はてなキーワード: 参考書とは
1980年代、旺文社と言えば、参考書や英語教育で業界最大手だった
ところが87年ごろから社長が建築家ノーマン・フォスターに入れ込み、センチュリータワー不動産事業を始めてしまった
赤字を抱え、「百万人の英語」などの教育ラジオ番組や雑誌をバタバタ終了させた
結論から言うと、このことには阪急グループ、日テレの関与が疑わしい
後楽園球場(東京ドーム)社長で日本ボクシングのコミッショナー、世界ボクシング協会の名誉会長の弁護士真鍋八千代は矢来町にいた。日テレの田邊宗英との共同事業者。矢来町には新潮社もあって、知る人ぞ知る地区。旺文社は1993年に本社ビルを竣工して入居したが、1998年にアディダスジャパンと入れ替わり、アディダスは2013年に転出して取り壊された。20年で建築史から消えたフォスターの歴史的なステルス建物。証拠消滅完了
誰かが旺文社社長に、著名な建築家の建物なら運用も容易だと持ち掛けたはずだ。あるいは、ドイツ企業日本進出の際には…云々。アディダスはドイツの多国籍企業でボクシング用品で有名。ちなみに社長真鍋八千代時代はナチス全盛で、戦中はアディダスも親ナチで、靴の工場が対戦車兵器パンツァーシュレックの製造に使用されたりした
各家庭の事情や通ってる学校にもよるから一概には言えないけど。
自分はお小遣い貰ってなかった&お年玉は回収制度だったから無理だったな。
お小遣い貰ってる友人も参考書とかは自費な子もそれなりにいたし、そうでなくても友人付き合いでも使うからそんなに余裕がある訳では無い印象だった。
バイトもバイト禁止高校だったら3月卒業4月大学入学/入社で、大学や仕事行くための服やカバン等メイク以外も入用になる時期にメイク用品1つに6000円もかけてられる家庭の方が少ないと思うし、そんな短期間でのバイトは不可能かな。引っ越しある人もいるし。
・ PC外しても奇抜なもの選ばなければ何とかなるもの(薬局で買っても良い)
アイライナー
・ 基礎化粧品
BAさんに選んでもらった方がいいものはデパコス買うとして1つ6000円だとして6アイテム合計36,000
薬局で買えばいいもの1つ1500円だとして3アイテム4,500円
基礎化粧品は元々使ってるの+薬局クレンジングで500円としよう
合計41,000
それなりに社会人やってたらまあそんなもんか〜くらいな金額だけど高校卒業したばかりの子からしたら結構なお値段じゃない?
自分はこれ全部薬局的なところで揃えたけど10アイテムで15,000くらいしてしんどかった記憶ある。
もちろん最初からコスメカウンター行って合ってるものを選んで貰えるならそれが一番いいけど、誰にでもオススメできるものではないと思う。
非慣性系の座標系同士が慣性系に対してそれぞれ同じ加速度を持っている場合は、一方の慣性系の運動方程式を立てるときに他方の慣性系の加速度は項として現れないと考えて合っていますか?
エレベーター内の物体の動きというようなものをを考えるとき、地表面を慣性系と考えていいのは、遠心力やコリオリ力が小さいから「無視できる」というふうに聞きました。
でもこれって「無視できる」んじゃなくて「無視するまでもなく存在しない」と表現するのが妥当な気がしたんです。
地球は自転も公転もするのでその地表面は非慣性系であるのと同時に、エレベーターや電車の中での動きみたいな地上で行われる日常的な物体に対する物理的考察は、基本的に地表面を基準として行われていると思います。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
そしてエレベーターが上昇すると、エレベーターに固定した座標の加速度には、地表と同じ加速度に上昇運動分がプラスされているだけという形になると思います。
このとき、エレベーターの中の物体に対して運動方程式を立てるとき、慣性力として現れるのは、「無視できる」からとかじゃなくて、理論的に物体の質量にエレベーターの上昇運動分の加速度のみをかけたものになると考えて合っているでしょうか?
