ネットにおいてコンテンツは一方的に与えられるものではなく、互いにギブアンドテイクで成立するものである。
だが、この「共有」という概念は「互いに欲しているものを理解している」ことが前提になるやり取りである。
昨今のネットでは、この「共有」ができない猿が増えつつある。
あるいは逆に、相手の望んでないものを身勝手な虚栄心で押しつけてくる。
さらに、こういう身勝手な馬鹿に、「自分が何を欲しているのかもわからないモブユーザー」が、わざわざ相手を付け上がらせるだけなのに好奇心で寄り集まる。
こういうことの結果として、「誰も欲していないものが、その『目障りさ』から来るインパクトのせいで、目立った荒らしになる」という誰も得しない現象がネットの隅々まで行き渡った。
「共有」は相手を知り自分を知るまともな知能を持った人間だけが行える、極めて人間的な等価交換である。
「共有」をするセンスのない本能だけの猿はネットを触ってはいけない。
「共有」ができない猿を排除しなければネットはどんどん使い勝手の悪い、何も得られないリソースの無駄になる。