はてなキーワード: どんくさいとは
私はドライブが趣味で、特に深夜に山道を運転する機会が多いのだが、こういう道でチンタラ走るドライバーはことごとく運転が下手。道路の流れを無視し制限速度以下のスピードでチンタラ走り続け、後ろに行列を作ることが多い。
こういうドライバーは後ろから追いつかれても絶対に譲らない。チンタラ走り続ける。制限速度で走る場合その速度をキープしてくれればまだマシなのだが、上り坂でアクセルを踏まず大減速して渋滞を作るし、下りではローギアに落とさずブレーキをパカパカ踏んで減速するため傍から見ていても危なっかしい。カーブのライン取りも甘く、インから入って外に膨らみ、曲がりきれずカーブ後半で急旋回する。同乗者はたまったもんじゃないだろう。車内はきっとゲロまみれだ。
こういうドライバーは運転の三要素(認知、判断、操作)の三点すべてがグダグダで、前述のようにスピードを出さないこと以外にも問題があるのだが、この類のドライバーの一番の問題点はドライバー間のコミュニケーションが絶望的に下手で、空気が読めない所にある。
深夜の山道では、様々なペースの車が走っている。チンタラ走るドライバーは知らないだろうが、ある程度スピードを出して流れに乗れている車は、それぞれがうまい具合に譲り合っている。定期的にミラーを確認して、後続車を確認する。速い車に追いつかれたら、安全に追い抜きできる直線で、左ウインカーを炊きながら路肩に寄せる。すると後続の車はサンキューハザードを炊きながら、さっと追い抜いていく。
ある程度スピードを出して流れに乗れるドライバーの間であれば、このコミュニケーションが円滑に進む。他車に追いついた時、追いつかれたときに、お互い相手が何してほしいのかがわかるし、さっと行動に移せるのでお互いが気持ちよく走行することができる。
しかし、制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは、これが全くできない。いや、全くできないというより、やろうとしない。追いついてきた後ろのドライバーがどう思っていて、何を考えているのかを全く考えない。そもそも、追いつかれたことに気づいていないのかもしれない。そして、ちょっとでも車間が詰まろうものなら、あおり運転だと騒ぎ始める。
車間距離だって、立派なコミュニケーションの一つである。車間距離を詰めることは、大抵の場合「追いついたぜ」のサインであり、悪意のある嫌がらせのために詰めてくることは殆どない。車間を詰めてきた車は、譲ったときに必ずサンキューハザードを出してくれる。そこで車間を詰めたことに悪意が無いことはわかるし、お互いに良い気持ちになれる。しかし、チンタラ走るどんくさいドライバーは、譲ってもほとんどハザードを出してくれない。
以前、大切な荷物を車に載せ、制限速度を割るペースでいつもの山道を走ったことがあった。普段追いついてしまうようなチンタラ車にも道を譲ったのだが、こういう車は譲られるのが本当に下手だった。路肩に寄って減速しても追い抜かずに一緒に減速し、随分スピードが落ちてから追い抜いていく。追い抜く際もハザードなし。多分、譲られたという意識が無いのだろう。
さて、ここまで私の増田を読んでくれたどんくさいドライバーの中には、こう思う人もいるだろう。そもそも、法定速度を1キロでもオーバーしたらスピード違反ではいかと。たった1km/hのスピード違反すら許さず叩き出すブクマカも湧きそうなものだが、この考えこそどんくさいドライバーの空気の読めなさと融通の効かなさを如実に表している。
警察庁は毎年、「交通事故の発生状況及び道路交通法違反取締状況等について」という資料で、速度取締りの件数を公開している。この資料によると、令和4年の取締では、超過速度15km/h以上〜20km/h未満の件数は約28万件に対し、15km/h未満の件数はたった130件。昨年のみならず、例年15km/hの違反は多くても200件以内の数に収まっている[1]。つまり、警察も15km/hまでの速度超過はバッファとして容認しているのである。15km/hを超えない程度の違反は許容するから、それぞれのペースで譲り合いながら円滑にやってくれ、と警察は暗に言っているのだ。
ここまで山道のスピードについて話してきたが、周りを見て相手の意図を察し、譲り合えないドライバーははっきり言って危険である。交差点の右左折、車線変更や高速の合流、コンビニなどの店から道から出るシチュエーション...。お互い察し合い空気を読んで譲り合ってこそ、安全で円滑な交通が実現するのである。ただルールを守れば良いってもんじゃない。
実勢速度や周りの車の様子、そして警察の速度取締の様子を全く顧みず、制限速度を盲信してチンタラ走るドライバーは、他のシチュエーションでも空気を読めない可能性が高く危険だ。しかも自分は優良ドライバーだと思っている分余計にタチが悪い。
こういうドライバーが少なくなってくれることを望む。
【参考文献】
【追記】
大切な荷物積んで山道ゆっくり走った時の話書いてると思うんだけど、そこ読みましたか?
