はてなキーワード: 恫喝とは
ほんとそれ。
河合法相の数万円レベルの話とか公職選挙法スレスレの行為は誰でもやってると容易に想像できる。
(追記:今見たら数千万円単位の贈賄容疑なのか。それはちょっと重いね。政権が飛ぶか個人の問題かは判断つかないけど)
安倍首相のヤジが酷いというなら、他の議員はどのくらいヤジを言っているのかもしくは言っていないかを検証しないと意味がない。個人的にはヤジは全面禁止で即刻退場でもいいと思ってるけど。
安倍首相程度の名前貸しや間接的な利益誘引くらいなら政治家であれば誰でもやってそう。
もっというと表に出ないパワハラや恫喝は、政治の世界ではいまだに普通にあると思う。それは政治家の影響力や強さと表裏一体だから。
いつも事件が起きたあとで「あの議員は土下座を強要してた」とか「周囲をいつも恫喝してた」とかいうけど、そんなのその都度注意するべきじゃないか
「なんでまだ手配出来てないんだ馬鹿野郎土下座しろ」って言われたら「うるさいクソハゲ国会議員ごときが偉そうにすんな」って反論すればいいし
「俺は国会議員なんだぞ分かってるのか」って言われたら「付加価値一切産み出してない屑だということは理解してますよ」と言い返せばいいい
みんなが政治家ごときにへこへこするから勘違いするんだ もっと政治家を見下す風潮を広めるべきなんだ
「え?政治家 民間に勤務するだけの能力なかったんだね」とか「うーん国会議員か そんなところにうちの娘は嫁にやれないな」という価値観が根付けば日本ももっと良くなると思う
・「中国政府はちゃんと対処している」とシナの代弁ばかりするR4
・「人から人への感染はない。直ちに影響はない」と言い張る耳たぶデブ
・「コロナウイルスをつけちゃうぞー」と記者を揶揄って大臣辞職する鉢呂
・「中国政府が隠ぺいしていると書いたらその社は終わりだ」と恫喝するドラゴン
・ドラッグストアにマスクを買いだめに走り「俺を誰だと思っている」と行列に横入りする松ジャギ
・「これは俺が歴史に名を遺すチャンスだ」と喜ぶが実際には何もせず「俺に決めさせるな」と怒鳴り散らすアレ
・ペットボトルのミネラルウォーターで沸かした風呂に入る消息不明の主席
・病院に完全装備()で見舞いに行くEDN
・市中のドラッグストアを視察してカメラの前で山積みのマスクを手に取るしかめっ面のR4
・ボランティアで全国から寄せられたマスクを手前の息のかかった組織に仕切らせるバイブ
・国内がこの有様にもかかわらず、悠々とアロマのうんちくを傾けるキクタ
・周りがマスクと白衣といういでたちの中、宇宙飛行士と見間違えるような重装備のEDN
・「マスク値下げ隊」を結成、隊長は川内博史、マスコットガールは太田和美
多感で世間知らずで、バカも利口もいて、将来があったりなかったり、お金があったりなかったり。
そういう高校生たちが野球という最低なスポーツの餌食になっているのが不憫で仕方がない。
自分で選んだ未来だからといっても、野球はあまりに裾野が広い地雷だ。上下関係や野球道具の高さなんかは序の口。一番つらいのは学校単位での優劣があること。自身の運動神経は、チームというグズの中で埋もれてしまう。
球技というもののなかでも野球は特にアンバランスだ。野手なんかは誰も気にしない。全てはバッターと投手だけの世界。そんな世界でちょっと足が速いとかジャンプ力がいいだけでは全く注目されることはなく、才能を枯渇させる。
本来その人に適したスポーツや学問や芸術が合っても、野球の中では全てが意味をなさない。野球に特化させられ、野球以外は全部無駄と教えられる。それが高校野球の真価。
彼らは頭を丸めさせられ、20年前の指導しかできない大人からの恫喝を受け、親は出費に苦しみ、甲子園に出れなければグズと言われ、チームの誰かが痴漢すれば活動は停止。
甲子園が全ての世界。そして甲子園にいったら土を集めなければならない。ブラスバンドは野球部の付属品となり、ビールまみれのオヤジたちが野次を飛ばす。あまりに理不尽だ。
なんとか座席を確保し、ほっと一息ついていると大きな揺れが。
そのはずみで前に立っていたおじさんが抱えていたカバンの角が顔面にクリーンヒット。
不意打ちのあまりの衝撃に声も出ない。
なんとか相手の顔を見てようやく痛みが追いついてきて、思わず声を上げた。
「イッターい!全然大丈夫じゃないですよ!」
その時のオッサンの目といい、顔つきといい、今思い出しても背筋が凍る。
ぶつけたことをなんとも思っていない、こちらを見下したようなうんざりした目。
おざなりにもう一度、「すみませんでした」と気持ちのこもっていない言い方で謝罪。
一歩間違えば失明だぞ。信じられない。
「カバンがあたったのは申し訳ありませんが、僕それほど怒られることをしました?」
「僕それほど怒られることをしました?あ?」
こいつは関わったらいけないサイコパスだ。
そう直感的に思って、黙ったまま下を向いてもう目を合わせないようにした。
ふつうのくたびれたリーマンに見えるのに、相手が女で自分より弱そうというだけで傷害の上に逆ギレして噛み付くんだと思うと恐怖を感じた。
そんなことを考えながら下を向いて自分の手を見つめていた。
対象が登場したら(もしくは存在するだけで)何をやっても必ず中傷する人から、対象が法的に違法レベルに達するまで口を開かない者までいる。
