にもっとあって欲しかったのに、あと少しでコロナちょっと落ち着きそうな雰囲気もありそうだったから、そろそろなんて思ってたら入院しちゃってさ、もうちょっともうちょっとしたら会わせられるかななんて思ったら、亡くなっちゃってさ。本当、ああそれが心残りだったんだよな。

大往生だしさ、ばあちゃんもよく「十分生きた」みたいなことは何年も前から言ってたし、そりゃ30で息切らして生きてる俺からしたら100年も生きた人にまだまだがんばって生きて!なんて簡単には言えないわけよ、戦争とか色々浮き沈み激しい波瀾を経験してきてたわけだしさ、俺みたいな舐め腐った人生よりも何倍も苦労してるわけ。そんなすごい人にまだまだ生きてなんてさ、言えるわけないじゃん。本当はお疲れ様とか、そんな言葉かけるべきじゃん?でもさ、やっぱりもうちょっとだけひ孫に会って欲しかったわけよ、俺の自慢のかわいい盛りの息子にさ。色々喋るようになったしさ、順調に元気に育ってるねって褒めて欲しかったわけよ。でもそれも叶わずでさーああばあちゃん

お疲れ様、本当お疲れ様。すげーよ本当最後まで生き切ったよ。かっこいいよ。ありがとう四十九日にゃよろしく

2022-03-28

嘘松と言ってる人もいるが、個人的には「虚言」だとは思えない。

https://anond.hatelabo.jp/20220327100332

https://anond.hatelabo.jp/20220327173631

自閉症、強度行動障害というのを知っているからだ。

家族負担は大きい。

痴呆症の老人にもある話で、負担の大きい介護にも当てはまる部分が有る。


そこそこ晩婚だった私達は、不妊治療を施しても子供ができなかったが、

自分としては子供ができなくて良かったと思っている。

(これは口が裂けても言わない事にしているが。)

高齢出産医療関係者によれば35歳以上での出産は〇高の印が押される)の危険性を聞かされていたし、

若くない親の場合育児に関して体力的な負担が大きい事も聞かされていたからだ。

相方はそれでも子供が欲しかったのだろうか。

2022-03-06

初代マクロス世代若者も、今は軽度の痴呆症や物忘れに苦しむ年齢になってしまいました

この動画が、覚えていますか?を連呼するのは、そういった世代への布石意味もあったのでしょう

私も老人ホームに入るようになったら、可愛い女医さんや介護士さんに、

覚えていますか?増田さん、これ、覚えていますか?を連呼されるのでしょう

しかし、私は妻子を覚えているのに、現実にはそんな妻子は存在しなかったのです

日々ゴミ収集車運転し、妻子を養ってきたのに、

そんな妻子は存在しないと警察に告げられたのです

覚えていますか?

ええ、段々と思い出してきました

私には子供どころか、妻さえもいなかったことを…

美少女アイドルとオバサンと三角関係になったこともスクリーンの中での出来事だったことを…

私はずっとひとりだった…、そう、ずっとひとりだったのです…

覚えていますか?を連呼する動画を眺めていて、やっと真実自分を思い出してきました

2021-11-19

トマト氏のマンガを読んで思い出したこと

破戒!令和因習

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496597015318

アッコちゃん世界一

https://www.pixiv.net/artworks/94094648

作中の女性たちに、実家にいる母の姿を重ねた。

自分過去北海道で産まれ幼児期から東北に住み、就職を機に上京し、今も東京に住んでいる。

東北引っ越したのは、母の再婚理由だった。

その頃から物心がつき、徐々に母を取り巻く状況を理解した。

母の職業看護師であり、兼業主婦だった。

血の繋がらない父(義父)が家事をしている様子はなかった。

祖母はいつも母をイビり、また義祖父はいつも呆けた表情をしていた。

まれときから今まで、本当の父の顔は知らない。

今思えば、父に捨てられたかあるいは事故等で無くなりシングルマザーになった母を、義父が身売りのように貰い受けた再婚だったのだろう。

家族の面倒事をすべて引き受けさせられていた母。

仕事の他、家事家計はもとより、自分を含め3人の子供達(種違いの妹と弟)の子育て。

義父は気難しく子育てには非協力的で、機嫌がいい時に相手をしてくれる程度だった。

祖母も血の繋がった孫には甘いが、血の繋がらない私には厳しかった。

存在感の薄い義祖父は25年程度前に無くなった。

祖母は15年ほど前から寝たきりになり、そして痴呆症になった。

(現代では認知症と呼ぶが、あえてこういう書き方をする)

痴呆になった義祖母の面倒を見たのは、当然ながら母だった。

祖母最後にあったのは5年ほど前。

既に私の顔も名前も忘れていた。

学生の頃、クソババアと呼び喧嘩したが、正真正銘の糞(を垂れ流す)ババアと化していた。

そのクソババアの糞を片付けていた母。

イビってきた姑の介護という苦行。

幼少期、甘えたがる私に対する母の口癖は、「自分のことは自分でやりなさい」だった。

その言葉を重ねるなら、「自分のクソは自分で片付けろ」になる。

コロナによる緊急事態宣言が出ていた頃、義祖母が無くなったと連絡を貰った。

祖母の死は、悼むより、母にとっての負担が減ったことに対する安堵の気持ちが大きい。

このタイミングはチャンスと捉え、葬儀のための帰省自粛した。

先日「今度の正月同窓会があるから帰省しない?」と旧友から誘いを受けた。

九州に負けず劣らず、東北男尊女卑が厳しい。

中年になった同級生女性たちに再開したとき、きっとアッコちゃんの姿を重ねるだろう。

今思えば、長男なのに実家を出るときの引き止めがほとんど無かったのは、家との血の繋がりが無かったのと、母が義父達を説得してくれていたのだ。

制度男尊女卑が母の人生搾取した結果として、家族バラバラになり、私は東京自由謳歌している。

(義父に対し愛想をつかした妹と弟も、今は実家を出ている)

義父にも早く死んで欲しいという気持ちがあることは、否定できない。

それによって母が再び自由になれるのだから

最終的に主張したい事としては、母及び同様の苦労をしてきた女性たちに対する感謝と労いの気持ちと、今度は私達の世代が家父長制をぶち壊し搾取階級もぶっ殺してやるよという決意である

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