はてなキーワード: 参考書とは
生まれて18年くらいだけど片付けのプロセスが未だに分からない。
散らばったものを棚や箱にしまったり、ゴミが落ちてたら捨てることくらいはわかるが、順番がわからないから、忘れる前に全部思いついたこと紙に書くんだけど。
でも全部完璧にやらないといけないからさ、雑誌とか全部出てるやつは一回読んでから片付けるのと
服とかも全部確認してちゃんとした分類で棚にしまうのと、私は絵を描くのが趣味だから、紙が無限に散らばっているのを要るもの要らないもの種類ごとに分別して、引き出しの中にある使わなかったマックとかのコーヒーミルクを使うためにコーヒーを飲んで、カミソリが出てきたから今日風呂で使って、ピアッサーが出てきたからそれは早く使ってしまいたくて(後日)、で、ポストカードがたくさん出てきたから、あとCDについてる背表紙の紙みたいなやつ、ああいうのは壁に貼り付けてみたんだけどやっぱイライラするから全部剥がさなきゃいけない。前に開けた途中のお菓子を食べないといけないし、昔のメガネケースを使うためにメガネを買いにいく、ネイルが出てきたから今夜塗りたい、スマホを見てたらスマホの中のデータも片付けないといけなくなったから、それが1番大変だと思った。写真を消すために全部覚えたり、描いたりしないといけないし。撮った動画も全部切り抜いてGoogleドライブに載せないといけないし、あと、Safariで検索してそのままになってるタブをどうにかしないといけないし、なんか洗濯とか最近してないしさ。置いてあるぶっ壊れたラジカセって何ゴミなんだよ、みたいに、何ゴミかわかんないやつは一生片付かない。さっきは床に置いてた水筒ひっくり返したら、コピー用紙が水浸しになった。メイクポーチが溢れたコンシーラーだらけになっていたからそれも洗って拭いて、拭くんだよ全部、ホコリで汚れてるDVDとかも拭きたいし、棚の上も拭きたい。
棚の中にある要らない物があるのがイライラするけど捨てれる自信がないよー。みんなは何からするんだろう片付け
文章が変と検索すると、読点が多すぎとか、そういうをそうゆうと書くみたいなタイプに対して変と言ってる知恵袋の質問が出てくるが、これらは変な文章の本質を突いてない思う。
それか他の分野ならともかく、redditでたまに単発で気まぐれに誰かが支援絵が流すようなパターンを抜きにして、ここに書き込まれたことがあるようなehen獣等以外でこれらにアップされてない作品があってしかも品揃えも豊富ってところはもう残ってないのかな?
下は推敲後
それか他の分野ならともかく海賊版エロ漫画界隈は開拓されつくされてるのかね?
redditでたまに単発で気まぐれに誰かが支援絵が流すようなパターンを抜きにして、ここに書き込まれたことがあるようなehen獣等以外でこれらにアップされてない作品があってしかも品揃えも豊富ってところはもう残ってないのかな?
実際はまだましになったという程度かもしれないがとにかく上の方はひどいと思う。文の流れになんとも言えないおかしさがある。
これは匿名掲示板に書き込んだ文章なのだが、下の方がまだ掲示板の空間になじむものになっていると思う。上は完全にもろ発達障害こじらせてる感じ。
ようするにネット検索でトップに出てくる例は単なる知識不足が意図的にファッション感覚でそういう「書き方」をしてるだけで、書き手本人が悩む対象という意味での変さじゃないのよ。
そうじゃなくてどうしたって不自然ななんかすわりの悪い文章になってしまう、本人は泣くほど大真面目に推敲してるのにってのが一定数あるわけで世間はそちらに注目するべきだ。
情報を文章の組み立てに最適化される形で整理する力、適切な構文の取捨選択みたいな力が絶対的に低いんだよね。そしてそれは一朝一夕で磨かれるものでもなければ努力で才能優位な側面があるので埋め合わせできるものとも限らない(単に文法的におかしいとかならいくらでも参考書があるけど、この手の変さは体系的かつチャート式で推敲できるようにするような特効薬的な事例集、参考書が皆無)。
そっすね
動作として"入ってるデータのみ"を使った出力ならば、盛り込んだデータ数に関わらず「引用部分が従である」が成立しないので引用が成り立たないという話。
