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2023-01-11

イギリススタートアップでRedundancy(人員整理)の対象になった話

2022年11月24日付で、半年間働いてきた欧州拠点の某スタートアップ企業からRedundancyを言い渡された。永住権を持たない国で働く女性として、この経験シェアしておくべきだろうと判断したので、文章にまとめて公開する。将来的に、自分自身でもこの経験を振り返ることがあるとも思う。

なお、Redundancyととはこの文脈では「会社都合による余剰人員の整理」を意味する。基本的に、Redundancyは個人能力パフォーマンス関係なく、財政的都合に拠って行われる(Fire、いわゆるクビは個人能力会社で求められる基準に満たないため起こるので、Redundancyとは異なる…とイギリス人上司に言われた。実際、退職金の扱いなどもFireかRedundancyかでは違う)。アメリカ英語ではLayoffと呼ぶらしい。最近TwitterやMetaで行われているのもこれではないかと思う。

当事者基本情報

当事者: 29歳日本人女性イギリス在住(執筆時)。Youth Mobility Scheme(30歳以下の候補者のための2年間の就労ビザ)を所持、マネージャーからは、会社スポンサーとなって今後5年間の就労ビザへ切り替えを行う可能性があると告げられていた。

会社全体の状況: 創業10年以下、本社オランダだがロンドンにも支社あり。私の勤務地はイギリス社員の人数は100程度のスタートアップ一般の人には知られていないものの、業界内ではある程度名前を知られている会社だったのではないかと思う。

当事者会社での役割: 主に日本語を話すクライアントとの関係構築。所属部署の中でも特にAPAC(アジア太平洋地域担当チームに配属されていた。当該部署日本人は私のみ。数字だけで見れば業務成績は悪くなかったし、日本語スピーカーかつ前職でも当該分野での経験を積んでいたため、会社内ではユニークポジションにいたと思う。

解雇前後タイムライン

11/23

11/24(午前)

11/24(午後)

11/25

【よかったこと】
【悪かったこと】
【Redundancyを経て得た気づき
会社に対して思うこと】
【今後の筆者の動向】

2022-12-16

イギリススタートアップでRedundancy(人員整理)の対象になった話

2022年11月24日付で、半年間働いてきた欧州拠点の某スタートアップ企業からRedundancyを言い渡された。永住権を持たない国で働く女性として、この経験シェアしておくべきだろうと判断したので、文章にまとめて公開する。将来的に、自分自身でもこの経験を振り返ることがあるとも思う。

なお、Redundancyととはこの文脈では「会社都合による余剰人員の整理」を意味する。基本的に、Redundancyは個人能力パフォーマンス関係なく、財政的都合に拠って行われる(Fire、いわゆるクビは個人能力会社で求められる基準に満たないため起こるので、Redundancyとは異なる…とイギリス人上司に言われた。実際、退職金の扱いなどもFireかRedundancyかでは違う)。アメリカ英語ではLayoffと呼ぶらしい。最近TwitterやMetaで行われているのもこれではないかと思う。

当事者基本情報

当事者: 29歳日本人女性イギリス在住(執筆時)。Youth Mobility Scheme(30歳以下の候補者のための2年間の就労ビザ)を所持、マネージャーからは、会社スポンサーとなって今後5年間の就労ビザへ切り替えを行う可能性があると告げられていた。

会社全体の状況: 創業10年以下、本社オランダだがロンドンにも支社あり。私の勤務地はイギリス社員の人数は100程度のスタートアップ一般の人には知られていないものの、業界内ではある程度名前を知られている会社だったのではないかと思う。

当事者会社での役割: 主に日本語を話すクライアントとの関係構築。所属部署の中でも特にAPAC(アジア太平洋地域担当チームに配属されていた。当該部署日本人は私のみ。数字だけで見れば業務成績は悪くなかったし、日本語スピーカーかつ前職でも当該分野での経験を積んでいたため、会社内ではユニークポジションにいたと思う。

解雇前後タイムライン

11/23

11/24(午前)

11/24(午後)

11/25

【よかったこと】
【悪かったこと】
【Redundancyを経て得た気づき
会社に対して思うこと】
【今後の筆者の動向】

2021-01-17

これに尽きるでしょう。近年ヴェイパーウェイブの流れで価値を見出されたネオシティポップムーブメントにおいて、ポップミュージックヒップホップシーンを繋ぐ橋渡しとして多くのミュージシャンからリスペクトされていた小沢健二2016年にはBEAMSの40周年ムービーには彼の代表曲である今夜はブギーバック」が使われているなど、まさに再評価され始めているベストタイミング完璧な復活を果たしたことが大きい。

現在サブスクから台頭し最前線活躍しているKing Gnuも元々はネオシティポップの末端でTempalayらと共にネオサイケ的な文脈から登場したわけだし、髭男もあいみょんもR&Bの要素が入った楽曲でその名を知られたことを考えると、まさに10年代後半の大きなトレンドと言っても過言ではないでしょう。

