はてなキーワード: 居飛車とは
渡辺九段が「天彦さんや豊島さんは、(最前線の)研究合戦から降りた(12:48-)」と表現していたのが印象深かった。
しかし、「降りた」というのはネガティブな表現だけど、実際のところ、将棋は自由なゲームであって、相手に勝てるんなら当然何をやったっていいわけだよ。勝つために降りたんだと言ってもいい。
極端な話、藤井竜王名人が勉強時間の8割を序盤研究に充てていたとしたら、豊島九段が同じ8割を研究に充てても、差は縮まらないし、パソコンのスペックや研究効率でむしろ差は広がってしまうかもしれない。でも、研究が役に立たない力戦に持ち込めば、別のところで勝負ができる。だったら、研究以外のことに勉強時間を割いたほうが、結局は「地力が強くなって」勝ちやすい。プロ棋士レベルで地力が伸びる余地があるかは配信でも疑問が投げかけられていたけど(1:25:20-)、序盤研究も実戦対局も詰将棋も、将棋に関わる時間なら勝率にいくらかでも貢献するはずだ。そういう勝負環境のバランスがありうるし、実際にいまそれが起きている。
やがてそういう理由で仮に最前線が角換わりから振り飛車に移ってきたら、今度は振り飛車がAI研究で焼き尽くされるかもしれない。けど、幸いにして将棋はめちゃくちゃ広大なので、そもそも角換わりだってAIレベルでは焼き尽くしの途中だし、居飛車にも振り飛車にも枝葉に分かれた戦型は山ほどある。そして何より、AIがすべてを焼き尽くしても最終的には「人間にはすべてを覚えきれない」という絶対的な砦が残されている。
もちろん、もう一方には、増田康宏七段のように「相手の研究の隙を突いたり出し抜いたり、自分だけがもっと研究している局面に持ち込む」という方法で立ち向かう人もいる。
将棋の強い手は金脈のようなもので、坑夫(=棋士)がツルハシ(=人力)で掘りまくって、たまにデカい金塊(藤井システムとかゴキゲン中飛車とか)がゴロリ発掘されるのが面白かった。でもAIがガーっと重機で人間がとても掘れない深さまでひっくり返してしまって、「振り飛車はクソだったぞ、一番デカい金塊は角換わり腰掛け銀だけど先手必勝だったぞ」とか神目線で言ってくるわけ。
かつては振り飛車は対居飛車に慣れているけど、居飛車は対振りを相居飛車ほどやってないって非対称性(対抗形だけに)があったので、居飛車は対振りでハメられないように細心の注意を払わないといけなかったんだけど、今の居飛車は自信満々で、「これで大丈夫ってAIも言ってたし」状態。プレイヤーなら分かるけどこれは振り飛車の気分としてめちゃくちゃ苦しい。今はAIより前の人のこだわりとかでまだ多彩さが維持されてるけど、今後は奨励会とかも居飛車じゃないとプロになれなくなって行って、プロレベルの対局は全部同じような序盤になっちゃうんじゃないかな〜
もう人が掘れる極限を超えてしまっているから新定跡とか新手とかも発見されないわけだし、AIで将棋は面白くなったって言うけど一過性のもので、プロ将棋の寿命はかなり縮んじゃった気がする。
https://anond.hatelabo.jp/20231027224113
将棋にはゾルトラーク的なものがいっぱいある。猛威を振るったけど対策が研究されて下火になった、あるいは陳腐化した戦法たち。
横歩取り戦法で一時期猛威を振るった後手番の戦法。先手番が3四飛車で歩を取った後に、3三角として飛車を2筋に戻りにくくする戦法。
飛車が序盤から高いところで動くので空中戦法とも。90年代後半から2000年代のタイトル戦でよく指された戦法。
後に先手番の対策が進んで、後手番が不利になったこともあり横歩取り自体が下火になった。
穴熊自体は江戸時代からある古い戦法だけど、居飛車穴熊は意外と新しくプロが使うようになったのは1970年代。
振り飛車側の振り飛車穴熊や美濃囲いに対して更に硬さで対抗する戦法。
渡辺明はこの戦法と上記の横歩取り戦法で若くして竜王になった。
振り飛車側も下記の藤井システムを始めとする対抗策を開発したが、それでも長いこと主流戦法だった。
振り飛車自体が指されなくなったことに加え、将棋の質自体が玉の硬さから盤面のバランスや広さが主流となったことにより下火に。
四間飛車の戦法。藤井システムの藤井は藤井猛九段から。藤井聡太ではない。そもそも藤井聡太が生まれる前の戦法。
四間飛車は本来玉を早い段階で美濃囲いなどに囲って戦うものだったけど、居飛車穴熊戦法に対抗するために四間飛車から居玉のまま美濃囲いの形に進み、角筋を使って居飛車穴熊を妨害する構想。
開発者の藤井猛の竜王戦3連覇の原動力ともなったが、居飛車側の対策が進んで使われなくなった。
後手番が角道を明けたまま飛車を序盤に5筋に振る戦法。開発者の近藤正和七段がいつもニコニコごきげんだったからこの名前に。
それまで振り飛車といえば角道を止めて戦うのが当たり前だったが、序盤から角交換も厭わない攻撃的な戦法で革命的だった。
