はてなキーワード: 等価交換とは
俺はホストやってたけど、人間的に騙しまくるのは無理だったので辞めた。
まずホストに来る女は全員病んでる。必ず病んでいる。初回というのがあって金額が安いので「物は試しに」などと言う輩もいるが、基本的に何かしら心に闇を抱えていることが多い。それを「ホストに来さえすれば解決する。こっちは客だぞ」と思っていることが多い。
色んなホストで初回ばかり来るやつは初回荒らしと言われる。こういうやつは基本わかる。まず金を持っていない。金を持っていないのにも関わらず頼み慣れている。観光のような形で来るやつらだ。こういう相手には基本的にホスト側も全力で行かない。ゴミ客のような扱いでとりあえず義務的にやる。
ホストは女の金を見ている。服装から風俗嬢か、一般人かなどを見ている。一般人で1人で来るヤツは比較的狙い目だ。普通は1人でホストになんか来るわけがないからだ。友達がいない・繋がりがないことを証明している。
ホストは、ブサイクな女の方が心置きなく騙せる。なぜかというと「お前みたいな女をまともに相手してやってるだけ感謝しやがれ。鏡見たことあるのか?」という感情が湧くからだ。だから金は等価交換だと認識する。したがって、悪いことをしているという感覚が無くなる。また、相手の性格が悪ければ悪いほどそれを感じやすくなる。良い女(良い女などホストには来ないが)に近いほど、罪悪感が湧く。
基本的にホストも全員病んでいる。まともな男はホストなどしない。ゲラゲラ笑っているように見えていても、1人で家でずーんとなっていることがある。これは結構な人たちがそうなる。平気そうにふるまっていても、自分の感情と真逆のことを言うのはストレスなのである。「好きだ」「愛してるよ」「本気だよ」とずっと言わなければいけない。「お金がたまったら辞めるよ」と、ずっと真逆のことを言わなければならない。ずっと一緒にいれば家庭環境や辛かったことなどもわかって情も湧いてくる。それを覚えてなければ客ではなくなるから正確に覚える。つらい、つらい、こんなにつらい、あなたのためにつらい思いをしてるんだよ、わたしを助けて、というサインを黙殺して、自分が生きるために女の人生を搾取する。
「俺はこんな酷いことをした」「俺なんてこんな酷いことをしたよ」というのが武勇伝のように語られる。武勇伝のようでいて、ストレスを発散している。客がクズだからだ。俺たちがこんな酷いことをするのは客がクズだからである。金はその対価だ。ありがたく思え。どうして俺が悪いと言われなければならないんだ。俺は救ってやってるんだぞ。
どれだけ言葉を取り繕っても現実は変わらない。「本当は好きじゃないんでしょ」と言う言葉に「好きだって言ってんだろ!!!」というキレ気味の言葉で返す。自分でも本当はどうなのかわからない。生活のすべては女のために尽くすためだけに存在することになる。月曜日はこいつ、火曜日はこいつ、水曜の午前はこいつ、水曜の夜はこいつ、木曜はこいつ、金曜はこいつ、土曜はこいつ、日曜はこいつ……
誰がどうなっているか覚えなければならない。間違えることはできない。絶えず監視されている。メモる。しかしメモも見られる。携帯は必ず漁られる。女はずっと自分が本当に愛されているかどうか不安なのである。女は女で「私が一番愛されてる」と言う。私が一番彼のことをわかっていると言う。誰も本当のところはそのホストをわかってはいない。ホストはただの集金マシンで、客は金蔓である。旬も短い。若さを搾取されている。生きるために仕方なくやっている。ホストは、ホスト自身が幸せになるためにやっているのだ。女を幸せにするためではない。女性不信になる。まともな恋愛をしようとしても、ホストのテクニックがちらつく。こうすればなびくというのがわかる。モテようと思えばモテるが、真にモテているわけではなく、ただ言い寄って来られ、無尽蔵の愛を要求されているだけだ。そんなものはない。
胃も壊れる。酒ばかり飲むからだ。酒は、飲まなければいけない。客が高い金を出して買った酒だ。こぼせば最悪になる。
