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はてなキーワード: 自意識とは

2012-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20120113091516

ダメだろうね。そういう、自意識肥大から生まれたのはオタクというよりは偏執っぽくて可愛くない。

たとえ偏執でなかったとしても、社交に対する意識から生まれたものちょっと違うと思う。

2012-01-06

作家志望が書いたつまらない小説ありがちなこと

 

 ・ 登場人物がやたら多い。

 

 これは大風呂敷だけを広げて、畳むことに失敗するパターン

 1ページか、二ページそこらで、登場人物がやたら出てくる。本人の中ではしっかりとキャラクターが浮かんでいるのであるが、いざ書きだすとなかなか先に進まない。他人に読ませても「キャラクターの区別がつかない」とか言われる。他人をお話の中にすんなり引き入れるには、多くても主要キャラクターは三人か四人がベストでしょ。

 ・読み始めて、しばらくしても何についての話なのかよくわからない。

 

 いきなり長編に取り掛かろうとする小説家志望にありがちなパターンである。ずーっと読んでいってもなんだかよく分からない主人公の日常が書かれてあるだけで、いつまでたっても事件が起きないのだ。セントラルクエスチョン(主人公は○○できるのか?)を提示するのが遅すぎる。遅くても10ページまでには何の話なのか提示しないと、読む方はあきてしまう可能性があるのだ。

 

 ・登場人物が画一的すぎる

 

 女子高生が出てきたら女子高生の口調、オタクオタクの口調や行動、ヤンキーヤンキー校長が出てきたら校長、婆が出てきたら婆、どれもこれも画一的で、その個人特有の人物造形ができていないのだ。女子高生だったらこんなことはしないだろうとか、ヤンキーはこんなこと言わないだろうかとか考えず、こいつ自身はどう動くかを考えるべき。

 ・感情をそのまま言葉表現しようとする 

 

 主人公が不安だと思ったときに、そのまま言葉で私は不安だと表現するのは簡単。

 そうじゃなく描写で表すほうがいい。不安なら、「私の進む先に暗く淀んだ雲が漂っていた」これだけでいい。

 ・敵の底が浅い

 

 これは、ダメ映画小説漫画すべてに言えるが、敵または悪役の底が浅すぎる。みんな似たり寄ったり、同じような口調や行動でありきたりこの上ない。書き手が主人公ばっかりに気持ちが入っていて、陰と陽の配分がなされていないのだ(不思議と悪役の存在感が薄い小説は、主人公も同じく薄いことが多い)

 悪役を描くときは、どうせなら主人公より悪役の方に肩入れしてしまうくらい入念に丹精込めて造型しないと、濃密な戦いは生まれないぞ。主人公以上に、なにか独特の倫理観や、哲学を持ってないと魅力は出てこない。<リンク:共犯者 (新潮クライムファイル)>共犯者関根元を見習ってくれ。

 ・退屈な生活をおくる主人公のもとに、都合良く謎の美少女が現れる。

 

 導入で、ここまでうんざりさせられる展開は他にない。冒頭に退屈した主人公の日常が延々と描かれ、突如としてその生活に舞い降りた謎の美少女。これがラブストーリーとかになったりしたらもう最悪…。導入としてはすごくわかりやすくて、お話も運びやすいのはわかるがもう一つ何かひとひねりちょうだい!

 

 ・自分でも言葉にできない鬱積した感情を書こうとしている

 自分の中に溜まった抽象的な[何か」を表現しました、と言う小説はたいがい、つまらない。こういう小説は冒頭にかならず自意識を垂れ流したような文章が長々と続き、ちょっと書いている本人が陶酔している。こういうのを描くのは、玄人向けというか、並外れた文章表現客観性がないとなかなかうまくいかないのよ。最近芥川賞とった「きことわ」ぐらいのレベルなら別だけど。

・なんか自然描写だけの小説

 

 なんかさらーっとしてて、自然とかそういう情景描写ばっかりの小説ってあるよね。たぶん自分の中では美しい情景が思い描けてると思うんだよ。でも他人ってそんなにあなたが感動したことに共感はしてくれないんだよ。よくありがちなのが自然人間の死を対比させているパターンね。

 

・文章もテーマも立派なんだけど、全体的に大したことが起こらない、地味。

 

 こういう小説が一番多い。文章もプロ並み、テーマも素晴らしい、でも地味なんだよってやつ。こういう人はとことん地味な話を書くべか、または自分が普段全く読まないような超エンタメ小説劇薬小説などを買いあさって読んで、一度頭をフルチェンジしてみるのが一番ベストである

・文章もテーマも立派だし、起こっていることもまぁまぁなんだけど、モチーフがありきたりで既視感がある。

 そこらへんに転がってるような話だけじゃ駄目なんだよな。

 ・お話シンプルすぎる。ひねりがまったくない 

  海外の古い短編なんか読むと、こんなんでいいの!?って思うくらいシンプルなのもあるけど。それは昔の時代から通用しただけのことであって、今の時代は「ひねり」をどんどん入れて、読者の意表をつかないと、すぐにあきられてしまう。じゃあ二転三転すればいいのかっていうとそういうわけでもないんだけど、読者を驚かせてやろうってぐらいのサービス精神がほしい。

 

 