この戦法の恩恵を最も受けたのは久保利明九段で、先手番の石田流とあわせてタイトル戦や順位戦での活躍の原動力となった。
これも居飛車側が超速▲3七銀や超急戦など対策を開発、トップ棋士の振り飛車党減少もあり下火に。
ちなみにこれらの戦法は、羽生会長が全盛期によく指していた。一方で藤井八冠は公式戦ではほぼ指したことがない。
AI以降の将棋はゾルトラーク的な戦法開発というよりも、以下の序盤から終盤にかけて間違えないかという方向になっているので、
もうこういう画期的な戦法や新手は出てこないだろう。藤井聡太が藤井と名の付いた新手を出すことはおそらく無い。
「藤井八冠は公式戦ではほぼ指したことがない」なんて書いたけど、対抗型の居飛車穴熊は指していて負け無しだった。
あとこれらの戦法はプロの棋戦ではゾルトラークだけど、女流やアマチュアではまだまだ主流戦法。
『矢倉』とか『相掛かり』でも良い。
かつてそれは『ワザ』だった。『自身でスタイルとして選択する戦型』と考えても良い。
しかし今居飛車のいくつかの戦型は『将棋そのもの』のようなイメージとして捉えられるようになっている。
そのルートからちょっとでも外れて自分なりのポジションを取る(スタイルを出す)と、AIが「不利」を示すようになったからだ。
今でも自分なりのスタイルを出す戦型というのは実戦である程度現れてはいるのだが、
頭の片隅に、
「厳密な強さ(将棋というゲームの本質)からは外れているかもれない」
「対人線でのゆらぎを狙う形」
みたいな思考があって、どこかしら追い詰められるようになっている。
だから、今の棋士たちは昔にくらべて、その居飛車のいくつかの基本形について、当たり前のように、そしてある種強迫観念みたいな強烈なイメージを持って勉強することになる。
むかしからそれは「基本」ではあったにせよ、その基本形の意味合いがAI登場以降めちゃくちゃかわった。
「将棋の正解(本質)というものがそこにあるのかもしれない(なんならほぼ確定ぽい)」と思うのと、正解はないけど自分で突き詰める余地がある、のではかなり感覚が違うのであろう。
今日、遊戯王マスターデュエル(以下、遊戯王MD)というサービスが開始した。
前々からあっただろ、という人もいるかもしれないが、それはベータ版に近い何かだ。
遊戯王MDには、ほぼ100%に近い勝率で勝てる戦法が存在した。
分かりやすくするために、これがどんなものか将棋で例えてみよう。
1. 自分は必ず先手になる。
このとき、自分は居飛車穴熊にしか組むことができず、また相手の駒を取ってはならない。
3. 対局中、相手が王将を含む自分の駒を取る手を指したとき、この指し手を無効にできる。
……遊戯王も将棋も知らない人でも、これがどんなにぶっ壊れた戦法かは明らかだろう。
これをやられた相手は、一方的に鉄壁に組まれた陣形を相手にろくに駒も取れずに勝負することになる。
そのため、勝負が始まった瞬間(デュエルが始まり、ドライトロンカードを見せた瞬間)に投了するのが
まあ、ドライトロン以外のどの戦法でも、自分は10手指せるとか、3.の能力を3回までは使えるとか、
どの戦法でも大概ぶっ壊れてはいるのだが……
それでも、その能力の強力さ、発動できる量という点でドライトロンは飛びぬけている。
これをやるためのデッキ(カード群)は多少金がかかるが、逆に言えば金を払って集めたカードをただ出していけば、
元々ドライトロンは強力な戦法ではあった。それでも、本来他の戦法はそれに食い下がれる程度の力はあった。
回線切断ドライトロンが成立していたのには、主に二つの理由がある。
前述の通り、遊戯王のデッキというのは基本的にどれもぶっ壊れている。
そして、それを抑制するために手札誘発カードというカードがある。
これは基本的に後手が使うもので、最初に先手が発動した能力を強制的に止めたり、
自分だけカードを引けたりと、これまた強力な能力を持っている。
自分が先後どちらになるかは分からないので、みんなリスクとリターンをつり合いにかけ、
手札誘発カードを何枚かデッキに入れておく。一方で、入れれば入れるほど本来のデッキは弱体化してしまう。
手札誘発は、本来はデッキに不要な不純物だからだ。手札誘発をうまく本来のデッキに組み込む戦法もあるが、
手札誘発は基本的に後手が使う。なので、最初から手札誘発を減らすか抜いておくことで、
先手になること自体の有利性に加え、デッキ本来の強さを存分に出すことができる。
遊戯王MDでは、最初にプレーヤー二人の先後が確定した瞬間に回線落ちをした場合、
そのため先手を引くまで回線落ちを続け、先手を引いたら後はドライトロンカードを並べればそれで勝つことができた。
おまけに落とされた相手の画面は接続待機画面で短時間フリーズするため、ほのかに不快感を与えつつゲームから逃げることができた。
