はてなキーワード: 威信とは
ガウガメラの戦いは、紀元前331年ヨーロッパ東方のペルシアにおいて、当時のアケメネス朝ペルシャの本軍と、アレクサンドロス率いるマケドニア軍が激突した戦いである。
これまで取り上げている二つの戦いから分かるように、戦争芸術の定義は「圧倒的な戦力差、戦略的不利を、指揮官の機転によって打破する」ことにある。このガウガメラの戦いはそのような意味合いで、戦争芸術の極致と言える。
当時ギリシャの一小国に過ぎなかったマケドニアは、アレクサンドロスの父であるフィリッポス二世の尽力によって急速な軍事・政治改革を遂げ、瞬く間にギリシャ全土を手中に収めると、フィリッポス二世の死後マケドニアの実権を握ったアレクサンドロスの指揮下、紀元前334年ボスポラス海峡から小アジアへと渡り、東の大国アケメネス朝ペルシャに対し征服戦争を仕掛けた。これが世に名高い東方遠征である。
その後十年の長きに渡って続いた戦いは、アレクサンドロスが企図した、アレクサンドロスによる、アレクサンドロスのための戦いであった。
アレクサンドロスは紛れもない西方世界の英雄であり、破壊者であった。当時アレクサンドロスが破壊し、虐殺・略奪を行った都市は数多に渡って存在している。
アレクサンドロスの猛進を前に、時のペルシア王ダレイオス三世はペルシア西岸のイッソスにて、王自ら率いる五万以上の軍勢をもって決戦を挑み、敗北した。数的優勢に立ったペルシア軍は川を挟んでマケドニア軍に対峙し、防衛を試みるが、果敢にも渡河を遂げたアレクサンドロスを前に有効な機動戦法が取れず、壊走したのである。ダレイオス三世自身が率いるペルシア本軍敗北の衝撃は余りあるものであり、敗戦の後、ダレイオス三世は堪らずアレクサンドロスへと講和を願い出ているものの、アレクサンドロスはこれを一蹴している。
それから二年、ダレイオス三世はアレクサンドロス本隊を壊滅させるべくイッソスの戦いを上回る規模の軍勢を招集し、ガウガメラの荒野にてアレクサンドロス軍を迎え撃とうとしたのであった。これがガウガメラの戦いである。
この一戦のためにダレイオス三世はありとあらゆる準備を重ねた。
第一に、(当然のことながら)数的優位を築くこと。マケドニア軍五万弱に対して、この時ダレイオス三世の招集した軍勢は傭兵を含む十万以上であり、つまりアレクサンドロス軍の二倍以上に当たった。この規模の軍隊は当時の兵站で維持可能な最大レベルの軍隊と言え、当時におけるペルシア軍の威信の程が推し量られる。
また、彼らの戦いの数百年の後に行われたカンナエの戦いにおいて、勝敗を分けたのは騎兵戦力の優劣(とハンニバルの用兵)であったことは先述の通りであるが、マケドニア騎兵七千に対してペルシア軍騎兵の数は一万を超えており、質はともかくとして量においてはペルシア軍はマケドニア軍を圧倒していた。ここにおいても油断は無かった。
更にダレイオス三世は当時最新鋭の兵器の一つであった戦車(チャリオット)を陣中に大量に配置した。これは複数の軍馬によって牽かれる戦闘用の馬車のようなもので、車輪の左右には鋭利な刃物が取り付けられると共に、車上には弓兵が配置されており、通常の歩兵戦闘において絶大な威力を発揮する筈であった。ダレイオス三世はこのチャリオットの突進力によってマケドニア軍を圧倒しようとしたのである。
また、ペルシア軍は戦場の整備をも欠かさなかった。チャリオットの機動を阻害する石や木の根などの障害物を、決戦の事前に排除しておき、イッソスの戦い(ペルシア軍は閉所にて有効な機動ができず壊滅した)で舐めた辛酸を繰り返すまいとしたのである。
相手に倍する軍隊、奥の手としての秘密兵器、駄目押しにその秘密兵器の機動を有利にする戦場整備、限りなく万端に近い準備の上で、ダレイオス三世は決戦の時を待った。
紀元前331年10月1日、ペルシア軍とマケドニア軍の双方はガウガメラの地にて対峙し、戦闘を開始する。
この時、マケドニア軍の司令官であるアレクサンドロスの立てた作戦はシンプルなものだった。それは、緒戦から防衛に徹し、敵の隙を見て騎兵を突撃させ、敵の本陣を陥れるというものであった。
言うは易しだが、何しろマケドニア軍とペルシア軍の数的差は一対二であり、言い換えれば、敵軍には五万以上の余力があった。そんな状況で、本来であれば隙など生まれる筈はなかったのである。
