はてなキーワード: 痴呆症とは
間違い電話の折り返しで母と話したとき,祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.
祖父はかなり前に他界している.祖母は一人暮らしで痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.
最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.
年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子の一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.
母から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代や親族がそれを許さなかったそうだ.
おぼろげながら思い出せる会話からも教養の片鱗は覗かせていた.
2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.
理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父にレイプされたそうだ.
母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.
当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.
そのときの母の絶望は想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係は破滅した.
私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.
因果関係は不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.
短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.
小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.
いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神を病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁でお気に入りの自転車のサドルをめった刺しにした.
私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費も負担してくれる程度には父は稼いでいた.
勉強や研究は楽しかった.指導教員にも恵まれ,JASSOの奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.
私は病んだ.祖母を憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.
ほどなくして不登校となり,カフェインのLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.
上京した先で家庭を築き仕事をしていると、ふとした瞬間に20年30年後のことが頭をよぎる。
何不自由なくスクスクと育ててくれたことにむしろ感謝の気持ちで溢れているくらいだが、その親もいつまでも元気なわけでもない。
どんどん老いぼれていく親を見る度、痴呆症の祖父祖母の大往生と親の苦労を目の当たりにしたときに感じた気持ちを思い出す。
絶対に同じ目に遭いたくない。
足腰が立たなくなったり病気で入退院を繰り返すようになったら?関東から地元へ往復しなきゃならないのか?全部片付いたあと土地の相続とかどうすればいいの?
生存のために他人の扶助を必要とするようになったり、鬼籍に入ったのちの面倒なやり取りでこちらの生活に牙を剥いてくるかもしれないと思うと憂鬱になる。
そんな気持ちに付き合っているうち、隣国から頻繁に発射される兵器とけたたましく響くスマホのアラートを耳にする度に「実家にピンポイントで落ちてくれたらな」と思うようになった。
今抱えているぼんやりとした不安や将来への憂鬱な気持ちが一気に晴れるのに。
実際にそうなれば、楽以上の悲しみや怒りが強く湧いてくることと思うが、想像の中では自身に降りかかりうる問題を埒外のパワーで事前に解決されることを期待してしまう。
親は今年で65。
15年ぶりに実家に戻って2ヶ月くらいたつ。
ずっと一人暮らしだったので、家に自分以外の存在がいるというのになかなか慣れない。