また、ドライトロンを始めとする、最強格と言われた数々のカード群に規制が入ることが発表された。
言うまでもなく、これは大きな変化だ。
そもそも、遊戯王MDのプレーヤーは運営や開発に失望していた。
切断対策やBot対策を始めとした冷淡な対応、痒い所に手が届かないサービス……
ついこの間開かれた、シンクロと呼ばれるカードを使う大会の企画も大失敗と呼べるものだった。
ゲームシステム自体はきちんと遊べるものなのが救いだが、それ以外の部分でそんな恨みや失望を募らせていたプレーヤーは多いと思う。
そんな折にこの発表である。
正直、増田は運営がまともにゲームを正そうという気があったことに驚いたし、
プログラミング未経験から1ヶ月ほどで、将棋の評価値の新たな方法でのグラフ化を行うPythonツールを作った。
https://github.com/k-the-p/notherscore
この記事は2本立てです。結果のグラフや将棋よりプログラミングに興味がある方はもう一方のプログラム編から読むことをおすすめします。
未経験から1ヶ月!Pythonで観る将ライフを向上させた話(プログラム編)
一局全体において、AIの示す第1候補手と第2候補手の評価値の差をグラフ化するツールを作った。
評価値は強力で便利なものだ。それを否定できる人はいないでしょう。しかし評価値が絶対に正しいものかといと、それは怪しい。単にAIが今も強くなり続けていることは多かれ少なかれ現在のソフトが間違っていることを意味するし、そこまで極端なことを言わなくても、評価値はそもそもAIのための数字であって、それを人間の将棋にどれだけ活かせるのかという問題もある。
こうした考えは、私が振り飛車党であるということが影響しているのかもしれない。AIは飛車を振った瞬間に、相居飛車戦であれば若干形勢を損ねているぐらいの評価値を出すのだが、いくらなんでもそれはないだろうと思う。そうした思いを抱えている中で、もう一つの記事でも紹介した藤森哲也先生の「AIの一手は最強の一手なんです。確かにプラス1000点になるけど一手間違えた瞬間にマイナス何百点になるような綱渡りの手。それよりもアマチュアの皆さんにはプラス数百点で得は少ないけど安全な道、最善の一手を学んで欲しい」(大意)という言葉や、佐藤天彦先生の振り飛車転向以降のインタビューを読むにつけ、「それをAIを使って調べてみると面白いんじゃないか?」と思うようになりました。
なのでプログラミングを覚えるところからやってみた。その辺りはもう片方の記事で詳しく書いたので、以下では分析してわかったことを書いてみます。
まずは、1995年に行われた藤井猛六段-井上慶太六段戦(段位はいずれも当時)、有名な藤井システムの第一号局を見ながらグラフの見方を確認しましょう(以下全て使用エンジンは水匠4、1手10万局面)。
このグラフを見ると、30手ごろから井上六段のグラフが下方向に向かって大きく傾いているのが見て取れます。30手ごろと言えば、まさに桂馬が跳ねて角道を開ける、藤井システムが炸裂した瞬間とも言える場面ですが、評価値自体はやや藤井有利程度で、すぐに大きく開いているわけではありません。
しかしこの局面でグラフが下に振れているということは、井上六段は「一手間違えると大きく不利になる局面」に連続して立ち向かわなければならなかったということがわかります。結果として井上六段は徐々に不利に陥っていきます。
他方の藤井六段のグラフは中央から大きく離れることがなく、一見すると「何を指しても大勢に影響はない」ように見えますが、不安定な藤井システムの将棋においてそうした均衡を保つのにこそ超絶的な技量と研究が必要とされることは言うまでもありません。
佐藤康光・山崎隆之・糸谷哲郎、はい、今期A級へんt…力戦派三羽烏ですね。「力戦派」の定義って今まで定量的に分析されたことが無かったと思うのですが(見れば分かるので)、今回分析してみてそれができそうだな、と思いました。ここで3枚のグラフを見てみましょう。
それぞれの共通点があることがわかりましたか? ここでは序中盤に着目してみましょう。どれも評価値自体は互角なのに、力戦派の方だけグラフが振れているのがわかるでしょうか。これを言葉で言うと、「相手は何を指してもいいのに序盤から自分だけ綱渡りしながらも互角を保っている人」ということになります。
自分で言うのもなんですがこれ、けっこう面白い知見ではないでしょうか。言われてみれば確かにそうだけど、というのが数字で表せるということは、「山崎糸谷佐藤康光みたいな将棋を指すAI」という可能性が決して夢物語ではないことを意味しています。だいたい互角の手の中で、綱渡りの手を選ぶようにすればいいわけですから(上手くいくかは知りませんが)。
では、正統派(3人の先生申し訳ありません)の将棋はどんなグラフを描くのだろうか?