開戦直後、アレクサンドロスは全軍を緩やかに右斜め前方へと斜行させる。本来であれば軍隊の斜行は自陣に綻びを生む可能性の多い行動であり、採用されることはまず無かったものの、アレクサンドロスは自軍の機動に合わせてペルシア軍の不用意な機動を誘った。案の定、折角整備した戦場から離脱されることを恐れたダレイオスは、三方(正面、右左翼)から雲霞のごとき兵数を動員し、マケドニア軍を包囲しに掛かった。
その大軍の王道とも言うべき用兵に対抗するべく、アレクサンドロスは自軍を純粋な横列ではなく、左翼と右翼を折り曲げた弓状に変形させており、この鉤状になった右翼と左翼を持ってペルシア軍の猛攻を受け止めようとした。
しかし兵数の差が決定的であったことから、持久戦となればマケドニア軍の敗北は自明であった。左右のいずれかを突破され、後方にペルシア軍の進撃を許した時点で、マケドニア軍の崩壊は決定づけられる。更には、マケドニア軍正面にはペルシア軍の虎の子であるチャリオット隊の猛攻が迫っていた。
とは言え結論から言えば、このチャリオット隊の猛攻をマケドニア軍は退ける。
曰く、マケドニア軍は軍馬というものの持つ本能――顔面に鋭利な物体(槍など)を突き付けられると足を停めてしまう本能や、チャリオット特有の旋回能力の低さを突いたと言われている。つまり、チャリオットの突撃を部隊の散開によって躱し、その後方から弓などの武装によって攻撃を仕掛けたのである。恐らくは事前の情報やこれまでの戦闘から、マケドニア軍は対チャリオット戦術を磨き上げており、どのような場面においても遅れを取ることはなかったのであろう。
これらの柔軟な対応によって、マケドニア軍に対する有効な戦果を挙げることのできないままチャリオット隊は壊滅することとなる。
さらには、マケドニア軍両翼はその圧倒的な数差にも関わらず極めて堅陣であり、容易に抜かれることは無かった。強いて言うならば、アレクサンドロス本人が率いる右翼騎兵に比べ、左翼を指揮するパルメニオン将軍は劣勢を訴えていたものの、それでもペルシア軍の猛攻をひたすら受け止め続けていた。
ダレイオス三世の予想に反し、戦況は膠着状態に陥る。ダレイオス三世は本来であれば本陣の防衛に充てるはずであった予備兵力の騎兵を動員し、マケドニア軍両翼の騎兵に対する圧迫を増大させようとした。短期決戦によってマケドニア軍を壊滅させようとしたのである。
この決戦から二千年以上もの時が流れた後では詮無い事だが、この時ペルシア軍が持久戦に徹し、その両翼での戦闘を維持し続けていれば、ガウガメラの戦いにおける帰趨は逆になっていたかもしれない。
アレクサンドロスは超人的な直感によりペルシア軍の崩壊を予知した。右翼の防衛に当たっていた自ら率いる騎馬隊を突如ペルシア軍正面へと転換させ、両翼へと予備兵力を割いたために手薄になっている、ペルシア軍本陣のダレイオス三世を狙ったのである。当時、マケドニアの率いる騎兵部隊、いわゆるヘタイロイ騎兵は世界においても有数の練度を誇っており、その突進力は歩兵にとって純粋な脅威であった。ヘタイロイ騎兵の突進により、ペルシア本陣のダレイオス三世の位置を告げる軍旗が大きく揺れる。ペルシア軍を支える精鋭である親衛隊は敢然とその侵攻を阻もうとするが、アレクサンドロスの猛進は止まることはなかった。
やがて、ダレイオス三世の本陣の上に翻る軍旗は逃走を始め、アレクサンドロスはその追撃へと移った。ガウガメラの戦いの勝敗はここに決したのである。
参考文献:ttps://www.youtube.com/channel/UC5dzkTCM0Jxnc5widb8arDw
はじめに自分の政治スタンスを説明しておくと、非自民党支持者で、また地方住まいかつノーテレビのためオリンピックは可能ならば中止それがダメならばワクチンが行き渡る2022年まで延期というもの。なので、ワニウエイブ氏の記事が仮に彼の note で発表されていたのならば「語調はキツイがこれもまた東京五輪開会式のレビューであるな」と受け取ったと思う。ただそれが政治的中立に見えるゲーム専門メディアに発表されたのがショックだった。
目次
「東京オリンピック開会式への怒りと絶望…ゲームへのリスペクトがない演出とそれをありがたがる人々が許しがたい」 https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
というものだ。自分が最も疑問に思うのがこれは誰に向けて書かれた記事であるのかと言う点だ。はたして Game*Spark の読者に向いて書かれた記事なのか?
