はてなキーワード: 人とはとは
っていう人がよくわからない。
大丈夫だから、それきっと間違いなく相手も同じこと思ってるから、
あなたがその相手からアプローチされることは100億%ないし、
なんで言うんだろうね?
大切にしたい人ができたら、増田がその人を一番大切にすればいい。
伝わらないときもあるけど、こちらの伝え方が下手くそな場合もあるし、相手が受け取るのが下手くそな場合もあるから、上手くいくかどうかはご縁だけど。
もしかしたら、あなたの方こそ受け取るのが下手くそ側かもしれない。
そんなときもある。
あと、最初から強烈に一番好きにはなれない。(一目惚れはわからん)
親友だっていきなり親友にはなれないじゃない。初対面から関係を深めていって沢山話して遊んで、我らソウルメイトや~ってなるんだから。
焦ってもしかたない。
あと増田は結婚願望があるんじゃなくて、恋人が欲しいみたいだから、ひとまず婚活はやめた方が良い。選ぶ、選ばれる的な世界だし、この先誰とデート行っても違和感だらけで楽しめないとおもう。
いや、はやく結婚したくてパートナー探しで参加するのならよいのだけど、たぶん、増田が会いたがってる人とは出会いにくい。
趣味があれば、なるべく男女混合の社会人サークルとかに参加してみるのが良いと思う。
そこで出会えとはいわないが、その場所は好きなフィールドなわけで、増田自身の魅力がマシマシになるし、そこから広がる人間関係はきっと楽しい。
やってたらごめん。場所変えるのもあり。
趣味がイマイチだったり、明らかに同性だらけならば、新たに始めるのもよいかも。スポーツとか楽器とか。ネットで探せばたくさんある。
増田が抱える飲み込まれそうなほどの圧倒的な孤独は、いつか誰かを癒す力に絶対かえられるから、あんまり根詰めないでいいよ。
昔からどうも同世代とうまくいかないことが多く、本当に理由がわからない。
気がついたら自分以外で輪ができているし、自分の立場がすごく低いところにある。
例えば、自分以外でのテンションが出来上がっていたり、自分が発言しても鼻で笑われたり変な空気になってたりする。
年上の人とはそうならないので最低限の空気が読めないわけではないと思う。多分。
あと、他の子が言ったことが間違っていてそれを私が指摘してもはあ?みたいに言われたり、無視されたりする。
結局、私が言ったことが合っていた、となるので的外れな指摘をしているわけでもない。
ただ、もうその時には「それ見たことか!」と言う気力もなくなっているのでそのままにしておく。
あとは、誰かと付き合った、別れた、結婚した、みたいなことをだいぶ最後の方に聞く。
別に自分は誰かに言いふらすこともないし、詮索もしない。家に行かせてよ〜とかも言ったことがないので、結婚したことを隠される理由がわからない。
容姿が優れているわけではないが、清潔感は保つよう心がけているし、変な匂いもしないはずだ。
別に仕切るキャラでもないし、特段目立つわけでもない。うざがられるようなことすらしないうちにこういう状態になっている。
誰かから怒られるわけでもないのでどこを直せばいいのか見当がつかない。誰かが自分の悪い噂でも流してるんじゃないかと不安になる。
ある界隈では口にした瞬間にその場の全員から石もて追われ二度とその界隈の住人とは見做されなくなる恐ろしいワードである。うっかり口にしようものなら村八分確定であり、女性同性愛者を意味するスラングを気軽に口にするポリコレ意識のあまり高くない人たちからもぶっ叩かれる究極のポリティカルインコレクトネスである。だが、以前うっかりこの言葉を使ってしまいフォロワーさんから非難の大合唱を浴びた人間として、少々自己弁護を口にしてみたくもなる。
私たちが見たいのは関係性である。しかし関係性が好きならBLだろうが百合だろうが区別なく摂取すればいいのに何故百合ばかりを求めるのか、と言われればそれはイケメンの男の子よりも可愛い女の子が好きだからである。いやイケメンの男の子も嫌いではないし同性としてこいつ性的魅力にあふれてんなとは思うが性的対象ではないのである。これは逆側もそうではないのか。BLを嗜まれるお姉さま方のけっこうな割合はヘテロセクシュアルであろう。関係性を楽しむとき、そこには当然に性的視線が介在している。
そしてその関係性には強弱がある。あるのである。一部の妄想力や発想力の逞しい方々は公式で何も会話していないキャラ同士の絡みを公式設定であるかのように信じて邁進することができるらしいのだが、公式から理由も分らずに押付けられたカップリングを大人しく受取って、理由も分らずに消費して行くのが、我々凡夫のさだめだ。とにかく、公式で「あっこれはガチで女の子にしか興味ありませんわ。そして両思いですわ」というキャラやカップリングもいれば(あーなたのうーたにーわたーしのーハーモニーかさーねてー♪)、「友達でも通用するし、男とくっついても違和感がないけど、でも××ちゃんと○○ちゃんが仲良くしてるのはいいなぁ……」という根拠薄弱なカップリングもあるのである。あるったらある。強いカップリングと弱いカップリングはありまぁす! 電磁カップリングとか重カップリングとかがあるのかどうかは知らない。