「学習モデル」って書き方は混乱するか。ここでは生成過程に注目していたので「モデルデータ」とかにしたほうが分かりやすいか。後で書くけど「すり替えて」はおらず「学習する段階の話」ではない
AIは新たに自分の頭で考えた要素を付け足さず、モデルデータから選んで切り貼りする以上の動作を行っていないので「著作物を引用した新たな著作物」とは言えず「転載物の集合体」として扱える(と考える)。モデルデータの中身が全部無断で使われた著作物なら、モデルデータの中身が6組なら無断転載6件、100億組なら無断転載100億件ってこと
なんで引用かそうでないかを考えたのかは「引用が成立するなら権利侵害ではない」は無断転載か検証するにあたりだいたい確認するから
多分「学習と引用をすり替えてる」前提に立ってこれを書いてて、かつ「AIの学習は人間の学習と同じ」にこちらが乗っかったからめちゃくちゃ面倒くさいことになってると思うので、もう「AIの指す"学習"と人間のやる勉強とかの学習は全く別」って観点で話進めるね
「著作物だけでイラストの描き方を学んだ」場合というかだいたいがそうだと思うが、絵の描き方を勉強する過程でサルまねやトレースを行う行為自体は著作権法では制限してない。トレパクとか模写自作発言とか無断転載(+自作発言)くらいの事態が起きたら著作者の権利を侵害した行為として評価がくだる
"画風パクり"が著作権含めどの権利を侵害してるのか?みたいな話は生成AI以前もたまにやってたが、だいたい特定の絵についてトレースや模写をしてなくて"参考にした画風の持ち主の名を騙っていない"ならとくに問題なしという結論が出たはず
じゃあ「生成AIは画風パクりだからセーフやろ」という話が上がってくると思うが、これは先に上げた「転載物の集合体」であることを考えれば"画風パクり"とは全く違うものであるので、画風という観点で判断してはいけない
AIに便宜上"学習"(Training)って言葉を使っているのでややこしいのであって、いわゆる学習モデルも実態は「入力パラメータ用ファイル集」なので"学習の成果"とは意味合いが違う
かなり前の方の増田でやった「学習モデルの再頒布禁止」という話については「生成AIを動かすために学習モデルを作る」ことは権利侵害にあたらないが「無断転載素材入り学習モデルの頒布」はガッツリ権利侵害だぞって話(これに"学習"って言葉つけないといけないからややこしい)
ただ生成AIのシステムもコンピュータープログラムである以上「プログラム動作時のデータ処理の流れを追うログ出力コードを盛り込むことは不可能」なんてことはない
だからそんなことできないの
まさかそちらから具体的なアルゴリズムの名前を出してくるとは思わなかった
ニューラルネットワーク(以下NN)の内部動作は、人間が指示を出してNNから返された出力を見て「どんな考え方したらこんなアイデア出てくるんだよ思考回路マジわからん」というのがだいたいなので、これも便宜上「ブラックボックスだね~」と言っているにすぎない
NNがたとえば古代アステカ文明の遺跡から発掘された謎の箱をパソコンに繋いだらAIになったとかいう代物なら間違いなくブラックボックスと呼んで差支えない
だが実態は"アルゴリズム"なので、NNはなんでも作れる不思議な箱ではなく、入力層・多層の中間層・出力層を設けた計算手順にすぎない。NNの参考書読んで人力で計算しても(時間かかるし高難易度関数のオンパレードだが)再現可能ではある
参考にしているStableDiffusionも動作原理もアーキテクチャも明らかなので、人間に再現不可能なブラックボックスではない。プログラムを実装してるのがエリートのプログラマであるってだけの人間だし
「誰がビニール袋持ってきて!こいつもう吐くぞ!」には”be going to”。willは明白に誤り
「飛行機のチケット予約できたよ。明後日の午前8時に離陸する予定の便だよ」は現在形。”will” は明白に誤り
文法の参考書にこういう細切れの情報は豊富だけど、どの場面でも謎にぶち当たらずちゃっちゃと正解が導き出せるようなフローチャートにしてほしい。
プログラマーなら作れるか?