自分は、開会式でゲーム音楽使われて喜んだ大衆の大半は、非日常でよく知った音楽が流れてきたから単にアガっただけだと感じている。そこに国家威信の誉もなければ愛国も何もない。そんな気持ちが大半の読者に対して、実際に開会式を見ていない人が「自らの政治スタンスを自覚しろ。楽しむのは現政権を支持するのと同じだぞ」と攻撃的に主張するのはいちゲーム専門メディアとして良いやり方なのか?自分はそうは思わない。
また仮に読者を攻撃するような内容ではなく、あくまでワニウエイブ氏がそう感じているだけであるという内容であったとしても、最終段落の
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ
というのはライターの政治性が強すぎて、中立的なゲームメディアを標榜するならば絶対に排除しなければならなかった。この文から始まる段落は「政治家の老人達を落とすために選挙へ行け」という主張になっていると思うが、これまでの前提と合わせると 政治家の老人達=オリンピックに関与する与党政治家 となり、この段落は自民党の政治家を落とすために選挙へ行けという主張になる。重ねて言うが、特定の政党を擁護/批判するようなものを中立的なゲームメディアが載せることは絶対にあってはならないものだ。なぜ政治批判に繋げる?なぜオリンピック組織(IOC、JOC、東京都)批判を超え衆院選という国会の話を持ち出すのか?
めちゃくちゃ些末だけど「『ファイナルファンタジー』や『サガ』シリーズは、“かみ”を殺したり、環境テロリストが主人公だったり、その世界の仕組みそのものを恨むような反権威的なシリーズのはずだ」これ前者のゲーム(FF7)が環境テロリストで後者(サガ1)が神殺しなので、前段と後段がチグハグな説明になっていると思う。
「7月25日掲載のオリンピックに関するコラムにつきまして」 https://www.gamespark.jp/article/2021/07/27/110661.html
二日後に出された編集長の声明は、記事の賛否を受けたものとして完璧な内容に思う。記事を削除したり、チェック不足と言い訳したり、ライターの責任としたりするようなことはしていない。ライターに記事の依頼をしたこと、批判を覚悟して掲載に至ったこと、そしてすべて編集(部|長)の責任であることをはっきりと宣言し、ライターおよびその記事の内容を守ることを表明している。だからこそ自分は「読者を攻撃する文調かつ政治的中立とはとても言えない」コラム記事の掲載を問題ない判断した編集部と編集長に失望を覚えた。なぜならば、このレベルの内容ならば今後も編集部として注釈なく掲載するつもりであることが本声明によって肯定されるからだ。少なくとも自分はそう受け取った。今後、自分は Game*Spark は攻撃的な主張も政治的中立ではない内容も載せるメディアとして見るようになるだろう。
政治的中立性について補足すると、声明では「常に特定の政治思想を背景にしながらコンテンツを制作しているということもありません」とある。自分も直ちに Game*Spark が左や右に偏ったメディアとなるとは考えていない。しかし自分が危惧しているのは、これから Game*Spark に対して「左だから」「右だから」という要らぬ対立軸を立てレッテルを貼る輩が出てくること。ゲーム業界は娯楽をターゲットにしているため政治性から逃れている部分があるのに、なんでこっちから飛び込むのよ…
強調しておきたいのはこれが一概に悪い変化というように考えている訳ではないということ。もしかしたら政治色の強い記事を好む人が多いかもしれないし、政治性を明らかにした記事の方が読み応えがあるものができるかもしれない。ただ自分にとってはそれは not for me だ。