抜かれたら抜き返そうとは全く思わないです。むしろ譲ったらさっさと抜けと言っているんだ。
私は譲られるより譲る機会のほうが多いし、実際この増田も譲る話を主体に書いたのに、私がスピードガンガン出してあおり運転しまくってると思われるのは、私の書き方が悪いんでしょうか。
この手の山道走行趣味という自称素人、普通にヤバイ運転してる奴が多い。〜中略〜15km/hのバッファて、山道で15km/hも違ったらヤバいだろ。
一言で山道といっても、カーブのキツさや制限速度、そして実勢速度は道によってバラバラです。制限速度50のところもあれば30の所もあるし、制限速度の看板なし(法定速度)でも、50km/hも出したら危険な道もあります。同じ道、同じ制限速度の区間でも、場所によってカーブが連続するところもあれば直線が長く続くところもあります。
常に制限速度+15km/hで走れとは言ってないです。スピードが出やすい区間で許容されうるバッファが+15km/hであるという話です。
このブクマカ以外にも、一言に「山道」と言っても色々な道があることを分かってない人が何人かいます。運転経験が足りないのでは?
やばいドライバーのお気持ち見本市みたいな頭のおかしさ。〜中略〜「15km以内は容認」で絶望。例え30km超過しても、法律は「他の奴が捕まるかどうか」で判断してはいけない。
いや統計みりゃ容認していることは一目瞭然でしょう。15km/h以内が容認されないのであれば、どうして警察は15km/h以内の速度違反を取締しないのでしょうか。
ちなみに、15km/h以内の取締をしたいけど諸事情によりできない、という訳ではないです。ゾーン30での取締など、警察は必要に応じて15km/h以内の取締もやってます。よその道で15km/h以内の取締をしないのは、容認しているからにほかなりません。
山道ってとんでもねえスピードで走ってる車いるよな。運転者は自分運転うまいと思ってるんだろうけど、欲望まみれの運転はむしろ下手の部類だぞ。
そのとおり。「自分のペース(チンタラ)走らせろ。後ろから来たドライバーには譲らん」っていう運転も自分中心欲望まみれの運転なので、後ろから車が来たら素直に譲ってね。
最後に、別に私はスピードを出せとは言ってないです。制限速度を割るスピードで走っていいです(私も荷物積んで走ったときはそうしました。)。その代わり自分のペースで走ってて他の車が追いついてきたら、走り続けず譲ってねと言っているんです。下手なドライバーとはスピードを出さないドライバーではなく、チンタラ「走り続ける」ドライバーのことです。
とまでは言わないけれど、身分証明書といえば運転免許証という風潮にはうんざりする。
運転免許証というのは、あくまでも車が運転できることを警察に認めてもらった証にすぎない。
俺みたいに、公共交通機関が発達している所に住んでいるから車移動の必要性を感じず、
金がないから車を買う余裕もなく、どんくさいから車の運転に必要なとっさの判断もできない。
そんなやつでも、身分を証明できるものがないと、まるで人権を否定されたような気分になる。
車が運転できるかできないかで、人権のあるなしが決まるような世の中はゴメンだ。
そんな俺たちに現れた救世主がマイナンバーカード。(別に俺は河野何某の回し者ではない。)
運転免許を取るには20万位かかるけど、マイナンバーカードの取得にお金はいらない。
今、自分の将来は暗く、おそらく近い未来、およそ1~2年のうちにホームレスになるしかないんだろうなっていうぐらいに追い詰められているアラサーなんだけど、
そんな中、最近強く後悔しているのは、10代~20代の前半という学生時代やいわゆる多くの人が経験しているときに、もっと異性と話したりセックスできればよかったということだ。
まあ自分の場合といえば、その頃から自分の容姿や要領の悪さに自信があり、そんなどんくさい自分を相手にしてくれる他人なんていないと思っていて、
人との接触を避けていたんだけど、今から思えばそれはまだマシな方だった。
今や、自分のように新卒就職にひっかかりもせず、ずっと非正規で明日生きていけるかわからないぐらいの低賃金の仕事をし続けるしかない、いわゆる社会の底辺を相手にしてくれる他人なんていないのだ。
だから、もっと自分の可能性が一応あるとされている時に、人と付き合うことができていたらと、最近強く感じるのだ。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。
今、自分の将来は暗く、おそらく近い未来、およそ1~2年のうちにホームレスになるしかないんだろうなっていうぐらいに追い詰められているアラサーなんだけど、