何をやっても必ず中傷する奴や、"誹謗中傷する為に"行動している奴、
こいつらはまず全員クソ。頭チンパン。幼稚園児に申し訳が立たないぐらいの存在。全員宇宙のごみとして瞬時に消えて頂きたい。
この場合、殆どの人は誹謗中傷される人は悪くないと感じるだろう。
もっと深層心理を掘れば具体性のある感情が出てくるかもしれないが、だいたい顕在化しない。
そしてなんとなく気に入らないだけだから、その主張に正当性は殆どないし、仲間の数が少ない。
ところが、こうしてみると「炎上した奴が悪い」という発想になってこないだろうか。
だって炎上したそれ相応の事をしているはずだからだ。批難もまた相応。
いわゆる正義マンが大量に飛んでくる。法に触れるレベルになってくるとその数は大きく膨れ上がる。
さらに法や契約のようななんらかの規律が正当性を担保してくれるから戦闘力が高まっていってしまうのだ。
「この人は確かに悪い事をしたかもしれないが(〇〇をする)のは間違っている」
()の中には都度「人格批判」「暴言」「リプライ」「特定」などが入るが、大体このようにいう人が出てくる。
これは道徳上は最も正しいと思う。しかし一方で現実的ではないと増田は考える。
何故かというとそんなに理性的な人間は多くないからだ。悪い奴を見たら叩きたくなる奴が世の中にはとてもとても大勢いるのだ。
そこで踏みとどまれる人間ばかりだったら、そもそもこの世界に誹謗中傷なんてものは存在しないはずなのだ。
ではどうしたらいいかというと、誹謗中傷されても気にしないメンタルを持つのが一番良い。
A-1:台本だったとして、本件の責任の全てが脚本家にあるのか
A-2:出演男性に非はないのか
B:木村花氏のテラスハウスでの行動は犯罪(暴行・恫喝)の範囲であるか
C-2:1人による多重投稿ではなかったのか
口も育ちも悪い。
幼少期から「〜じゃねぇよ」「〜だろ」みたいな言葉遣いばかりしてきた。
女の子なんだからそんな言葉遣いしないでって親にも言われてた気がするけど、そもそも親から移った言葉遣いなので、さして厳しく矯正された覚えはない。
小学生の頃、同じ学区に養護施設があって、親が死んだり虐待された末に施設で暮らす子供が、だいたい学年の10%くらいいた。
施設の子供は、窃盗恫喝虐めを繰り返す不良から、いつも笑って心優しく振る舞う模範生まで様々だったので、人間性は家庭環境に寄らないのだと思っていた。
人見知りの恥ずかしがり屋で、授業で当てられると極小さい声で短く答えるような、でも仲のいい友達とはよく笑ってよく話せる、大人しめの子供だった。
私も似たような性格なので仲良くなって、休み時間も放課後もよく一緒に遊んでいた。
仲の良いAのことを施設の子だと意識せず一緒にいられたかというとそういうわけではなく、Aには一定の嗜虐性が見られた。
自分より弱い者に対して、小学生でも越えちゃいけないラインの罵倒を繰り返した。
加えておくが、A自身が自分より弱いと認める人間はごく僅かで、私は最初はAが誰かを見下すことすら想像できなかった。それくらいAはいつも大人しく謙虚な態度だった。
しかし、一度でも自分より相手が弱いと認識すると、聞いてるこっちまで苦い表情をしてしまうほどの酷い罵倒を勢いよく吐いた。
我々と同じクラスに、いつも浮いてしまう女子Bがいた。なんとなくクラスメイトからは軽い無視やいじられを受けていたが、本人は自覚がない上に正義感が強く、クラス委員を立候補するような人だった。(そして投票で落ちる)
ある日、白衣を忘れたので私服のまま給食当番をするAを、Bがやんわり咎めた。
咎めても仕方ないのだが、Bはそういう性格なので指摘せずにいられない、というようだった。でも出来るだけ優しく、言葉を選んで軽く注意した。
Aは激昂して、持っていた箸とアルミ皿を、音を立てて机に叩き置いた。
お前如きが、このブス、役立たず、しゃしゃり屋、吃り、ニキビ、死ね
そのあとも色々続けていたが、授業中では2cm以上開くことのない唇が大きく歪んでよく回っている様が目に焼き付いてしまって、他の言葉をよく覚えていない。
ただ、確かに最後は、「お前の皿にピーナッツ混ぜてやる」と言った。
Bは重度のピーナッツアレルギーで、給食では特別な待遇を受けていたので、クラス中がBに誤ってピーナッツを食べさせてはならないという認識を共有していた。
もはや脅しで、殺人予告だ。
徐々に衆目を集め始めたAは、ピーナッツで死ぬのなんかお前だけだ、と言って締めた。
インターネットで日々、差別や偏見を目の当たりにしている今読んでも、どこが超えてはいけないラインなのかと拍子抜けするかもしれない。
当時の私には、AがBを殺害方法を添えて殺人を宣言しているように見えた。給食当番のAには容易に為せるのだ。
本当に殺人が起きてしまう、という緊張感に、超えてはいけないラインが見えた気がした。
何度かラインを踏み抜いていくAを見てきた。あまりにも感情が昂ったときは、手を上げていた。
一度だけ施設に入るまでの話をしてもらったが、本人も詳細がわからないらしく、母親に連れてこられ、そのまま預けられたと言っていた。
口も育ちも悪いと自負しているが、Aの前でだけはそう言えなかった。