とはいえステイチューンイン東京フライデイナーイしてから5年近く経ってきて、なんだかもうそろそろネオシティポップお腹いっぱいになってるあなたに教えたいのが、やっと本題のオルタナシーンである。というのも今のオルタナシーンって実は四つ打ち革命の次に台頭する予定だったんですよ()

余談ではあるが

この曲確か

なんで予定だったかっていうと今の国産オルタナシーンの気流を作ったYkiki Beat名曲「Forever」がリリースされたのが2014年ことなんですよね。この曲確かSONYイヤホンCMにも起用されたりしてめちゃくちゃ注目された記憶があるし、事実ブリティッシュアクセント発音シューゲイザーチックな音楽性はモノホンが来たなって感じはあったわけで。まぁ結局のところこのシーンを引っ張るはずだったYkiki Beatがあっさり解散してしまたこととかもあって、上記ネオシティポップに食われる形で明確に見えない感じのムーブメントになってしまうわけです。

実際ネオシティポップ自体がそれぞれのアーティスト共通するのは"エモい"と"チルい"ということだけなので、Never Young BeachとSirupみたいな明らかにルーツが違いますやんって人たちもネオシティポップにされてしまう現状はあります

上記記事2016年に書かれたもので、ここでは地方都市テーマにUS/UKインディーシーンからの影響を受けたバンドたちによる新たな盛り上がりが見られているということが書かれており、間違いなく10年代中盤でインディーシーンで地殻変動が起こりつつあることが窺えます

余談ではあるが、本家オルタナティブロック大学カレッジラジオというある意味若者文化がそのまま反映されたコミュニティの中から発展し、地方都市ライブハウス活躍していたバンドたちがそこから頭角が現してきたという歴史がある。USだとジョージア州アセンズのR.E.M.ミネソタ州セントポールのHusker Du、UKだとマンチェスターThe Smithsといったバンドが挙げられるだろう。

このカレッジラジオがサブスクプレイリストに置き換わったのが今の日本オルタナティブロックシーンなわけで、つまり誰かがまとめたプレイリスト一つで強大なシーンを作り上げることも理論上は可能なのかもしれません。

2012-08-09

あるバンドを好きになって、そしてアンビバレント感情を持つまで

神聖かまってちゃんというバンドを知ったのは、おそらく、二年ぐらい前だったと思う。インターネット徘徊していたとき、あるブログ神聖かまってちゃんというバンドを知ったのが最初だった。神聖かまってちゃんに対して最初に関心を持ったのは楽曲ではなく、ボーカルの子が配信していた路上での突飛なパフォーマンスだった。渋谷駅前で大声を上げて歌っている様子を配信している動画だったと思う。それをきっかけに神聖かまってちゃんというバンドに興味を持つようになった。「23歳の夏休み」という曲をYouTubeで聞いてみた。青春への鬱屈した感情ノイズにまみれたポップでキラキラしたメロディにのって流れてきて、僕はたちまちこのバンドの虜になってしまった。

神聖かまってちゃんを好きになったのは、曲が世の中を上手に渡っていけない人間目線で作られていたからだ。

「どうしようもないだろうね どうにもならないだろうね」(黒いたまご)

「男にも女にもなれやしない 僕だから 髪型生き方ロックしたい」(自分らしく)

僕は、全能感にあふれた前向きな歌や、「会いたい」を連呼する恋愛ソングを聞いても共感できなかった。僕は何をやってもうまくいかない無能人間で、抱きしめる相手もいないからだ。だからこそ、勝者のための音楽世界では救われない人間スポットライトを当てている神聖かまってちゃんを好きになった。

公式HPからダウンロード出来る曲は全てダウンロードし、ミニアルバムをすぐ買った。その後出たシングルも予約して発売日に買った。ミニアルバムシングルは正直あまりいい出来ではないと思ったけど、お布施ぐらいの感覚で買ったのでしょうがないと思いもっぱら公式HPからダウンロードできるデモ音源を聞いていた。

それから暫く毎日公式HPバンドがやっているニコニコ生放送をチェックするほど熱心に入れ込んでいた。毎日電車の中で聞いていた。神聖かまってちゃん名前インターネット音楽雑誌で見かける頻度がだんだんと高くなってきているように感じていた時、突然メジャーデビューが発表された。僕はバンドが変わってしまうのではないか不安になった。

変わってしまう前の姿を見ておきたいと思い、何度かライブに足を運んだ。グダグダ演奏MCも含め、ステージ上の彼らは輝いて見えた。僕が知っている神聖かまってちゃんの姿で安心した。観客がたくさんいて、人気あるんだ、と思ったのを覚えている。

時は流れ、メジャーデビューアルバム「つまんね」と「みんな死ね」が発売された。発売日に、今は亡き渋谷HMVで「つまんね」「みんな死ね」を聞いた。中途半端な出来だったミニアルバムシングルに比べ、スタジオアルバムとしてきちんと完成していて、驚いた。しかし、綺麗でまとまった音に、荒々しいノイズの混ざったデモ音源を聞いた時に感じた感情の高ぶりや共鳴を感じることはできなかった。なにか違うと思って結局CDを買わずに帰った。

