はてなキーワード: 弊害とは
今回の新型コロナウイルス感染拡大で明らかになったことがある。
コロナウイルス感染拡大は飛沫感染が大きな要因であり、多人数で会話しながら食事をすることが大きなリスクになっている。
多くのことはその情報は認知しているが、アルコールを飲む人は、まともな判断ができずにいくら政治家や行政が自粛要請をしても、酒場で大声で会話をしながら食事を続けていた。店舗で酒類の提供をやめると路上で飲酒してしまうほどの恐ろしい中毒性があるのだ。
そんなのは、一部のアルコール好きの人だけかというと、そんなことはない。
行政の人間でも、また市長で医師であってもアルコールの中毒性にさらされているのだ。
◆大阪市職員、5人以上の会食200件1000人超…3月以降の時短要請中
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210424-OYT1T50106/
◆“約70人と会食”の姫路市長『到着まで飲食伴う場であることや規模は知らなかった』
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20210430/GE00038097.shtml
このことから言えるのは「アルコールには恐るべき中毒性がある」ということだ。
真面目な行政の職員や市長でかつ医師である人間でさえも、アルコールを前にするとまともな判断ができなくなるのだ。
少量でも長期的にみて死亡リスクが高まるエビデンスはたくさんでてきている。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO52020370R11C19A1000000/
長期的だけではなく短期的にも、大きな負担を社会にかけている。
急性アルコール中毒で救急搬送された人数は、東京都だけでも年間18,212人もいるのだ。人口比でいうと全国ではこれの10倍ぐらいの件数になるはずだ。
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/lfe/kyuu-adv/201312/chudoku/
みんな少量をたしなむ程度だからアルコール中毒ではないと思っているようだが、定期的に飲酒としている人は、ほぼアルコール中毒なのだ。
ただ、あまりアルコールは中毒性が高く、その人数も多いために規制をかけることができない。実際にアメリカで20世紀初頭に禁酒法が制定された時には、密造酒、ギャングの台頭など大きな弊害がでてしまった。
アルコールを定期的に飲酒している人たちは、みんなアルコール中毒で、飲酒をやめることができない。また、飲酒に関してはまともな判断ができない思考に陥っているのだ。
だから声を大きくして言いたい。
飲酒をすることは…
①自分の快楽のために社会に迷惑をかけている行為なのだということ
思春期移行〜三十路未満の男は自他ともに闘争本能へ振り回されるみたいな男特有の精神的弊害はあるかもね
そこで自制しつつも他の男に負けないことが自信にも繋がるし、負けてしまった場合は社会から評価されない傾向があることは確か
例えば現代社会では暴行罪なんてものがあるけど自制できなければ社会から評価されないよね?
育児で「男の子はどこかでエネルギーを使わなきゃいけない」みたいな話が男女平等が叫ばれる昨今でも普通に定番育児として語られがちだけれど、これは男がそういう身体的特徴を持ってるからこそなんだと思うよ
「そんなの他人を殴らなきゃいい話でしょ」と感じてしまうかも知れないけど、その自制はやっぱり精神的に負荷がかかるものなんだ
男の中には腕っぷしの素養がからっきしであまり悩まない人も居るだろうけど、熱く煮えたぎるようなものを心の奥底で沸かせた経験は多くの男にあるはずだよ
今日はなぜショタコンになったのか、ショタのどのような部分に惹かれるかについて話したいと思います。
ちなみに、「ショタコンの女の人っているの?」という疑問をよく耳にしますが、いることにはいます。
しかしそれは極めて少なく、女性のショタコンは「綺麗な顔が好き」の延長線上で少年「も」好き、という方が大半です。(私は違いますがそういった女性がほとんどです。)
そのため、女性ファンの多い少年が、まれに芸能界に存在しますが、ファンのだいたいは美少年愛好家だと思います。
最初にことわっておきますが、この性癖・嗜好を正当化することは絶対にありません。今世間に注視されているLGBT問題と比較する意見も多いようですが、私は全く違う問題だと思っています。
また性癖に関して説明するとき直接的な言葉は避けるようにしています。
・ショタコンになるまで
さかのぼること中学生のころ、異性との接し方が上手かった私は、高校生になることに憧れを抱いていました。きっと高校生になったら、もっと熱狂的な、漫画で読むような恋愛ができると思ったからです。ですがその夢は入学してすぐに消え去りました(笑)。
話すと長くなるので省略しますが、男子にとって女子は美人しか需要がないということに気づいてしまったのです。今となれば、「そんなの当たり前だったな」と思えるのですが、当時16歳の私にとって、その事実はなんとも言えない悲しさがありました(笑)。
