はてなキーワード: 半ドンとは
3月31日は趣味の用事で遠征していて、退職を決意するまでは4月1日に休めないよなあ、午前様になるけど帰らなきゃなあと思っていたんですが、退職を決めたことで何の心配もなく宿泊を決めました。
今日はホテルでゆっくり起きて、昨晩飲んだ帰りにコンビニで買ったカップ味噌汁を飲みながら新元号発表を控えて浮き足立つニュースを眺めて、遅めにチェックアウトした後ちょっと奮発して1500円の駅弁を買って、新幹線の中で食べながらスマホで新元号発表の中継を見ました。
令和かあ。考えもしなかった案だったなあ。
昭和から平成になった時は小3だったんだけど、昭和64年1月7日は土曜だったから半ドンで学校に行ったんだったかな?昭和天皇が入院してからずっと「今日のご容態」がニュースで流れていたから、子供ながらに大変なことになっていると思っていたと記憶しています。
崩御の発表があった時の、白い筆文字で「天皇陛下崩御」と書かれた真っ黒い画面も妙に記憶に残っていたり。
小渕さんが平成の額を掲げたのを見た時は、しっくり来ないなあなんて思ったような。
あれから30年。
社会に出て働いて、鬱になって休職したりして、転職もして、気づけばアラフォー。
独身で子供もいないし、親は健在、自分は長子でもない、ならそんなに頑張らなくてもいいんじゃない?と思って、転職活動を全くせずに会社を辞めてみました。
ああ、楽。何より気持ちがとても楽。つい先週まで気にしていたあんなことやこんなことを、今日からは全く気にしなくていいんだ。こんなに楽なことはない。
再就職活動の時はブランクのことを聞かれるだろうなあ。ちょっとゆっくりしたかったので、は通じないか。もう正社員にはなれないかも。
まあ、そうなったらその時はその時。
先に言っておくと、男女の対立を煽っている訳でもないし、ポリ是スティックをぶんぶんするつもりもないです。
そんな訳で、幼少時に性的被害者になった僕の個人的な話をしたいと思う。
小学校の時、近所の幼なじみのお姉ちゃん(当時高校生)によく面倒を見てもらっていた。
留守にしがちな両親の代わりに、彼女の家で飯を食べさせて貰ったりしていた。
ある日の土曜、学校を半ドンであがった後、彼女の家でお昼ごはんを食べていた。
高校生なので若干、僕より遅く帰ってきた彼女は「ご飯食べたら宿題を見てあげる」と言った。
雑談をしながら宿題をしている内、彼女は「ちょっとチンチン見せて」と言ってきた。
僕は「やだよ!」と言ったが、「いいから!」と声を荒げる彼女が怖く、ベッドでズボンを脱がされた。
恥ずかしいやら怖いやらで、何をされたか覚えていない。
家に帰っても恥ずかしいやら怖いやらで、両親にも何も言えない。
その日から、ちょこちょこ彼女に呼び出され、おもちゃにされた。
しばらくしてから、彼女と彼女の友人で僕をおもちゃにし始めた。
この頃にはもう「恐怖」しかなかったし、彼女の顔を見ると情けないけど足が震えた。
限界を迎えた僕は、両親にこの事を打ち明けた。
帰ってきた言葉は
「興味が湧く年頃なのはわかるが、そういう事はしてはいけない。」
だった。
そして最後に言われたのが「まさか〇〇ちゃんを襲ったりしてないだろうな?」だった。
両親の中に、「男が性被害者になる」と言う考えは一切なかった。
最終的に、彼女の家で下半身丸出しにされている所を彼女の親に見つかり、
「幼なじみが大人しい事をいい事に、チンチンをさわらせようとした」
というレッテルを貼られた。
僕の言い分は何一つ信じてもらえなかった。
両家とも「恥ずかしいので隠したい」という思いがあったのか、うやむやになり関係が途絶えて終わった。
それなりに酷い事をされた。
そんな感じでこれを体験した身として感じた事は
まず、被害にあった事を非常に言いにくい。そりゃもう言いにくい。
「自身の男としてのプライド」も邪魔するし、「馬鹿にされるんじゃないか」的な恐怖もある。
「イタズラされて、若干とは言えオティンロンが反応してしまった自分に対する敗北感」みたいのもある。
後は当時の年齢的なものもあるけど、言葉に出来ない思いが物凄くぐるぐるした。
「男が被害者」という発想が誰からも出てこない挙句、「女性は被害者」という妄信的な発想。
そりゃ僕の言い分なんか信じないわ…。
そんでまぁある程度、時間が経過して大人になり、仲良くなった人とかにこの経験を話すと
これはほんと男女関係ない。浴びせる言葉に「彼は被害者である」と言う意識は微塵も感じない。
もちろん悪意もない。
ちなみに、被害にあった女性に対し、「自分にも隙があったのでは?」みたいなトンチンカンな事言う馬鹿はいるが、
「ご褒美じゃん」
とか言うやつは聞いた事ない(ごく一部のチンパンジーが言ってるかもしれないけど)。
(※「だから男の方が辛い」とか言う意味じゃないぞ!「男性側はこういう事を言われるぞ!」と言う意味だぞ!)