その弱々しい関係性の芽を大輪の百合の花に育てきるのが一流の同人作家だったりオタクだったりするわけだが、我々貧困な想像力しか持たぬ凡夫は惑うのである。あれ? この子とこの男友達って、いい感じじゃね……? などとヘテロフィルターがかかってしまうのである。大吉山で白ワンピ着て楽器吹いてイチャイチャしてたと思ったら普通に原作で男と付き合っていたりするのであり、では公式で否定されたから百合ではないのかと言われるとでもやっぱりこのふたりの関係性とか姉との繋がりとか眼鏡の先輩との絡みとかも恋愛感情に発展させていきたいよぉ! と二次創作がマルチバースであるのをいいことに色々な世界線をアラカルトでつまみ食いしたくなるのだ。凡夫は往々にして雑食になる。EMTEMTと言って天使と男が性交する薄いブックを購入することと天使とお姉ちゃんが百合百合する同人誌に手を伸ばすこととのあいだに特に矛盾はないのである。
この傾向に、最近の若い者がハマっている「そしゃげえ」というものが拍車をかける。これらのゲームではキャラクタはプレイヤーに向かって話かけてくる。そしてそうプログラムされているから当然なのであるが、彼女たちは同じゲームの女性キャラと仲良くするのと同時に、まるでプレイヤーに好意的であるかのような振る舞いを見せるのである。likeの範疇に留まっていればいいのだがどう見てもloveにしか見えない場合もあるし妄想力を働かせるとloveに聞こえてきたりもするし、一方では他のキャラとイチャコラしていたりするのだ。もー体触るのやめてよー。つまるところそこに現出するのは、「○○ちゃんが男とくっついていても女とくっついていてもどちらも公式設定として通用してしまいそうな世界」なのである。
そして頭の悪いオタクはマルチバースを統一するのが大好きである。某アイドルアニメにおいて赤髪ツンデレな医者のご令嬢のカップリング相手は小柄ツインテにっこにっこにーな上級生もしくは猫語尾の体育会系アホの子と相場が決まっているのだが、「あれ……? にこまき前提のりんまき、いいのでは……?」などと閃いてしまうのであり、これはりんまきに失恋モチーフの同人漫画が多いことからも容易に察せられる宇宙の真理なのである。秘めた恋心を自覚したときには既にふたりがにっこにっこにー(隠語)していたので恋を自覚するのと同時に失恋を味わい部屋でひとりで泣くCV飯田里穂のキャラはいて、それは間違いないこの世の真実なのだが、ともかくそういう風にマルチバースを統一したがるオタクの眼の前に「自分(プレイヤー)を好いている××」「別の○○ちゃんとイチャついている××」の2つの道筋が示されたらどうなるだろうか。加えて○○ちゃんの方も私に好意的な態度を取ってくれているのだ。
そう、「混ざりたい」のである。ようやくこの表題に辿りつけた。別々の世界線のままにしておくのもそれはそれで良いし、現に私は提督LOVE合同誌もBig Northな薄い本も持っているので、別々のままにしておいてもよいのだが、混ぜたくなるのである(はいここダブルミーニングです。テストに出ます)。自分と○○ちゃんの双方に好意を持っている××でいいじゃないか、という解釈を見つけ出してしまうのである。
「そういうのは『ハーレム』でいいじゃん」と言われるかもしれないが、ハーレムはそこに集められた女性同士の関係が良好であることを保証しない。極端な話どこぞの王侯貴族が作るハーレムなら同じハーレムの一員と一度も口を利かずに終わることもありうるだろう。そういうのも悪くはない、いやこれは欺瞞なのではっきり言うとある種の夢ではあるのだが、そういうのが見たければ素直にハーレムものを読みに行く。私はジェンガ艦橋を持つ姉妹がお互いに愛し合いながら私にもその愛情の一端を向けてくれる世界を妄想しているのである。私と彼女との関係だけが重要なのではなく、彼女ともうひとりとの関係性も尊いと思っているのであり、そのふたつの関係性をひとつの世界で縒り合わせようとした時に貧弱な発想と乏しい語彙を絞り出した結果として出力されるのが、忌み語として名高いかの5文字なのである。
この呪われし文字列は今や百合好きのあいだでの共通の敵となっており、普段はカップリング論争を繰り広げる諸氏もこの言葉が発せられた瞬間に一致団結するという驚異的な接着力なのでDIYに役立ちそうな語なのだが、発する側としてもそれなりに理屈があって言っているのである。しかし、ここまで摩擦を生む語である以上、「百合」とは棲み分けた方がいいという意見にも一理あろう。この5文字を聞いた瞬間に親を殺されたかのごとく怒り狂う人びとも、別にこのような関係性への志向を理解できないわけではなく、単にそれを「百合」と名指されたくないだけなのであろうから、共存はできるだろう。ただ私の中でそれらは連続的なもので、簡単に切り離したりできないんだよ、ということは伝えておきたかった。