キラキラした世界ではない。順位を上げるために売掛金とかいうのを作る。要はあとで自腹を切るということだ。ナンバーワンなどになると箔がつく。「ナンバーワン出して」という、ナンバーワンばかり狩る女がいるからだ。こういう女は金を持っていることが多い。痛客ほど金を持っている。初回なのに意味不明に酔っ払った状態で来るガキほど、意味不明に風俗で働いて精神状態がマッハになっていることがある。
俺は性病は2回なった。店に来る女だけじゃなく、自分で開拓しなければいけない。死ぬほどヤッた。ナンパしてそのまま路上でヤるとか、ナンパしてネカフェに行ってヤるとか、声掛けしていけそうだと思ったらキスするとか、そういうことを別にやっても問題ないような感覚になってくる。自分でもなぜモテていたかわからないが、とにかく俺はモテるのだという謎の自信があった。一般人になった今は誰にも言っていない。ホストをやっていたことすら伝えない。
金を多く得ている人々は、風俗に行かせることに慣れていた。風俗に行かせるのは「風俗に行ってくれ」と言うわけではない。ホストが困っているのを暗に示す。だんだん気軽に会えなくなってくるのだ。これはわざとやっている。それでもホストは必死に "時間を作って" 会いに来てくれる。ホストは「ほんとごめんね…会いたかった……」と言う。女は寂しくなる。ホストはそうやって頑張って会いに来てくれるのだから、少しならお店に行ってもいいかなと会いに行く。「来ちゃった」と言う言葉に、ホストは「ごめんね。 "ありがとう"。でも無理はしないでね」と言う。これは "無理をしろ" という意味だ。客は、店に行ってもお金を払わなければまともに相手をされない。そして別の女がシャンパンを頼む。「◯◯さんからシャンパンいただきましたー!!!」などと言われコールが始まる。そうすると担当がそちらの客のところに行く。
「あいつか。あいつが苦しめているのか…!!!!!! 私の彼を苦しめているのはあいつか!!!!!!!!!」
そして金を作らなければならないと思い始める。客は最初は風俗に行くことなど考えない。一生懸命働く。足りなくなる。貯金も底をつく。風俗ぐらいしかないと考え始める。冗談めかせてホストに言うのだ。「お店にあんまりいけないし風俗に行こうかなー……なんて」と。ホストは怒り狂う。「お金は確かに助かるけど、風俗になんていかなくていい!!!ごめんね…俺がちゃんと会いにこれれば…」と。これは "風俗に行け" という意味だ。
だんだん本当に会えなくなっていく。私の彼が、苦しめているあの女のものになっていきそうに感じる。風俗に行く。しかしひとたび風俗に行けば、もう取り返しがつかない。
「なんのために私は風俗にまで行ったのか」
あとはひたすらコンコルド効果である。金を貢げば貢ぐほど、あとに引けなくなる。誰に何を言われようが辞めることはできない。もう「辞めなよそんなホストなんて」という友人の言葉は耳に入らない。むしろ友人は敵になる。「この有象無象らは私のことを理解してはくれない。どれだけ私が苦しんでいるのかわかっていない」となる。もはや愛がほしいのではない。意地である。止められない。ホストもホストで、止められない。
ホストは客に別の客の悪口を言う。「愛してる」と言ったその次の日に「まじであのブスのせいで最悪」などと別の女に愚痴り、その女にも「愛してる」と言う。それを全員にやる。「俺は苦しめられているのだ」と思っている。事実苦しんでいる。女は「私と一緒にいるときぐらい休んでなよ」と言う。これは決して「休んでいい」という意味ではない。いい女・優しい女でありたいのだ。ホストは「いや、せっかく会えたんだから一緒にいたいよ」と言う。「休ませろ」という意味だ。こういうやり取りが限界まで続き、「私のためにこんなに無理してくれるなんて、私は本当に "愛されている" んだなあ」ということを実感する。そして携帯を確認するのだ。無尽蔵の愛を要求し、確認する。
タダで女を獲得するのは比較的容易だ。しかしお金が絡むと段違いに難しくなる。実証するには、彼女に「ほしいものがあるから5万円ちょうだい」などと要求してみればよい。相当な抵抗をされる。「なんでそんなことをしなければいけないの」「はあ?結局金目的ってこと?」というようになる。お金で買えるすべてのものがライバルになる。セックスというのは安いものだ。