そして自分が「性被害者である」事を必要以上アピールすると、もう「面倒な男」扱い。
笑い話にする以外には許してもらえないあの雰囲気。
過去に痴漢にあった女の子の話に対し、「痴漢死ね!」とみんなが怒りを覚える中、
自分の過去の経験に対しては、「俺もイタズラされたい!」「リアルおねショタで薄い本!」とかいう反応。
後、「男なんだからいいじゃん」とか「減るもんじゃないし」とか。
男だってイヤだし、心がすり減る。
いまだって思い出すだけでイヤだし、すり減った心はそのままだよ。
そして少数かもしれないが、
そうやって傷ついて救われない男性もいるのだと言う事だけでも、
心の隅に置いておいて頂けると、いつか誰かが救われるんじゃないかなと思う。
小学生の俺は東北の地方都市で、家族4人の次男として暮らしていた。
家は特に貧しいわけではなく、無駄遣いはできないにせよ不自由なく暮らせるレベルだった。
そこそこ厳しめの家で、テレビを好きに見せてはくれなった。
一週間に一度、ドラえもんだけ観ても良い事になっていて、いつも兄と見ていた。
ときおり、金曜ロードショーで面白そうな映画があると、見ても良い事になって父母も入れて4人で見た。
金曜ロードショーが終わるのは夜11時で、その時間まで起きていると夜更かしなので、
金曜ロードショーが始まる前に夜ご飯と歯磨きと風呂を済ませて、パジャマで見る事になっていた。
見終わったらすぐ寝るためだ。
特に冬は東北は寒いので、ストーブをつけた部屋で、毛布をかぶって見る事もあった。
金曜ロードショーは開始時にフライデー・ナイト・ファンタジーという曲が流れる。
それが始まったら、「はじまったよー」と呼ばわると、家族が集まって来て皆で見始めた。
廊下は暗くて寒かったが、急いで用を足して急いで戻り、また毛布にくるまった。
翌土曜日は半ドンだが学校があり、クラスでは金曜ロードショーの話に花が咲いた。
有難い事に父母も兄も息災で、兄は所帯を持ち子供がいる。
たまに実家に帰る事はあるが、もう一緒に金曜ロードショーを見る事はない。
動画はいつでもどこででも見られるようになり、トイレに行きたければCMの時間を気にする必要もない。
あの幸せだった時間は二度と帰ってくることはないが、その代わりに別の幸せな時間もある。
ただそれだけの話。
どうもジェネレーションYの者です。
ジェネレーションYとは2000年代に成人を迎えた世代。1980年から1990年までの生まれの人間です。
ゆとり世代ではないですが、半ドンから週休二日に移行するころに生きていたのが私です。
そんなちょっと上の世代から、1990年以降生まれのジェネレーションZ世代に向けて悪態をつきたい気分なので書きます。
ジェネレーションZ世代とは、完全なるインターネットネイティブである。それゆえ現代では、ソーシャルネットワークを使って連絡する世代だと言われています。
他にも、小学校時代にflash全盛期、中学校でニコニコ全盛期、高校でアニメ最盛期。そしてソシャゲの全盛期を迎えて、インターネットを謳歌している世代だと言われています。
非正規雇用も前の世代同様多いんだろうな。俺はこいつらが嫌いだ。
なぜ一方的に敵視するのか?それはこいつらは金を回さない糞野郎だと俺は知っているからだ。
インターネット最盛期を生きた。それはいい事なんだろう。テクノロジーの進歩とともに生きている。それはいいことだ。
まず、学校裏サイト。このニュースが出始めたのは2007年ころだろうか?ちょうどジェネレーションZが小学校の頃だ。
こいつらはソーシャルネットを駆使しているというが、結局の所は学校裏サイトで培った性根の卑しいコミュニケーションが基礎になっているんだろう。
サブ垢、裏垢なんてのを使いこなしていそうだ。まったくもってかわいげのない糞野郎だ。インターネットネイティブが聞いてあきれる。
インターネットネイティブを名乗るなら。匿名もしくはペンネームのアカウント一本で男らしくいくべきだ。
裏垢、サブ垢なんてズルズルベッタンコ!女みたいな卑しい根性をした野郎共だ。
この頃社会問題になったニュースをもう一つ憶えているだろうか?そう、マジコンだ。
小学生にマジコンが大ブームになり、親が子供にマジコンを買い与えることが問題にもなった。
もうジェネレーションZは趣味にお金を使う世代ではないのだ。きっと、漫画だってフリーブックスで読んでいるんだろう。
なぜならソシャゲ以外の娯楽にお金を使うということを憶えてこなかった世代である。まったくもって貧しい世代だ。
最近問題になっている焼き肉屋で晩御飯。居酒屋で晩御飯という非常識な真似をするのもこの世代なんだろう。