当たり前であるが、上で述べた理屈は現実の女性同性愛者あるいは両性愛者のカップルに向けて「俺も混ぜろよ」と発言することを肯定するものではない。あくまで紙とJPEGで表示される女性のことを言っている(もちろんこの言明は、現実に女性2人男性1人で構成される愛のあり方を否定するものでもない)。また、そのような消費態度が現実の同性愛者に対して搾取的である、と言われるかもしれないし、実際に女性同性愛者の表象を簒奪しているという議論も成り立たないわけではないかもしれないが、バイセクシュアルやポリガミーのことを考えれば、男が混ざろうとするのはおかしいというのも別種の抑圧に与することになりはしないかという危惧はある(シスヘテロ男性が言っても説得力がないと言われたらまったくその通りであり、反論できない)。
あと、“男性向け”百合と“女性向け”百合を分けようっていうのは、私はあまり賛同しない。薔薇とBLは棲み分けているというが、近年腐男子という存在がそれなりに登場するようになっており、その中には男性同性愛者も一定数いると聞く。彼らにとって薔薇/BLという壁は窮屈なものなのではないか。というか百合好き男性の界隈で好評を博す作品にはプラトニックな作品が多く(私も好きだ。新米姉妹の部屋の居間に置かれた時計になりたい……)、女性の百合好きに好まれる作品とどのくらい違いがあるかというと、正直あまり違いがあるようには見えない。だったら無理に分ける必要もないように思う。“男性向け”百合と“女性向け”百合とのあいだに強固な壁はなく、なんとはなしのグラデーションの中で共存しているのだから、あえて「こちら」と「そちら」に分ける意味もあるまい。性描写の有無はR-18シール貼ればいいわけで。というか性描写で区切ろうとすると「百合とレズは違う!」とか言い出して「清らかな女の子同士の百合」と「レズ」を切断してレズビアン差別に加担する百合好きが出てくるというお排泄物みたいな現状があるからそこで区切るのは害が大きい。腐女子の“学級会”はよく揶揄されるけど、ほんと百合界隈もたまにはちゃんと“学級会”する必要があるんじゃないかと思うよ。
なんの話かというと、型月厨のお前らロード・エルメロイII世の事件簿読めよ、イスカンダル大好きなウェイバーちゃんマジ尊すぎんぞ、という話でした。というかあの作品はグレイちゃんが師匠に向ける思いも尊すぎてミステリ部分はガバガバだけど人間関係部分は尊さの塊なんや……
murishinai 「混ざりたい」だと、すでに成立してるカップル双方の思いを無視して割り込む感じがあるので良くない。この増田はポリアモリー的な物を目指してあるのであるから、もっと別の表現を探して使うべきだ。
なるほど「混ざりたい」への違和感の原因はそこだったのか! と目ウロコ。確かに日本語の語感としてはそうですね。
jet-ninjin 女性向けの夢にあたる概念は男性向けでは何て言うのかな。オリキャラ女主はよく見るが男性向けでオリキャラ男主ニーズあるのかな…。
というか、女性向けと違って男性向けでは所謂「夢」がデフォルトなので特別な名前がついてないという事情があるような(デフォルト、というのは実際の頒布数に占める割合ということではなく、「男性向け同人誌」と言ってパッと思い浮かぶのが百合じゃなくて女性キャラと男性がイチャコラしてる本、みたいな、イメージの問題です)。男性向けのえっちな本の多数派は百合ではなく(もちろん百合もありますが)女性キャラと男性(もちろん既存キャラである場合も多いですけど――キョン!AVを撮るわよ!――モブおじさんとか整備員とか用務員とかの所謂「竿役」はオリキャラのことが多いんじゃないかなと)がえっちなことをする本であったりするわけで、男性向けでの「俺の嫁」は文字通りの「俺の嫁」なのです。
seachel 長くてよく分からんけど夢女子と腐女子兼ねてる子は女にもよくいるので、自分自身すらマルチバースと捉えたらいいのでは? Aカプを愛でる増田、Bカプを愛する増田、夢男子の増田…みたいな切り替え方式。
この切り替えというのが難物というのはあるかもしれないですね。私にとってそれは全部連続性を持ったただひとつの私で、はぁこのカプ尊い同居してる部屋の目覚まし時計になりたい……という私と○○ちゃんとイチャラブしたい私というのはあくまでグラデーションの両端でしかなく、その真ん中を厳密に切り分けるのはなかなか難しいのですが、切り分けていかないとムラハチを食らうしこんなこと言ってる私も鶴賀学園の主将と副将に混ざりたいとか言われたらイラッとするので(ザ・自己中の極み)、場の空気を読んで穏便に使い分けて生きていきたいなと思いました。
(どっちのうんちでSHOW!! Vol.28535)
1353年9月2日
文責:ちんちん
うんち vs うんち
対戦結果:
482948294820948 対 895で見事うんちの勝利
・就活とは、「良質な情報」を利用して「正しく動く」奴が勝つゲームやねんど。
a) 「良質な情報について」
「良質な情報」:内容の正確さ+自身のキャリア価値観の構成に影響を与える
インターンシップ:直接来社してオフィス・社員を見れるので雰囲気が直で知れるので一番会社のことを直で知れる。この雰囲気きっもと思ったらその直感は正解で、受けなければいいんだ。大体こーゆ感じの人とはうまくやてけるが、こーゆーのんはNGって嗅覚があると思うけど、それが一番わかるのは実際インターン行って雰囲気を知ることなんだ。あと他インターン生とのコネクションを作っておくことで就活情報を交換し合えるし、他インターン生のいいところをパクリまくって自分も優秀な人材になろ~とするインセンティブが生まれるンダ