2011-12-29

『ぼく、オタリーマン。』の悪いとこまとめ

普通に面白くない部分

・絵が下手

・発想が凡庸

嫌悪感が湧く部分

面白くないのにやたらと自意識過剰

・「理系」としてまとめられている非常識性・変人性がただの中二病レベル

・「オタク」としてまとめられてる趣味行動・奇行が浅すぎライトすぎ

・「過剰に論理的」とか「発想が人と違う」ではなく「凡人の変人ぶりっ子」なのがバレバレ

・一方で、本当に変というか、確かに非常識だな(それも単に悪い方向に)という部分がチラホラ見えるがそこには自覚がない

・作者の本当に変な部分は「理系」「オタク」に誤集約してスポイルする事でスルーしている

具体例でいうと 1

寿司屋ネタの正式名称がどうのと因縁つけるのの何が面白い

 冗談抜きに中学生ぐらいがいきがってやりそうな行動でしかない。

 これを本人は、読み物として提出出来るぐらい面白いネタだと思ってる。

 ずっとこの水準で「俺って面白い変人デショデショ?」なので、かなりキツい。

具体例でいうと 2

・作者の同期や彼女との人間関係だけは本当に変人というか、確かに人よりかなり劣っている。

 しかもこっちには見世物的な意識が感じられない。むしろなんかイジケたマジレスが多い。

 彼女との別れの顛末なんかも、自己中心的でナイーブな視野からの描写に終始し、

 「僕はこう感じて」「僕はこう疲れた」ばっかし。客観性論理性が皆無。

 「理系キャラが簡単に崩れて馬脚だし過ぎなのはもちろん、

 そのつまら愚痴がカネとって人に読ませるようなものか考えてないのは

 これも自意識過剰のなせる技だと思う。

漫画家として以前の欠点のまとめ

 自分の気持ちや関心と、他人の気持ちや関心と、区別があんまり付いてない。自分大好きすぎ。

 これは変人ぶりっ子な作者の唯一の「本当に一般レベルちょっと違う部分」なんだけど、

 自覚がないのでそのまんま垂れ流し。

 せっかくの本物の変人性部分なのにエンタメ変人ショーにはなってない。





あとさあ

・そもそも「普通の人と一味違う変人」としてのギャップを変人本人が解説するってのは構造的におかしい。

 「自分の思考・発想が普通の人と違うと自覚し意識する変人」て。

 それはどうやったって「自意識過剰・演出過剰な凡人」でしか有り得ない。




 『となりの801ちゃん』(読んだ事ねーけど)は

 非常識である801ちゃん世間とのギャップを

 常識である801ちゃん配偶者が観察日記的に述べていくんでしょ?

 変人や異界人を描写しネタとして提示していくにはこれしかないよね。

 『中国嫁日記だってダーリンは外国人だってそう。




繰り返すけど

 「俺ってこんなに変なんだよ」「ほら変でしょう」っていうのは変人ごっこにしかなりえないよね。

 構造からして頭が悪いし、変人ショーとしては凡人臭がき出すぎだし、自意識未整理すぎというもんだよ。

 中学生が書いてんなら良いけど、三十路サラリーマンでそれはさあ。

http://anond.hatelabo.jp/20111229005040

2011-12-28

眠れないので、誰にも話したことのない話をする。

眠れないので、誰にも話したことのない話をする。それは僕の人生についての話だ。

僕の一番古い記憶は、二歳のときものである。祖父に手を引かれた幼い自分が、夏の祭ばやしの中でぼうっと立っている。そんなはっきりとしない風景のような記憶

その夏祭りと同じ年、祖父はまだ50代という若さで死んだ。大の酒飲みでもあった祖父が居酒屋からの帰り道に道路のど真ん中で泥酔して寝ていたところ、通りかかった車にひき逃げされたのだそうだ。犯人は結局見つからず、警察役人的な処理の仕方に家族は憤りを感じたらしい。そういうこともあり、僕の一番古い記憶は、僕がもっている祖父に関する唯一の記憶でもある。

ただ、この祖父との夏祭り記憶はおそらく後から作られた記憶なんじゃないかと、僕自身は思っている。なぜなら、祖父に手をひかれている記憶のなかの「幼い僕」は、記憶の観察者である「僕」のほうを見ているかであるふつう自分自身の記憶であれば、自分の顔がその記憶風景の中にあるはずがない。僕が一番古い記憶だと思っているその祖父との思い出は、一人称記憶ではなく、三人称写真的な風景なのだ。多分、祖父が死んでずっと後、僕が物心ついた頃に祖父との夏祭り写真をみせられたか、もしくは親類が思い出を語ってくれたことで自分の中で作られた記憶なのではないかと思っている。

祖父に関するもう一つ記憶に残っている話がある。それは僕の父が語ってくれた父の記憶だ。祖父がひき逃げされた数ヵ月後、御巣鷹山日航機墜落事故がおきた。日本中の人々の関心を呼んだその事故報道を見ながら僕の父は一人の目撃者や証言者もなく数ヶ月で忘れさられてしまった祖父の事故を思い、命の価値は同じはずなのにどこか不公平だと感じたそうだ。その話を父から聞いたのは僕が中学生くらいのときだったと思う。多くの人の命が失われた大きな事件なのだからそんな田舎ひき逃げ事件より注目を集めるのは当たり前じゃないかと、思ったのを覚えている。

僕の話に戻ろう。祖父との夏祭り記憶の次に覚えているのは、幼稚園の庭のすみで幼なじみ男の子と二人、もくもくと遊んでいる僕の姿だ。これも記憶というより、印象といったほうがちかいかもしれない。幼稚園では他にも友だちがいたはずなのだが、僕はいつもその幼なじみとばかり遊んでいた。他のこどもたちは幼稚園の庭の真ん中でみんなで仲良く遊んでいる。ただ、僕とその幼なじみけが庭のすみっこで別のことをして過ごしている。そういう記憶だ。

僕は自分マイノリティであるという漠然とした自意識をもっている。そういう自意識はおそらくこの幼稚園時代からもっていたのではないかと、特に理由もないのだが、なんとなくそう思う。はっきりとは覚えていないのだが、そんな幼稚園時代を過ごしたという印象だけ残っている。

その後僕は幼なじみと同じ小学校にあがった。幼なじみをKと呼ぼう。小学生になった僕はKのほかに、新しくJという友達ができた。Jは別の幼稚園に通っていたのだが、帰り道がKと僕と同じなので自然と仲良くなったのだと思う。なにをして遊んでいたのかはあまり具体的に記憶にないが、学校の帰り道やお互いの家、近所の公園などで過ごしていた記憶がある。たぶん、他のこどもたちも同じように過ごしていたんじゃないだろうか。幼稚園のころよりかは幾分交友関係が広り、幾分マイノリティでもなくなった。

だが、マジョリティではなかった事だけは確かだ。小学生だったことがある人はわかるかと思うが、子供のなかでは子供なりのカースト的な階層があるものだ。上位階層に所属しているのはもちろんスポーツが得意な子供である野球サッカーではエースで、なおかつ顔がカッコイイというWという同級生がそのカーストの頂点で君臨していた。僕は早生まれということもあってか運動がまるきりダメで、そのためカーストの中では下位に位置している存在だったが、意識して階層の外にいるように、つまり上位のやつらやその友人たちとはあまり接触しないように過ごしていた。交友関係が広がったとはいえ、マジョリティだとは言えない存在だった。要するに僕の自意識マイノリティのままだったのである

