はてなキーワード: 確証とは
AIの遺伝子という漫画に「VRゲームをやっていても、ベッドで寝ているもう一人の自分がいる感覚はなくならないんだ」という話が出てくる。
この話を読んでしばらくしたある日、俺は夢の中でふとその感覚が自分にもあることに気づいた。
それまでの自分は夢の中で感じる平衡感覚の違和感に苦しんでいた。
でも夢の中で仰向けになっていることは滅多にない。
夢の中で空を飛んでいる時、腹を地面に向けて空を飛んでいるはずなのに重力を逆方向から感じていた。
立って歩いてるはずなのに重力は垂直に来るものだから地面がドンドンせり上がっていく。
上手く歩けない。
上手く走れない。
この「肉体が感じる重力が夢の中の自分の状態と一致しない」という状態が原因で脚がほつれたり空に吸い込まれたりして飛び起きたことが何度もある。
だが、俺は気づいてしまったのだ。
夢を見ていても本体がベッドの上にあるということを受け入れれば、むしろ重力の違和感こそが明晰夢のトリガーとして使えると。
明晰夢における自己認識は幽体離脱だと思えという伝統的な作法においては、なぜ幽体に意識が飛び出しているのに肉体の感覚が残っているのかという疑問が発生する。
幽体離脱とはそういうものであると考えらればいいのだが、自分はそこに違和感を持ってしまって躓いた。
他にも異世界に意識がワープしているという理論もあるのだが、この場合は重力の来る方向がおかしいのはそういう異世界だと割り切るにしてもかなり無理が来る。
そこで、「俺は今VRゲームを遊んでいるので、ベッドの上に自分の感覚が残っている」という新しい認識を導入してみたのだ。
現実の肉体の感覚が残っているのは当たり前で、その上で夢の中にある肉体の感覚も存在するのが当たり前という認識でいれば、2つの肉体感覚があるのは何もおかしくないことになる。
このルールに気づいたことで俺の明晰夢発生率は大きく向上した。
更にこれには副次効果で「自分が今どこで寝ているのかを夢の中で確認できる」という利点があった。
職場で机に突っ伏している時は淫夢を見るどころかヒーローごっこさえやるわけにはいかないが(独り言を聞かれたら恥ずかしいので)、家でベッドに寝ているならそういうのもアリになってくる。
夢の中でふと現実の体を意識してみて、今自分がどこから重力を受けているのかを確認してみる。
家で寝ているならベッドに身体が沈んでいる感覚や、身体に垂直にやってくる重力を感じ取れる。
更にベッドの横に置く消臭剤をアロマの香りにすることにより、アロマの香りがするから家の中にいるはずであるという確証も得られるようにした。
二重の肉体感覚を利用することで明晰夢への移行だけでなく、寝ている場所の確認もできるようになったのである。
電車や職場で寝ている可能性を感じたら耳の感覚を強めて周囲を経過しつつ、その状態でも夢の中に居続けられるように二重感覚トレーニングの時間に使う。
5月から昨日まで100日超、仙人になるための修行を積んできましたが、日常生活に支障が出るようになったので諦めようと思います。
ここ1週間、頭、胸、下腹部などが急激に熱くなって、寝れない日が続き、頭痛も何日か続きました。朝起きたら大丈夫だけど、夜に近づくにつれてどんどん熱くなる。ずっと風邪ひいたぐらいの熱が出るので、流石に修行やめようかなと思い始めました。先生がいたら助けてくれるのかもしれないけど、独学でこれ以上踏み込んだら戻れなそうな感じがしました。病気の線も考えたけど、熱はコントロールして全身に回せるのでこれは気で疑いようがないし、最近特に気を強化してたからそれの影響の可能性が高そう。クンダリニー症候群とか気功の偏差の症例に近いしね。
誰かのために役に立つかもしれないので、修行内容を書き起こしておくと小周天、全身周天、精宮瞑想を各ポイントで5分~10分ぐらい留め置くようにしてました。全部回して大体1時間超ぐらいで、朝昼晩の3回で3時間ぐらい。土日は4、5回やってたこともあります。あと関係あるかわからないけど、站樁とヨーガも朝に1時間ぐらいやってました。
仙人は自分の精を気に変えるのでこの期間の食事は基本精力がつくものがほとんどでした。にんにく、にら、玉ねぎ、しょうが、牡蠣など。
補助で栄養ドリンク、生薬、メンズサプリメントなども試しました。確証はないけど、サプリメントを摂ってから急激に精と気が強くなって、修行が進んだので、これのせいじゃないかという気持ちは少しあります。一応書き残しておくと、亜鉛、マカ、オタネニンジン(高麗人参)は間違いなく効果あります。鹿茸、亀板膠はどうだろ、なくはないけど日常摂取には高すぎるかな。サプリメントの一番の特性は亜鉛なので、良くも悪くも亜鉛が一番精力には効くのかもしれないです。というか、効き過ぎた。
中国系の修行者は結構な割合でこの精力を維持する作業をしているらしいです(百日築基というやつですね)が、結構きついらしく、語らない人も多いです。この修行期間は精力のことしか考えない生活が続いていて、正直キツかったです、はい。漏らした時の罪悪感が半端ない。ただ、メンズサプリメントや精力剤で補給すれば、気の強化自体はそこまで問題なかったので、本当に漏らしたら駄目かはよくわからなかった。仙人ぐらい気が強くなれば影響が出るのだろうか。出るんだろうな。
元々中国武術の先生のことを調べていて、最初の頃は先生は周天の法について書いていたけど、途中から站樁だけで良いと急に言い出したのはなんでだろうと思ったのがきっかけでした。否定しているけど自分は絶対やってたでしょと思った試してみたけど、意味はわかった。後半の先生は「練功時は口を僅かに開け、自然呼吸で、つぼを守らず、周天の循環については語らず、故に絶対にいかなる副作用を産むことはない(练功时嘴微张,自然呼吸,不守窍,不讲周天循环,因此,绝不会产生任何副作用)」と書いているけど、そりゃそうだという感じでした。一方で、気を強くするだけなら站樁よりかなり効率が良かったので最初の頃に推していた理由もわからなくもない。
仙人になれたら先生にもっと効率的に近づけると思ったけど、壊れてしまったら近づくことはできないので仕方がない。站樁やヨーガ方面をもう少し研究しながら、別の方面から近づけるか検討しようと思います。独学で成功している人もいるらしいので、仙人になりたい人のために参考までに書き残しておきます。
自尊心はまだない。
何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。
他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。
ウィトゲンシュタインはコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。
まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的な共感能力と空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ。
一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間のコミュニケーションの曖昧さが本当にもう耐えられない。
明確で論理的で常に同じ意味で言葉が扱われることは、法律の世界においてさえ存在せず、裁判所で弁護士や裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧なものがその場限りの意味と解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。
私からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。
恐ろしいのは、その99:1が出来る人間の割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。
いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。
彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出して必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。
犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?
ふざけているわけではない。
色盲にとっての戦隊―ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉の機微なのである。
これはもう大変に厳しいことだ。
きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃんと文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。
私だってそう思う。
だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ。
これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。
今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的なパズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである。
普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。
こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。
何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから。
これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。
私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。
行き詰まった人生に方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家や芸術家になりましょう」「発明家や研究者に向いてますよ」と無責任な言葉が返ってくる。
実に下手くそに「貴方は社会不適合者なので、象牙の塔なり自分のアトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋な善意によっての社会からの排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。
その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別な生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日も迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。
これはもう精神的なリストカットとしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。
私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。
もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。
いい加減疲れた。
人生の先行きのなさが、生来生まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。
これ以上我々を責めないで欲しい。
責めるべきは、我々のような人間が人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか?
本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通の人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから。
自分の言葉がミートゥー運動やクツー運動みたいに訴求力を持ったものか分からない自信がない。
ああやって社会を動かしたものと自分の言葉とにどんな差異があるのか論理的確証的な分析が自力ではできない。もしそれができるなら、どんなことを言えば社会を動かせるのか実際に行わずともわまってるのでそもそもある投稿しないよ。
実際にやってみての反応から探っていくしか知る手段を持ってないほど自分が馬鹿だからこうやって投稿を続けてるんだよね。それでブクマがとやかくいうだけでなく政治が動いたら具体例として自分の言葉には社会を変えうる要素があったんだと知れる。
でも仮にそうなったところでその言葉のどういうところが社会を動かすことになったのかを具体的に知るほどの分析力がないから、結局ミートゥー運動とかのどういったところに訴求力などがあるのかを知りたいという当初の目的が果たされるわけでもなく…そこまでわかってこういう事しちゃう自分の気持ちがよく分からないってのが今の実情かな
強い言葉って確証があるから使うんだけど取り消しにくいんだよね
完全に~~だとか、絶対~~だとかの枕詞つけて、じゃあ、違ったらってなると自身の目が節穴だったと潔く認めるかってなると謝りたくないじゃん?