OB訪問:社員の生の声を聴けるので裏表を聞き出すことができる。ただし特に気になる企業については特に複数人に聞いて確証性を上げること。
ちゃんとしたニュース:ニュースから企業の体質・雰囲気を垣間見れることができるっっちゃ
・仕事第一でプライベートで気晴らしをするなんてレベルじゃないほどのハードワーク、プレッシャー
・そーゆーどあほうなことするレベルの倫理観持った奴のあつまり。どんなけ仕事有能で社会的地位が高くても人間としてはどあほ~の集まりどあほオ
・そーゆーことがまかり通ってしまう社内環境/文化→相談できる環境・自浄作用がない、そしてヴォイスアウトは限りなく難しく、またしたとしても黙殺されてしまう雰囲気
まーこんな感じ。
まともな就活セミナー/説明会:セミナー形式になるといーことしか言わんけどまー社員もいるし雰囲気も垣間見れる。ごみみたいなマナー講座とか有料の奴に行くくらいならうんちぶりぶりしてたほうが有意義。ぶりッ貯
教授に聞く:先輩がどんな就活してたのかとかいろいろしってるはず。失敗例も含め聞き、自分ならどう乗り越えることができるか追体験すること
企業のHP(採用用のHPと普通のHP両方):見えない部分はあるにしろウソは載ってないので。もちろんよく映える部分しか載せてないのでそこには注意すること。
キャリアセンター:OB訪問先を知ったりES添削してもらったり面接練習してもらったり。ただし企業を紹介してもらうときはあまりあてにしない。人によって知識や相性にばらつきがあったり、しょーみキャリセン的には就活浪人さえせずに最悪就職さえすればいいだけなので自身の思い描くキャリアに沿った企業を提示してくれるとは限らない。
まともな口コミサイトや就活サイトなどのwebページ(詳細は後述):ごみサイトも多いので注意
・就活に関する情報は玉石混交すぎてぱっぱらぱ~って感じなので、なるべくインターンやOB訪問を重ねるなどして自身の「足」を動かした情報を最優先すること。
・ちなみになんでうんちみたいな情報があふれてるかってゆーと就活で儲けようとしてうんちマンがいっぱいおって、そいつらがインターネットにうんち情報を垂れ流しにしてるので良質な情報にアクセスするのは難易度が高い。「就活」でググってみるといかにパッと見有名でSEOに強いだけのすっかすかの情報がトップに表示されて時間の浪費かがわかる。まーじで小手先の就活マナー(笑)とかどーでもいいっつー乃
・結論:なのでうんちには触れないこと。くさいし
・おすすめサイト:まあまあ良質な情報があったり有意義なサイト
オファーボックス:自己prとか入力したら企業から選考オファーがクルド。企業自体はあんま大手どころはこないけど、ES書く練習になるから絶対利用するべき
外資就活:トップ大学がよく受ける外コン、外銀、日系大手などの企業情報やインターン情報、就活レポートがのってる。この辺常駐してる学生の雰囲気に慣れてついていける人材になれば、日本の企業ならどこでも内定とれるんだ。
Vowkers:社員の口コミサイトの中で比較的まともなとこ。
b) 「正しく動く」ことについて
・自身の思い描くキャリアに合ってるであろう企業に内定をもらうことがゴール。
それを成し遂げるために必要だと感じることだけをすればいい
・もっけー言うけどわけわかんねえビジネスマナー(ノックは2回?3回?はどっちでもいいんじゃしばくぞ)とかほんとに社員が書いてるのかあやc口コミサイトでその会社を推測したりとか、他就活生と比較して悩むとか、そんなことしてたら就活で儲けようとしてるどあほうのいいカモ。人の苦境につけこんで商売しようとしてるどあほうにはうんちを授けよう。(ペタッ
・業界や職業なんて今から決めたり悩む必要は全くない。インターン・選考時はおもろそ!って思ったところに受けまくって範囲を広げまくって、選考中/内定後に絞る作業に移ればいい。免許取る前にどんな車乗ろうかな!?。。って悩むのに時間かけんのってあほらしすぎ(面接時とかES時の業界志望理由とかはそれっぽい事言おう。どーせ企業側に就活生の将来の幅を狭める正当性なんてねえっちゃ。
・いろんな人の人生を追体験して、おもろそうな人生のイメージを膨らませる。本とかウェブインタビュー記事とかあるやろ。それを読んで自分はどのアンテナに反応する人間なのか知る。どんな仕事してる時が人生おもろそうか考える
日本では新卒一斉採用という謎方式がメジャー。まじ会社にとってのメリット謎。しかし凡人にとっては大変ありがたく、専門性が特になくても、新卒カードさえあり、その「会社」が必要としている専門的人材でなく、「社会」全般が必要としてそうな人に成りきれればてーげーの企業にいけるど。勝ち。(もちろん専門的スキルが必要な会社・部門も多々ある)
→「社会が必要としている人材」に思われる/見られるように意識
⇒じゃーそれってどんな人材だよ??