スポーツがまるでダメと書いたが、そのおかげでマジョリティになれなかった僕はスポーツというものに対してどこかしら卑屈な感情をもっている。マジョリティへの嫉妬が、スポーツができないという事に転嫁され、それがスポーツそのものへの憎悪に近い感情になり、その結果スポーツは僕にとって禁忌になった。自分がどこからしら劣っているのはスポーツができないからであり、その元凶であるスポーツには近寄ってもいけないという発想である運動ができない子供はみな同じような感情を抱くものなのだろうか? スポーツが僕の中で禁忌であるというこは特に誰にも話したことはないので、他の似たような子供はどう感じているのか正直よくわかない。

これは成人した後、それも社会人になってからの話だが、会社の同僚と学生時代部活の話をしているとき、僕はおどけた調子で「運動したら負けだと思っている」と当時ネット上で流行していた言葉をもじってスポーツに対しての卑屈な感情冗談めかして言ってみたことがある。だが、その時話をしていた元サッカー部という同僚がそれを素直に受け取ってしまい、おそらく彼には僕と同じようなスポーツに対してのコンプレックスがないのであろう、結果、彼の気分を害してしまった。その人自身は運動会系というより文化系人間だったので、僕の原体験を共有できるもの勝手に思ってしまった自分が悪いのであるスポーツに対して当たり前のようにコンプレックスをもたない人間を目の前にし、自分はやはりマイノリティなのだと再認識をした。

子供時代の話に戻ろう。

僕達の育った町は自然あふれる田舎でもなく、かといってビルが屹立する都会でもなく、よそから引っ越してきた人達がつくったマイホーム国道鉄道沿いに立ち並ぶ、いわゆる郊外と呼ばれる場所だった。「だった」と過去形で書いたが、現在でもその風景は変わっていない。駅の前には商店街や、小さな個人書店や、同級生の親がやっている歯医者国道沿いにはファミリーレストランや大きめのおもちゃやさん、そして西洋の城を中途半端に模したラブホテル。この国のどこででも見られるような平凡な風景だが、誰にでもそうであるように子供の頃の僕にとってはそこは唯一の場所であった。

他の小学校のことはよくわからないが、僕の通っていた小学校には他の町に遊びに行ってはいけないという「きまりごと」があった。僕の家は隣町との堺がちかく、同じ町の友達の家に遊びに行くのにも隣の町を一部横切っていったほうが近いといったようなところに僕は住んでいた。「きまりごと」はまもらないといけないと素朴に信じていた小学生の僕は、友達の家に行く途中隣町をちょこっと横切るだけでも、ちょっとした罪悪感を感じていたものだ。まして電車にのって別の町まで買い物に行くなどどいうのは親同伴でなければ許されない事だと、そう固く信じこんでいた。

断章

2011-12-25

今すぐ消えろ!日本カルチャーシーンを「残念」にした戦犯タイプ

ハロー



聖おにいさんオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。

http://anond.hatelabo.jp/20081210172325

とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。

http://anond.hatelabo.jp/20091216230059

このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!

http://anond.hatelabo.jp/20111224192828



を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。

「かわいそうだね?」

って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞ネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。

はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大自分直視できないのかねえ。

「格好をつけないことで、格好をつけている」

「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」

やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。

ぼくはきみたちの断末魔叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。

ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。

これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。

きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。

では、いきますよー。



映画秘宝

ボンクラ」なんていう安っぽい価値観連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスター宇多丸町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。

「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。

中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。

自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚フンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。

彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸ラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。

そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画ポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。

この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフル宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画町山智浩キラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画ネタにしているのを見たことあるよ」でも可。



伊集院光

人生大切なことは、すべて伊集院光ラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。

映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャー必死に否定してくる。「最近アニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。

自分中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画アニメ伊集院が褒めるものけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。

映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットMP3音源違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメ自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。

「人見知りなのは感性が鋭いからだ!」

バイト面接で受からないのは、感性が鋭いからだ!」

住民税を滞納しているのは、感性が鋭いからだ!」

もうなんでもあり。

こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛自己肯定は。



ビレバン

ある意味一番病気かもしれない。

「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽ自分必死デコレートしようと頑張っている。ビレバン下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分ビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。

こういう奴がセンスいいと思われたい一心カルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画悲惨犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。

なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍マリオネットたち。

こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。

さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。

もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。



つぶやき批評家

そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆

はてブツイッターなどの安全からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。

文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ

大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。

このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報いかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。



以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性大事」という間違った教育と、「作品の解釈受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。

確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。

ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督紀里谷和明か、小説家岩崎夏海くらいか

特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代クリエイターズバイブルだね、この本は。

みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽ自分直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20111225123758

綿矢りさは俺もちょっと心配。なんていうか、自意識の深みにはまって行っている気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20111225123758

綿矢りさは俺もちょっと心配。なんていうか、自意識の深みにはまって行っている気がする。

2011-12-06

精神病であるのならばどれだけ理不尽な主張であっても許されるのだろうか。扶養家族はそれを受け止めなくてはならないのだろうか。

姉の話です。姉は高校を中退してからというもの、もう十年以上も精神科に通っている精神病患者です。重度の欝と統合失調症とを抱えているのだそうです。詳しくは知りません。もうかれこれ何度か入院経験しています癇癪持ちでもあるようで、今なお家庭内暴力を振るいます

お陰で、愛犬からも怖がられている始末です。以前は暴走感情が昂ぶって、家族口論したり自殺未遂をしたりする状態)が始まると心配そうに間に入ってくれたそうですが、今やそそくさと部屋から逃げ出してしまうのです

私も含め、家族にはもう諦めしかありません。姉の過去にどのような問題があったのか、具体的に把握できない上に、過ぎ去ってしまったこと故に施しようがないかです。にも関わらず姉は過去のことを持ち出し、家族に、とりわけ母にあたります。どれほど謝ったところで意味など無いのに。姉自身が謝罪を受け入れようとしないのです

姉は、謝罪を拒絶し徹底的に信じないことによって、かえって母を脅迫し返してくるのです自分など居なければいいのだろう、死んでしまえばいいのだろう、そう思ってるんだとだけ繰り返し、否定は一切受け付けない。それどころか、ますますひどい猜疑心に陥っていくばかりなのです

また、暴走が始まるきっかけも理不尽まりありません。

例えば、母の体を抓ったり手に噛み付いたりしていてその行為を拒まれた場合や、恥ずかしい話ですが頭を撫でて貰えなかったりすると、暴走への種火が付いてしまうのです。そもそもにおいて姉は、自意識自己愛、プライドといったものが極端に高い人なのです。そういったものが高すぎるがゆえに、絶えず他者に対して劣等感を抱いているのです。姉自身が一番嫌っている他者との比較を、意識的にか無意識のうちにか、率先して行なっているのです