1枚目は棋聖戦第2局の藤井渡辺戦ですが、これはある意味でとても典型的な藤井四冠のグラフです。自分だけ選択肢が多い状態にしながら、相手だけを間違えたら危ない状態に置く。その後に行われた棋聖戦第3局のグラフ(2枚目)を見ると、渡辺三冠も藤井四冠と同じ方針をとって食らいつこうとしているのがわかります。3枚目の王位戦挑戦者決定リーグ戦における藤井豊島戦も、藤井四冠の方だけグラフが落ち着いているのが目に付きます。4枚目の竜王戦第4局豊島藤井戦は、豊島竜王が藤井四冠のお株を奪うような指し回しをしていましたが、最終的には崩れてしまった。この指し方はそれだけ難しいということでしょう。
自分だけ選択肢を残しながら相手に難しい必然手を指さざるを得ない状況にさせるということは、藤井四冠からすると相手の反応を予測しやすく、相手からすれば最善手を見つけるのみならず藤井四冠の多様なありうる応手を調べなければならないということを意味します。言葉にすれば簡単ですが、これはまさに超絶技巧でしょう。単にAIの評価値が右肩上がりになるのを眺めているだけでは分からない、藤井四冠の強さを示すことが出来たと思います。
ここではいちいちグラフを示しませんが、振り飛車のグラフは、評価値はもちろん若干悪いのですが、中盤で居飛車側のグラフだけが振れる傾向にあるように思いました。すなわち、中盤になると振り飛車はまったり指せるのに対して、居飛車党は間違えると形勢を損ねやすくなるということです。これが、AIが評価しないのに反して、人間同士ではまだまだ振り飛車が有力である一つの理由であると私は思いますし、これは多くの振り飛車党の先生が言っている「評価値は若干悪くてもねじり合いになれば美濃囲いが固くて有利」という見解にも一致します。
私は評価値だけを見て悪手だの名局だの言う傾向には嫌気がさしていましたが、今回は自分で作った愛着もともなって、ろくに指し手の意味も考えずに多数の対局をグラフだけ眺めて面白がる、という行為につい耽溺してしまいました。
あなたもぜひ楽しんでみては、というには導入のハードルが高いのですが、きっとここまで読んでくださった方には価値があるのではないかと思うので、暇な方はトライしてみてください。ただ、導入方法についての質問にはお答えできません。これは意地悪でも手抜きでもなくて、単に人に教えられるだけの知識を私が持っていないからです。頑張ってください。
将棋は、ルールがだいたいわかっている程度でほとんど指せない。
でも、囲いを作ると強いってこととか、飛車を活動させる位置によって居飛車・振り飛車と戦法が分けられるという話は知っていた。
ただ、飛車はかなり自由に動けるのに、なぜ右側で活動させるとか左側で活動させるとか決めつける必要があるの? というあたりはよく理解できずにいた。
こういうことか
一昨日、渡辺明名人が衝撃的な動画をYoutubeにアップした。
https://www.youtube.com/watch?v=kO_NB9AaYEI
内容的には渡辺名人も語るとおりアマ高段向け、あるいは全て理解できるならプロになれるレベルでかなり難しい。ただ雰囲気を掴むだけなら、観る将でも楽しんでいる人は結構いるようである。個人的にはなるべく多くの人に観てほしい。渡辺名人の軽妙明快な語り口は、「よく分からないけど何かすごいものの一端に自分は今触れている!」というセンスオブワンダーを与えてくれるはずである。
動画では、先の名人戦第3局で現れた矢倉(戦法・囲い)で端歩(先後合わせて計4個ある一番端の歩)を突く一手について30分にもわたって語っている。断片的には渡辺名人自身感想戦および将棋世界2021年7月号の観戦記、朝日新聞の動画(https://www.youtube.com/watch?v=NnNchRwnCCQ)でも語ってきたことではあるが、ここまで分かりやすく展開して話されたことは初めてである。
名人が30分間特定の一局面の端歩の意味を解説する(しかも直前の名人戦で現れた新鮮な局面で!)。これに将棋ファン達(プロも?)は震えたのである。一般的に将棋は端よりも中央、歩よりもその他の駒の方が価値が高いので、飛車角金銀とか、歩にしても中央付近の歩を動かした方が価値の高い手になりやすい。アマチュア向けの指南では端歩は「心の余裕」とか「挨拶」とか言われている。今は一手損するけどもしかしたら中終盤で得になるかもね、相手に突かれたらこちらも突いておきましょうね、ぐらいの意味である。
一方プロ棋戦の解説では「この局面の端歩の意味を説明しようと思うと本が一冊書ける(だから説明省略しますね)」などと言われることもしばしばある。しかし、結局その説明がアマチュアに向けて開陳されることはまずない。その理由はもちろん特定戦型の端歩を延々扱う本なんて売れないからである(強いて言えば例外は連載が1章で終わり10年以上経ってから刊行された伝説の羽生善治『変わりゆく現代将棋』くらい?)。
それを渡辺明という、時の名人が30分も説明するのである。渡辺名人は何度も、「AIが局面を点数化してくれるのが大きい」と言う。端歩の関係は突く突かない2つ突くの組み合わせで36通りあるのだが(端歩三十六景という言葉がある)、プロでさえその36通りはAIが登場するまで、ほとんど雰囲気や経験から語っていた(例外的にそこまで考え抜かれた戦法は「システム」と呼ばれた)。しかし36通り全てを点数化することが可能となったAI以降の現代将棋では、端歩によって景色が大きく変わってくるようになった。評価値ディストピアという言葉を生み出した佐藤天彦九段が「予想されてなければAIでマイナスがついてもいいけど予想されてるマイナスはきつい」と言ったように、現代のトッププロは想定局面の端歩36通りぐらいは全て研究した上で対局に臨むからである。
また渡辺名人は「AIは点数を教えてくれるけどなぜその点数なのかは教えてくれない。それを考えるのが研究」とも言う。ここで思い出すのは『銀河ヒッチハイクガイド』のスーパーコンピューターが導き出した、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」すなわち「42」である。現在の将棋AIはある局面における疑問の答えを「123点」などと教えてくれるが、なんでそうなるのかは教えてくれない。我々はすでに『銀河ヒッチハイクガイド』の世界に生きている!