社会が必要としている人材=基礎学力+対人スキル+何かを成し遂げた実績(おれがかんがえたむてきのほ~て~しき)
・基礎学力
あほなやつは取りたくないもん。だからほとんどの企業ではWEBテストとかやってる。対策は容易。
↓
これが本当のSPI3だ!
ってゆー系のspi本3周くらいしたらよゆー。この努力を惜しんで内定ほしいとか言うてるどあほうは、筆記試験通ってないけど路上運転ばっちりやから免許ほpって言ってるどあほう。必要最低条件。
・対人スキル
円滑なコミュニケーションがとれるかどうか。TPOに応じた適切な言葉のキャッチボールがとれるか。
↓
まあこーゆーコミュニケーションとかマナーとかは、インターンとかOB訪問、なんなら本選考の面接を通してどんどん実践してミスして恥をかくことでじわじわうまくなっていくもの。わいは素をぶつけてみようという思いで臨んだ社長面接で落とされて、tシャツビーサンで面接行ったらあかんのか・・!!という大切な気付きを得た。感謝感謝ぐわあ~。とにかく失敗して恥をかいて内省することを繰り返す。
・実績
いかに崇高な入社後のビジョンとイケイケな自己PRとかしてても、でそれにたどり着くために在学中にあなたは何やってきたんすか?ってのを証明するために必要なのは何かしらの実績であったり結果がいる(体験だけではインパクトにかけるから何かしら外部のお墨付きがほしい)。
↓
じぶんでなんとかする。1から100レベルに盛るのはいーけど、0から1はシンプルな虚言癖マンになるので、小さくてもいいから使えそうなネタを集める。自分の好きな事を突き詰めてそれを外部に認めてもらう(表彰とか)だけでいいのさ
・就活とは
何かになりたいという単なる「手段」であって、「目的」であったり「ゴール」ではない。
→どんなことやりたいか?という理想イメージを膨らませまくり、それにたどり着くまでの道程でしかない。
→ただその道程にいろんな”気づき”であったり”出会い”がある。( ̄+ー ̄)
期限はあるものの引き返したりいろんな道をキープして楽しむことができるんだ!たのP!pppppppppppp
・どの軸が自分にとって適切か考えよ~
→ワークライフバランス・収入・働きがい・職種・業務内容・勤務地・潰しが効くかどうか・・・などいろんな軸があるので自己実現するために近そうなそれらの最大公約数となる企業からばしばし受けていく。べつにイチブジョジョーしてるからとか、ホワイティ~な会社っぽそうだからといって自分にとってよさげなんかとはなんら関係ない。世間のバイアスを一切排除し、自己実現するために使えそうで快適なハコ(会社)を見つけてそこに居座るための作業くらいのイメージ。ちなみにわおいは「おもろそうなとこ」っていう軸だけで就活してたら選択肢が3個くらいしかなかったんご
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あとがき1
みんなも頑張ってな!!
あとがき2
ここに書いてることが使えるかどうか、自分のドタマでかんがえよ〜。使えそうなとこだけ切り取って、違うよなあっとことはボコボコに叩いて議論すればいいじゃん?
