はてなキーワード: ドリンクバーとは
週末だし家族連れおおいの分かる
値段もお手頃価格で美味しい
だけど度を行き過ぎてるはしゃぐ子供達を見ていつも思う。
走り回って奇声をだし、ホコリはたてるわドリンクバー取りに行ってる人に人にぶつかるわ。
募金箱いじったり、隣のテーブル下に潜って他の客に嫌な思いさせるわ。
いわゆる躾のなってない子供達。
散歩前にはしゃいで飛び跳ねるような躾のなってない犬のようだった。
親は親で迷惑行為をしてる子供達を放置して何組かで来てる親同士の会話に夢中。
声もでかい。
店内は騒がしくて耳が痛かった。
そういう家族連れが当たり前のレストランって店員は対処しないの?
静かな席に移りたいといっても満員だし無理だった。
一応子供達の親には注意してるんですがと返答はそれても何も改善されない。
飯食いに行って損した気分だったわ
これ
https://togetter.com/li/1278286
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1278286
(単品ドリンクバー)399円
で、梅酒が-81円って言ってる人は
(単品ドリンクバー)399円 と、 (セットドリンクバー)219円+(梅酒ロック)99円=318円
を比べて、399円-318円=81円の差額のことを、梅酒が安くなったと言っている。
変じゃね?って言ってる人は
(単品ドリンクバー)399円+(梅酒ロック)99円 と、 (セットドリンクバー)219円+(梅酒ロック)99円
を比べるべきで、498円-318円=180円でドリンクバーが安くなっただけじゃね?と言ってる。
10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリの希望もない恋だった。
好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢を今日、自分で選んだ。
好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。
特別可愛いわけでもスタイルがいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意もプライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。
好きだった人と同じ髪型だったからLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。
「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。
私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーとデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。
いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。
これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。
「変わった人だなあ」が第一印象だった。
その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。
2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草、視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。
それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶違いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいつももう少し一緒にいたかった。でもその感情は好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。
「ホテルで映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画を再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロールが流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。
それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。
このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。
それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。
彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋で自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬をオーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。
そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛に依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛にアクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。
「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」
保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安で心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。
告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。
「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。
8月14日。お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10時から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店で他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。
「ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後だから」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。
それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。
すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ
ていったのは確かだった。
でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人のSNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒はさらに揺れて、そう長くは続かなかった。
「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿げたことを思った。
そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所で待ち伏せをした。
彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。
彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。
2月17日、たった1時間ちょっとの時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインのチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。
2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。
10月16日。彼のSNSのひとつに鍵がついた。もうひとつのSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いのきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。
息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎ、キスをして、セックスをするんだろうな。
悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。
これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。
ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。
彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントのひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージを検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。