参考書で慣性力を考えるとき最初は(慣性系から見た物体の位置ベクトル)=(慣性系に対する非慣性系の原点の位置ベクトル)+(非慣性系からみた物体の位置ベクトル)という式を立てて、これを二階微分して出る加速度の関係式を運動方程式に代入するというやり方でした。
ようは、慣性力は、二つの座標系の関係性のなかで論じられているのだと思います。
そうするとこれが、地表と地表に対して動く物体内の物体という、非慣性系が二つ出てくる場合には、非慣性系の座標系同士の関係性のなかで同じように論じられる。そして上記のやり方だと、慣性系そのものの位置ベクトルないし速度加速度を考えなかったのと同じように、一方の慣性系の加速度、地表を基準とするなら地表の加速度は考える必要なく、運動方程式にも地表の加速度に由来する慣性力は現れようがないのかなと直観的に思いました。
ただ、慣性系一つに、非慣性系二つという三つの座標系を仮定して式を導くというのが、自分の計算力不足で煩雑になりすぎてお手上げだったので、本当にそうなるのか自力では導けませんでした。
実際はどうなのか回答していただけるとありがたいです。
でもそもそも慣性系っってどこにあるんですかね??太陽系も銀河系に対して公転してるらしいし、銀河系も公転してて、というか時空間自体静止せず膨張してるというのであれば慣性系ってそもそも存在するの?ってなるんですけど。
掲載紙廃刊でweb移行ってさも事実かのように語ってるブコメいたけどちげーよ
天下のモーニングで連載してたよ
一応毎回扉絵のコピーで、受験生も読んでる!とかいろいろ書いてたりもしたのに
成績まよってるやつに参考書すすめて何点アップみたいに進研ゼミのマンガみてーにうまくいく描写なんかできるわけないからカタルシス少なかったしな
それどころか主人公の先輩キャラ(主人公が女だから、少女漫画の王子様的ポジ)に対するストレスが半端なかったしなあ
話の中でちょっとずつ変化もしていってはいたけど、基本不快だからまじでうざくて読まなくなったんだよな
単行本でるときとかは紙面でちょっとだけ宣伝させてもらったりもしてたよ
いやーはてなーってモーニング読んでねえんだなってのがよくわかったわ
つーかカネだしてマンガ雑誌よんでんのか?
それは単にヨーロッパ人は日本人より英語の習熟が速いから自国語でやる必要がなかっただけだね
「英語の論文や文学を読むための英語の参考書」は普通にいっぱいあるよ
英語圏のネイティブでも何の訓練もなしに論文や文学は読めないから当たり前だけど
日本の英語本が「英語の論文と文学だけを読むのに特化した日本語の参考書」になってるのは、
ツリーの上の方でも言ったけど明治大正昭和に日本の知識階級が洋書を輸入してそれを読むのに使った英語が下地になってるからだね
なんか逆に捻じ曲げられてるが日本語の参考書は日本人が論文や文学を読むのに特化してるのでそれやればできると言ってた人にそれはおかしいって話だぞ
めちゃくちゃ特化してるからまともにやれば論文読めるようになるぞ。
他の国の留学生と遊んでばっかだった俺はペラペラだけど読解とか苦手で、真面目に勉強してきてた早慶のやつはあんま他の国の奴らと遊んでなかったからリスニング・スピーキングはゴミだったけど長文読解とかは点メチャクチャ高かったわ。
なんか逆に捻じ曲げられてるが日本語の参考書は日本人が論文や文学を読むのに特化してるのでそれやればできると言ってた人にそれはおかしいって話だぞ
Grammar In UseにはCEFRでAからCのバージョンまであるし無印は早稲田の受験英語より上のやつで新聞くらいは大体読めるレベル向けだからまるでおかしいよ
Grammar In Useは外国人向けの文法書であって小学一年生のこくごのきょうかしょじゃないし
そもそも教科書やるだけで言語をマスターするというのは不可能だけど
日本語の参考書は論文や文学を読むのに特化してるからそれをやればできるという話だろう?
そもそもGrammar In Useの無印は早稲田の受験英語くらいはできる人間がやるやつだし
何もかもが的外れだよ
まあ悪いこといわないから英語できるようになりたいなら受験用の参考書とかだけじゃなくて英語で英語やりなさい
受験だけでいいなら好きなようにしな
「日本に教育格差がない」なんて台詞を、一体どのくらい教育現場を見た上で言っているのかはなはだ興味がある。(皮肉)
すげー適当に記事をあさっても、こんな状況くらいポンポン出てくるので、「教育費保護者負担」とか、せめて「教育格差」でググるくらいのことはしてほしい。
〇子どもの教育費への保護者負担の割合は、先進国中日本がトップ(=保護者の貧富が子供の教育に直結する)
https://www.smtam.jp/report_column/pdf/cat_10/HPVol.620191030.pdf
〇日本に存在する教育格差は主に相対的貧困から生じ、その割合は6人に1人
https://www.worldvision.jp/children/education_12.html#d0e9d87eb78fa54e47cd213ca7606442
まあ、こーゆーのって、大体さほど教育崩壊していない公立学校出身で「努力して」それなりの学歴を得た中流家庭出身者なんかにありがちな誤解だけどさ、
・さほど教育崩壊していない公立学校に通える場所に住んでいること