だが、夫とはしばらくいたしていない。
ただ向こうに求められないのでしょうがない。
最近はなんとなくこのまま女性として終わっていくことを寂しく思っていた。
それに腐女子というかオタ女というかそっち系なのでトキメキは2次元でまかなえていた。
そんなとき、ある会社の人と仕事で打ち合わせをすることになった。
その人とは打ち合わせの時にはじめて会ったのだけど、会ってみて気づいたのだが、そもそも知らない男性と喫茶店に2人で行くこと自体何年ぶりの出来事だった。
10年ぶりぐらい。
だからだろうか、10歳以上年齢の離れた仕事相手の男性にとても魅力を感じてしまった。
話したのは数十分で、ほとんど仕事の話しかしなかったけれど、それ以来彼のことばかり考えてしまっている。
この前彼の名前をググってFBのページを見つけてしまって過去の投稿をチェックした。
イタイ。
出会って、
徐々にそういう関係になって、
人目を忍んで会って、
ドキドキして盛り上がって、
今後の二人について話し合って、
浮ついた私に夫が気づきはじめ、
彼にそのことを伝えて別れようとするも逆上されて、
夫に暴露されて泥沼になり、
離婚することになって、
はじめて会って1週間しかたってないのに。
から書く。
今サークルで卒業生のためのアルバム作りをしている。これが結構大変だ。この人とこの人は仲が悪いから載せちゃダメだとかこの人とは仲良しだからたくさんのせろとか、でも卒業生の先輩の顔なんか全然わかんないし。写真が少ないとか配置がダメだとかあの先輩がいないとかダメ出しされるし、でも作り直すのは私達だし。
一年生みんなできて協力してさっさと仕上げましょう!って話だったのに一回も来ないやつはあるし一回だけ来て参加した気になってるやつもいるし。
なんで旅行行けるの?思いつきで旅行〜とかいうストーリーあげちゃうのなんで?
今日だって7時間くらい作業してたんだよ、まぁ雑談してたしお菓子も食べたけど。
でも作業してた。知らない顔をこの人じゃない?みたいな感じで分類して写真切ってレイアウトして。全然違う愚痴だけど完成させたページ全部張り替えられるし。まぁそれは先輩の意図があったんだろうし一年目の私が毎年のそれを変えるわけにはいかないからいいけど。よくない。でもアルバム作りに二月からやってたんだよ? 二月のうちに直してくれても良くない?
卒業生の一人は「見ないから作らなくてもいいよ笑」なんていうけどいやそういうわけにもいかないから!!!!
疲れる。
全員がやってたらまだ仕方ないと思えるけど、「全然参加できるよー、行く行く!」って言って一回しか来なくて旅行に行きまくってるやつやハナから参加する気がない奴がいるのがムカつく。
卒業しないでください○○さ〜ん!って。
最近人間関係を円滑にするために嫌いな人とは関わらないようにするのがよい、というのが流行っていると思う。
でも嫌いな人ってだいたいみんなから嫌われてるから、みんながそうなったら、嫌われてる人はどうやって自分を改善すればよいのだろう。
「それやめた方がいいよ」と言われなければ分からないから、嫌われる人となってしまっている部分が大きいと思う。
嫌われてる人の自己責任が大きくなっている。嫌われる人暗中模索している姿が可哀想でならない。
これを読んでくださった人がもしいたら、自分の負担にならない程度に、さりげなく注意してあげてくれないだろうか。
よろしくお願いします。
まだ20代の頃だった。
キーワードから色々なブログに飛んだり、つながったりできるのが面白くて、たぶん3年くらいは、とりとめもなく、いろいろなことを書き綴った。
リアルの友人とはてダでやり取りしたり、知らない人とも交流したり、ゆるく楽しんでた。
増田には、ブログに書けないようなことを、何度か書いたことがある。
書けないことと言ってもたいしたことじゃないけど、なんとなく吐き出したいことをつらつら書いたら、それなりにコメントをもらうことができた。
当然、キツイのも優しいのも混ざっていて、むきだしの言葉にはショックを受けたけど、そういう見方もあるのか、とわかって良かったと思う。
ブログも増田も書かなくなって10年、いや、もうちょっと経つか。
ひまつぶしで増田を日々、眺めているけど、私はやはり増田が好きだなあと、ふと思った。
なので、このような増田を書いてみた。
いろいろな人がいて、知見があって、悪意も善意もあって、文学もあって。
そして、なんでもない日常が、ここにある。
https://twitter.com/c_ssk/status/970995446662377473
"「ショイプ・オブ・ウォーター」を見たアセクシャルの友達が「(恋愛映画なのに)理解できたの?」って言われた話が本当につらくて、今これを書くだけでちょっと泣きそうなんだけど、こういうことを問われるのは常にマイノリティだけなんだよね。お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!"