こんな状態で大量に稼げるホストというのはどこか割り切っている。客の人生を抱える気でもいる。どちらかといえば嫌ってほしいのだ。ホストは辞めておけ。愛がわからなくなる。そして、クズの仕事である。
医師や美容師はサービスを提供する側に「担当」がつくけれどアイドルやホストは客側に「担当」という言葉を使う、この違いはなんなのだろうという話を前にしたのですが、推される職業はサービスを提供する以上に提供してもらう(それはお金だったり愛情だったりする)ことがお仕事になるからだろうなと。だから推し事に関して「私(たち)が支えている」という感覚を持つことがおこがましいとは思えなくて、だって、推される職業ってそういう感覚に金銭を発生させているものだと思うんですよ
商品やサービスに金銭を支払う、それは等価交換でありそこに「私(たち)が支えている」感覚を持つのはおかしいという意見もわかるはわかるけれど、つい先日に炎上していた決して安価ではないアクスタのブラインド商法そして上限120個なんて消費者側に支えられている感覚があること前提の売り方だし、そういう売り方をしておきながら本筋のゲームは新作発表してから5年以上も音沙汰がない状態で「プリンセスさまを出します!」これで裏切られたと怒っている人たちはごもっともだなと。それをプロデューサー?原作者?本人にぶつけることはまた違うけれど
実際に結婚相談所で婚活をしているけど、「自分のスペックと収入に群がってくる女が亡者にしか見えなくなってくる」なんてことはないけどな。
本当にそう感じたのなら
・年収を実際より少なく登録する(仲人さんに相談すればできると思う)
とかすればよかったのに。
実際のプロフィールとか婚活状況がわからないからなんとも言えないけど、もし一回り以上年下の美人とばかりお見合いをしていたのなら、そう感じるのも仕方ないかなーという気がする。年下の美人と結婚したいのであれば、年収と等価交換するしかないのだから。
あとは「会えた人を好きになる力」が無いんでしょ。「好きになる力」が無いことを自分の能力の問題として考えるのではなくて、他責的に相手に原因を求めているのではダメだと思う。
ネットにおいてコンテンツは一方的に与えられるものではなく、互いにギブアンドテイクで成立するものである。
だが、この「共有」という概念は「互いに欲しているものを理解している」ことが前提になるやり取りである。
昨今のネットでは、この「共有」ができない猿が増えつつある。
あるいは逆に、相手の望んでないものを身勝手な虚栄心で押しつけてくる。
さらに、こういう身勝手な馬鹿に、「自分が何を欲しているのかもわからないモブユーザー」が、わざわざ相手を付け上がらせるだけなのに好奇心で寄り集まる。
こういうことの結果として、「誰も欲していないものが、その『目障りさ』から来るインパクトのせいで、目立った荒らしになる」という誰も得しない現象がネットの隅々まで行き渡った。
「共有」は相手を知り自分を知るまともな知能を持った人間だけが行える、極めて人間的な等価交換である。
「共有」をするセンスのない本能だけの猿はネットを触ってはいけない。
「共有」ができない猿を排除しなければネットはどんどん使い勝手の悪い、何も得られないリソースの無駄になる。
と言ってもお互いにいい大人なので、「もう今日から絶交ね!」などと絶交宣言をしたり、「もう誰々ちゃんと遊ばないで」と根回ししたりなどはしない。殴り合ったり(物理でなく言葉でも)もしていない。
ただ、ツイッターともくりとソシャゲを切った。静かに。一方的に。
恐らく向こうは急にどうした? と思っているかもしれない。もしくは気がついていないかもしれない。分からない。もう赤の他人なので。
はたまた、フォロー0の鍵垢で延々とあることないこと私の悪口を言っているかもしれない。出会ってすぐに前ジャンルで揉めた人の悪口を散々聞かされたときのように。
かまわない。もう赤の他人なので。知ることがなければ言われていないのと同じだ。わざわざ関係を切るほど嫌いになった相手の動向を見に行ったりしない。前ジャンルで揉めた人が垢消し転生した先までずっと追いかけているあなたのように。