その苦しみなり憤りが内側で爆発しないのが姉なのです。自身の存在意義を徹底的に見限っているくせに、他者には、とりわけ最後の砦としての母だけには認めてもらいたいのですしかしながら、存在意義を全肯定してくれる母の言葉を信じることができない。結局、堂々巡りなのです

姉は自らの価値観を傷つけられることに敏感である割に、平気な顔して他者のことを貶してしまえる人間です。無論それは家族の前での面なのでしょうが、性根が悪いと言わざるを得ないこともまた事実であろうと思うのです家族として、こんな分析をし憶測までしてしまうことはひどい行為なのかもしれませんが、過去の問題もまた然るべきして生じた出来事であったのではないかと思ってしまうのです

正直なところ、私は姉が大嫌いです。この世の中で唯一具体的な嫌悪感を覚えることのできる相手であるです

とは言え、このまま放置することもできない。姉がどうこうと言うよりも、母の精神心配なのです

昼過ぎまで寝ていて、ネットゲームだけして、食ってまた寝る姉の歪んだ生活サイクルに、母は振り回っされぱなしなのです。昼過ぎまで寝ているので夜眠りにつきにくい姉は、睡眠導入剤を呑んではいものの、深夜になると暴走への兆しがぽつぽつ見られるようになります。気持ち悪いくらいに母に甘えたり、ろくに運動もしていないのにマッサージを強制するのです。拒めば暴走が始まって、死んでやるからと家を飛び出す始末です

母には母の生活があり、仕事があるのです。にも関わらず、毎日夜一時ぐらいに寝て、六時には起床しなくてはならないのです。姉のご機嫌を取りながらです。疲れなどとれるはずがありません。ここ数年で白髪がめっきり増えたように思います

母だけではなくて、私もまた姉という負担を負わなければならないのだとは思います。姉が母に要求をすることがないよう気を配ったり、意識を逸らしたりするべきなのかもしれません。暴走が始まった時も、上手く立ちまわることが出来ればいいのです。首に包丁を当てて自殺をほのめかす姉を、どうにか押さえ込むことができたらいいのかもしれません。

私は卑怯者なのです。臆病で面倒くさがり屋で、家族とさえもそれほど距離を縮めようとは思わない、またそう思うことで責任逃れをはかっている最低な人間なのです

ただ、私にはもうどうすることもできないし、どうすることもしたくないのです無視してしまいたい。姉なんて、いなくなってしまえばいいと思うのです

それでも、現実問題として姉は依然として母に寄生しているし、お陰で母が苦しんでいる。私はどうにかするべきなんです。でも、どうすればいいのかわからない。

行動を起こすことが怖いのです。大嫌いな姉だけど傷つけることが怖いのです。私は責任を負いたくない。誰かと真っ向からぶつかって、何かが決まってしまうことが嫌なのです

反面、もう傷つけられ続けることだけには我慢ならない。自分でも我侭なことを言っていると思います。どっちつかずのまま愚痴ばかり言うしか脳のない人間なんです

ただ精神病患者から過去の出来事の被害者から弱者からといって、泣き叫び喚き散らかし、依存できる環境に浸りきったまま我欲を他者に押し付けることは、被害者であったはずの人物が加害者の側に立ち変わっていると言っていいのではないでしょうか。姉の言動を病気なのだからと受け入れ、容認することは、加害者に優しくしているのも同然なのではないでしょうか。

母を筆頭に、私たち家族は姉のお陰で随分と傷つき苦しんでいるというのに、あんまりじゃありませんか。

私たち家族にできることなどたかが知れています。そんなことはわかっているのです。私たちは耐えなければならないのだし、待たなければならないのです。いつになるともわからない姉の快方を、息を潜めたままじっと待ち続けなければならないのです。そうするしかないじゃないですか。誰の言葉も届かないのですから

母が姉の甘えをやんわりと拒むことができたらいいのかもしれない。あるいはいっそ、家族のことなんて見捨てて考えないようにしてしまえばいいのかもしれない。もちろん、私自身がうまい仲裁役を買って出るのが一番なのかもしれません。及び腰の癖に問題意識は一著前、なんていかにも卑怯で格好悪いですから

色々とわかってはいるんです。わかっているつもりではいるんです

それでも、どうすればいいのか、わからないんです。どうしようもないんじゃないかと諦めてしまいたくなるんです

2011-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20111205142313

全然違うよ

身近におばちゃん居ないのか?

おばちゃんの反原発神経症ヒステリーだよ

簡単に言うと「不安であたまがおかしくなってる」。マジで

サヨクとかが自意識(君の言う「中二病」含む)の為に騒いでるのとは全然別。

おばちゃんは大真面目。

からおばちゃん反原発を憎んだり叩いたりしても無意味

あれは被害者とも言える。

2011-11-29

はがない俺ガイル読み比べ

うん。やっぱり思ったけど、はがないは好きじゃないわ。

でも、はがないのほうがウマい。明らかにこっちのほうが技術がないと書けない。




はがない変化球だ。

はがないメンバーは、「濃い」故に集団からはじき出されてる側の存在で、

少なくとも、自分アイデンティティに疑問は持ってない。

自分を規定してくれる「外側」を必要としない。だから好きなだけ閉じこもれる。

マクロって言うほどのもんでもないけれど、スクールカースト無視しても存在できる。

リアルぼっちの読者たちの憧れる姿だろう。

人付き合いは煩わしい、でも何者にも成れない、一人では生存できない、だから学校の柵にとらわれている、そんな中高生の憧れる身近な理想像だ。彼らは生存戦略不要な強者なのだ。(友達いないと「いろいろと鬱陶しい」あたりの言及が、必死度の違いを露骨にしめしている)