以下で考えたいのは、将棋AIの評価値が神託のように見なされている事態についてである。
羽生九段は「将棋の神様と指すなら角落ちでいい勝負では」と言い、藤井二冠は「将棋の神様がいるなら一局お願いしたい」と言った。棋士も、将棋ファンも、将棋の神様についての話は大好物である。
将棋の神様。それがいるとしたらどんな存在だろうか。どうも、みんな将棋を完全解析した存在と、それに限りなく近いが完全解析したわけではない存在の間を無意識に想像しているように思える。
読者の中にも、「9マス○×ゲームの神」を名乗る資格がある人は多いように思う。○×ゲームは両者最善手を指し続ければ引き分けになることが完全解析されていて、それを達成できる(そして相手が悪手を指せば必ず勝てる)人は結構いるだろう。それでも、「○×ゲームの神」を名乗りたい人はそんなにいないようにも思う。それは、○×ゲームが自分にとっては既に退屈なものと成り果てているからである。「○×ゲームの神」を名乗るにふさわしいのは、両者引き分けという小賢しい結論に達せず、同級生に無邪気に無双している小学生とかではないか。
そういう、無邪気にその対象を楽しんでいて、かつすさまじく強い存在。将棋においてもそんなものが神様であって欲しいではないか。神様はいるけどとっくに下界への興味を失っているなんて悲しすぎるではないか。どうせ神様なんていないのだから、想像するのも希望するのも自由である。
そこで、AIである。AIは無邪気である。無邪気というか、少なくとも人間の棋士が持っていそうな邪気はない。そしてすさまじく強い。それは、人間の名人を破ってなお強くなり続けていることからも明らかだろう。
しかし、AIは将棋を楽しんでいるのだろうか? 常識的な考えと、そして私の考えは同じくNOである。AIは単に、何億手を探索し、何万種類とかのパラメーターを組み合わせ評価し、最善手を選択し続けるだけである。
振り飛車という戦法がある(以下、将棋に詳しい人は「振り飛車」を「山崎流パックマン」および「康光流この……何?」などに置き換えても良い)。振り飛車は、序盤数手目で飛車を左に「振り」、玉を右(相手の飛車の反対側)に囲う戦法である(振り飛車党総帥である藤井猛九段[藤井二冠とは別人]があるとき「振り飛車は玉を右に囲う戦法。名前になってるけど飛車の位置は実はどうでもいい」と説明していて蒙を啓かれた気分だった)。逆に居飛車は飛車が元の位置(か周辺数マス)に「居」るまま、玉を自分の飛車の反対である左側に囲う戦法である。振り飛車より一手早く攻めることはできるが、相手の飛車角という大砲の射線上に玉を配置せざるを得ないなど、それぞれメリットデメリットがある。両者それぞれを指す人は振り飛車党、居飛車党と分類され、阪神ファンと巨人ファンぐらいの意味を持っている。
この振り飛車であるが、プロおよびアマすなわち人類の見方としては「有力」で完全に定まっている(ここ数十年、という話ではなく記録に残る最古の江戸時代における達人同士による棋譜も居飛車対振り飛車である)。しかしそれに反して、AIによる振り飛車の評価は極めて低い。飛車を振る手は、ソフトにもよるが大抵-100~-200点と、一手パスよりも厳しい評価を付けられることが多い。そしてAIが自然に振り飛車を指すことはまずないという。
この200点という数字の評価が難しい。定義として一歩の価値が+100点とされているが、お互いに居飛車すなわち相居飛車の序盤で+200点は、プロ的には作戦勝ち気味~やや指しやすい、藤井二冠であればこのまま間違えず有利を拡大して勝ち切っても不思議ではない、ぐらいの数字である。渡辺名人が目指した、「両方の端歩を付き合っていて急戦になった後手有利の局面」は手元で確認すると後手+180点くらいであった。アマチュアでもよく研究している高段者であれば「よしよし」と思うぐらい。しかし、振り飛車対居飛車の対抗形の場合、相手が振り飛車にしてきたからといって、相手に-200点がついたからといって、作戦勝ちなどと考える人類はいない。それは相居飛車の+200点の局面と、対抗形の初期状態+200点の局面から、それぞれ勝ったり、そこまで行かずとも有利な局面まで導いた経験的な確率があまりに異なるからだ
確かに、振り飛車をAIに対して指せばほぼ必ず負けるのだが、それって実は居飛車で指しても(トッププロであれ)同じことである。さらに、AIが教えてくれる「振り飛車ワクチン」は極めて難解である。振り飛車の囲いがしっかりしているのに、居飛車のペラペラの舟囲いから金銀が旅立って王様が一人で戦うような。いわゆる「人間には指せない手」というやつである。なぜ人間に指せないかというと、人間は間違えるからだ。終盤間違えないなら確かに王様が一人ぼっちでも詰まされさえしなければ勝てるのだろう、でも人間には無理だよね、という。
結局人間同士の戦いであれば、アマであれトッププロであれ対抗形は序盤の-200点とは特に関係ないように思える終盤の勝負になりやすい。逆に言えばプロの相居飛車は、序盤で即死魔法をどちらが掛けられるかの研究勝負になりやすい。佐藤天彦九段はその理由を次のように語っている。
