はてなキーワード: トップとは
https://togetter.com/li/1760546
今の現代美術のトップのポップアーティストたちだってウォーホルが切り開いたジャンル上で「新しいこと」やってるんだよ
誰がゲーム実況を見下した?
eスポーツの大会は、プロゲーマーとストリーマーの相乗効果がある。
ポケモンは初代とその次位しかやってないおっさんだが、4人が別々のチャートでわいわいしながら走るRTAは終始楽しめた。
・CUPHEAD
高難度アクションゲームとしても有名な本作
クソゲーと名高い本作。「上から来るぞ!気をつけろ!」や赤くない扉に対して「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ」のセリフが有名。
名言織り交ぜた実況で楽しめた上に本イベントで世界記録を達成した。
映画の演出のような技を使いながら戦うヒーローのアクションゲーム。カプコン製。
RTAゲーマーにゲーム時間の高速化や遅延を持たせてしまったら後は分かるね?とんでもないスピードでボスを瞬殺していく姿に感動する。
精密なプレイが要求されるはずなのに喋りながらやっていて恐ろしい。
クソゲーオブザイヤー受賞作として有名でめちゃくちゃなバグで有名なゲーム。通称ダメジャー。
ついでに正常なハズの挙動の野球すらメチャクチャだと教えてくれるとんでもゲーのRTA。
恋愛シミュレーションゲームとしてジャンルを作り上げたヒット作。
そんな恋愛ゲームだが、RTAの時短の為にとにかくヒロインを放置したり、イベントをスキップしたりとメチャクチャな生活を見せてくれて
とてもヒロイン攻略ができているように見えないが、その結末やいかに。
・DanceDanceRevolution SuperNOVA
非常に高難度のチャレンジをプレイするが、こんなの無理だろと思わされるゲーム側の嫌がらせっぷりに注目
・新・北海道4000km
全く知らないゲームだったが、1983年当時の北海道の交通手段を再現したというゲームで解説の方が北海道を紹介してくれることもあり
たぶん皮肉で同じこと書いてるのいくつか見たけど、私は本気でこう考えてる。
結局のところ負けたら死ぬか死んだ方がマシな人生になると確信してる人間しか命を掛けて戦わないから。アフガニスタンでその立場にいるのは女性だよね。
政府軍の軍人がさっさとタリバンに降参した理由は家父長制の部族社会に逆戻りしても男である彼らは大して困らないから。
むしろタリバンが勝った方が占領地の女性を戦利品としてもらえたり、就労を禁止されて困窮した女性を第二、第三、第四婦人にできるメリットすらある。
そんな地獄に戻りたくないと願う女性を訓練して武器を与えれば必ず死ぬまで戦う。異教徒の侵略者(米軍)に訓練された女性兵士なんてタリバンの教義からすれば絶対に許されないから降参しても死刑だろうし。
腰抜け男しかいない中、女性が自分と家族と仲間を守るために今も戦い続けている。軍司令官や大統領まで逃げ出してもカブールの市街で最後の一人が死ぬまでゲリラ戦を続けると悲痛な叫びを上げている。
捕縛された女性兵士がタリバンにレイプされて公開処刑されるあり様がスマホ動画で世界に流れる。
これは世論が盛り上がる。
世界は、アメリカはなぜこのような悪を見過ごしているのだ? いったい男はどこで何をしているんだ?
徒労に終わった二十年間の戦争にウンザリしているアメリカ市民でさえ再派兵を求めるようになるかもしれない。
アフガニスタン政府には一応女性閣僚もいるみたいだから、亡命政府の暫定大統領にするのも良さそう。
大統領は女性、軍最高司令官もゲリラを率いる女性、政府高官のポストはタリバンに下った男どもに代わって亡命政府に参加した女性たちで占められる。
アフガニスタンのジェンダーギャップ指数は日本などぶち抜いて一気にトップ集団へ。現地ではイスラム過激派が女性にヴェールを被せて家に押し込める神権政治なのだが……
見てみたいなあ、女の戦争。
予言しておくと、こういう筋書きのハリウッド映画はきっと作られる。
さすがに米軍が女性を救う歴史改変はアメリカ人も恥ずかしいと感じるだろうから、アメコミ映画とかになるだろう。
もちろん敵もイスラム過激派ではない。
特に意味無く女性を虐めるキチガイ白人男が集まった架空の国際ミソジニスト過激派『インセル・プライド』に支配された小国で抵抗を続ける女性主体のレジスタンス。
彼女たちが追い詰められたその時、アイアンマンとキャップが降臨し非モテ男どもを蹴散らす!
そういうものを私は観たい。
今のトップブコメって結局は濃ゆい思想の人たちが身内でいいねしあって生まれた先鋭化された異常値なわけじゃないですか。
たとえば平均収入の話する時にビル・ゲイツとかホームレスとかを入れてもしゃーないから上下の5%ぐらいはカットしたりするでしょ?