やめるに至った理由は5つ。
①単なる萌え語りに「書いてください!」「お待ちしてます!」などと軽率に言ってくる、濁しても食い下がるので書けば無反応
②「感想送りますね!」とことあるごとに言ってくるのに半年以上音沙汰なし
③向こうから作業通話に誘ってくるのに通話しながら音楽を聴いている
④手間とお金をかけてこちらが融通したことに対して「お礼の絵を描きます!」と言っておきながら半年以上音沙汰なし
⑤イベントで合同スペースを取ろうと向こうから誘って来たのに当日リア友を連れてくる
1234が積み重なっていたところに5をやられ、精神的にまいっていたところにとどめのように1をやられて縁を切ることを決意した。
5をやられた辺りで自分がおかしいのかと思い始めてきて「女友達 彼氏を連れてくる」で何度もググった。(正確には単なる女友達ではないし彼氏ではない)
とどめの1でも自分が繊細ヤクザすぎるのかと「リクエスト 無反応」で何度もググった。(車の部品の故障と思われる記事が沢山ヒットした)
同人なんて趣味だ。仕事や家事、睡眠、人によっては育児や介護、それらを犠牲にしろとは言わないし、趣味なんだから自分のやりたいようにやればいい。私もそう思っているし、そうしてきた。
でもそれは相手がいないことが前提で、相手ができた瞬間それは少しの責任を伴う。責任と言っても趣味だから、仕事のように遂行できずに失うのは給料ではない。信用だ。
相手がいることだと分かっていない。いや、「相手がいるということがどういうことか」が分かっていない。
感想送りますね! なんて言わないでおけばいい。そうすれば感想をいつまでも送らなくても約束を反故したことにはならない。私は読んだら必ず感想送れ! などとは言っていない。
お礼の絵を描きます! なんて言わないでおけばいい。融通してほしいと連絡をもらったときは引いたが、手間もお金も大したことのないものだったから完全なる厚意でやるつもりだった。けれど、相手に手間とお金を掛けさせておいて、それが自分の言い出した「お礼の絵を描く」にも値しない行為だと言っているようなものなのがものすごく失礼。(そもそも超絶絵師でもないのに自分の絵が手間とお金に対する等価交換だと思っているのが痛いがこれはただの悪口です)
できない約束はするな。同人活動だけに限った話じゃない。「感想送りますね!」「お礼の絵を描きます!」それは社交辞令じゃない。感想を送って、お礼の絵を描いて、そこまでしてやっと社交辞令だ。
向こうがツイッターの別の相互と関係を切ることになったとき、いちいち「〇〇な理由であなたが苦手になったので切らせてください」と連絡をしたそうだが(聞いたときゾッとした)、私はそんなことはしない。
上記のことを聞いてどうする? 心を入れ替えてまたお付き合いを始めるつもりか? 無理です。一度失った信用はもう回復しません。
私はもう、あなたのことが嫌いだ。だから言わない。言ったら直そうとするでしょう。直したら少し魅力的な人間になるでしょう。だから、言わない。嫌いな人に塩を送るような優しさは私にはない。
性格は良い/悪いじゃなく合う/合わないだそう。私もしくは彼女の性格が悪いのではなく、私と彼女の相性が悪かっただけ。
相性の悪い人と無理に付き合う必要はない。だって趣味なんだから。
これを読んだ人の中には「え~これくらいで? 繊細すぎww」と思う人もいるでしょう。いいんです。かまいません。そう思う人が、彼女とお友達になってあげてください。
私には無理でした。
でも、振られたときのリスクを考えると、なかなか告白ってできないじゃないですか。
いきなり告白しないで関係性を作れって話もありますけど、どっちにしても「 何かを得るためには同等の代価が必要になる。 それが恋愛における等価交換の原則だ」みたいなところってありますよね。
でも、思ったんです。
世の中には全然話したこともないのに、ワンチャン一か八か告白にトライする人間も一定数いるじゃないですか。
ということはですよ。
世の中には全然話したこともないのに、ワンチャン一か八か告白をトライされる人間も一定数いるはずなんですよ!