唯一の例外が夜空で、こいつだけはガチんこでぼっち野郎だ。

友達を欲すること「さえ」ろくにできない。抑圧強すぎ。でもすげーよくわかるぞその気持ち。

なんでこれ夜空が主人公じゃないんだろうと思うくらいにぼっちものの主人公に最適だ。

この作品で本質的ぼっちなのも、部活を作ったのも、最も切実なのも夜空だけであって、

私は夜空にすごく共感するんだけれどぼっちの奴らがこれ読んで、夜空に嫌悪感を感じてるって構図がすごい皮肉になってる。

お前ら他人に対しては常人と同じ程度の想像しかないんだなー、と苦笑したくなる。


いや、そこが売れてる理由なんだと思う。ホント

みんな自分イタい自意識を、直接眺めるのは嫌だろう。

むしろ、他人からみたら自分嫌悪するべき存在だという自覚はあるだろう。

というか、自分自身、自分のことをこれでいいとは思ってないだろう。

本当の自分はこんなんじゃないんだ-という思いがまぁ小鷹やら星奈への擬似的な共感に繋がる。

星奈は特にアイドル要素を多く兼ね備えており、自分ごまかすには最適な感情移入対象だろう。

最終的には、夜空の嫌な部分を受け入れられない限り、読者はこの作品から卒業できないんだけどな。

ちなみに一番好きなキャラ理科さんです。というか理科と小鳩以外好きじゃない。





俺ガイルは直球だ。

まぁこれぞぼっちを真正面から描こうとしてる作品という印象。

ぼっちってのは基本的に「濃い」のではなく「薄い」。

存在感がない。接点がない。共通言語を持たない。

故にキモい。何考えてんのか分からない。これが基本。こっちが多数派。

その本来のぼっちと、はがない型の「個性強すぎるゆえに集団から排除される」型のぼっちを並立させ、

間に普通人間を挟むことで、ぼっちが「全体の中でどこにいるのか」が分かるようになっている。

マクロというほどもないが、学校という小さな社会を描くことさえ拒否するはがないとは違う。

というか、はがないは「特殊なぼっち」のなかに「普通ぼっち」を混ぜるという構図が不自然というかもう悪趣味すぎて、「君に届け」と同じくらい気持ち悪い。

俺ガイル自然というわけではないけれど、まぁ共感できるのはこっちだ。どうしても。


俺ガイル面白さだが、メインの主人公については「あるある大百科」でしかない。少なくとも私にとっては。作家ならではの端的な表現自分が感じてたもやもや言語化されてすっきりするってのはあるけれど、新鮮味は少ない。どっちかというと、「ぼっちから一般人を観察して、どう感じるかって描写部分が面白い。いや、それよりも「片方からぼっち」が「もう片方のぼっち」に感じる感情の描写が興味深い。

無職人間が、ノマドバンザイフリーランス最高っていってるやつに投げかける視線共感嫉妬、諦めと憧れが混じったような複雑な感情、これは経験がない部分なので素直に楽しい

2011-11-28

ラノベ読むのが辛くなる時期というのがある気がする

あともう一個。

ラノベって大学入学卒業から、おそらく30才くらいまで、読むの辛くなるんじゃないかという仮説を巻がてみた。というか自分が今そんな感じ。なんというか読んでていたたまれない気持ちになると言うか。ピンドラ風に言えば、何者かにならんとして、成れない時期とだあらかな。ちょっと距離感おかしくなってぎこちなくなると言うか。なんか読んでて嫌な汗書くんだよな。楽しいどころか拷問

アニメになるようなラノベとかの、ファンタジーとか痛い自意識と向き合うのがつらくなる周期があると思う。

なんか、高校卒業してからラノベ読むのがかなりしんどくなって最近惰性で読み続けてるのが西尾維新系とかゼロの使い魔くらいかな。多分他のも中高時代なら楽しく読めたものが読めなくなってる。ラノベなんかある程度のめり込まないと楽しめないのにそれができない。おわクロとかは大好きだったのに、(^ω^)が受け付けないあたりからしても、どう考えても自分側に問題がある。

togetterとかで定期的に、「最近ラノベ批判」みたいなのを見かけるけど、あれ要するに、一時的にラノベ受け付けなくなった人とか、足抜けしようとしている人のいい訳でしょ?

自分が変わったんじゃなくてラノベが劣化したんだ。いやそもそもおれはラノベ面白かったから読んでたのであって俺は面白いものが分かる人間なんだ。いやいや俺は俺が読んでた時代ラノベはまともだったから俺もまともだったんだ-って自己主張してるように見えるんだよね。

見苦しいけどそう叫びたくなる気持ちはわかる。ラノベのめり込み度が高いほど、ふと熱が冷めたときにうわああああああって気持ちになって、その反動でついついラノベ否定とか始めちゃう。まぁそれも含めて中二病というんだと私は思うけどね。

で、なんか他の人を見てると、30過ぎのおっさん淡々ラノベ読んで淡々と語ってるのを見て、多分今の自分は過渡期かなんだろうなーと。 30過ぎたら、中高時代とは違う感じで楽しめるんだろうな、と期待してる。 とか考えると、ラノベの読者層って結婚前後女性の就業率みたいにM字型になってたりするのかな。





追記。

いや、はてブもらって嬉しいんだけれど、俺が欲しいのは情報だ。ラノベの読者層の分布なんだ。

自分語りとか、自分の体験や感覚で肯定否定意見、とかはどうでもいいんだ。それは何の価値もない。

こういう書き方したら誰かデータを出してくれるのがはてなだと思ってたんだが、

はてブというのは噂で聞いている以上に怠け者の反応が多いな。(お前が言うな


http://asciimw.jp/info/ad/comic/bunko-info.pdf

さんくすやで-。うざがられるの覚悟で言ってみてよかったでー。

いつもデータが欲しいと思いながら、自分で探しても見つからなかったのですだよ。

2011-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20111124143148

なんてかさ。

インターネットの人たちはみんなそれ知ってたよ。自分たちが気持ち悪いことくらい。

マジデ気持ち悪いわ。

草の根BBSの頃からやってるけど、「みんな」って誰だよw

そういう自意識の拡大や投影が、キモチワルイって言われるんだよ。

共感承認を求めすぎて、掲示板アクセス禁止になったりしたことないか

妙に反応が悪くなったことはない?