「相居飛車は玉の囲いが盤上の対角線上に近い場所にあることが多く、それゆえに相手の攻撃陣が自分の玉の直上にいるので、すぐに玉が危なくなります。感覚で指していると、ぴったり詰む変化に入ってしまうこともよくある。しっかり読まないといけないし、必然手が多いから誰が指しても同じ将棋になりやすいです。
でも振り飛車にすれば、今度は攻撃陣同士が向かい合っているので、すぐに玉が詰む、詰まないの変化にはなりにくい。だから、最善手じゃなくても、致命傷になりづらいんです。」
AI的な、あるいは神様的な最善手でなくても勝てる戦法。あるいは、将棋を指す人間の地力が試される戦法。それこそ人間による人間のための人間の戦法ではないか。などと考えたかは分からないが、生粋の居飛車党で居飛車で名人も獲った佐藤天彦九段は「評価値ディストピアをどう生きるか」という問題提起を行った後、振り飛車を指すようになった。
神様と振り飛車について。ひょんな例えだが、たとえばアリが人間とは違うけど結構ちゃんとした社会を作っていると、何か感動を覚えると思う(参考: | 東京ズーネット)。我々はアリにとって、ある意味では神に等しい存在であると思う。生かすか殺すかは我々の自由であるし、アリの一生よりもずっと長い時間を生きることができる。そう考えると、将棋の神様は振り飛車を指さなさそうだし、振り飛車の棋譜を伊勢神宮とかに奉納すると「おお、全然最善じゃないけど意外とちゃんとしてて面白いじゃん」などと喜んで貰えそうだな、と馬鹿馬鹿しくはあるが思う。
AIこと将棋の神様、とまではいかない……将棋天使?はとても言葉少なだ。「42」としか言ってくれない。たしかに、神様がどう考えているかのヒントにはなる。しかしその数字は間違っているかもしれない(将棋AIは日進月歩で強くなり続けているが、それは今までの将棋AIが間違い続けていたということも意味する)し、人間が出来ることとはあまりにかけ離れた目線からのものかもしれない。しかも天使が饒舌になることは、ディープラーニングの隆盛などを見ると当分なさそうである。それでも、である。人間は、神様の言うことを無視できない。ならば神様の言うことをそのまんま信じようとか、いや神様の言うことを人間に合わせてチューニングしようとか、いや俺は人間の生き方で生きるとか、色々な生き方が出てくるのは当然のことである。
これって多分今後多数の分野で起こることである。経理天使とか自動運転天使とかが、こうした方がいいよとは言ってくれるしそれは正しそうだが、なぜかは全く教えてくれない。その「神々の意図」を読み解くシャーマンみたいな仕事は当分不可欠なものとされるだろうし、これまでの人類史においてもほとんどの期間不可欠なものとされてきた。「神が死んだ」とされていたのは近代の100年ぐらいの特殊現象で、「やっぱり生きてたわ」となるのかもしれない。
シャーマンが何をしている(きた)のかといえば、「物語」の提供である。過激な哲学者(彼らもまたシャーマンであると思う)によれば、近代科学の基礎である因果関係すらも人間が世界を簡単に理解するための「物語」であるらしい。
棋士たちは、今日も神ならぬ身に生まれた人間として、「物語」を紡いでいく。私は、シャーマンならぬ身として生きるただの人間として、シャーマン達が紡ぐ物語をただただ享受するばかりである。
土曜日の夜は一切予定が入れられない。
白熱の戦いが毎週繰り広げられている将棋の「ABEMAトーナメント」。6月5日は予選のCリーグ、チーム羽生対チーム木村が行われた。、この結果、この2チームにチーム豊島を合わせた3チームが、勝敗、得失点差まで完全に並ぶという劇的な展開が待ち受けていた。最後はリーダー3人によるプレーオフが繰り広げられ、決着が付いたのは日付も変わった翌0時すぎであった。翌日(というか当日)には、藤井棋聖と渡辺名人の棋聖戦があり、朝早くから中継があるというのに、この深夜までの激闘が寝かせてくれない。まったく、大事な日の前日になんてものを見せてくれるのか。
劇的な展開にも魅了されたが、この日の決着局、羽生善治九段と佐々木勇気七段の将棋はその内容も抜群に素晴らしかった。このABEMAトーナメントは、「持ち時間5分+1手につき5秒加算」という超早指し(フィッシャールール)のもとで行われる。このルールは、実際に指してみれば分かるが、非常に厳しく、スリリングである。ある程度、手の決まった序盤ならば時間を増やしていけるが、局面が複雑になった中終盤はそうもいかない。序盤で増やした時間はあっという間に溶けていき、秒に追われながら指し手を続けていくことになる。正直、アマチュアがこのルールで指しても、「そもそも将棋にならない」ということが多い。繰り広げられるのは、「将棋に似て非なる何か」である。
しかし、そこはプロ。我々アマチュアとは違い、このルールでも「将棋」を指す。さすがに指し手の質は多少落ちるのかもしれないが、それでも将棋を指している。まずはそこに感動する。