・図書館など公的な文化的施設が充実しそこへのアクセスに費用が掛からないこと
・「みんなと同じようにふつーに」塾など通わせてもらえること
・自室や自分の机など学習に集中できる環境が用意してもらえること
・参考書などを購入できること
・PCの使い方など身近に手本を見せたり教えたりしてくれる大人がいること
・学力をつけて進学しそれなりに成功したモデルが身近にいること
……なんて、どれひとつとっても全く「ふつー」ではねーんだわ。6人に1人いる相対的貧困な状況の子は、このうちの複数もしくはほとんど全ての状況を奪われてるのが現状で、そんな状況で「ふつー」の家庭出身者が「俺らも『努力』しんだしさー、受験てフェアな競争だよね」みたいに言うのは、ちょっとね。
とりあえず、「教育格差の有無」なんて大きな問題、個人の印象やお気持ちで軽々しく口にできるよーなことかどうか、そうやって妙なムードをつくることが下手したら多くの人々の一生に関わるかもしれないって意識をもった上でもう少し考えてみた方がいい。
たとえばulをフレックスコンテナとして、その子要素liの子要素imgに対してmax-width:100%をかけていたとします。
デフォルトだと、imgを内包したliがulの中で横並びになり、さらにliの横幅は自動的に親要素の横幅をliの個数で割った分だけ縮小されますが、ここでflex-wrapにwrapをかけると、imgで表示する画像のサイズがある程度大きいと、wrapとしないときよりもliごと大きく表示されます。
しかしliの横幅はそもそも指定していなくて、しかもその子要素のimgに対してmax-width:100%をかけているということは、そのcssの指定の意味を論理的な日本語で表すならば、imgはliの大きさを基準にその100パーセント分の大きさで表示しろという意味の指定になると思います。
しかしその基準であるliの大きさを定めていないのだから、imgの大きさも定まりようがないというのが論理的な解釈だと思います。
それでも実際はwrapをかけるかかけないかでそれぞれ一意的にある大きさでimgが表示されるわけです。
ようするにcssはそこに記述されているプロパティの兼ね合いで最終的にある要素がどういう風に表示されるのか、その挙動を理詰めで予測するのが困難な部分があって、それはプログラミング言語よりもある種厄介な癖として立ちはだかっているように思います。
上記の例の場合も理詰めで挙動を予測するには、プロパティの性質に関する論理的な情報が不足しているように感じます。「imgはliの大きさを基準にその100パーセント分の大きさで表示しろ」という情報から、実際どのような大きさでliやimgが表示されるのかはっきり言って予測しようがないと思います。
多くの参考書にもどう挙動するのか一意的な推測を可能とするだけの情報は書かれていません。
もしかしたらcssの公式の仕様を端から端まで参照することで過不足なく挙動を把握するための情報が手に入るのかもしれませんが、仕様のどこか今の自分の仕事にとって必要な情報なのか見極めるのにはなかなか困難なところがあるという意味で、情報に対するアクセスの困難性があると思います。
私はjavaも学習しました。極めたというところには全く到達していませんが、それでもああいった言語は書いた通りに動くものであるということを実感しています。つまり自分が今書いた、書こうとしているコードがどのような動きをするのかを予測するための、各記法や関数に関する文法が情報として過不足なく学習者に提供されているように思います。
cssにも事実上として「文法」なるものはあることは前述の例からも疑いの余地がない(先に書いた解釈以上に要素の表示を決定づけるための文法がないなら、要素の大きさは決定不能ということになる)のに、その情報がいまいち曖昧に提供されているきらいがあるように感じます。
https://coliss.com/articles/build-websites/operation/css/about-css-layout-algorithms.html
↑このような「レイアウトアルゴリズム」と語るサイトも見つけはしましたが、私の言っている文法、すなわち、要素の表示のされ方を決定づけるための処理のフローと、概念的に同質なのかはいまいち不明です。
他の端的な例としては隣接する要素同士がネガティブマージンなので重なった場合、z-indexを指定してない場合はどういう法則でどちらの要素が上にくるのかとかも、本来は明確なアルゴリズム、文法に則って決定されているはずなのに、多くの初学者あるいは中級以上の方でさえも当て推量とセンスと試行錯誤で、なんとか自分の意図通りの表示になるように調整を繰り返すことを余儀なくされているかもしれません(意外と単純で要素の名前について辞書順ベースでどちらが上にくるか決定されてる?)。理詰めで考えさえて設計しさえすれば一発で自分で思い通りの挙動(表示)をさせる、ということが困難な言語がCSSの癖として立ちはだかっているように思います。それはある種プログラミング言語が持つそれよりも厄介な癖だと思います。プログラミング言語の方がある意味で「素直」に挙動してくれると私は思います。
同じように感じた人は教えてください。またそういう感覚を卒業してCSSの挙動が論理的に手に取るようににわかるぞという方は今後の学習に関するアドバイスをしていただけると助かります。