はてなキーワード: クスリとは
ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ
イま(ゑ)ハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル
ツギニ
スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメスにナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動いタ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、
又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ
ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、
広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、
シュッと入って苦痛なく死ねる場所があったら人生メチャクチャ気楽になるじゃん
気兼ねなくチャレンジして、アカンなと思ったらパッと終了 そういうスタイルでいける
今って結局死が遠すぎるから良くねえんだよ 老後ボケたり寝たきりになって、苦しみつつ周りも苦しめるってビジョンが見えるから、人生のどのポイントでも行く先に暗雲が見えてる
いろいろチャレンジしてみたくても、失敗して一年とか棒に振るともう一生低賃金の長時間労働コースしかなくなるような感じだから、安定を取ろうとするしかなくなってくる
ちょっとした問診(酔ってないか・脅されてないから・クスリ決めてないかくらいを調べる)と死体処理代くらいでパッと死ねりゃいいじゃん それなら老後の心配はねえから爽やかな気持ちで生きられるし、いざとなれば死ねばええんや!って気持ちでいろいろチャレンジできる
ご名答。2017年くらいに検査に行って、診断おりるレベルではないけどASDの傾向はあるんだわ。やっぱそれなんだろう。後出しじゃんけんみたいでスマン。
しかしASDってクスリも無いし、治し方がよくわかんのだよな・・・。
検査のあと医者には「本読んで勉強しろ。本読んだらまた来て感想をいえ」みたいなこと言われたんだけど放置してるんですよ。ダメじゃん。
ASD傾向を少しでもマシにするためのことに本気出すしかないのだろうな。
いうて仲良く溶け込む程度の空気読みはできてるんで、まるでダメってわけでもないんだよな、中途半端なんだ。だからこそ上げて落とすみたいなことになってしまって余計つらいことになる。
私は字書きの同人女です。字書き歴1年にも満たない、弱小字書きの戯言だと思って聞いてください。お気持ち増田以下の文章です。
字書きをはじめたきっかけはぶっちゃけいうと、コロナです。コロナで自宅にいる時間が増えたことで「何か家で出来ることないかな~」と思いながらpixivで小説を読んでいた時のことでした。
(うわー、Aさんの作品めちゃくちゃいいな…自分もこんな作品作ってみたいな)と思うと同時に、(Bさんのこの話のキャラの反応、私ならこう書くのに…)という気持ちにもなりました。だったら、自分の理想の話を自分で書けばいいのでは?と、思い立ち見様見真似で1万字程度の作品を書きました(上にある作品の焼き直し、とかではなく全くオリジナルの別のテーマの話です)。
もちろん小説なんて書いたことないので、地の文が書けなくて悩んだり展開やオチなどは完全に手探りで書いた作品です。はっきり言って下手くそで拙いものでした。しかし、人生で生まれてはじめて書いた作品、愛着がわかないわけがありません。「自信はないけど、とりあえず私にもできた!」とめちゃくちゃ喜んだ記憶があります。
そして勇気出してPixivに投稿しました。閲覧が1から2になった瞬間、めちゃくちゃ嬉しかったです。この世界の誰かがよんでくれたのだと。そしていいねが1着いた瞬間はもう、今までに無いくらい嬉しかったです。
その後、書き方のコツみたいなものを段々つかみ、投稿のペースも上がってきました。書いても書いても書きたいネタが尽きません。執筆中はクスリでもキメてんのかってくらいテンション高いし、多幸感も半端ないです。こんなに楽しいことあるなんて知らなかった、なんでみんな教えてくれなかったの? と真面目に思っていました。小説書くのが最高すぎてずっとステイホームでもいいのに位に思ってました。
そしてふとあることに気づきます。同カプの方を見るとTwitterをやってる人が多いのです。私もやってみっか!と軽い気持ちで登録しました(リア垢と以前ヲタ垢を持っていたので初めてな訳ではありません)
これが悪夢の始まりですよね。私は数字の魔物に囚われました。現ジャンルは斜陽なので、すでにグループが出来上がってました。新規の私が来ても見向きもされません。まぁ、これはしょうがないです。
細々とツイッターにSSを上げたりしますが、ほとんどふぁぼはつきません。悲しいです。やっぱり頑張って書いたものだから読んでほしいじゃないですか。ここで自分の感情が変化したことに気づきます。今までは、書けるだけで幸せだったのに、Twitterを始めたことで評価が自分基準ではなく他人に受渡してしまったんですね。
数字とってる大手に嫉妬しました。好きだったはずの作品も素直に読めなくなりました。その後、やって来た新規の作品も解釈違いで読めません。自カプでワンドロが始まりました。ますます数字が見えて死ぬほど嫉妬しました。この時点ではまだ「Twitterは垢消ししてpixiv壁打ちに戻ろう」そう思っていたんです。
そして私が現在抱えてる一番のしこりの原因となった事件が起こります。
Yさんの参入です。
端的に言うと、Yさんは神字書きでした。
