はてなキーワード: 橋下弁護士とは
ショボい証言や関係無い話を盛って印象操作しかできなくなってきてる
沖縄の話やマッサージ店の話を追加したところで主軸となる記事の性加害については補強されないぞ
おまけに松本はテレビに出てないし、擦り続けたせいで読者飽きてるから
もはや週刊誌大好きなはてブですら上位に上がってこなくなってて
雑誌の売上げには直結してないのにまだやってるあたりが相当焦ってるようにしか見えない
こんなことしても世間的な評判は多少落ちるかもしれないけれど裁判には関係ない
文春としては裁判を諦めさせるしかなくて、元編集長とかまで動員して「松本は裁判で不利!」みたいに言ってるけど
一貫して松本側は折れないし5億の損害賠償裁判に向けて淡々と裁判対策してる
偉そうに橋下弁護士が「文春は証言者が居ることを報じただけ」とか言ってるが、その言い訳は通用しないって最高裁判決出てるのにな
ワタベとか他の芸人みたいに謝罪会見開いて引退するかYoutuberになるとでも思ってたんだろうな
紳助もそうだったけどこのくらいの芸人は漏れなくゴリゴリに資産運用してるから芸能活動なんていつでも辞められるのに
それでも裁判起こしてるのはただただ松本が週刊誌が嫌いだからなんだけど
そんなこと分かって記事書いたんじゃないのかな
「写真なり音声なりの確実な証拠を握ってるってことだろうなぁ」
と思ってたんだけど、今の今まで何も無しって、相当ヤバイでしょう
18歳〜60歳の国内男性の国外移動を禁止したゼレンスキー政権の決定に対して「逃げたい人の逃げる自由を尊重すべき(意訳)」だと言った橋下弁護士。
西側がウクライナが求めているレベルの支援には応えず、あくまでロシアと自国やNATOが戦火を交えない範囲の限定的な支援に留めている状況に対して「西側はウクライナが求めている支援には応えず、ロシアと戦争にならない範囲においてのみ支援している。これは自己満足。(意訳)」だと言った橋下弁護士。
彼がこんなに良い意味で青臭い感性を持っているとは思わなかった。
プーチンは目下自由主義陣営の敵として扱われているが、それならば戦争から国外に退避したいウクライナ人男性の逃げる自由を封殺したゼレンスキー政権に対して無批判な自由主義陣営に俺は欺瞞を感じていた。
また西側の限定的な支援に対しても、結局西側は遅かれ早かれウクライナが陥落する未来については受け入れる心積もりなんだな、と欺瞞を感じていた。
俺は今なら橋下弁護士と酒を飲める。
橋下弁護士がやたらウクライナ関連の発言をしているせいか、橋下弁護士の考え方について論じる人が多い(観測範囲)
https://twitter.com/osaka_seventeen/status/1499634751434821633
これは芯食ってない気がします。ブクマコメントも半分以上そんな感じ。
”ttps://twitter.com/bokukoui/status/1499013371718672384
”「力のあるものには総取りする権利がある」、これが橋下らの世界観”
ttps://twitter.com/bokukoui/status/1499013371718672384
”常に相手との「上下関係」を測り、少しでも上に立とうとして攻撃して回ります。そうやってマウンティングして「下」の者に威張り散らすことが一番大事”
https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1497886564470251523
これはマウントしているとかではなくて単純に
「死ねばいいのに(婉曲)」でしょうね
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
オレは橋下徹は嫌いだ。タレント弁護士ならともかく、知事にしちゃいかんでしょ。でもさ、ほんっと釣られ過ぎなんだよ。なんで橋下の強制執行だってだけでこんなネタになるんだよ。あんなのはガン無視するのが一番いいって分からんか。ほんっと死ねばいいのに。