東京などの有名国立大を目指すのであれば、小学校中学校は田舎、高校受験で県庁所在地一人暮らしなどを視野に入れればいいでしょう
ぶっちゃけネットの発達により、勉強の格差は圧倒的に少なくなりました。参考書やネット塾などを視野に入れれば環境的な問題はありません
それでも県庁所在地の高校を視野に入れるのは、自分の周りのレベルが自然と自分のレベルを上げるからです
自宅での勉強だけより、周りとの同調によるブーストも加味した方が学力が上がりやすい傾向にあるといえるでしょう
ただし、先に書いたように、周囲の環境はあくまでもブースト程度であり、自身に意欲があるのであればネット環境だけで十分国立大は狙えます
資格の参考書には多分例外なく、この本の内容を信じれば合格することを保障しない旨が書いてある。これは答えや解説の妥当性を保証しないという意味もあろう。つまり解説から得られる解法プロセスを信じて試験に臨んでそのプロセスが適用範囲であるはずの明らかな類題が出たとしても、そもそもそのプロセス自体合ってる保証がなく、そのプロセスで解いた結果間違った解答を導き出して試験に落ちることもあり得るがそんなことに対して責任は負わないということだろう。
一方大学受験の参考書にはなぜかそんなことは書いてない。もちろん合格など保障してるわけがないはずなのだが、資格試験の本とこぞってわざわざ当たり前のことが明記されているのに対し、大学受験だと明記されないことに今更気づき不思議さを覚えた。
昔から要領が良かった
参考書を読んだり人に教えてもらったりすればだいたいなんでも一回で普通に覚えたし見様見真似で出来るようになった
けど限界が来た
人に教えることが出来ない
厳密には形式上教えることは出来る。自分が教えてもらったように、多少相手に合わせてアレンジしてやるだけだから
我慢強く教えることが出来ない、俺のときよりも数十倍丁寧に教えているのになぜ出来ない?
俺は自分で調べろと言われただけだったのに。。
要領が良いということは挫折したことがなく、そこから立ち直ったことがないということでもある
相手に才能がないと切り捨てるのは簡単だ、けどその人達をうまく使うことが俺の仕事だから、簡単に諦めるわけにもいかない
三十余年生きてきて初めて、挫折を感じている
つまり高校までのあらゆるレベルの参考書や大学受験の問題を解けるような状態にしておかなければならないとか思っている。
それはたとえば難関大の赤本をぱらぱらめくるだけでも、高校数学の範囲の中で可能な問題設定がこれでもかというほど無数に思えるバリエーションで存在することが分かるということだ。これら全てをマスターせずに専門数学を学んだところで、自分で問題設定したりそれを解いたりできるようになるのかという疑問がある。高校数学ですらそれができるようになってないわけですから。
また高校数学の教科書から一歩出た段階の典型問題や応用問題では、解の個数を求めるときは定数分離するといいことがあるとか、二次曲線同士が接する条件は重解条件とは限らないとか、そういう定理というほどでもないいろんな考え方を身につけさせられるものだ。
専門数学を学ぶ上での記述には、そういう頭のいい筆者が高校時代に身につけた考え方など明示的に表現されてなくて、高校数学を完璧にしておかないとそうした行間を補えず躓いてしまうだけなのではないかと思った。
あれ、でもそんなこと言ったらそもそも高校受験や中学受験も灘や開成で出るような問題は解ける保証ないかも?そこからやり直し?ってなってくる。そういえば算数の中学受験問題解いてみたが全然解けない。
そもそも大学への数学シリーズで得意げに解説してる筆者たちは参考書のレベルにおいて今の自分達が執筆してる位置付けのあらゆる本の内容を高校時代にマスターしていたのかすら疑問なのだが。
とはいえ、難関の中高一貫から東大数学科に入った子には中高の数学は自分では全く勉強した覚えがない(つまり中学受験時から塾に行かずに受かってるんだろうな)という人もいるらしいし、こういう人間はいまさら赤本だの中学受験の算数だの解けるか確認するまでもなく解けて当たり前なのかもしれない。そしてそういう人間の一部が次代の受験業界で難問奇問を自在に作る側に回ってるのかもしれない。
とはいえやはり、高校までのレベルのいろんな問題を解く上で必要な、身につけられる考え方というものが純粋数学の研究および証明に活きてくるという事例はないのだろうか。いやむしろ、その考え方を知っていたからこそひらめいたわけで、知っていなかったら証明に辿り着けなかったということが最先端の数学において無いのだろうか?
その考え方を知らないパラレルワールドの自分が証明できてるかどうか確認する術はないので、その考え方が証明に必要不可欠だったかどうかは証明しようがないんだけども。
とはいえ大学数学に臨むために中学の算数から受験問題の研究で徹底的に深掘りし直したなんて話聞いたこともないし、このあたりは「中高で数学は自主勉強しなかった」ような人間がその道に進むのが適切なのであって、いちいちしらみつぶしにあらゆる受験問題を解いたりしないと自分では考えが浮かばないような人は、そういうことを完璧にしようとした時点で人生の時間切れが迫るし、そもそもその程度の人間は大学数学向いてないと見切りをつけるのも必要かもしれないな