「僕が」気持ち悪いんだ、「みんな」じゃない。

裏じゃ結構言ってるんだぜ、「あいキモチワルイ」って。

2011-11-23

コピーコピーコピーで記事の体裁をなしていないJ-CAST

今更言っても無駄だと、それがJ-CAST連中のやり方だと言ってしまえばそれまでかもしれない。Jカス絡みでこんなのはよくある事だ。けどやっぱり今回の仕業にはあまりにも目が余る。

これについてだ。

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース

この記事は、朝日新聞社サイトで連載されている小原篤の連載コラム「アニマゲ丼」を発端として書かれてるもの

こちらがそれ

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

そもそもは11月12日東京芸術大学で開催された、「第2回 映像メディアサミット LOOP-02 マンガアニメ映像メディア学的再考」というセッション押井守が参加し、トークした内容が大本になっている。

その模様はユーストでアーカイブとして見れたが、20日までの限定配信で現在は見れない。


まず「アニマゲ丼」の記事は、見出しが示しているように「若者は夢は持つな」という旨の発言を軸にしている内容である事がわかる

以下引用

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

 「やさしい、というのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか、と」

 なんて身も蓋(ふた)もない、と思いましたが08年8月11日の本欄で私は「スカイ・クロラ」について「あまりに救いのない、というか身も蓋もない結末ではありませんか」と書いていたのを思い出しました。

ここが「アニマゲ丼」で一番取り上げたい部分なのだろう。

この押井守の主張に関する是非は置いておくとしても、この記事自体はバイアスがかかっている気がする。

実際の講演は第2部「アニメーション日本戦後社会ロボットサイボーグアンドロイド、そして人間」というタイトルが付けられている通り

パトレイバー攻殻機動隊監督した者として押井ロボットアンドロイドのあり方を問い、技術論を語り、さらに原発の話題にも振れていくところが主体の講演だった筈だ

ここのスカイクロラの部分はほとんど寄り道であって、「アニマゲ丼」の記事を書いた小原篤主観として誇張気味に書いている節がある。

いわば押井の講演内容からコピーしてトリミングして、そこに小原自身の主観を交えながら書かれている記事だ。

J-CASTはそこから更に、何故か突然「萌えアニメ」「ハーレムアニメ」などと言った単語を挿入し、押井守が今の萌えハーレムだらけのアニメ業界に苦言しているようにも取れる記事を書いている

それが冒頭のURLなのだが、かなりおかしい。

まずアニマゲ丼から押井が今のアニメに苦言しているという部分を引用する

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

そして現実劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで「表現」の体をなしていない。

これはどちらかというと、アニメ監督をすることで「誇大妄想の極限を味うことができる」部分に目が行くと思うのだが

前後をぶっちぎって、今のアニメほとんどはコピーのコ(略)の部分に脊椎反射している人間が多いようだ。

しかしこの記事のこの部分は全貌するとこうなっている

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

 押井監督は、日本人科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術ゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだと指摘。様々な当事者認識を改めるために今回の事態をヒロシマナガサキに続く「第3の原爆」と呼ぶべきだと訴えました。「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボットアンドロイドサイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりアニメという表現形式が発展過程テーマをはらんでしまったのだと説き明かしました。そして現実劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで「表現」の体をなしていない。あと、ユニコーンガンダムのツノはアイデアとして面白いけど、だからどうなの?

 ってな話を約2時間、相変わらず、とうとうとまくしたてたのでありますが(上のまとめは少々わかりやすくかみ砕いてますメモをとるのが疲れました。私はそれより、新作の話はないの?って聞きたかったんですけど。

ここで「アニマゲ丼」の記事は終わる。

訓練された押井信者(笑)ならば、ここは「ああ、最後はいもの押井で終わりだな」と、顔をほっこり緩めるところだろう。

「アニマゲ丼」としてはこれをオチの部分にしたかったに違いない。

アニメはコ(略)などはほんの極一部分にしか過ぎないし、これだけでは押井真剣に憂いているのかどうかもわからない。

さて、J-CASTの方を見てみよう

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース

朝日新聞2011年11月21日付けの電子コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは

「僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで『表現』の体をなしていない」

と語ったという。つまり制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから表現」が制作から無くなった、という批判だ。

確かに119月から始まった20本近い新作テレビアニメを見ると、さえない男性主人公の周りに美少女が群がる「ハーレムアニメ」が驚くほど多く、過去にヒットした「ハーレムアニメ」作品と共通する内容がかなり多い。

突然どこからか「萌え」「ハーレムアニメ」という単語が出てきた

それどころかかなり履き違えて解釈しているのではないか

押井が言いたいのは「アニメという現実に縛られない媒体を使うことで、監督自己主張を完全な形で広められる。こりゃたまんねえ(快感)。でもそこまでやる奴ぁもうほとんどいないよね」という事を言いたかったのでは?これも俺の主観ですけど。

どちらにせよ「オタク消費財」や「コピーのコ(略)」が萌えアニメハーレムアニメだけを指しているというのは暴論だろ

その発言の直後に出てくるのはガンダムUCだし

J-CASTはあくまで「ネットでそう反応されてる」と言い訳のように使ってる

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (2/2) : J-CASTニュース

今回の押井さんの発言についてネットでは

萌えクソアニメの乱発は誰が見ても異常」

アニメ業界が飽和しすぎで、コピー品を粗製乱造しなきゃ回らなくなってる」

「売らなきゃ食っていけないからな。安定して売れるのがオタク向け萌えエロ

などと納得する人もいるのだが、現在主流となっているアニメのファン達は、自分達の趣味趣向、好きなアニメを批判するのは許せない、と激しく反発。しか理論で立ち向かえないからなのか

押井アニメくそつまんねーんだよ」

押井信者向けの消費財じゃん」

などといった作品批判や、人格批判へと発展し、大混乱となっている。

これでJ-CASTの記事は終わる

J-CASTとしては、「ネットでは押井守萌えアニメを非難していると言ってる」として、そこを拡大解釈しまくってこんな記事を書いたのだろうか

そもそもそのネットってのはどこのネットを指してんの?2ch

ちなみにニュー速+では

【話題】「今のアニメオタク消費財と化し表現の体をなしていない」押井守さんの発言でネット上は騒動に

というスレッドが立ったが、それはJ-CASTの記事を受けてのものだったし、★4まで伸びたがそれ以上の次スレは立っていない。(追記、★6辺りまで伸びたっぽい?)