だいたい彼が知事になれたのは、いやそもそも立候補できたのは、そのまえに大阪市長選挙で平松邦夫が当選しちゃったことの影響が大きいと思うよ。あれでみんな、テレビの有名人なら簡単だとおもったし、事実そういう流れになっちゃった。
平松さんを当選させたのも橋下弁護士を通したひとたちも、多分一緒だ。平松さんてMBSでニュース読んでた人やんな、まじめで誠実そうやから、ええんちゃうん?橋下弁護士ていっつもテレビではっきりものを言う人やんな。辛気臭い学者さんよりええんちゃうん?いったいなにがちがうんだ。で、やってることにそう大きな違いがどうやらありそうにない。ようは橋下は目立つってだけ。釣られれば釣られるほど、思うツボ。
ポジショントークもいいけど、ようはこのバカな市民とやらが問題じゃないのかよ。小泉改革に熱狂したのも、宮崎の県知事にたけし軍団の番頭格を投入させたのも、みんなおなじでしょ。アメリカの最近の騒ぎ見てたら、バカは救いようがないとやっぱりおもったけど、それにしても連中は、自分の利害損得を引き受けてるだけ、まだましだ。だからなんとか法律だけは通った。
それに引き換え日本は、とかいいたくないけどさ。本当に批判すべきは、橋下じゃなくて、アホで救いようがない市民とやらじゃないのかよ。左翼の皆さんよ。
高等学校の生徒さんじゃないんだから。
(いやそれともそんな若い子がカキコしてんのかな?いたらゴメンよ。「ふみコミュ」あたりが無難かもしれません。ネットは危険なとこもあるから。)
とにかくやっぱ幼稚だよ。国立なんて文系受験者でも理系科目解くわけじゃない?いまの文脈の文系者って、たんに「数学ニガテ??」ってだけで選択した所もあるでしょ?それに理系ったって、人間なんでね、勝手に冷たいイメージ作ってるか知らんけど、。
たとえば、関西の技術者なんて、電話口でも「まるい、やさしい」物腰で、悪い気しないんだよ。俺今、関西見直しててさ。三重生まれだけど。赤福食べたくなったな。橋下弁護士好物なんだろう?
さいごはお茶が怖い。
どうやら府知事には橋下弁護士が出るらしい。阪大の教授を民主がかつぐらしいが、まあ、橋下弁護士で決まりだろ。
で、彼で大阪が良くなるかと?
いんや、変わらないだろ。ひょっとしたら府の役人の給料を下げるくらいはできるかも知れんけどさあ。
土光臨調以来の節約路線なんか取ったってむなしいものだ。
大阪も含めた地方の衰退というのはいくら知事ががんばったってなんともならんもんだ。
だって、地方の衰退は国の政策なんだもの。みんな小泉に拍手喝采してただろ?
あいつは最初からこうするつもりだったんだぜ?
今更「格差」「格差」とか騒いでる奴の脳を見てみたいもんだ。
そのまんま東が宮崎県さんの農作物や鶏肉なんかをアピールしてがんばってるじゃないか!と言う人もいるかも知れんけど、
国民の平均所得はここ数年ずっと下がりっぱなしだ。宮崎県産のものを買った分、他の支出を切り詰めてるだけで、その分どっかの
県が割りを食ってるだろう。
本当の意味で内需拡大に国が方針を転換しない限りは誰が知事になったって輸出業者が高笑いするだけだ。
橋下も言ってた「内需拡大とかいいながら結局公共事業しかしてないじゃないか」
そのとおりだ。その最大の理由は、癒着などではない、他にばら撒く(=内需拡大)手段がないからだ。
だから橋下よ。お前が内需拡大のいい手段を考えてくれ。
それができればお前は超一流だ。それができない場合は。。。
「朝日、共同、毎日の「お粗末」 橋下弁護士出馬報道(J-CASTニュース)」
↓
結局毎日新聞の記者のほうが自民党の内部に食い込んでいたか・・・
「「橋下弁護士、大阪府知事選に!」の誤報?はどこから…朝日新聞・共同新聞・毎日新聞の報道の謎」
で文句言っていた人もどうするんだろう?政治は複雑怪奇。簡単にほんとのことはしゃべらんよ。
しかし単純に関係者がそういっているからって信じる人が多いんだな・・・。驚き。マスコミを鵜呑みにするのもアレだが、関係者の話を鵜呑みにするのどうかと。
橋下弁護士の話をしたいなら、そのsokとかいうやつのブログでやれば?