まったく。浪費と消費の違いも分かっていない貧乏ったらしい、糞みたいなやつらだ。
まだ半ドンがあった頃の中学時代、まだ朝の早い時間の人のいない路上でおっさんに声をかけられた。
「フェラチオしてくれませんか」
と。
おっさんがもごもごとした口調だったのと、当時そんな単語は知らなかったのとあって、「はい?」と聞き返したらば。
「やっぱり駄目ですよね……」
とすごすご引き下がってので疑問符を浮かべながら学校へと向かった。
教室に着いてからあのおっさんがズボンからブツを取り出していたことに気が付いた。
でも言えなかった。
時間が経っていたので先生に言ってももうおっさんはいなくなっているだろうことが一つ。
もう一つはただひたすらに恥ずかしかったのだ。生理すら大っぴらに言えなかった小娘がどうやって説明出来るというのか。
後日、成長してフェラチオという単語を初めて耳にした際に「あのおっさんが言っていたのはこれだったのか!」と納得したのと同時に
「あのおっさんは女子中学生になんてことをさせようとしたんだ!」という気持ちがわき上がった。
以前勤めていた病院では赤字解消のため、収入を伸ばすために土曜日も開けましょう(通常診療しましょう)という話が議題にあがったことがあった。
医師の給料はそのままで(そうしないと赤字)というなかなかひどい話だったんだが医師は了解した。看護師や検査技師はさすがに給料そのままということはなかったんだが、土曜日の通常診療を了解するものがガチで一人もでなかった。医師だけで病院開けたら過労死確実と思われたのでこの話は流れた。
今勤めている診療所は土曜日を半ドンでやっているが、診療時間を変えて半ドンを週2(水・土)にして平日を19時ぐらいまでやろうと提案したことがあった(通常は17時半まで)。それもやってくれる看護師がいなくて(正確には一人だけ一度OKしたんだが「って私が毎日遅番ですか?それはなし!」となった)流れた。
今世間で病院が開けてるような、そういう時間帯じゃないと人を集めるハードルが異常にあがる。とてもだけど世間にある病院の数だけ変則的な勤務に対応してくれる人はいない。一部の病院だけがそういう医師看護師を集めることに成功して、土日病院を開けている。
嘉門達夫のは、彼のラジオ番組の投稿ネタから拾ってるんだよね……。
昭和40年代生まれの視点から言うと、日曜日の憂鬱は昭和の週休1日、土曜半ドン世代の共通認識で、例えば自分の場合は日曜の朝のアニメ(ドンチャックとかマクロスとか)から感じてしまったり、サザエさんでなく笑点で感じてしまってた。(ブルーマンデー症候群がサザエさんで語られるけど、鬱とかそんな重い話でなく)
きっかけは人によってバラバラで、私はサザエさんで感じるって話(多数派)、いやオレは笑点(他、少数派)で、というのを中学か高校で友達と話したから、それって1990年より前か?
いや、小学校の時に近所の連中と話したかもしれない……。1980年代かなやっぱり。
そして、詰まるところ土曜日が昼からどっか遠くに行って遊べて満足して、体もくたびれてたら、こんな風に後悔しないって思ってたよね。
だから、サザエさん=憂鬱って話は、週休1日・土曜半ドンあってのものだと思うよ。
そうすると、CDリリース1993年というのは、ちょっと微妙に遅い気がする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%91%E6%97%A5#.E9.80.B1.E4.BC.91.E4.BA.8C.E6.97.A5.E5.88.B6
1980年代にスタート(この頃は聞いたことなかったけど)して、1993年で公務員週休2日になったという話だから、もうちょっと前だと思うんだよね。
病気で休職したらうちは給料出るよ。それが精神的な病気ならなおさらだよ。別に寄生してもいいと思うけど。少なくとも、民間では許されてるんだから。公務員が許されてもいいじゃない。
ちがうんだよ、ヤツは休職しているんじゃないんだ。
もう休職期間を使い切っちゃって、役場に「試し運転として出勤(でも半ドン)」な感じで働いているのか働いていないのか分からない状態で所属しているんだ。
でもって、給料はほとんど出ていないって。(いつも金がないって言ってる)
寮に住んでるから生きていけるとか自嘲気味に言ってるけど、その格安の寮だって給料みたいなものじゃんね。
なんだかなー。
「ひきこもりでネトゲ三昧。ぶひひ、サーセン」とか本人言っているの見ると、さすがにここまでの寄生生物はウチの会社にはいないなぁとあきれてしまいます。