はてなキーワード: 異論は認めるとは
色々婚活も進めていたがもう潮時と思い、アプリで出て来る人や自分のスペックを見ながら胸焼けして疲れてしまった。
不景気に拍車掛かっているけど、それで無くても子育てはそもそもコスパは悪いと思う。恋愛などがあって相手と自分の子供を作りたいと言う苦労を進んでやるのだから色々採算も合わない行為と思う。それでも得たいという思いからやるので、まあコスパは悪いと思う。
既に亡くなった育ててくれた親の事を思い出してさらに自分の子供の頃を考えると本当に頭が下がる。最近たまたま母親を題材にした歌を耳にしたが自分の事のようで涙が出て来た。後悔と感謝しかない。
婚活界隈で相手を見てスペックや性能がと互いが互いに足元見合う事にも自分が嫌になって来た。
自分は親の姿を見て自分も子供を持ちたいと思ったが、相手からすると低スペの自分を不満持たれながらそんな人とやっていけるかというともう体力がそこまで持たない。
無理を通してもそんな生活は成り立たないだろう。
自分も無理だし、異性側でスペックとか言い出している人は一生無理と思うし、言っている時間がもう自分の賞味期限が加速して減っているのだから目も当てらられない。
まず最初に
ウン十年と国家単位でメソメソしてきた答え合わせがコレなんだったら、やっぱ次は勝とうナメられないようにしようというのが我々としての正しいリアクションなのでは?異論は認める
都市ひとつズタボロにせずとも核の威力なんて向こうも分かってたんだし、平和教育と称して子供にグロ画像見せ続けてるのなんて向こうからしたら「知らんがな」よそんなん、あったりまえだろ
勘違いした戦後の大人が何か教育をやらなきゃいけないと思った結果何でか子供を標的にグロ画像見せてトラウマを植え付けることを教育と呼ぶ儀式が続いてる、これがいけない
で、グロい蝋人形も見たけど私がこの蝋人形を見たことがさして状況を良くすることもなかったね、という感想です今回の件
アメリカ人の子供たちにグロ画像見せ教育したり長崎でクリスチャンが死んでる話とかをしたりしてこれならまだね、人類は愚かって唱えてお終いなんだけど
最近、Twitterで流れてくる男女間に関する話題が最終的には男が悪い男社会が悪い帰結する傾向がある。
1人の男として、男というとても広い区分けで悪いと言われるとモヤモヤするので、女性社会って本当に無理なのかと考えてみる。
例えば会社。部下から上司、出来れば経営陣、社長まで女性。男社会だと、パワハラ、セクハラ、無駄な残業、出産問題があるが、女性同士だとその問題はクリアできるはず。
インフラ面。ここでTwitterだと男がいないと無理みたいな話が出てくるが、男社会に無理矢理女を当てはまるから無理な訳であって、女性ができる方法でやっていけばいいと思う。
例えばゴミ収集。何kg以上のモノは持っていけません、収集所の容量を少なくしてこれだけしか入れることができませんとしたらどうだろう。
あと運輸業とかはそれこそ鉄道、バスタクシーでは女性運転手さんが活躍しているし、建設業も女性が増えているし、職人さんも女性の方を見るようになった。
学術的なことはよく分からないが、小中学校という単位だったら昔から女性教諭はいる。
大したことない男に何でもかんでも頼って生きるのは女の人も嫌だし、男女間の見えないガラスの天井に苦しむのも嫌でしょ?
そしてそこに少数の男が入って行って逆の立場を味わうのもいいことだと思う。
見る専でイベントにも行かずSNSで見ているだけだが、コスプレが好きだ。たまたまTwitterにおすすめされた人が美しすぎてフォローして以降、その人のお友達だったり推しジャンルのコスプレイヤーだったりの写真に「いいね」したり写真集を買わせてもらったりしている。
でも正確に言えば私が好きなのはコスプレそのものではなく美人がするクオリティの高いコスプレで、バズっているコスプレイヤーしかフォローしていない。ぶっちゃけ微妙だな……という写真が流れてきた時はミュート一択だ。
結果、私のタイムラインには美人しか残らず、コスプレとは選ばれし美しい人だけが楽しめる特権だという認識でいた。
持論なので異論は認めるけど、コスプレは顔が9割。他でどれだけ頑張っても顔が微妙な時点でダメ。スタイルも衣装もその他諸々も大事なのは分かるけど、何故か顔が良い人は他も良く、顔が微妙な人は他も微妙。
2.5次元舞台沼にも片足を突っ込み、プロの俳優とスタッフによる素晴らしいコスプレを見せてもらえるものだから(ぶっちゃけ衣装は微妙な時も多いがとにかく顔が良いので)、かわいいは正義だと信じて疑わなかった。
コスプレを扱っている某漫画も好きで毎週欠かさず読み単行本も購入しているが、フィクションの世界においてもブスは美人を引き立てる為のモブでしかなく、残酷なまでに美人にしかスポットライトが当たらない。ブスは仲間に入れてもらえず、何だかんだ理由付けされて排除される。
だから私はコスプレが出来ない。だってブスだから。幼少期からブスだといじめられ、整形をする財力も勇気もなく、大人になってようやく「周りも大人だから余計なことは言わないでくれる」環境に身を置けるようになったから虐げられることはなくなったが、「美人 ブス 格差」で検索したらブスのあるあるとして出てくる事例に全部当てはまるから。SNSで見かけるコスプレイヤーは美人ばかりで、稀にTwitterから勝手におすすめされるブスを見ると申し訳ないけど「うわあ…」と引いてしまうから。羨ましいな、やってみたいなと思うけど、やっぱり整形する財力も勇気もないままだから。メイクも自分なりに色々試してみたけど、「なんか頑張ってメイクしてるけどダメなブス」になっただけだったから。
そんなことを思いながら生きてきて、先日偶然コスプレのイベントに居合わせる機会があった。舞台を見に行った劇場がコスプレ会場の隣だったのだ。
衝撃だった。私の知っているコスプレイヤー、一人もいない。
ごめん本当に悪口でしかないんだけど、美人がただの一人もいなかった。
えーと、そのコスプレってアイドルの子だよね?顔が良すぎる設定の天才的なアイドル様だよね?スタイルも抜群にいいんだよね?相撲部が文化祭のウケ狙いで女装してみたコスプレじゃないよね?