https://twitter.com/c_ssk/status/970995641299042305
"シスヘテロ恋愛ものを見て感動した非シスヘテロは「わかるの?」と問われたり、「わかんないでしょ」と決めつけられることさえあるのに、シスヘテロの観客がLGBTの話に感動したら「これはLGBTの映画じゃない」とか言い出す。いい加減にしろよ。物語を剥奪するな。"
チキささの「アセクシャルの友達」が文字通り「理解できたの?」と言われたのかどうかは不明だが、そのアセクシャルの友達と「理解できたの?」発言の人とは一定の信頼関係があったことは予想できるし(日ごろからアセクシャルであることを誰彼構わず触れ回ってるなら別だが)、真相は「デル・トロといえども恋愛至上主義からは自由ではないんだねぇ」「アセクシャルならこの残念さよくわかるよね」という発言にアセクシャル側が同意を求められ、たまたまデル・トロ好きだったから(日頃の主張も忘れ)不快になった、という程度の話なのではないか。
そもそも、ある物語が住む地域も人種も宗教も違う人々をも感動させるのはそこになんらかの普遍的な要素があるからで、「内観」という、人間が情動を理解する唯一の手段を働かせるという意味での共感性があるからである。かつての権威づけされた芸術作品には貧困層などは排除されており、その作者やその作品の同時代人たちが考える「人間の基本的な条件」が現在よりよほど狭く設定されていたことが普遍の描き方に反映してしまっていた。しかし、現代では大衆化されさまざまなマイノリティ性を含んでもなお、そこに普遍を描くことができ、物語製作は豊かなになってきている。
つまり、「人間なら異性に惚れるのは当たり前だよね」と条件づけられていた「普遍」は、現代の人々が同性愛者の存在を広く認知し尊重するようになったことにより「同性に惚れるのだって人間だよ」というように拡張してきているのである。
ここで「物語からマイノリティを排除するな」という訴えは要するに、「普遍」を描く際の人間の条件からマイノリティを排除するなということであり、「現代社会はアセクシャルを排除している」という訴えは、ほとんど全ての創作物が謳いあげる「普遍」に性愛要素が含まれることを撃っているのである。その意義は大きい。「行け!稲中卓球部」で誤解から卓球の選抜チームに入った前野が、実際には卓球の実力も熱意もないため、卓球の話ばかりする選抜チームの中で退屈さと疎外感から唐突に「サメの話しようぜ」と言い出す滑稽な場面があるが、アセクシャルにとっては行く先どこもに恋愛の選抜チームが結成されている状況であり逃げ場がなく、前野とは違うのである。
ここで「シェイプ・オブ・ウォーター」に戻ると、そもそも恋愛映画であるが登場するのは半魚人である。繰り返すが、人間には情動を理解する手がかりが自分自身にしかないため、動物だけが登場する作品においてさえ、動物は人間が化けたように子の死を嘆き、群れからはぐれれば孤独を感じるように描写される。これは「動物性の剥奪だ」と非難する事すらできるだろう。動物のことはわからないのだから勝手に当てはめるなとも言えるだろう。2008年のディズニー映画「WALL-E」は、荒廃した惑星でただ一体動くロボットが主人公だが、その主人公は物語中で「女性の」ロボットと出会い、彼女との性愛関係を志向するようになる。遠い未来のロボットであってもヘテロセクシャルなのか! と当時ディズニーの物語製作には大いに落胆させられたものである。
「シェイプ・オブ・ウォーター」も物語構造の核としてシスヘテロ恋愛でしかなくこの種の批判は免れない。アセクシャルの友人が批判的コメントを求められることはありそうなことだ。
チキささは「お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!」と言うが、半魚人と付き合ったことなくても、自身のシスヘテ恋愛経験を拡張して半魚人と付き合うことまで理解してしまえるのが「普遍」だし、そこに同時にアセクシャルを排除したシスヘテ至上主義の傲慢もあるのである。
たまたまチキささとそのアセクシャルの友人がデル・トロ贔屓なのかもしれないが(おそらく「パシフィック・リム」においてベケットとマコが最後にキスしなかったことを評価しているクチだろう)、「シェイプ・オブ・ウォーター」は批判するべき作品である。
そもそも「アセクシャルならヘテロ作品わからないでしょ?」なんていう見解は圧倒的少数であり、アセクシャルが戦い、苦悩しているのは「やっぱりヘテロ恋愛には感動しちゃうよね。人を好きになること、これは人類不変の原理なんだよ」というような理路である。実際にそんなリプがついている。こんな藁人形叩きに近いツイートが大きな共感を得ているのは、シスヘテ至上主義の側がこのツイートに「救われている」からである。チキささは無能なアライであることを自覚するべきだ。
そもそも「気が合う」「趣味が合う」っていう相手がなかなかいないんだけど。自分は「この人とは仲良くできそう」と期待しても相手は同じようには思ってくれてないことが多い。「自分が相手を好きになれば相手も自分を好きになってくれる」みたいな心理学の法則があったと思うけど、少なくとも自分には当てはまっていないと思う。
あの頃、連絡を取り合っては食事をする関係の人がいた。そういった関係を2ヶ月くらい続けていたところだった。