「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。
喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。
好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。
SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。
私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。
今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。
やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名の日記にするくらいには悲しい。
本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子だから、絶対絶対絶対、幸せになってね。
パチンコ依存症だった。
なんならスロットもやっていた。
元彼に連れて行かれてビギナーズラックを決めてしまったのが間違いだった。
500円で20万とか当てすぎだった。
1回5000円と決めていたものの、どんどん額が広がり3万までOKになってしまった。
その頃には借金40万程度あった。
さすがに50万越えたら自分の大切なものがなくなる気がして無理だった。
パチンコで負けるたび、「あ、さっきのパチンコやらなきゃ欲しかったもの購入できたんだな」と後悔する日々。
その後、私は買い物依存症になった。
家に大量にあるが、メルカリに売るのもなんだか面倒で段ボール箱いっぱいに
ついついパチンコしたり買い物したくなったりするため
フリータイムに行ったとしても2000円程度。ドリンクバーも飲み放題だ。
何かに依存してしまう人は、「寂しい」「暇」ということが根底にあると思う。
界隈の人間には一発でどのバンドのことかわかりそうだし下手したら個人特定もされそうだけど、念のため固有名詞は伏せます。
あとなぜかはてな記法の通りやっても行空けが出来ないので大変読みにくいです。すみません。
私が追い始めたのはそれからしばらく後なので実際追ってた期間はもう少し短いです。
少し特殊なバンドで、二次元に元ネタがあってそれを麺が役として演じるというスタンス。まあ後半は麺たちも素でやってましたけど。(この辺りでどのバンドかバレそうだ)
活動終了が発表されてからの私はそれはそれは目も当てられない程の荒れっぷりでした。
ツイッターの鍵垢には毎日「死んでやる」と書き込み、そんな折会社もクビになり「どうせファイナルライブが終わったら私は死ぬんだから再就職もしない」と1ヵ月間くらいニートを決め込んでいました。
それくらい大好きなバンドだったんです。全国ツアーは札幌から沖縄まで追いました。地方の小さい箱での対盤ですら遠征しました。
予定が2ケ月空けばもう耐えられなくてギャ友に「会いたくて会いたくて死ぬ」といっては泣きついていました。もはや依存状態ですね。
そんな中、ファイナルライブを終えた後の私なんて想像もつきませんでした。そもそも死ぬつもりでしたし。
でも実際ライブの日が近づいてくるとフラスタの手配やらエステや美容室の予約やら本命さんへのプレ選びやらで気持ちは落ち着いてきて、当日はあまりにも平常心でした。
結果から言います。私は生きていますし、これからも生きるつもりです。
ライブが終わった後、私はもっと号泣して取り乱すと思っていました。
でも普通に会場を出て先に出た友達が席を取ってくれていたファミレスに行って店員さんにドリンクバーをひとつ頼んでいました。
最初は全く実感がなかったんです。また1か月後くらいにぽろっと予定が出てくるような気がして、本当にこれで最後だって思えなかったんです。
しばらくしてやっぱり最後だったんだと気付きました。その時少し泣きました。でも本当に少しでした。というかライブで体力使い果たして泣く体力すらありませんでしたw
そのときの私の気持ちは悲しい、苦しいというよりもどちらかというとすっきりとしていました。
それはきっと私が「やりきった」からなんだと思いました。
追おうと決めてからは9割は追って、最後だからと盛大にフラスタを送り、最後だからと激しく重い愛をぶつけたお手紙をプレボにぶちこんできました。
だからきっと本命盤と一緒に本命盤を追っていた私もきちんと終われたんだと自分では解釈しています。
物販で買ったメモリアルフォトブックなるものもじっくりと読み込みました。
泣きました。でもこの涙は悲しみでも苦しみでもなく「このバンドを好きでいて良かった」という喜びの涙です。
ライブでガンガン出ていた脳内麻薬が切れてじわじわと「終わった」という事実が冷静に私を襲い始めています。
正直、すごく寂しいです。私は間違いなくとてもとても大切なものを失いました。
それでもやっぱり生きていこうと思えたのはそのバンドがたくさんの幸せと希望をくれたからだと思っています(あと本命さんのソロ活動決定のお知らせもあったので)。
「その日」は必ずやってきます。仕事やお金や距離の都合で私のように現場に通いまくる訳にもいかない人もいると思います。
それでもあなたの推しをあなたの出来る範囲で応援できるだけ応援してください。推しのためではなく自分のためにです。
だってそうでしょう?現場に行くこと、円盤を積むことは確かに推しのためにもなるけど何よりそれをしている自分が幸せだからそうしているはずです。
昨日は誕生日だったのでカロリー的にも無職にしては金銭的にも贅沢した〜。いえーい!でもケーキ食べなかったし、ドリンクバーで甘い飲み物飲まなかったし自分偉いな〜!と思ってダイエットに励むぞ!あとロイホの公式サイトに載ってるカロリーは脂身含めてのカロリーだと思うけど脂身はほとんど残したのでもうすこしカロリー低い気がする!
活動量計で測った昨日の基礎代謝+運動の総消費カロリーは2023kcal。もうすこしカロリー消費したい。できたら2300くらいを目標に。他の運動はプランク30秒×2、腹筋15回×3。背中が痛くなってしまったけどプランクのやり方が悪い気がするので調べてみて改善してみよう。
あとやっぱりカロリーが少なすぎてリバウンドまっしぐらな気がするし、たんぱく質足りてないと思うのでAmazonプライムデーで安くなってたソイプロテインココア味を買った。前にダイエットしてた時はヨーグルト味を買って見たけどまずくて飲めなかったのでココア味にしてみた。口に合うといいな。
いつごろからだろうか、喫茶店でコーラをたのむことに抵抗を感じるようになったのは。
理由はカンタンで、ファミレスなどでランチにプラス100円でついてくるドリンクバーをたのめば何リットルでも好きなだけ飲むことができるからだ。
喫茶店ではその店にしかない食べもの飲みものをたのむようになり、どう考えてもコーラを選ぶということはない。
コーラを飲みたいという気持ちになることもあまりなくなったが、どうしてもというならコンビニや前記のようにファミレスを選ぶ。
あるいはファストフードか。それもあるな。
ただ、レモンの輪切りやチェリーが乗っている喫茶店のコーラはたのまないなと。
そう考えると逆に贅沢な飲み物なんだなと思うようになった。たのまないけど。
初めてメンタルクリニックを予約した
https://anond.hatelabo.jp/20180522222133
予約を入れたクリニックは近所で徒歩10分もかからないところなんですけど、家にいてもそわそわしてまったく落ち着かなかったので、1時間前くらいに家を出てクリニック近くのファミレスに入りドリンクバーで時間をつぶすという、まったく謎の行動をしていました(笑)
予約5分前くらいにクリニックにつくと、外観で見た感じよりも思いのほか綺麗で落ち着いた雰囲気でした。「ヒーリング系の音楽が流れている」というような話を聞いていたんだけど、本当に流れてるんですね。
受付で事前に書いた問診表と保険証を渡し、しばらく待つと声がかかり木のドアを開けて診察室に入ることに。ここまで心臓がばくばくしまくってまったく落ち着きませんでした。
中に入ると机を挟んで話す感じのこじんまりとした個室、女医の先生でした。
あまり内容は覚えていないんですけどいないんですけど、問診票に書いてあることをベースに自覚している症状を伝えたところ、結果として言われたことは「うつの症状と自律神経の症状が一緒に出ているように見える」とのことでした。
「とにかく精神的におかしくなってるところから何とかしたい(腹痛とかよりも)」と伝えたところ、軽い抗うつ剤から入って様子を見よう、次の診察は2週間後、ということになりました。
診察中は、変な汗が出まくるし言葉はうまく出てこないしでなかなかリラックスできませんでした。正直、意図しているところが先生に伝わったのかがあまり自信がないです…
これから自分はどうするべきなのか、がまだもやっとしています。週明けに会社の話しやすい人から打ち明けるべきなのか、思い切って休むべきなのか。土日を使って考えたいと思います。
あと、診断書の話もなんとなくされたんですけど、よく理解できないまま結局貰わないことになりました。とりあえずください、って言っといた方が今後のためにはよかったのかな。
薬局で抗うつ剤とあと整腸剤ももらい、せっかくなので(?)おくすり手帳を作って本日は終わり。
だいたいネットで調べていたことと結果が一致したので、あまり驚きはないのですが、これでやっと事実を受け入れられたのかなという感じです。
まずは様子見。ちょっとずつでもいいんで明るく元気に過ごせるようになるといいなぁと思う次第です。