羽生九段と佐々木勇気七段の一戦は、互いの読みと駆け引きがぶつかり合う激戦となった。この将棋は、持ち時間の長い公式戦と比較しても遜色ない名局だったと思う。将棋ファンとして、この一局への感動は言葉にして残しておきたい。
先手番となったのは佐々木勇気七段。藤井聡太四段(当時)のプロ入り29連勝を止めた男としてあまりにも有名であるが、その後の活躍も目覚ましい。順位戦は現在上から2番目のB級1組。藤井二冠をぴったり追走しながら昇級し、現在も開幕2連勝と好調である。居飛車党の本格派で、序中盤にも惜しみなく時間を投入する。深い研究と読みに裏打ちされた指し手が魅力である。それでいて、この早指しのルールでも滅法強い。
後手番となったのは羽生善治九段。何をかいわんや、ご存じ永世七冠である。
戦型は角換わり腰掛け銀。事前のインタビューで、変化球ではなく、正面からぶつかりたいと語った佐々木。宣言通り、得意戦法で真っ向勝負を挑んだ。対する羽生とて、相手の得意形を避けるタイプではない。いつも通り、泰然と、そして悠然とした手付きで佐々木の得意形を受けて立った。
端歩の駆け引きもあったが、十分な研究があるようで、佐々木の指し手は早い。57手目、▲2五歩と攻めかかる。これは、羽生の玉が2二に入ったところに、真上から襲い掛かった手である。羽生の構想を正面から打ち砕こうとしており、相当な迫力がある。一歩間違えればすぐに潰されそうなところ、羽生は一歩も引かない。佐々木の飛車を吊り上げ、銀取りも手抜いて手裏剣を放った。
66手目「△8八歩」。この手自体は珍しい手ではなく、相手の陣形を乱す定番の手筋である。実際、その場にいた棋士も全員が一瞬で見えた手だと思う。しかし、問題はこの歩が「通るのか?」その一点である。もしこの手が不発に終われば、この将棋は一気に佐々木に持っていかれてしまいかねない。「一か八か」的な意味で、この歩を打つのは非常に怖い。しかし、羽生の手は8八に伸びる。「運命は勇者に微笑む」羽生が好んで用いる言葉を想起した。勇者羽生善治、いつもこうやって、勝利を手繰り寄せてきた棋士である。
勇者に勇気が立ち向かう。羽生の放った歩を取っては弱いと見た佐々木は、一直線の攻め合いへ。71手目、▲4六桂と急所に桂馬を放った。対する羽生、△6四桂と打ち返す。同じく急所に放った桂馬である。4六と6四の桂馬が、銀を挟んで対称に向かい合っている。この局面、互いの我が道を行くとばかりに読みがぶつかり合い、その衝突が盤上に表現されている。最高峰に美しい。
美しい火花にくらくらしそうな局面で、佐々木が次の1手を放つ。73手目「▲6五銀」。最高峰の美しさに、さらに「その上」があったとは。叫びたくなるような手である。銀のただ捨て。しかし、この銀は取れない。取ると、羽生玉が弱体化し、一気に攻め潰される展開が見える。佐々木の放った会心の一手であり、観戦していた羽生のチームメイト、中村太地七段も「(佐々木の)決め手に見えた」と述懐したほどである。
佐々木勇気、会心の一撃。そのままK.Oされてもおかしくない局面で、さらに時間もない。そんな局面で、羽生は何を放ったか。74手目「△8八と」。やはり銀は取れない。羽生は最大の強手で応えた。ちなみにこの「と金」は、その前の局面で放った「勇者の歩」が成ったものである。歩を打った手も凄いが、「と金」を引いたこの手も凄い。鬼のような顔で剣を抜く勇者を見ているようである。
羽生の踏み込みに、佐々木は盤上没我。長考の末、と金を払う。羽生は追撃の手を緩めず、△6六歩、そして残り2秒(!)まで考えた末に△4九角と放った。少し進んでみると、恐ろしい局面が見えてくる。この将棋、途中から佐々木が一方的に攻めていくような展開ばかりが見えていたはずなのに、気付けば羽生が佐々木を追い込んでいる。佐々木も相当な迫力で攻めていたはずなのだが、勇者の踏み込みがそれを凌駕したように思えた。
とはいえ、局面はまだ分からない。佐々木、黙っていられないとばかりに攻めに転じ、羽生玉に迫る。羽生玉はかなり危ないところまで追い込まれるが、あと一歩が足りない。それを見切ったか羽生、香車と桂馬で佐々木玉に覆いかぶさる。この手があまりにも厳しく、佐々木を一気に追い込んだ。
土俵際の佐々木だが、あきらめきれない。115手目から、歩を打っては捨てるということを繰り返した。これは、「時間稼ぎ」の歩である。1秒で打てば、持ち時間を4秒増やせる。増やした時間で、必死に凌ぎを探す。歩の打ち捨ては、純粋な「損」であり、将棋の真理からはほど遠い。しかし、そんなことを言っている局面ではないし、なりふり構っていられないのである。鬼の顔をした勇者を相手に、佐々木もまた鬼になる。非常手段で、最後の可能性を探した。
羽生にも余裕はない。一手間違えれば奈落の底である。必死の形相で佐々木の気合に応戦する。冷静に追い詰め、ついに矢尽き刀折れた佐々木。最後は羽生が、146手までの激闘を制した。終盤はたがいにほとんど時間がなく、チェスクロックの叩き合い。それが終わり、激闘に終止符を告げるブザーが鳴った。