あと、AI絵の特徴はあったとしても断言できるかって言われるとかなり難しくない?指の数とかの物理的なおかしさがあったら別だけどさ、そう考えるとかなり危ういよね。
たけだBBQみたいなやつが全部アテンドしてて必ずうまいもの食える確証があって片付けもせんでええなら楽しいかもしれないけどワイもだいたい同じ理由で嫌いやな
「らしい」で語るな。確証を持て。
まぁ、誹謗中傷で彼女が傷ついていたってのは事実だと思うし、亡くなった原因であろうことは確かだと思うんだけどさ。
それと同じぐらい、過度に期待されていたこともキツかったと思うんだよね。
いつの間にか、お馬鹿タレントだけど世の中の歪みに対して鋭いこと言う人みたいなポジションになっちゃったでしょ。
そこでアレコレ言って称賛されたりボロクソ言われたりしてたけど、それって本当に言いたくて言ってたことだったのかな?
インフルエンサーとかタレントって立場だから、やっぱり人の期待には可能な限り答えたいっていう、根っからのサービス精神の塊みたいな人だったんだと思うんだよね。
そんな中で本人が思ってもないことだけど周りが言ってほしそうにしてたから言っちゃいましたってことはなかったとは思えないんだよ。
本当の自分と周囲から求められる自分の間で自分が分からなくなって……ってのはあったと思う。
りゅうちぇるがそうだったという確証はないけど、俺は精神疾患を患っていた時期があって、そういう時の自分の言動ってとにかく滅茶苦茶なのね。
思ってもないことが口からポンポン出てきちゃうくせに、言いたいことはなぜか言えない。
心も体もまるでコントロールが効かない。
だから、そういう状態でもおかしくない大きなストレスを抱えて生きている人間に、自分にとって都合のいいことを言ってくれるオピニオンリーダーなんて立場、やらせちゃ駄目だよ。
彼女の訃報に対して「りゅうちぇるさんは素晴らしい言論でこれからの日本を正しい方向に導く力になってくれると思っていたのに残念です」みたいに言ってる人達も少しは責任感じた方がいいんじゃないかな?
芸能人は政治的なことを言うべきではないとは思わないけど、「それは本当に心から言いたくて言っているのか、それとも言いたくないけど周りが喜ぶから言ってるだけなのか」を周囲の人間やファンはきちんと考えて、他人を自分に都合のいいことをするだけのマシンのように扱わないようにしてほしい。
古い投稿だけどこれめちゃくちゃ真理だと思う。
> 後ろめたい気持ちを抱えたくないからと夫婦で話し合っても解決しない。理解なんて絶対にされない。
ほんとこれ。俺も一回嫁にガチで話したことがある。結果は大惨事に終わった。
女には天地がひっくり返っても絶対に理解できないことなんだろう。
> アドバイスは隠れて風俗行け、しかない。病気のリスクやバレたときのトラブルのリスクは受け止める覚悟を持て。
マジでこれ。本当に真理だ。
隠れて風俗行くことが全てを解決する。男は悪者になるしかないのだ。
絶対に「嫁に許可を取ろう」なんて考えていけない。嫁を巻き込むな。
そして行くなら絶対にバレてはいけない。100%絶対にバレないという確証を持ってこっそり風俗に行く、これが既婚男性の正しい人生の歩み方だと俺はようやく理解したよ。
ある従業員から「〇〇のリストを送ります。よろしくお願いします。」と、Excelファイルを1つ添付してメールが送られてきた。
これだけでは何のことかわからなかったため、具体的に何をどうしてほしいのか、私から返信した。
すると、そのリストに基づいて、私のほうである処理をしてほしいということだった。
数ヶ月前にも同じような依頼があったことを思い出したが、定期的に行うことではないし、前回と今回とがまったく同じであるという確証もなかったため、確認のため尋ねた次第だ。
もしかしたら送信者は「前も同じことあったんだからそれくらいわかるだろう」と考えていたかもしれず、その意味では、わざわざ聞き返してくる私のような人間は面倒でコミュニケーションコストが高いと思うのだろう。
一方、私としてははじめから「〇〇のリストを送ります。××の処理をよろしくお願いします。」とわずかな一言を添えて送ってくれれば、一往復分のやり取りが無駄にならなかったわけで、このような言葉足らずの人間はコミュニケーションコストが高いと思ってしまう。