もともと渡された名刺に個人的な連絡をしたのは私の方からであったし、わかりやすく好意を寄せていたのを相手も気づいていたと思う。もう少し個人的なところまで進むのにお互い注意深く距離を測っているような状況だった。
あの日は金曜日で、午後3時前くらいの時間だったから当然それぞれ仕事をしていて、夜になってから互いの無事を確認した。
向かい合って食事をしながら、なんとなく金曜日の話になった時に相手が言った。
いない。
私は東北に家族も知り会いも親戚もいない。行ったことすらない。
だけど違うのだ、そうではないのだ、良くないのだ、だってあそこで被害に遭った人達は全員誰がの知り会いや家族や親戚であり、そういう命がなくなったりしているのだ。
頭と育ちが良い人と思っていたけどなんだかすごくがっかりして、相手に対する興味も失せてしまった。
結局その人とはその後1度会っただけで、結局つきあうようにもならなかったしセックスもしなかった。
今になって思うのは、失望したというのとも少し違って。たぶんあの時私はすごく傷ついたんだと思う。
自分の(及び自分達の)力ではどうしようもない事柄があって、それを自分とその周囲に害がなければそれで良かったと言ってしまう考え方に対して、そして、あんなことがあった数日後にも何事もなかったかのようにいい感じになっている男性と食事をしながら、自分達は何もなくて良かったと言っている状況に対して。
そこに自分が含まれていながら、同時に「関係なくて良かった」と言われた側になったような気持ちになった。
だから怖くなってもうその人との関係性を作れなくなってしまったんだと思う。
でもきっとそういう心理的作用は、自分と相入れない人を排除して近くに置かないという意味では「知り合いが被災者にいなくて良かった」と同じ傾向なのかもしれない。
いまだにわからない。
根本的に人付き合いが苦手な気がする。嫌いじゃないんだけど、得意ではない。
何か目的を持っていないと一緒にいてもつまらないと感じてしまう。DVD見るとか、カラオケとか。
仲良い人なら話すことを目的にできる。
でもそうでない人とはご飯行くとか苦痛に感じる。無理やりつなげる会話は楽しくないし、相手もそんな感じがする。
そんな人たちと一緒に過ごすくらいなら一人で自由に過ごしたいと思って、仕事の休憩中はいち早く外に出たり、前歩いてるの見かけても追いついたりしない。
でもやっぱり誰とでも仲良くしたいと思ってる。いざ誘われないと寂しい。
いっそ仲良い人だけ仲良くしよう!と貫けたら楽なんだけど、なんでそれができないんだろう。
誰といても楽しく過ごせる人なんていないってわかってるんだけど、限りなくそれに近い人は何人も見てきた。そして彼らは良い人と呼ばれる。
そんな人たちみたいになりたい。良い人だと思われたい。でも根本的な性格が全然違うってこともわかってる。
諦めたいのに諦められなくて、中途半端な感じになってる。
何かトリガーがあって、誰といても自分が楽しいと感じられるようになるか、いっそ諦めがつくか、どっちかしたい。
できれば、前者がいい。
話す前にイメージの中で相手のことを抱きしめるといい、って見て、それを実践してるけど、たしかに、こう身構える感じがなくなる。
でも一瞬だけだから、継続性がない。自分の癖になってないから。
嫌われないように良い自分を見せた結果、結局少し距離があるように思われて、それ以上仲良くなれないというのも問題だ。
でも仲良い人に対しては素の自分で居られて、楽しいんだよなぁ。
私は、自分の奥深くの方にある、人には見せたくない部分を知られたくない。
仲良い人は、細かいことを気にしない、本質的には私自身に興味を持たないような人だ。人の心を覗いたり、評価したりしないような(もしくはそう見える)人たち。
おじさんも同じような理由ですぐに打ち解けられる。
おばさんはその逆。聖人のような優しさのかたまりのおばさん以外仲良くなれた試しがない。
おばさんは属しているコミュニティにおける常識から外れた行動をすると途端にダメというレッテルを貼ってくる気がする。偏見かな。だけど将来的に自分もそうなってしまうような気がする。結局同族嫌悪なのか?
人を値踏みする時って結構ある。だからこそ、自分に似たような人に私もそう思われているかと思うと、見栄を張りたくなる。
問題はわかってるんだけど解決策がわからない…。いつも何か発言した後に反省するばかり。早いところ矯正したい。
>追記
良い人って言ってくれた人ありがとう。でも書いた思いは表では話してないから、ただの仏頂面です。
内向的なのはわかってる。MBTIのタイプ分析をお金払ってやったらISTPだった。自分の個性自体は認めてるんだけど、それでも憧れちゃうんだよなぁ…。
ADSL回線で、インターネットに繋いでる間は電話を受け取れなくて
定額じゃなかったから電話料金は上がりまくるし、親に隠れて夜中にこっそりやってた
酷いときは9時間ぐらいへばりついて、肩こりはひどかったし、視力もかなり落ちた
今はチャットなんて出会い目的だけど、前までは色んな人がいて面白い話を沢山聞けた
偶然同じ空間に居合わせた顔も知らない初対面の人と他愛のない話で盛り上がった
でもどんなにその時間が楽しくても、終わる時がくる
「落ちます」と言う
深夜のチャットでは眠ることが終わりを意味したから、頑張って起きてた
ログも長くは残らないし、閉ざされた空間で、知らない人と語る というあのシチュエーションは今はもうなかなか無い