つまりそれは集団の意思決定=政治学であり
集団での金やらモノやらの動き=経済学だ
そういう「自然ではあるはずがない」単純な仮定空想の状況を作り出して実験することも容易い。
やっぱりさ、人間をある程度捨象してしまうことだよね。つまり類型論。類型論って、ステレオタイプのこと。
そうすれば、因果関係も見えてくるじゃない?でも、類型をつくる時点で、それは人を捨象する学者の価値判断がそこに含まれてしまう。
やっぱり科学っぽくない?まあしかし厳密な正当性なんてものを社会みたいに相関的、イコール互いに影響しあう対象の研究に求めるのは酷。
ある程度の妥当性が認められれば万歳でしょう。
じゃあどういう風に類型を作るのが一番妥当なんだろう?マックス=ウェーバーはプロ倫を考えてみる。
まず事実があるじゃん。資本主義ができる前にはプロテスタントが広がってった
プロテスタントには商工業者が多い。プロテスタントは現代でも重役につくことが多い。
フランスはナントの勅令を廃止してから財政難に陥った。スペインはゴイセンを迫害してから没落していった。
適当だよ?ウェーバーさんがどういうやり方したかは知らないよ。適当適当
でもこれら個別の事実を並べて、ある色メガネでみるとそういう法則が分かるんじゃないかってこと
色メガネは絶対に必要なんだよね。つまり他の色を捨てるってことだよ。
まぁ結論ありきでやらないってことが重要だよね。どの色メガネを使うか最初からきめてたらそれは「ただの今頃の若いもんはおやじ」だよね。
統計に余計な価値判断を加えるのが社会科学、というか社会学?ですが!その価値判断が社会学のすべてなので!スマートでアクロバティックな価値判断がよろこばれます!つまり多様な価値観!複眼的な分析が重要なのです!