スペースが余ったので自分のゲムスパに対する感想でも。自分にとって Game*Spark/INSIDE は他のメディアがやらないような泥臭い企画をやったりしているけどイマイチ一流になれないゲームメディアというものだった。ただ大手メディアにしては珍しくコメント欄を開放しており、読者との距離が近く独自のコミュニティが形成されているように見えた(某通はコメント欄をすぐに封印したからね…)。今でも続いている「来週はどんなゲームを買うか」等のユーザーアンケートも豊富なところもそれを後押ししていたところがある。あと変な企画もいっぱいあった。「インサイドちゃんのゲーマー相談」とか誰得なものもあった。それから脇が甘くてたびたび炎上・謝罪していたイメージもある(栗本チャレンジとか)。
しかしここ2-3年はライターの独自性を生かした企画が次々にヒットしており、個人的には最大手(F, D, 4)とはまた異なる面白い立ち位置のメディアになっている印象だった。例えばFE風花雪月の「なんでそんなことするんですか?」とか現役パイロットによる Microsoft Flight Simulator の紹介、あつまれどうぶつの森の生物を DPZ でおなじみ平坂さんが紹介する企画など目の付け所が良い企画がいくつも発表されていた。なので編集長が交代し、ライターが生き生きする良い方向に変化しいるなあと感じていたところに今回のこれがあった。
気持ちとしては「たまに通りかかるグラウンドで見かける近所の草野球チームが最近いい感じになってきたけど、急にダーティーなプレイをするようになって驚いたし、今後もそのレベルのプレーをすると聞いて驚いた」に近い。
国の威信をかけたイベントなのに、本当にお金がかかっていなくて驚きました。ここまで簡素化されると逆に好感がもてるというか、いくら中抜きしたんでしょうかね。以下感想。
・ゲーム音楽での選手入場は、思い切った判断だと思う。世界に対していい宣伝になったのでは。
・紙の鳩を飛ばした(落とした)のはたいへんよかった。意図がよく伝わったし、費用対効果がすばらしい。
・最終聖火ランナーは森喜朗氏になるんじゃないかと思ってたけど、予想が外れてよかった!
・日本要素を無理に盛り込もうとして、失敗している感が。
・中途半端に国際要素を入れようとして、こちらも失敗している。
なんかギリギリの土壇場でやっぱり観客欲しいって言いだす気持ちなんとなく
喜んでる人、反対してる人いて反対してる人は
そもそもコロナ云々以前に反対なんだからちょっといったん置いておく
最初は喜ばしいと思ってた人の話ね。
街のスポーツバーでは日本人外国人が和気あいあいしちゃったりして
みたいな風景を賛成してた人は望んでたんだと思う
でコロナよ
ここで賛成派と運営側で決定的に溝だよね
国の威信とかそんなのはどうでもいいのに無理やりショボい状態で開催しても
喜ばしくないわけ。
だから延期が望ましかった、なんなら中止していつかまたその機会を望む方がマシだった
開催決定して無観客も決定してどんなに非難浴びてもとりあえず開催さえ達成すればOK
ノルマは果たしたと一息ついて気づいたんだろう
客や会合が一斉出来ず外国人選手も不完全ながら隔離されて息苦しい大会
何の意味が功績があるのか
このことを世の中の人がよくわかってないのに、弁護士という名称が組み入れられていることへの批判のニュアンスを含んでると思うんだけど
もちろん弁護士という名称ではなく「弁護士ドットコム」という言葉を使っているだけだと言い訳するだろうが、世の中のほうはそうは見ないでしょ
誤認させやすい名称で、こういう記事を発信するというのは如何なものなのという批判に見える
ほとんどの人はねとらぼは単なるネットメディアとしか思わないけど
弁護士という名称には権威性があるんだから、弁護士ドットコムニュースは弁護士ドットコムが威信をかけてやってると普通は想像するでしょ
人によっては弁護士が監修していたり編集にいたりすると思っても自然だと思うよ
それは読者のほうが悪いというのは弁護士だったり医師だったり、そういった名称を使用する場合には単純な話ではない
それにもかかわらず、こういう記事を出すのなら信頼できないという意味だよね
例えば同じニュースメディアでもニューヨークタイムスとニューヨークポストだとソースとしての信頼度の違いを強調する人がたくさんいる
まったく同じスクープだったとしてもどちらのメディアが発信するかで影響力も違う
弁護士ドットコムニュースの場合は、これらよりも世の中の人は差を感じるんじゃないの?