そんな中、最近強く後悔しているのは、10代~20代の前半という学生時代やいわゆる多くの人が経験しているときに、もっと異性と話したりセックスできればよかったということだ。
まあ自分の場合といえば、その頃から自分の容姿や要領の悪さに自信があり、そんなどんくさい自分を相手にしてくれる他人なんていないと思っていて、
人との接触を避けていたんだけど、今から思えばそれはまだマシな方だった。
今や、自分のようにずっと非正規で明日生きていけるかわからないぐらいの低賃金の仕事をし続けるしかない、いわゆる社会の底辺を相手にしてくれる他人なんていないのだ。
だから、もっと自分の可能性が一応あるとされている時に、人と付き合うことができていたらと、最近強く感じるのだ。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。
男から見てもかっこいいって思うけどまあでもそれって見た目の話であって
割ってるやつがみんな人間的にいい人とは言い難いところではある
そこだよね。難しいところ。
「人間的にいい人」って難しいけど、例えば腹筋に限った話なら、腹筋を割るのって紛れもなく努力が必要だし、人間すごいことを成し遂げると誇りたくなるのは普通のことだよね。だけど誇ってるというよりマウント取っちゃう人も必ず居る。正直気をつけてないと自分もやりかねないし。
でも、そこはそれこそいったんは「割れた腹筋に貴賤なし」で考えたい。割れた腹筋はみな美しいし、腹筋割ってる人は格好いい。
人物としてという話なら、不快なことは不快だということは伝えていくつもりだし、向こうにとっても何がイヤとか居心地悪いとかもやもやするとかは聞きたいし、お互いに何がどう不快だとかそういうつもりじゃないとかそういう認識は何度でも話し合ってすり合わせしたいし、それで無理だなと思う人は要するに「私とは合わない」ということなんだから距離を取って終わりにするしかない。
異性とのお付き合い関係なく、普通の友達とかでも結局はそうだし。
書いてて思ったけどなんかワタシ重いな。
よく婚活界隈で「友達探しに来てるんじゃない」というフレーズを聞くんだが、「えっ言うて友達になれない相手と結婚は厳しくない?」と思ってしまうタイプなんや。友達に終わってしまったとしても、それはそれでええやないかと思ってしまうタイプというか。
高校に若い女性教師がいた。当時25歳で、自分は高2。この先生が背の高い美人で明るい人で、陰キャ喪女な自分にもかわいいあだ名をつけてくれて、よく話しかけてくれていた。
修学旅行のホテルでの話だ。当時自分は顎ニキビに悩んでおり、市販の白い軟膏を風呂上がりに塗っていた。夜の見回りにその先生が部屋にやってきて、自分の顔を見ると「ハミガキ粉付いてるよ〜」といった。ニキビ薬であると言うのが恥ずかしくて黙っていたら(ハミガキ粉のほうが恥ずかしいのだが、なぜか当時はニキビ薬であるほうが恥ずかしかった)、先生は少女漫画の王子様キャラかよみたいな手付きで自分の顎をそっと持ち上げ、指で薬を拭ったのである。群発ニキビだったので10箇所くらい塗っていた。今考えると、他人のだ液の混じった歯磨き粉(だと思っているもの)を素手で拭うとかマジかよという感じだけど、友達みたいな親しみのある先生になりたかったのかも
当時の自分は顎ニキビが恥ずかしくてそれどころではなかったけど、あれはまあ、百合だったな、と百合厨になった今思う。
ちなみに先生はこのとき普通に彼氏がいたし、このあと普通に結婚しているので、先生がレズビアンのペドでどんくさい未成年女子を獲物として接触するのを狙っていたとかではない。
うちの近所にさ、なんか自動車の抜け道になってるっぽい一方通行の住宅街の道があるわけよ。
だからあんま通らないようにしてるんだけどどうしても通らないといけないパターンも有る。
そんなときにイライラするのブワーッと追い抜いていく車じゃなくて
それとは逆に、いつまでたっても抜こうとしない車の方なんよ。
もー、めいいっぱい左によっててさ車が通るスペース空けてるのに抜かないやつな。
あれ、めっちゃ疲れるんよ。ずっと自動車に後ろ張り付かれると。
んで、最近そういうやつがおおい。
どんくさいのか老齢なのか知らんけど。
そういうふうに常々思ってたんよ。
でさ、ある日ね、ちょっとボケっとしてたのかその道のど真ん中を走ってしまってたのね。
そしたらさ車がものすごい勢いで接近してきて、ブッブッブッブーてクラクション鳴らすわけよ。
で、びっくりして道を譲ったらすごい勢いで抜いていったわけ。
ああ、これだ!って気づいたよ。
なんかね、人間って道を譲ろうとしたら逆に遠慮する生き物みたいなんだよ。