2年生になったとき、負けず嫌いがここで発揮され、「じゃあ自分も可愛くなればいい」と思いました。ですが、その夢もまたもや消え去ることになります(笑)。大人数の女子グループに属していたのですが、そのグループは美人が多く、美人ですらないうえにネトウヨ感満載な私は可愛くないほうにカウントされていました。ここまででは「美人じゃない故に男にモテなかった残念な女」で済みますが、後に人生の転機①が訪れます。それはクラスの男子からの地味な嫌がらせです。今となってはこれもグループ内で笑い話になっているのですが、当時17歳の私にとって、この地味な嫌がらせは死にたくなるくらいのストレスでした。「ブスのくせに美人に囲まれて調子乗んな」と言わんばかりの影口やあからさまな行動がとられ始めます。夜中に意味もなく泣く・顔に執着する・同じ空間に居たくないため授業をサボるなど、彼らによって思わぬ弊害をくらうことになります。これを機に私は「男はみんな面食いで冷たい人たちだ」と固定概念を植え付けることになりました。
3年生になってからは、クラスの男子とは必要最低限の会話すらした記憶がなく、「どうせみんな美人にしか興味がないから、私には冷たいんだ」と何度も心で呟いていました。(まあ今でもこれは思いますけどね)
そんな中、人生の転機②が訪れます。現役小学生・中学生と接する機会(いやらしいものではないです)ができました。その時、私は「なんて可愛いんだろう」と思いました。今まで経験したことのない感情でした。同じ「男」なのに、こんなにも違う。人を見た目で判断せず、世間の汚い知識も知らない彼らは天使そのものでした。そこで私は初めて、自分がショタコンになったことに気づきます。
長くなりましたが、これが私がショタコンになるまでのお話です。(続く)
・ショタのどのような部分に惹かれるか
(続き)高校を卒業してから、その感情はヒートアップしていきました。同時期にいろいろあって男性恐怖症を患い始めた私は、完全に少年の虜になっていました。ある日、某芸能人の中学生時代の作品と出会い、母性を超えた感情がうまれました。恋愛感情でもない、特別な感情が生まれました。(察してください)
さて、私がショタに惹かれる部分についてですが、こんなにも純粋な瞳をしていて、可愛くて、綺麗で、美しい、汚いものを何も知らない、それでも男なんだ。そういった部分にとても惹かれます。
永遠に何も知らないままでいてほしいと思いますが、少年というのは残酷なことに成長していくわけです。でも、その儚いところもまた好きなんですよね。
男性のショタコンは声変わりをしたらダメだとか、身体的に発達したらダメだとか、そういう方がほとんどだと思います。ですから広くて中学2年生くらいまでがストライクゾーンの方が多いのかなと。
もちろん声変わりをしたり身長が大きくなると切なくなりますが、私はそういった身体的なものよりも、精神的なものでストライクゾーンが変わります。ですから高校生になるにつれ、次第に対象の男の子(心が綺麗で純粋な子)は減っていきます。ごく稀に、心が綺麗な高校生を見ると、ついついファンになってしまいますが(笑)、ほとんどは小中学生です。
男性のショタコンからしたら、そんなのショタコンじゃないと思われてしまうかもしれませんが、少年に対する愛や執着は間違いなくあります。だから私はショタコンだと自認してます。
また、文中に男性に対して不快にさせる表現があったら申し訳ないです。今は男性恐怖症も治りつつあり、偏見もなくすように心がけているのでそこは目をつむってくれるとありがたいです。
最後に、繰り返すように言いますが、第一として少年を傷つけないように生きています。
この嗜好を正当化するつもりはありません。世間的に嫌悪される嗜好ですし、それを私も分かっています。普段はなるべく視界に入れないように、関わりを持たないようにしています。
ただ、どういった経緯でこうなってしまうのか・どうして少年でなければいけないのか、匿名で誰かに発信できたらなと思い投稿しました。
こんなところにも分業化・専業化の弊害が!
今の世代は無理でも「男らしさ」の押し付けをメディアがやめることかなと思ったけれど、
今の経済は、男らしさに紐づく性欲がお金を回すのに結構なウェイトが占めているので、どうあっても弱者は弱者のままでしかないってのは僕らが人間である以上変わらない。
現状ある救いに近いものは、風俗や○○叩きがある。手軽な快楽は救いのようだけれど、誤魔化しに過ぎないから辛さが噴出する。それが今の状況かなと思う。SNSの弊害だね。
で、弱者は基本的には「孤立」していて、セルフネグレクト気味な人達と定義すれば、孤立は人が持つ社会性が棄損されているので、誰かとの対話や許しが必要だと思う。
昨日追っかけてる小説家の新刊が発売されたから早速読んだんだけど、小説の作者がネットミームに浸りすぎてるのがちょっと嫌になってきた。
その人は生粋のツイッタラーで、ツイート内でオタク構文も語彙もよく使うしたまにバズってるし、ファンの多くもおそらくそういうのが好きなんだと思う。フォロワーも多いし。
でも何というか作品までネットミーム系の単語が侵食してるのってどうなんだよ。
別にインターネットとかツイッターに精通してる訳じゃない(多分)キャラの台詞、それどころか三人称の地の文とかでも結構な頻度で出てくる。
それがパンピにも受けると思ってわざとやってるのか? それともインターネットに浸かりすぎてミームだと思ってすらいないのか?
ちょっと前、服屋の店員に「戒め」ってオタク語彙と気づかず使って驚かれた漫画が回ってきたけどそんな感じがするんだよ。
単語ならまだ対策できるだろうけどそれ以外の部分、例えば比喩がインターネット臭いってのはもうどうしようもないんだろうな。ここら辺は自分でも何を基準にしてるか曖昧だけど具体的にこの文がってのはある。
会話の掛け合いとかも全部そう。なんか複数人の対話でも一人で喋ってるみたいに見える。自分の発言に対して括弧つかってセルフツッコミするやつの弊害なんだろどうせ。芸人コンビじゃないんだからいつでもベストな返し出すなんて無理だろ。