今回の記事の場合は問題にしている人の関心は恣意的な内容かどうかだけど
これが誤報を連発したり取材源の秘匿のルールを破りまくったりだったら
もしネトウヨっぽいまとめサイトが弁護士が監修しているかのように見せていたら
しかも差別的な発言を法的に問題ないかのように印象づけたりしたら大問題になるよね
人気コメントに表示されてるものはすべて一般名称としての弁護士ガーなんて批判してないよね
はてなの人と指して
オリンピックとか平和の祭典とか言ってるけどつまるところ世界規模の運動会なわけじゃん?
ハトだって平和の象徴だけど、ハトのために多業界に営業自粛をお願いしたりしないだろ。
オリンピックってただの運動会だぜ? 戦争でも世界恐慌でもパンデミックでもない。運動会がどうなろうとほとんどの人間の生活には何の影響もない。「勇気をもらう」とかアホみたいな理由で優遇するのか? アンパンマンでも見てろや。
選手がかわいそうって言うなら飲食店のほうが圧倒的にかわいそうだろ。はっきりしない理由で商売の邪魔されて、それで生活できなくなっても知ったこっちゃねえって扱いされてるんだぞ。飲食店に限らず、この1年で潰れたイベントは数え切れないほどある。なんで運動会に出る人だけがワクチン優先接種や万全の医療体制完備までしてもらえる特別待遇なんだよ。おかしいだろ。医療関係者だってまだワクチン接種の目処立ってないのに、不要不急のスポーツ大会が最優先になってるのはなんでだよ。
選手に文句言うのは筋違いだしそれを庇う気もないが、その選手の盾になるべき立場のIOCやら政府の五輪担当やらがまともに返答しないからそうなってんだろ。
文句言ってもダメ、署名してもダメならもう選手に個別に言うしかないじゃん(繰り返すが俺はこれを支持しない。下っ端に言ったってしょうがない)。
運動会やるならやるで「オリンピック中止となるとこれくらいの費用が掛かり、それは大変なので開催したほうがマシです」とか説明できるだろうが。決める立場の人間が職務放棄して何も決めず何も言わず何も説明せずに曖昧に続行してることに対して憎悪が高まってんだよ。だいたいそんな腰抜けのアホどもが開催する運動会を見てどうやって勇気もらうんだよ。
そもそも勇気をもらうって何? 勇気って譲渡できんの? だったらまず選手が政府やIOCに勇気やれよ。要は勇気がないんでしょ?
もうめんどくさいからハトを集めて手品してハイ平和の祭典でしたーってことにして終わろうぜ。たかが運動会に国の威信をかけてどうすんだよ。もっとかけるべきとこいくらでもあるだろ。
キレイだし数も多すぎる。
あらゆるところにほぼ誰でも使えるトイレがあって、しかもその大半がキレイで最新型。
最近、車椅子ユーザーの公共交通を巡る論争が巻き起こったが、ハッキリ言ってトイレに関してはここまで多機能のトイレがあらゆる施設に充実し設置されている国は日本くらいしかない。
欧米だと国の威信がかかった最新設備の空港や高級ホテル・高級レストランでしか出会えないクオリティーのキレイなトイレが、日本ではその辺の公共施設やファストフード店にある。
恐らくマクドナルドやケンタッキーフライドチキンで世界一トイレがキレイで機能的なのは日本だろう。
日本すごいって言いたいのではない。
どう考えてもこれは異常だと言いたいのだ。
どこの国においても清掃という仕事は常に人手不足で募集が繰り返される労働集約産業の典型であり、一般的には知的労働や激しい肉体労働に従事できない高齢者や諸事情のある労働者が行う仕事だ。
一部のテーマパークや高級商業施設を除きそもそもその仕事自体に高いモチベーションを持つ事を想定していない仕事であり、利用者もその背景を理解した上で用を足すのが当たり前の認識である。
他の先進国における一般的な公共トイレの風景は、ホースの水圧でバーッと汚れを流して床も壁もとにかく水でびしゃびしゃのまま。
便器や洗面台や鏡面の細かい汚れやカビもそのままで、トイレットペーパーはそもそもないか日本とは比べ物にならない低品質なモノばかり。
それなりの値段を取るホテルでもロビーのトイレなんかはこのクオリティーの国も沢山ある。
何故ならトイレの清掃に高い人件費や費用がかけられてるなんて思っていないし、そもそもそうするべきなどと思わないからだ。
現実的に安い賃金に対して様々な理由や意味合いを強引に関連付けて正当性を持たせようとする圧力こそが日本の異常性の正体である。
割りに合わないことをしないのはヒトの本能だ。