で、道の真ん中に居たりすると逆に轢き殺してやろうと本能をむき出しにするみたい。
これに気づいてからは
1.道の真ん中を走る・歩く。
2.車が接近してくる。
3.半テンポくらい遅らして避ける。
4.車がイキりながら抜いていく。
チンポ。
クラスでは、ガリ勉でどんくさい僕を、いつも叱ってくれましたね。
委員会の仕事でミスをしたときは、他のメンバー全員を訪ねて謝罪するまで、先生は口をきいてくれませんでした。
部活では、いつまで経っても基礎練習から卒業できない僕を、厳しく指導してくれました。
ただ、ボールを触ったことが数えるくらいしかなかったのは、残念でした。
そんな僕をみて、クラスや部活のみんなは楽しそうに笑っていました。
僕も、笑っていました。
印象を悪くすると、進学に響く。
だけどあの頃は何にも言えなかった。だから、今、ここで吐き出してしまおうと思います。
恩なんて一切感じていません。
あなたから教わったことに、有意義なことは一つもありませんでした。
叱られた理由は今でもわかりません。
直接伝えようと思ったこともありましたが、僕も大人になりました。
思ったよりも世の中はクソではないし、いい人もたくさんいることに気が付きました。
だから、この辺で、この思い出は成仏させてしまおうと思います。
その為に、ここに書き込むことにしました。
初めてのネッコを飼い始めて5ヶ月が過ぎた。
保護猫なのではっきりした年齢は分からんが、常にゆっくりでかなりどんくさい(かわいい)、1日の大半寝ている、体のあちこちが悪い等から、ほぼ間違いなくおじいだと思っている。かわいい。
さてそんなネッコと暮らしているわけだが、この週末、遠距離恋愛中のかれぴが会いに来てくれた。付き合って5年以上経つ仲だ。らぶらぶですいえーい。
かれぴは生まれた時からネッコと暮らしている圧倒的経験者なので、我が家のおじいにゃんもかわいがってくれる。ネッコは最初こそかれぴを警戒していたが、元々人見知りしない性格もあって、すぐに馴染んでくれた。出会って2日目には、かれぴのお腹の上で寝ていた。
問題は夜である。普段はネッコと同じ部屋で寝ている。かれぴが来ても、特に何も考えず同じ部屋で同じ布団に案内した。
えっちな雰囲気になったからといって、自由に部屋を動き回れるネッコをケージに入れる理性は働いていなかった。かれぴがほぐしてくれて、じゃあ今日は私が上に乗る!といそいそかれぴの上にまたがったとき、
かれぴの顔の横に「何やってるんですか?」という顔をしたネッコ。暗い部屋の中できょとんと丸い目をこちらに向けて、枕に片足を載せている。
ネッコを飼うまで知らなかったんだが、彼ら案外、表情が顔に出るよね。直前まで自分が散々にゃんにゃん喘いでえらいこっちゃ状態だったのに、ネッコの顔を見たら一気に笑えちゃって「おじい…笑 おる笑笑」と吹き出しちゃった。かれぴも「え?」てネッコを見て、笑ってた。
まあ結局ネッコは一旦無視して最後までヤッて、気が付いたら枕元にネッコはいなかった。あれ?どこいった?て探したら、足元のいつも寝る時にいる定位置ですやすや寝てた。2人でアクティブしてる真横を通り過ぎて、定位置に収まったらしい。ほんとかわいい。
ちなみに次の日もヤッてたら、今度は「何してるんですか」「今さっきトイレしましたよ見て」とばかりに、まあまあ大きい声であおあお鳴いて、構ってちゃんアピールしてきた。終わった後、2人で裸になってだらだらしてたら、仰向けのかれぴの胸の上に乗ってきてそのまま寝た。ほんとにほんとにかわいい。
あまりにもネッコがかわいかったんだけど、顔見知りにこんな話をする勇気もないので、初めて匿名ダイアリー使いました。もしよければ、皆さんのえっち中のペットの話を教えてほしいです。私が聞きたいので。
あれで騒いでる人が多いんだけどさ、親ガチャって本当に愚痴なんだよ。
何の愚痴かっていうと親を選べずに生まれたっていう愚痴っていうよりも、
親のせいにすることによって自分で自分の生活をどうにもできないという無能を誤魔化すという自分自身に対しての愚痴。
生まれがどんなに貧困でも前に進んで金持ちになった人はいるし、貧乏でもYouTuberになって稼げるようになった人って居るじゃん。
そういう人生の転機を見つけられないどんくさい人間が、勝手に僻んでその結果「親のせいにすれば自分が悪いわけじゃないじゃん?!」ってなったのがあれ。
まあ社会によくありがちなんだけどさ、他人のせいにすれば自分は悪くないっていうのを親ガチャに置き換えて言ってるだけなんだよね。
変わることもしない、変わるためのきっかけさえも社会の責任という言葉で受け身にして失った結果が親ガチャに失敗したって言葉になってるってね。