大熱戦の末、羽生の勝利。チームメイトの中村七段、佐藤紳哉七段が控室で絶叫する。「感動した!やっぱ羽生先生は違うわぁ」その反応は、同じプロ棋士というより、画面の向こうで見ている我々将棋ファンのそれと近いものであったが、そうなるのも無理はなかったと思う。それくらいの将棋であったし、「羽生善治」とはプロ棋士にとってもそれくらいの存在なのである。
敗れた佐々木の指し手も素晴らしかった。忘れてしまいそうになるが、この将棋は「5分+5秒」の超早指しで指されたものである。それが到底信じられないような濃密な内容で、「神々の叩き合い」とでも言うべきものだった。極限の状況で指していたことで、羽生の「勝負術」「局面への嗅覚」といったものが最大限に研ぎ澄まされ、盤上に発露したように思う。棋士・羽生善治の恐ろしさを改めて感じたし、その羽生が未だにあと1期まで迫った100期目のタイトルに届かない、将棋界の恐ろしさを思った。
激闘の余韻も冷めやらぬ中、さらに興奮するような出来事が起こった。この戦いの翌日、羽生が中村七段のYouTubeチャンネルに登場し、なんと自らの将棋を解説したのである。羽生がYouTubeで自戦解説をするのは初めて。あれだけの将棋を見せてもらっただけでも興奮が止まらないのに、その翌日に本人から解説が聞けるとは。神々が叩き合い、神が降りてきた。あまりの出来事に、感情が追いつかないままに視聴した。
佐々木の「▲6五銀」はやはり相当な一手だったようで、羽生も手放しで称賛した。「いい手だなあ」そうやって飄々と語る姿は、一日前の盤上にいた鬼の姿とは大きく異なっていて、少し呆気に取られてしまうのだが、盤上を離れればこれが羽生善治なのだと妙に納得もしてしまうのであった。
つまり牌の扱いや得点の計算などはゲームが自動的にやってくれるので詳しくは説明しない。
同じ数字の牌や、連続する数字の牌を集めると、その組み合わせ(役)によって得点が決まるゲーム。
自分が持っている牌は13枚。
毎ターン1枚の牌が配られてくるので一時的に14枚になる。
同じ数字[8][8][8]や連続する数字[4][5][6]で「3枚」ずつ揃えていく。
同じ数字のメンツを「刻子(コーツ)」、連続する数字のメンツを「順子(シュンツ)」という。
それとは別に、同じ数字の牌を2枚揃える必要もある。これをアタマと言う。
メンツ×4組+アタマ2枚の合計14枚を揃えたときに役が出来ていればアガリ。
麻雀牌は四種類ある。
マンズ。一萬とか二萬とか書いてあるやつ。
ピンズ。丸が書いてあるやつ。
ソーズ。竹みたいなのが書いてあるやつ。
東・西・南・北・白(何も書いてないやつ)・発・中。
メンツを作るには同じ種類でないといけない。
たとえば[2萬]と[3筒]と[4索]があってもメンツとは見なされない。
[2萬][3萬][4萬]とか[2索][2索][2索]などのように揃える必要がある。
また、字牌に順番は無いので、[北][北][北]みたいに刻子で揃えるしかない。
たとえば[1萬]が既に2枚捨てられていたら、自分が[1萬]で刻子を作ることは出来なくなる。
他のプレイヤーが牌を捨てたときに取れるアクションとして「チー」「ポン」「カン」がある。
チーは「ひとつ前のプレイヤーが捨てた牌を拾って順子を作る」というもの。
たとえば、自分が[1萬]と[2萬]を持っているとき、ひとつ前のプレイヤーが捨てた[3萬]を「チー」することで、[1萬][2萬][3萬]の順子を作ることができる。
ポンは「いずれかのプレイヤーが捨てた牌を拾って刻子を作る」というもの。
たとえば、自分が[5萬][5萬]を持っているとき、誰かが捨てた[5萬]を「ポン」することで、[5萬][5萬][5萬]の刻子を作ることができる。
既に[5萬][5萬][5萬]が揃っているなかで、誰かが捨てた[5萬]を「カン」することで、[5萬][5萬][5萬][5萬]を作ることができる。
この4枚組は、3枚組の刻子とほぼ同様に扱われる。
「チー」「ポン」「カン」することを「副露(フーロ)」もしくは「鳴く」などと言う。
ツモの場合は他のプレイヤーから均等に三分割して点数をもらう。
4メンツとアタマを揃えても、決められた「役」がなければ「役なし」となって和了れない。
和了ったときに成立した「役」をすべて足し合わせて得点を計算する。
たとえばタンヤオとピンフは同時に成り立ちうる(これは有名な組み合わせでタンピンと略される)。
基本的な役。
鳴いても成り立つ。
これだけ覚えてどっちかを目指せばいい。
・[白][発][中]を三つ揃える
ドラになった牌を持っていると和了ったときに得点がめっちゃ高くなる。
厳密には役ではないのでドラだけで和了ることはできない。
鳴かずにメンツを揃えていけば、自然とリーチ・一発・門前ツモを狙う状況になる。
鳴けば和了りやすくなるが、リーチなど多くの役が成立しなくなり、全体的に得点が低くなる。
ただしドラを持っているなら攻撃力の低下を補うことができる。
他のさまざまな役は、中級者になってから覚えればよい。
これでも相当に省略して説明してるんだけど、こんなにルールが乱雑なゲームってある?
やっぱ麻雀ってクソだわ。