ところが日本ではこの本能に素直に生きる事をよしとしない伝統があるのだろう。
日本に遊びに行きたい外国人は沢山いるが、日本で働きたい外国人はほとんどいない。
安くて品質の良いモノ・サービスを提供し続けてくれる「おもてなし」は受ける側としては素直に嬉しいが、こんな事をいつまでやっても自分自身が豊かになれる事はないのにと思う。
でもさあ私スポーツあんまり興味ないし今のコロナにまつわるJOCの姿勢に納得できたこといっこもないし森元ほんと擁護できるとこいっこもねえけどさあ
けど大河の「いだてん」は好きだったんだよ
金栗のさあ国の威信とかどうでもいいとこでただ走りたくて走る喜びとかさあ
良妻賢母になるために女学校に行った子達がはじめて砲丸投げるときにくそったれーー!って言ったとことかさあ
オリムピックは平和の祭典なんだよ!からだひとつでスポーツで競いあうんだ!って話とかさあ
身体を動かす、ってことのそもそもの喜びみたいな奴が根本にあってさ
私は運動嫌いだけど、ああ、いいな、こういう風に思ってみんな打ち込んできたんだな、って思えたんだよ
そんなキレイキレイなスポーツ最高~みたいな話では全然なかったし
むしろ政治も金も戦争も国の面子もどんどん入り込んでくるのが露悪的なくらい克明だった
前半の主人公の金栗はただなんとなく走ってたのが
走ることに意味を与えられた瞬間私は日本を背負ってるんです!みたいなこといい始めて
他の選手たちもどんどん追い詰められて徴兵されて国の面子とか背負わされて女であることに苦しんで疲弊して
オリンピックがどんどん利権になっていくようすがこれでもかこれでもかって描かれて
でもさあそれもこれもひっくるめた根本のとこでスポーツの喜びみたいなさあ
音楽でいうならただ歌をうたう喜びみたいに
いまある有形無形の圧力や差別や憎しみに抗うことができるんだみたいなさあ
なんかさあ
そういうもんがあるんだと
そういうスポーツ讃歌なんだと思ったんだよ
それをいだてんは描いてくれてたと思うんだよ
はーーーなんであんなこというのかな。
悲しい。
私がいだてんというドラマから受け取ったメッセージが踏みにじられたようで悲しい。
なんかよくわからんが今書きながら涙ぐんでいる。
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。
米国大統領選の開票が続いている。現時点だと、どうなるか本当に分からないし、結果の解釈をめぐってもめそうな予感しかしない。
それはさておき、日本の保守層ではどうもトランプを応援する人が多いようだ。正直、なんでトランプを支持するのかがよくわからない。
要するに、トランプが「反中国」だからということだと思うのだが、トランプの反中国なんて死ぬほどあてにならない。一貫した思想があるわけじゃないので、自分の得になるとおもえば、一瞬で中国フレンドリーになる。ウィグルの人権状況なんてミリも関心がない(これは暴露されてた)。
基本的に孤立主義者なので、国内でのポイントを稼ぐためにイスラエルとかイランには口やちょっかいを出したり、北朝鮮に手を出したりすることはあっても、極東アジアで何かあったときに軍事介入なんてまずしない。「外国での戦争になんでアメリカのカネを使うんだ」という話にしかならない。中国もそのあたりは分かっているので、トランプ再選は大歓迎。米国の国際的威信もダダ下がりなので、中国が自国の影響圏を拡大するのにはうってつけの大統領だといえる。ロシアも同様の理由でウェルカム。2016年の時には「選挙協力」までしてたわけで。嘘つきだし自分の政権の運営すらまともにできてないから、米国の国力自体が下がる可能性も高い。
ここでようやく本題なんだけど、そもそもなんでトランプのウソに騙されるのかという話。トランプ支持者も日本の右翼の多くも、基本的に対人的な不信感がベースにある。だからすぐに陰謀論を信じる。逆説的なんだが、対人不信感が強いからこそ、あっさり詐欺師に騙される。
社会心理学者の山岸敏男によると、対人的な不信感がベースにある人は、最初から他人を信じようとしないので、「誰が信じられる人で、誰が信じられないのか」という対人スキルを学ぶ機会がない。他方、信頼が最初の前提ある人は、実際に人を信じてみて痛い目にあったりするので、そういう対人スキルを磨きやすい。
やたらと猜疑心が強くて、すぐに陰謀論を唱える人が、トランプみたいな詐欺師にあっさり引っかかっているのをみると、山岸の説明がわりと腑に落ちる。