「サッチャリズム後のイギリスと今の日本の経済状況なんて関係ない。ただ、smithsを聴いたこともないって奴に、思春期だなんて言って欲しくはないね。」
僕に中学時代smithsを教えてくれた友人はそう語っていた。
彼は、言うまでもなく文学的で、それゆえ早熟で、結果として孤独だった。
当時は彼がゲイだったというのも知らなかったし(知ったのはずっと後になってからだ)彼の抱えている問題なんて知る由もなかったけど、やっぱりそれなりに早熟でありたいと思っていた僕はそんな彼の話を聞いてわかったふりをしていたのだった。(少なくとも、「平凡でありたい」なんて少年はいないだろう)
彼は当然のように作家に憧れていた。
「作家になりたい、さもなくば生きていたくない」なんて言葉も平気で語った。
今では彼の言葉のほとんどの引用を識ることもできるが、それでもそんな言葉を放つことのできた彼のただ住まいは今でも美しく感じる。
そして、未だ元の言葉が見つからない、彼オリジナルの言葉もその端々にあった。
「僕はまだピリオドのつけ方しかわからない。でもこれからすべての言葉を自由に操られるようになるんだ。」
その点は自分の下に漏れた体液によって描かれた薄黒い水たまりだった。
僕は世界に鈍感な分だけ長生きし、時には当時の苦悩を嘲られるほど愚かになることができたが、それでも時々smithsのCDを取り出し、モリッシーの歌声とマーの紡いだ旋律を聞くと当時の彼の背中を変な甘い感傷みたいな気持を伴って思い出したりもするのだ。
上のリンク、「The Smithsを聞いて自殺した人」の話を読んだ。 The Smithsの作詞者兼ボーカリスト、モリッシーが当時こう語ったのは有名な話。 (ザ・スミスの曲が余りに内省的で陰鬱...