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はてなキーワード: 見えないガラスとは

2023-05-23

女性社会は実現不可能なのだろうか

最近Twitterで流れてくる男女間に関する話題が最終的には男が悪い男社会が悪い帰結する傾向がある。

1人の男として、男というとても広い区分けで悪いと言われるとモヤモヤするので、女性社会って本当に無理なのかと考えてみる。

例えば会社。部下から上司、出来れば経営陣、社長まで女性。男社会だと、パワハラセクハラ無駄残業出産問題があるが、女性同士だとその問題クリアできるはず。

勿論人間からパワハラくらいはありそうだが。

インフラ面。ここでTwitterだと男がいないと無理みたいな話が出てくるが、男社会に無理矢理女を当てはまるから無理な訳であって、女性ができる方法でやっていけばいいと思う。

例えばゴミ収集。何kg以上のモノは持っていけません、収集所の容量を少なくしてこれだけしか入れることができませんとしたらどうだろう。

あと運輸業とかはそれこそ鉄道バスタクシーでは女性運転手さんが活躍しているし、建設業女性が増えているし、職人さんも女性の方を見るようになった。

学術的なことはよく分からないが、小中学校という単位だったら昔から女性教諭はいる。

そして東京あたりで、先進的に実現してみればいいと思う。

したことない男に何でもかんでも頼って生きるのは女の人も嫌だし、男女間の見えないガラス天井に苦しむのも嫌でしょ?

なら、女性で生きていく女社会を作ってみればいいと思う。

そしてそこに少数の男が入って行って逆の立場を味わうのもいいことだと思う。

異論は認める意見が欲しい。

2023-02-11

anond:20230211172832

これ、(仮に日本に長年住んでる人でも)中国人と仲良くなると同じ雰囲気を感じる。

なんていうか自分意見はあるんだけど本国共産党が許す範囲意見というか思考見えないガラスの壁がある感じ。

外人である自分が彼らからすると触れてはいけない話題(例えば最近ならゼロコロナ)に触れるとシラーッとするんだよね。

やっぱ社会主義というか権威主義組織所属してるとそうなるんだなって思った。

2023-01-15

anond:20230115090108

日本には義務教育段階で学区という制度

いやいやいやクソだよ

俺は京都で生まれたけど京都には義務教育だけでなく高校まで学区が厳しくてね

義務教育に至っては学区=地域呼称になってるぐらい区分けが細かい

それぐらい階級社会がすごくて居住地マウントがスゴイ

どんだけ頭良くても居住地域ハズレだったら終わり

そうなる前に義務教育前にエリート層は引っ越す

俺は引っ越させて貰えなかった

明らかに差別だし見えないガラスの壁があったよ

この学区制に関してだけはマジで批判させてもらう

2022-12-11

発達障害的には、これはたとえばの話だが、「頭が割れるような痛み」って言葉使っててちゃん意思疎通できてるのかと思う。

脳か頭蓋骨の膨張によって骨か頭皮を内側から押し上げて圧迫するような感覚の痛みなのか、頭頂を斧でおもいっきり叩かれたらこんな痛みだろうなって想像したのと等しい痛みなのか。

特に後者は単に激痛というのと変わらない気もするが、その一方で、わざわざ激痛と言わず割れるような痛みというからには、何か具体的な質感を伴ってるはずと思うんだよな。

しかしどっちにしろ明らかなのはどういう意味でこの言葉が使われているのが判然としないということ。

痛みがあるときに痛みがあると告げられた相手に期待される行動は限られているから、この痛みの中身がブラックボックスでも、つまり話者側が前者の意味で言っていたのを受け取り側が後者意味で捉えた場合、あるいはそのその逆の場合があったとしても問題が起こっていないというだけではないか。やり取りのすれ違いは起こっていないが、意味のすれ違いはそこかしこで起こっている。

それ以前に安易に「割れるような痛み」を使っている人が多すぎないか。なんとなく陳腐比喩表現を使いたがってるさがみたいなものはないか。同じ陳腐ならだったら「激痛」で済ませた方が簡潔で合理的だと思う。

発達障害文章で「コックピットに乗っている俺が俺自身身体を操縦しているような感覚」とか「ビデオを同時再生している感覚」とか書かれていることがあるがこれが気になる。

まりにも軽々しくないか表現がおおげさではないか。それはちゃん自分意図する実体通りのものを読者に想像させる表現なのか。

なかにはまさしくそういう状態の人もいるのかもしれないが、多くは筆が乗って大げさに書いているというのが実態だと思う。

これはかえって認識齟齬を生み、本当にコックピットに乗ってるようなと比喩するに等しい感覚なんだねと思った支援者もそう書かないときよりもうまい支援を難しくしていると思う。

文章から立ち上がって来る実体安易比喩であふれている。そういう比喩に「規格化」されている。本当は痛みについても現実にはもっときめ細かに言語上の差別化可能多種多様な痛みがあるのに、それらが「頭の割れるような痛み」に文章上では規格化され、かくして読者が想像する痛みが実際に存在し得る痛みよりはるかに限られている。

小説なんか規格化という現象のさいたる対象だ。世の中いろいろな形の鏡が考えられるが、小説に登場する多くは、丸型か、縦長の長方形か、あるいはハート形か、変わり種で星型といったところか。

無修飾、あるいは「不定形の鏡」とでも表現すればその形は読者次第となりかなりありとあらゆる形の鏡が誰かしららの読者の頭の中で形成されうるが、それこそありうる各形鏡に割り振られた想像され得る割合というのは先述の丸型とか長方形に比べれば無限小に等しいだろう。

元素成分分析グラフで何か所(広義に有限な数だけということ)かだけ極端な高さでピークを持っていて、それ以外の領域では全てほぼ0みたいになっているという感じだ。

まあこの比喩自体規格化されてるかもしれない。ただまあこれは確率分布元素分析にあてはめてるという点でグラフという次元では同等なのでそこまで齟齬はないと思う・

擦りガラスとはちょっと違うかもしれない隔てた先があまり透けて見えないガラスも全部すりガラス(もちろんマジックミラーならそう書くだろうけど)。

dorawiiより

 
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