お前もsokも人の言動の上っ面やテキストの字面しか読めないやつのようだ。
http://www.yabelab.net/blog/2007/10/14-120907.php
しかし橋下って本当にすごいな。俺もこういう世渡りのうまさというか面の皮の厚さを身につけないといけないな
http://sok-sok.seesaa.net/article/59647055.html
橋下弁護士は不思議な人ですね。菊田氏が「被害者はね、絶対に癒されないんですよ。」と言えば「いや、だから、それがおかしい。誰に聞いたの?」と言い、直後に宮崎氏が「死刑を望むのは、遺族は癒されたいためじゃないんです。」と言えば「そう、癒されるためじゃないんですよ。」と言う。勝谷氏が「死刑でなければ本村さんが癒されない」という趣旨の発言をし、それに対して宮崎氏が即座に「だから、犯罪被害者は癒されたりしないんだって。刑罰によっては。」と指摘すれば、直後に橋下氏は「そう。それを勝手にね、死刑になったから満足するとか、そこがね、本当に分かってないなっていうか、満足なんかするわけないじゃないですか。人生ボロボロになって。」と言う。これで相手を論破したつもりでいるというのが信じられません。
しかし本人が懲戒請求を出していない。素人4千人に書かせるより御自身が一人だけでも書いた方が良かったのでは?
実際ほとんど門前払いみたいだし。
そもそもそうなったのはテレビで呼びかけたときにちゃんと制度を説明しなかったから。
呼びかけは制度があまり知られていないとの認識のもとに行ったはず。なのになんで説明しなかったの?
そんな状況にもかかわらずいまだ懲戒請求をだしていない様子。
2.弁護団の活動を妨害したかった
不法行為。実際これで訴えられた。
不法行為だからこそ慎重にすべきなのにテレビでの発言はかなり迂闊。
そもそも橋下弁護士に何の得が?
3.懲戒制度潰し
愚民どもの懲戒請求殺到→制度麻痺→制度見直し→懲戒請求しにくくなる。
誰でもできるという懲戒請求は橋下弁護士のようなメディアへの露出が多い弁護士にとってわりと脅威なのかも。
テレビで少し口を滑らしただけで全国から懲戒請求が届くかもしれないし実際少ないながらも届いていたのかもしれない。
でも体張りすぎだしそもそもこれで懲戒されたら話にならない。
4.売名行為
良くも悪くもタレントは知名度が大事。
5.俺みたいなのに騙されるな、という啓蒙活動(及び壮大な釣り)
やりすぎ。
追記
つらつらと思いついたことを書いてみたけど1以外の目標はそれなりに達成してるんだよね。
1が一番ありそうでなかったということか。
3は微妙だけど弁護士の懲戒請求制度に限らずこの手の制度は広く門戸を開く代わりにふざけた請求をするとただじゃおかんぞ、というバランスの上に成り立っている。
なのに請求者本人を訴えないとなると制度を改めない限り悪しき前例として残ることになるわけだからね。
いくつかサイト見たけど請求は通らない、的外れだということはわかった。
正直意外だった。俺も危うく橋下弁護士に釣られるところだったw
その流れで弁護団長の安田って人のことを調べたら(調べたといってもWikipediaを見ただけだけど)
どうやら只者ではないということを知りちょっと弁護団に味方してやろうかという気になった。
そうして考えてみると弁護側の主張は正しかったんじゃないかと思えてきた。
あの突飛な主張について被害者を侮辱してるとか裁判を馬鹿にしてるとかみんな言うけど
被告のそういう態度がわかったということはよかったのではないかと。
みんなもし自分が弁護人なら被告があんな主張をしても思い直すように言うよね?
俺もそうするだろうしあの弁護団もそうしようとしたと思う。
そしてもっと真っ当な裁判官を納得させるような主張を展開しようとするはずだ。
でもそれって正しいことなのか?
法廷は裁判官のご機嫌をとる場ではないはずだ。事実を解明して然るべき処分を下す場だ。
弁護人が被告に主張を思いとどまらせて捏造とはいえないまでもそれなりに体裁を整えた主張を用意することが事実の解明につながるとは思えない。
被告がこの期に及んであんな主張をする人間だという事実が隠されてしまう、という意味だ。
でもけっきょくそれで被告の罪が重くなるんだったら弁護士失格だろ?
という意見もあるだろうけどそれは違うと思う。
法廷は事実を解明して被告に然るべき処分を下す場、と書いたけど判決を下すのは裁判官だから
弁護人の仕事は事実を解明して然るべき処分を下せるよう手伝うこと、になるのかな。
なら罪を軽くしようとか無罪にしようとするのが弁護人の仕事ではないと思う。
結果として罪が軽くなったとか無罪になったとかそういう性質のものであるべきじゃないかと。
被告の突飛な主張に対してそれが法的にどんなデメリットがあるのかちゃんと説明して
それでも被告がその主張を取り下げないのであれば弁護人はその主張を法廷で展開するのが責務だしそれ以外に事実を明らかにする方法はないと思う。