告白されたことなんか一度もない僕からしたら理解の埒外ですけどね。
理屈からすると、それは確実にこの世界に現存するはずなんですよ。
そう考えるとですよ。
いや、恐ろしいことなんですけどね……。
世の中には「ほとんど絡みのない片想いの相手から逆告白された人間」ってのも、ひょっとしたら存在しているんじゃないかって。
そんな恐ろしいことに気づいちゃったんですよ。
いやー、まさかとは思うんですよ。
まさかまさか、そんなエルリック兄弟も機械鎧捨てて逃げ出すような人間がこの世に現存するなんて信じがたいとは思うんですけどね。
でも、ひょっとしたらいるかもしれない。
いたら怖いなー、と思っちゃんたんですね。
だって、もしそんなエドとアルが最終巻でようやく到達したような真理を知ってしまったらヤバいじゃないですか。
このままずっと片想いを続けていけば、いつか突然、向こうから告白してきてくれる可能性があるって恐ろしいことですよ。
もう僕はその可能性だけで、これから1万年と2000年先まで独りぼっちでも生きていけます。
だから、皆さんにお願いです。
もしも皆さんの中に、自分は好きな人から逆告白されたことがあるという人がいらっしゃったら……。
それは確かに「或る」のだと、僕に教えて欲しいのです。
一方は宇崎ちゃんを「男にとって都合がいいヒロイン」と主張した。
平行線をたどる言い争いの背後に、しかし俺は、妙な薄気味悪さを感じていた…
「男にとって都合がいいヒロイン」とはなんだろう。
いわゆるマニック・ピクシー・ドリーム・ガールのように。
主体性がなく内面が欠けていて性格にクセがあって、おまけに性的魅力に富んでいる若い女性。
男性読者の性欲を刺激して売り上げを稼ぐために、物語上の男性に、あてがわれた理想的女性。
人の好みは多様なのだから突出した個性が無い相手だって、好きになることはあるだろう。
女性が性的魅力に恵まれていても、様々な要因でパートナーの男を拒絶してきた人もいる。
引く手数多だったとしても選択の基準は、女性の価値観に内在する。
性的魅力は等価交換であるハズって考えは、恋愛上の主体的選択を無視している。
考えてもみてくれ。
乳房の大きい女性が、「巨乳を重宝する男」をワザワザ選ぶだろうか。
たくさんの選択肢の中から、有害な男性を選ぶ合理的な理由は、無い。
事故・病気で乳房を失ったら踵を返すような男性を、同じ時間を過ごす相手に選ばないだろう。
性的魅力を備えた女性の選ぶ人間性の優れた男性には、彼女の性的魅力は効かない。
理解のある彼くんに下心はないし、男に都合がいいヒロインは、外から見て都合よく見えない男を選ばない。
ご都合主義に感じる心の中には、性的魅力を持つものが愚かであってほしいというミソジニー・ミサンドリー的な公平世界信念があると思う。