一体どこで"大混乱"になってるのか全然思い辺りが無いんですけど。

押井守東京芸大での講演が、「アニマゲ丼」がダイジェスト記事にしている時点ですでにコピーだし

それを読んで、どこかのネットでは「押井守萌えアニメ馬鹿にしている!」と憤慨しているならさらに劣化コピーで伝わるべきもの全然伝わってない

その劣化コピーをさらに劣化コピーして記事を作ったJ-CASTはまさに「コピーコピーコピー」だ

こんなのを個人ブログでやるならまだしも、企業ぐるみで金を回しながらやってるんだから狂ってるよJ-CASTは。

2011-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20111111115112

というかこの母親の話や情動には

子供のことがまるっきり抜けてね




自分自分基準上で高得点取れてるかどうか」って意識ばっかりで

子供にとって良いかいか」が微塵もない

誰と戦ってんの

何の為に戦ってんの

って感じ




一人でやってるならただの青臭い自意識中毒だけど

三十路の人の親がやってりゃ「悠長だねー」と呆れるしかないわ

2011-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20111108181445

乳幼児は、それはそれで慣れれば楽なもんだが、4才くらいの子供は危険だし面倒だぞ。

自分で動き回れて、自意識も芽生え始める。

兄弟でもいれば話は別だがなぁ

2011-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20111101034144

レスで悪いが、

能力(この場合見た目きれい)と願望(普通に暮らしたい)がずれてるとつらい

と確かに元増田自身も思って語っているようだが

実際は

現実(男を嫌がらせに走らせてばかりで進歩学習のない人あしらい)と

認識(男が嫌がらせに走ってばかりなのは全て常に自分の美しさのせい)がずれてるから

つらいことになってたんじゃないかと思う。


言い寄ってきた男が断られる時に、男が必要としているのは

相手の美貌ではなくて、どちらかと言えば相手の人間性や社会性だ。

でも、自分美人美人からという自意識を強く抱え続けてきた元増田

きっと男の事以外についても、自分の美しさのせいだと思い悩んできたのではないだろうか。


水商売は見てくれ万歳の場所で楽しかったと言っているのは、

何をしても「美人からw」、何を言っても「美人からww」と(表面的には)事が運ぶ世界

自分美人からという元増田が抱え込んでいた自意識が満たされたからじゃなかろうか。

2011-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20111019123519

多分、君は全体的に認識を取り違えているようだけれど、増田における「すべきではない」っていうのは、スティーブジョブズがよく言う「ケータイハードウェアキーとか糞でしょ」みたいな戯言であって、強制力はない誰かの思想であり主張だよ。

命令ですらない。政治家が街頭で、こうあるべきって言ってるのが方向向いてるだけ。

振り返って言われたことが正しそうなら従えばいいし、そうでないならスルーすればいいだけ。

概ね、ジョブズ増田も、個人に喧嘩を売っている訳ではないから、スルーされたらスルーされたでまた別の人を煽るだけ。

誰も、個人間でのやり取りだとは思ってないよ。

思想と思想をぶつけてるだけ。そこに自意識で反応しちゃうのは大きな間違い。疲弊するだけ。

煽り屋さんからしてみれば、煽るのに成功した例とも言えちゃうんだけどなwww

2011-10-17

いい歳して陶冶をやり直そうとするのはメンヘル一直線

幼稚園の頃から友達

いつも周りから軽く見られて、周りからいじられる事が多い子だった。

でも、失礼な事を言われても決してやり返したりせず、周りに思いやりのある対応をする子だった。

そういう所が凄いなぁ、と思ってて私は彼女の事が好きだったのだけど、彼女社会人になってから変わった。

何にでも貪欲でガツガツするようになった。

「私は負けず嫌いだから。」と公言し、他人とスペックを競い合うように。

そういう人間に会ったことがある。

人格変わった(変えた)以降のバージョンに。




うっぜーーーんだよね、そのタイプさあ。




生まれたときからの負けず嫌い人間であれば、

負けず嫌いを20年30年とやってきてるわけだから

その性格で衝突したり痛い目に遭ったりも色々ふみわけて、

負けず嫌いなりに角が取れてるって言うか、余裕も出来てるわけよ。

(まあそうじゃないサイコパスみたいなのも一部に居るけどね)




あと、生まれたときから負けず嫌いな人って言うのは

小さいときから針路がそういう方向なわけだから

大人になった頃には自分の負けず嫌い度に応じた場所に行ってるわけよ。

まり周囲も同類の負けず嫌いだらけのコミュニティ企業にね。




でも成人後にデビューしたナンチャッテ負けず嫌いっていう奴は

いい歳して自意識が剥けたての「新しいワタシ」なわけだから

ヤンキーデビュー中学生みたいにトンガってて角だらけ。

これが迷惑極まりない。




で、いい歳して自分のそれまでの人生に否定的な見方が強いか

とりあえず周囲の人間に当り散らすんだよね。

自分の現状のポジションや交友に対して破壊的なアクションが増える。

ほんとにやるなら自分破壊しなきゃいけないのに、そこは自分可愛いから物や人に当たる。




勝手に「敵」を作って馬鹿みたいに張り合うのもそうだし、

悪口や陰口やランク付けみたいな発言がすげー増える。

常に「馬鹿にされてるんじゃないか」って発想が支配的になって、臆病になる。

そのぶんまで攻撃的になる。




はっきり言って自意識上の障害、

メンヘラに分類されるべき奴らなんだよねあれ。




しか彼女達は一生幸せになれない。

俺は成れの果てって言うか、結論みたいなおばさんを数名見たんだよ。

20代後半からガツガツ社会デビューしたような人。




物凄く周囲に迷惑で、

物凄く本人も辛そうだった。

からつけた仮面は20年経っても全然顔になじんでない感じだった。

一時も心休まってるときがないように見えた。

プライドが高い」というには劣等感が丸見えだった。

酒飲んだときの酒乱ぶりも半端なかった。(普段必死に見え見えのゴマすりしてた相手にも無礼をしてしまう)




これが中学生時代なら、

人格自意識試行錯誤はお互い様の笑い話だが、

大人になってから自分のそれまでを全部否定してやり直そうとする人。

迷惑だからやめときな。

おそらくメンヘラの一種だから、口で止めても止まらないだろうけど。




迷惑なだけじゃなく、それは上手くいかないんだよ。

成人に突如、問題を抱えた中学生みたいな危うい人格に戻られても

周囲の同僚はそんなの受け止め切れないんだよ。付き合うにはハードルが高すぎる。

からあっという間に周囲と内面が隔絶して、不満と不安メンヘラになり始める。

不幸になる。下手すればその先何十年も。




だいたい自分だって、1から思春期みたいに恥を掻きなおすガッツはないだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20111017162327

http://anond.hatelabo.jp/20111017133743

俺はだいたい旅行先とかで彼女が撮った写真を使ってる

自撮りしたのは写真を撮られるのが苦手だから

ナルシストかどうかはわからないけど、これは変な自意識を感じて気持ち悪いかな。

2011-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20111015231111

なるほど。

それだと「酒嫌いなオタク」のテンプレートにははまらないな。

ちなみに

ただその場合ものみたい奴は勝手に飲むし飲まない奴は飲まない

こんなのいまどきオタクとか関係なく普通のことだね。(金融とか商社とかに就職すると別だけど、まぁそんなの特殊例だろ)

実際はhttp://anond.hatelabo.jp/20111015231001増田の言う通り未成年オタが多いのかな。

それなら納得できる。色々変な自意識を増長させる年頃だし。

2011-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20111011144749

「掘り下げると馬鹿の理解範囲から外れる」の間違いじゃないのか

この辺りに変な自意識が見え隠れしているわけですが。


戦後後日談は覚えてるよ、エピローグ的な。

物語的に違和感はない・・・・ってかさ、そういう英雄譚は一杯あるだろ。

で、そういう英雄譚(栄枯必衰を表現した英雄譚)では、主人公は「栄枯必衰」を意識した言動を壮年の頃からしないといけないのか?