それと同じようにトップブコメになると同時に通常のブコメ一覧からは消える機能ってあったほうがいいんじゃねえかな。
そうすると棲み分けが出来るじゃん。
ああそうそう「俺のは大喜利だから異常じゃないよ?」って人に言いたいんだけど、タイトルだけ見て大喜利で一言コメントするの、一般的には異常な行動だから。
クラスメートの名前をもじって不適切なアダ名をつけるような文化と一緒ね。
昭和がすぎるよ。
「トランスジェンダー選手を批判する人はそもそも女性アスリートの不平等について気にもしていない」女子重量挙げ選手の訴えに共感の嵐
https://www.ellegirl.jp/sports/athletes/a37239667/laurel-hubbard-laura-mariel-21-0812/
つまり一番熱心にトランスジェンダー選手を批判してるのってまあフェミニストの人達だと思うけど
フェミ「性自認が女性というだけで男性身体で女性テリトリーに入ってくるのは女性の権利侵害につながる」
女性アスリート「そもそも我々は男性アスリートに比べて競技機会、給料、メディアでの放送時間などが圧倒的に少ない。
今日のスポーツ界にいまだに存在する“あからさまな女性差別”が問題なのに。」
話噛み合ってなくね?
フェミニストによるトランスジェンダー選手に関する主張が妥当か妥当でないかとは別に
この両者は明らかに話噛み合ってないよね?
つーかこれwhataboutismとか言われるやつとちゃうん?
あと蛇足だけど
これってしょうがなくない?
需要がないだけじゃん。
女性スポーツの価値や女性アスリートの価値って当事者がブランディングしていくしかなくね?
男同士だってたとえば空手の金メダリストはNFLのトッププレイヤーに比べると経済的価値10,000分の1もないけど
更に言えば
まっさらに比較すると競技能力やレコードでは女性選手は男性選手より大きく劣るわけじゃん。
男性選手のプレイの迫力に熱狂するスポーツ好きも女性選手のプレイには熱狂しない。男性の三流選手よりパワーもスピードもないから。
「スポーツファンは自然な気持ちで、パワーもスピードもない女性選手のプレイに男性選手へのそれと同じぐらいに熱狂すべき」?
「スポーツファンが女性選手のプレイに価値を感じてなくても、年俸やメディアの扱いを男性選手のそれと同じにすべき」?
「頭良くない凡庸エンジニアの待遇を登大遊と同じにすべき。そうしないなら差別。」
つってるのとどう違うんだろう。
まとめると二点です。
2.主張に無理がある。それを差別とするなら女性オリンピアンであるあんたと地区大会一回戦負け女性アスリートの待遇も同じにすることになる。
嫌な気持ちになるだけだわ。
ヤフーニュースでランキングは見るけどコメントは見ないほうがいいのと同じ状態だ。
トップブコメになるのは「特定のエコーチェンバーの中に引き篭もることを決めた集団にとって耳障りの良い言葉」が並んでいるものばかりだ。
かといってそういった主張をする集団を夢見がちで人の話を聞かない連中だと決めつけてしまってもよくない。
この読んだ上で無視するという行為そのものが「俺はコイツらより賢いのでコイツらの話は聞く価値なし」と自分に対してよくない洗脳を書け続ける行為になる。
つまり自分もまた強力なエコーチェンバーの中に引き篭もる狂人へと近づいていく。
それを回避したいならもう最初からそういった文字列を視界に入れないようにするしかない。
今までは「まとめブログ(痛いニュース・はちま等)」や「比較的IQの低い人が多そうな界隈(ヤフー・爆サイ)」なんかがそうだった。
でも今はもうはてなブックマークもそういった空間になっている。
これについてははてながまとめブログ的な面を持っていたり、なんだかんだIQの低い集団によって構成されている疑いが高いことだけが理由ではない。
トップブコメやホットエントリーが存在するというはてなのSNS的なシステムが蠱毒のような側面を持っているからだ。
受けるためならどんな事だって平気で言うタイプの人間を量産してしまっている。
でもはてなってコメント欄みないと晒し上げで伸びてるのか質が高いから伸びてるのか判断できないサイトなんだよね。
これもうはてなは使わないほうがいいって所にまで来てない?
ヤバない?
ひろゆきと同じタイプに見えて、DaiGo氏は学歴や上流の人間に対するコンプレックスが結構あるように感じた。
下手をうったせいで「下層民に媚びるしかなかったのか。そこまで落ちぶれたのだなあ」という感じに見えているが
実際は田端慎太郎氏のように、リバタリアンやネオリベラリズムのトップ層とお近づきになりたかったのだろう。
自民党政権における杉田水脈さんのように「偉い人が言いたくても言えないようなことをいう腹話術マシーン」としてのポジションが得たかったのじゃないだろうか。
しらんけど
2000年台に入って、急に周りが「自己責任」という言葉を多用し始めたときには違和感があった。なにそれ、流行りなの?というくらいに急に周りの同世代、特に男性が自己責任という言葉を使い始めた。自分の首を絞める言葉だな、何か大きいものが自分の責任を回避するための言葉だな、と警戒心を持つことにしていた。
当時思い出したのは、少年ジャンプで連載されていた「るろうに剣心」の登場人物、志々雄真実。個人の力こそ全て、力のある個人がトップに立つべきという思想のキャラで「所詮この世は弱肉強食」「強ければ生き、弱ければ死ぬ」といったシンプルかつインパクトのある台詞が多く、戦闘力の強さもあって敵キャラながら人気があった。(はず。)
別に志々雄真実が撒いた種が見事に開花した!とは言わないが、90年代に少年だった世代がなんとなーく事前摂取していた新自由主義的な感覚がうまいこと時代のニーズ、思想的な需給の一致をみた結果の流行りだったのかな、と振り返る。