断続的に曲が発表されるたびにチェックしていたが、曲調や歌詞はどんどん前向きなものへと変わっているように思え、自分との距離が広がっているように感じた。それから、あれほど好きだった神聖かまってちゃんの曲を聞くことが減っていった。

メジャー行くまでは良かったんだけどな……ヴィレッジヴァンガードを好むサブカル気取りが言ってそうなことを思うようになり、だんだんバンドに対する気持ちは薄れていった。そんなに好きではなくなった理由は、全く成長しない自分の、成功への嫉妬のかもしれない。バンドの方は今ではすっかり有名になってアルバムオリコンチャートインしたり有名なアーティストコラボしたりしているようだ。自分童貞のままなのに気づいたら友達童貞捨ててた、みたいな感じなのかな。

僕にとっての神聖かまってちゃんの一番の魅力は、後ろ向きな感情と前向きな感情絶妙バランスで混在している所だった。バンド作詞作曲を手がけているの子には幸せになってほしくなかった。感情ほとばしったような荒々しいサウンドで叫ぶどす黒い感情からにじみ出る、幸福への渇望感が好きだったのだ。成功し、幸福を手に入れてしまったら、生まれる音楽はそこら中に転がっている前向きな歌や恋愛ソングと一緒になってしまう。

今はこのバンドが好きなのか嫌いなのかよくわからなくなってしまった。昔ほどの熱意はないにしろ、昔良く聞いていた曲は今でもたまに聞く。この文章を書いて読み返しているうちに、一方的な思い入れがこじれているだけのように思えて気持ちが悪くなってきたので、このあたりで書くのをやめて、The SmithsのThis Charming Manを聞こう。

2010-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20100814121420

上のリンク、「The Smithsを聞いて自殺した人」の話を読んだ。

The Smiths作詞者兼ボーカリストモリッシーが当時こう語ったのは有名な話。

ザ・スミスの曲が余りに内省的で陰鬱であり、そのために自殺者が出た、という話を記者から聞いて)

モリッシー責任なんて感じない、本当に。彼らの人生の最後にThe Smithsがあっただけでも幸せだったと思うよ」

…なるほど。

以来、四半世紀が過ぎた。

今私たちの眼の前にある大量の無名の生と無名の死……


あらためて思う。The Smithsを聞き「自分の生」に殉じた彼らは、確かにある「幸せ」の中に居ると。

たとえそれが私たちの思う「幸せ」とは違っているとしても。

(参考:http://www.beweb.jp/Smiths.html

the smithsを聞きながら思い出す事

サッチャリズム後のイギリスと今の日本経済状況なんて関係ない。ただ、smithsを聴いたこともないって奴に、思春期だなんて言って欲しくはないね。」

僕に中学時代smithsを教えてくれた友人はそう語っていた。

彼は、言うまでもなく文学的で、それゆえ早熟で、結果として孤独だった。

当時は彼がゲイだったというのも知らなかったし(知ったのはずっと後になってからだ)彼の抱えている問題なんて知る由もなかったけど、やっぱりそれなりに早熟でありたいと思っていた僕はそんな彼の話を聞いてわかったふりをしていたのだった。(少なくとも、「平凡でありたい」なんて少年はいないだろう)

彼は当然のように作家に憧れていた。

作家になりたい、さもなくば生きていたくない」なんて言葉も平気で語った。

今では彼の言葉のほとんどの引用を識ることもできるが、それでもそんな言葉を放つことのできた彼のただ住まいは今でも美しく感じる。

そして、未だ元の言葉が見つからない、彼オリジナル言葉もその端々にあった。

「僕はまだピリオドのつけ方しかわからない。でもこれからすべての言葉を自由に操られるようになるんだ。」

そう語った彼は20になる前、自分人生ピリオドをつけた。

その点は自分の下に漏れた体液によって描かれた薄黒い水たまりだった。

僕は世界に鈍感な分だけ長生きし、時には当時の苦悩を嘲られるほど愚かになることができたが、それでも時々smithsのCDを取り出し、モリッシーの歌声とマーの紡いだ旋律を聞くと当時の彼の背中を変な甘い感傷みたいな気持を伴って思い出したりもするのだ。

2007-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20070428213119

うわーすげー。

俺だったらこんな戦場耐えられん。

最初っから無理だ。

間違いなくこの↓の歌詞みたいになる。

There's a club if you'd like to go

You could meet somebody who really loves you

So you go and you stand on your own

And You leave on your own

And you go home, and you cry, and you want to die. 

もし行きたければクラブがあるよ

本当に愛してくれる人が見つかるかも知れない

それで行ってみても、君は一人で立ち尽くす

そして一人でその場を離れ

結局家に帰って、泣いて、死にたくなるんだ

The Smiths "How Soon Is Now?"

 
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