さらにそれを、「最終決戦」の場でしないといけない理由が判らんよ。


んで、さらに不思議なのは

「主人公の老い」「一線を引く」「後に続くを信ず」がしつこく盛り込まれて

いたのなら、「立場としてのコレクトネス」って考えが、なんで問題になるのさ?

あなた解釈通りに正しく解釈できていたなら、一線を引いて、後に続くを信じて、ベストな回答じゃね?

2011-10-10

よわいひと、つよいひと

家庭環境や対人環境、具体的にいえばDVネグレクトいじめetcそういった環境に育ちながらも

片や立ち直って「普通」に溶け込んで生きている人と、

所謂メンヘラ」化や自殺をしてしまう人の違いってなんだろう?

一度だけでなく何度と他社への感情希望を死のふちまでへし折られての、その先の分岐。



個人的に考えるに、周囲との対人関係が劣悪な状況下に置かれると、

愛情や信頼の度合いが正しく把握出来ない故に他人との関係を過剰な形で表したり、

虚無感で自分自身の存在意義や自分自身のしたいことへの関心が喪失したり、という状況になると思う。

そこから、正しく他人との関わり方や距離感をつかみ、自分自身の意義を見出し自分自身の欲望をもてるようになるには

そうなれたつよいひとは、一体どうやって「強く」なれたのか?

結局のところ人間の生まれ持った素養が悲観的・楽観的の違いなのか、な気がした。



が、実際の所はわからない。









■以下、妄想クロストーク。

一つはやっぱり信頼できる人間出会う、というありきたりなこと。

他者との適度な距離感をそこで回復させて漸く自分自身の尊厳というものに考える場面に出くわす。

そしてもう一つが、今まで環境のせいにしていたが(勿論現実は大いに関係するが)、

自覚したその時点以降は、環境自分を変えるのではなく、自分環境を変えればいいんだという思考回路チェンジ

安易に環境が変えられないけれども、自意識は変えられる。

自分人生自分が選べるという当たり前の事実

他人に悪影響を受けたからこうなったという受身思考から、今後は自分が影響を受けたい物を選び、悪影響を与えるものは切ればいいだけじゃんという逆転の発想。

散々切られてきたのだし、切るべきものを切る覚悟は自殺しようとしたあの時の覚悟と比べたら簡単だろう。


最後は楽観的な思考を持つこと。

ニートじゃないが、いつかなんとかなるさと楽観的になる。

駄目元、元よりマイナスなのだから無くすものはなし、痛み耐性は普通以上に付いている。

かつてのメンヘラ時の悲劇のヒロイン気分が抜けてくれば、自分より劣悪な環境下の人間なんてまだまだいるのにと気がつく。



ただし社会は冷たい。以上の事に20代の内に気がついて金を得る手段を手に入れなければ・・・

2011-10-01

なんで、これ元の人に、お前がそれなんじゃね?って言う人居ないんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20111001010907

拡大解釈して自意識が突出してんじゃんwww

他人を変、変、言ってるわけだから

メンヘラ判定(Twitter

なんとなくTwitter使ってて思ったのでメモがてら。メンヘラってまあ最近定義が多様化してきたような気もするがとりあえず慣例的に使われるなんかアレな女性だけでなく、性別問わずで単に自意識が異常に拡大したタイプも含むってことで。



投稿数が多い。

基本かまってちゃんなので投稿数が多い。勿論これはリプライ先があるわけではなく、基本独白


・発言がネガティブ(又は過剰にポジティブ

まあ典型的な双極性(躁鬱)ということで。特に欝が強くなったときは基本的には周りは注意くらいはすべきだろうね。


・発言が自身の周囲半径数メートルに留まる

ここで言っている半径云々は勿論物の喩えなのであって、要するに自分の周り、自分友人家族とかだけの話題に留まっているということ。これだけなら特に問題はないんだが、上記特性みたいなのと合わさると、日常的に流れるニュースから自分立ち位置社会位相比較して自身の心の平衡を保てなかったりするので。要するに注意が自分とそれ+アルファになってる可能性が高いか自意識過剰の傾向が高いということ。


・発言が何も言っていない

抽象的な言葉を駆使しながら基本的にはつまるところ何も言っていないパターン。何かを分析した上で他者にとって有益な結論を共有しようとするのではなくて、ようするに周りから承認だとかコミュニケーションを求めてるっていうことが読み取れる。


アイコン自分写真

これは含めるか悩んだけど一応。双極と同じで、基本的にこれが見られると自分容姿にはコンプレックスが少なくてナルシスト傾向。つまりやはり自意識は過剰な傾向にある。よく最近女子大生とか女子高生とかにいるプリクラ貼ったりするのはまあピアプレッシャのー影響もあるので別の話かなとは思うけど。




もちろんTwitterに限らず他のサービス自体にも言えることではある。もっと言うとリアルでのコミュニケーションにも視えるかもしれない。けど個人的にはリアルでは割と意識して抑圧してしまって普通に振舞ってるっていうパターンも見受けられる。(普段明るいのに、ネットだと欝発言ばっかりみたいな人いるでしょ?)なので独白がそのまま記述されるTwitterてのは実は判定に割と有効なのかもしれないかなあと思った。



以上ざっと書いたけど参考まで。まあこれが分かったら何なの的な話なんだが、基本的にそういった人格にちょっと問題ある人ってのは少なくともリスク要因ではあるわけだから自分自身のためにも、またその人のためにもそいつがそういう傾向をもっているってのは知っておいて、また周りと認識を共有しておくべきだ、というのが自分意見なんだ。(上にも書いたが鬱気味の時とかは、病気と同じなのだから多少なりケアが必要)最近掲示板周りから存在の周知は進んでも病気としての認知が置き去りにされている気がしてたんだ。やっぱりこんな世の中だからこそ病気としての理解は必要なんじゃないかな、もちろん甘やかしも禁物なんだろうけど。

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