私と同じく、小説を書くのは初心者だと言っていました。にもかかわらずハイペースで執筆してた上、毎回萌えに溢れていて面白く、小説としての表現力も多彩でした。はじめは「やべぇ…解釈一致だ…最高だァ…」と読んでいた私も、次第に複雑な気持ちになっていました。ほぼ同時期に参入したのに、こんなに実力の差があり、私の好きをこんなに鮮やかに表現できるなんてずるい、と。
しかし、Yさんは何にもずるくありません。生まれ持ったアイディア力だったり、今までの経験だったり、読んだ作品によって培われた文章力によってYさんが生み出した作品を正々堂々提出しているのは知っています。
かなわない、と思いました。打ちのめされました。自分がどうしようもなくちっぽけな人間に見えました。同時に、私を脅かす存在になりました。
ごく一部の例外を除いて、同人なんて所詮趣味です。それなのにこの世の終わりのような気持ちになりました。
Yさんは神字書きなので、Yさんの存在に気付いた界隈もYさんをチヤホヤしだします。あっという間に人気者になりました。他人のつぶやきで「Yさんの新作うれし~」というのも何回も見ました。ワードミュートしててもすり抜けてくるので辛かったです。私は相手にされないのに…と卑屈になりました。
いやいや!嫉妬してる場合か!私も神字書きになればいいんだ!だったら作品で殴るしかねえ!と思い、私も作品を投稿し続けました。本も出しました。
感想も貰ったし、フォロワーも増えました。他人の評価が気にならいわけではありませんが、割と数字についてはどうでもよくなりました。
なんと驚くことに、なんとYさんも本を買ってくださいました。でもYさんへのなんとも筆舌しがたいどす黒い感情は消えません。
同カプはほぼ全員ミュートしてます。作品も読んでいません。これ以上第二のYさん的存在を自分の中でつくりたくないからです。
なんでこんなに自分は嫉妬深いのか。今思えば昔から頑張る基準が他人だったからなのかもしれません。
私は幼稚園児の頃から、たいそう負けず嫌いでした。かけっこに負けてよく泣きました。ピアノが幼馴染より下手なのが悔しくて悔しくて、死ぬほど練習してピアノ伴奏の座を勝ち取ったりしてました。その後、音楽畑に進んだのですが、私は勝手に全員ライバルと思い込んでいました。全員蹴落とすぞくらいの気負いでいまいた。実際、練習して練習して椅子を勝ち取っていました。つまり、自分が一番でないと気が済まなかったんですね。それを同人にも適用してしまっているのだと思います。
これからこの考え方を変えられるのか、正直分かりません。多分難しいと思います。嫉妬するのは苦しいです。かなりエネルギーを使うし、疲れます。創作のエネルギーも消耗してしまいます。
自分がYさんに嫉妬しない方法はただ一つでした。自分が作品を作ることです。小説の執筆中は自分と推しカプだけに向き合っているので、Yさんのことは考えずに済みます。今は原稿が終わって何も書いていない時期なので、蓋をしていたYさんへの感情が溢れてきて泣きたいほど苦しくなっています。なので、この文章を書きました。
この苦しい気持ちを否定したくありません。私はいつも悔しさや苦しさを力に何かに打ち込んでいました。小説を書くのは今でも楽しいです。この負のパワーをバネにもっと最高な作品を書きたいです。
自殺することに救われた奴だって確実にいたと思うんだよね。もう死んでるから意思表明を聞くことは不可能だけども。
それでも@残された家族はこんなに辛いんだぞ、っていうのばかりが喧伝されすぎてると思う。
時々ころしても死ななさそうな真性のゴキブリクズだった係累が自殺してマジやっほぅ!! みたいなのも見るけど、そういうのはここやほかの匿名の場所に限られてる。
自殺がもたらすネガティブ面ばかり強調されすぎていることも、自殺する人される人を追い込んでる・・・そういうところはないだろうか。
いざとなったら死ねばこんないいこともあるかもしれない、というのを意識していれば、すぐにそちらに飛びつくこともないのではないだろうか。
どうだろうか。
クスリ犯罪の予防啓発で~「人間やめますか」みたいなのはきつすぎてかえって逆効果~というのを、クスリで人を殺した犯罪者の子供が語る、みたいな記事を読んでそう思った。
自殺・自死に関してもあまり追い込まずに「まあそんなこともあるわな」くらいのユルい構えのほうが、救われる人は増えるのではないだろうか。
たとえアメリカの一流大学にいってたとしてもだぞ、純粋数学を学んでた人間が Python を1年学んだぐらいで世界的な人工知能開発者になれるわけねーだろ。世の中を舐めすぎ。次にくるのが AI だという理由で、金融工学から鞍替えするのも、信用がならねえ。
そして人工知能はノイズキャンセリングや形態素解析エンジンのことである、というのであればそれで良い。問題なのは、そのエンジンを自作できないでラン○ーズやクラウ○ワークスに投げているのばどういうことよ。それにライブラリを使うだけだったら、学歴はいらねーぞ。普通はその経歴だったら、CUDA なり C なりで高速に動作する人工知能のコードを書くことができるひとなんだと思われるぞ。Python だけしかできないなら、無能は無能らしく黙っておけよ。高々、年収500万で「統計とC言語と設計ができて人工知能開発も可能」という求人を出すな。反社か。
お前さん、アメリカでクスリ使うことだけを学んで帰国しただろ?変な痩せ方したり、鼻が赤かったり、呂律がまわらなかったり、足し算ができなかったり、急にキレたりするのはそういうことだろ。
もう諦めなって。あなたを救ってくれるのは、警察だけだよ。人工知能で詐欺も、資金集めも要らない。刑務所でじっくりとクスリ抜いてもらって、職業訓練をする。そうしないと【何もできない】人工知能でクスリを手に入れるためだけに、これからも生きていくことになるぞ。