で、父がおそらく65~68歳くらいなのだが…「ボケてはいないけど、近所のうざいおっさん」くらいになっててしまって非常につらい。
昔から少し怒りっぽいところがあったが口に出る前に抑え込めていたのが我慢できないようになってしまったみたいで、
「自分が理解できない話をされると機嫌が悪くなる」「自分の意見が聞き入れられないと怒り出す」という加齢かなあと思うものもあれば
「深夜に掃除機をかけはじめる」などのわりと痴呆症入ってきてるんじゃないかという行動もするようになっていた。
あと母に暴言…とまではいかないが喧嘩腰で話すことも多くなっているように感じる。
おばあちゃんが非常に穏やかな人でボケずに大往生したのもあり、身内がこんな風に変化してしまったのに驚いている。
兄と弟もいるのだが、この二人はずっと実家にいたので、こんな状態の父とは冷戦状態で勢力図が父・母弟・兄・の三国志状態になってしまっている。
このまま加齢が進んでいったらテレビでよく見る暴言をはいて周囲に当たり散らす老害になってしまうのではないかと不安だ。
自分にできることはなんだろう…と考えてみたものの、一刻も早く家を出て遠いところで働き始めるしかないという結論がでてしまった。
育ててもらった恩はもちろん、ありがたいと思うけど「近所のうざいおっさん」の面倒を見る気にはどうしてもなれなかった。
メガバンクや商社の後輩(1990年代)で顕著だなぁと感じたのは、20代で結婚、出産している点かな。
(この20年ぐらいで、女性行員が本当にそれ顕著だなぁと感じる)
ワシ等の世代は20代は遊びたいという意識だったのだけど、彼らの意識は子育てを先にクリアして40~50代以降を自分の人生を生きようというらしい。
子飼弾さんも似た事言ってたのを思い出した。
アラフィフになったけど、後輩らの思想がベターだなと感じるよ。
もちろん、十分な福利厚生と経済的基盤があればなんだけど……。
ブコメには子供を自分のQOLに利用するなとか、子育てのリスクもあるので隣の芝生とか意見もあるけど、
はっきり言うと今の日本の高齢者福祉や、一般人の高齢者に対する意識(件の高齢者は自決しろとか)を鑑みるに、相当な資産が無いと老後の人生はかなり難易度が高いと思う。
ちょっとした骨折は、10年ぐらいのスパンで100人に1人ぐらいの割合で発生すると思うが、30代の骨折と50代の骨折と80代の骨折は本当に訳が違う。
80代の骨折は、部位にもよるがほぼ死刑宣告だからね。落ちた筋力は、並々ならぬ努力人で無いと回復しない。そのまま寝たきりになり痴呆症になり看護もままならず死ぬ。
そういった現実は、20代では本当に判り辛く、歳を追うごとに友人知人や家族の問題として現実として実感してくる。
いや、キリスト教の様に「死んでも主の元へ」なら、高齢者は皆死ねで良いんだけどね。僕らの宗教観は死ねば電源Offな訳じゃん。)
俺のイメージだと子孫が資産管理して毎月の利用料収めてくれないと成立しない気がするんだよな。
保護者である子供が老人の金を預かった上でその中から払うって形だよな?
違うの?
でもそうなると老人ホームの中で老人が金の管理することになりそうなんだが、それって無理でしょ。
一部の人が痴呆症の最終処理場として利用している以上は、あの空間の中で金銭を安全に管理することはできないと思う。
じゃあ独身の人間って老人ホームにも入れずに死ぬしかないのかな?
俺なんとなく自分はアルジャーノンのラストみたいな感じで自分が入る老人ホームの手続きをするものだと思ってたんだが、よく考えるとそういうシステムなのか知らねえって気づいた。
教えてくれよ。
https://note.com/eajoydm/n/n1e81a63795d0
この記事って糖尿病へのスティグマへの批判という意味では割と良い事言っていると思うんだけど
まず何よりも一番スティグマ感を与えているのって「糖尿病」というネーミングそれ自体じゃない?
その病名をそのままに放置した上で自己責任じゃないとか誰でもなるとか言われたっていまいち説得力を感じない。
この人のTwitterアカウントの方を見たら「糖尿病」という病名そのものを変える事には否定的なようだったし
スティグマを問題視しているにしては随分と手ぬるいなと思ってしまう
名前を変えても偏見がゼロにはならないだろうけれど現に「精神分裂病」が「統合失調症」に、「痴呆症」が「認知症」になった事により
バスに揺られながら、朝から小室さんが司法試験に落ちたニュースを見て「こりゃ針の筵だなーコムも」とか、阪神いくらなんでも負けすぎだろここまでくると笑えるとか、個人的に物珍しいニュースを次から次へと見ていたら、ラインの通知が来て「おばあちゃんが亡くなりました」って。