そちらは身長190cmあるスポーツ選手だよね?寝っ転がって動画見ながらコーラとカップ麺とポテチ永遠に食べてるニートのコスプレじゃないよね?
そのウィッグはヘルメットかな?すごいテカテカでガチガチなの逆にどうやった?ミニ四駆の塗装とかで余ったスプレーぶっかけた?
イケメンキャラの男装してる人の眉ビーン!目力ドーン!鼻筋シャキーン!みたいなイキってる変なメイクは流行してるの?量産型くらい見かけるんだけど?
肌がニキビ痕とか湿疹だらけなのを隠してないのもあちこちテープが見えてるのも衣装ペラペラヨレヨレなのも後で加工すればいいのかーそっかー、皆楽しそうだな全員楽しそうだなそっかー……
そっかー、好きに楽しめばいいのか。そうだよやりたいことやったもん勝ちなんだよ。
なんというか目から鱗で、もしかしたら私もコスプレをして良いのかもしれないと思えた。顔はスタンプとかで隠して、フォロワーから内心「こいつブスなのにw」と思われながらお付き合いのいいねを1つ2つもらうくらいのコスプレをしても良いのかもしれない。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
んなわけないんだよなあ。勧善懲悪時代劇ってのはキャラクター小説の王道なわけよ。何百年も愛されてきたものが消滅するわけがない。
それらフォーマットは、異世界転生ラノベに引き継がれている。ざっと例を挙げると
とまあ、こんな具合さ。
参考文献の書籍の方を読んでもらうとだいたい増田の疑問はあるので、ちゃんと知りたい場合はそっちを読んでほしいけど、答えてみると、「安心」と「安全」は違うみたいな話になってしまう。
あと異論は認める。っていうかもっとお前ら異論だせしください。
経済的問題というけど具体的には?
それを「子供を産んでも育てられるだけの経済力がないから(&子供を産まないなら結婚する必要がないから)結婚しない→非婚化」
と解釈する人が子育て支援を打ち出してるんだと思うんだが
前提条件として、この考え方は以下の点からちょっとちがうかも。
で、経済的問題の中身については、絶対的な数字と言うより「結婚しても生活は良くならない。その理由の筆頭が経済を上げている」と言う話。
子育て支援には意味がないと言い張る人は、結婚するのにそれとは違う事に金がかかると思ってるの?
まさか結婚式代だの新居の敷金代だのなんて話じゃないよな?
そのレベルの金すらない人は当然自力じゃ子供も育てられないわけで(そもそも出産費用すらなさそうだ)
どっちみちその金を支援して結婚したって子育て支援なきゃ産めない立場だろうに
まず構造的に
と言う事になっている事実としてある。
で、結婚するのに必要な金というのは、そのための具体的資金ではなく、「結婚すると生活が良くなる」という事のための資金勘定という事になる。
ここら辺を読み物として楽しく読むには、元増田にもあげた参考文献「逃げ恥に見る結婚の経済学」とかを読んでくれ。 https://mainichibooks.com/books/social/post-434.html
みんなが見んな、リアルでここまで計算して考えているとは思えないけど、例えば、こんなことは言われる。
俺が知りたいわ。それが分かったら誰も苦労はしてない。
それだけでは何なので、妄想を書き綴る
結局の所、バブル期以前の結婚観を捨て去っても良いのだ、というロールモデルを普及するしかないんじゃ無いかと思う。
つまり
と言うか、エリート層はこうなってるんだよね。高収入層の婚姻率は回復傾向にある。
よくあるステレオタイプ的な誤解で、女性は給与が高いほど婚姻率が下がると言われる。平成初期のキャリアウーマン的幻想だよな。これ、社会全体で見ると殆ど実態がない。
でも、実態としては年収による婚姻率に差は殆ど無い。(男性は無茶苦茶ある。年齢別で見ても、年収350万以下で婚姻率が一気に下がる)
むしろ、年収が多い女性の方が婚姻率が微妙に高い。また子どもの数は、男女ともに収入が多い方が多い傾向にある。
(以上から、ステレオタイプ的な誤解にある、貧乏多産というのは統計的にはほぼ無視できるレベルの得意な現象であるとも言える)
さて、理想論については、シャーの「ならば愚民に英知を授けて見せろ」みたいな話で、意識が高い層はそれをやればいいけど、そんな箸が転がっても何かを学ぶような意識の高い連中はそうそう多くはない。
もちろん啓蒙して増やして行く努力はいるだろうし、これから大人になる人たちはこれがスタンダードになると言うので良いだろう。
でもそれで既存の層を改善しなかったら駄目じゃん? すると、強制的にインセンティブを作るしか無いと思う。
言いたいことは分かる。無理じゃねーのとか思うだろう。
異論は大歓迎なので、みんなで考えてくれ。