えっ?って思って一瞬パニックに陥って、妻のばあちゃんなら2ヶ月前に亡くなったけど、他にどのばあちゃんが亡くなるんだよ?なんて、考えたくもないことは無意識的に排除しちゃったもんだから(ていうか妻のばあちゃんにすごい失礼)、うまく事態が飲み込めなくて、ラインの通知をタップしてメッセージ全文を読んでやっと「あ、俺のばあちゃん亡くなったんか」て事態を飲み込んだ。
ばあちゃんは100歳を超える大往生で、この2,3ヶ月は骨折で入院しちゃって最後はあんまりご飯食べられずに亡くなっちゃったんだけど、それまではずっと自宅で健在で、ちょっとたまに記憶が混乱する時はあったけど、痴呆症って感じもなくて話もしっかりできて、ほんとーーに最後まで立派で、ある意味他の人にあまり迷惑をかけなくて、本当に本当にすごいばあちゃんだったけど、そんなばあちゃんが亡くなっちゃってさ。
やさしくてすごい好きなばあちゃんでさ、怒られた記憶もほとんどなくて、俺の中の理想のばあちゃん像でさ、お嬢様育ちだったから「〜なのかしら?」みたいな言葉遣いで、いまだにお嬢様言葉使ったりしててさ、そういうとこも好きだったもんだから、本当さ、え?死んじゃったの?って。
コロナが流行りだしてからはさ、当たり前だけど全然会えなくてさ、俺、子どもが生まれたんだけど、コロナ前の0歳くらいの時に一回あわせてあげられただけでさ、クソかわいい息子にもっとあって欲しかったのに、あと少しでコロナもちょっと落ち着きそうな雰囲気もありそうだったから、そろそろなんて思ってたら入院しちゃってさ、もうちょっともうちょっとしたら会わせられるかななんて思ったら、亡くなっちゃってさ。本当、ああそれが心残りだったんだよな。
大往生だしさ、ばあちゃんもよく「十分生きた」みたいなことは何年も前から言ってたし、そりゃ30で息切らして生きてる俺からしたら100年も生きた人にまだまだがんばって生きて!なんて簡単には言えないわけよ、戦争とか色々浮き沈み激しい波瀾を経験してきてたわけだしさ、俺みたいな舐め腐った人生よりも何倍も苦労してるわけ。そんなすごい人にまだまだ生きてなんてさ、言えるわけないじゃん。本当はお疲れ様とか、そんな言葉かけるべきじゃん?でもさ、やっぱりもうちょっとだけひ孫に会って欲しかったわけよ、俺の自慢のかわいい盛りの息子にさ。色々喋るようになったしさ、順調に元気に育ってるねって褒めて欲しかったわけよ。でもそれも叶わずでさーああばあちゃん。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496597015318
https://www.pixiv.net/artworks/94094648
自分は過去に北海道で産まれ、幼児期から東北に住み、就職を機に上京し、今も東京に住んでいる。
血の繋がらない父(義父)が家事をしている様子はなかった。
義祖母はいつも母をイビり、また義祖父はいつも呆けた表情をしていた。
今思えば、父に捨てられたかあるいは事故等で無くなりシングルマザーになった母を、義父が身売りのように貰い受けた再婚だったのだろう。
家族の面倒事をすべて引き受けさせられていた母。
仕事の他、家事家計はもとより、自分を含め3人の子供達(種違いの妹と弟)の子育て。
義父は気難しく子育てには非協力的で、機嫌がいい時に相手をしてくれる程度だった。
義祖母も血の繋がった孫には甘いが、血の繋がらない私には厳しかった。
義祖母は15年ほど前から寝たきりになり、そして痴呆症になった。
既に私の顔も名前も忘れていた。
学生の頃、クソババアと呼び喧嘩したが、正真正銘の糞(を垂れ流す)ババアと化していた。
そのクソババアの糞を片付けていた母。
イビってきた姑の介護という苦行。
幼少期、甘えたがる私に対する母の口癖は、「自分のことは自分でやりなさい」だった。
その言葉を重ねるなら、「自分のクソは自分で片付けろ」になる。
コロナによる緊急事態宣言が出ていた頃、義祖母が無くなったと連絡を貰った。
義祖母の死は、悼むより、母にとっての負担が減ったことに対する安堵の気持ちが大きい。
このタイミングはチャンスと捉え、葬儀のための帰省は自粛した。
先日「今度の正月、同窓会があるから帰省しない?」と旧友から誘いを受けた。
中年になった同級生の女性たちに再開したとき、きっとアッコちゃんの姿を重ねるだろう。
今思えば、長男なのに実家を出るときの引き止めがほとんど無かったのは、家との血の繋がりが無かったのと、母が義父達を説得してくれていたのだ。
家制度や男尊女卑が母の人生を搾取した結果として、家族はバラバラになり、私は東京で自由を謳歌している。
(義父に対し愛想をつかした妹と弟も、今は実家を出ている)
義父にも早く死んで欲しいという気持ちがあることは、否定できない。
最終的に主張したい事としては、母及び同様の苦労をしてきた女性たちに対する感謝と労いの気持ちと、今度は私達の世代が家父長制をぶち壊し搾取階級もぶっ殺してやるよという決意である。